葉山釣友会解散。    20,03,11

   葉山釣友会は55年前に葉山の釣り好きの先輩が作った伝統のある釣り同好会だが、
  会員の高齢化と若手後継者の不足のためにとうとう解散に追い込まれてしまった。

   思えば18年前、2002年6月に退職したあと、私はしばらくは暇を持て余していた。何せ
  分刻みの多忙な毎日から解放されて、一転してやることがなくなると、世の中から置き
  去りにされたような虚脱感に襲われて途方に暮れてしまった。暇になったらあれもやろ
  う、これもやろうと青写真を描いていたのに何も実行できない元サラリーマンの悲しさで
  ある。

   退任直前に挨拶に来た某一流企業のトップの方から、「退職して急に環境が変わると、
  やることがなくて心の病になり、命を縮める事がある。そんな知人を多く知っている。何
  か趣味を持って少しでも忙しさを作りなさい。」と忠告されたことを身に染みて感じてい
  た。 当時のそんな心境が、私のHPのタイトル4、「私の一日」に書かれている。

   退任直後のある日、家内と葉山の森戸海岸を散歩していたら、偶然在職時の同僚だ
  った同い年のS君と出くわした。退職後の近況を話し合っていたら、彼は葉山釣友会と
  いう釣りの趣味の会の副会長をやっているという。「暇なら一緒にやろうよ」 と入会を
  誘われた。

   仕事人間だったので、ご近所はおろか町内には知人がほとんどいない。これからは
  肩書無用の葉山住人として楽しく過ごしたいと思っていたので、これ幸いと喜んで葉山
  釣友会に入会した。退職してしまえば昔の肩書など吹聴するのはご法度。よく昔の肩
  書を自慢げに話す人がいるが、昔話を嫌う私とは異質の人種だと思っている。趣味の
  世界に肩書は無用である。

   ほどなく20人ほどいる会員とも親しくなり、釣りという趣味を通じて芋づる式に葉山の
  住民と知り合いになり、町の知らなかった事を沢山教わった。自宅と会社を往復する
  ばかりで地元葉山の人とは没交渉だった私は、ようやく葉山町民になった気がした。

   会長さんは葉山文化財研究会の会長もやっていて、誘われてこの会にも入会した。
  毎月葉山だけでなく三浦半島のあちこちの史跡や文化財を探訪する楽しみも知った。
  また、現釣友会会長のSさんとは趣味が同じで、釣り、囲碁、ゴルフ、お酒と付き合う
  ことが多く、今も毎月彼のゴルフ仲間と一緒にゴルフを楽しんでいる。

   こうした友人達との知遇は、みな森戸海岸で偶然出会った元同僚のS君のおかげで
  ある。きっかけを作ってくれたS君は2017年9月に他界してしまったが彼には感謝しか
  ない。
    
   葉山釣友会の会員はご多分にもれず高齢化が進んでいて、幹事が苦労をしている。
  釣り船屋に仕立て船を頼むには10人のメンバーが必要だが、今では8人も集まらない。

   平均年齢も73歳と高齢化が進み、若い人は釣りに興味がないのかなかなか新しい
  会員は集まらず、仕立てることができず、乗合船に乗ることが多い。会の趣旨は仕立
  て船で釣りを楽しむことにあるので、会の存続が以前から危ぶまれていた。

   先日、会長名で遂に「残念ながら釣友会を解散します」、との通知が届いた。「これか
  らは有志で釣りを楽しみましょう」 とも書かれてあった。会員全員が55年の伝統の灯
  が消えることを寂しく感じていることだろうがご時世で仕方がない。

   毎年暮れには地元のお寺に集まって、お布施を出して住職にお経をあげてもらい
  「魚供養」をし、近くの某スナックで直会をやったことも今では懐かしい思い出である。
  近いうちに積立金の残金の整理を兼ねて最後の解散会をやるという。

   思い出すと、過去に足腰の弱ったご高齢の会員には、危険防止のためやむを得ず
  「退会勧奨」をした事例が数例あり、次の勧奨は現在の最高齢の私だろうと噂をされ
  ていた。不名誉な勧奨をされずに時間切れになり、ある意味でホッとしている。

   在職中の子会社の釣り同好会には今も入っていて毎月集まって釣りをやっている
  が、この会も高齢化の波が押し寄せていて存続の危機が迫っている。幹事が献身的
  に世話をしているので何とか持ちこたえているが、遠からず解散になるだろう。

   「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。」 鴨長明の方丈記冒頭に
  ある有名な書き出しを思い出す。

   それに従えば、河(釣友会)そのものは絶えることはないが、水(釣友会の会員)は
  新しく入れ変わっていく、となるのだが、今の世の中そんなに甘くない。水不足で河そ
  のものも消え失せていく、という諸行無常の世の中なのである。