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35、自分も親も幸せにできない不幸な男(2011/12/23)

 親を幸せにしたいと願いながら、親の悪口をいい、親からは親不孝ものとののしられ、お互いつらい時間が流れる。自分をも、親をも幸福にできなかった男。僕はついつい口癖のように、親の育て方が悪かったっから今の自分があると親にいう。親はお前のために一生懸命尽くしてきたのに、親へ一言の感謝も無いと言う。心の中では感謝じゃないけど、ありがとうはいつも言ってるつもり。でも、口に出ると親が甘いからとか、きちんとしつけなかったからだとかいってしまう。それに、親は反発する。親も88歳だ。私も57歳だ。昔話じゃないが、これが現実なんだ。息子がもうじき帰ってくる。息子は今のところ親の育てえ方が悪かったとは言ってない。自由気ままに育った。ある面自分の責任で行動している。逆に親との係わり合いが少なかった感じがする。近くで息子の様子を見守り続けるつもりだ。

34、結婚できない男女(2011/12/23)

今日は天皇誕生日。天皇家も週刊誌をにぎわすほど大変な感じになっています。僕だけではないので少しは気休めになりますが、でも国の象徴なのだから、一本筋の通った解決策が望まれますね。少子高齢化で、私もだんだん歳をとるのに、独り身で寂しい人生を送っています。街を歩けば若者がアベックで楽しそうに手をつないで語らいながら歩いています。だから、昔とそう変わらないのだと思うのですが、統計的には結婚する人の数が減り、高年齢化しているのでしょう。私はこの原因に会社組織が非常に大きく関係しているのではと思うのです。私はもてない男なのでえらそうなことはいえないのですが、男女関係は平等であって初めて関係がなりたつのではないですか。お互いの意見なり、思想なり、夢なり、それをお互い色々話し合って初めて好きになれると思うのですが、では会社ではそうした対等の関係が保たれているのでしょうか。一方、会社を離れれば、人間として対等になります。上下関係はなくなります。だから、会社を離れたところで出会えば、もっと自由な関係になれる気もします。でも、私が結婚した相手は職場で知り合った人です。そこでは上下関係にうるさくなく、自由な関係が成り立っていたのかもしれません。結婚は色々な関係で縛られない自由さが必要だと思いますね。結婚や恋愛の減少は自由度の減少のように思うのです。今の社会はさらに人を管理し、自由度を縛っています。自由度を保つためにも、会社の差別的な行動や思考を認めないようにしなければならないでしょう。会社が人を差別し、区別すればするほど、人々は会社に縛られ、人々との対等な関係が失われ、自由な恋愛機会を奪っているようにも思うのです。正社員とパート労働、派遣社員、契約社員・・・好きな感情が芽生えても対等に付き合えるのでしょうか。賃金が違う、社会保障が違う、仕事内容が違う、責任が違う、・・・これでお互いを知り、尊重する男女関係が形成されるといえるでしょうか。こういう状態で、将来の夢を語り、結婚できるのでしょうか。

32、会社を見返そう(2011/12/20)

 この会社ほど差別的な会社を知らない。しかしこういう人を差別する会社がながらえているのはどういうわけか。営業とそうでないものを、完全に差別している。女性の事務員は全てパート。彼女らは賃金が少なくても文句を言わず、仕事に喜びを感じているようだ。日本の社会が階層的だから、人間そのものが階層的だから?でも、人間の心に反することを平気でやっている会社なんて長続きするはずが無い。どうか神様、この会社に神様の良心に従ってお裁きを与えたまえ。もっと人間らしくなってくれ。罰を与えてくれ。
 私はこの会社を見返すためにも、地盤改良のことを勉強しよう。そして見返そう。そして社会に役立つ仕事をして心豊かに、裕福に幸せに暮らしたい。神様、私がいつまでも努力できますように。いつまでも若い気持ちを持ち続けられますように。
これから徐々に、この会社のおかしな点をブログに書いていこう。会社のおかしな点を公開することで頭の整理ができればと思う。

31、森昌子の歌は長編の”純恋愛小説”の傑作だ(2011/12/18)

彼女の歌は恋の歌が多く、失恋や片思いが主流で、とても泣かせる。また、そこに先生や同級生、お父さん、お母さん、おばさんが出てきて彼女をもり立てる。彼女の歌はまるで長編の純恋愛小説を読むようで、聞くものを夢中にさせ、若者の切ない恋の世界へ聞くものをいざなう。これはまさしく恋愛小説の傑作で、国民栄誉賞を与えてもいいと思うぐらいすばらしいものだ。この小説は彼女が結婚を手に入れたことで、ハッピーエンドで終わる。だが人生は皮肉なもので、彼女の長編小説は第二部に続くのだ。せっかく第一部で自分の夢を手に入れたのに、第二部ではそれを捨てて青い鳥を追い求めることになる。彼女は果たしてどこへいこうとするのか。青い鳥は果たしているのか。森理昌子の書く、第二部に目が離せない。

29、橋本徹に期待する(2011/12/12)

橋本徹の共著「体制維新ー大阪都」(文春文庫)を読んで、彼の考えが僕が漠然と感じ取っていたことを、明瞭に言葉に置き換えて述べていた。僕は前にこのブログで、昭和山が変化が乏しい、ありきたりの事務的な公園で、市民の声が少しも反映されていないと述べていたが、橋本はこうした現象を、明快に大阪市が各区役所に権限を委譲していない、市役所が260万市民全てを統率するシステムがそうした地域のコミュニケーションを疎外していると指摘した。それは各区役所に予算配分権が無く、区長が市役所から配属された単なる公務員で、責任を持ってその地域の問題に対処する権限が与えられていないからだとしている。災害が起こっても、区長は大阪市の指示待ちで、政治家で無いので緊急的に対処できないとしている。
 橋本徹は鋭い感性と感受性、豊かな想像力に、言葉、実行力を持っていると思えた。もうすぐ大阪市の新市長になる。大いなる改革を期待し、大正区や昭和山が生き生きとよみがえって欲しいと思う。

28、台地は宅地向きの土地だ(2011/12/12)

