59、このごろの私の心の状態(2012/2/25)

 このごろの気持ちはとても揺れ動き、複雑です。あるいはとても落ち込んでいるのが正直な気持ちかもしれません。2〜3日前に、彼女への思いを自重することをやめ、自然な思いに変えました。自分の心を素直に受けとめることにしました。これで少しは気が楽になりました。完全に片思いをフリーにするわけでありません。やはり自重することは片思いには大事だと思います。やはり相手がある話ですから、相手が嫌がっているのに、こちらの思いばかりでは相手も迷惑な話です。
 でも自重することで分かったことがあります。相手が僕のことをどう思っているかということは結局分かりませんでした。今はとても冷え切った関係です。それは相手の女性がそうなのばかりでなく、僕自身の心も相手への気持ちが冷え切り、お互いが心の中で求め合わないと言うことです。それは不思議な人間の奥底の思考の営みかもしれません。こちらが相手への思いを打ち消し、ぞんざいな言葉で対応し、彼女のことを考えないようにした結果、明瞭に彼女の変化が現れました。どういう変化だと言うと、彼女のほうも同じようなぞんざいな受け応えになり、ほとんど電話にも出なくなり、電話での受け応えも心に響かないものになってきました。そしてお互いの心がつながらなくなり、徐々に僕も相手のことを考えないし、彼女からも何か心のテレパシーのようなものがなくなってきました。そしてお互いが無関係のような人になってきました。これは、自重という範囲内のことであるかもしれないのですが、彼女の反応はもっと別なものを期待していたと思います。例えば、バレンタインデイに僕への告白だとか、もっと違ったふたりだけの感情のぶつけ合いだとか。結局そんな甘ったるいことはなかったわけです。
 よくよく考えてみると、彼女の気持ちは僕がリードしていたのかもしれません。僕が彼女を好きになり、勝手に好意を抱き、そういう言葉遣いや態度が相手に伝わり、それが彼女への僕への好意に変わり、僕が勝手にそれを彼女も僕に好意を持っているものと解釈したのかもしれません。事実、僕が好意を打ち消したら、彼女からの好意はなくなりました。今はとても冷え切った関係です。
 これからは、彼女への関係を再構築したいと思います。自重するのではなく、お互いの立場を尊重しながら、心の自然な気持ちを大事にしたいと思います。なぜ、彼女へ好意を抱くのか、なぜ、彼女を好きになるのか、その気持ちを大事にしながら、お互いの心を育み、両方の気持ちを大事にしながら、後わずかな残された時間を彼女への思いを成就できればと思います。残された時間はとても短い。一ヶ月前よりも進んだ関係に修復できるのか、あるいはこのまま冷え切った、あるいは心の関係を持つことなく、僕の片思いのままで終わるのか、僕自身の気持ちにかかっているような気もします。

 追記:1/26の文を読んでみると、もし彼女が僕への恋心がなければ、関係は冷え切るだろうと断言している。彼女からの自然な発露が無いということだ。つまり、彼女は僕に恋心を抱いていなかった。僕の完全な片思いであったと言う結論だ。それが自重したことの結論かも知れない。僕はそのことを肝に銘じなければならない。彼女は僕への片思いはなかった。そのことは厳粛に受け止めなければならない。技術論的にいえば、試験結果、彼女は僕への恋心は認められなかった。僕の心が熱かったので、それに彼女が反応しただけだった。僕の心が冷めると、彼女の心は急速に冷めていった。彼女自身に熱源はなかった、と言える。
 でも、彼女には熱源がなかったが、彼女の精神には僕の思いを伝える感度のいい、材料があるということだ。だから、僕が再び熱を発すれば、彼女はその熱に温められ、精神が熱くなるかも知れない。そうだ、僕が僕自身であればいいのだ。僕の気持ちを大事にすれば、彼女も僕の気持ちを大事にしてくれると言うことだ。

58、この寂しさは極限状態だ(2012/2/20)

