オーランガバド
アジャンタ
エローラ
霊廟「ビービー・カ・マクバラー」
(南インドのミニタジマハールと呼ばれている)
あついあついオーランガバドヘようこそ。
あついあついオーランガバドからあついあついエローラ・アジャンタへ出かけるあなた、ごくろうさま。
あついあつい昼間の太陽はデカン高原に満遍なくふりそそいでいるぞ。
夜は夜でフーンブーンと蚊が飛び回わる。ああ、ほんにオーランガバドはすさまじき灼熱地獄。
下痢のちみそ汁のち真っ赤なデカンの夕日
オーランガバドに着いた時はすごく疲れていたんだ。その上食欲不振でジュースぱっかし飲んでいた。そしたらその晩が恐怖の下痢で、もう勘弁してくださいって言っても勘弁してくれないようなやつだったんだ。それでほとほといやんなっちゃって、翌日ユースホステルに行ったら日本人がいたんで僕はすぐさまユースに場所変えしちゃった。
何せ僕の泊っていたホテルにや日本人はおろか外人旅行者が一人もいないでインド人ばっかだったもんだから、ほとほと気が滅入っちゃつてたんだ。
ユースにいた彼は、あのボクサーの輪島みたいなやつで、ほんと根情の二字で旅行をしているようなやつだったな。
二人で翌日アジャンタに行く事にして、僕が下痢で食欲がない事からインスタントのみそ汁を作って食べる事にした。はっきり言ってすさまじい効き目だったね。前の日から続いていた下痢と食欲不振がピタリと止まっちゃった。インドで初めて味わったみそ汁の味。思い知ったなあ。
その後、屋上に出て洗濯物を取り込んでたんだけど、デカン高原に沈む夕日に又々感激しちゃった。
ほんと、あれこそ大陸の日没っていうもんだった。
こうねえ、真赤なやつでさあ、空全体に赤やだいだいの絵の具を溶かしてサーツて流したようで、体調が回復してきた時だったから、もうこの上なく至福感に満ち溢れちゃったよ。
夕食時には夕立ちが降ってカミナリが鳴ったんだ。
一雨ごとにモンスーンが近づいてくるっていう感じだったな。
その晩はkayaの中でスヤスヤと眠ることができました。
どうもどうも、ありがとう。
ユースホステルのこと
新築のユースホステルなので室内・室外共にきれいであり,衛生感が漂っている.
最近、インド国内に幾つかユースが新築されているが、どこもインドでないみたいな衛生感がある。
さてオーランガバドのユースホステルであるがマネージャーはMr.P.N.MODAKという丸顔のインテリ。
この方とっても話し好きです。
宿泊代は以前はユースの会員が4.00Rsでそれ以外の人は6.00Rsとなっていたが最近はその中間をとって5.00Rsで統一されているみたい。
男女別々のベッドルームとファミリールーム、リーダーズルームと3種類あるけど、普通、僕達はドニトリーに寝ることになる。トイレとシャワー室それに談話室はすべて共同使用。
ベッドルームでの喫煙は禁止されているので何かを吸うのなら談話室かロビーか食堂か屋上でとい、ことになる。
食事は朝昼晩と決まった献立である(昼食と夕食は同じメニュー)。食べるか食べないかをあらかじめコックに言っておくこと。
エロ−ラ・アジャンタへの交通
エローラ・アジャンタヘはバスで行くバスには普通のローカルバスとツーリストバスとあって、前者の方がポロいかわりに安くいける。バスから見える景色に違いはないからね。
ローカルバスは随時でている。ツーリストバスのタイムテーブルは現地で調べてください。
オーランガバド
私たちが訪れた当時のアウランガーバードは人口30万の地方都市であったが、近くにダム発電所が完成し、(インドではめずらしく)その安定した大容量の電気が供給できるため海外の自動車メーカーなどの工場が集まり今や人口120万の大都市になっている。
5世紀から10世紀にかけて造られた(彫られた) 34の石窟のあるエローラ
規模はアジャンタより大きい
アジャンタは2世紀から8世紀にかけて、ワゴール川の大岩盤に造られた30の石窟寺院郡
オーランガバドからの公営観光バス
アジャンタへは28ルピー
エローラへは15ルピー
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