日本人が作りだした農産物 品種改良にみる農業先進国型産業論
(19)ハイブリッドライスの可能性
先進国型品種改良への転換
<イネは一代雑種に不適な作物なのか?> 一代雑種は雑種強勢を利用する。植物によっては雑種強勢の出やすいものとそうでないのがある。イネは雑種強勢が出にくい作物で、このため日本では本格的にハイブリッドライスの開発が行われなかった、と言われる。 野菜でこれほどまでに一代雑種が普及したのに、イネでは手つかずだった。そのもう一つの理由は、イネの品種改良に民間種子会社が参入しなかったことだ。 民間会社は投資額を回収出来るかどうかを考える。イネの品種改良には多くの時間と経費を必要とする。そして種子を栽培農家に売り込むにはいろいろ面倒なことが多い。「毎年、毎年農家は種子会社から種子を買わなければならないのです」 「こうして米生産の主導権は種子会社に握られてしまうのです」。このような声があると、種子会社は「イネでは儲けられない。投資額を回収できないだろう。米で儲けるな、との批判には当分逆らわない方がいい」となって、イネの品種改良、特にハイブリッドライス開発には参入しなかった。
 また道県の農試はその県の農家のためにイネの品種改良に取り組む。地産地消の精神を生かし、このため日本全国のことを考えたり、新規参入を好まない。こうして各県の農試は従来の品種改良の仕方、交雑育種法に拘っていて、一代雑種には手をつけないでいた。 こうした「米は日本の伝統文化」と言いながら伝統的な品種改良方式に拘っていた日本とは別に、中国では一代雑種での開発が進んでいた。こうした状況を専門家はどのように捉えているのだろうか?ハイブリッドライスに関する記述をいくつか引用してみよう。
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中国におけるハイブリッドライスの事情をみると、1970年に海南島で、野生稲の雄性不稔株が発見され、野敗系又はWA細胞質とよばれた。これを素材として、1973年には雄性不稔系統、維持系統、稔性回復系統を一組とする3系統が育成された。これを中国では三系法と呼んでいる。この方法によって1974年には実用品種が育成され、世界で初めてハイブリッドライスの実用化の途が開かれた。 その後、多数のF1品種が育成され1991年には全国で55%の面積を閉めるに至った。
 中国のハイブリッドライスは大半がインド型の品種で占められているが、北部では日本型の品種が栽培されている。その素材として、1972年に新城氏の育成さたBT細胞質が分譲され利用されている。このように、ハイブリッドライスの実用化は中国の技術開発に負うところが極めて大きい。 (「続 図解・米の品種」から)
 中国では膨大な人口の胃袋を満たすために、革命後イネなどの品種改良に多くの勢力を投入した。花粉を培養して植物を再生させることで育種をスピードアップする技術をいちはやく実用に結びつけ、また多収を容易に現実化する技術として雑種強勢を取り上げ研究を開始した。先ほど述べたように、現代のイネは自家受粉する性質を強くもっているが、インディカのある品種とジャポニカの品種を交配した場合に花粉ができないことを日本の研究者が見いだし、この性質を利用して花粉のできないイネ(雌親)を作りだすことができる。 中国はこのようなイネの種子を日本から導入しハイブリッドライスを作りだすことに成功した。収量は従来のものより格段に増加し、そして現在ではおコメの生産全体の60%をハイブリッドライスに頼っている。
 1984年にNHKテレビで「謎のコメが日本を襲う」と題してアメリカから日本への、このハイブリッドライスの売り込みの状況に関して報道をした。中国で開発されたハイブリッドライスがいったんアメリカ経由で伝えられたわけである。筆者の属する研究所ではアメリカ企業および中国と契約をむすび日本に向く品種の開発を開始した。中国の多くの部分ではインディカがつくられているが、北部ではジャポニカが栽培されている。これらの地域で開発されたものの中から日本人の口に合い、そして収量の多い品種を選出し試験的な栽培が介しされている。 また、中国で作られた優秀な父親と日本のおいしい母親とを掛け合わせることで、さらに優れたものを作りだすことに成功している。 このように、従来不可能もしくはそのような現象はないとされてきたハイブリッドによるイネの増収の研究も着々と稔りつつある。 (「夢の植物を育てる」から)
 以上の問題を克服し、より効率的にハイブリッド・ライスの種子を確保するために、自殖性作物である稲を如何にして他殖性にするかという遺伝育種学的な研究が長い間進めらていく中、最近になって中国で1000万haにも渡ってハイブリッド稲の栽培が成功し、米国企業が市場開拓に乗り出し、日本でも民間参加の道を開くために法制度の見直しが行われるなど、本格的なハイブリッド実用化時代の幕開けを迎えました。
ハイブリッドライスの普及は1976年に始まり、1992年には普及率58%とピークに達しましたが、1993年には収量は高いが食味に劣り市場価格も低いことが農家に嫌われ、減少傾向に転じました。 (「お米データベース」HP URL http://www.gohan.ne.jp/okome-data/01/144.html から)
  イネに、雑種強勢の性質を発現させると、ハイブリッド・ライスができる。ハイブリッド・ライスは、病気に強く、味も良く、収穫量の多いイネになるだろう。しかし、イネの性質を考えると、ハイブリッド・ライス作りは、むつかしい印象を受ける。
 ハイブリッド・ライスを作るには、ある品種の花粉を異なる品種の花のメシベに受粉して、種子を得なければならない。このとき、自家不和合性が役に立つ。ところが、イネの花には、オシベ、メシベがあり、自分の花粉を自分のメシベにつけて、種子をつくる性質を持っている。自家不和合性とは、まったく逆の性質である。
 この性質は、栽培者にとって都合がいい。自分の花粉で自分が受粉、受精してくれるのだから、放っておいても、おコメができる。それゆえ、多くの品種の中から選ばれて現在栽培されているイネの品種は、この性質を強く持っている。そのため、アブラナ科植物のように、簡単には、ハイブリッド・ライスをつくるのは難しい。
 だったら、花粉を出す前に、オシベを引き抜けばどうだろう。たしかに、この方法でハイブリッド品種がつくられる植物はある。ナス、トマトやピーマンなどである。しかし、イネの場合、花は小さく、多くの品種で、花が開く時間は午前10時から12時までの2時間だけである。その短時間に、多くの花のオシベを抜くのはむつかしい。でも無理をすれば、この方法ができないことはない。つぼみのうちに、6本のオシベを、ピンセットで抜き取ればよい。 ところが、こうしたとしても、その花が開けば、ほかの品種の花粉を人為的にメシベにつければ、ハイブリッド・ライスの種子ができる。ところが、こうしたとしても、その花からたったの1粒の種子が得られるに過ぎない。だから、この方法では、実用化はできない。
 ハイブリッド・ライスは、無理をすれば、実験的につくれる。だから、イネにも雑種強勢の性質があることは知られていた。しかし、実用化する方法はなかった。それゆえ、ハイブリッド・ライスつくりは、あまり注目されてなかった。ところが、膨大な人口を抱える中国が、食糧を確保するために、ハイブリッド・ライスの実用化に多くの労力を投入した。その結果、「花粉ができないイネ」を発見した。花粉が出来ないイネは、自分は花粉をつくらないが、ほかのイネの花粉で種子を結実することができる。 だから、ハイブリッド品種がつくれるのだ。
 中国は、このイネを手に入れ、工夫を重ねて、丈夫で、味も良く、収穫量の多い、ハイブリッド・ライスつくりに成功した。収穫量は、従来のものより、約30%増えた。現在、中国では、コメの生産全体の約60%をハイブリッド・ライスに頼っていると言われる。
 1984年に、「アメリカから日本へ、ハイブリッド・ライスの売り込みがあった」と報道された。中国で開発されたハイブリッド・ライスが、アメリカを経由して、日本に持ち込まれようとしたのだ。「謎のコメが日本を狙う」と話題になった。
 この出来事をきっかけとして、日本でもハイブリッド・ライスの研究が本格化した。現在は、日本の風土に合う、収穫量の多い、おいしいハイブリッド・ライスつくりの研究が進められている。 (「ふしぎの植物学」から)
  近年、この雑種強勢を自殖性作物であるイネに応用しようとする育種計画が世界的に進められ中国、米国、韓国ではすでに実用的なハイブリッドライスの育成に成功している。我が国でも最近、他用途米研究の一環として、飼料米育成を目標とする超多収品種の育成が、農水省やその他の研究機関で取り上げられ、育成試験が進行中である。(中略)
 これまで、ハイブリッドライスでは増収効果のみが強調され、品質の面はあまり考慮されてこなかったように思われる。中国のハイブリッドライスでは、せん(インド型品種)より粳(こう・日本型品種)の品質劣化が著しいという。一般にヘテロシス育種では、ヘテロシスの効果を大きくするためできるだけ遠縁のものを両親に選ぶ。イネの場合、同じ日本型品種あるいはインド型品種同士よりも、日本型品種とインド型品種との交配によって、より大きなヘテロシス効果が期待できる。 ところで、F1植物に実る種子はF2にあたる、すなわち、ハイブリッドライスで生産される種子はF2世代となる。したがって、インド型品種と日本型品種の交配によって育成されたハイブリッドライスは、まったく食味を事にするインド型品種の米と日本型品種の米の両方を含むことになり、食用として商品になりにくい。そのため我が国のハイブリッドライスの育成は当分飼料米を指向したものとなろう。 (「イネの育種学」から)
  一代雑種品種も系統育種法も斉一な集団をつくる面では似ている。しかし、原則的な考えをすれば、一代雑種においては1細胞中に最も多くの遺伝子を入れることができる。自殖性植物でもある程度の雑種強勢を示すので、これを利用すればそれに越したことはない。一代雑種では、優性にはたらく遺伝子をどちらかの親系統に導入しておけば、それが発現する。さらにこの育種法では、類似した親系統をいくつか保有しておいて、モデルチェンジがある程度可能である。 親系統を保持することによって、育種家の権利を実質的に維持できる。このような点が一代雑種のメリットである。
 しかし、イネやコムギに一代雑種品種を適応するときには、いろいろな問題がある。その最も大きな問題は、高度な自殖性のために雑種種子の採種量が少なく、種子の値段が高価になることである。種子の値段はその品種を栽培したときのメリットや増収効果とのバランスによって決まる。 ジャポニカ型イネの場合には、その遺伝的変異が狭く、それだけでは雑種強勢が強く現れない。雑種強勢が強く現れるように遺伝子型の違ったイネの雑種を作ると品質が低下しやすい。コムギでは、六倍体のためか、雑種強勢がそれほど強く現れない。雑種強勢の遺伝的解析も課題となっている。さらに、一代雑種品種育成には、組合せ能力の高い両親系統をつくる必要があり、それに多くの労力と日数を要する。 それではイネの他殖率を高めるように育種するのはどうであろうか。他殖性を高めたいときに、雑種において充分な稔性を確保できる必要があるだろう。
 過去の経過をみると、自殖性植物は一般に自殖性の育種法がとられていた。各種の他殖性野菜では一代雑種品種の方にシフトしてきている。また、ナタネなどの育種においても一代雑種品種育種が期待されている。 さらに、見方を変えて一代雑種品種が最も望ましい育種法か否かも検討事項である。もしも、人工種子を得る技術が安定すれば、その方が望ましいかもしれない。他方、イネにアポミクシスの性質を導入して、アポミクシスを使った育種法も展望できる。しかし、一つの圃場が同じ遺伝子型の植物に占められたときにはストレス耐性についての配慮が必要である。将来の育種を考えるときには、各種の育種手法のメリット、デメリットを勘案する必要がある。 (「植物の育種学」から)
  1983年にアメリカの種子会社リングアラウンドから日本に、ハイブリッド米の種子を売り込みたいという打診が、農水省にあった。日本は米に対しては保護政策をとってきていることから、このハイブリッド米の種子は輸入されなかった。ところがよく調べてみると、実はこの米はアメリカで開発されたものではなく、中国で開発されたものであり、さらに元を辿っていくと、琉球大学の新城長有教授が発見した雄性不稔の理論を用いたものだったことが分かった。 この経緯は、NHKテレビによって「謎のコメが日本を襲う」という題で放映され、有名になった。その後、リングアラウンドは三井東圧化学、三井物産と合弁でラム・ハイブリッド・インターナショナル社をつくり、日本における種子の流通に参入することになったのである。さらにその後、同社からリングアラウンド社が抜け、三井東圧化学が中心になってこの雄性不稔を利用したハイブリッド・イネの開発が進められてきた。 その三井東圧化学が開発したハイブリッド米が、羽田空港内のカレーライス屋「ライブカレー」で使われている。 (「増補改訂 遺伝子組み換え食品」から)
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<日本での品種改良に必要な「好奇心」と「遊び心」>  上に引用した文を読んで思うのは「関係者同士の一代雑種が必要なようだ」ということ。「ハイブリッドライス」とのテーマで皆同じ様なことを言っている。皆が同じ情報を共有している、ということはいいことかもしれないが、もっと楽観論、悲観論、自分の体験による他人の知らない情報、経済面・政治面からみた評価、いろんな見方があってもよさそうだ。むしろ、雑種の入り込まない「自家不和合性」こそ心配になる。 上記引用文は最後の「増補改訂 遺伝子組み換え食品」以外は育種の専門家が書いたもので、最後の「増補改訂 遺伝子組み換え食品」の著者はフリージャーナリストで、遺伝子組み換え食品いらない! キャンペーン代表。この本は他の文献と違って、ハイブリッド米や遺伝子組み換え食品に批判的な本。しっかりしたデータを元に、他とはちょっと違う見方をしている。いろいろな見方を知りたい人にはお勧め本です。
 中国にはハングリー精神がある。日本は豊かになってそれを失った。コシヒカリも美味しい米を目指したのではなかった。戦争末期、食糧増産を目指したのだった。豊かになってコメの品種改良は「美味しい系」へと変わった。しかしかつてのような緊急性はない。「何が何でも」との要請はない。そして野菜と違って儲けられるかどうか分からない。種子会社が新品種を売り出しても、「米は日本人の財産。種子会社1社が独占するのは許せない」と非難されそうだ。 回収できそうもない事業に投資するのは、銀行が回収できない会社に融資するようなもの。不良債権になると分かっていて融資すれば、特別背任で訴えられる。種子会社は回収できそうもない事業に投資するわけにはいかない。
 それでは今後、日本ではコメの品種改良には期待できないのだろうか?そんなことはない。今までの品種改良、そして中国のハイブリッドライスは「発展途上国型品種改良」だった。せっぱ詰まった社会・国家からの要請によって必死になって改良事業に取り組んだ。 農業を「後進的な産業」ととらえ、国内の自給体制の維持をめざし、過保護農政に走ることになる「発展途上国型品種改良事業」では中国は強い。これからの日本では「種子会社が儲かるコメの品種改良」を目指すことになる。品種改良の「民活」だ。そして研究者に大切なのは「好奇心」と「遊び心」。それが先進国型品種改良の基本になる。視野狭窄にならないこと。 親品種を日本以外に求めて一代雑種を試してみる、という遊び心はどうだろう。アフリカでもエジプトでは1995年の生産実績がジャポニカを含め210万トン、マダガスカルで160万トン生産されている。片親をコシヒカリとし、もう一方の親を、エジプト米、マダガスカル米、オーストラリア米、イタリアの苦いコメ、タイで生産されたジャポニカ米、好奇心と遊び心でこうした交配を楽しんだり、あるいは、ブレンドで工夫してみたり。 例えば東京近郊の家庭菜園で栽培された「日本晴」50%とベトナム産の「あきたこまち」45%に高知県産かおり米「十和錦」5%のブレンド米を氷温冷蔵で熟成してみたり。コシヒカリには敵わないとしても、食味は結構いい線いくと思うのですがいかがでしょうか?