 都市圏活断層図(1/25000)は台地を丘陵地や山地と区分し、人間が住み易い土地をわかりやすく提供しています。下記は大阪府富田林市の一部で台地はオレンジ色、沖積低地は緑色、山地や丘陵地は色抜きで表示されています。だから、この地図を見れば台地が一目瞭然でわかります。ここは地盤がよくて平坦で住宅を建てる際、軟弱な粘土層が無くて不同沈下の心配がありません。だから私は台地に建物を建てればいいなと思います。
 地図の左側のオレンジ部分は富田林市の市街地で、寺内町とか言うお寺の多く集まった町があります。一方、右側のオレンジ部分は畑か田んぼのようでここは平坦で、地盤が固く、川筋より一段高くなっているので、洪水の心配もなく、生活には最適だと思うのですが、十分開発されていません。丘陵地を開発するよりこういう台地に住居を作って欲しいですね。




24、今が花だね(2011/12/7)

 このブログには自分のことばかりを書いていて、申し訳ありません。他にしゃべる相手がいませんので。
 今日も森昌子の歌を車の中で聞いていて涙が出てきた。このごろ、毎日のように涙が出てくる。本当は涙が出てくると言うよりは泣いているのかもしれない。泣きたいのかな。でも涙を流すと気持ちがいい。重い目が目薬をさしたように快適になる。心も晴れてくる。勇気もわいてくる。泣かないより泣くほうがずーと良い。
 でも、いやな予感がしてくる。それは森昌子の歌を聞いても泣かなくなるのではないかという予感だ。心が動かなくなる予感だ。泣くのは歌の響きに心が反応するからだ。だが、心が反応しなければ、単なる歌を聴いているだけだ。今泣けるのは、たぶん色々悩み、つらい思いをしているからだろう。職場が変われば、つらさも、過ごし方も、考えさえ変わり、昌子の歌を聞いても反応しなくなると思う。半年前がそうだったのだから。果たしてそれがいいのかどうか。今の心境としては、やはり彼女の歌を聴いて、泣き続けたい。いつまでも、いつまでもこの感動を持ち続けたい。と言うことはどういうことだ。人間は悩み続けるほうが良いと言うことか。会社を辞めてすっきりするよりは辞めずに、悩み続ける方が心は繊細と言うのだろか。

23、会社をやめる覚悟ができた(2011/12/6)

 人間てつらいね。毎日が暖かい愛情に包まれて生活できたら、どんなに人生が楽しいものだろう。今日仕事で行った先の私と同年輩ぐらいの人は幸せそうだった。自分の家の庭先の道路に出て、近所の人と話をしたり、娘さんが連れてきた孫と遊んだり、また私の仕事ぶりや住宅建築の業者さんと話したり、嫁さんが持ってきたコーヒーやお菓子を食べたり、真剣なまなざしと穏やかな笑顔が入り混じって幸せの絶頂期のようだった。僕は肉体労働をしながら、同じくらいの歳なのに、自分の立場が惨めで、情けなかった。それと言うのも、仕事そのものが情けないのではない。仕事そのものには誇りがある。そうではなしに、自分の立ち場のふがいなさにだ。会社における自分の立ち位置、人と対等の関係を築けない状況、あるいは人と関係を結ぶことさえできない状況、会社における仕事の位置、女性との関係、ありとあらゆるものが私を無視し、私を踏みにじり、私を押しつぶす。本当に私は押しつぶされそうなのだ。だから私は考えた。会社を辞める。もっと自分が生き生きできる職場があるはずだ。それを探す。冗談ではなしに、本気だ。年末にもし寸志も出なければ、忘年会には行くまいぞ。これだけ仕事を熱心にしているのに、これだけ毎月きっちり稼いでいるのに、1〜2万円も出なければ、それはおかしいだろう。それはずるいだろう。それは人を馬鹿にしすぎだろう。
 自分で何か解決策はないのだろうか。心が軽くなる言葉が欲しい。前向きになれる人間関係が欲しい。一緒に将来を語れる女性が欲しい。仕事の話をできる同僚が欲しい。ライバルも欲しい。広い家と庭が欲しい。広い空間と川と海と、山が欲しい。おいしい空気が欲しい。腹いっぱいのおいしい食べ物が欲しい。家族の楽しい団欒が欲しい。読書がしたい。いい本を読みたい。釣りがしたい。旅行がしたい。友達と話がしたい。内田君や大南君と話しがしたい。死んだ知恵ちゃんに謝りたい。ごめん。ほんの軽い気持ちなんだ。愛している。今もそうなのだ。君が死んでから4-5年間、僕は夢の中で君を見続けた。死んだのか生きているのか、境がつかなかった。現実か夢かわからなくなった。それだけ僕は君を愛し続けたのだよ。でも、僕がこんなけ惨めな精神になるとは、君もわからなかっただろうな。人間とは精神である。必ずしもそうとは限らないけれど、精神は大事だな。全く自分自身なのだから。
 前向きな人生、って何だ。実存的に、ニーチェのように、ルソーのように言葉が自分を少しは支えてくれるのか。だからこうして書いているのだろう。書かなければ、私が吹っ飛んでしまうだろう。

22、森昌子について(2011/12/6)

 森昌子の十代の歌声は人を魅了する不思議さがある。中高年の人にはいつまでも残したい日本の遺産だ。youtubeで流れる森昌子の動画をCDとDVDにして販売して欲しいと思う。ただ演歌はちょっとしつこいね。

21、私の33年(2011/12/3)

 父の33回忌の法要で、お寺さんがおっしゃるには、亡くなられた方とその後の皆さんの生き様を思い起こすことが、今日の法事を営む意義でもあるとのこと。父が生きていたころは私が25歳、それからいまは57歳。人生の主要な時期に私は何をしていたのだろうか。今もって仕事は安定せず、他人の悪口や社会の不満を口にし、経済的に逼迫している。お寺さんは今の社会がとても生きにくくなって人間としての喜びや安定した気持ちがもてなくなっている社会だといった。人生は入り口と出口があって入り口では常にどの道かを選択して進む。そして入り口に入ったからにはその道を充実させること大事でそれが出口につながる、そしてまた選択し、その間を充実させて、出口に向かう。丁度竹の節のように。
 私はどうだろう。入り口に入ってはすぐ不満を口にして出て行く。そしてまた別の入り口に入ってはすぐに出て行く。転職を繰り返してきた。だからと言うわけではないが、人生の安定期がない。貧しくてもつらくても生活が安定してれば、人生に喜びがえられるということもおっしゃっていた。だから私は精神的にも不安定なのかもしれない。しかし、今の社会を見ていると、腹が立って腹が立って仕様がない。こんな私だから、いい人に恵まれないのか。私は反省しなければならない。今の会社についても、いい面と悪い面を考えていかなければならないかもしれない。

