ニューデリー(デリー)
さすがインドの首都。新しいショッピングモールなどがたくさんできています。ケンタッキーフライドチキンやマクドナルドだってあります。
インド版ハトバス
市内観光をする場合、一番簡単な方法はITDC(India Tourism DevelopmentCorporationインド観光振興会)の観光バスに乗る方法で、一日で殆んどの名所・旧跡の観光ができる。
コンノートのITDCオフィスを朝9時頃出発して、夕方4時頃帰って来る。料金はシーズンやコースによって異なるが約10Rs程。
ポピュラーなコースを紹介すると、
@ジャンタール・マンタール天文台
1724年に建てられた6つの幾何学模様の大きな日時計がある。もし単独で観光すれば、コンノートの近くにあって入園料50Pするが、人も多くなく、うるさい物売りなども入って釆ないので、のんびりと広い芝生の上に寝そべったり、変てこな形の日時計に輝掛けて本を読むのにはとてもいい。
Aインド門
1921年に造られた凱旋門風の門。
Bクトゥプ・ミナール
1200年頃に造られた五層の石造りの塔。第一層まで登ることができる。
Cネール記念博物館
Dラクシュミ・ナラヤン寺院
1938年に財閥ビルラが寄進した回教寺院。ダイヤモンドやルビーを散りばめた内部を見ると、インドの財閥の力につくづく感心させられてしまう。
Eラージ・ガート
マハトマ・ガンジーを火葬した場所。
Fジャーマ・マスジット
1658年に建てられたペルシャ様式の回教寺院。回教徒がメッカに向って礼拝する姿は、ここがインドなのかと不思譲な気持ちになってくる。
Gラール・キラ
1647年にムガール皇帝シャハ・ジャハンが築いた赤い砂岩の大域璧で囲まれた砦。別名レッド・フオートとも呼ばれている。ムガールの皇帝がどんな生活をしていたのか考えるには面白い所。
交通情報
エアポート〜コンノートプレイス間はタクシーで17〜20Rs。インデイアンエアラインのバスだと5Rs程度。市内バスで1Rs程。
ニューデリー〜コンノートプレイス間の距離は700mで、歩いていける。タクシーでは1〜2Rs程。
ニューデリー〜メインバザール間は、200〜300m程。
ニューデリー駅〜デリー駅は、鉄道で30P。
オールドデリー(デリー駅)〜コンノートプレイスは、タクシーで6Rs程。オートリキシヤ(ミゼット)だと4〜5Rs程。
コンノートプレイス〜チャナキャブリ間は、市内バスで50P。
デリーでは一般道路に入れない力車よりも、タクシーやオートリキシヤが便利。
スーパーバザールのバス停とバラメントマルクのバス停に発着するバスのルートとナンバーを覚えると非常に便利。
最新の情報は「デリー日本人会ホームページ」で確認してください。ホテルやマーケットの情報もあります。
また、TOPページにあるインド駐在員福田氏による「最新のインド報告」と「最新のインド写真集」をご覧ください。
ニューデリー駅とメインバザール、下側にコンノートプレイスの航空写真
コンノートプレイス
デリーの中心地で、東京でいえば銀座、丸ノ内といったところ。ツーリストオフィスや銀行、航空会社やその他のオフィス、そしてまた、冷房のきいたレストランやティールーム、スナックショップ、それにデパート、服屋、ブティック、宝石店、みやげ物の店、レコード店、本屋、さらに映画館やディスコまである現代物質文明の集まっている所だ。 ここで旅行者は都会並みの文化生活にひたることができる。 ショッピングは品数や種類の豊富さからいって、デリーが一番便利。インドの大半のものがここで手に入る。 |
コンノートからジャンパス通りのインペリアルホテルまでが観光商店街で、服や生活用品、アクセサリーやみやげ物などがたくさんある。値札のついている商品は普通、努力次第で10〜25%の値引きができる。 各州政府が経営しているエンポリウムという特産展示即売所では、各地の特産の商品が売られていて値段は少々高いが、品質は割と安定している。アッサム州、ウットラ・プラデッシュ州、マイソール州、オリッサ州、マデイヤ・プラデッシュ州、マドラス州、ビハール州、ベンガル州、ラジャスタン州の特産物がその場で買える。 ここの値段を基準にして品物の相場なり目やすにして、町でショッピングするとぼられることも少なくてすむ。 |
