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 二番目の犠牲者はヨランデ。ある劇場の女優の子として生まれた。小さい頃から才芸に優れ、特に舞踊の才を評価された。舞台に現れるだけで、舞台が観客の投げ入れる花々で埋まったという。ヨランデはその花の絨毯の上で淀みなく踊った。彼女は時には跳ね回る子犬のように陽気に、また、時には白鳥の化身のように優雅に踊ったという。観客は息を呑んでヨランデの一挙手一頭足を目にやきつけた。カーテンコールをせがむ観客がなかなか帰ろうとしなかった為、劇場では特別に人を雇って観客を劇場から追い出したという。ヨランデ自身は疲れを知らぬ踊り手であった。
 劇場の踊り手であれば、パトロンがつくのが常であったが、劇場の支配人はヨランデにパトロンをつけていなかった。最高のパトロンを望んでいるのだ、と噂されていた。支配人はヨランデを手中の玉のように扱った。貴族の令嬢達を教えている家庭教師に内密に頼み込み、教養、礼儀作法を教えたという。
 ある日、ヨランデが楽屋に戻ると、一人の黒いマントを羽織った男がヨランデを待っていた。ヨランデが驚いて人を呼ぼうとすると、その男は優しくヨランデの手をとり、そっと口づけをしてそのまま出ていった。その男の動作が優雅で自信に溢れたものだったので、ヨランデはならず者扱いをする事ができなかった。
 テーブルの上に豪華な花束が残されていたので、ヨランデは小間使いを呼んでこの花束が誰からの物か尋ねた。すると、劇場はちょっとした騒ぎになった。ヨランデの熱狂的な崇拝者が入り込むのを防ぐため、部屋は厳重に警備されていたのだ。その男がどこから入り込んだのかをはっきりと言える者はいなかった。
 その日から、ヨランデが楽屋に戻るとその男がヨランデの帰りを待っているようになった。礼儀正しく振る舞い、花束を渡して帰っていく男をヨランデも咎めなかった。
ある日、ヨランデは支配人に呼ばれた。
「この花束は誰からの物か」
問いつめられて、ヨランデは楽屋を訪問する不思議な男の事を支配人に話した。
支配人はその男の人相風体をヨランデから詳しく聞き出すと、あらゆる伝手を頼って身元を調べた。マントの留め金の紋章から、ヘルター伯縁の者ではないかという情報が得られたが、ヘルター家が絶えたのはもう100年も前の事。はかばかしい情報が得られなかった支配人は、業を煮やして自らヨランデの楽屋に内密で隠れ、様子を伺う事にした。
 支配人が隠れ場所から様子を伺っていると、黒いマント姿の男が突然部屋に現れた。ヨランデに聞いたとおり身なりのいい上品な様子の男で、怪しい者には見えなかった。 その男はヨランデが戻ってくると、近寄って手をとった。支配人の隠れている場所からはヨランデの後ろに置いてる姿見がよく見えたのだが、支配人は急に男の姿が全く姿見に映っていない事に気がついた。驚きの余り支配人は大きな声を出してしまい、ヨランデとその男の注意を引いてしまった。
 男は悪びれず、ヨランデを庇うように立っていたが、ヨランデが今日は帰るように促すと何も言わずにその場を立ち去った。
 支配人はすぐに顔なじみの牧師に相談した。劇場の一番人気の踊り手に吸血鬼がついたという噂はあっという間に広がった。百年前の伯爵令嬢の件も取り沙汰され、吸血鬼ディートハルトの名は急速に人々の噂に上るようになった。伯爵家の財産はそのまま遺言通りに残されていた為、一穫千金を狙う与太者が劇場の支配人に自分を売り込みにくる始末。
 頭を抱えた支配人は前々からヨランデのパトロンに名乗りを上げていたベーレンドルフ候に助けを求めた。ベーレンドルフ候は裕福で勢力のある貴族であったが、支配人が言を左右にしてヨランデのパトロンにするのを避けていた人物である。彼がパトロンになった場合、ヨランデはすぐに引退させられるだろうと噂されていた。
 ベーレンドルフ候は支配人から話を聞くと、すぐにヨランデを知り合いの修道院に送り、そこで悪魔払いの儀式を受ける手筈を整えた。
 ヨランデは日のある内に修道院に送られ、悪魔払いの儀式を受けた。そして一定期間修道院で過ごす事を命じられた。
 修道院でヨランデは憂鬱な日を送っていた。歌も踊りも禁じられ、遠回しに吸血鬼にとりつかれたのは自分自身に責任があると責められていたのだ。
 ヨランデが聖句の書取に疲れた手を休め、部屋に射し込む月の光を眺めながらぼんやりとしていると、聞いた事の無い甘い歌声が庭から流れて来た。ヨランデが驚いて窓から庭を眺めると、庭の隅にディートハルトが立ち、こちらを眺めている。修道女達が気づき、にわかに修道院は騒がしくなった。ディートハルトは名残惜しげな様子だったが、ヨランデが部屋から動かずにいると、修道士達が駆けつける前に姿を消した。
 悪魔払いの効果が無かったとされ、ヨランデは別の修道院に移された。しかし次の修道院にもディートハルトが現れ、ヨランデはまた別の修道院に移された。そしてある夜ヨランデは姿を消した。シャルロッテ嬢と同様にロザリオを後に残して。

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