1970年 |
御殿場市立御殿場中学校吹奏楽部入部。メーカー名不明の銀メッキのアルトサクソフォンを与えられる。課題曲:ヘンデル作曲オラトリオ「サムソン」序曲、自由曲:ヴェニスの休日。翌年は斉藤高順作曲行進曲「輝く銀嶺」、A・リード作曲「サスカッチアンの山」、翌々年岩井直溥作曲シンコペーテッド・マーチ「明日に向かって」「海の肖像」。吹奏楽に対する不満を感じていた。 |
1972年 |
引退させられた秋頃に教育テレビにて、野田燎氏の番組があり、組曲「アルルの女」を目当てに見ていたところ、イベール作曲「アルトサクソフォンと11の楽器のための室内小協奏曲」が放送され、度肝を抜かれるとともに、目標をここに設定した。吹奏楽にはなかったサクソフォンの役割に感銘。野田燎氏の名前はそのまま25年後に長男に頂いた。
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1979年 |
ヤマハ製プロフェッショナルモデルYAS-62購入。 |
1980年 |
ヤマハ音楽教室(神田)でクラリネット奏者の泰中司郎氏にサクソフォンの基礎を師事。 |
1982年 |
ドイツ連邦共和国エッシュヴァイラー市クリスマスマーケットにてビッグバンド活動。
Selmer社製ソプラノサクソフォンSuperAction80をセルマー社デュッセルドルフ支店で購入。
キャトル・ロゾー・サクソフォン四重奏団、武藤賢一郎氏らの演奏に感銘を受ける。 |
1986年 |
パリ、ローマ通り、ヴァンサン=ジュノーにて特別注文のビュッフェ・クランポン社製ソプラノサクソフォンプレスティージュ購入。ダニエル・デファイエ氏の鑑定書き(右:Daniel Deffayet a essaye ce jour mardi 11 Fevrier 1986 le saxophone soprano Buffet Crampon Prestige No 37018. 【ダニエル・デファイエが1986年2月11日火曜日にこのビュッフェ・クランポン社製ソプラノサクソフォンプレスティージュを試奏した。】署名)とマウスピースの選定をして頂く。「自分の用いている楽器に劣らない」というお言葉を頂いた。
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日本サクソフォーン協会入会。
多重録音によるサクソフォン四重奏を行なうために、ビュッフェ・クランポン社製バリトンサクソフォンプレスティージュ購入。
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1988年 |
サクソフォン奏者松沢増保氏に師事し、ミュールの教則本をさらう。ヤマハ製カスタムYAS-875購入。松沢増保氏主宰「東京サクソフォン倶楽部」に入り、ソプラニーノ、ソプラノ、アルト、テノール、バリトン、バスのサクソフォンによるアンサンブル活動をし、バリトン、バスを担当する。またオペラもの、ヨハン・シュトラウスものの編曲を手がけ、「東京サクソフォン倶楽部」のレパートリーにする。 |
1991年 |
日本ヨハン・シュトラウス協会、日本オペレッタ協会のプロ・アマの楽器の名手に集まっていただき、ヴァイオリン4、ヴィオラ1、チェロ1、コントラバス1、フルート1、オーボエ/サクソフォン1、トロンボーン1、ピアノ1、パーカッション1を最大規模として「レハール・カールマン・サロンオーケストラ」を結成し、ビッグバンド登場以前にヨーロッパでもてはやされたサロン音楽を楽しむ場を作った。 |
1994年2月20日 |
カザルスホール主催アマチュア室内楽フェスティヴァルに「レハール・カールマン・サロンオーケストラ」を率いて出演。「チャルダーシュの女王」ポプリ(花のポプリのように様々なメロディーをちりばめてメドレーにしたもの)をひっさげ、堂々のデビューを果たした。この催し物はアマチュア音楽家にとっては夢のステージ。このフェスティヴァルのこれまでのイメージと異なる大人の雰囲気を持ったグループとして、聴衆の中にはっきりと好き/嫌いが出た演奏だった。以下は審査員の評。
- 今井信子さん(ヴィオラ奏者)からは、「リバイバルの懐かしい音のするグループ。クラシックの白黒の映画を見ているようでなかなかセンチメンタルな気分になりました。堂にいったワルツのリズムもさすがですね。これ程雰囲気を持っているグループは世の中でも少ないと思います。音楽のために生きている素晴らしい方達です。」という嬉しい評をもらった。
- 三上明子さん(フルート奏者)からも「ユニークなグループ。やりたいと思っている目標(イメージ)がハッキリしているので、技がついてこない局面でも、不思議と聞けてしまうところがあります。面白い面々なのでしょう。」と、
- 更に音楽評論家の長谷川武久さんからは「たいへん雰囲気のある演奏で、聴き惚れました。おいしいワインをのみたくもなります。ホイリゲでよっぱらってジプシーのヴァイオリンを借りて、め一杯ヴィブラートをかけて引いた日を思いだします。」との感想を承っています。
いずれも私達にとっては「我が意を得たり」と誇らしく思える賛辞でありました。
この時私はソプラノサクソフォン担当でした(ハンガリーの楽器タロガトーに似せた独特の音色に三上明子さんからステージ後お褒めのことば?をいただく)。
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1996年10月14日 |
北区滝野川会館にて家内のピアノ伴奏でソロ演奏。このページに流れるコンベル作曲「マルブロー変奏曲」などを演奏した。 |
1996年12月1日 |
上野浅草フィルハーモニーの定期演奏会にて組曲「展覧会の絵」の第2曲「古い城」のアルトサクソフォンソロパートを担当した。 |
1998年11月15日 |
上野浅草フィルハーモニーの定期演奏会にて劇付随音楽「アルルの女」のアルトサクソフォンパートを担当した。 |