20、今年はよい年だった(2011/12/3)

 昨日家族でお好み焼きに行って、今年を振り返ってみたら、案外いい年だったなと思った。息子がなぜと尋ねてきたので、森昌子と出会ったから、と言ったらあきれかえっていたが、今日もいいことがあったので、やはり今年はいい年だったと確信した。
 今日のいいことは住宅品質協会の住宅地盤調査技師に合格していたこと。これはたまたま、インターネットで自分の名前を検索したら、変なところに名まえがのっていた。そこをクリックしたら、これはこの前受験した技師の合格者の氏名一覧だとわかった。と言うことは、私の名前がヒットしたと言うことは、私が合格していることではないかと、とてもうれしくなって、胸をわくわくさせながら一覧表の氏名を追った。するとやはりあったのだ。私の名前が。
 私は資格とは無縁の男で、地質調査技師や技術士補など2〜3度受けたにもかかわらず、不合格になり、現在は測量士補という学校を卒業したことでもらえた資格のみで、就職ではつらい思いをずっと続けたきたから、この合格はうれしい。それよりも、すべったときの社内からの冷笑の方がつらかっただろう。
僕は社内では一匹狼で、浮き出た存在だ。私は地質のことは社内の誰よりも知っていると自負している。だから、すべっていたら、みんなから無能人間と馬鹿にされていたことだろう。つらいのはそういう皆から馬鹿にされていることを、僕自身が気づいていなかったことだ。井の中の蛙、大海を知らず、で、自分こそ一番の知識ものだと思い続けていたことだろう。そのホームページにはこれまでの合格者の会社別の一覧表がのっていた。なんとそこにはうちの会社には合格者が4名いて、しかも主任技師まで合格している人がいた。僕はこの試験はすべったものと思っていたから、すべっても気にはしていなかった。でも、会社に、しかも営業マンたちが合格していたとは。これを見て、もし僕が不合格だったら、仕事の自信が大きく揺らいでいたはずだ。あるいは自信喪失になって、仕事を行う気力がなくなっていたかもしれないと思う。
 そう思えば、資格試験というのは罪深いものだと思う。こういう資格があってもなかっても、私の力は同じだ。今日の法事でお寺さんは、人というのは他人から見られることで、存在する、自分ひとりでは存在できない、というようなことを言っていた。つまり、人が評価することで、自分がそういう人間なのだと自覚できるのだと言う。だが私は人の見る目より、自分は自分で、自分が自信を持って仕事をすれば、他人の見る目も変わるものだと思う。資格があろうが無かろうが自分と言う人間は変わらない。

18、山は動くのか(2011/12/1)

 大阪市長選で橋本徹が平松市長を破って当選した。開票後、すぐに当確との発表があったが、本当にそうあって欲しいと願っていた。僕は常々、大阪を批判的に見てきた。というのも、大阪市に暮らして表面的にはそれほど問題は無いのだが、心の奥深さのようなものを感じないからだ。たとえば、街路樹、大阪以外でもそうなのだが、丸裸の木がなんと多いことか。そこまできらなくていいと思うのだが。公園、子どもが遊ぶには、小さすぎるし、遊具も不足、広場も狭い。そしてちょっと広い場所があれば、野球場やサッカ場にして、子供の立ち入りを拒み、スポーツ少年が独占している。広い公園ならまだしも狭い公園でこの状態だ。そして、道が狭く、道路の整備が悪すぎる。地下鉄は私鉄との連絡が不十分で郊外に行くのに都合がよくない。大阪市内で独自に路線網を拡張しているだけで、大阪全体まで考えていない。大正区の鶴浜では、具体的な予定が無いのに沖へ埋め立て地を作った。だからIKEAを除いていつまでたっても荒地のままだ。全てがこの調子。中途半端で、無責任で役人仕事丸出し。体裁ばかり取り繕って、ヴィジョンが無い。それでいて職員の給料は驚くほど高い。
 だから橋本さんが市長になれば、大阪市が風通しのよい、市民に目を向けた、木目の細かい心のこもった仕事をして欲しいなと思う。

17、山はどうしてできるの(2011/11/26)

地質を学生時代に勉強した人間にとって、山はどうしてできるの、って言う命題は一番の本質的なものじゃないかと今、思う。だが、今の今まで、このような命題を自分に問いかけたことは無かった。たぶん、学生ならこういう問いかけの方が、身近だろう。山は何からできているの、あるいは岩石は何からできているの。学生時代に勉強するのは、山を見るというより、岩石を分析し、岩石を区分し、岩石の成因を推察する方法を学ぶことだった。あるいは分析の原理や基礎知識などを学んだ。そしてその中の一部分を研究する。だから、山はどうしてできるのではなくて、何からできているの、になる。この命題は同じことだろうか。自然科学が面白いのは、自分の身近にあって、疑問に思ったことが解明されることにあるのではないか。ことの本質に対して疑問に思うことなく、ある部分に対して先生から命題を与えられ、それに応えていく勉強。これでは山はどうしてできるのという命題は出てこない。やはり学生は常に自分自身に対して、自問し、ことの意味合いを考える習慣をつけないと、何の勉強をしているのかわからなくなるのではないだろうか。私もこの歳になって、山はどうしてできるのっていう疑問を発しよう。常に今ある立ち位置を反省しよう。そして、心の声に耳を傾けよう。心は何を求めているのか。疑問は何なのか。心の声を聞く習慣を身につけよう。


16、十代の森昌子の透き通るような歌声(2011/11/23)

今日は勤労感謝の日で休み。国土地理院の簡単地図サイトで地層断面図の区域図を作成していて、森昌子の「北上夜曲」と「川は流れる」を聞いていたら、涙があふれてきた。What beautiful voice!そう、美しすぎる。15,6歳でこんな歌い方をされたら、中高年の男はどうすればいい。涙を流すしかないじゃないか。でも、私はなんと泣き虫になったことか。泣いてばかりいる。



14、大阪は今のままで良いのか(2011/11/19)

