この似顔絵はかでる工房の作品です


◆プロフィ-ル



出身は高知県。いまや全国区となった「四万十川」(しまんとがわ)の中流地域が私の生まれ育ったふるさとです。清流にしか住まないという鮎は、私にとって身近な存在であり、浅瀬に潜り川の流れに沿って下りながら、流れに逆らって川下から勢いよく上ってくる鮎に、竹棹の先端に取り付けた釣り針を突き刺し捕獲する漁法は、すでに小学生の段階で身につけていました。

中学・高校は、高知市内の私立学校で過ごし、大学は、中央大学法学部。ここで講義を受けた民法学の泰斗
(たいと)「沼正也」教授の民法理論のとりこになりました。財産法は財産に関する法、親族法は親族に関する法とする今も健在の俗物民法学を否定して、A対非Aの厳格な二区分法を民法学の出発点におく沼理論は、私にとって生涯の知的財産となり、今も私の中で深化し続けています。

警視庁中野警察学校に入校、21年間の警察官人生のスタ-トをきりました。
この組織で多くのことを学び、その学んだことは自己の人間形成に大きく影響していったと思います。権力機関に身を置くことにより、その権力そのものに埋没するのではなく、やがて、権力行使の濫用危惧を正視する方向に思考が及んでいきました。

警視庁を退職後、妻の郷里である千葉県に移住し第二の人生のスタ-トをきり現在に至っています。




◆気に入っている言葉

●朝日新聞の『声』欄に載っていた、名もなき人の投稿文中のこの一節です。
   
「何もかも受け入れよう。きっとすべてが意味のあること。次に待ちうける 世界の扉が開いただけだ。毎日を一生懸命、大切に。そして、謙虚さと 柔軟さを忘れずに生きよう。どんな人生を過ごしたかより、どう生きたかだ」

テレビCMで流れていたこの一言もいいですね。

 心は見えないけれど、心づかいは見える

娘の大学卒業にあたって、私が娘に贈った言葉です。
  日々の生活において「自己との対話」を積み重ねてきたか  どうかによって、人間としての質的差は厳然と存在する。  



◆読書本の中から。キラリと光る文章に出合って…。


「死をいまわしいものとして避けたり、拒否反応を示す人は多く、ふだんから死をできるだけ遠ざけておくことが生を楽しいものにする。そんな誤解が少なくありません。たとえば現在の医学は治療医学、延命医学中心ですが、延命医学というのはいわば、死は敗北であることを前提にした考えです。だから、その敗北をできるだけ先に延ばそうとし、そのためには過剰な治療も行っています。
しかし、死はだれにも必ず訪れる不可避の事柄です。万人に等しくやってくるものを敗北と決めつけていいのでしょうか。人間は、みんな最後に負けながら生を閉じるのでしょうか。そんなことはないはずです。だれにも必ずやってくるものだからこそ、できればそれから目をそらさず、心の準備もして、ハッピ-エンドの健康な死を迎えたい…」(「生命の暗号A」153頁・村上和雄著・サンマ-ク出版)


●「ながいあいだ人間の生命を肉体面だけで考えてきた医者は、もう治せない末期癌患者に対しては医者としてではなく一人の人間として向き合わねばならぬのだ。この時の多くの医師は、医学が科学だとかたくなに信じてきたゆえに、どうすることもできず、狼狽せざるを得ないのである。だが、今こそ医学は科学だけではなく人間学と知らねばならぬ。」(遠藤周作著・「生き上手死に上手」より抜粋)


●「顔というものは創るものだという言葉があるが本当である。創るというのは人間の顔は年とれば年とるほど、その人の人生、勉強、生き方がハッキリ出てくるという意味であろう。ハッキリ出てくるから、顔というのは怖ろしい。」(遠藤周作著・「まず微笑」より抜粋)



                     
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