(しへん)

金哲顕

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君の瞳の中のぼく
虹の三八線
聖書の中の偽善者

つぶれてしまう
光の風船

意識
いのち
マモン
オムニバス
祈り
モノになる、機械になる
DNA


君の瞳の中のぼく



すべてはまず be からはじまる
そのあと have が生じる
have の前に I がなくてはならない
I があってこそ be が have に変身する

I の前にどうしても いのちが必要だ
いのちのない I はない
I があって have があり
クオリアも 意味も 自由もある

存在は大いなる謎だ
存在については言葉は何も問えない
存在に修飾語も述語もありえない
存在はただ「存在」としか言いようがない

クオリア(感覚)の向こうにあるものは本当にあるのか
この世界、この物体、この肉体はほんものなのか
ぼくは自分の手のひらを覗き込むたびに そう疑問に思う
ぼくは脳の中に自分がいるのが不思議でならない

意味とは I が世界と結ぶ目的関係
自由とは I が世界と結ぶ支配関係
I がなければ 意味もない
I がなければ 自由もない

いま君は長いまどろみの暗闇から光の中へ目覚めた
ぼくは横たわる君の美しい瞳の中を覗き込む
きらきらと輝く君の黒い瞳の中に ぼくの姿が光って見える
そうだ 君はほんとうにそこにいて 君の瞳の中のぼくもきっとここにいる

世界もぼくも君も すべて確かに ある いる いる
I があるから みんなある
君のほほえみの優しさだけ 君の愛の確かさだけ
ぼくは確かに ここにいる




虹の三八線


これはかつて私が韓国の獄中で政治犯確定死刑囚だったときの気持ちを詠ったものです


 1 おじいさんが生まれた年に太極旗も生まれた
   おばあさんが生まれた時に太極旗が国の旗になった
   太極旗が生まれたとき 「三八線」も生まれた
   太極旗が国の旗になったとき 「板門店」も生まれた

 2 お父さんが生まれたとき 太極旗の国は日蝕になった
   お母さんが生まれたとき 太極旗の国民は「万歳」を叫んだ
   あれ以来、「三八線」と「板門店」はずっとあったけれど
   未来に引かれた太極の「しるし」だったから 誰の眼にも見えなかった

 3 ぼくが生まれたときにやっと日蝕が通り過ぎ
   半分だけ太極旗の大地に日差しが戻った
   その束の間の喜びの中でおじいさんとおばあさんが逝くと
   一つの民が三八線を挟んでひどく血を流した

 4 戦争が収まったある日 お父さんが地図を指差しながら
   お母さんに叫んだ言葉をぼくは覚えている
   「ほら、弓なりの三八線は弓なりの太極にそっくりだ」
   「『板』『門』『店』も三字八画の三八じゃないか」

 5 三八線でときどき火花が飛び散っても驚いてはいけない
   それは神さまが二つの大地を溶接する火花なんだから
   板門店でたびたびいさかいが起きても不安がらないでいい
   「板」「門」「店」は太極の「しるし」の三八なんだから

 6 ぼくはつながれた暗闇の中ではじめて知った
   金は西、木は東、月は西、日は東
   日と成るものは何か、晩を承けるものは何か
   この不思議な謎が解ければすべてが解ける

 7 窓の向こうを青い囚人服の友が刑場へとよぎる
   浮き足立つ彼の歩みはまるで喜び勇んでいるかのようだ
   あの人の心はもうすっかりこの青空の中へ翔び立つ鳥となって
   はるか遠く 三八線にかかる虹を見ているのだろう

 8 お父さん お母さん 先立つぼくをお許しください
   おじいさんとおばあさんのいるところへ先に行きます
   ぼくは三八線でつまずき 板門店でころんだけれど
   明日の朝早くには 三八線に美しくきらめく虹を見るでしょう
   




聖書の中の偽善者



1 祭司、律法学者、パリサイ人、サドカイ人
  ちからに付き従い、力にへつらい
  ちからに守られた泥棒の金蔵に
  群がる輩についての新約聖書からの箴言(しんげん)

2 これは人に今の世の堕落と
  悪に染まった聖職者の姿を知らせ
  革命的な行ないと正義と公正と公平の
  シュプレヒコールを会堂に響かせる
  正しい権利の自覚を促すためである