 私は自宅近くの昭和山をよく散歩しますが、やはり心が落ち着く場所です。小高い緑の斜面やそこで成長する20〜30メートルもある大きな樹木、青々とした雑草や芝、それらの複合体としての公園を散歩していると、いろいろなことが脳裏をかすめます。この昭和山は昭和40年代の初頭の産物です。今こうして見ている山は、そのころの人が考え、実行に移したものです。で、今生きている私たちはそれを利用しているだけです。公園の変化を望んでもそれを言っていく場所がありません。ベンチが欲しいとか、サッカー場を運動場にしたほうが良いとか、色々浮かびます。そして消えていきます。巨大な管理者、大阪市。何でも物が言えて、市民が共同で、アイデアを出し、選択し、共に物を作り、利用していく大阪市になって欲しいなと思う。それは公共財ばばかりでなく、社会のシステムそのものがそういう民主主義的な手続きに則った、市民社会になってほしいなと思う。


13、心は揺れ動く

自分が自分であるようにという命題を背負い込んで、では本当に敵対している相手に、自分の信念を貫き通せるのかのというと、相手の顔を見ては貫き通せないと思う。


12、関係という関係(2011/11/6)

人は関係という関係の中で生きているのだろう。私が今いる組織の中で、ある人と私の関係が措定(そてい)されている。つまり、私とある人との関係は、その組織の中で規定されている。その見えない規定、あるいは雰囲気はとても大きい。若いころは個々の関係がもっと自由であった感じがした。しかし今は組織という関係が、個々人の関係を大いに縛っていると感じる。あるいは大きな関係が、その下の関係を縛り、さらに個々人の関係という関係を縛っているとも言えよう。
 キェルケゴールの「死に至る病」(岩波文庫)の中で次の文章が印象に残っていた。
 「人間とは精神である。精神とは何か?精神とは自己である。自己とは何か?自己とは自己自身に関係するところの関係である、すなわち関係ということには関係が自己自身に関係するものなることが含まれている、−それで自己とは単なる関係ではなしに、関係が自己自身に関係するというそのことである。」


11、生を授けてくれた天の恵みに謝罪します(2011/11/6)

 生を受けて57年、神あるいは仏、あるいは自然は人が人を殺すことを良しとするだろうか。たとえ空想であろうが、想像であろうが、そのようなことを思い描かないと、自分の不満を発散できないことに大いに哀しむ。自分の生が大事なように人の生もそれ以上に大事だ。それを抹消することを想像したことは恥ずべきことであり、自分の生存さえも否定しかねない、恐ろしい考え方だ。二度と神を冒涜するような考えを持たないようにします。人はまっすぐに生を謳歌すべきであり、生を伸ばす方向に進路をとるべきだ。人に対しても同じだ。心を入れ替えます。もっと喜びのある生活を送ろう。
 では、毎日をどう過ごしたらいいのか。やはり不満なことは不満だとはっきり言い切ることだと思う。それを言い切れない弱さが、頭の中で色々相手のことを空想し、殺してしますのだろう。もっと自分を信じることが大切なのだろう。自分は自分であればいい・・・自分は自分であればいい・・・そう、念仏のように唱え続けることなのだろう。  

10、「森昌子」再再考(2011/10/29)

 半年間も森昌子を聞き続けている。車の中で、家ではパソコンのyou tubeから流れる画像を見ている。まるで恋に落ちた若者のように無我夢中で一人の女性の声を聞き、画像を見ている。うちの息子からすると異常だとのこと。でも他の人の曲を聞く気になれない。聞くとそれなりにいいのだが、また、森昌子に戻ってくる。
 何がそれほど、私をひきつけるのだろう。音楽というものの魅力なのだろうか。これを機に、いろいろな音楽を再発見したいと思う。色々なジャンルの曲を聴きたいと思う。そういう思いが芽生えたのは確かだ。それはまさしく音楽という領域のことだろう。
 だが、音楽というものだけではない。もっと詳しく見れば、森昌子の十代の声が持つ、共感性のようなものだ。それは「面影の君」、「夕笛の丘」、「おばさん」、その他の曲に見られるちょっとした声のふるえや声の伸ばし方、あるいは甘ったるい声、あるいは凛とした声、それが、歌詞とハーモニーをなし私の心を震わせるのだ。歌い方が上手いだけではない。CDの技術もあるのだろう。もっと深く突き詰めれば、森昌子の生い立ちとも関係しているのかもしれない。
 たとえば、森昌子の髪型が、岩崎宏美のような癖のないロングが似合っていたら、私の心をこんなに打つだろうか。モンキーのような髪型はたまたまの偶然とは思えない。それは森昌子の育った環境や周りから受けた教育・知識あるいはもって生まれた感受性と密接にかかわっていると思う。彼女は2歳ぐらいまで、祖母に育てられ、その後両親と6畳一間の家で暮らし、そこでは風呂も近所の親戚の家で借りて入り、便所も共同便所だったということを本人が話していた。母は心臓が悪かったらしい。彼女の髪型はなるべくしてなったのではないだろうか。
 だから、彼女の若いころの歌にはそういう生育環境から受けた感性が発露しているのではと私は想像する。そして、二十歳ぐらいになると、徐々にそうした感性から変化し、裕福になった分、声に変化をもたらしたのではないだろうか。逆に女性らしい優しさが前面に出てきた。小さいころから理想に思ってきた女性らしい優しさ。それは「信濃路梓川」の画像に端的に出ているのではないだろうか。そして、24,25歳ごろの演歌はとても上手くなってきて、人の心を捉えるようになってきた。「恋は女の命の華よ」、「ほお紅」、「越冬ツバメ」、「鴎歌」、「いつまでも愛彩川」、「寒椿」・・・いい曲が一杯だ。でも、十代の歌のような感動は覚えない。それは感動ではなくて、うまさだ。石川さゆりは歌がうまいし、いい曲を歌っている。でもやはり涙するほどの感動にはならない。尾崎豊の曲にも感動して涙したことがあった。やはり感動する曲とそうでない曲があるのだ。尾崎豊は当時、歌詞に感動したと思うのだが、森昌子の場合はやはり声だ。歌詞はつまらない歌詞が多いのが残念だ。


9、「仕事ができる社員、できない社員」(吉越浩一郎、三笠書房)を読んで(2011/10/20)