 コシヒカリを誕生させた、高橋浩之、仮谷桂、池隆肆、岡田正憲、石墨慶一郎などのような職人とは少し違った、現代的な職人が出てきてもいいはずだ。それには育種の世界でも、自家不和合性に陥らず、雑種強勢を生かした交配=一代雑種が必要なのではないだろうか?今日本の農業界はウルグアイ・ラウンドを始めとする市場開放の圧力をうけて神経質になっている。尊農攘夷論が幅を利かせ、異質な情報、変わった意見を受け付けない体質になっている。 このような時こそ、肩の力を抜いて、気持ちをリラックスさせて、好奇心と遊び心を大切に、品種改良で遊んでみるのもいいだろう。豊かになった日本、かつてのように必死に品種改良に取り組まなくても、日本国民は飢えたり、栄養失調になる恐れはない。中国のハングリー精神とは違ったインセンティブに基づいた研究であっていいはずなのだから。
 そして積み重ねた経験と知恵、生かす場所は狭い日本国内である必要はない。キャッサバの品種改良とその普及で、アジア農民の豊かな農業への道を作った河野和男氏、立派な仕事をしました。日本の科学者・技術者の皆さん、ぐるっと世界を見回して、活躍の場を探して下さい。視野狭窄、地産地消、身土不二、自給自足、そんな言葉を忘れて、農業のグローバリゼーションです。
 タイやラオスでもち米の品種改良、カンボジアでかつてカンプチア王国時代のコメ3期作の再現、タイやベトナムでのあきたこまちの栽培、バングラデシュでシャプラニールと一緒に学校を作ってそこでの給食用のコメ作り、インドでイネの野生原種であるオリザ・ファッツァやオリザ・ペレニスの保存、アンデスの麓に生息するトマトの野生原種の保存とそれから品種改良再試行による現代トマトへの改良実験、 アジア全域でキャッサバより栽培に手の掛かるが収入のいいイネへの転換指導、各地から集めたコメをブレンドして低価格・高品質の販売米開発。 こうした分野へ民間企業が参加することにより、官僚指導・政府指導の農政から民間資本主導の農業産業発展への道筋。豊かな社会日本の品種改良への貢献、沢山あるはずです。 世界各地で活躍して、ついでに世界中から美味しい食べ物を日本に持って来て、私たち消費者に紹介して下さい。 そのグルメを食品産業が日本人の口に合うようにアレンジしてくれるでしょう。こうして「発展途上国型品種改良」から「先進国型品種改良」へと、これから変わっていくことになるはずです。
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<主な参考文献・引用文献>
続図解・米の品種                大里節               日本穀物検定協会  1995. 6.30
夢の植物を育てる                鎌田博・堀秀隆           日本経済評論社   1995. 7. 1
ふしぎの植物学 身近な緑の知恵と仕事      田中修               中公新書      2003. 7.25
イネの育種学                  蓬原雄三              東京大学出版会   1990. 6.20
植物の育種学                  日向康吉              朝倉書店      1997. 3. 1
新データブック 世界の米 1960年代から98まで 小田紘一郎             農山村文化協会   1999. 3.10 
自殺する種子 遺伝資源は誰のもの?       河野和男              新思索社      2001.12.30
増補改訂 遺伝子組み換え食品          天笠啓祐              緑風出版      2000. 1.31
( 2003年12月29日 TANAKA1942b )

(20)遺伝子組み換え技術の誕生
医薬品からの実用化
<DNA2重らせんモデル> ジェイムス・ワトソンとフランシス・クリック両博士によって発表された「DNA2重らせんモデル」(1953年)と、それに続く研究によって、かつてメンデルが想定した遺伝因子の実体が、DNA(デオキシリボ核酸)であることが明らかになった。 その後の制限酵素の発見(1970年)を経て、1973年には世界初の遺伝子組み換え大腸菌が誕生し、目的のタンパク質を作らせることに成功した。
 植物に遺伝子を運ぶ、宅配便の役割を持つプラスミドを最初に発見したのは、植物の根にこぶのできる病気(根頭癌腫病)の研究をしていたベルギーの植物学者ヴァン・ラルベック(1974年)であった。 そのきっかけは植物の組織培養で、このこぶのできた組織は、他の植物組織と異なり、植物ホルモンのない培地中で、いつまでも増殖を続けるので、長い間、植物の組織培養の世界では「7不思議」に挙げられていた。その謎解きに答えを出したのが、ラルベックであった。
 彼は感染してこぶを作るアグロバクテリウムと、感染してもこぶをつくらないアグロバクテリウムの存在に目を向け、両者の細胞からDNAを抽出して、その違いを詳しく調べた。そして、こぶを作るバクテリアには核のDNAのほかに、細胞質に独特な環状のDNAがあり、これがこぶ(腫瘍・tumor)を誘導(induce)していることを突き止め、この部分のDNAをその頭文字を取ってTiプラスミドと呼んだ。 この発見が契機となって、Tiプラスミドの研究が進み、このプラスミドの中で、植物に入り込む(transfer)部分がT−DNA領域と呼ばれるようになった。 
 その後、この領域を他の遺伝子に置きかえても、それがそのまま植物細胞に入り込むことがわかり、T−DNA領域に有用遺伝子を組み込むことで画期的な作物改良技術になると期待が膨らんだ。これが1982年のこと。このアグロバクテリウムというバクテリアは、自分の環状プラスミドDNAの一部を勝手に、巧みに植物に潜り込ませて、このバクテリアだけが利用できるオパインと呼ぶ特殊なアミノ酸を植物に作らせていたのだった。 Tiプラスミドの発見(1974年)から8年間の研究によって、アグロバクテリウムによる遺伝子組込みの仕組みがわかると、直ちに実用化への取り組みが始まった。
 1982(平成4)年にはヒトインスリンやヒト成長ホルモンが、組み換え大腸菌から作られるようになり、まず医薬品の分野から実用化が始まった。1983年にはタバコを用いたGMモデル植物の第1号がアメリカで誕生し、 1989年には日持ちを良くしたトマト(フレバーセイバー)が誕生し、1994年から市販された。 
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<ヒトインスリンやヒト成長ホルモン> 遺伝子組み換え技術は、細胞融合技術と同時期の1970年代にスタートした。その中で、大腸菌を用いた遺伝子組み換え微生物の研究は次々と成果を上げ、 1979年にはヒトインスリンやヒト成長ホルモンが、組み換え大腸菌から作られるようになった。この分野は一気に実用化され、医薬品の世界ではすでに1990年代から組み換え医薬品が多数流通している。
ヒトインスリン(human insulin) 私たち日本人の生活スタイルは歴史の節目ごとに大きく変化してきた。明治維新、太平洋戦争後、高度成長期、こうした時期に変化したのが食生活。肉を食べる機会が増え、エネルギー摂取が過剰になり、一方交通機関の発達などにより消費エネルギーは減っている。 こうした摂取エネルギー量と消費エネルギー量 のアンバランスが生活習慣病という形で多くの影響を及ぼしている。糖尿病は、代表的な生活習慣病の1つで、患者数は年々増加している。1995年で約1億3500万人いると考えられており、2000年には1億8000万人、2010年には2億2000万人、になると言われている。 日本では、1997年11月の厚生省の調査により、予備軍を含めて1370万人という結果が公表されている。
 糖尿病は、体内の糖が利用されずに血液中にふえすぎてしまう病気で、その結果として、尿に糖が出てくる。病気が進むと、目、神経、腎臓に合併症が出る、これは適切な治療で予防することができる。しかし、初期には症状が出ないために、ただ尿に糖が出るだけと思って放置すると、失明や昏睡など重大な結果を引き起こすことになる。 糖尿病には2つの型があり、インスリン依存型糖尿病は、おもに15歳以下の子供に多くみられるもので、ウイルス感染や自己免疫作用によって膵臓の機能が低下して発症する。これにはインスリンの不足を補う必要がある。インスリン非依存型糖尿病は、おもに成人以降に発病するもので、ほとんどはこのタイプの糖尿病。インスリンの働きが低下しているため、薬物療法や食事療法で治療を行うことになる。
 糖尿病への治療のためにインスリンが発見されたのは、1921年(大正10年)のこと。欧米では供給のメドがつくとすぐに患者の自己注射が認められた。しかし、日本では60年もの間、自己注射が認められず、また、保険の適用もなかった。
 このインスリン、以前はウシやブタのインスリンが使われていたが、1979年には遺伝子組み換え技術でヒトインスリンが容易に製造されるようになり、かつ安全に製造できるようになり、現在は、このヒトインスリンが主流となっている。ブタやウシのインスリンの場合、アレルギー反応を起こす可能性があるが、ヒトインスリンではアレルギーはほとんど起こらない。作用発現時間によって、超速効型、速効型、混合製剤、中間型、持続型などの種類がある。
 ヒトインスリンを作るには、ヒトインスリンの前駆体(ヒトインスリンができる一歩手前の物質)の遺伝子を酵母や大腸菌に組み込んでヒトインスリンを生産する。このような遺伝子工学の技術によって、現在では大量にヒトインスリンが生産されている。遺伝子組み換え技術によってヒトインスリンが生産開始された当初は、酵母や大腸菌に由来する不純物の混入やそれらに対する抗体産生の可能性があるのではないかと心配さたが、現在ではそのような心配はないとされている。 ヒトインスリン製剤が遺伝子工学を応用した医薬品の第一号として華々しく臨床に登場し、日本でも認可されたのが1985年。現在世界のインスリン供給は専門メーカー2社(ノボ・ノルディスク=Novo Nordisk オランダ。イーライ・リリー=Eli Lilly アメリカ・インディアナポリス州)の寡占状態になっている。
ヒト成長ホルモン(Human Growth Hormone) 思春期から青年期にかけて、私たちの脳の下垂体前葉というところで生産され、分泌される。この時期が生産のピークで、その後は徐々に分泌量が減少していく。
 1963年にスウェーデンの医薬品メーカーが遺伝子工学を応用して、世界で初めてHGH (ヒト成長ホルモン・Human Growth Hormone・hGHと表示する場合もある) の合成に成功した。これ以後、HGHはヒト成長ホルモン剤として医療分野で広く使用されるようになり、とくに成長期になっても身長が伸びない人たちの病気治療に大きな成果を上げてきた。 1990年になると、このHGHが老化を防ぐことに効果があるのではないかと、世界の医療関係者に注目されるようになった。
 成長ホルモン治療の歴史を振り返ってみると、人の下垂体から抽出した成長ホルモン製剤を使用していた頃はなかなか薬が手に入らず、患者は順番待ちをするほどだった。現在は遺伝子工学の技術によって十分な量の成長ホルモンが手に入るようになった。
エリスロポエチン製剤(EPO) これは主に腎臓でつくられ骨髄に作用して赤血球を増やす造血ホルモン。早くから注目されていたが、わずかしか採取できないため、薬としての生産は不可能であった。それが、遺伝子組み換え技術により、1990(平成2)年にヒトエリスロポエチンの量産が可能となり、透析患者の腎性貧血の治療に画期的な成果をもたらした。現在では、手術のための自己血貯血や未熟児貧血などにも利用されている。
ヒト顆粒球コロニー刺激因子(G−CSF) 抗がん薬の副作用の一つに、血液障害がある。とくに白血球の減少にともなう免疫力の低下は、感染症を誘発する重大なものの一つとなっている。ヒト顆粒球コロニー刺激因子は人間の体内にある活性物質で、白血球の増殖作用があるが、微量しか存在しないため利用できなかった。それが遺伝子組み換え技術により量産が可能となり、抗がん薬の連続投与治療を支える重要な薬となっている。