3 民を恐れることは知識のはじめである
  しかし祭司、律法学者、パリサイ人、サドカイ人
  彼らはさとく「まむし」のようで、神を試みる者
  栄華の夢をふり注いで人民を滅ぼす者
  呪術を用いて人の魂を奪う者である
  偽善をこととし、神の名をかりて
  人民にいつわりの権威をふりかざす

4 彼らは人民の見るところでしか義を行なわない
  祈りを行なわない
  苦しげな身振りで苦行をなし
  この世にみずからの宝を築き上げている
  なぜなら隠れたる善き行いに神が報いられると
  もはや信じていないからである

5 彼らは権威を神からでなく
  彼らの民衆から得ている
  彼らのいつわりが、彼らの権威の礎である
  それゆえいつわりに日毎おもい煩い
  いたずらに人民を裁く
  自分の子に石を与え、蛇を与える
  預言者を殺し、神の子らを惨殺する

6 祭司、律法学者、パリサイ人、サドカイ人
  彼らは偽預言者である
  羊の衣を着た強欲な狼である
  「主よ、主よ」と大声で叫ぶが その声はむなしい
  神を装い、悪魔を行なうからである

7 彼らは儀式を重んじ、神秘な暴力をふりまわす
  強欲な支配を神名のもとに行ない
  定められた聖なる順序に従って
  人民の良心と素朴な神への帰依を裏切る者である
  そのために彼らは言うが行なわない
  聞くが理解しない
  人間の教えを教えとして教え
  無意味に神を拝んでいる

8 彼らは人民を神秘な暗い権威によって惑わし
  支配の機構を栄化する
  民の中に不平等をつくり
  民の中にあらゆる毒物を撒き散らし
  卑しい人々をつくり、卑しい人々を辱しめる

9 このようにして彼らは高貴であり
  神の「近く」にいすわっている
  それゆえ、彼らは人民に重荷を背負わせて
  それを動かすのに自分では指一本貸そうとはしない
  彼らは見栄っ張りなので服装を美しく飾り立て
  宴会の上座、会堂の上席を好み
  広場であいさつされることや
  人々から「先生」と呼ばれることを好んでいる

10 祭司、律法学者、パリサイ人、サドカイ人
   彼らは天国を閉ざして人々を入らせない
   やもめたちを食い倒し
   せっかくの改宗者を食い滅ぼし
   貧しい人々の「大きな」献金を軽蔑する
   富に平伏し、供物のために司式する
   公平とあわれみと忠実を見逃し
   外側はきよめるが、内側は死人の骨や
   あらゆる不潔なものでいっぱいにしている

11 わが民よ、彼らの仲間になってはいけない
   あなたの足をとどめて、彼らの道に行ってはならない
   彼らの足は悪に走り、あなたを滅ぼすことに速いからだ
   すべて鳥の目の前で網を張るのは無駄である
   彼らは自分の血を伏してねらっている
   すべて利をむさぼる者の道はこのようなものである
   これはその持主のいのちを取り去るのだ






君に神さまの秘密をちょっぴり教えてあげよう
それは神さまがとんでもない大嘘つきだということ
「すべて」は時の上に築かれているけれど
時そのものが歴史という神芝居のための一つの道具にすぎないのだから

でも ぼくらにとっては時は足場だし
時のないときはないし 時の外には出られないし
「ある」というのは時の上にあるものだから
時は絶対者のように感じられる

ぼくたちはほんの二つ 時・空しか知らないけれど
神さまにとっては 時は無数の道具が入っている道具箱の中のつまらない一つの道具にすぎない
たぶん時・空とは違うほかの道具で創られた世界もたくさんあるのだろう
それらはぼくたちにとっては存在しないし、感じる感覚器官も 想像する映像も ことばもない

時・空は神さまにとってはペンチやハンマーの横にある巻尺や計りにすぎないけれど
ぼくたちはすっかりそれらの奴隷だ
からだも心も 愛も慈しみも みんな時間の関数だ
仕事も奉仕も 正義も勇気も すべて f (t) だ

でも 感覚が心になり、心がことばを得て精神となったとき
「時」ということばも生まれ そのことばを操ることで
ぼくたちは はじめて「時」なるものを越え始め
ことばの中で 永遠の愛や永久の慈しみに到達できるようになった

ことばと現実 完全性と誠実さ 
理性 感覚 連続 非連続 
このことと そのことに気づかないと
デカルトのように神さまにすっかり騙されてしまうよ




つぶれてしまう



一 この世で一番悲しいのはふた親のない子供
   そのつぎがかた親のない子供

  悲しい、悲しい
  そういう子供たちの姿を見ると、あふれ出る涙で両目がつぶれてしまう

  いまきみの目の前でやさしく笑っているお父さんとお母さんが
  もしずっと前に死んでしまっていたら、君はどう思う? 
  きみはそれがたまらなく怖くはないか? 寂しくはないか?

