誰がイエスを殺したのか?

by Futaro


☆聖書を読んでいると、時折、何故、どうして?と言った疑問にぶち当たります。
新約聖書の謎の一つに、イエスを殺したのは誰かという問題があります。
 クリスチャンなら誰でも知っている使徒信条には、ポンテオ、ピラトの元で苦しみを受け、十字架につけられて死に。
とありますので、ピラトは当時のイスラエルを管轄していたローマの総督ですから、ローマ帝国のよってイエスは十字架刑により殺されたと見るのが一般的です。
 私が神を信じクリスチャンになった直接のきっかけは、2000年前に十字架で死なれたイエスが、現在も生きておられるということを知ったからでした。
それ故、イエスがどのようないきさつで殺されたのかは、非常に興味のある事柄でした。
すでに、何万回も語りつくされたことですが、もう一度、個人的にこの箇所をおさらいしてみたいと思います。
4つの福音書によると、事実関係はこうなります。
1、木曜日(日没で日付が変わるユダヤ歴では金曜日)の夜、ゲツセマネの園でイエスの逮捕。大祭司の家で留置。
2、金曜日 早朝 ユダヤ最高議会(以下サンヘドリン)での尋問。イエスの口から「神の子」が語られたので、ピラトの元へ連れて行き、イエスを反逆罪で訴える。
3、しかし、ピラトはイエスに何の罪も見いだせず、イエスがガリラヤ人だとわかると、丁度祭りでエルサレムに来ていたガリラヤの領主ヘロデの所へイエスを送る。
4、ヘロデの質問にイエスは殆ど答えず、ヘロデは再びピラトの元へ彼を送る。
5、困ったピラトは、イエスを鞭で打った後、群衆の前に引き出して、バラバという罪人とイエスのどちらかを釈放しららよいかと群衆に聞くと、群衆は大声でバラバを、といった。
6、9時 この群衆の声に気おされて、結局、ピラトはイエスを十字架に掛けた。
7、午後12時から3時。 全地が暗くなり。イエスが息を引き取る。神殿の幕が真っ二つに裂ける。
8、夕方  サンヘドリンの議員の一人であるヨセフが、ピラトにイエスの体を引き取る許可を受けて、明日が安息日であったのであわただしく埋葬。

 こうして改めて書いてみると、イエスの逮捕から十字架までたった一日で終わっています。
これは、ユダヤの最高議会と、ローマ総督の元で行われた正式の裁判としては考えられないほど早い。
何故、このような異常な早さで刑が執行されたのでしょうか。
 まず、サンヘドリンがイエスをピラトに訴えたNO2にある、神の子、について考えてみたいと思います。
ルカの福音書22章70節にこうあります。
彼らはみなで言った。「では、あなたは神の子ですか。」すると、イエスは彼らに、「あなたがたの言うとおり、わたしはそれです」と言われた。 サンヘドリンはこれをもって、ピラトに訴えたのです。
 ユダヤの律法で「神の子」が死罪にあたるのかどうか、わたしはシナイ契約といわれるレビ記を一読してみましたが、そのような規則はありませんでした。
これに近い律法は、十戒に、みだりに神の名を唱えてはならない、というのがありますが、これを犯した者への罰は、神ご自身が下すとあるので、裁判の必要はありません。
サンヘドリンも流石にこれだけでは、ローマの法で裁くことがきないとみたのか、 「この人はわが国民を惑わし、カイザルに税金を納めることを禁じ、自分は王キリストだと言っていることがわかりました。」と罪状を変えています。
3節、するとピラトはイエスに、「あなたは、ユダヤ人の王ですか」と尋ねた。イエスは答えて、「そのとおりです」と言われた。

