信号機のない見通しの悪い交差点を進行する運転者の徐行義務についての最高裁の見解
昭和46年に道路交通法が改正されましたが、その改正前の道路交通法42条は、次のように規定されていました。「車両等は、交通整理の行われていない交差点で左右の見通しのきかないもの…においては、徐行しなければならない。」
その一方で道交法36条が、相手方進行の交差道路が@優先道路のときA幅員が明らかに広い道路であるときには、その交差道路を通行する車両等の進行を妨害してはならない。と規定していたために、優先道路進行車両および幅員の明らかに広い道路を進行している車両等には徐行義務がないのではないかという問題が未解決のまま残されていたんですね。
この問題に決着をつけたのが、昭和43年7月16日の最高裁判決でした。
最高裁は、次のように判示し、優先道路通行車両と広路通行車両の徐行義務を否定する見解を示したのです。
「車両等が道路交通法42条にいう『交通整理の行われていない交差点で左右の見とおしのきかないもの』に進入しようとする場合において、その進路が同法36条により優先道路の指定を受けているとき、またはその幅員が明らかに広いため、同条により優先通行権の認められているときには、直ちに停止することができるような速度(同法2条20号参照)(筆者注:徐行のこと)にまで減速する義務があるとは解されない。」
ところが、昭和46年の道交法改正によって、道交法42条1号は、「左右の見とおしがきかない交差点に入ろうと…するとき(当該交差点において交通整理が行われている場合及び優先道路を通行している場合を除く。)」には、徐行しなければならないものと改められ、優先道路通行車両については明文で徐行義務が免除されたわけです。
そして、優先道路は、同法36条の改正により、道路標識によって指定された道路のみでなく、交差点において中央線又は車両通行帯が設けられた道路も含まれることになり、その範囲が広がったのです(「ジュリスト」NO.916 94頁)。
つまり、この法改正によって、左右の見通しがきかない交差道路を通行する車両であっても、優先道路を通行する場合には徐行義務がないことになったが、広路を通行するに場合には、あえて明文の規定を置かなかったのだから徐行義務は免除されないという条文の反対解釈や、「幅員が明らかに広い」か否かの判断は必ずしも客観的に明らかとは言えず、運転者の主観的判断に委ねられる危険がある等を根拠とする徐行義務肯定説が多数説となっていったわけです。
事実、昭和52年2月7日最高裁決定は、下級審のなした原判断は昭和43年7月16日の最高裁判決に反するという判例違反主張上告につき、この最高裁の判決は昭和46年の法改正前の道交法36条・42条にもとづいて示した解釈だとしてその主張を斥けているわけです。
この論争に決着をつけたのが、昭和63年4月28日の最高裁決定です。最高裁の述べた決定要旨は次のようなものでした。
「車両等が道路交通法42条1号にいう『左右の見とおしがきかない交差点」に入ろうとする場合には、右車両等の進行している道路がそれと交差する道路に比して幅員が明らかに広い場合であっても、徐行義務は免除されない。」
これが現時点における最高裁の見解ということになります。
左右の見とおしがきかない交差点に進入する場合には、優先道路を進行中でないかぎり、どんな道路でも減速して徐行(おおむね、時速10キロ程度の速度)しなければならない義務があるということです。.
