「水戸黄門」と「刑事コロンボ」。共通のキーワードは?
「水戸黄門」。この国民的人気テレビ番組み。毎度悪代官あたりがでてきて悪行の限りをつくし、最後に黄門さんが懲らしめる。この一定の単純パタ-ンで長寿番組として生きつづけているわけです。
最後には必ず悪者が制裁を受ける勧善懲悪の世界。これが分かっているから安心して見ることができるのでしょう。
極め付きは、「この印籠が眼にはいらぬか。ここにおわすをどなたと心得る。おそれ多くも先の副将軍水戸光圀公にあらせますぞ」。越後ちりめん問屋のご隠居。じつはとんでもないじいさんだった。
このシ-ンを見たいがために最後まで番組とお付き合いをする。理屈のいらない一つの爽快感を味わうことのできる世界、これが水戸黄門なのです。
一方において、「刑事コロンボ」。この番組も一定のパタ-ンがありますね。毎度その業界の著名人が犯人役で、最初から殺人の犯行状況を見せていき、その後にコロンボが登場する。
よれよれの服を着た背の低い一見うだつのあがらないその刑事を見たとき犯人は安心するんですね。「この刑事だったら大丈夫だと」。
だから最初のうちは犯人はとても協力的でいろいろと質問に答えるんですね。ところが…、次から次へとつづくコロンボの鋭い質問に犯人はたじたじとなり、この刑事が「とてつもない切れ者であること」に途中から気が付くんですね。そのときはすでに遅しというわけです。このコロンボの人物設定はとてもよくできていると思います。
さあそれでは、水戸黄門とコロンボ。両者共通のキ-ワ-ドはなんでしょうか。それは「どんでん返し」です。意外性といってもいいでしょう。
人は見かけによらないもの。人を外見だけで判断していると思わぬ落とし穴があります。
相手を見下して見ていたはずなのに、実のところはじっくりとそのおろかな底の浅い自分自身を見られていた、というわけです。