  いまきみの頭をシャンプーで洗ってくれたお父さんも、
  君が熱を出したときに心配でたまらず寝ずに手をとって看病してくれたお母さんも、
  もしとっくに死んでしまって、いなかったら、君はどう思う?
  きみはその寂しさと悲しみに耐えられるか?

二 この世で一番悲しいのは住む家のない人
   つぎに悲しいのは帰るふるさとのない人

  悲しい、悲しい
  そういう人たちの姿を見ると、押し寄せる寒さで心がつぶれてしまう

  私は寺裏の山すその茂みの中で
  二月の寒々とした空気と風に襲われてふるえている人を見た
  得体の知れない野草の煮汁の欠け鍋をうしろに残して、
  あたふたと茂みの中へ逃げ込んでこちらを窺っているその悲しい目を見た

  親もふるさと、家もふるさと、故郷(こきょう)もふるさと
  ふるさとのない人はたまらなく寂しい、言葉もないほど悲しい

三 この世で一番悲しいのは健やかな心を喪ったひと
   つぎに悲しいのは健全な身体(からだ)を失ったひと

  悲しい、悲しい
  そういうひとたちの姿を見ると、するどい痛みで私の心臓がつぶれてしまう
  
  回復できない傷を心に植え付け、癒すことの不可能な苦しみを身体に刻み込む神の計画とはなにか?
  これは神の底知れぬ試練なのか? 神の計り知れぬ愛なのか? それとも神の残酷な「たわむれ」なのか?

  ・・・・・・・・・・
  ・・・・・・・・・・

  私は客の姿がいつも見えない通りすがりの店を覗くたびに悲しみに包まれる
  朽ち果てた家屋の物干し竿にまだ住んでいる気配を見るたびにつらい気持ちになる




光の風船



君は知ってる? ひとは光で膨らむ無数の
色とりどりの心の風船を持って生まれてくるということを
心の岸辺から見渡すと、上にも下にも小さな小さな風船が
どこまでもぎっしり果てしなく続いている

君は知ってる? こどもの風船は小さいからすぐにいっぱいに膨れて
得もいわれぬ美しい光を放つということを、それが心の輝きだ
こどもは幼いほど色とりどりに楽しく
色さまざまな光に美しく包まれている

だけど風船は歳といっしょに寸法が大きくなって
いっぱいにまでなかなか膨らまないようになる
経験・知恵・知識の数ほど傷つき潰れて
その数も色も少なくなって、心の風景がさびしくなる

君は知ってる? ひとが大きくなり愛を求めていっしょになろうとするのは
さびしくなった心の風景に別の大きな光の群を点すことだということを
ふたりがひとりになった真新しい心の風船の群の中で
もう一度しあわせの光を探し求めるためだということを

君は知ってる? ひとが死ぬということは、光の風船がどれもこれも凋んで
みんな無くなってしまうからだということを
そのときひとが望むのは、もう一度あの数え切れない色さまざまな風船を真新しく手いっぱいに持って
色とりどりに光り輝きたいということです






顔ってなんだろう? 鏡のなかでぼくはいつもさ迷ってしまう
じっと見つめていると 眼と目のあいだの空間が揺れ
顔の対称性が歪んでゆく
あるべきものがあるべきところにあるのに そうあるべきでないように奇妙に見え
心が自分の顔から離れていく
この顔はぼくの顔なのか? これがぼくなのか?

ぼくはニョキニョキと生え出た十本の指のありさまを見るたびに 大きな違和感を感じる
ニョキニョキと生え出た十本の指のありさまが とても自分のものでないように思えてしまう
なにか本当はアポトーシスで指が別れる前の あの平たい肉のかたまりのように
なにか本来は指と指の間に水かきがあったかのように
これは母の胎内にいたときの追憶なのか?
それとも両生類だったときの遺伝子の記憶なのか?

顔の進化は口から始まった
なんといっても食べないと生き物はやっていけない
鼻は口に入るものの用心のために そこにあり
目は口に入るものを見つけ出すために そこにある
だけど恋人の顔を見つめるとき ぼくはいつも彼女の瞳の奥を覗き込む
顔は口から始まって 目で完成したのだろうか?