今日も現場作業はきつかった。会社に戻っても、営業の人たちと心からの挨拶もなく、寂しい。受付の女性は、いやいやながらの受け応え。竹中さんは電話に出ることも無い。僕も、彼女のことは考えないことにしている。ほとんど一人ぼっちで、しゃべることもなく心を通わすこともなく、一人で仕事をしている。なんと寂しいことか。どうすればいい。気比神社でのおみくじ以来、僕は彼女について自重し、彼女のことは考えないようにし、考えてもすぐに打ち消した。それゆえ、彼女も僕もお互い、冷淡になり、お互いそ知らぬ関係が固定化されようとしている。寂しい。何とか、打破できないものなのか。結局二人の関係は、関係が無い関係なのか。僕が会社を離れると同時に、霧消霧散してしまうのか。だから、自重しなさいとあったのか。それなら、金崎神社の大吉はどうなのだ。竜が天にも昇る勢い。これは何を意味しているのか。あきらめるな。あきらめるな。あきらめたらそれで終わりだ。どういう心構えで、あと25日を過ごすのか。まず、仕事を最後まであきらめずにやり遂げよう。その中で、次の就職口を探そう。大阪にこだわれば、地質の仕事は無いだろう。やはり、大阪を離れなければならないかもしれない。

57、変なことがあった(2012/2/18)

月曜日の仕事の注文書が、僕に手渡されていなくて、会社にそのままあった。これでは仕事にならない。金曜日の晩に、彼女は土曜日の分を僕の机の上においてくれた。なぜ、月曜日の分を一緒に置かなかったのか。忘れていた、これはありえないだろう。土曜日にFaXで新しい注文書が来るので、それを待っていた。それなら、一言僕にその旨をいっておくべきだ。わざと僕を困らせようとした。それもありえない。本当の理由は、やはりFAXを待っていたのだろう。今日は僕は2件あるので、時間が遅くなるので、夕方にでも電話連絡しようと考えたのかもしれない。しかし、それなら、彼女は休みの日にわざわざ会社に出て来なければならない。そんな面倒なことをするのだろうか。分からない。これからも、変なことがとが起きてくるかもしれない。

56、告白するぞ(2012/2/14)

今日はバレンタインデイ。結局、チョコレートを貰うこともなく、逆に、経営者から首を言い渡された。気分はよくないが、軽蔑している経営者だから、精神的な落ち込みは少ない。経営者の話も、全くばかげた言い分で、ほとんど相手にする気が起きないので、はいはい分かりました、と言って承諾した。ただ、仕事はきつい現場作業なので、心が折れた状態ではできない。しっかりした気持ちでことに当たらねばならない。それが人間としての責務だ。気持ちが折れて、仕事ができないようなら、もう辞めるべきだ。完遂してこその仕事だ。だから、今月一杯で、仕事を止めようと思う。1ヶ月間もゆっくりしていたらだめだ。2週間のうちに、区切りをつけて、次の職場へと歩を進めるべきだ。そして、就職を決めて2月28日には竹中さんに告白しよう。そして、振られたらそれで、男としてきっぱり別れよう。そしてOKがでたら、交際を深めよう。ま、何にしても次の就職口を一生懸命探し、決定しよう。それが、第一歩だ。そのために、橋本徹が言っているように、努力しよう。本当に努力しよう。このくそったれどもに負けないように。

(告白の仕方:2月28日に僕の気持ちをつづったラブレターを最後の別れ際に渡す。果たしてあの部屋に行くことがあるか、運よく行ったとして、誰もいなく渡せるか。あるいは誰もいなくても、渡せるような雰囲気があるか、確立は1〜2%ぐらいだろう。辞めるまでの2週間の僕の行動如何かもしれない
ラブレターの内容:僕はあなたの声を聞くととても幸福感を感じます。仕事を離れ、もう声が聞けなくなるのがとてもつらいです。さようなら)


54、自重は真実なのだろうか(2012/2/8)

