駐在員の日々
ツアー中はコンノートプレイスにあるインドの旅行会社のオフィスにデスクを借りて、そこに私が駐在するのです。AM10時から昼過ぎまで、ツアー客からの問い合わせにあたります。
最初の内は毎日のようにツアー客が訪れます。コンノートプレイスに観光やショッピングに来てオフィスに立ち寄ってくれたり、また彼らのいろいろな問い合わせやおもしろ話や困った事の相談や、旅行のプラン作成のアドバイスなどをします。
旅行のアドバイス
見ると聞くとは大違いと言いますが、インド旅行において日本で立てたプランと実際のインドでの旅行とは大違いです。まず距離感が全くちがう。なにしろ9倍の国土ですから、1つの都市から、次の都市まで移動するのに、日本では数時間で済みますが、インドではまる24時間近く列車に乗らければなりません(飛行機を使えば別ですが、飛行機をたびたび使えるほど裕福なツアー客は少ないです)。デリーとカルカッタ間は1400km程あり、その間を時速80kmの汽車やジーゼル機関車で移動するのですから・・・。ましてや、インドタイムと言う独特の時間観念があり、2分おきに地下鉄やら電車やらが来る気違じみた過密スケジュールや、時速250kmの新幹線が15分おきに走っている日本の感覚とは全く違う事を覚悟しなければなりません。
また、暑さを実際に体験すると分かるのですが、こんなくそ暑い中をなんでこんなに急ぐ必要があるのか?という風土があります。
なんだかんだで、潔癖な日本人は、まず駅に列車の座席指定を取りに行って、長蛇の列に待たされ、ようやく自分の番になって申し込むと3日先しか空席が無い・・・ここで初めてインドの現実を知るのです。普通ならここで脱落するのですが、それが、よし!再計画だ!と力がみなぎるのは、インドの持つ不思議なパワーでしょうね。
ここでようやく私とのプラン作りとなります。旅行のノウハウや、注意事項などをくれぐれもと説明します。
ツアー初日から数日がこのように費やされます。また、電話でホテルからもいろいろな問い合わせがあります。
なか日
一週間もすると、今度はほとんど連絡が来ません。ツアー客はインド旅行の真っ最中です。時たま「盗難にあった」とか「病気かも?」と言う電話がかかりますが、そのつど過去の実例と対処法を話し、あなたのホテルのフロントで聞いて、もよりの警察や病院に行くようにアドバイスします。日本語でたかがこれだけのアドバイスでも、慣れない旅行中では心強く感じるようです。
ツアーのなか日は、ほとんど仕事もなくなるので、インドの提携先の会社の社長さんの自宅に招待されたりします。3階建ての鉄筋の家です。きれいな奥さんと、女の子と男の子の典型的なインドの家庭です。応接間にはペルシャ絨毯がひかれており、その当時はインドでは珍しいカラーテレビもありました。その後彼の愛用の自動車アンバサダーに乗ってコンノトンの中華レストラン「ミカド」で食事を一緒にしました。
ホテルは最初は割りと高級なホテルに泊まっていましたが、暇になったのでYMCAに移りました(料金が何倍もちがうので)。その後、取材のためインド各地を旅行します。旅行中は定期的にデリーのオフィスに電話を入れて、問題は無いか聞きます。幸いこれと言った問題は発生していないようです。のんびりと汽車やバスでというわけにはいかないので、行きは列車でも帰りは飛行機を使いました。
帰国
やがてツアー終了日が近づくにつれて、真っ黒に日焼けしたツアー客が、地元人と変わらない雰囲気になって帰って来ます。そして何よりも目が輝いています。そんな彼らを見ると、なんだかんだとふりかかるトラブルにも負けないで旅を楽しんできたのだなと、嬉しくなります。
少しのお土産とたくさんの旅の思い出を一杯にして帰って来ます。そんな彼らの土産話を聞くのがとても楽しみです。
デリーに帰ってきたら必ずオフィスに帰ってきたという報告を帰国の2日前までに入れてもらうことになっています。それで全員の無事を確認します。たまに報告の遅れる人もいますが「現在地、今何処にいるか、いつデリーに着くか」電話で連絡が来る事もありますが、全員が帰国までに集合し、帰国に間に合わなかった客は一人もいませんでした。
そしてツアー順にバスで飛行場まで送り、担当の添乗員にネームリストを預け、出発を見送ります。そして私も最終便で帰国の途に着くのです。
インドの情報収集
このようにしてたくさんの生の情報が私のもとに集まってきます。その当時インド旅行(プアートラベラーズ用)の情報はTICのコーショー(私)か、TM社のモリワキかと言われたものでした。旅行先でツアー以外の日本の旅行者に「これがが一番正確だ」と言って私に見せてくれた資料が。なんと私が書いたパンプ資料をコピ−したものだったのには、思わずテレ笑いをしてしまいました。なんとなくテレがあって「そうですか」としか、それは私ですなどとは言えませんでした。でも嬉しかったです。
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