しかし、ピラトは4節に「この人には、なんの罪もみつからない。」と言います。
これは、イエスがエルサレムに入城した様子を彼らが見ていたとしたら、当然でしょう。
僅か十数人の弟子を連れて、ロバに乗って入城したイエスに、ローマを脅かす力がある筈がないのは、一目みればわかることです。
ヨハネの福音書19章には、ピラトの「私にはあなたを釈放する権威があり、また十字架に付ける権威があることを、知らないのですか」(10節)という問いにたいして、
「もしそれが上から与えらているのでなかったら、あなたにはわたしに対して何の権威もありません。ですから、わたしをあなたに渡した者に、もっと大きい罪があるのです。」(11節)
とイエスが答えています。それ故、ピラトはイエスを釈放しようと努力した、とあります。
  これはイエスの口から、誰に罪があるのか明確にされた箇所です。一見すると訴えたのはサンヘドリンですから、彼らに罪があるようです。
数年前にDVDで見た、「パッション」という映画では、ことさらこのことが強調されていました。それ故、反ユダヤ的だという批判も浴びたようです。
悲しいことですが、ユダヤ人迫害の理由の一つに、イエスキリストを殺したのはユダヤ人だという根強い意識があるようです。
しかし、聖書を読み進めると、NO9にある通り、民衆の強い民意がイエスを十字架に架けたとあります。
ルカの福音書にはこうあります。
23章20節、ピラトは、イエスを釈放しようと思って、彼らに、もう一度呼びかけた。
21節、しかし、彼らは叫び続けて、「十字架だ。十字架につけろ」と言った。
22節、しかしピラトは三度目に彼らにこう言った。「あの人がどんな悪いことをしたというのか。あの人には、死にあたる罪は、何も見つかりません。だから私は、懲らしめたうえで、釈放します。」
23節、ところが、彼らはあくまで主張し続け、十字架につけるように大声で要求した。そしてついにその声が勝った。
24節、ピラトは、彼らの要求どおりにすることを宣告した。
     この聖書の記述を読むと、イエスを十字架に架けたのは、当時の最高立法機関のサンヘドリンでもなく彼らを管轄するローマの行政機関でもなく、その場に居合わせた民衆の民意であったことがわかります。 
それ故、イエスを十字架に架けた罪は彼ら群衆にあると言えます。
それでは、当時、この裁判を傍聴していた民衆とは誰でしょう。
場所がイスラエルの首都エルサレムですから、民衆はその民であるユダヤ人であると、思うのは誰しも当然のことです。
それ故、この裁判を起こしたサンヘドリンと相まって、イエス殺害の首謀はユダヤ人であると、誰しも思うのは当然かと思います。
しかし、この結論を出すためならわざわざ新たなコメントを出す必要もないのですから、私の結論はその先を行ってみたいと思います。
それは、これらの福音書に続く使徒の働きに明確に記されています。
使徒の働き2章1節 五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。
2節、すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。
3節、また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。
4節、すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話だした。
5節、さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国から来て住んでいたが、
6節、この物音がおこると、おおぜいの人々が集まってきた。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、驚きあきれてしまった。
7節、彼らは驚き怪しんで言った。「どうでしょう。いま話しているこの人たちは、みなガリラヤの人ではありませんか。
8節、それなのに、私たちめいめいの国の国語で話すのを聞くとは、いったいどうしたことでしょう。
9節、私たちは、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人、またメソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、
10節、フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者たち、また滞在中のローマ人たちで、
11節、ユダヤ人もいれば改宗者もいる。またクレテ人とアラビア人なのに、あの人たちが、私たちのいろいろな国のことばで神の大きなみわざを語るのを聞こうとは。」
  ここで明確に語られていることは、エルサレムでイエスの裁判を傍聴していた民衆は決してユダヤ人だけではなかったということです。
ここに神の大いなる計画があったと私は思います。
この時のペテロの言葉が、すべてのことを明確に語ってくれています。
23節、あなたがたは、神の定めた計画と神の予知によって引き渡されたこの方を、不法な者の手によって十字架につけて殺しました。
24節、しかし神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなどありえないからです。
36節、ですから、イスラエルのすべての人々は、このことをはっきり知らなければなりません。すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」
37節、人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たちはどうすればよいのでしょうか」と言った。
38節、そこでペテロは彼に答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。
41節、そこで、彼の言葉を受け居れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。

この事実は、キリスト教がすべての民に受け入れられるためには極めて重要な箇所だと思います。
つまり、神の計画とは、神の独り子であるイエスの死は、当時の全世界の民の罪の贖いである。何故なら御子を十字架に掛けたのは彼らの民意だったから。
 ペンテコステでの聖霊の働きは各自に異言を語らせ、そのことを証しするためでした。
それによって初めて、イエスは我々の罪のために十字架で死なれた、という聖書の言葉の成就がなされるためでした。
イエスが過越しの祭りの直前に死なれたことも、エルサレムが地理的に当時の世界の中心であったことも、全てが神の御計画に含まれたことだと私は思います。
また、裁判がたった一日で終了したのも、この日(金病日)を外したら三日後にあたる日曜日(週の初めの日)にイエスの復活はなかったわけです。
今日、日曜日が主の日となって全ての教会が主日礼拝を行っていますが、この針の穴に糸を通すような細かな日程を組まれた神の御業に感謝せずにはいられません。
最後に、イエスがエルサレムにのぼられた時のことを記した聖書の御言葉で終わりたいと思います。
マタイの福音書23章37節、ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者。わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。
38節、見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される。
39節、あなたがたに告げます。「祝福あれ。主の御名によって来られる方に」とあなたがたが言うときまで、あなたがたは今後決してわたしをみることはありません。

これ言葉はイエスの言葉というより、彼を遣わした、神の言葉とみるほうが理解できます。
特に37節には、エルサレムの神との長い歴史が感じられます。そして、とうとう、神の独り子をこの都に遣わしたのに、彼らはその子を石で打った、もう私はこのエルサレムを守ることはしない、そう神が嘆いているように私には感じられます。
事実、エルサレムはこの後西暦70年にローマ軍によって徹底的に破壊され、ユダヤ人は世界に散らされます。
39節は、イエスの再臨の兆しを示す言葉として、私は注目しています。
2016年1月12日 ☆

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