インターフェロン(Interferon・IFN) インターフェロンは、生体内のさまざまな細胞がつくり出す生理活性たんぱくで、抗ウイルス・抗がん作用がある。純粋なものをつくることが難しく、微量物質のため量産もできなかったが、バイオテクノロジーにより開発が可能になった。現在はB型およびC型慢性肝炎、腎臓がんなどの治療薬として広く使われている。
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<品種改良技術の進化> 医薬品への実用化から始まった遺伝子組み換え技術、それが栽培植物への実用化となって、これを批判する人たちが出てきた。賛否両論の文献もHPも多くある遺伝子組み換え技術、隙間産業を狙うアマチュア・エコノミストTANAKA1942bとしては、他のHPとはひと味違った切り込み方をしなければ存在意義がない。このシリーズ「米自由化への試案 日本人が作りだした農作物 品種委改良にみる農業先進国型産業」の流れからすると、 「品種改良の進化」となる。そこで品種改良の歴史、「古代から現代へ」といった感覚で農作物品種改良の話を進めていくことにした。
野生品種から栽培品種へ 狩猟生活をしていた人類が野生植物を栽培するようになって、自分が必要とする以上の食糧を生産する人々が出た。これによって自分では、自分の必要とする食糧を生産しない人たちが出て、この時から文明が発祥した。こうして、自給自足が神話になり、野生種を栽培種に変え自然界の品種バランスを変え、森林や雑木林を農地に変え自然環境を変え、市場経済システムを作りだし、貧富の差を生じさせ、 先に豊になれる者から豊になる社会が出来た。自然界では弱いオスは子孫を残せないし、劣性遺伝子を子孫に残さないシステムが出来ている。 しかし人類の「ヒューマニズム」「平等の精神」「正義論」はこの自然の摂理に反する品種委改良を始めた。このようにして文明発祥と伴に、人類の「品種改良の歴史」が始まったのだった。
江戸時代の品種改良 @趣味とA実益 の2本立てであった。 江戸の旗本、町人は花の品種改良を楽しんでいた。その成果をキクなどの品評会で競い合い、ときには高額で取引され、幕府が取り締まるほどのバブルが膨らむこともあった。 これが@趣味の分野でA実益の方はと言うと、農村部では百姓がイネなどの品種改良を行っていた。 その方法は「選抜育種法」であり、ときには他藩からの「導入育種法」であった。@趣味もA実益も結構盛んであった。江戸では武士・町人の多くが花の品種改良とその成果を楽しみ、あるいは稼ぎの手段としていた。多くの人がが参加したという点では、現代より活発であったと思われる。 一方農村部での品種改良も活発であった。江戸時代は驚くほどの旅行ブームであった。多分同時代世界で一番旅行が活発であった国と言えるだろう。その旅行が、お伊勢参りのような信仰目的であり、それに託けた「新品種探し」の旅でもあった。
明治以降  こうした品種改良に対する熱意は現代へも受け継がれている。明治時代も民間篤志家によるコメの品種改良が行われ、その品種改良事業は国や自治体の農業試験場に受け継がれた。その大きな成果は「コシヒカリ」誕生となって、私たち国民を豊にしている。 さて、こうした成果を消費者としての私たちはどの程度理解しているのだろうか?「米は日本の文化だ」と言う、そのコメも品種という面からみれば、ほとんどすべて戦後に育種されたものだ。戦前からの品種は市場にはほとんど出ていない。もしかしたら「かおり米」が戦前からの品種があるかも知れない程度。 「赤米」はあちこちの神社が中心になってその保存に努めている。コメという日本の文化を護っている農業、それは進取の精神に満ちた革新の歴史でもあった。しかしそれは「とにかくぶち壊せ」「何でも反対」と言う乱暴なものはなかった。もう現代では商品価値のない赤米も護る、優しい心をもった改革の歴史であった。
コシヒカリの時代 1944(昭和19)年、終戦の前年から始まったコシヒカリの品種改良、登録されたのは1956(昭和31)年、この間12年も掛かっている。しかも実際にその良さが認められて作付率で日本晴を抜いてトップになったのが、1979(昭和54)年。35年もの長い年月がかかっている。コメの品種改良はその後、「きらら397」のような計画的な改良が行われている。交雑育種法も進化した。コメの品種に関して言えば、戦前からの品種は市場から消え去っている。わずかに赤米が篤志家によって護られているだけだ。 現在「日本の文化のコメ」はすべて戦後生まれ、となっている。ここで利用された「交雑育種法」は今でも品種改良の重要な手段として利用されている。
一代雑種  野菜はどうかと言うと、ほとんどが一代雑種=F1ハイブリッドになっている。これは戦前にはなかったものだ。野菜に関しても消費者はあまりこうした品種改良を問題にしない。 そうした無関心を問題にして「消費者教育が必要だ」と主張する人たちがいるようだ。しかし消費者にしてみれば価格があまり高くならず、そこそこの味ならば、あまり神経を使いたくない、と考えているのだろう。別の言い方をすれば、「日本の農業は消費者ニーズに応えてきた」と言えるかもしれない。 コシヒカリとその改良品種がこれほどまでに高い作付面積を誇っているのは、消費者が支持しているからだ。消費者ニーズに応えて農家は作付品種を選んでいる。「消費者は神様」の市場経済のあるべき姿を示している。野菜が一代雑種中心になっていったのも、消費者ニーズに応えたものと考えられる。 一部で「在来種を護ろう」との声があがっているが、もし消費者が異常に出回っている一代雑種よりも在来種を望んでいるならば、「在来種を護ろう」と呼びかけなくても、在来種は売れる。 「一代雑種ばかり売れて、在来種が無くなっていく」との不安は、別の方法で解決すべきだ。種子会社は品種改良のためにはなるべく多くの親品種、純系を必要とする。これは市販するために必要なのではなくて、交配するのに少ししか親品種がなければ、新しい品種の可能性の少ししかない。種子会社は世界中から純系を探してきて、それを保存、育成し、品種改良のために使おうとする。 在来種が少なくなるのは、種子会社にとっても困ることなのだ。一般人が「自然をあまり大きく変化させないために、在来種を護ろう」というよりも切実なことなのだ。かつてはあまりそのようなことに種子会社も気づかなかった。しかし今では、種子会社にとって在来種を保存することは、会社存続のための必要な事業の一つになっている。
細胞培養  こうした品種改良の流れの途中で「細胞培養」が脚光を浴びた事があった。「ポマト」に象徴される細胞育種法が、今までになかった全く新しい作物を作れる、かのように思われたときがあった。しかし、実用的なものは出来なかった。これからも新しい作物への期待はない。ウィルス・フリーなどの利用が中心になるだろう。消費者の関心は呼ばない。
遺伝子組み換え  品種改良の流れは、「司令塔があって、その指令に基づいて行われてきた」のではない。市場のメカニズムが働いて現在の農作物市場がある。その市場のメカニズムの働く場で「遺伝子組み換え植物」が話題になっている。その話題は、「品種改良の流れはこれでいいのか?」との疑問を投げかけている。食品安全性、大企業の種子・農業支配、環境保護、といった面から、品種改良の流れ先を警告を発する。 品種改良を進める技術者はとまどっている。「遺伝子組み換えも今までの延長線でしかない。選抜育種でも交雑育種でも非難はされなかった」 それは遺伝子組み換えに関する書籍沢山を読むと感じる。育種に携わる人の本はだいたい同じ様な、冷静な・やや冷たい、話の進め方をしている。 それに対して、遺伝子組み換え批判派は、熱っぽい・感情的な話の進め方をしている。中には「例えば、トマトの遺伝子にハエの遺伝子を入れ、腐りにくいトマトを作る。こんな、トマトを子供たちに食べさせたいと思いますか?」 のような喩えさえ使っている。
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<主な参考文献・引用文献>
食の未来を考える              大澤勝次・今井祐          岩波書店      2003. 6.27  
( 2004年1月5日 TANAKA1942b )
(21)野菜に加えられた良き性質
GMOの広がる可能性
<遺伝子組み換えと他の育種法との違い> 遺伝子組み換え植物(GMO・Genetically Modified Organism)(欧米では一般に GEO ・Genetically Engineered Organism と呼ばれる)を分かりやすく説明するにはどのような表現が良いのだろうか?いろいろ考えて次のように、「従来からの育種法と、どのように違うのか?」という点から比較してみた。
選抜育種法 は気に入らない品種を捨てていく育種法。自然界では強いものだけが子孫を残せる。ダーウィンの仮説によれば「生物は自然選択によって環境に適応するように進化する」との表現になる。育種では自然のままでは生きていけないような弱い品種でも、人間に気に入られれば子孫を残すことになる。コシヒカリは人間が栽培しなければ、自然のままでは、自分だけでは子孫を繁栄させることができず、やがて絶滅する。ただし、この育種法では突然変異でもなければ急激な改良はできない。
交雑育種法 は2つの品種の良いところを生かした子孫を作る。両親の良い点が現れている。何代かに渡って品種を固定するので、固定種又は在来種となっていく。コシヒカリを始め、日本のイネはこの方法に依るものが多い。自家採種ができる。植物の混血児を作るようなこと。
一代雑種育種法 は2つの品種の隠れていた良いところを生かした子孫をつくる。潜在的には持っていたが現実には現れていなかった両親のよい性格が受け継がれている。よい性格は一代目だけ、代が進むと平凡な品種になる。「鳶が鷹を生んだ」とはこのこと。
細胞育種法 はポマト(ポテトXトマト)の誕生で一時大きな期待が持たれたが、全く新しい植物の誕生は期待出来ないとなった。現在ではウィルスフリーなど、性質の一部を変える技術として利用されている。特定の品種にある性質を加えたり、あるいは取り除いたり、その利用方法は遺伝子組み換えに受け継がれていく。
遺伝子組み換え育種法 はある品種に他の品種又は、他の植物の持っている良い性質を加えた子孫を作る。ポマトのような新品種は期待できない。親の欠点をカバーした子、または良い性質が加えられた子が生まれる。
<どんな性質が加えられたか?>遺伝子組み換えでは全く新しい作物を作る技術ではない。農作物に特定の性質を加える技術だ。それではどのような性質が加えられているのだろうか?それをみてみよう。
日持ちの良さ これは熟する時に働く酵素を抑える遺伝子や、果実の成熟や老化を進めるホルモンを抑える遺伝子を取り入れたもので、トマトやカーネーションに応用されている。
除草剤耐性 これは、特定の除草剤に対して抵抗性を持たせた農作物で、その除草剤を撒いて雑草は枯れても農作物は枯れないというもの。農作物を作るとき、雑草や農作物に応じて数種類の除草剤を使用しているが、これにより、使用回数や使用量を減らすことが出来る。大豆やなたねなどに導入されている。
害虫抵抗性 これは特定の害虫だけを殺すタンパク質の遺伝子を組み込んだ農作物で、よく知られているのはBtコーンと呼ばれるトウモロコシ。
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<どんな野菜が改良されたか?> 医薬品であるヒトインスリンやヒト成長ホルモンから始まった、遺伝子組み換えの実用化が野菜に応用されるようになった。1989年には日持ちを良くしたトマト(フレバーセイバー)が誕生し、1994年から市販された。 その後、ダイズ、トウモロコシ、ナタネ、ジャガイモ、綿実などの遺伝子組み換えがアメリカで実用化された。ここでは個々の遺伝子組み換え作物について見てみよう。