 ビジネス書を読むとそのときだけ、テンションが上がるが、この本もやはり、読んで何日間はその通りやってみようという気にさせてくれる。その気にさせてくれて、今実行に移しているのは、仕事を集中して、時間を決めて行おうということ、そのことを著者は自分にデッドラインを設定すると言っています。デッドラインが無いと、仕事に集中できず、だらだらと仕事してしまうということだそうです。これには自分は全く当てはまるので、できるだけ時間を区切って、集中して仕事をしようと考えています。もう一つは残業をしないこと。この人の言い方ではワークライフバランスをとるということ。だから私も、できるだけ定刻には会社を出るように心がけ、仕事は定時に収まるように、集中してデッドラインを設けて、するように心がけ始めています。そのせいか、家に帰ってから午後9時以降に、自分の時間が持てるように感じ始めました。最後にもう一つ重要なことがありました。それは早寝早起きし、睡眠時間を十分にとること。ボウとした頭では頭は働かないとのこと。ホント、睡眠不足のとき、図書館に行っても、半分居眠りしていて、全く本とか勉強に身が入りませんものね。

8、ほんの少し温かさを感じた(2011/10/13)

これほど腹が立つ日々を過ごし、自分の情けなさを感じ、この身動きの取れない自分を歯がゆく思いながら、ちょっとしたメモ書きに気持ちが少しだけほぐれた。女性のきれいな文字で、単なる用件の書き込みなのだけど、文字の形に優しさのような、穏やかさのようなものを感じ、また、僕の氏名を丁寧に書いてくれていた。ただそれだけなのでけど、何かしらうれしくなって、腹の虫が少しだけ収まった感じがした。


7、労働基準監督署ってあるの?(2011/10/12)

今の日本の社会はどうなっているの?と思う。企業の存立が難しいのはなんとなくわかる。でも今の労働者のおかれた立場のひどさはどうだろう。時間外賃金を支払う会社なんてあるのだろうか。工場以外ではほとんど無給で働いているのではないか。でも、労働基準監督署に言って、まじめに取り合ってもらえるか。基本給以外の色々な手当てに含まれているとか、残業した証明はとか、なぜ残業したのかとか、逆にこちらが何か不謹慎なことを言っているようで、こちらが悪者扱いにされるのが落ちだ。あるいは社内で白い目で見られて、その会社にいられなくなってしまう。正しいことが少しもいえない社会が蔓延しつつある。
もっと自由に会社を起こせる社会になってほしい。別のいい方をすれば、人がもっと自立できる世の中になってほしい。今は多くの人が、会社で使われている状態だ。個々が独立し、会社と対等に渡り合えるようになるにはどうすればいいのだろうか。


6、自分が自分であるように(2011/10/5)

森昌子の「おばさん」という歌を車の中で聞いていたら、涙があふれてきた。歌の内容ばかりではない。森昌子の透き通った、優しい声に触れて。その優しい声が自分の心の奥深くに眠るわけのわからない五感と共感したのだ。その共感が涙を生んだのだ。
 そして、そのきれいな声は、その当時どれだけの人が感動したのだろうかと思う。僕は感動しなかったが、今は感動している。そして、ふと自分のことに気がついた。自分は声はきれいではないが自分という人間は優しさを持った人間ではないか、それを忘れていたのではないか。自分が自分であればいいのだ。そうすれば、森昌子の声のように、自分の持っている優しさが、体中から染み出して行くものなのだ、と思えてきた。何も人を殺すことを夢想する必要はない。自分のありのままの姿を見せれば、人は自分という人間を理解してくれるだろう。そうなのだ。透き通った声に感動するように、人間と言う動物はその人の発する声からも、あるいはその人の性格、動作、考え方、しぐさからも何かしらのテレパシーのようなものを受け取るのだ、そう思えてきた。
 飾らずに、自分のありのままの姿を出せば、それがその人のすばらしさを体現しているのではないだろうか、と思う。


5、私の位置する危機的状況(2011/10/2)

 大阪に暮らす、50代の男性の多くは私と同じ危機的状況にあるのではないかと想像する。時たま、こういう夢想にふける。会社の社長や年下の営業マンに向かって、「お前ら殺したろか。なめるんやないぞ。」そして机を蹴飛ばしたり、ナイフを見せびらかしてみんなを怖がらせている姿だ。あるいは車を運転しているとき、何かの弾みで頭にきて、大声でわめき散らしながら、ナイフとかを見せて怖がらせている姿だ。怒りが収まらないのだ。このような姿をよく想像するのだ。
 こうしたことは、東京秋葉原の事件を思い起こさせるし、つい最近では大阪市バスとトラブルになった20代前半の若者が、折衝にあたった担当者に、誠意がないといってナイフで刺し殺したことがあった。だから、50代の私ばかりでなく、20代、30代の男性も似たり寄ったりで、それだけ、男性は心の中に、不満やどうしようもない無力感を持っているのかもしれない。
 私がよく残念に思うのは、仕事上出てきた不満を、誰も受けてめてくれないことだ。上司然り、同僚然り、さらに女の子にふと不満を漏らしたいのに、女の子もそれを受けてめてくれる雰囲気を持たない。仕事ができない男のレッテルを貼られそうだ。仕事から帰っても、お疲れ様の一言もない。みんな疲れているのか。殺伐とした雰囲気。
 家に帰っても、誰も自分の心の不満を聞いてくれない。毎日毎日の不満が蓄積し、溜まっていくばかりだ。だから、会社では意見が衝突しやすいし、いや意見が言える雰囲気ではないし、だから腹が立ち、殺してやろうかという夢想がおきてくるのだ。だがこれが、夢想と言い切れるだろうか。
 どういう状況で、何がおきるかわからない。これは私の状況だが、他の男性の何割かはなんだかの危機的状況にあるのではないかと推測する。
 この原因は何にあるのだろうか。たぶん社会のシステムの問題だと思う。仕事の成果優先のシステム。仕事以外、他の価値観が入り込む余裕のない社会。ものが言えない、いいにくいシステム。貧困を再生産し、賃金格差が生じ、仕事の細分化し、細切れになった労働。資格優先社会の弊害。・・・
 だが、事態はますます悪いほうへ悪いほうへ動いている。私も危機的状況だ。いつなんどき、車を運転していて、急にナイフを振りかざすかわからない。いつなんどき、急に切れて、会社の机を蹴飛ばすかもしれない。だから、ここでガスを抜こうと思う。
 お互い力をあわせて、何とか危機的状況を抜け出しましょう。


