自動車事故における「過失」とは、予見義務違反をいうのか。
太郎
:きょうは、自動車事故における「過失」について、勉強をしてみることにしましょう。
どのような、事故発生状況のときに、ドライバ-に過失ありとされ、民法709条の不法行為責任を負わなければならないのか、という問題です。
花子
:この問題は、自動車事故を日常的に扱う損害保険代理店にとっては、避けて通ることのできない重要なテ-マであるにもかかわらず、まったくの無関心。これが現状です。残念ながら…。
代理店として、私自身もえらそうなことを言える立場にはありませんが…。きょうは、いい機会ですので、少しでも多くの知識を得たいと思っていますので、よろしくお願いします。
太郎
:それでははじめましょう。
ある日の昼過ぎ、幅員5メ-トル中央線のない単線住宅街裏通りを走っていたAさんが、突然民家の車庫から飛び出してきたBさんの車に左側側面に衝突されました。Aさんにとっては、まったく突然の飛び出しであり、あっと思った瞬間には衝突されていたという状況でした。
Aさんにとっては、何の落ち度もない事故であり、当然に相手保険会社が全面的に修理をしてくれるものと思っていたところ、保険会社からきた回答は意外なものだったのです。
「残念ながら、今回の事故は、当方の契約者であるBさんが一方的に悪い事故とは認定できません。基本過失割合は8:2ということになります。残念ながら、修理時の代車はお出しすることはできません。」。
そこで驚いたAさんは、保険会社担当者に対して、「私にどのような過失があるのでしょうか」と問い合わせたところ、「あなたの方も、いつ相手車が路外から飛び出してくるかもしれないということを予測して運転しなければならない<予見義務>があり、この義務に違反しているから過失があるのです」。このような回答が返ってきたというわけです。
花子
:確かに、このような住宅街裏通りを走っているときには、いつなんどき、路外車庫から車が飛び出してくるかもしれないということは、予想できることですね。そうすると、予見「可能性」は存在しますが、はたして予見「義務」という法律上の義務まで存在することになるのでしょうか。
太郎
:いいところを突いてきましたね。確かに、予見することは可能ですね。
しかし、予見可能であったから予見義務も存在した。予見義務違反即過失と認定することにしたら、このような事故態様で、ひとたび事故が発生すれば、例外なく、追突された車のドライバ-は不法行為責任をとらされることになる。この結論がどうして受け入れられないのか分かりますか?
花子
:社会生活上不可欠の自動車運転、ひとたび予見可能な事故が発生すれば、そのすべての運転行為が反社会的行為(不法行為等)としてマイナス評価され法律上の責任を追及されることになる、ということでしょうか。
太郎
:そのとおりです。このような私たちの社会生活において受け入れることのできない結論がでるということは、そもそも、予見可能性あり=予見義務違反=過失とする前提がおかしいということになるはずですね。
花子
:太郎さんから教わった「法は不可能を強いるものではない」という大前提に反するということでしょうか。
太郎
:そうですね。私たちの日常生活にとって有用不可欠である車の運転行為が、事故が発生すればすべて反社会的行為となる。この結論はやっぱりおかしいんです。
また、法は、花子さんの言ったように、法の規定を守る可能性のある者に対してのみ、その規定を守ることを強制できるのであって、守る可能性のない者に対しては強制はできないわけですね。法で決められた規定を不注意によって守らなかった、だからその不注意に対して法的責任を追及する、これが過失責任追及の大原則なわけです。
ですから、不注意=過失はそのような性質のものとしてとらえる必要があるわけです。
花子
:そうすると、予見義務=過失ありの考え方が間違っているのは、法の規定を守る可能性という点をまったく無視している点ということでしょうか。
太郎
:そういうことになりますね。法の規定を守る可能性のない者に対しても予見義務に違反したから過失ありとするのは、法の精神に反するということです。
では、過失とはどのように理解をすればいいか、という結論を出す前に、いい機会ですから、過失の基本的なところをまず見ておくことにしましょう。
かつては、過失、つまりは不注意をどのように理解していたかというと、結果の発生が予測できたのにぼんやりとしていたから結果が発生してしまった。
こう判断されたときに、「過失」ありとされていたわけです。つまり、行為者の、ぼんやりとしていた心理状態=精神的に緊張を欠いた心理状態=過失という考え方をとっていたわけです。
この立場は、行為者の内面的な心理状態によって過失の有無を判断する立場ですから、「主観的過失」と呼ばれているわけです。
花子
:そうすると、結果を発生させまいと精神を集中していたにもかかわらず結果が発生してしまった、ということになると、この立場では過失がないということになりますね。
太郎
:そういうことになりますね。行為者の内面的な心理面で過失の有無を判断するということは、限界があるというわけです。そこで、つぎのような考え方が出てきたわけです。
結果の発生が予測できた以上、どのような行為をしたら駄目かということは予め分かっていたはずだ。だからそのような行為をせずに、結果を発生させないような行為(結果回避行為)をすべきだった。にもかかわらず、そのような行為をしなかった。結果回避注意義務を怠った。だから、過失責任があるのだ。
つまり、行為者の行った外見的な行為そのものによって、過失の有無を判断しようとするわけです。この立場は「客観的過失」と呼ばれています。
当然のことながら、今日においては、この行為者の外見的な行為態様によって過失を判断するという立場が、主流となっているわけです。
現時点において、過失をどう把握するかについては、大きく分ければ、次の二つの立場があると思います。
第一の立場は、「予見可能性」を重視する考え方です。
結果の発生を予見できたにもかかわらず予見をしなかった(つまりは、予見義務があったにもかかわらず予見義務に違反した)。結果が発生すれば、結果発生防止が可能であったかどうかにかかわらず予見義務に違反したとして
過失ありとするわけです。
この立場は、被害者側の立証の困難さを解消するものとして、公害事件などでは、被害者救済の立場から歓迎されることになりますね。
実際、古典的な公害事件である「大阪アルカリ事件」の原審は、この立場をとったんですね。
花子
:確かに、公害事件における被害者救済の理論としては、いいかもしれませんが、予見可能性だけで過失の有無を判断することになると、一方的に衝突された自動車運転者のほとんどが過失ありということになりますね。
しかし,それは、「法は不可能を強いるものではない」という大原則に反することになるのではないでしょうか。
太郎
:そのとおりだね.