除草剤耐性の大豆 日本で、大豆は植物油の他、納豆、豆腐、味噌、醤油、油揚げ、家畜用飼料に使われている。国内消費量は約507万トンで、そのうち381万トンがサラダ油など精油用に使われ、残りのうち約100万トンが納豆、豆腐などの食用として使われている。 こうした消費量に対して、2001(平成13)年の生産量は27万1千トン。食品用の自給率は26%、全体としての自給率は5%。輸入金額としては1,229,388円(2000年)。主な輸入国は、アメリカ365万トン、ブラジル71万トン、カナダ25万トン。
 遺伝子組み換え技術で作り出された大豆は、1996年に開発された除草剤耐性の遺伝子を組み込んだものが代表的。除草剤を散布すると、ほかの草は枯れるが、耐性遺伝子を組み込んだ大豆は枯れないため、散布が簡単かつ効果的にできるとして栽培面積が広がり、米国では大豆の総作付面積の6割を占める。 アメリカ、ブラジル、カナダ、中国などでは、遺伝子組み換え作物の作付けが急増し、日本に輸入されるアメリカ大豆の約75%(50%との資料もある)が遺伝子組み換えで、日本では食用油などとなって私たちの食卓に登場している。
害虫抵抗性のトウモロコシ 遺伝子組み換え技術によって「害虫抵抗性」という性質が可能となった。これは特定の害虫に対して被害を受けない性質を言う。 害虫抵抗性農作物は、もともと土壌に生息しているバチルスチューリンゲンシス(Bacillus thuringiensis)という細菌(Bt菌)から、害虫に強い性質をもつ遺伝子であるBt遺伝子が導入されたもので、害虫の被害から農作物を守ることができる。 この遺伝子はδ(デルタ)エンドトキシンという殺虫タンパク質(Btタンパク質)を生み出す。Bt菌は生物農薬としても利用されている歴史もあり、特定の害虫である蛾や甲虫類の幼虫などに対して、殺虫作用がある。この殺虫タンパク質は特異(選択)性が高く、哺乳類や鳥類などの脊椎動物には毒性を発揮しない。 現在、害虫抵抗性農作物として、トウモロコシ、ワタ、ナタネ、ジャガイモなどが実用化されている。
 日本への輸入量は約1600万トン、金額としては1,888,567円(2000年)。用途は約75%が飼料用、25%がコーンスターチ等の食品用などの原料として使われている。
除草剤耐性のナタネ 1995年に商品化されたもので、大豆と同じ「特定の除草剤に強いもの」。植物油として利用される。ナタネの自給率は0%で、90%はカナダから輸入されていて、輸入されたものの内37%が組み換えと言われている。カナダではナタネの栽培面積が120〜160万ヘクタールでそのうち25〜33%が組み換えと見られている。 日本ではキャノーラとの名で知られている。
害虫抵抗性のジャガイモ アメリカで1996年に商品化された。トウモロコシと同じ方法により害虫に強いもの。ジャガイモは、植物検疫上の理由から、生食用の輸入はなく、冷凍、粉状、乾燥、フライドポテト、マッシュポテト等の形で約70万トン(ジャガイモ換算)輸入されている。 ジャガイモの需給関係は、国産 304万トン、加工した輸入もの70万トン(米国)。
害虫抵抗性の綿実 1996年アメリカで商品化された。除草剤耐性の綿実も同じ頃商品化された。輸入されたものの用途は、油糧用または飼料用。
日持ちの良いトマト 1994年アメリカで商品化されたが、日本へは輸入されていない。
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<改良された利点は何か?> 改良された性質は、日持ちを良くする、害虫に強くする、除草剤に強くする、などがある。除草剤に強くなった作物は除草剤散布の回数が減り、農家とその家族が農薬中毒になる恐れが少なくなった。 こうした点について、朝日新聞2003年10月11日b3面のVisitors欄から引用しよう。
「遺伝子組み換えの評価は冷静に」  パメラ・ロナルド氏(米カリフォルニア大デービス校教授) 
米国の遺伝子組み換えイネの研究者。葉枯病に強い改良品種を研究。カギになる遺伝子の特定に取り組む。米のバイオテクノロジー企業、モンサント日本法人に招かれ、都内で講演した。
「遺伝子組み換え作物(GMO)の世界最大の生産国である米国では、02年に全作付面積に占めるGMOの比率が66%に達した。しかし、開発の歴史が浅いこともあり、消費者が正確な情報を得ているとは言い難いのが現状だ」
事実、その安全性に首をかしげる消費者は多く、日本での商業栽培はない。食品メーカーは製品の原料に「使用していないこと」を売り物にしている。
「米国では年間12万5千トンの農薬が使われている。誤使用などによる農家とその家族の中毒被害の報告は11万件あり、がんとの因果関係も指摘されている。中国では、病害虫に強い遺伝子組み換え綿が導入されて以降、殺虫剤散布が導入前の75%に激減した。 リスクと便益の評価は、もっと冷静になされるべきだ。私は、科学者として、母として、有機農業を営む夫を持つ妻として、GMOを食べるのに何の抵抗も感じない」
GMOで開発企業は利益を得、普及が進むほどその支配力が強まる構図もある。
「過酷な気象条件や貧弱な土壌でも収穫が期待できるGMOは、発展途上国の食糧不足を解決する。情報開示を徹底し、問題が起きた場合にだれが責任をとるかを、はっきりさせることが大切だ。途上国にはライセンス料なしで種子を提供することも考えるべきだ」 【鈴木淑子】  (朝日新聞2003年10月11日)
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<改良の目標は増えていく> 品種改良も日本では「発展途上国型品種改良」から「先進国型品種改良」に変わっていく。生産量を増やすを最大の目標としていた品種改良から、もうちょっと違った目標に向かって改良が行われるようになる。 イネの場合も、コシヒカリが生まれた頃とは違って、「スギ花粉症の治療に効果のある遺伝子組み換え米」を目標とするようになった。これには全農も積極的に参加している。毎日新聞から引用しよう。
遺伝子組み換え「花粉症緩和米」 07年にも商業生産 全農など共同開発
 農水省は2日、スギ花粉症の治療に効果のある遺伝子組み換え米の商業生産が07年度にも実現する見通しとなったことを明らかにした。実現すれば、食用の遺伝子組み換え作物の商業生産は日本で初めて。遺伝子組み換え米の本格的な商業生産も世界初となるが、遺伝子組み換え作物は、安全性や生態系への影響に懸念を持つ人もおり、議論を呼びそうだ。
 この「花粉症緩和米」は、独立行政法人の農業生物資源研究所、日本製紙、全国農業協同組合連合会(全農)が共同開発。同省は、同米など遺伝子組み換え作物の実用化を支援するため、来年度予算で45億8000万円を概算要求した。来年度に試験栽培を行い、臨床試験で安全性を確認後、商業生産に入る計画だ。
 スギ花粉症は、アレルギーの原因となるたんぱく質を体内で外敵と認識し、鼻水や涙などの過剰反応が起こる。このたんぱく質を長期間、少量注射して耐性を作る治療法が行われているが、この原理を応用した。同たんぱく質を生成する人工遺伝子をイネに組み込むことで、コメのはい乳にこのたんぱく質が蓄積され、食べ続けると、アレルギー反応が起きにくくなる。農業生物資源研究所は、マウス実験で有効性を確認しており、人間にあてはめると、1日当たり1合(180CC)のご飯を数週間食べ続ければ効果が表れるという。
 花粉症緩和米は00年に開発に着手。現在は茨城県つくば市の同研究所の温室で試験栽培中で、来年度は同市内で他の農地と隔離した場所で、試験栽培を計画している。
 農水省は来年度から、安全性や栽培、流通の仕組みを検討する。また、厚生労働省の食品安全性の審査を受け、健康への効果を表示できる「特定保健用食品」として販売する方針だ。【尾村洋介】   (毎日新聞 2003年09月02日)
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<日本での遺伝子組み換え農産物> 遺伝子組み換え農産物の安全性確認にはいくつかの段階がある。それは、閉鎖系、非閉鎖系、隔離ほ場、栽培目的、輸入目的、食品、飼料、となっている。ここでは「栽培目的」として安全性が確認されているのもを拾い出してみた。 これらの中にはすでに「食品」としての安全性が確認されているものもあるし、「カーネーション」や「キク」のように食品としての安全性確認は不要、というものもある。
品目 開発者 特性 導入遺伝子 安全確認
アズキ 農業研究センター 害虫抵抗性 アルファ-アミラーゼ・インヒビター遺伝子 1999
イネ 農業研究センター,農業生物資源研究所 ウイルス抵抗性 イネ縞葉枯ウイルス外被タンパク質遺伝子 1994
イネ 農業環境技術研究所,KK植物工学研究所 ウイルス抵抗性 イネ縞葉枯ウイルス外被タンパク質遺伝子 1994
イネ 三井東圧化学 低アレルゲン イネアレルゲン遺伝子アンチセンス 1995
イネ 農業研究センター,農業生物資源研究所 ウイルス抵抗性 イネ縞葉枯ウイルス外被タンパク質遺伝子 1997
イネ 日本たばこ産業 造酒用低タンパク質 イネグルテリン遺伝子アンチセンス 1998
イネ モンサント 除草剤耐性 グリホサート耐性遺伝子 2000
イネ モンサント、愛知県農業総合試験場 除草剤耐性 グリホサート耐性遺伝子 2001
イネ 農業生物資源研究所 高光合成 トウモロコシ・C4型PEPC遺伝子 2003
カーネーション DNAP、サントリー 日持ち延長 エチレン合成酵素遺伝子(コサプレッション) 1996
カーネーション フロリジーン、サントリー 色変わり アントシアニン合成遺伝子 1997
カーネーション フロリジーン、サントリー 色変わり フラボノイド3',5'-水酸化酵素遺伝子他 1999
カーネーション フロリジーン、サントリー 日持ち延長 1-アミノシクロプロパンカルボン酸合成酵素遺伝子 2000
カーネーション フロリジーン、サントリー 色変わり フラボノイド3',5'-水酸化酵素遺伝子他 2000
カリフラワー タキイ種苗 除草剤耐性,雄性不稔 グルホシネート耐性遺伝子,雄性不稔遺伝子 2001
キク 麒麟麦酒 RNA病原体抵抗性 二重鎖特異的RNA分解酵素遺伝子 2002
キュウリ 農業生物資源研究所 灰色カビ病抵抗性 キチナーゼ遺伝子 1999
ダイズ モンサント 除草剤耐性 グリホサート耐性遺伝子 1996
トウモロコシ モンサント 害虫抵抗性 Btタンパク質産生遺伝子 2003
トウモロコシ ノースラップキング 害虫抵抗性,除草剤耐性 Btタンパク質産生遺伝子,グリホシネート耐性遺伝子 2002
トウモロコシ ノバルティスシード 害虫抵抗性,除草剤耐性 Btタンパク質産生遺伝子,グリホシネート耐性遺伝子 2002
トウモロコシ デカルブ 害虫抵抗性,除草剤耐性 グリホサート耐性遺伝子 1998
トウモロコシ モンサント 除草剤耐性 グリホサート耐性遺伝子 1998
トウモロコシ モンサント 害虫抵抗性,除草剤耐性 Btタンパク質産生遺伝子,グリホサート耐性 2003
トマト 農業環境技術研究所他 ウイルス抵抗性 TMV外被タンパク質遺伝子 1992
トマト 野菜・茶業試験場 ウイルス抵抗性 CMV外被タンパク質遺伝子 1996
農林水産省農林水産技術会議事務局の資料から作成  安全確認 は栽培目的での安全が確認された年。食品として販売するには更に安全性の確認が必要
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<主な参考文献・引用文献>
食と農の戦後史               岸康彦               日本経済新聞社   1996.11.18
遺伝子組換え作物 大論争・何が問題なのか  大塚善樹              明石書店      2001.10.31
( 2004年1月12日 TANAKA1942b )
(22)遺伝子工学の方法
何が進歩して、何が停滞しているのか?