4、「森昌子」再考(2011/8/28)

 このごろ、森昌子について考えることが多い。十代の声とそれ以降の声がなぜ大きく違うのか、あるいは十代の声がなぜ二十代に続かなかったのか、他の歌手は二十代・三十代にヒットを飛ばし、張りのある声で歌っているのに二十代半ばの声は、魅力の乏しい声になっている。表情も目の輝きも映像を見る限り、十代の方が輝いている。まだ、二十代半ばの声より五十代の方が張りがあるように感じるし、明るい。二十代半ばになると、映像を見る限り、表情に乏しい。人生で最高潮に達する時期だというのに、夢や希望を感じさせない。22〜23歳の映像は明るい。それ以降、急に明るさが乏しい。1984年の「越冬ツバメ」の映像や千恵子抄はいい。しかし、引退間際のDVDや歌を聞いていると、何か創造性に乏しく、歌の字面をなぞっているように感じる。あまりに淡々と歌いすぎている。なぜなのか。
 本当に残念でならない。十代の歌声を続けていけば、今は大歌手、森昌子がいたはずだ。洗濯日和もいいし、金木犀の手紙のいい。けれど、美空ひばりのような「川の流れのように」や島倉千代子の「人生いろいろ」などもっと人々の心を打つ歌が歌えたはずだ。そうあってほしいし、これからの歌手生活でも、十代のような輝きを放ってほしい。にわか森昌子ファーンの声ですが、今こうして蘇るということは、時代が求めているものがあると思うので、もう一度十代のような輝きを放ってほしいと思う。今のお気に入り曲は「川は流れる(1975)」、「面影の君」、「夕笛の丘」です。また、シングルコレクション51も車の中で聞き続けています。「愛唱歌」は1985年当時の歌より、今の方が心に響いてきて、新曲かと思い間違えるほどです。

3、森昌子について(2011年5月29日)
 
You Tubeで、森昌子の動画にはまってしまった。彼女のイメージは「先生」を歌っていたときのように、なんだかサルに似た髪形で、とても美人とはいいがたかった。しかし、今彼女の歌声を聞いているととても清らかで美しい。しかもとても日本的で「美人」である。これまでのイメージとyou tubeで見せるその美しさの差異の大きさ。実際本当か、目を疑いながら映し出される映像を凝視して、鼻の大きさやほくろの位置、髪の生え際、目の形、顔の輪郭などを比べました。youtubeの動画には親切にも録画された年代が記載されていて、色々な年代の森昌子が映し出されていました。そして今もまだ引きずっているのですが、年代(年齢)ごとに、その歌声が変化し、顔つきも変化し、一人の女の子が娘から大人の女性に代わる変化を、見事に映し出しているのです。ただ、顔の形だけなら、そんなに驚きもしないでしょうが、彼女の歌い手としての表情の豊かさ、やさしさ、声の美しさが女性らしさへの変化とあいまって美しいハーモニーをかもしている感じなのです。いわゆるアイドルであった女性の、テレビでは映し出すことができなかったyoutubeでだけみられる時々刻々の変化です。その中で1981年ごろの彼女の表情は、明るくさわやかである。それ以前の彼女は声に張りがあって、とてもすばらしい。1981年を過ぎてからはとてもやさしく、透き通るような声になった。倍賞千恵子の「北上夜曲」は一番上手い。森昌子の「北上夜曲」はこれは何だという感じで、とても不思議な感じを抱かせる歌い方である。

2、大阪の行政への批判

 今日の朝日新聞(2010年5月8日大阪本社発行本社)に平松大阪市長のインタビュー記事が載っていた。大阪駅北側のJR跡地にサッカーWorldカップのために、国立サッカー競技場を招来するため、関係機関に働きかけているとのことで、緑地にするとの意見に対しては、そんなこともったいなくてできませんとのこと。これを読んで、またまた巨大な構造物を作ろうとしているのか、と開いた口がふさがりませんでした。ワールドカップの後、巨大な競技場をどうすのでしょうか。此花区の夢島か舞洲にはオリンピックの夢のあとが広がって、広大な空き地が残っているというのに。巨大な長居陸上競技場にどれだけの人が足を運んでいるのでしょうか。はたまた公園にすることがもったいない、というその思考そのもの。公園にすることがもったいない?大阪の行政に預かる人々の思考がこのようなものなのかとそれとなく納得はします。というのも、街路樹の樹木は坊主に近い丸刈り状態、天王寺公園はフェンスだらけ、形の決まったなおざりな児童公園、工夫や地域住民の考えが入った公園というのがほとんど見当たりません。特に家屋の密集した地域には公園が少なすぎます。小さい子どもも、老人もゆっくり遊べる公園というのが少なすぎます。私がつい最近まで住んでいた千葉県の市川市は公園は少ないものの、庭付きの戸建て住宅が拡がり、丘陵地や沖積低地は見渡す限りの2階建て住宅が拡がっていて、落ち着いた生活環境を作っています。だから公園の少なさは大きな問題にはなっていません。でも大阪市は違います。庭付き住宅がない原状からして、安らげる空間というのは公園しかないのです。公園を作るということがもったいない、という発想では、住環境はよくなりません。公園を作ることは経済的に許すかがぎり、人間の本質的な欲求事項として重要視してほしいなと思います。
 大正区の昭和山公園は樹木が拡がって気持ちのいい公園ですが、歩いていて何か工夫や面白みがかけています。というのもできてからの変化が少なく、コンクリートだらけだからです。きちっと清掃はされているのですが、頂上へ上る道はコンクリート、鉄製の柵や手すりが張り巡らされ道から出ないように規制され、山腹の落ち葉まで清掃し、せっかっくの山なのに、山の雰囲気が取り消され人工的になって、しかも子どもたちの遊ぶ姿がほとんどみられません。いつも歩きながら考えるのは、心がこもっていないな、事務的な公園だなと言う思い。サッカー場もあります。ほとんど地域の人は利用していませんが。
 だから、JR跡地を人々が集える公園にしてほしいなと思う。大阪の人間の英知を結集した誰もが集える、くつろげる静かで楽しい公園。研究所や事務所もいいかもしれませんが、一部の人たちだけのものでなく、図書館など人々が気軽に集まれる公共空間もほしいなと思う。