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コンノートの中心部は円型の公園こなっていて昼間は芝生の上でインド人達が寝そへっている。 インド人の特に青年どうしが時々恋人どうしのように腕を組んだり体を寄せ合って一緒に寝ている様は少し気味が悪い。しかしインドではありふれた光景のようで、それ程の意味もないらしい。芝生に寝そべって、そんな彼らのしぐさをながめて暇をつぶしてみるのもおもしろい。なお、この公薗の中心にある噂水の下には公衆トイレがある。 ここで寝そペっているといろんな人が やってくる。 一番多いのが物売りとサギ師。偽セスチユーデントカード屋、安い航空券空紹介屋、、どこから手に入れたのかは知らないが、他人のパスポートやトラベラーズチェッなども売りに来る。 その他、オレンジ、キュウリ、水までも売っている。また、「アイ、アム、マッサージマン」と言ってやってくるマッサージ師(10分ほどで2〜4Rs程。決して日本のようなツボをこころえた気持ちよいマッサージではない)や耳掃除師など様々な人間がいる。 |
![]() 耳掃除マン |
Aブロックの一番南かどはBOACイギリス航空、その裏側にはアメリカンエキスプレスの事務所がある。数軒横にKLMオランタ航空。その次は手織物で有名なハンドルームハウス。コットンやウールのサリーや服がたくさんある。 奥入った中奥入った中央には郵便局があり、しばらく行くとSASスカンジナビア航空とタイ航空。さらにアメリカンエキスプレスのツーリストサーピスセンター。一番かどがウエンゲラーレストランと続く。Aブロックの裏のGブロックには中級ホテルのマリナホテルがある。 |
Bブロックにはエンパイアストアというスーパーマーケットがあり簡単な買い物には便利。その横にはパルコという食器店がある。E.D.ガルゴティアとニューブックデパートという本屋はニューデリーでは日本の紀ノ国屋や、旭屋みたいな大きな本屋で色々な本を置いてある。 その横にはボルガレストランがある。その先にカシミールアートエンポリウムがあり、文具のNATH.S.Eという店の次にソフトクリームの店があり、一番かどがスナックになっている。Bブロックの裏のHブロックにはプラザ映画館がありニューデリー駅前の道に続いている。 Cブロックにはロップチャンドとラルアンドコーポという宝石店がある。裏のKブロックにはヨークホテルとその中にレストランヨークと中華のギンザがある。 |
Dブロックは5軒程服屋や布屋が続いている。日本でなら2〜3千円するようなインドサラサで作った涼しそうなシャツが5百円ぐらいで売られていてみやげ物には丁度良い。 角にはソフトクリーム屋とエンバシレストランがあり、ここはおいしい。その裏にパレスハイツホテルとオデオン映画館がある。 裏のLフロックにはITDC観光バスオフィスがありここから市内観光のバスが出る。 横にジワンロッジという安宿と、ニルラホテルがある。一階はラ・ボヘムというハンバーガー屋になっていてインド風マクドナルドみたいで、外人達がよく立ち食いしている姿が見られる。 二階にはチャイニーズルームというデリーでは老舗の中華レストランがある。 真中にはミナルレストランがあり道をへだてて、カケ、ロイヤルといったインド大衆カレー食堂が並んでいる。 ![]() 郵便局 |
Eブロックに入ると日用品がふえてくる。ジーン・ジャンクションはジーンズと婦人服をあつかっているし、そんなファッションの店も多い。またナショナル・ガードレイズ銀行もある。 メロデーというレコードショップには、インドの歌謡曲がいっぱいだ。 特に何年も前に大ヒットした映画のサントラ版なんかが(ズラリと)並んでいて、店のオヤジにこれは何年にヒットした映画でそのストーリーはどんなのだとか、1枚1枚説明してもらうととても愉快だ。そして必ずどこかの映画館でその映画が今だに上映されているから、新聞なんかでどこでやっているか捜してもらって、その映画を見てから気に入ったらそのレコードを買ってあげると、おやじもぼく達もとてもHappyになる(?) この店ではステレオなんかも売っている(インドではまだまだぜいたく)。一般にはラジオ、カセットテープレコーダー、テレビの順に売れているようだ。