<組み換えの方法> ここでは遺伝子組み換え作物の作り方から話を始めよう。まず、ある生物から目的とする有用な遺伝子を見いだし、その遺伝子だけを取り出す。 このとき、この遺伝子以外の別の遺伝子が混じらないように処理をする。そして、作物の種類に応じて、次に挙げる3つの方法のどれかによって、作物の細胞の中の核にその遺伝子を導入する。 この段階では、目的どおりに有用遺伝子が導入されたかどうかわからない。そこで、多数の細胞を培養し、その中から目的とする遺伝子がちゃんと導入されているものだけを選抜し、増殖させる。 次に、増殖した細胞から芽や根を出させ、植物体を再生する。 こうして育成された多くの植物体の中から、有用遺伝子がきちんと発現しているものを選抜し、遺伝子的に安定なものとするために交配などを行ったものが、遺伝子組み換え作物となる。
アグロバクテリウムを利用する方法 土壌に住む細菌の一種であるアグロバクテリウムを利用する方法。@アグロバクテリウムの環になったプラスミドと呼ばれるDNAを取り出し、酵素を使って一部を切り取る。A導入したい有用遺伝子をアグロバクテリウムのプラスミドにつなぐ。 Bこの組み換えプラスミドをアグロバクテリウムに戻す。Cアグロバクテリウムを目的の農作物の組織に接触させる。Dアグロバクテリウムの働きで有用な遺伝子が目的の農作物のDNAの中に取り込まれ、組み換えがおこる。
パーティカルガン法 パーティカルガン(遺伝子銃とも言う)を使って直接有用遺伝子を細胞に入れる方法。@目的の遺伝子を金などの微粒子にまぶす。A遺伝子をまぶした微粒子をガスなどの圧力で葉などの植物組織・細胞に打ち込む。Bアグロバクテリウム法と同様に培養・選抜を行い組み換え植物を作る。 米国アグラシータス社が開発した。
エレクトロポレーション法 電気窄孔法とも言われるこの方法は、電気パルスの刺激を利用して有用遺伝子を植物細胞に直接入れる方法で、細胞融合にも利用されている。 @有用遺伝子を導入したい植物からプロトプラストを作る。Aプロトプラストと有用遺伝子を溶液に入れて、直流の電気パルス(数1000ボルト/cmの高電圧で数10μ秒のパルス)をかけるとプロトプラストの細胞膜に短時間、小さな穴があき外液といっしょに遺伝子が取り込まれる。 Bアグロバクテリウム法と同様に培養・選抜などを行い組み換え植物を作る。
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<1995年当時のTV番組> 遺伝子組み換えに関する資料をいろいろ探している内に、1995年放送NHK・TVのビデオが見つかった。1995年6月12・13日放送のETV特集「コメ自由化元年」@アメリカ遺伝子特許戦略、A生き残れるか日本の稲作。このうちの「A生き残れるか日本の稲作」を基に話を進めよう。
 番組では、アメリカ、アーカンソン州での農家がコシヒカリの直播き栽培をやっていて、農地が760ha、日本の平均の950倍の広さ、直播きによりコストは日本の1/10程度、との話から、アメリカの遺伝子組み換え技術とそれに対する日本のミラクルジャポニカ計画、遺伝子組み換え技術の将来、へと話は進んでいった。 番組登場者はキャスターが中田薫、コメンテータが天笠啓祐(ジャーナリスト)と辻井博(京都大学教授)、それに番組内で意見を言うのが山本隆一博士(農水省農業研究センター)、久保友明(日本たばこ産業遺伝育種研究所所長)、西尾剛(農水省放射線育種場室長)、榎本良夫(キリンビール取締役)。
 アメリカ、カーネル大学のジョン・サンフォード博士は遺伝子銃のアイデアを特許申請し、1990年に発効されるとこの特許権をデュポン社に売った。アメリカのベンチャー企業、アグラシータス社(Agracetus)は遺伝子銃を開発し、デュポン社と提携し遺伝子銃に関する特許を取った(後にモンサント社がこのアグラシータス社を吸収合併する)。 アグラシータス社は遺伝子銃の特許とこの使用に関する特許を1992年に取る。そしてこれを使用してわずか3年で除草剤に強いコメを開発し、特許を申請した。
 これに対して日本ではミラクルジャポニカ計画を進める。ただしこれには遺伝子組み換えは含まれていない。この計画に対して天笠氏は次のように言う。
 放射線による突然変異の利用というのは、遺伝子組み換えがハイテクなら、ローテクに属する技術ですね。現場では朝礼暮改的に変わる方針に対して、白けていますね。
 これが1995年6月当時の状況。現在では農水省も遺伝子組み換え技術を積極的に利用しようとしている。現場では朝令暮改的な変化に白けているのだろうか?しかし技術は進化すれば、それに従って方針も変わるべきで、なかなか方針を変えない、前例に従って開発を進めるべきだ、と考えるのはいかにもお役所感覚だ。 コメの品種改良に企業も参加するようになって、積極的に新しい技術を利用しようとなってきたようだ。
 この番組ではアメリカが農遺産物に関する特許戦争を仕掛けてきた、これに対して日本はどうする?というのがテーマになっている。これにはポール・クルグマンが「そんな概念はないよ」と否定する「国際競争力」という考え方がベースにある。アメリカが仕掛けてきた特許戦争・アメリカ企業の特許戦略が議論の対象となる。 辻井博氏はこうした遺伝子組み換えの特許に関して次のように言う。
 特許は研究を促進するという側面はあるが、しかし、特許には問題点もあって、その特許の幅が広すぎたり、期間が長すぎたりすると、社会的に不公正・不公平な問題が起こってくる。だから、その辺を考えなければならない。もともと特許制度は人類の幸福のためにあるわけですから、特許を取った人だけが儲かっているのでは困ると、私は考える訳です。 特許の権利がカバーする幅、特許の権利が保証する期間、これをやっぱり日本の農業を維持していくにはどうしたらいいか、主体的に考えて国際的にも交渉して新しい枠組みを作っていくべきだと思います。もう一つは、特許料をあんまり高くすると、特許を取った会社やその主体にあまりにも多くの利益を与えてしまいますから、不公平になりますね。 その辺をどう決めるか、やっぱり、学者と、いろんな団体とか政府とかが集まって、徹底的にどうすべきか、決めるべきであろうし、国際的にも交渉して決めていくべきなんじゃないかと思います。出来ると思うんですね。これは比較的やりやすい問題だと思うんですね。
 終わりの方で、コメンテータの中田氏は言う「この遺伝子組み換えの戦略が我々の食卓を変えるかどうか、と言うことは、やっぱり消費者がきちんと考えておかないと道を誤りかねない、という、そういう問題提起でもあると思うんですけれど」。それに対して天笠氏は言う。
 それが大きなポイントになるでしょうね。消費者が一番気にしていることは、組み換え作物が新しい技術であるので、安全性に疑問を持っていることです。開発する側は「画期的だ」と言う。そうして新しい品種が市場に入って来る。これから越えなければならない壁は「安全性」なんですね。消費者の理解を得る、得ないということが最大のポイントになって来ると思いますよ。 消費者がはたしてこの遺伝子組み換え食品を選択するのか、あるいは選択しないのか、そういう問題として提起しているんじゃないかと思います。
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<特許制度が企業の技術開発を促進する> 企業は特許を取って独占的な利益を得ようとし、そのために技術開発に投資する。もし独創的な技術を開発しても、その使用料を自社では決められないならば、科学者や関係する団体や政府が決めるとしたら、せっかく開発した特許もその開発費を回収出来ないかも知れない。そのように自社で決められない制度になったら研究投資額は確実に減る。進歩は遅くなる。 未知との遭遇に恐怖心を持つ人は喜ぶ。現代のラダイト運動は活気づく。
 もし現状の制度で、企業が非常に高い特許使用料を要求したらどうなるか?農家はその企業から種子を買わない。組み換え種子を栽培して利益が上がるかどうか計算する。その結果、従来の種子を栽培する。そうなると開発した種子会社は売り上げが伸びないので、種子の販売価格を下げざるを得ない。これは市場経済では自然なこと。ただし、旧ソ連のような社会主義経済ではこうならない。 政府や農協の指示した種子を買うことになる。つまり、特許料を学者や団体、政府で決めるべきだというのは社会主義経済体制での発想、日本やアメリカ、その他の諸国が市場経済である、ということを忘れている発想だ。
 そうしてもう一つ、国際的な交渉を通じてアメリカ企業の自由な活動を制限しよう、との考えは、「発展途上国型発想」だ。「先進国は特許制度を利用して、途上国から特許使用料を取ろうとしている」とは途上国型発想。かつて韓国・台湾・香港・シンガポールなどで先進国のブランド品の偽物が作られて話題になったことがあった。最近では話題にならない。それだけこれらの国が先進国に近づいて来たのだろう。 日本政府の立場は「知的所有権を大切にしよう」だ。辻井氏の発想は発展途上国型の発想。そしてそこには「日本はアメリカに比べて遅れている」との認識がある。そうでなければこのような発言にはならない。そしてそれは「自虐的発想」という点で、歴史を自虐的に見る態度に共通する。もうこのような「敗北主義」は捨てるべきだ。日本で品種改良に多大の貢献をしてきた先人たちの功績を正当に評価し、それに学ぶべきだと思う。 品種改良では、江戸時代から日本は先進国だった。農業経済学者は視野狭窄にならず、時代を超えて、江戸時代にも目を向けて見ましょう。江戸時代の庶民の品種改良に対する好奇心や遊び心が伝わって来て、日本の歴史の勉強が楽しくなるでしょう。もうこのような「尊農攘夷論」はやめにしましょうよ。
<品種改良のなにが進歩し、なにが停滞しているのか?> 日本ではコメの品種改良が、交雑育種法から細胞培養を利用してF1ハイブリッドを開発したり、遺伝子組み換えを利用したりと、多彩な技術を利用しようとの姿勢になってきた。開発に関しては新しい技術を利用しようとしている。それでもまだ、官主導の進め方は改まっていないようだ。 そこには、「日本対アメリカ」とか「国際競争力」とかあるいは「食糧安保」「食糧自給率」という言葉が生きていて、コメの品種改良は「国家事業」であるとの意識が強い。それはマスコミ報道、NHKの番組でも感じられる。 企業間の競争であり、アメリカも日本のオランダもベルギーも、それぞれの国の企業が入り乱れて開発競争をしている、と捉えると全く意識が変わってくるのだが、そうした感覚はマスコミ人にはなさそうだ。あるいは「国際競争力」とか「日本とアメリカの争い」と扱った方が視聴率を取れると考えているのかも知れない。 コメの開発に種子会社が参入して来ると、社会主義的な発想が少なくなり、自由な競争、自由な研究が進むと思うのだが、テレビに登場する識者には隠れコミュニスト的な人が多いようだ。1995年に放送され、取り上げられた問題、その多くはそのまま蓋をされている。いずれコメ市場は開放され、グローバリゼーションは進む。 それまで問題を先送りしていると「グローバリゼーションによって社会は進化する」で扱った様な悲劇が起こるかも知れない。今は開国を迫られた幕末期に似ている。黒船のたった四杯で夜も眠れなかったように、遺伝子組み換えで日本のコメ作りが慌てふたむき、右往左往することになる。 コメ作りをどうするか、意見の一代雑種を作る必要がある。あるいは農業政策に「市場経済」「利潤追求」という遺伝子をアグロバクテリウムを使って組み込むことが必要かもしれない。いずれにしろ、成長痛が起こることは覚悟しなければならない。それを克服してこそ、日本の農業は先進国型産業に進化していくことになる。
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遺伝子組み換え関連略年表
1900 オランダのド・フリース(Hugo De Vries)、ドイツのコレンス(Carl Correns)、オ−ストリアのチェルマク(Erich von Tshermak-Seysenegg)により、それぞれ独立にメンデルの法則が再発見される.
1903 キャノン(Cannon)がエンドウの染色体数を確定 米国のサットン(Sutton)が、メンデルのいう遺伝因子は染色体上にあると指摘.
1930 米国の農家がトウモロコシのハイブリッド種を1922年に購入して使いはじめ、トウモロコシ生産高が1965年までに600%増加する
1933 ローズ(Rhodes)がトウモロコシで細胞質雄性不稔性を発見
1944 エイブリーが遺伝子の本体がDNAであることを確認
1952 ハーシーとチェイスが遺伝情報を伝えるのがDNAであることを証明
1953 
ワトソン(James D.Watson)とクリック(Francis Crick)がNature誌に「DNA2重らせんモデル」を発表。
1959 中国全土で大飢饉発生(1959-1961年)。3年間で2千万人以上が餓死する.
1961 米国ワシントン州立大学のボーローグ(O.Vogel)が、日本の農林10号を親として、コムギの最初の超多収品種Gainsを育成.