冷たく当たると、相手も同様につめたくあったてくる。だから、だんだん相手とは疎遠になってくる。神様は疎遠になることをお見通しで、自重せよと言っているのか。そうなのだろう。相手のことを考えずに、一から出直し、対等の関係を築く。僕はそうとらえているのだが。

51、頭の中心は?(2012/2/3
)
 私は今何を考えているのか。一番は、自重しなさいと言うこと。つまり、彼女のことを考えないようにしていることだ。やはり、仕事をしていると彼女のことが頭をよぎる。しかし、すぐに打ち消して、考えるな、考えるなと言っている。そして深く考えないようにしている。その結果、彼女の方にも、少しづつ変化が起きているようだ。まず、双方の電話のやり取りが減った。僕が電話しても、彼女は電話口に出ることが少なくなった。電話のやり取りが、お互いぞんざいな口調になった。どうでもいいような受け応えが双方目立つようになった。でも、今日は僕を思いやるような電話があって、驚いた。たぶん会長か誰かに、現場のようすなどをたずねてみなさいと言われて電話をかけてきたのだろう。自分の意思から、相手を思いやる言葉が発せられる人とは考えられない。だから、こういう指摘は、僕が冷静に彼女を見ている証拠なのだろう。
 今日、現場の帰りに、上賀茂神社にお参りした。そのときに真っ先に御願いしたのは、いい人が見つかりますように、だった。彼女とうまいこといきます様に、ではなかった。これも、彼女との関係が、冷え切っている、あるいは別の言葉では自重している、証拠なのだろう。
 第二番目は、やはり仕事のことだ。もっと平等な会社で、切磋琢磨しながら、地質の仕事をやりたい。転職をしたい。第三番目は、今の仕事のこと。滞りなく仕事をこなしていくことが、僕の頭の中を締めている。


50、好きだからこそきっぱりと別れる(2012/1/26)

会社に負けないために、彼女への片思いを自重しよう。もう彼女のことを思わないし、考えないようにしている。そして別れる気持ちになった。好きだからこそ別れる。片思いのままなら、彼女は会社への気兼ねから、僕のことを疎んじるしかない。会社が僕を疎んじているのだから。だから僕が彼女のことをいくら好きでも、彼女は僕のことを大事にできないし、親密にすれば、会社からにらまれることになる。だから、僕の彼女への思いは会社への居心地を悪くするだけだ。だから、僕は彼女への片思いを自重しようと思う。自重することで、僕も冷静に彼女を見ることができるだろう。そして、一度片思いを清算することで、仕事や、転職、趣味のことに時間や頭を向けることができる。つまり、全体の中のほんの一部として彼女の存在を軽くすることで、僕の片思いであったのか彼女も僕のことを心で思っていてくれたのか、見えてくるような感じもする。それだからこそ、彼女の思いを、自分の意思として捨て去る。
 一方、彼女にとっても、僕との関係が徒切れることで、彼女は自由になる。彼女の自由意志で、僕との関係を一から作り直せるのだ。僕からのアプローチが無い分、彼女の気持ちがはっきりする。もし僕との関係を望むのなら、彼女のほうからそれなりのアプローチがあるだろう。もし何の気持ちも無いのなら、会社からのくびきが強いのだから、アプローチなんか考えられないし、関係は冷え切るだろう。恋心は無いということだ。ぼくも、それで、きっぱり彼女の気持ちを冷静に判断できると言うことだ。

49、自重しよう(2012/1/23)

今日、仕事をしながら考えたことは、自分が余りに相手のことを思いすげて、相手が負担になっていることだった。だから、相手は慎重になって、昨日のような態度をとったのではないだろうか。僕が負担なのだ。そして、ああいう態度をとられているのに、僕が今までどおりの態度であれば、それは相手の意に反していることになるし、人間として、腹を立てるのが筋だ。侮辱されているのに、それを感じないのは、それはよくない。侮辱は侮辱としてはっきり認識すべきだ。そしてそれに対して反応すべきだ。相手がそういう態度をとるなら、こちらもそういう態度をとるのが筋だ。そうしないと、人間としての対等な関係は結べない。相手に従属してしまう。こちらも毅然とした態度をとるべきだ。だから、僕の恋心は一旦、中止して自重すべきだ。1ヶ月程度は相手のことを考えず、こちらからは何の秋波も与えず、冷静に・毅然として接すべきだろう、またそうすべきだ。