「visage」も「Gesicht」も眼と結びつく
「face」も「顔」も目と関係する
「オルグル」の「オル」は「魂」? 「グル」は「穴」?
すると「オルグル」は魂の出入りする穴の集まりのこと?
もしそうなら「オルグル」はもう眼とは結びつかず 目と関係しない
ともかく顔は口から始まり 目を通過して たぶん心で完成するのだ




意識



意識 意識 意識 意識 いくら繰り返しても、はっきりしてこない
意識 意識 意識 意識 いくら追い求めても、たどりつけない
意識ほど身近なものはないのに、おかしなことだ
意識ほどたしかな存在はないのに、奇妙なことだ

意識はモノとは違う それは間違いない
意識は脳でもニューロンでもない それも確実だ
でも意識は脳やニューロンの生み出すものではある
するとするとすると意識とは何なのだろう?

昔の誰かが意識は魂
神から注入されたものだと説教している
それでは脳やニューロンのある理由がわからない
意識は決して魂なんかではない

古(いにしえ)の誰かが意識はもっとも希薄なモノ
モノを無限に薄めていったモノだと書いている
それでは意識はモノと連続してしまう
意識は決してモノではない

意識はちょうど色のようなものかもしれない 色もモノとしての実体はない
目という構造が色を生み出すように、脳という構造が意識を生み出すのだろう
でも色は意識がなければ色にはならない
するとするとすると、とどのつまり意識とは何なのだろう?

意識ほど自分に近いものはない
その意識が何かがわからない
意識が意識を意識するのはむずかしい
意識が意識を意識すると意識に絡めとられて意識もろとも意識の底に落ち込んでしまう




いのち




幼いころ、ある日、祖母が庭で飼っていたニワトリの首に刃を当てて鋭い切り込みを入れ、
両足首を持って逆さにし、血を滴り落とす一部始終を目撃した

バタバタしていたニワトリは滴り落ちる血の量とともに力を失ってゆき、ついに動かなくなった
それは「いのち」がニワトリから離れた瞬間だった

祖母の行為は神が禁じたものを人間が破ることのように感じた
神のものを人間が勝手に奪うことのように感じた

それは決して為してはならないことを人間が為したというより、
人間に不可能なことを、あえて人間が行ったことのように思えた

わたしは心の容量を超える衝撃を受けた
その衝撃を表現する言葉を探そうとして、もう五十数年が過ぎた

あのとき幼いわたしは祖母に尋ねた
「ハンメ! ハンメ! ニワトリを殺していいの?」

祖母は振り返りもせずに明るい口調だった
「今夜はおいしいサムゲタンを食べさせてあげるからね」

「ハンメ! ハンメ! ハンメ! 生きてるものを殺していいの?」
祖母は少し振り返った。「みんな神様が食べなさいと、人間に下さったのだよ」

納得できないわたしはこのときの衝撃をどう言葉に表せるのか、そのときからいつも考えていた
それは今も続いている 




マモン



一 マモンを活性酸素で酸化させると「魔物」になる
   「魔物」の正体は一酸化マモンだ
   それは酸化鉄で真っ赤に染まったヘモグロビンの流れに乗ってからだの隅々にまで浸透し
   脳を支配して人間を「拝金主義者」という魔物に変える

二 ウー・デュナスセ・セオー・ドゥーレウエイン・カイ・マモーナー
   ( ノット・ユーキャン・ゴッド・サーヴ・アンド・マモン)
   このギリシア語の警句は正しい
   ルカとマタイにあるこの教えは真実だ

三 この魔物は立体型垂直自由主義者だ
   どれもこれも絶対的利己主義者のナルシストだ
   垂直方向に延びる直線は水平面と一点でしか交わらない
   だから魔物には多かれ少なかれ自分しか存在しない

四 たしかに水平面より立体空間の方が断然広い
   魔物たちは広々とした方が自由だと言い張っている
   だがその立体空間が立体であるのは満ち満ちた放恣や放縦で膨張しているためではないか
   そこでは血に飢えた魔物なる獣が上に下に「自由に」飛び跳ねている

五 魔物の自由はひたすら垂直を求める
   魔物の自由は人間世界をくまなく上下に分ける
   魔物なる獣は自分と縁者のためにしか生きない
   魔物なる獣は狼となって徒党をなし、羊の群れを無慈悲に襲う