1963 スチュワードが植物の組織培養に成功
1970 ボーローグが、“緑の革命”とよばれる小麦品種改良(半矮性小麦品種)により、植物品種改良家として初のノーベル賞受賞者となる
1970 ハミルトンとスミスが制限酵素の作用を解明
1972 米国のCarlsonらは、タバコ属の種間で細胞融合によりはじめて体細胞雑種を作成する
1972 バーグが試験管内で組み換えDNAの作成 。これが初めての遺伝子組換え実験となる。
1973 米スタンフォード大学のスタンレー・コーエン(S.Cohen)教授と「EcoR T」の発見者ハーバート・ボイヤー(H.Boyer)教授らのグループが、DNAを組み換える方法を発見。大腸菌のDNAを酵素をつかって自在にカットし、そこに黄色ぶどう状球菌の遺伝子を組み入れることに成功した(1973.3)。これによって、人類は初めて遺伝子を操作できるようになった。 この結果は11月に科学雑誌Natureに発表され、バイオテクノロジーのブームのきっかけとなった。
1974 シェル(Jozet S.Schell)博士とモンタギュー(Marc C.E.Van Montagu)博士がアグロバクテリウムのTiプラスミドを発見
1974 中国で最初のイネ実用F1品種が育成される
1975 
2月サンフランシスコ郊外のアシロマで遺伝子操作の安全性に関する会議が開催される(アシロマ会議)
1975 酵素によりDNAを特定箇所で切断する技術が開発される。
1976 米国国立衛生研究所(NIH)が世界で初めて、遺伝子組み換え実験のガイドラインを作成
1976 ボイヤー博士が世界初の遺伝子工学企業のジェネンテック社を創設。ヒトインシュリンやヒト成長ホルモンなどの生産に成功。同社は今日、最も成功したバイオ企業として知られる。
1978 ドイツのマックスプランク生物学研究所のメルヒャー(Melchers)が、トマトとジャガイモの細胞融合により、交雑不可能な属間における最初の体細胞雑種ポマトを作出
1979 中国でハイブリッド・ライス(F1品種)の作付け面積が500万ha(全水田面積の1/6)に達する
1982 ヒトインスリン、ヒト成長ホルモンが組み換え大腸菌から作られ市販され、医薬品から組み換え技術が実用化される。
1983 経済協力開発機構(OECD)が、産業利用における遺伝子組み換え体の安全性評価に関する検討を開始する
1985 除草剤耐性植物が開発される
1985 PCR法(パーティカルガン法 )を開発(米アグラシータス社)
1986 米国でタバコモザイクウィルスによる病気への抵抗性をもったタバコが開発される
1986 ベルギーで害虫抵抗性のタバコが開発される
1987 中国でハイブリッド・ライス(F1品種)の作付け面積が1,000万ha(全水田面積の1/3)を超える
1989 米国で日持ちを良くしたトマトが誕生する。市販開始は1994年。
1990 遺伝子組み換え技術でキモシンがつくられる
1992 米国化学品メーカー WR Rgaceのバイオテクノロジー子会社アグラシータス社(Agracetus)によりすべての遺伝子組み換えコットンについての特許が認められる(1994年に無効)
1992 米国カーギル社(Calgene)は、日持ち性を改善した遺伝子組み換えトマト (FlavrSavr Tomato)の特許を取得
1993 OECDが環境安全性の基本概念であるファミリアリティと、食品安全性の基本概念となる実質的同等性を打ち出す
1994 遺伝子組み換え技術で作られたフレーバーセーバー・トマト(FlavrSavrTomato)(日持ちの良いトマト)が米国ではじめて認可され店頭に並ぶ
1995 米国で遺伝子組み換え技術で作られた除草剤耐性ナタネの安全性が確認される
1996 遺伝子組み換え作物の初の大規模生産が開始される。米国からの欧州向け輸出に対して欧州で反対運動が始まる。96年の遺伝子組み換え作物の栽培面積は2百万ha。
1996 日本の旧厚生省が遺伝子組み換え作物4種7品目の安全性を確認
1997 遺伝子組み換え作物の栽培急拡大。 栽培面積は、11百万ヘクタールに増加。
1997 農林物資の規格化及び品質表示の適正化に関する法律(JAS法)が1999年7月22日に改正され、遺伝子組み換え食品について表示することが決まりました
1998 欧州で、遺伝子組み換え食品についての表示義務化が開始される。 遺伝子組み換え作物の栽培面積は、さらに急拡大、28百万ヘクタールとなる。
1999 ビタミンA前駆体のベータカロテンを含み、開発途上国の子供たちの失明予防に役立つ可能性を持つイネが開発される
1999 ローマで行われたコーデックス委員会総会で、バイオテクノロジー応用食品部会が設立され、日本が議長国に
2000 3月31日に「遺伝子組み換えに関する表示の基準」が告示され、表示制度がスタートしました
2000 かずさDNA研究所が高等植物(アブラナ科シロイヌナズナ)の全ゲノムを解読
2001 日本で遺伝子組み換え食品の安全性審査が義務化される。JAS法と食品衛生法による、遺伝子組み換え表示制度がスタートする
2001 シンジェンタ社がイネゲノムの解読を終了
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<主な参考文献・引用文献>
組換え農作物 早わかりQ&A        農水省農林水産技術会議事務局               2002. 4
くらしのなかのバイオテクノロジー      農水省農林水産技術会議事務局               2001. 4 
( 2004年1月19日 TANAKA1942b )
(23)批判派・推進派の主張
世界の食糧危機を救うか?
<批判派の主張> 遺伝子組み換え食品を批判する人たちがいる。科学者やジャーナリストや市民運動家や、そうした人たちの主張に共鳴する人たち……。 その主張はいろいろあって、不安感を表明する程度から、積極的に批判する厳しいものまで、それでも「日本人が作りだした農作物 品種改良にみる農業先進国型産業論」の各論としてはある程度要領よくまとめて話を進めなければならない。 たくさんの不安感、反対論を読んでTANAKA1942bなりにまとめてみようと思う。分からない事がいっぱいある。でも、だからといって「分かりません」と言って逃げ出すことはやらない。アマチュアエコノミストの意地が許さない。 批判派の主張、そのポイントを4つにまとめてみた。
食品としての安全性に不安 人間が植物の遺伝子を操作して、今までに無かった遺伝子構造の作物を作り出した。これを人間が食べて何の害もないのか?あるいはアレルギー症状が出る可能性はないのか?ヒトインスリンなどの医薬品は専門の医師が適切に患者に投与する。 しかし組み換え食品に関しては、安全性の素人がいろんな食べ方をする。食べる量も人によって違う。生活環境も違う。それでも安心して食べていいものか、素人にも納得できる説明がない。
 パズタイ事件に関して、「バズタイらのGNA組み換えジャガイモのデータは、不十分なものだ」との意見もあるが、だからと言って「GNAが安全だ」とは言えない。 「実質的同等性」は経済的・政治的に作られた矛盾した規準で、その科学的根拠は曖昧であり、有効ではない。このような安全性を当然視するだけの概念に代えて、毒性を実際に調べる方法を政府は確立すべきである。
環境へ悪影響が心配 遺伝子組み換え作物を露地栽培していれば、いずれ従来からある在来種と交雑する可能性がある。本来組み換えでない在来種が、知らない間に組み換え作物のなるかもしれない。組み換え作物自身が雑草化したり、除草剤が効かない雑草が増えるとか、農薬や抗生物質に耐性な遺伝子が生態系に広がることが懸念される。 さらに、1999年5月20日号の「ネイチャー」に掲載された、米国コーネル大学の昆虫学者、ジョン・ロージーらのグループによる報告のように、害虫を殺すBt毒素の遺伝子を組み込んだ遺伝子組み換え作物が、害虫でない昆虫に害を与える可能性もある。
種子会社が農業を支配するおそれ 1999年2月、アメリカの週刊誌「タイム」に「自殺する種子(Suicide seeds)」という刺激的なタイトルの支持が掲載された。これはモンサント社が開発した作物で、その種子が農家に売られ、その種子を播いて育てた作物から農家が種子をとって自分の畑に播いても、そのときには種子自体に仕掛けられた仕組みが働いて、発芽能力が押さえられて死んでしまう仕組みに、タイム社が「自殺する種子」と名付けて記事を掲載したものだった。 F1ハイブリッドを徹底させたものだった。農民はモンサント社の組み換え種子を使う場合は、種子代金を払うだけではなく、次の年に自分のところでできた種子を使わないよう契約書にサインさせられる。モンサント社が種子の選択権を支配しようとした例は他にもある。カナダのサスカチュウアン州の一農家がキャノーラ(含有化学成分を改変したアブラナ科ナタネ)のモンサント社の除草剤抵抗性品種を契約内容を守らずに栽培したとして、その農家をモンサント社が裁判に訴えた、という例もある。 このように種子会社が農家・農業を支配し始めている。
大企業に対する不信感 組み換え作物ではない、とされていたものの中に組み換え作物が混入していた例は多い。これからも度々起こりそうだ。組み換え作物が人体に害があるとか、環境に悪影響を与えるとか、種子会社に不利なことが分かったとき、種子会社はそれをすぐに公表するだろうか? 人間に対する安全性、環境への影響など、企業と消費者との間には「情報の非対称性」がある。常に情報は企業側からの一方通行。これでは企業と消費者が対等だとは言えない。企業が利潤追求のために安全性を無視した経営戦略とる可能性は否定できない。
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<推進派の主張> 推進派の考えは「品種改良とは本質的に遺伝子組み換えであった」ということだろう。今まで進めてきて、大きな成果を上げてきた品種改良、それが突然非難され始めた。そうしたおどろきが感じられる。
品種改良の延長線上にある組み換え技術 品種改良とは本質的に遺伝子組み換えであった。交雑育種法でも一代雑種育種法でも新しく遺伝子が組み換えられている。どのように組み換えられたかは、個々の遺伝子を問題とするのではなく、その結果どのような作物が出来たかを問題とする。このため開発中はどのような作物が出来るかはっきりしない。たくさんトライしていい品種だけを選抜していく。 これに対してGEOは始めからどのような遺伝子を組み込んで、どのような性質を加えるか?を計画して育種する。このため成功率が高く、短い時間で結果が出る。新しい技術であり、いままでの品種改良と違って、経験だけではなく科学の知識が必要になる。このため仕組みが理解出来ないと不気味な技術と感じる。クローン技術とかSFの世界にダブってイメージされる。こうしたことで充分な理解が得られていないのは残念であり、これからさらなる情報公開が必要になろう。 農水省は今まで、問題が大きくなるのを恐れたためか、充分な議論を促進してこなかった。マスコミは視聴率・購読者数を伸ばすためにセンセーショナルに扱って来たし、これからもそうであろう。これは資本主義社会での株式会社組織である以上、当然の経営戦略であろう。
 安全性に対しては、個々の品目を「実質的同等性」という方法で検討していく。いままで日常の食品では行われなかった検査なので、特に不安感を煽る必要はない。
虫を殺す作物を人間が食べても大丈夫か? 「昆虫が食べて死ぬ遺伝子を人間が食べさせられている」「GM食品のタンパク質によるアレルギーが不安だ」と言うのが耐虫性作物に対する不安だろう。1901年、日本の細菌学者の石渡繁胤(いしわた・しげたね)はカイコの病気を研究していて、当時はまだ種類が確認されていなかった胞子形成性細菌(後にバチルス・チューリンゲンシス=Bt=と命名された)が原因だと突き止めた。 その後、1915年にドイツのチューリンゲンシス地方でスジコナマダラメイガに殺虫作用を示すバチルス菌が発見され、現在その地方の名前をつけてバチルス・チューリンゲンシス=Bt=菌と呼ばれている。このバクテリアは人間やほ乳類には何の害を与えないことが分かり、1960年代から天敵微生物農薬として実用化されていて、環境に負荷をかけない生物農薬として高く評価されている。この遺伝子をトウモロコシやジャガイモに組込利用しようというもので、これが批判されている耐虫性作物の実像であり、この点に関してはマスコミも十分な理解が必要と言える。
除草剤耐性作物は農薬の使用量を増やすか? 除草剤耐性のGMダイズには「除草剤の使用量が増え、耐性雑草が増える」「花粉によって除草剤耐性遺伝子が拡散して生態系を壊す」が問題とされている。除草剤の使用量については、「ラウンドアップ」や「バスタ」という除草剤は、特定のアミノ酸の代謝を阻害して植物の生長継続をを不可能にするもので、その仕組みから薬量を増やすことで効果が上がるものではない。 GMダイズを栽培しているアメリカの産地では統計上除草剤の使用は半減している。(「遺伝子組み換えの評価は冷静に」▲を参照)。
除草剤耐性作物は環境に悪影響を与えるか? 除草剤に耐性の雑草は組み換え作物が誕生する前からたくさんあった。従来の除草剤の使用による耐性雑草の出現がそれで、だからと言って耐性雑草がはびこったとは言わない。効果のない除草剤は使わないし、特定の除草剤を使わない限り、耐性雑草は「ただの草」なのだから。
 生態系に与える花粉の影響は、その原因と結果を評価するのは難しい。しかし。これまでの品種改良で誕生した膨大な新品種による生態系の破壊が問題になったことはない。こうした問題では、「赤米」がその野性的な生命力の強さにより「白米」を野生化する、ということで明治以降栽培禁止になったことが頭に浮かぶ。またアブラナ科のハクサイが自然交配してなかなか種子が取れなくて、明治時代に輸入されながら、日本で種子が取れ本格的な栽培が始まるのが昭和になってからだった、ということが頭に浮かぶ。
 わが国では「組み換えダイズ反対キャンペーン」によって、この除草剤耐性ダイズの利用が締め出され、その代わりに、従来の除草剤がしっかり散布されたダイズが高い価格で輸入されていることは理解しておくべきであろう。 東京穀物商品取引所で扱われるダイズ、取引量では一般ダイズ(GMを含む)1対Non−GMO大豆4の割合、価格ではNon−GMO大豆が一般ダイズの1割高。