48、恋の宮に参拝したけれど(2012/1/22)

今日、福井県の敦賀市にJRで出かけた。雪景色が見たかったのだが、街には雪はなくて、山頂に雪が残っているだけだった。でも、それなりにきれいくはあった。それと、恋をまつる神社をお参りすることも目的だった。まず気比神社をお参りした。大きな神社で境内も広く厳かな感じがしてよかった。ふつうのおみくじと恋みくじをひいたが、両方とも吉で、恋みくじのほうは、ひと時の恋に身を焼く恐れあり、自重しなさい、と言う内容だった。やはりなっと思った。相手は僕ほど何も思っていなかったのだ。あの態度は、普通なら許されるものではない。こちらが話しかけているのに無視して、自分の仕事に夢中になっている。チョッとおかしいのじゃないか、と言いたい。もう一つの、金崎神社は山のふもとに建つ神社で、山の中腹には織田信長が朝倉攻めに使用してた城跡があり、秀吉や家康もこの城で戦ったことがあるらしい。また信長に殺された武士も勇敢に戦い、武勇伝が伝えられたいう。その人たちを祭る神社もある。そこで僕は恋みくじを引いた。この神社は別名恋の宮ともいわれているようである。それで、僕はこの神社をお参りして、彼女とのことを御願いしたかったのだ。彼女との恋が成就して、心を通わせることができて、再びこのお宮を二人でお礼参りに来れたらいいなと願いながら参道を歩いた。そうすると、わざわざこんな遠くまで、お願いに来る自分が、歌の主人公のようでなんだかいじらしくなってきた。あの人のことを思って、旅に出るなんて、ドラマみたいと思いながら。そして恋みくじにに願をかけながら引いたら、なんと大吉だった。龍が天に昇るように出世しますとある。ああ、もしかして。この恋は実るかも、と思った。気比神社のみくじで気が重かったから、このみくじでとても気が楽になり、うれしくなった。まだ、気の持ちようでいけるかもしれない、自重しながら、一塁の望みを持ちながら、気長に相手を尊重していけば、天に昇るような幸せが待っているるかもしれないと思った。人に親切なろう、母を敬おう、息子に愛情を注ごう、そして仕事も、自立できるように、あるいはいいところがあれば転職して、自分が自分であれるように、がんばろうと思った。そして彼女と気持ちを通じ合いたい。いつでも声が聞けて、いつも彼女のことばばかりを考え、いつでも会って話ができる関係でありたい。そして、心から何でも話せるようにjなりたい。神様、どぞ御願いします。どうぞ、僕の恋が実りますように!

47、声を聞けたが、その後が・・・(2012/1/20)

今日仕事中、あの人の声が聞きたくなった。あの人からは昼過ぎ、電話があり、声を聞けた。いつものように、事務的な話だったが、私にはそれがとても魅力的で、体が燃えてきた。しかし、仕事中だったので、すぐにほかの事を考えるようにした。そして、夕方、事務所に戻り、話しが少しでもできるかと思いきや、全くお邪魔虫のような取り扱いで、こちらがしゃべリかけても一言も返事をせず、無視。帰りの車の中でそのことが悔しくて悲しくて、腹が立つやら。
 恋している人から、そんな仕打ちを受けるとは。一体僕の恋心は何なんだ。ちょっと前まで、あんなに浮かれていたのに。これがあの人の本心なのか。女性特有のどうでもいい接し方なのか。好きな人にこんな態度が取れるのだろうか。男では無理だ。でも女ならしかねない。と言うのは彼女のすぐ近くには若い社長がいて、回転が速くて、すぐに何かを感じ取る人だから、本能的に無視する態度にでたかも知れないと思うのだ。それでも、他の態度ができそうだと思うのだが。やはり、私への関心が全く無いというのか、馬鹿にしているのかなとも思う。

