碓氷峠

上り「あさま」

区間 信越本線 横川〜軽井沢(碓氷峠)
距離 11.2km
開業 明治26年 4月 1日(アプト式)
廃止 平成 9年 9月30日

1.信越本線 横川〜軽井沢間の概要

(1)
信越本線は、高崎〜新潟を結ぶ幹線であるが、直通列車は無く、高崎〜直江津・直江津〜新潟間に
分類できた。中でも高崎〜直江津間には、「峠の釜飯」で有名な横川駅と、避暑地の軽井沢駅の間に
66.7‰というJR線最急勾配「碓氷峠」があり、運転の難所として有名であった。
当然、列車や電車などは、そのまま峠を通過するだけの力がなかったため、横川側にEF63形機関車
を2両連結して峠越えするという、全国でも珍しい光景が見ることが出来た。

(2)
この区間は、明治26年4月1日にアプト式鉄道として開通し、アプト式蒸気機関車がラックレールを
噛み締めながら峠越えしていた。
しかし、蒸気機関車では120トン牽引が限界で、横川・軽井沢駅構内は積みきれない荷物であふれ、
また26ヶ所(総延長4460m)もトンネルがある同区間では、機関車が吹き出す「煤煙」によって
乗務員・乗客が悩まされるという状況になっていた。
そこで、牽引定数増加・スピードアップが必要となり、明治45年日本で初めての電気機関車(アプト式)
が登場する。(登場当時は長距離送電の技術がなかったため、横川に火力発電所があった)

(3)
しばらくこの状況が続いたが(機関車の変更はあった)、昭和31年に国鉄高崎鉄道管理局が
「アプト区間の輸送力が、急増する旅客貨物に対応できなく、また、設備の老朽化が著しいため
大改修が必要」とまとめた「碓氷白書」を作成し、国鉄本社に上申した。
これを受けた国鉄は昭和33年に、アプト式を廃止、新製機関車(EF63)を補機として使用する
粘着運転とし、あわせて単線だった同区間を複線にする決定をした。
昭和36年4月5日に着工、昭和38年7月15日に新線が開通し 、一部列車が新線で運転されること
になった。同年9月29日限りで70年続いた「アプト式運転」が廃止、翌30日より完全に新線に移行
した。(横川〜軽井沢、複線開通は昭和42年7月1日)

(4)
粘着運転を開始した横軽(横川〜軽井沢間)は、横軽通過用に169系・189系・489系といった
電車も新製され、特急「あさま」、特急「白山」、夜行急行「能登」など優等列車がひっきりなしに通る
一大幹線になった。
しかし、JR東日本は昭和63年11月に、「北陸新幹線軽井沢開業時は、横川〜軽井沢間を廃止する」
と発表し、平成元年度には北陸新幹線の工事が着工された。
地元は横川〜軽井沢間廃止を反対していたが、平成7年には群馬県知事・長野県知事共に同区間
の存続を断念し、廃止が確実になってしまう。また、第3セクター「しなの鉄道」が平成8年5月に発足し
軽井沢〜篠ノ井間を引き継ぐことになる。

(5)
平成9年6月19日には、信越本線 横川〜篠ノ井間の廃止許可がおり、
平成9年9月30日、一世紀以上にわたる峠越えに終止符が打たれた・・・


2.在りし日の横軽

横川駅 ラックレール ディスコン棒 横川運転区

横軽運転概要 EF63の概要 釜飯売り お礼

EF63 EF62 丸山変電所 ラックレール

特急「白山」 EF63と189系L特急「あさま」 115系 第三橋梁


3.廃止後の横軽

矢ヶ崎付近 碓氷川橋梁 第三橋梁を望む 旅客誘導路

熊ノ平変電所 熊ノ平 第一隧道 横川運転区跡


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