種子会社に支配されるか? 「世界の食糧危機を救うかのような装いをして、企業の利益を隠蔽しようとしている」とか「自社の農薬を売りつけるためにGM作物を開発した」との批判がまかり通るのはおかしい。自らの生き残りを図るために、大きな決断をして、将来展望の中から、生命産業、バイオ産業に転換を図ったとしても、その決断を評価することはあっても、文句を言う筋合いではないはずだ。 そして10年以上に及ぶ開発研究の時間と負担に耐えて、その成果が日の目を見たからといって、足を引っ張るのは、単なる嫉妬と言うべきだ。わが国独自にこの分野で技術開発を懸命にやってきた日本のチームは、彼らの企業戦略に負けたのであって、率直に反省すべきこと。そして日本企業がアメリカのブロッコリー種子市場の70%を押さえていたり、遺伝子組み換えで新しいチューリップを開発販売しても文句を言われる筋合いではない。 一企業が特定の市場を支配するのは難しい。1920年代のスタンダード石油でさえ価格支配はしていなかった、という研究もある。
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<キーワードの説明> ここではいくつかの言葉について説明しておこう。一つの事実も見方によってその評価は変わってくる。なるでく偏らないように書いてみた。
パズタイ事件 1998年8月10日、イギリスのTV番組「ワールド・イン・アクション」でアルバド・パズタイ博士は「ある遺伝子組み換えジャガイモを長期間与えたラットで、わずかな成長の遅れと免疫作用の低下が起こった」と発言した。この遺伝子組み換えジャガイモは、マツユキソウの球根から得られたGNAというレクチンの遺伝子を組み込んでいた。 GNAは人間には無害だが害虫には毒性があるため、ジャガイモだけでなくイネでも実用化が有望視されているものだった。しかしこの発言の科学的信憑性が問題になり、パズタイはその年末に免職となった。以後こうした実験が数多く行われているが、科学的な結論は出ていない。
同質的同等性 1993年にOECD(経済協力開発機構)のバイオテクノロジー安全性専門委員会で導入され、1996年にFAO(世界食糧機構)とWHO(世界保健機構)で確認されたもの。 同質的同等性は、遺伝子組み換え食品の安全性を評価するときに、その食品自体の毒性を調べるのではなく、従来と同じ様な食品と成分を比較することで評価しようとする考え方。つまり、タンパク質、炭水化物、脂質、繊維質などの大雑把な食品成分の割合や、アミノ酸、脂肪酸、ビタミン、ミネラルの組成が、対応する従来品と同じであれば、そして、組み換えた遺伝子の産物であるタンパク質が安全なものであれば、毒性試験は行わない。 厚生省の指針でも、「遺伝子組み換え体における導入遺伝子の特性が明白であり、食品成分が従来品から変化していなければ、実質的に同等な安全性をもつ」とみなされる。
コーネル大の実験 1999年5月20日号の科学雑誌「ネイチャー」に、米国コーネル大学の昆虫学者ジョン・ロージーらのグループによる報告が掲載された。 実験ではオオカバマダラの幼虫が好むトウワタという草の葉に、遺伝子組み換えと非遺伝子組み換えのトウモロコシをまぶして食べさした。その結果、遺伝子組み換えのトウモロコシの花粉を食べた幼虫は、成長が遅く44%が死亡した。非遺伝子組み換えのトウモロコシの花粉を食べた幼虫では、死亡は見られなかった。 遺伝子組み換えのトウモロコシの花粉には、チョウやガの幼虫を障害するBt毒素が含まれていた。この実験で、その花粉が飛散した場合に、害虫以外の昆虫にも影響が及ぶ可能性が確かめられたことになる。これがロージーらの報告の要旨。
 この報告に対して反論が出た。@トウモロコシの花粉は実験ほど多く飛ばないかもしれない。オオカバマダラの幼虫も、花粉がついた葉は好まないかもしれない。A実験に用いた花粉の量が正確に測定されていなくて、実験は不備である。B95%のオオカバマダラはトウモロコシが花粉をとばす前に成虫になっていた。
 この問題は、Btトウモロコシは、科学殺虫剤使用量を減少させ、オオカバマダラの生育を助けるというメリットがある。この利点とリスクの可能性、どちらが大きいかを見極めるには、さらに研究が必要だ、という点では一致している。
トリプトファン事件 1988年から1989年にかけて、昭和電工が製造した健康食品トリプトファン製品が大規模な食品公害事件を起こした。アメリカを中心に約1,600人の被害者を出し、そのうち38人が死亡した。これは微生物を用いて遺伝子組み換えを行ったもので、製造の過程で不純物が混入したと考えられた。最先端科学は使い方を誤ったり、ちょっとした不注意が大きな惨事を引き起こすことになる。企業内に、そしてそこで働く従業員にそれだけの厳しい安全意識があるかどうかが問題になる事件であった。
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<バイテクは世界の食糧危機を救うか?>批判派・推進派、それぞれの主張がある。では公正な第三者はどのように見るか?そこでアマチュアエコノミストが登場する。(本当は、単なる「傍観者・野次馬」でしかないかもしれないが)。
 国連世界食糧機構(FAO)が世界の科学者に呼びかけて「発展途上国の食糧生産や農業にとって現在のバイオテクノロジーは適切か」というテーマで、2000年3月からインターネットで上で異論を行ったが結論は出ていない。 一方「遺伝子組み換え作物が世界の食糧危機を救う」と、推進派は主張すると言われている。遺伝子組み換え技術を使えば、生産性の向上、病虫害への抵抗性、日持ちの良さ、乾燥や高温への抵抗性、栄養価の増進などの特性を付与する事が期待される。「食糧危機を救う切り札」とまで言えるかどうかは分からないが、解決への有力な回答にはなるだろう。このように考えると「先進国の裕福な消費者に見られる、遺伝子組み換え慎重論は、発展途上国の貧しい農民が食糧や輸出農産物の生産性を向上させる可能性を奪っている」との主張が正論のようにも思えてくる。
 しかし、技術的な可能性と、政治的・経済的な面からの検討も必要で、この面から考えると、必ずしも大きな期待はできない。この技術を使いこなすフト・サイエンスが整っていない。農業は先進国型産業であって、開発途上国が農業技術・バイオテクノロジーを使いこなすにはヒューマン・キャピタルが不足している。アジアでの「緑の革命」が期待したほどの成果が上がっていないのを見れば明らかだ。 楽観論・悲観論いろいろ考えられるが、開発途上国での遺伝子組み換え作物のインパクトは、先進国型産業である農業技術を使いこなすソフト・サイエンスの進化いかんにかかっている。そして、途上国での栽培よりも先進国での栽培が進み、ハイテク農業は先進国で、ローテク農業=労働力集約型農業は途上国の比較優位産業として位置づけられていくだろう。
 乾燥に強い植物開発に取り組み、サハラ砂漠やタクマラカン沙漠でポプラ以上に緑化に有効な植物が開発されれば、将来に対する期待は大きく膨らんでくる。なぜなら現在改良されているのは、先進国向けの作物だからだ。「世界の食糧事情」と言っても、先進国向けの開発で、先進国の農家を顧客とした種子会社の開発戦略になっている。 ビル・ゲイツが指摘するように、組み換え遺伝子を使ってイネのベータカロチン含有量を増大させ、熱帯の消費者の体内でビタミンA不足を解消させる可能性の追求や、損害を被っている人の数では目下地球上最大の作物病害ではないかとも言われるアフリカのキャッサバモザイクウィルス病を組み換え遺伝子を使って解決できたら、人類史的貢献になるだろう。 こうした研究開発が具体化すれば、世界の食糧危機を救う可能性が高まったと言える。
 と言うことで、当面は種子会社の利潤追求の一戦略であり、それが世界の食糧事情にプラスにもなるのが、この遺伝子組み換え作物だ、と考えるのがよさそうだ。
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<主な参考文献・引用文献>
自殺する種子 遺伝資源は誰のもの?       河野和男             新思索社     2001.12.30
遺伝子組換え作物 大論争・何が問題なのか    大塚善樹             明石書店     2001.10.31
食の未来を考える                大澤勝次・今井裕         岩波書店     2003. 6.27 
遺伝子改造社会 あなたはどうする        池田清彦・金森修         洋泉社      2001. 4.21
遺伝子組み換え作物と環境への危機 ジェーン・リスラー、マーガレット・メロン 阿部利得他訳 合同出版 1999.10.25
遺伝子組換え作物の生態系への影響        (独)農業環境技術研究所編     養賢堂      2003. 3.25
食の世界にいま何がおきているか         中村靖彦             岩波新書     2002.12.20
よくわかる遺伝子組み換え食品          渡辺雄二             KKベストセラーズ 2001. 6. 5
不安なバイオ食品                渡辺雄二             技術と人間    1997. 2.10
組換え農作物 早わかりQ&A          農水省農林水産技術会議事務局            2002. 4
くらしのなかのバイオテクノロジー        農水省農林水産技術会議事務局            2001. 4 
遺伝子組み換え作物に未来はあるか        柳下登・塚平広志・杉田史郎    本の泉社     1999.12.10
増補改訂 遺伝子組み換え食品          天笠啓祐             緑風出版     2000. 1.31
古代からのメッセージ 赤米のねがい       安本義正             近代文芸社    1994. 3.10 
( 2004年1月26日 TANAKA1942b )
(24)安全性について考える
利益と不利益とのバランスをはかる社会的な概念
<武谷三男の「安全性の考え方」> 遺伝子組み換え作物を考える場合、「安全性」がポイントになる。では「安全性」とはどのようなことなのだろうか?GMOは大きな利点がある。生産性の向上、イネのベータカロチン含有量を増大させなどの栄養価の付加、など多くの利点がある。 一方で批判派の主張する危険性も無視できない。ここでは戦後の市民運動に大きな影響を与えた武谷三男の考えを引用してみよう。
まえがき われわれの生活の周辺には危険が一ぱいである。何をするにも、いや、部屋でひそかに暮らしていても、生活がむしばまれ、生命は危険におびやかされる。すべてこれ文明の産物である。あるいは科学の産物である。この矛盾こそ現代の最大の問題の一つであり、いい気になっているうちに、自然のバランスが破壊され、人類の運命にも関することがしのびよってくるといえるかも知れない。 この端的なあらわれが現代の戦争の姿である。
 私は科学者として、文明の発達や、科学技術の進展を否定しようとは思わない。私は科学時代を謳歌するものである。ではこのような安全の侵害は、何によっておこるのだろうか。科学の非科学的利用、科学の不完全な利用、部分的な利用によるという他はない。ではどうしてそのような片輪な利用が行われるのか。これを防止するにはどうしたらよいか。これが本書の問題である。
 この問題の一部がいわゆる公害である。公害については、すでに「恐るべき公害」というよい教科書が岩波新書にある。労災や公害との闘いの歴史は古い。戦前有名なものに足尾鉱害がある。これは今日になってもまだ完全な解決がかちとられていない。科学の悪用に対する戦後最大の闘いは原水爆の「死の灰」に対する日本国民の闘いであり、科学者、市民が手をにぎって模範的な運動を展開した。 この経験が意識的無意識的にその後の運動の模範になったということができよう。その後、1957年頃関西原子炉をめぐっての市民運動、さらに本書に記した数多くの運動がある。
 私は戦後、安全性の問題を扱いつづけてきた。科学者、技術者として、安全性を科学的に正しく扱い、主張することは、決して有利なことではない。たかだかジャーナリズムに多少名が知られる位のもので、必ず悪者にされ、科学者としてのマイナスは大きい。初期の頃はわれわれの仲間は少なかった。しかし最近安全問題に良心的に取り組む科学者が各領域にあらわれ成長してきたことは喜ばしい。 このような各方面の科学者の多年の成果を、昨年「科学」10月号に特集することができた。われわれは、この特集のために、何回も討論を行った。
 「科学」の特集が完成したころ、安全問題のテーマで新書を1冊つくってはどうかということになった。早速本書のあとがきにあげてある方々に集まってもらって、プランをねり、何回か会合をかさね、討論の末でき上がったのが本書である。
 本書には科学者や市民の多くの人々の多年の努力と、犠牲の経験がこめられている。安全性を確保し、正しい科学の利用、健全な文明の建設のために本書が何らかの役に立つことを願う。   1967年4月  編者 武谷三男
許容量に対する疑い 放射線の人体への影響が、青酸カリの毒性のように、一時的に死に至らしめるというばかりでないことは広島・長崎の経験を通じて国民全体が知っている。爆発地点からかなり遠くにいた人たちで、被爆当時は何でもなかった人の中にも数年のちになって、とつぜん発病した原爆病に侵されて死んで行った人が数々いる事実は、よく知られていた。 許容量以下なら安全とといわれ、死の灰の雨をあび、放射能マグロを食べてすぐに眼に見える影響があらわれなくても、とても不安は解消するものではなかった。
 一方放射線の人体に対する影響の研究も、戦後原子力の発達に刺激されて、次々に新しい事実がみつかって来ていた。統計の調査や動物実験によって、白血病の発病率は、あたった放射線の量に比例して増大していることが知られてきた。そればかりではない。放射線による遺伝子障害が、ごく微量の照射の場合にも存在することが確認された。
 こうした事実から考えて、「許容量」というものは、決して”それ以下では障害が起こらない量”ではないということははっきりしてきたのである。