46、声が聞きたいな(2012/1/17)

今日は阪神大震災で、多くの人が亡くなり、怪我をされ、家や親しい人々と別れざるをえなかったとてもつらい日。僕はこの日々を何の手助けも寄付もせず、人ごとのように暮らしてきた。何かできることはなかったのか、少しも考えなかった。これからは少しは考えよう。自分のために、また、あとを継ぐ子孫のために。
 ところで、彼女の声が聞きたいな、と思った。彼女はどうなのだろう。僕の声が聞きたいと思うのだろうか。僕の心と体が反応するように、彼女は反応するのだろうか。僕が恋に苦しむように、彼女は恋に苦しんでいるのだろうか。明日は彼女の声が聞けたらいいな。感謝しよう。ありがとうと言おうか。なんだか恥ずかしいね。

45、絶え間なく揺れ動く心(2012/1/16) 

 森昌子の声はとても優しい。それでは彼女の話す声はどうか。優しさを感じ取れない。じゃ、僕が彼女に話す声はどうだろう。たぶん彼女は優しさは感じていないだろう。でも僕は少しでも長く話そうとしている。彼女からはそれが感じ取れない。僕の頭は、いつも彼女のことばかり。でも半分は、もうあきらめている。このまま別れることになるだろうなと思う。今の仕事の状態では、僕の心がめちゃめちゃなのだから。到底、彼女を幸せになんかできない。
 もし彼女と付き合うことができればと想像してみよう。何をしたいか?先ず、声を聞きたい。いつでも、電話したらすぐに優しい声で返事をしてくれる。日曜日には、一緒に海や公園、お寺、美術館など回りたい。そして、一緒にお茶を飲みたい。きれいな夜景を見たら、キスをしたい。とても甘いキスを!そしてそれぞれの自宅に戻る。結婚したい。、いつも一緒にいたい。そばにいて、手をつないでいて欲しい。子どもが欲しい。53歳のおばちゃんでは無理だし、僕もそんな経済力は無い。でも、二人で育てる何かが欲しい。そしていつまでも愛し合って、幸せに暮らしたい。そして僕の死を看取って欲しい。いつまでもかわいくあって欲しい。これが私の夢です。

44、心にあいた一針の穴(2012/1/12)

もうおとといの話になるが、今年初めて顔を合わせて話す機会があった。仕事の話であったが、顔を少しだけ眺めながら、(と言うのは僕は恥ずかしくてその女性の顔を真正面からよう見ないのだが)生真面目に用件を話した。それはそれで終わりなのだが、昨日から何かしら心にすきま風がふくのだ。彼女の表情に、僕が心楽しくなる表情ではなくて、僕の気持ちとかけ離れた表情を読み取った感じがしたのだ。僕が女性一般に追い求めているものは何かはよくわからないが、ふとこれは違うのでは感じた。自分自身、女性に追い求めているものはよくわからない。その女性が男性に追い求めているものは、もしかして僕には無いかも知れない。それぞれが追い求めるもののすれ違い?それは大変なことだ。僕は彼女を好きなのか、愛しているのか、彼女を選んで間違いないのか。考え方が違いましたではすまない。もっともっと彼女と話して、愛情を育まなければならない。

43、真実があるとすれば(2012/1/9)
 
私の恋心は、正しい道を歩んでいるのだろうか。宇宙に、自然に、真実があるとすれば、私の歩んでいる道は、真実に沿っているのだろうか。真実、真実、真実、生存競争がある社会で、巨大地震が発生する地球で、その表層で生物は生き、殺し合い、新しい生命が誕生する。私が生きていることも、人を愛することも、自然界の大きな真実に沿っているのか、いないのか。もし私の愛情が真実であれば、自然な流れに沿っていれば、その愛情は成就するのではないか。もし真実に外れていれば、それは成就しないだろう。私は今の生を、宇宙の自然の流れに沿っていることを信じたいと思う。そして愛が成就されることを強く願う。