1、転職と実存主義について

 今日の朝日新聞(2010年4月30日東京本社発行)の生活面(転職について)の記事に、夫(40)が妻(32)に何の相談もなく公務員(社保庁)を退職したため、離婚した話が載っていました。小さい子供が2人おり、年収手取り450万円ほどで、<彼の勝手さにあきれ、今後の長い人生を一緒に過ごすことはできないと考え、離婚しました>とのことです。
 
 これを読んで、色々思い浮かびました。転職という理由で、離婚は可能なのだろうかとか、子供が大きくなっていく過程において、父親がいないことについて、夫が転職したため、離婚しました、と子供に話せるのでしょうか。そんなことを話して、子供が納得いくのでしょうか。人間が他の仕事をやってみたい、あるいは仕事に行き詰るのは、人間が生身のものである限り、起きる事だと思うのです。

 雑誌TIme誌で、鳩山総理が世界の100人のリーダーに選ばれたのも、自民党の長期支配体制から政権交代をやってのけ、民主主義を一歩前進させた(その後の政策や運営は除いて)ことが評価されたというこです。現在、転職市場はキャリアを積んだ資格のある人しか難しくなっています。少し「できる」ではだめで、きっちりできる人でないと採用してくれない。また、転職を繰り返す人の社会の見る目も非常に厳しい。

 今から30年ほど前、1980年前後、私は実存主義という言葉が好きで、そういう考えに好感を抱いていました。実存主義というのはこのありのままの現実に、自分を投げ出して、その変化、反応をありのままに受け止めるとか、主体的に身を投じるとかそういう考えだったと思うのですが、私は状況というものは今現在のものであり、必ず変化していくものだと思うのです。どんな川でも蛇行を繰り返すように、一直線には流れない。なぜならそれは地形・地質・気候、あるいは液性である水分子H2Oの柔軟性、あるいは地球そのものの持つ重力や核の持つ熱源の移動による変化が全地球的に生じているからです。だから変化することが自然なものだと受け止める、人間の視野の広さ、心の余裕がほしいな、と思う。今の社会、あまりに成果を求めすぎてはいませんかと思う。鳩山政権の蛇行も大きい目で見ましょう。転職も大きい目で見てください。仕事がなくて、転職を繰り返す人も大らかにみてください。人間も社会も地球もとどまることはできないのです。誰もが現実の社会に、身を投じながら生きているのです。仕事をがんばっている人、それはすばらしいことです。仕事がなくてぶらぶらしている人、この人たちも現実の厳しい社会の中で生きているのです。地球上に生きている限り必ず変化します。岩石でいえば、風化し、雨や川に運ばれ、海や湖、陸に堆積し、再び固結し、あるいは再び押し流されてどこかに堆積する。あるいは高温・高圧化で変成岩になる。あるいはマグマになって火山になるかもしれません。これが地球あるいは宇宙の姿なのです。浮世の浮き草にも優しい心で接してください。みんな実存的に生きて、そして死んでいくのだと思うのです。
 地球(earth)の生成を考えると(生存競争や進化も含めて)、失業した人間の再生は難しいかもしれません。しかし、前向きに、現実を直視していけば、何とか道は開けてゆくものだと信じたいですね。それが30年前の実存主義的な考えかもしれないと思うのです。

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you tube でみる森昌子の歌の動画集

1975年〜1979年 先生(1972) 先生(1973) 先生(1979) 春の目覚め(1975) (歌よりも女学生の踊りに見とれてしまい、体が自然に動き出す) 川は流れる(1975) (すばらしい表現力。とっても好きです。ぜひ聞いてください)削除されました。とても残念。 北上夜曲 (なんと優しい声なんだろう)
忘れな草をあなたに

港の祭り(1977)
潮来花嫁さん(1977)

潮来花嫁さん(1977)(静止画
音質がとてもよくて、丁寧に歌っている、昌子の真骨頂の歌い方
この胸の幸せを(1977) 東北大震災の人に希望を与えるような歌。昌子ちゃんが持っている幸せを人々はきっと欲しがると思うよ。昌子ちゃんも歌で希望や夢を与えてね。 あなたを待って三年三月(1975)(原点がここにありという歌い方、1975年頃の声が一番好きだ)
あなたを待って3年3月 (うならずに優しくなっているが、別の味がある。顔の表情が優しく、憂いに満ちて、人をひきつける魅力がある。絶頂期の歌い方の感じがする)
無縁坂(1978)

季節に抱かれて
(この歌も涙を誘うね)
面影の君(1975)(静止画だが、最高に魅了する声。傑作)削除されました
面影の君(声はいいが、野次や演奏がもう少し)
面影の君(1977) (心に伝わる)
面影の君(1975/7)画像音質ともgood
面影の君(1975/8)
冬バラ(1979) 彼女の歌のなかでは珍しく前向きで、すこし明るい曲。
あじさい坂 静止画でよくありません。しかし声はきれいです。
旅の夜風(1978、五木、森)

みずいろの雨(1978,五木、森)
いつまでも愛していたい(1978) (20歳前の歌声。透き通るような、主張のある、凛とした女性を感じさせる声、だから彼女に魅せられるのだろう) 想いでをください1977/3 18才のときの力強い歌い方。僕にこのような何かを求める力強さが備わっているのか、自問せよ。
小雨の下宿屋(1977) (甘い声が時折混じるのがいい)
小雨の下宿屋
涙の連絡線(映画編) 涙の連絡線(1977) 都はるみの持ち歌ではなくて、全く自分の歌にしてしまっている。高3の卒業時なのに表情に情熱を感じる。 涙の連絡線(1976) すきま風(1978)
他人船(1975) 「静止画、16歳の演歌より」レコーディングしたときの彼女の声って身がよぎるほどの特徴のある声だ)
他人船 (髪型がかわいい)
他人船(1975) なんと言う髪形、これぞ森昌子。森昌子についてはサルと言う印象が残っていたが、やはりそうなのだ。でもうれしい。うれしくてうれしくて。バンザーイ。 九十九里恋歌 晴れたり曇ったり

旅路(1977/11)
二つの手の思い出(1976) (森山良子のカバー曲。きれいな曲です)
古都の別れ歌(1975) 記念樹(1979) 人生劇場 夕笛の丘(1976) 夕笛の丘 
夕笛の丘 (この顔も良いし、声もすばらしい。) 夕笛の丘(1976)
おばさん(1976)
北風の朝(1975/12)
今日も笑顔でこんにちは (愛嬌が一杯、こちらも笑顔になるね)  りんご追分