おもしろいことに、それらの商品名や会社名、それに会社のマークなどは、いつも僕達が日本で見ているそれと、実によく似せてあるのだ。まるで日本製品のパロディーみたいでとてもこっけいだ。 その他このブロックにはユナイティドコヒーハウスという喫茶兼レストランとユエロイというスポーツ用品店などがある。裏のMブロックにはプライトブルーホテルがあり、中級で安めのホテルだ。 通りをへだてた向側にはシャンカール・マーケットとスーパーバザールがあり、スパイス、フルーツ、電気製品、自転車などほとんど全てのものが手に入る。この並びの一番南に消防署がある。 |
Fブロックの北から3軒目には酒屋があって冷えたビ−ルを売っている。 デリーのドライ・デー(禁酒日)は毎月第1、第2水曜日になっていて酒を売ってくれない。ただし外人は大びらな所でない限り自由に飲むことはできる。 そのとなりには3軒、カーペット屋が続く。よく捜せばほり出しもののカーペットがあるかも知れない。 その横はタス・スタデオスというレコードとステレオとカメラの店がある。その2軒接がユニオン銀行。チープ・ジイニーという婦人服の店もかわいい。その横がカリス・ゲストハウスという安宿で、次がアイボリーパレスという象牙店がある。ジャンキー・タス・アンド・コーポは小さなデパートで、靴、食料品、オートバイまで売っている。 南の角を曲った所にインデイアンエアラインのエアポートバスのオフィスがあり、ここからエアポートまで5Rs。このブロックの裏側には、アイヤー&サンという旅行代理店があり、日本語の話せるインド人が3名程いる。 |
裏のNブロックには内側に酒屋と安宝石店と郵便局があり、ジャンパスに面した横側にはメトロ・ホテルがある。外側には冷えたビールのある酒屋とセントラルコートホテル、その中に中華レストランがあり、数軒横にはミルクバーというパーラーのような冷房のきいた喫茶がある。ここは昼にランチがある。このNブロックの通りをへだてた向側にはラグナ・ゲストハウス、リンゴ・ゲストハウス、サニー・ゲストハウス、エイシヤン・ゲストハウスの安宿が集まっている。その先のジャンパスに面した所にツーリスト・オフィスがあり、観光、宿などの相談にのってくれる。 |
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FとNブロックの次にあたるブロックは2つとも空地になっている。 ジャンパス通りに面したブロックには、以前インデイアンコーヒーハウスがあり、コーヒースタンドにたくさんの人が集まっていたが、現在エンポリウムなどの集まったビルを建てている為、今はない。 このブロックの南のブロックもやはり空地で、次にインデイアンオイルビルのあるブロックにはおもちゃ屋があり、その奥にデパートがある。デパートは一度見ておくと良いだろう。 ジャンパスに面した通りには布屋、服屋、みやげ物量が並び、本屋も数軒ある。 |
次のAとGのブロックの下にあるブロックも空地になっているが、その南のブロックには、ティールームという喫苓店、パーラの店、ゲイロード、スタンタードゲイタイムというレストランとスナックがあり、リーガル映画館のあるビルにはザ・セーラーというディスコもある。 この北角には、カデイ・グラモデイ・ババンという手職生地の有名な店があって、ここの服はすごく丈夫だ。 この店の角を曲るとリボリー映画館があり、その先にモナシング・マーケットピルがありフルーツ、野菜、日用品、軽食店が集まっている。その中にはブラックマーケットもあるが、あまり高く買ってくれない。 |
この向いのGブロックの裏のブロックにはミカドとい中華レストランがある。内側にはコヒーショップとアルカテルがある。その一階のレストランでは生演奏をやっていて日本人客を見ると「赤トンボ」の曲をやってくれたりする。 裏側のハヌマン寺院には毎週木曜日に(バザール)市が開かれる。 |
国際バス Aブロックの下側にはヨーロッパ行きバス発着場がありカブール25ドル、ヘラート35ドル、イスタンブール80ドル、アテネ100ドル、ヴェニス120ドル、パリ140ドル、アムステルダム140ドル、ロンドン160ドル、カトマンズ25ドル、ゴア25ドル。(当時はアフガニスタンもイランもイラクも自由に旅行する事ができた) |