優先道路でない限り、左右の見とおしがきかない交差点では、そのつど10キロぐらいに減速して通過しなければならない。そんなバカな…。それを非現実的なものとしてとらえる感覚を持っている人。それがごく普通の正常なあたりまえの人間なんです。
こんな判断をした最高裁の裁判官は、おそらく自らが車を運転したことのない人間ではないのかな。優先道路でない限りいちいち徐行しなければならないとしたら、他の車の迷惑はこの上ないことになり、そもそも交通の流れ自体が阻害されることになることは目に見えています。
現場における実際の交通の流れを無視した一律的な規制。それがいかに現実の実態と矛盾したものであるのか。条文の文言だけで解釈すると、こういうことになるんですね。
法の条文は、通常の人間ならば守ることが出来るという前提があってこそ、はじめて規範性をもった社会共同生活のル-ルとして広く通用するんですから。
そもそも、昭和63年の最高裁決定の審理の対象となった事案は、次のようなものでした。
被告人の進行道路は、片側に1.5メ-トルの歩道のついた車道有効幅員約5.5メ-トルの幹線の県道。一方被害者の進行道路は、歩車道の区別のない幅員約4.15メ-トルの農道を改良したような間道(わきみち)。
このような状況下で、被告人が普通貨物自動車を時速約50キロで交差点内に進入したところ、交差道路の右方から進入してきた被害者運転のバイクと出会い頭に衝突し被害者が負傷。
この事故現場から容易に推測されるのは、被告側の幹線道路を走る車両は被告車両と同様になんらの徐行もすることなく事故交差点内に進入通過するのが常態であるということです。
そして逆に被害者側の進行道路であるわき道から幹線道路に進入しようとする車両は、出会い頭衝突事故防止のため一時停止ないしは徐行しながら進入せざるを得ないのが常態であるということです。
このような交通の流れの実態を一切考慮することなく、左右の見通しのきかない交差点内に進入する車両等に一律に徐行義務を課す最高裁の見解は、現実にそぐわないまさしく運転をしたことのない者の考えと言わざるをえないわけですね。
実際に市街地を走ったことのある運転者なら誰でもわかるとおり、見通しのきかない交差点はいたるところに存在し優先道路でない限りいちいち減速して徐行しなければならないとしたら、スム-ズな運転は不可能ということになるはずです。なによりも、交通の円滑な流れを阻害する大きな原因となることは明らかですね。
通常の感覚を持った運転者が守れない法の規定。それはやっぱりおかしいんです。
道路交通法42条1号を文言どうりに理解することは、まさしく、一般的ドライバ-が守れない規定ということになるわけです。
下級裁判所の裁判官の中には、常識的感覚をもっている人もおり、次のような判断を下す判例も存在しています。
@千葉地裁判決・昭和60・2・21
法改正によって広路通行車両の徐行義務は免除されないことになったものと解されるが、残された問題として、右改正の趣旨が現実に生かされて中央線の標示等による優先道路の指定が適切に行われているかどうか、そのこととの関連で、右改正によって前記最三小判昭和43・7・16等の解釈が全面的に改められたと考えてよいかどうか、例外を考えなくてよいかどうかの個々的検討を要する場合が残る旨の判断を示したうえ、当該交差点の具体的事情の検討を行い、優先道路の指定をすべき客観的道路事情があったのに手続上の手落ちで指定がなかっただけである等の特別の事情は認められず、被告人車両の徐行義務を免除すべき必要性は認められない旨判示している。
A横浜地裁判決・昭和61・9・9
広路通行車両には基本的に徐行義務があるとしながらも、例外的に、その明らかな広路が交差点で実質的に徐行義務を免除すべき必要性のある広路ではないかどうかということにつき、個々的に当該交差点の道路事情、交通条件等を検討する必要があるとしたうえ、当該被告人車両には徐行義務がない旨判示している。(@・Aいずれも「ジュリスト」NO.916・95頁から引用)
現時点の最高裁の見解のように、優先道路でないかぎり、左右の見とおしの悪い交差点通過の際には例外を認めることなく一律に徐行義務を課す考え方は、個々の具体的交差点の道路事情・交通条件等をまったく無視した不当なものであって実情に合わない判断だといえると思います。
いま日本の道路事情において一番問題となる規制形態。それは、交差道路の一方に一時停止の規制をかけながら、他方側の道路を優先道路としていない交差点です。一言で言えば、優劣関係を曖昧なままにした「曖昧交差点」の問題です。
この点については、西原春夫教授も次のように指摘しています。
「ヨ-ロッパ諸国にすでに先例があるように、一方における一時停止の標識は、元来他方における優先の標識とセットになるべきであり、他方に優先通行権を与えたくなければ一方に一時停止の標識など設けないほうがよい。その場合には、先入車優先、あるいは左方優先の原理に委ねておけばよいのである。」(成文堂刊「交通事故と信頼の原則」・西原春夫著260頁)
(平成17・3・15)
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