41、気持ちは少し上向いた(2012/1/5)

明日から仕事が始まる。労働相談窓口での話で、私が取ってきた行動が間違いではなかったことで、私は少しうれしくなり、気持ちが軽くなった。その関係か、彼女のことが頭から離れなくなった。常に頭の片隅で、彼女の気持ちをおもんばかっている。それは同じことの繰り返しであり、発展は無いのだけれど、なぜか自然に彼女のことが頭を占めてしまうのだ。これが恋しているというのだろう。恋とは現実を見ずに、頭のなかで、色々こねくり回すことなのだろう。

39、新しい年の新しい男女関係(2012/1/4)

甘い関係を求めても、私の立場が厳しいだけにそれは無理だろう。私が先鋭的になり、対立を深めれば深めるほど孤立感が増し、男女関係は難しくなるだろう。そういう関係より、いかに自分を保ち、仕事を行うか、がより重要になる。だから,会社の雰囲気も私を無視し、馬鹿にし、余計者にし、差別し、排斥しようとするだろう。雇用契約の継続も難しくなるだろう。会社の雰囲気は一変し、とても私は苦しい立場に追いやられ、息さえもできなくなるかもしれない。
だから男女関係の発展は望むべくも無い。本当に悲しいことだ。でも、現実を受けとめ、何かしらの展望が開けるように日々、考え、行動していくしかないだろう。このBlogを使って、考えをめぐらせよう。

37、年の瀬の男女の関係(2011/12/29)

挨拶も無く、言葉を交わすでもなく、年の瀬を迎えた。相手が悪いのではない。僕が一人で一人相撲をしているのだ。たぶん僕が何も思わなければ、女性も何も思わないのだろう。僕が頭から離れないから、相手を気にするから、相手も僕のことを気にするのだろう。でも、僕と言う人間は、常に誰かを恋していたいのだ。今日も、仕事で行った住吉神社で家族の健康と無事故を祈りながら、やはり彼女との関係が発展し、結ばれますようにと祈っていた。だが、これまでもその時々の職場の好きになった女性に対し、神社の前では同じようなことをお祈りをした。だが、ことごとくそれは成就しない。だから、今回もその可能性が高い。やはり、仕事がうまくいかないことには、職場での関係の発展は望めないと言うことだろう。
 職場は差別的であり、僕と言う人間の能力を発揮できない職場だ。だから、とても不満が溜まりやすい。これでは、彼女にいい印象はもたれまい。それは僕も感じていることだ。でもいやな職場はいやなものだ。いい職場があれば変わりたい。でもこのことで彼女との関係は終わりになるかもしれない。それは寂しいことである。

30、キスしたいな(2011/12/16)

その人とは電話で仕事の話を1分間程度話をするだけなのに、電話を切ったあと、何かしら心に余韻が残り、森昌子じゃないが、声がきれいなと感心したり、張りがあってとか、考えていたら、その人とキスしたいなと胸が高鳴った。それは電話での声だけのつき合いなものだから、電話口での声からそれを想像したのかもしれない。でもこういう想像は、初めてのことである。


27、体と心の働き(2011/12/11)
  
心と体は毎日微妙に変化し、互いに関係しあっているようだ。女性の声を聞いた夜は、女性のことが頭から離れず、なかなか寝付かれなかった。しかし、昨日は、相手が休みで、僕だけ現場へ出向いての仕事だったので、ほとんど思い出すこともなく仕事に没頭したからか、夜も森昌子の歌を聞きながら、すっと眠りに入れた。心が高ぶると、やはり体にも反応きたすのだろう。逆に相手から離れると、心が反応しない分、体も反応しなくなる。心と体は密接に関係しあっているのだろう。愛し合った恋人が心と体が一体となると言う理屈もうなずける。私も、頭のだけの世界でなしに、現実にそうありたいね。

26、恋心は揺れ動く(2011/12/10)

