花子
この両者の違い。頭の中ではなんとなく分かっているつもりなのですが、いざ人に説明する段階になると妙に混乱してきてうまく説明ができない。そんなもどかしさを感じるんです。いい機会ですから、この両者の違いをはっきりと理解して、スッキリとしたい気持ちです。太郎さん、よろしくお願いします。
太郎
そうですね。それではまず、基本的なところから入っていきましょう。
よく交通事故を起こした場合、刑事上の責任と民事上の責任を同時に追及されることになるといわれますが、そもそも両者の責任は何のために追及されるのでしょうか。なにか目的があるから追及されるんですよね。
花子
はい。刑事上の責任が追及されるのは、国家刑罰権を行使するためであり、民事上の責任が追及されるのは、発生した財産的損害を誰が負担すべきかを決めるためです。
太郎
そのとおりですね。明快な答えで、すごく理解しやすいと思います。
いま花子さんが言った民事上の責任は発生した財産的損害を誰が負担するか、つまり負担者を決めるために追及されるのだということが理解できたと思いすが、民法は、709条の規定を設けて、事故によって発生した損害を負担すべき者は、不法行為を行った者と限定したわけです。
そして、不法行為は過失によって行われるのが通常ですから、過失行為によって他人の権利を侵害して損害を発生させた者は、その損害を負担(賠償)しなければならないものとしたわけです。
通常、発生した損害にかかわった者は、それぞれの過失行為によってなされる場合が多いことから、発生した損害を負担する割合は、それぞれの過失責任の重さに応じて分担して責任を負えばよいということにしたわけです。つまり、公平な責任分担というわけです。
花子
だから、それぞれが損害を負担すべき責任分担の割合という意味で「過失責任割合」という考えが出てきたんですね。
太郎
そうですね。発生した損害の公平な分担という考え方からすると、被害者にも過失責任がある場合、発生した損害の賠償のすべてを加害者だけに押し付けるのは公平感を欠き不都合ということになりますから、この理を受けて民法722条2項は、「被害者に過失があったときは、裁判所は、これを考慮して、損害賠償の額を定めることができる。」との規定を設けたわけです。
この規定が、いわゆる「過失相殺」(かしつそうさい)といわれるもので、保険会社発行の資料は、過失相殺について平易な言葉で次のように説明しています。
「過失相殺とは、@損害賠償の公平な分担の観点にもとづきA加害者の損害賠償額から被害者の過失割合分を減額して賠償することを言います。」
花子
この定義からすると、加害者が被害者に対して賠償すべき額から減額される被害者の過失責任割合分が「過失相殺率」ということになるかと思われますが、そうすると、「過失割合」と同じ?ということに…?また、頭が混乱してきました…。
太郎
すっきりと理解するためには、頭の整理が必要です。
花子さんはおそらく、加害者・被害者の区別自体が頭の中で明確に整理されていないのではないでしょうか。
賠償の世界では、当事者一方の過失責任が0になっていない限り、双方が加害者であり、被害者でもあるということです。このことを説明した書物はあまり見かけませんが、この理解が意外と重要なんです。
たとえば、AとBとの過失割合が10対90だったとすると、Aは、Bに発生した損害の10%を損害賠償しなければならない加害者としての立場と、A自身に発生した損害の90%をBから賠償してもらえる被害者としての立場という2つの地位に同時に立っているということです。Bもまた同様に、Aに発生した損害の90%を賠償しなければならない加害者としての立場と、B自身に発生した損害の10%を賠償してもらうことのできる被害者としての立場という相反する二つの立場の当事者であるということなのです。
このことをよく理解したうえで、過失割合何対何ということを考えれば、あまり混乱することもなくスッキリと理解できるのではないでしょうか。
花子
なるほど。なにも難しく考えることはなく、「過失割合」と「過失相殺率」とは、ともに、発生した損害に対する両者の負担割合(負担率)を示したものと理解しておけばいいということですね。
でも、素朴な疑問が依然として残ります。両者が同じ意味内容であるというならば、なぜ、別々の用語を使ったのでしょうか?使う以上、何らかの理由があると考えるのが自然です。
太郎
これはある意味重要な疑問です。
花子さんのこの素朴な疑問に明確に答えることのできないことが、過失割合と過失相殺率との区別について頭の中で混乱している最大の要因ではないかと考えられるからです。
話があまり煩雑にならないよう、今まで言ってきたことを少し整理しておくことにしましょう。
事故が起きた場合、その事故によって発生した損害を誰に負担さすべきかということを考える際には、まず、誰の不注意(過失)によって引き起こされたものなのかということが問題となるはずです(過失責任存在の有無)。
そして、双方の不注意によって引き起こされたものであることが判明すれば、つぎに、各々にどの程度の不注意責任を問えばよいのか、ということが問題となるはずです(過失による関与責任の比率・度合い)。この各々の過失関与責任の比率・度合いを数値で表したものが「過失割合」と理解していいでしょう。
損害賠償の世界では、発生した損害をその発生に関与した者達が公平に分担して賠償しなければならないという大原則がありますから、自らが被った損害を他人に賠償してもらうにあたり、その損害発生に関与した自らの過失責任分まで相手に請求できないというのは当然の理となり、自らの過失責任分は差っ引いて賠償してもらうということになります。
このように、損害賠償義務を負った者が損害賠償をする際、賠償相手方の過失責任分は差っ引くことが出来るということを「過失相殺」と言っているわけで、どのくらい差っ引くことができるかということを数値で表したものを「過失相殺率(過失相殺割合)」と呼んでいるわけです。
花子