六 自由が垂直を求めて放恣や放縦になるとき、人間の心は獣の心に変わり、人間は魔物になる
   自由の水平成分が人間性、垂直成分が獣性だ
   他者の心とからだを慈しみ、愛おしみ、どこまで彼らのために自分を犠牲にできるか
   これこそが人間と獣なる魔物とを分かつ唯一無二の指標なのだ




オムニバス



一 こどもは緑まぶしく雪を割って萌え出る新芽
   たった今どこまでも遠く投げ上げられた小石
   親のたとえようもない望み、人類の無限の未来
   神の託したこどものしごとは笑うこと、その笑いの輝きでまわりの暗闇をくまなく照らす
   こどもが泣き疲れて笑いを失うとき、親と人類に望みも未来もない

二 幸・福は快・楽とは違う
   快・楽は麻薬のようなもの、一過性の激しい肉と感覚の想い
   利己的で物に向かい、競争し・計量し・奪い合い・勝敗を決め
   ひたすら効率・効用・便利をめざす
   しかし便利は幸・福を増進させただろうか?

三 幸・福は他者のなかにある。だから自分の外に出なくては永遠に手に入らない
   幸・福は日々の糧食のようなもの、静かな音楽に似た心と精神の想い
   利他的で互いに思いやり、与え合い
   量より質、人工より自然、物より人を大事にする
   幸・福は競争・計量・勝敗・争奪・効率・効用・便利のなかには存在しない

四 切手・昆虫・コイン・玩具・骨董・盆栽・車・絵画などなどの本格的なコレクターがいる
   無邪気なようだが、本当は自分しか知らない独善家なのだ
   拝金主義者はむろん金銀宝玉をコレクトする、だから拝金主義者はコレクターだ
   コレクターの本質は所有欲に毒された利己的な崇物主義
   そこに人間の座はない

五 「健康で貧乏」が良いか、「病弱で巨万の富」が良いか
   こう問うてみれば、誰にも巨万の富より健康の方が良いのが分かる
   だから、もし健康でさえあれば、最貧でも最大の資産家より勝っているわけだ
   富はこのように健康に対してさえ劣る
   いわんや幸・福に対してをや

六 物が豊かであるだけでは人も文明もとうてい助からない
   物の豊かさに自足し自己完結して必ず他者の存在を見失う
   人が豊かさに滅ばないためには、決してそれを奢侈や驕慢にしてはならない
   物の豊かさの壁を突き抜けうる心の相互依存システムが無理にでも必要だ
   でなければ・・・てんから人類は豊かさを捨て去ることだ




祈り



すべてはあなたのシナリオどおりなのに
すべてはあなたの微分方程式のままなのに
あなたはあまたの自然係数の中に隠れて姿を見せようとしません
宇宙の自律性を押し立て、
無神論や唯物論まで隠れ蓑にしています

でも画像がどうして画家に到れましょう?
虚像がどのように実像に届きましょう?
一ミリ一秒なにもかもあなたが決めているのに
あの線もこの色もあなたの手が描いているものなのに
あたかも自然現象のように放置して目をかけてくれません

どうせすべてはあなたのシナリオなのですから
どうせなにもかもがあなたの方程式なのですから
どうかあちこちの自然係数を少し細工して
悩める人々、痛みの人々を全て救って下さい
そうすれば、わたしの叔母もいとこも助かります




モノになる、機械になる



人には進化の慣性がある
本性ともいうべき自然の速度がある
それより速いほど人はいのちのリズムを失い
それより早いほど人は人間の心を失う

人には宿命的な進化の自然定数がある
運命ともいうべき自然の環境がある
工業化するほど人は新鮮な空気を失い
人工化するほど人は生き生きとした生命を失う

大地から離れると人はモノになる
上に離れても、下に離れても、モノになる
上の階に住むほど人はモノになる
下の層に降りるほど人はモノになる

自然から遠ざかると人は機械になる
覆って遠ざかっても、壊して遠ざかっても、機械になる
覆いが厚いほど人は機械になる
破壊が深いほど人は機械になる




DNA



DNAは二重ラセン
自分自身を映し合う向き合った二つの鏡
自己を複製し、ひたすら増殖して
どこまでも自分から自分へと永遠に循環する

利己と利他の混在するDNAは放っておいても自分のために生きている
利他を呼び覚ましせめて心だけでも他人に開いていないと
人間はただのケモノになってしまう
他人に大きく開かれた心だけが、DNAの無限循環、その永劫回帰を乗り越えられる