 人が人を恋しがるのは普通のことだと考えられる。2日前までは恋心が終わりかけていたが、今またその気持ちに火がつき始めた。例えば、私が彼女を思う心は彼女にはどう跳ね返っているのかといつも思う。僕は顔とか言葉には出さないが、好意は持っている。それについて、相手方の感情は不明だ。相手方も顔とか言葉には出さない。色々な思いがたぶんあるんだろう。でも、私がこうして再び恋心を抱けるのは、相手にそれを許容する心があるからではないかと思うのだ。相手に恋心を抱かせる心がなければ、僕は恋心を抱かないと思うのだ。もしこの論理が正しければ、なんとうれしいことか。僕が恋している女性が、僕の恋心を受け入れている?もしかして、相手も僕に恋心を抱いている?と想像してしまう。力が物体に作用すれば、力は物体から反作用を受けると、物理の教科書では書いてあったが、僕が相手に恋心と言う力を加えたことで、相手はそれに反作用を及ぼしてきた。物体の場合、それは同じ大きさで、逆向きだけれど、人間の場合はそれが無視されたり、穏やかな力に縮減されたりするのだろう。でもこうして、僕の気持ちがいまだ持続しているのは、相手方に同じような力で同じような向きに重ねる合力が僕に働いているからではないのだろうか。そう信じたい。もしそうなら、とても幸せなことだろう。でも、淡い恋心と言うのは、とても切ないね。57才の男が言う言葉じゃないが・・・森昌子の十代の曲を聞いているからなのだろうか。


25、恋が終わりかけている。ゆっくりとゆっくりと、とても静かに。始まりも無かったし、終わりもないのだろうか。そういうものなのだろう。また新しい恋が始まるのかもしれない。そう願いたい。(2012/12/8)

19、今日の悲しさが・・・(2011/12/2)

 今日は心で思っている人に、心の中でお別れを言った。『この人は私には向かない、他の人を探そう。人の心をわからない人を想うことは結局無理だ。だめだ』と、自分に念押しをした。つまり、心の琴線が触れ合わないのだろう。心が響けば、相手の心も響くはずだ、と思う。だがその響きが感じられないのはなぜなのだ。会社という関係に規定された関係だから本音が出ない?いや、私はそういう関係の中でもこうして思い続けている。私の思いは心の中だけかもしれない。面と向かっては事務的な言い方だ。相手も同じなのだろうか。それにしても、会話が弾まないのはなぜなのだ。やはり相性がよくないのか。関心のありどころが違っているのか。男女の微妙な感性の違い?やはりコミュニケーションの薄さ?ではどうしてコミュニケーションを図ればいいのだろう。


15、心のむなしさはいつものことさ(2011/11/22)

 男の性(さが)ってむなしいね。通りすがりの女性の顔をついつい見てしまう。そしてきれいな人なら心がときめく。そして夢想する。この人はいいな。こういう人と付き合いたいな。この人は自分のことをどう見たのかな。
 そして社内でも、同じ原理が働く。この人は良いな。かわいいな。個人的に話がしたいな。映画を一緒に見たいな。食事に誘いたいな。しかし、現実はそんな勇気もないし、お金も地位もない。
 そしてあの人は僕のことをどう思っているのだろうか、と夢想する。ああいう行為は僕に関心があるからなのではとか、僕の歓心を誘っているのではとか。そして、徐々に夢想が大きくなって、四六時中、その人のことが頭を離れなくなってしまう。だが、面と向かって、社内で一言二言話をしてみると、夢想が大きく崩れ去ってしまうのだ。自分の思い描いていた人とは違う、あっけらかんとした人だ、他の男とたわいもなく大声で笑い転げている。僕は寂しくそこを立ち去るのだ。
 そして、心にぽっかりと大きな穴が開くのをしみじみ感じるのだ。ああ、寂しいな、なんという人生なんだ、と。でも、家に帰り着き、食事をし、風呂に入り、森昌子の歌を聞き、画像を見、そのきれいな歌声を聴いていると、そういう寂しい気持ちも立ち消えて、また、明日(23日)は何をしようか、あれしようかとか考えている自分がいるのだ。

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