「認識なき過失」と「認識ある過失」の過失責任の違い




この問題についても、本格的に取り組んだ文献の存在は、私の知る限り皆無ですね。
最近、ふと思った疑問。そもそも、交通事故と過失とに関する諸問題等に対して真正面から本格的に取り組んだ文献の少なさ、その原因はどこにあるのか、ということです。

本来は、保険会社の損害査定部門を専門的に長年取り扱ってきた実務担当者あたりが、定年退職後に、これまでの実務経験を踏まえて総決算のつもりで事故と過失に関してのさまざまな問題について研究論文を発表をする。なにも、研究論文は学者の専売特許ではありませんからね。そんな人が一人くらいでてきてもよさそうなものですが、あまり聞いたことがない。

あえて、誤解を恐れずにいうならば、事故と過失との問題について法律を基礎においた論理的思考で実務をやってこなかったからではないのか、そんな気がしてなりません。

さて、それはさておき、国家刑罰権の対象となる犯罪においては、刑法38条1項が「罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない」と規定、刑罰が科せられるのは「故意犯」が原則であり「過失犯」は例外的に罰せられることになっていますから、犯罪となるべき行為が、故意でなされたのか過失でなされたのかを区別することはきわめて重要になってくるわけです。

それでは、民事責任としての損害賠償義務が発生する不法行為においてはどうでしょうか。
民法709条は、つぎのように規定しています。「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う」。


この規定から分かるとおり、故意・過失いずれかの行為によって権利・利益を侵害し損害を発生させたときに損害賠償義務が発生する、としていますから、賠償義務が発生するか否かといういう点、つまり不法行為が成立するかどうかという点においては、故意行為・過失行為のいずれの行為によってなされても差異はなく同じであり、両者を区別する必要性は基本的にはないということになります。

また、不法行為による損害賠償は、損害を受けた側に立証責任があることを考えたとき、故意行為によって損害を受けたということを立証するよりも、過失行為によって損害を受けたということを立証するほうがはるかに容易であるということです。

どういうことかというと、「故意」というのは、一般的には、「自己の行為により、『権利侵害』の結果が発生することを認識し、かつ認容する心理状態をいう」と定義されています。
交通事故の場合でいえば、事故が発生するかもしれないということは認識していたが、発生したら発生したでしょうがないと思い運転したらはたして事故が発生してしまった、という場合には、故意による事故ということになるということです。


これから分かるとおり、故意の立証は、行為者の内面の心理状態を証明しなければならないことになり、これはかなり厄介だということになりますね。

これに対して「過失」は、一般的には、「自己の行為により『権利侵害』の結果が発生することを認識すべきであったのに、不注意でその結果発生を認識せずに漫然とある行為をしてしまった」という心理状態をいうと定義されています。


このように、過失行為も行為者の心理状態によるということになりますが、過失行為かどうかは客観的な行為によって判断するというのが現在の判例の立場であり、「結果回避義務違反」という客観的な外部に現れた行為があったかどうかによって過失の有無を判断するということになります。
いいかえれば、結果回避義務違反行為があれば、上に述べた過失の心理状態があったと判断されるということです。
ですから、立証の困難な故意よりも立証の容易な過失に基づく不法行為責任を追及するのが当然のごとく主流を占めているわけです。


さて、これから、今回のテ-マに入っていくわけですが、その前にしっかりと認識しておかねばならないことがあります。それは、まず、民法709条の不法行為は成立するか成立しないかのいずれかであるということです。
つまり、709条は過失賠償責任が発生するかしないかという二つに一つの問題であって、不完全には成立するなどという中途半端な成立は認めないわけです。黒か白かということですね。

これに対して、「過失責任割合」というものは、民法722条2項の問題であって、709条によって生じた互いの過失不法行為責任を、発生した損害の公平な負担という見地からどのように配分するかということであり、このような両者の関係をまずしっかりと押さえておく必要があるということです。

通常私たちが考えている「過失」というものは、「認識なき過失」であるといっていいでしょう。          文字どうり、「権利侵害」の結果をまったく認識していなかった場合、つまり、事故が発生するかもしれないということをまったく認識していなかった場合の「過失」をいうわけです。