りんごの花が咲いていたよ(1974)(なんともいえない、甘ったるい声、北上夜曲と同じ声なんだろう)
月がとっても青いから (ニコニコ顔がとても印象的)
お月さん今晩は
あの丘越えて・他(1975)
あの丘越えて・他(1977) 短い曲ながら、この声のすばらしさ。涙が出てくる。
初恋時代(1975) テンポが速いが、声はきれい
どんぐりっこ(1976) (静止画) 哀愁出船 高原の駅よさようなら 銀のライター(1979) 少年時代
津和野ひとり(1977) はつらつとした歌いぶり、good みずいろの手紙 涙の桟橋(1979),涙の桟橋(1977) 夕顔の雨(1973) 下町の青い空(1974)
ため息橋 かわいいよ 馬子唄(1979) 削除 男はつらいよ(川谷卓三) 削除 あの人の船行っちゃった(1979) 削除 ためいき橋(1979)
好きになった人 つきよりの使者 (静止画がおどけていて面白い)  おかあさん(1974) おかあさん(1978) 別れのブルース 恋ひとつ雪景色(1976)
やはりこの声だ
1980年〜1983年
昌子ちゃんが昌子さんになった時期の画像です。これほどまでに変身するものなのか。
信濃路梓川(1981) 信濃路梓川(1980) (笑顔が素敵、声もきれい、いい女性になったなーという印象。両方の動画とも引きつけられる) 越冬つばめ(1983)

恋ひとつ雪景色
夕笛の丘(1981)10代の時と同じ声、表情も素敵。最後の笑顔はにらっめっこ?いつまでもにらめっこしていたい。 面影の君(1981)
顔はきれいが、声に張りがないね。でも、とても女らしい。素敵な映像だ。十代の時と歌い方が異なって別の歌のようになっているが、気持ちはよく入っている。
南国土佐を後にして(1983)
これはすごい映像。めちゃかわいいし、色っぽいし、上手だし。とても軽く歌っているのがまたいい。昌子ちゃんの笑顔のいい傑作画像。
哀しみ本線日本海(1981)

サーカスの歌(1980)
哀しみ本線日本海

涙の渡り鳥(1983)
おかあさん(1979) お母さんを歌っているときが昌子さんにとって一番幸せそうに映ります おかあさん(1981) かわいい! すきま風(1983) 大人の雰囲気。笑い顔は昌子ちゃんだね。人はこれほど移り変わるものなのか。15,6の昌子ちゃんと同じ人?誰が想像できようか?でも、かわいい。
秋桜(1983) これもきれいで、歌が上手です。1983年までは昌子チャンは良いね。 哀しみ本線日本海(1981) 下町の青い空(1981) 故郷ごころ
ふるさと日和 顔がとてもかわいい、声もきれい
故郷ごころ(1981)

春日和
今日から一人で暮らします 私の心はストップモーション(1979) 立待岬(1982) (説明的な動画) 港の祭り(1981) 先生
1984年〜1986年
越冬つばめ(1984) (永遠にこの顔、この声、この表現力を持ち続けて欲しかった。この声はCDよりgood) 海に来て(1984?) 透き通るような声が、感動させる。

海に来て 上の歌い方に比べ、やや雑な感じがする
智恵子抄(1984) (彼女の清楚な服装、表情、優しい声、それと歌詞・曲があいまって心を動かす。秀作画像) 寒椿(1984)
これはいい動画ですね。全ての曲にこうした動画があれば。ただ表情に乏しい感じ。最後ににこっと笑ってくれれば。
なぜ、彼女は1984年以降、暗いの?顔の表情も歌も、歌い方も。恋愛、結婚、引退と人生の一番すばらしい時に、もっと明るく、心に残る歌を歌って欲しかったと思う。
おんなの海峡(1985) 削除 大阪しぐれ(1984) 削除 涙雪(1984) 削除 ほお紅(1984)
他人船 (大人の魅力、しかもなんと美人なんだろう。映像美と透き通った声の傑作画像) 恋は女の命の華よ(1985) 
この歌はお気に入り。この歌を聴いていると、昌子さんの暗い表情も、歌に合わせたものなのかと思ってしまう。この涙は歌で気持ちが高ぶったのだろう。とてもきれいな涙だ。
つむぎ紡いで 
「月明かりの中で見せる、生まれたままの女の胸、温かですか、香りますか・・・」どうコメントしたらいいのだろう。
人生劇場(1985) 白い花の咲くころ
22才の別れ(1986) 悲しみの終着駅(1986) 削除 いい日旅立ち 君いとしき人よ 北風は暖かい
唱歌メドレー4曲 きれいな声です いつまでも「愛彩川]
(1986)
 削除
愛と死を見つめて 涙の桟橋(1986) 削除 聖母たちのララバイ
漁火恋歌(1985) これは良いですね。後期を代表するいい画像です。 折鶴(1985) いい表情。もっとこういう表情の動画があれば。演歌でなく、こうした歌も歌って欲しかった。 未練の波止場 この声、この裏声、若い時に勝るとも劣らず魅了する歌と声があっているのだろう) 折鶴(?) 笑顔がとてもいい。歌詞も素敵。
2000年代 バラ色の未来(2006) 削除 哀愁出船(2009) 愛唱歌(2010) 父娘草
先生他(2001) 森進一と並んでステージに、離婚前のステージ、こんなのがあるんですね 金木犀の手紙 子どもたちの桜 悲しい酒
他の歌手 わが愛を星に祈ろう(梶光男、高田三和) なぜ削除されるの? 愛のままで(秋元順子) 
いい曲で、いい歌詞で、歌い方もシャンソン風?でgood。演奏も抜群。全てが最高傑作の画像。
愛燦燦(美空、小椋桂) すみれ色の涙(岩崎宏美) (本当に一粒のすみれ色の涙を流します。感動)
おんなの海峡(都はるみ) 聖母たちのララバイ(岩崎宏美、1982) 昌子も脱帽の歌唱力です。これも傑作。 街(ザナターシャセブン) 雲に乗りたい(黛ジュン) 夕月(黛ジュン)



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