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日本を紹介しているジャパンインフォーメーションセンター ここで日本の新聞や雑誌などが読める。 時々インド人たちに日本の映画(当時はフーテンの寅さんシリーズだった)を上映したりしていた。 |
ニューデリーの思い出
コンノトプレイス その1
数年前私に会ったそうそうに
「コーショー!ニューデリーにマクドナルドができてんねんで!」
とイクチャンは言った。
彼女はいつまでたっても京都弁である。
しかし普通の京都弁ではなく京都の北の端、三千院のある大原弁だと私は思っている。
彼女に言わせると、彼女の家柄は大原では2番目に古い家柄(一族?)だそうである。
このイクチャンは、今はHISに次いで2番目に大きなディスカウントテケット旅行会社マップの社長Mの奥さんである。
彼女は失礼だが美人ではない。どこにでもいる10人10色の普通の女性である。
しかし彼女には、不思議な魅力と言うより「力」がある。
イクチャンもMも私の大学の同級生だが、彼女は大学卒業後京都の医薬品会社に就職したのだが半年で辞めてしまい「どこかええ仕事ないやろか?」ということから、
私が就職した旅行会社TIC(ティアイシー正式にはツーリストインフォーメションセンター)の京都店の事務員を募集中だったため、京都支店の鶴野支店長に紹介して、TIC社員となたのですが、さてそのイクチャンの「力」についてお話します。
イクチャン親衛隊
TICのメイインツアー「インドネパール精神世界の旅」のインドツアーで、私達は300人もの旅行者をデリーに送り込みました。
JALを使って100人づつ3回に分けて出発したのです。
先発した私がニューデリーのコンノートプレイスにある旅行会社の出張所に駐在して、日本からやって来る旅行者を飛行場に向かえに行くのです。
後発隊の添乗員の一人にイクチャンもやって来ました。
全員を集めてインドでの注意や連絡先の説明をしてホテルや旅行の手配を終えてから、出発前から目をつけてあった学生数人とイクチャンを連れて食事に行きました。
私は出発前から、何かと協力してくれる参加者をピックアップしていました。
彼らは岡山のナンバ君カタヤマ君、大阪のベップ君、東京のミキ君アオキ君たちで、グループを組ませイクチャンをバックアップさせようとしたわけです。
しかし心配には及びませんでした(たぶんそうなるとうすうす思ってはいたのですが、彼女には肝っ玉母さんみたいとこがある)逆に彼女が彼らをグイグイ引っ張って旅行したのです。
彼女が先頭であとから若い男達が付いてくるといった感じです。まるでイクチャン親衛隊なのです。
やがて彼女達一行はネパールを回ってニューデリーに帰ってきました。
イクチャンのホテル
コンノートプレイスの私の駐在している事務所に帰ってきたので、彼女は近くのコンノートのビルにあるホテルに泊まることになりました。
このホテルでちょうど屋上にペントハウスのような部屋があったのでそこに泊まる事になりました。
ここは実に見晴らしが良い。結構気に入っていたら、かの親衛隊の連中も、彼らは別のホテルに泊まっていたのですが、結局毎晩、いや毎日彼女の部屋に集まってきて、毎晩大騒ぎ。
屋上の一室だから回りを気にしなくても良いので実にすごしやすい訳です。
ボーイ(給仕)に頼むと、何回でもおいしい御茶(チャイ)を持ってきてくれる。
実に楽しい日を過ごしていたら、しまいにホテルのマネージャーがやってきて「ハウメニ ピープル ステイング ヒヤ?」と言って怒られてしまいました。
イクチャン一人で泊まっているはずの部屋に毎晩4〜5人の男達が寝ているのだから、怒るのも無理ないね。それからは寝る時は各自自分のホテルに帰るようになりました。
毎朝こんな状態
アショカホテルでご馳走を
ある日みんなで、デリーで一番格式の高いアショカホテル(日本でいえば帝国ホテル)に食事にいくことにしました。
貧乏旅行で安物ばかりではつまらない、たまにはご馳走を食べようと言う事になりました。
おいしいタンドリンチキン、鶏肉が日本のブヨブヨしたブロイラーの肉ではなく、放し飼いにされた肉の締まった、それでいて味のしっかりした鶏肉で実においしい。