すごく分かりやすい説明で、ここまではよく理解できました。
「過失割合」は、損害発生に関与した各当事者の過失責任の重さを数値で表したものであるのに対して、「過失相殺率」とは、賠償額から差っ引くことのできる被害者の過失責任分を数値で表したものと理解しておけばいいわけですね。
太郎
大ざっぱにはそう理解しておいて間違いないところですが、両者の違いを厳格に理解するためには、もう一つ重要な理解のハ-ドルを超える必要があるんです。そのことを、これから説明することにしましょう。
「過失割合」という表現を用いるときの「過失」とは、民法709条の不法行為発生発生要件としての「過失」のことですから、行為者の不法行為能力を前提とした「過失」であることは明白です。ですから、不法行為能力すなわち適法行為を選択する能力(=過失のない行為を選択する能力=責任能力)をもたない者については、そもそも「過失」行為自体を為すことができないのですから、過失割合何対何という表現自体が成立しないはずです。
これに対して、民法722条2項の規定する「過失」は、過失相殺としての「過失」であり、現在の通説判例は709条の「過失」と異なる概念だと理解していますね。つまり、ここにいう過失とは、行為者の「事故関与責任」といった程度に理解されていますから、不法行為をなしえないすなわち責任能力はなくても、損害の発生をさけるのに必要な注意をして行動する能力(事理弁識能力)が認められれば過失責任が肯定され過失相殺の対象となる過失の存在が認定されるとして、下級審判例の中には3歳児にも事理弁識能力を認め、過失相殺を肯定したものも見受けられます。
花子
不法行為としての「過失」と過失相殺としての「過失」は同じ民法の条文規定にもかかわらず、異なった意味内容を持つということを理解することが、過失割合と過失相殺の区別を明確に理解する上において不可欠のものだったのですね。
太郎さんの説明を聞き、感動的に理解することができました。
太郎
以上のことを理解して他の書物に書かれている過失割合・過失相殺に関する部分を読んでみれば、あまり抵抗なく頭に入っていくはずです。
●「過失相殺(かしつそうさい)とは、事故の発生につき被害者にも過失があるとき、その分だけ賠償金を減額することですが、…過失相殺の認定基準(過失割合の認定基準)をどうするかということは、たいへんむずかしい問題です。」(「交通事故と示談の仕方」改訂版186頁 弁護士 長戸路政行著・自由国民社刊)
→この書物は、過失相殺と過失割合を同一の意味内容で用いていることが分かる。
●「過失割合をどのよううに認定するかは非常にむずかしく、同じような事故であっても具体的事案を分析すると微妙に事実関係が異なり、過失相殺率が異なってきます。また、この割合をどのように認定するかは裁判官の自由裁量にまかされているといわれますが、同じような事故で、過失相殺の割合があまりに違うのは、裁判の安定性に疑問が生ずることになります。しかし、現在では平成3年に改定された東京地裁の裁判官の作成した基準(別冊判例タイムズ「民事交通訴訟における過失相殺等の認定基準」)をはじめ日弁連の基準やその他の基準も発表されており、裁判でもこれらの基準が一つの目安となっているため、裁判官によって極端に過失割合が異なるということはありません。」(「自動車保険会社との示談」改訂版210頁 弁護士 福嶋弘榮著・自由国民社刊)
→「過失割合」「過失相殺率」「過失相殺の割合」といった用語が無造作に渾然一体となって出てきており、これでは読者は戸惑うばかりである。
●「被害者に過失があることが認められ過失相殺がなされる場合、被害者の過失の割合をどの程度に認めて賠償額をどの程度減額するかは、法の規定上は裁判官の裁量に委ねられています。しかし、そうかといって、各裁判官ごとの判断がてんでんばらばらというのでは、同じようなケ-スなのに減額の割合が大幅に違う結果が生じるなどの不都合が生じかねません。そこで、自動車交通事故の過失割合の認定について、各類型ごとに一定の認定基準表が作成され、昭和44年に東京地方裁判所の民事交通部の裁判官らによって発表されました。日弁連でも、この発表をふまえてさらに研究を重ね、過失割合の認定基準表を(財)日弁連交通事故相談センタ-から発表しています。」(「交通事故を有利に解決する知恵」88頁・南青山総合法律事務所編・日本実業出版社刊)
●「車と車の事故の場合、双方が被害を受けることがあります。事故の原因は双方の不注意にあるとすると、被害者は同時に加害者ということになります。このような場合、損害賠償は、お互いの過失割合により、相手からもらうべき額と相手に支払うべき額とを計算し差額を清算することになります。」(「交通事故 被害者の損害賠償」155頁・第二東京弁護士会清友会編著・新星出版社刊)
太郎
以上、今まで説明してきたことをまとめるとするならば、次のように表現できると思います。
過失割合が認定されれば、同時に過失相殺率も認定されたものと理解して間違いないが、過失相殺率が認定されたからといって、必ずしも、同時に過失割合が認定されたことにはならず、行為者の一方に不法行為過失責任がなく、したがって過失割合が存在しない場合であっても、過失相殺率は理論上存在しうることになる。
花子
たとえば、5歳の子供が自転車に乗って道路を走行中、車と接触して人身事故になったというような場合、5歳の子供には責任能力がないため、不法行為としての過失責任を考える余地はなく、したがって事故当事者双方の「過失責任割合」というものは存在しませんが、5歳児には、事理弁識能力の存在が判例の流れからみて肯定される可能性が高いことから、車の運転手は、子供に与えた損害のうち、子供の過失分を差し引いて賠償すればよいという意味での「過失相殺率」は厳として存在すると理解しておくべきなんですね。
だから、両者は明確に区別して理解しておかなければいけないということになるんですね。
太郎さん。本日はありがとうございました。 (2009.8.30)