老人と海。  15,09、27

   云わずと知れたヘミングウェイの傑作小説である。キューバの老漁師サンチャゴが
  小船で漁をしていて、仕掛けた網に掛かった巨大なマカジキと3日間も苦闘してよう
  やく仕留めたが、今度は船べりに縛り付けたマカジキがサメに襲われ、港に戻った時
  にはすべて食いちぎられて骨だけになっていたという物語である。

   ただそれだけの話である。短い。それ以外には何も起きない。しかしそれでも世界
  中の読者に読まれた。この物語が読者の心を打つのは、老人が毎日魚を釣ってい
  るからであり、老人にとって魚を釣ることは当たり前の事だからであろう。巨大なマカ
  ジキと3日間も闘い遂に仕留めた喜びや、サメと戦って敗れた悔しさなどこの小説に
  は毫も書かれていない。

   サメに食べられても一向に動じない。老人にとってサメに食われたことなど些細な
  事なのだ。老人は、長く人生の挫折や失敗を味わってきたから、失敗や挫折は当た
  り前の事。サメに食われたのは運が悪かっただけなのだ。

   老人は海の労働者である。労働の積み重ねは、人生の積み重ねであり、サメの
  攻撃などでは全く揺るがない。その圧倒的な経験の豊富さが読者の胸を打つのだ
  ろう。老人のものに動じない行動に、正に年輪を経た人生を見るのだろう。

   若い時に読んだこの小説の良さがようやくこの歳になって判るようになった。
  「本は2度読め。」とはよく云ったものだ。

   それに引きかえ、私の釣り行脚は可愛いものだ。釣って喜び、釣り落としては残
  念がり、サンチャゴの域に程遠いのは職業と趣味の違いだから当たり前のことだ。

   趣味の釣りをしていて時々思う。サンチャゴが私、キューバの海が相模湾や東京
  湾、マカジキがアジやタイで、時に昨年釣った15`のマグロ。あのマグロの時は
  サンチャゴと同じ激闘だった。

   役者は揃った。では書き手のヘミングウェイは誰か。どんな物語に仕上げるかは
  読者の皆さん自身です。

   ようやく太刀魚が釣れ始めたので、学生時代からの釣り好きの友人と示し合わせ
  て馴染みの船宿から出船した。少々肌寒い気候だったが風と波がないから楽だ。
  昨日は大漁だったと船長は話していたが、今日は食いが渋い。

   8人乗船して坊主が2人でトップが7本。私は3本だから上出来だったが、太刀魚
  釣りが得意な友人は1本だけ。微妙な当たりを察知して太刀魚を制するのはかなり
  の技がいる。悔しがった彼は午後アジにも引き続いて挑戦したいという。渡りに船
  とばかりに疲れた体に鞭打って付き合った。

   良型のアジを13匹。彼は15匹を釣って太刀魚と合わせて同数。ようやくご機嫌
  になった。葉山の老漁師「サンチャゴ」はこの日もご機嫌だった。