シタールの生演奏を聴きながら(なにしろ最高級のホテルのレストランですから)、その他いろんなご馳走を食べて全員ご満足。
それでいて一人日本円にして2000円ぐらいでお腹いっぱいです。
やっぱり食事は大勢で行っていろんな物を食べるのが楽しいですね。
思い出
コンノートプレイス その2
コンノトプレイスを歩いていると、後ろから子供がやってきて、靴を指差して「クリーム」と言う。
自分の靴を見てみると、べったりと白や茶色のクリーム状のものが付いているではないか。
すると、さっそくその子供は靴磨きに早変わりするのだ。親切にとか子供相手だからと気を抜いたら痛い目にあう。うっかりまかすと靴磨き代10ルピーとか20ルピーとか言い出す。普通町中のちゃんとした靴磨きでも2〜3ルピーも出せば十分である。この子供達は仲間がいて、旅行者が知らない間に泥を靴にひっかける。そしてこの親切そうな笑顔がかわいい靴磨き少年の登場となるわけである。靴の汚れなどティッシュですぐふき取れる。もし磨かせるなら最初にまず値段交渉をすること。1〜2ルピーで十分だろう。が、しかし、気をつけないと知らない間に靴の中敷を抜き取ってしまうので、よく注意している事。実を言うとカトマンズで私もやられた。
これなどはまだかわいい方である。
特に注意しなければならないのが、路上での闇両替。高いレートで両替を持ちかけてくるのは100%詐欺師である。100ドルを両替すると、目の前でちゃんとルピー札を数えてくれるが、これは詐欺である。確かめようとすると警官らしき人間が近づくいて来て、警察が来たから早く隠せと言われ気がつくと半分の金額も入っていない。気づいたときは詐欺師はオートバイや車で逃げてしまっている。そしてこの警官らしき男も実は詐欺師の仲間である。目の前でまざまざと見ていても全く分からない。これはマジックと同じである。
ある年、オオクマ弟君がよせばよいのに路上で100ドルを両替した。100ドル分のルピーを目の前で数えさせ100ドルをゆっくり交換しようとすると例のごとく「警官が来た、早くしろ」と急がされた。ここで何を思ったのかオオクマ弟君は、ルピーを受けと取って100ドル札を渡さずに、一目散に逃げ出したのだ。あわてたのはこの詐欺師と、警官らしき男。思いもよらぬ展開に、あわててオオクマ弟君を2人で追いかけたのだが、19歳の若さにあふれるオオクマ弟君の足にはかなわず、彼は逃げとおしてしまった。
(彼の説明によると、両替のルピー札は高額の100ルピー札は半分に折られていて、数える時1枚を2枚として数えるようになっていたそうです。)
このことは、彼が後から私に話してくれて分かったのだが、もし私が現場にいたらと思うとゾッとする。私は旅行者の安全を守る現地駐在員であり、もし彼が詐欺師達に捕まったらどんな目にあっていたかと想像すると・・その彼の心配だけでなく、その後の警察に行き病院に行き、日本のご両親に国際電話をかけ・・お願いですから、旅行者の皆さん、決して危険な事はしないようにしてください。
コンノートプレイスの思い出 その3
ある年のツアーに前衛舞踏の笠井舞踏団のグループが十数人参加された。
彼らはインド各地で踊りを研究され、帰国の数日前にコンノートプレイスの中央の公園で即興の舞踏をやり始めた。
好奇心の強いインド人はちがそれを見るために大勢集まってきた。
しかし、このような公園で行う踊りは、見物料を貰うための地方の旅芸人が多く、内容も間抜けな男が美女に肘鉄をくらうといったようなお笑いの分かりやすい踊りが多い。
日本の黒テントや塚コウヘイ氏のような前衛舞踏は理解しがたく、「ナンダコレハ」と言う感じで、異様な物を見るかのように、何か険悪な雰囲気が起こり始めた。
私はすぐさま舞踏を中止するように忠告したが、彼らは舞踏を続けた。
そのうち、インド人たちが舞踏メンバーの女性をつつくようになった。あたりは何か騒然となってきて、舞踏どころではなくなり、危険な状態になってしまった。
私は危険だと思ったので、(舞踏団の人もそう思ったようだ)幸い近くを警戒中の警官がいたのですぐさま大声で警察を呼んで、みんなであわててその場を逃げた。
このような野外で行う旅芸人たちは、カーストの低い人たちが多く、おもしろくないと手荒な仕打ちを受ける事があるようだ。