この場合の過失責任割合を記載した本が、業界のマニュアル本である「判例タイムズ」であるわけですね。

実務上、現実に発生した事故は、この「認識なき過失」事故を基本として扱い、その責任割合を認定しての処理がなされています。

ところが、現実に発生した事故を詳細に分析すると、「認識ある過失」によって引き起こされたと思われる事故が相当数あるということです。

「認識ある過失」によって引き起こされたという事故とは、具体的にはどのような事故をいうのでしょうか。
結論からいうと、故意による事故と紙一重の事故であるということです。
故意による事故と認識ある過失による事故とは、事故が発生するかもしれないという認識においては同一であり、ただ、「発生してもやむを得ない」と思って運転したのか(故意事故)、「大丈夫だろう」と思って運転したのか(過失事故)の違いだけだということです.。

むずかしい法律用語を使えば、事故発生の危険を認識していた点では両者同じであるが、事故発生を認容(発生してもかまわない、やむを得ない)していたかどうかによって区別されることになるわけです。
認容していた場合が故意運転であり、「未必(みひつ)の故意」というなにか文学的表現を使い、認容していなかった場合が過失運転であり「認識ある過失」と呼ばれるわけです。

故意による事故と過失による事故。不法行為責任成立の局面では同一ですが、発生した損害の公平な配分という局面においては、かなりの差が出てくるというのは常識から考えても自明の理です。
ですから、事故発生の可能性を事前に認識していた過失と事前にまったく認識していなかった過失とでは、過失責任割合の度合い(非難可能性の程度)が違うというのは、これまた当然のことだということです。


業界マニュアル本「判例タイムズ」における過失責任配分の認定基準は、あくまでも「認識のない過失」(通常の過失)を基準として決められたものであり、この「認識のある過失」を過失責任割合にどのように反映させていくかということについては、判例タイムズ筆者は何も語っていません。

では、どのように反映させていけばいいのか。タイムズが修正要素として明示している「著しい過失」と「重過失」のいずれに修正要素として取り入れるべきかということですが、まず、押さえておかなければならないことは、法律上(刑法上・民法上)、過失は、注意義務違反の程度によって重過失と軽過失(通常の過失)に二分されるだけで、その中間に位置すると思われる「著しい過失」という過失概念は存在しないということです。
この過失概念は、裁判官であるタイムズ筆者が表記しているところから判断して、おそらく交通事故判例によって築き上げられてきたものではないか。ただし確証はないので、現時点ではこれくらいでとどめておきます。

そして、タイムズ筆者は、「著しい過失」を、「事故態様ごとに通常想定されている程度を超えるような過失をいう」と定義し、「重過失」については、「著しい過失よりも更に重い、故意に比肩する重大な過失をいう」と定義して、「著しい過失」は10%の過失修正要素とし、「重過失」は20%の修正要素としています。

では、民事上、「重過失」とはどのように把握されているのでしょうか。
民法709条の特別法である「失火法」にいう「重過失」(重大な過失)について、最高裁はつぎのように判示しています。
「通常人に要求される程度の相当な注意をしないでも、わずかの注意さえすれば、たやすく違法有害な結果を予見することができた場合であるのに、漠然とこれを見過ごしたような、ほとんど故意に近い著しい注意欠如の状態をいう」としています(昭和32年7月9日)。

この判示に従えば、交通事故の場合、非常に見とおしのよい状況下において発生した事故においては、この重過失責任を問えるのではないかと思われます。

実務上、相手方の認識ある過失責任を追及しこれを立証することは容易なことではありませんが、相手方が事故発生の危険性があったという認識をもっていたということを立証するためには、ひとえに相手方から、その言質(げんち…後で証拠となる言葉)をとっておく周到さが必要です。当然、録音・文書化ということが不可欠の前提とはなりますが。

「この事故は間違いなく避けることができると思って走行したが、事故発生の危険性がまったくないとは思っていなかった」。この言質を相手から引き出すことができるのは、「認識ある過失」を理解した者だけがなしうる高度のテクニックだということです。何気なくさらりと質問して何気なくさらりと引き出してくる。ここに、このテクニックのすごさがあるのです。
                                              (平成18年5月29日)