そこで、第二の立場は、結果を予見する義務よりも、予見義務に基づいて当然に発生する、
結果を回避するための注意義務=行為義務(結果回避行為義務)に違反することが過失だと理解する見解です。
判例は、この立場をとっています。
つまり、結果予見可能性(結果予見義務)は、結果回避行為義務の有無を判断する前提として必要だが、それ以上のものではないとするわけです。
予見可能性は、過失存在の可能性ある行為か非過失行為かを区別する役目を負っているに過ぎないとするわけです。予見可能性があれば、過失存在の可能性はあるが、予見可能性がなければ、文句なしに過失なしの非過失行為とするわけです。
もっと深く突っ込んで論理的にいうなら、結果の発生(事故発生)を回避するための具体的行為というものは、予見可能性があって初めて明らかになるということですから、もともと、過失というものを結果回避義務違反としてとらえる判例の立場は、予見可能性の存在を当然の前提としているということになります。
花子
:なるほど。この立場だったら、「法は不可能を強いるものではない」という大原則に合致しますね。
義務は可能性がその前提にありますから、結果発生を回避することが可能であったにもかかわらず、回避義務を怠った。だから過失責任ありとするわけですからね。
太郎
:この過失についてどのように理解をしておくべきかということについて、以下の記述が極めて秀逸ですから、これをご紹介しておきましょう。
「結果回避のために適切な処置をとるべき注意義務に違反して損害を生じさせたときに、過失が認められると解する。なぜなら、結果予見は結果回避のために要求されるが、予見可能か否かで過失の存否を判断すると、現代社会での有用な行為はほとんど過失があるものとされてしまうからである。過失の認定は結果の回避可能性を中心に行うべきである。」(早稲田司法試験セミナ-発行・デバイス民法W債権各論改訂第三版240頁)
花子
:今回の事故事例はどのように理解しておけばいいのでしょうか。
太郎
:住宅街裏通りの走行。いつなんどき、車庫から車が飛び出してくるかもしれない。確かに、このような事態はよくあるケ-スですから、予測可能とはいえるでしょうね。しかし、このことを予測して運転するとしたら、一時たりとも運転は不可能ということになりますね。
ですから、この場合には、一方のドライバ-に事故回避注意義務があったかどうか、その前提としての事故を回避することが可能であったのかどうかということを、現場の事故態様から具体的に検討しなければならないわけです。
何の合図、前ぶれもなくての突然の飛び出し。たしかに、住宅街を走行する以上、事前予見は可能ということになるでしょうね。しかし、事故回避行為をとることは現実には不可能。ゆえに事故回避注意義務は存在しない、と考えるのが自然であり、論理的です。
花子
:でも、業界のマニュアル本「判例タイムズ」に当てはめると、20対80という過失割合になりますが…。
太郎
:確かに基本過失割合はそのようになっていますが、タイムズは路外車の「徐行なし」・「著しい過失」を過失加算修正要素として記載しています。現実に発生した具体的事故を保険会社事故担当者が正確に把握する態度を徹底すれば、結果として100ゼロ事故として処理することが可能となるわけです。
しかし、事故担当者は事故現場に行くこともなく、代理店や事故当事者の事故報告だけで判例タイムズへの機械的当てはめ作業を行い過失割合を導き出しているのが現実の姿なのです。このシステムを変えない限り、実質無過失の当事者に賠償義務を強要する大いなる矛盾は解消されることはないでしょう。
花子
:非常に参考になりました。本日はありがとうございました。(平成17年7月10日)
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