何の被害も起こらなかったので幸いだったが、所変われば何とやらで、あまり無茶な事はしない方うが良さそうだ。想像してみてください、200人ぐらいのインドの群集に囲まれた中から十数人の人たちを安全な場夜に脱出させる事がどんなに大変だったかを・・・・駐在員の私にとって大変な一日でした。
メインバザール
メインパザ−ル 庶民の熱気あふれた商店街で、安宿も多く旅行者の生活場所でもある。 ニューデリー駅から南へ歩て行くと、すぐこの通りが見えてくる。 入口に面した左側の小さな広場には、力車・路上床屋・写真屋・バナナ・オレンジ売りなどが集まっている。 この通りの左側の最初は生ジュース屋が3軒並んでいて、オレンジシェイク・バナナシェイク・ミックスジュースが75P程。季節によっては、マンゴシェイク・パパイヤシェイクが1Rs程度で最高の味を楽しめる。日本ではちょっと味わえないおいしさだ。 ![]() メインバザール |
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右側にはカバン屋が数軒あって、向いにはアクセサリーやインド製弁当箱、日用雑貨などが豊富に店先に並んでいる。 しばらく行くと肉屋が数軒ある。殆んどマトンの肉で、宗教上牛肉はまずない。 雑貨屋・薬局・服屋が続き、やがて靴屋が多くなる。サンダルなどが安く買え、土産にしたら面白いだろう。 途中、アシヨカ・パイシン・ホテル、ムケシ・ゲストハウス、プライトホテルなどの安宿がある。 ![]() 安食堂 |
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奥に進んだこの通りの中ほどに、T字路になった広場があり、ここでは野菜や果物や穀物の市場になっている。殆んどの野菜が売られており、インド特有の香辛料も売られている。 さらに進んで行くと砂糖きぴジュース屋があり、1Rs程度なのでここで一休みしてもいいだろう。慣れないうちは少々青臭いかも知れない。 パヤル、ビピック、ビーナス、ビシヤールなどの安ホテルと、映画館・安食堂がある。 ![]() アイ・アム・ひげそりマン |
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さらに進むと、ケスリホテル、シアパンジャプホテル、スパナホテル、ピスカホテルなどの安宿があり、T字状に右に道がある。 真すぐ進むとメトロポリスレストランがあり、中華料理も食べられる。ここのお薦め品はステーキ類で、200円程度だから安い。 その他安食堂でカレーにチャパティorライスにすれば、一食100円で満腹になる。 ここから先は、商店街の外れで大した店もないが、ここを行くとコンノートに通じる。 先ほどのT字路を右に折れると、インペリアル映画館がある。その先には三軒茶屋と呼ばれるスナックが3軒並んでいて、トースト、パンケーキ、オムレツ、シェイクジュース、チヤイなどがあり、値投も安いので旅行者にとっては嬉しい場所だ。 この近辺には割と親切なナトラジホテルやチャナキャホテルなどがある。 |
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メトロポリタンレストランのメニュー![]() 価格はルピー。・以下はパイサ。1ルピーは100パイサ。 当時のレートは1ルピーは日本円にして25円ほどだった。だから実際にはとても安い。しかし現地では感覚的には1ルピー100円のような感じで使う。 |
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KOSYO旅日記
メインバザールの生活
プアートラベラー(貧乏旅行者?)にとってメインバザールはとても住みやすい場所だ。
ニューデリー駅に近いという場所的な便利性もさることながら、ホテルにしろレストランにしろ何よりも物価が安い。ここはデリーの庶民達の商店街と市場が集まっている通りで、生活に必要な物は全て揃っている。もちろん日本からの数十万円もインドのパック旅行ではここらの安ホテルなどは絶対に泊まらない。プアートラベラーズのみが体験できるインド庶民の生活の場所である。
日本人旅行者とカップラーメンパーティー
私が一番最初にここを訪れたのは、1975年8月だった。この通りの一番奥の安宿に泊まったのだが、すぐ近くに何人もの日本人旅行者が泊まっており、その日の内に数人の日本人と親しくなった。その中の一人がカップラーメンを持っているというのでラーメンパーティー?をしようという事になり、その夜、割りと広い部屋に泊まっている日本人のホテルに6人が集まってその1個のカップラーメンを分けて食べた。ひさしぶりに日本の味に皆は大満足だった。というのは、確かにこちらでも中華レストランで中国人の作るラーメンは食べられるが、味が根本的に違う。日本の味はなんと言っても「カツオ」や「コンブ」などのダシが隠し味で使われているからだ。
その夜は、皆でチラムを回しながら、何処から来たとか、何処を旅して来たとか、こんな体験をしたとか、旅行中の笑い話のような体験談とかを夜遅くまで話した。
朝食はパンと卵とで
翌朝、南の通りにあるスナック(露店のような店)が3軒並んでおり(私たちはそこを三軒茶屋と呼んでいた)そこでジャムトーストとスクランブルエッグとミルクティーを1ルピー(30円)程で食べた。私は朝食はここで食べることが多かった。ホテルにも近いし、朝から激辛カレーというのもしんどかったからだ。
昼食はカレーにチャパティー
昼間はコンノトプレイスなどを散策し、観光バスに乗って市内観光などをした。昼食はメインバザールにいる時は、安食堂でカレーにチャパティーを食べた。カレーは野菜だけのベジタブルカレーや、羊の肉の入ったマトンカレーかゆで卵の入ったエッグカレーなどがあって、それを目の前で、小麦で練った生地を薄くフライパン(ほとんどナベ)で焼いてくれるクレープのような、膨らんでいないホットケーキのようなチャパティーを5〜6枚で食べるのだ。日本でいえば、これがご飯となる。チャパティー1枚が10〜20パイサ(3〜6円)でカレーが1ルピーほどだ。日本ではカレー屋に行くとカレーにナン(パンの様な物)が出てくるが、本場インドでは普通チャパティーしか出てこない。ナンはあくまでも日本におけるインド食に慣れない日本人向けであると思った方が良い。もちろんインドでも高級な店では置いている店もある。。
夕食は国際交流?
夜になると、ちょっと豪華にメトロポリタンレストランでステーキを食べたりする。もちろん肉はマトンであるがそれなりにおいしいし200円ほどなので助かる。時々同席する外人(ヨーロッパなどの白人)と話をしたりする。ある時前に座った白人の女性に、どこから来たのかと国籍を尋ねたら「オーランド」と言う。オーランドなんて日本で聞いたことが無い、ポーランドかと聞くと違うと言う。彼女は「昔あなたの国ジャパンと親しくしていた国よ」と言う。ようやく分かった、オランダのことだった。日本の教育はお粗末だと思う。実際外国などに行った事の無い先生方が英語や地理や歴史を教えているのだから、活字でしか理解できていないのでしかたないとは思うが…。アメリカ人は自国をアメリカとは言わず「ユナイティド、ステイト」と言う。英国(イギリス)人は自国を「ブリティッシュ」と言う。大英帝国の誇りがそうさせるのかもしれない。しかし、その英国人でもスコットランドとアイルランドの人は決してイングランドとかブリティシュとは言わない。今は英国の属国にあまんじているが、スコットランドはスコットランド国でありアイルランドはアイルランド国であるという意識が強い。スパイ映画007シリーズのジェームス・ボンド役のショーン・コネリーは、英語で発音するとseanシーン・コネリーとなるが、彼はスコットランド出身のためスコットランド発音のショーンとこだわり通した事でも有名である。
ニューデリーは行政機関が多いので色々な手続きなどをするために1週間ほど滞在した。その後私はアグラとボンベイそしてゴアへ旅立った。
3年後の再会
それから数年して、再度メインバザールを訪れた時、昔の三軒茶屋に寄ってみた。すると店の兄ちゃんが「あなたを見た事がある、以前ここに来なかったか?」と聞くので3年前に毎日来ていたと言うと、その兄ちゃんはやっぱりそうだ、覚えていると言った。その兄ちゃんは3年前その店を手伝っていた少年だった。彼は3年ですっかり大きくなっていた。今は高校生で来年は就職するとの事であった。