 日本にふってきた死の灰からうける放射線量はもちろん第五福竜丸のときと違ってきわめて微量である。したがって、個々の一人一人についてみると、そのために白血病にかかったり、かたわの児が生まれたりする確率は小さいものであろう。しかし日本全体、世界全体の大きな人口をとってみると、誰かは不運な目にあって、死の灰の影響で生命を失っていると考えられる。 このようなときには、科学者は国民の一人一人に何といって注意したらよいのだろうか。これまでの許容量概念ではおおえぬいろいろな問題が起こってきて、科学者たちは国民からの質問ぜめに混乱した。
利益と有害のバランスが許容量 それでは「許容量」というものは、どういう量として考えたらいいのであろうか。米原子力委員のノーベル賞学者リビー博士は「許容量」をたてにとって、原水爆の降灰放射能の影響は無視できると宣伝につとめた。
 日本の物理学者たちは、討論を重ねた。こうして日本学術会議のシンポジウムの席上で、武谷三男氏は次のような概念を提出した。
 「放射線というものは、どんなに微量であっても、人体に悪い影響をあたえる。しかし一方では、これを使うことによって有利なこともあり、また使わざるを得ないということもある。その例としてレントゲン検査を考えれば、それによって何らかの影響はあるかも知れないが、同時に結核を早く発見することもできるというプラスもある。 そこで、有害さとひきかえに有利さを得るバランスを考えて、”どこまで有害さをがまんするかの量”が、許容量というものである。つまり許容量とは、利益と不利益とのバランスをはかる社会的な概念なのである
 この考え方で、ようやく「許容量」というものが、害か無害か、危険か安全かの境界として科学的に決定される量ではなくて、人間の生活という観点から、危険を「どこまでがまんしてもそのプラスを考えるか」という、社会的な概念であることがはっきりしたのである。
 そして、この考え方がしっかりしたことによって、原水爆実験という原子力の軍事利用が、人間の生活、人類の生存にとって、決してプラスにならず、マイナスの死の灰をまき散らす”百害あって一利なし”のものである以上、決して認められるものではないとう、原水爆反対のための、一つの確乎とした論理が導き出されたのである。 まして、原水爆実験の死の灰に”許容量”などという概念が存在しないということもはっきりしたのである。このことについては、岩波新書「原水爆実験」に詳しい。 (「安全性の考え方」から)
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<GMOの社会的バランス> 「安全性の考え方」では公害問題をはじめ、多くの実例を取り上げている。その姿勢は、問題を起こした企業や政府の姿勢を批判している。多くに市民運動家にとって必読の書と言えるだろう。「1967年に書かれたものなので、現在とは状況が違う」との意見もあるが、これに代わる安全性の考えは提示されていない。利益と不利益の社会的バランスなのだが、利益ははっきりしているが、不利益は未確定の場合が多い。 遺伝子組み換え作物で考えると、日持ちの良さ、害虫に強い、除草剤を少なくできる、などが利益となる。一方不利益は、食品としての安全性、環境への悪影響、などはどの程度の不利益になるかはっきりしない。ある程度確率が予想されたとしても、その質の問題まで考えるとどのようにバランスを取ればいいのか判断に苦しむ。トマトの日持ちが良くなって生産者や消費者が喜ぶ。その反対にもしかしてそのトマトを食べた人に健康上異常が起きたら、それをどのように評価し、利益とのバランスを考えたらいいのか。 そして一度開発を始めると、それをストップさせるのは難しい。
 科学技術が発達したことにより、こうした問題が多くなっている。新しい技術の社会的費用をどのように計算したらいいのか?社会的費用は経済学の問題であり、さらに政治・社会・哲学の分野にまで広がっていく。武谷三男が提示した「安全性を考える」は遺伝子組み換え作物の安全性・社会的費用にもどのように考えたらいいのか?問題を投げかけている。 ここではその解答は用意できない。組み換え作物の開発はさらに進んでいく。それを容認しながらも答えを出すべき課題を抱えている、ということをここでの姿勢としておこう。 
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<安全性を経済学する> 「経済学とは損得勘定を科学する学問である」がTANAKA1942bの経済学の定義。そこで遺伝子組み換え作物の安全性を経済学=損得勘定という観点からバランスさせてみよう。その手法は何度か試してみている。「接待汚職の経済学」 「米国同時多発テロを経済学する」 「企業・市場・法・そして消費者」 で機会費用という言葉を使って説明した。モンサント社がフレーバーセーバー・トマトを販売するかどうか経営戦略会議を開いて検討したとしよう。出すべき答えは「発売する」か「発売しない」かだ。そしてその基になる数字はモンサント社の利益と不利益、つまりもし人的被害でも起きたらその不利益=(医療費+慰謝料+サンクコスト+その他諸費用)X起こる確率=機会費用、それと利潤とのバランスを検討する。 この場合、利益は予想しやすいが、不利益は予想しにくい。研究開発に投資して発売しなかったらその費用は研究開発費だけ。販売して何も人的被害・環境汚染がなければ利潤はある程度予想できる。もしも健康障害や環境汚染が起きたらその補償費用はとてつもなく大きくなる。ただしその確率は予想しにくい。それでも予想しなければならないとすれば、大企業モンサント社はいくつか出てくる補償費用の内の、多めの数字を採用するだろう。零細企業が一発勝負を挑むときは、ハイリスク・ハイリターンを狙う。 世間でいろいろの数字が出ているとすれば、大企業モンサント社はローリスクの安全策を採るだろう。「情報の非対称性」を考えれば、世間で言われる以上に危険の確率を高く見積もっていると考えられる。 モンサント社がこのような企業戦略を採るだろうと考えるのは、モンサント社は自社の利潤追求を第一に考えているだろう、とTANAKA1942bは考えるからだ。もしも利潤追求よりも違う目標を持っていたとすると、この予想=モンサント社はローリスク作戦を採るだろう=は外れることになる。 つまりTANAKA1942bの考えは、「モンサント社が利潤追求第一にする限り、フレーバーセーバー・トマトは安心だ」となる。
 2002年の食肉偽装事件での雪印食品・日本食品・日本ハムなどは小さな利潤を求めて大きな不正を行って、消費者の反発を買い、多大な損失を出した。企業の利潤追求を第一に考えたらあのようなバカなことはしなかったろう。 ここでもう一度食肉偽装事件損益バランスシートを振り返って見よう。
@雪印食品 (社員950人) 約1億9600万円の不正利益を得ようとして、会社は倒産し、その破綻処理費用240億円は親会社雪印乳業が負担し、乳業は前年比売り上げ3割減 乳業は社員数4500人から1500人に事業縮小。 その後、全国農業協同組合連合会(全農)、全国酪農業協同組合連合会(全酪連)の牛乳事業と統合し、「メグミルク」ブランドを展開したが、売り上げ不振のため4工場の閉鎖や従業員の約14%削減などの再建計画に追い込まれた。
A日本食品 (社員数184人) 1億3660万円を不正受給しようとして、会社は倒産し、その破綻処理費用は約218億円。
B日本ハム  1000万円の不正利益のために損失が200億円 2002年9月20日、日本ハムの大社啓二社長は夜の記者会見で、社内で牛肉偽装を起こした原因として、グループ内に「利益追求と売上重視」の体質があったとの認識を示した。TANAKA1942bの見方は逆で、利潤追求の体質がなかったのが原因。損得勘定に徹すれば、こんな馬鹿馬鹿しい不正行為はやらなかったはずだ。
 資本主義体制とは「消費者を裏切って、ヤバイことすると、結局は損する社会」になっている。企業が利潤追求を第一目標にすることによって社会がうまく回るような法制度になっている。そしてその法体制に消費者パワーがさらにそれをサポートする。こうした市場経済を「各人が自分の利益を追求することによって社会がうまく回る」と言い始めたのはアダム・スミス。そこで、そのような文章を引用しよう。
 われわれが自分たちの食事をとるのは、肉屋や酒屋やパン屋の博愛心によるのではなくて、かれら自身利害にたいするかれらの関心による。われわれが呼びかけるのは、かれらの博愛的な感情にたいしてではなく、かれらの自愛心(セルフラブ)にたいしてであり、われわれがかれらに語るのは、われわれ自身の必要についてではなく、かれらの利益についてである。同胞市民の博愛心に主としてたよろうとするのは、乞食においてほかにはいない。 乞食ですら、それにすっかり頼ることはしない。なるほど、好意ある人たちの慈善によって、この乞食が生きてゆくのに必要なもののすべてが結局ととのえられるとしても、かれの望み通りに必需品がととのえられるわけでもないし、またそうできるものでもない。かれがそのつど必要とするものの大部分は、他の人たちの場合と同じく、合意により、交易により、購買によって、充足されるのである。 かれは、ある人がくれる貨幣で食物を買う。かれは、別の人が恵んでくれる古着を、もっとよく自分にあう古着と交換したり、一夜の宿や食物と交換したり、または必要に応じて衣食住のどれかを買うことのできる貨幣と交換したりするのである。 (「国富論」第1篇 第2章「分業をひきおこす原理について」から)
 かれは、普通、社会公共の利益を増進しようなどと意図しているわけではないし、また、自分が社会の利益をどれだけ増進しているかも知っているわけではない。外国の産業よりも国内の産業を維持するのは、ただ自分自身の安全を思ってのことである。そして、生産物が最大の価値をもつように産業を運営するのは、自分自身の利得のためなのである。だが、こうすることによって、かれは、他の多くの場合と同じく、この場合にも、見えざる手に導かれて、自分では意図してもいなかった一目的を促進することになる。 かれがこの目的をまったく意図していなかったということは、その社会にとって、かれがこれを意図していた場合に比べ、かならずしも悪いことではない。社会の利益を増進しようと思い込んでいる場合よりも、自分自身の利益を追求するほうが、はるかに有効に社会の利益を増進することがしばしばある。社会のためにやるのだと称して商売をしている徒輩が、社会の福祉を真に増進したという話は、いまだかつて聞いたことがない。もっとも、こうしたもったいぶった態度は、商人のあいだでは通例あまり見られないから、かれらを説得して、それをやめさせるのは、べつに骨の折れることではない。 (「国富論」第4編 第2章「国内でも生産できる財貨を外国から輸入することにたいする制限について」から)
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<アマルティア・センの異説> アダム・スミスの「国富論」で良く知られた一節、市場経済を説明するのに格好の一文、この文章に関して、アマルティア・センは従来のアダム・スミス観とは違った解釈をしている。
 自己利益に基づく行動において2つの異なる問題を区別することが重要である。第1に、人々は実際に自己利益だけに基づいて行動するのか否か、という疑問がある。そして第2に、人々が自己利益だけに基づいて行動するのだとしても、彼らは特定の成功、たとえば何らかの種類の効率を達成するのであろうか、という疑問がある。これらの2つの命題は、共にアダム・スミスによるものとされていた。しかしながら、自己利益に基づく行動の遍在性と効率に対する「スミス流」の見方が常に引き合いに出されてきたこととは裏腹に、実際にはどちらも彼が信じていたという証拠はほとんどないのである。 この点は、スミスが経済学の起源の中心的人物であるということと、彼のこの問題の扱い方が啓発的かつ有効であるという2つの理由から、論じる価値をもつものである。
 自己利益とその達成について、いわゆる「スミス派」の立場をとる多くの経済学者の著作において、スミスが「慎慮」(自制を含む)に加えて「共感」を重視している点がなぜ見落とされる傾向にあるのか、この点に目を向けると見えてくることがある。スミスが――実際には誰もがそうであるように――、私たちの行動の多くは自己利益によって導かれ、それが実際によい結果を招くと見ていたことは確かに事実である。スミス派によって繰り返されてきたのが次の一節だ。
 「われわれが食事を期待するのは、肉屋や酒屋やパン屋の慈悲心からではなく、彼ら自身の利害関心からである。われわれが呼びかけるのは、彼らの人類愛にたいしてではなく、自愛心にたいしてであり、われわれが彼らに語るのは、われわれ自身の必要についてではなく、彼らの利益についてである」
 多くのスミス信奉者は、この肉屋と酒屋のくだりの向こうに踏み込んでいないようだが、この一節を読むだけでも、スミスがここで言わんとしているのは、市場での通常の取引はなぜ、どのように行われるのか(これが引用文のある章のテーマである)を説明することだということがわかる。しかし、双方に有利な取引がきわめて一般的であることを示しているからといって、スミスが「自己愛」(つまり広義に「慎慮」と解釈できる)だけで良き社会ができると考えていたことにはならない。 実際、スミスが言っていることは正反対で、経済的豊かさの実現をただ一つの動機に頼ることはしなかったのである。
 アマルティア・センは「スミス派」の一人としてジョージ・スティグラーをあげて批判する。
 合理性についてはひとまずおくとして、「実際」の行動の決定要因として自己利益最大化を過程することは、どれほど妥当なのだろうか。自分自身の利益を追求するいわゆる「経済人」は、少なくとも経済的な事柄において、人間の行動を最もよく表現しているのだろうか。ところが、これこそが経済学のおけるごく当たり前の仮定であり、多くの人々に支持されている。たとえば、「経済学か倫理学か」と題するタナー講義において、ジョージ・スティグラー(1981)は、「私たちは、妥当な量の知識をもつ人々が自己利益を求めて知的に行動する世界の中に生きている」と明確な擁護論を述べている。 (「経済学の再生 道徳哲学への回帰」から)
 以下、「自己利益」についてジョージ・スティグラーの発言を批判している。アマルティア・センが引用した「国富論」をもう少し長く、 同胞市民の博愛心に主としてたよろうとするのは……… 以下の文も引用すると読者の印象は違ってくるのだが、ここでは長くなるので省略する。批判されたスティグラーの文は「小さな政府の経済学」で読むことができる。
 アマルティア・センの考えは、ジョン・ロールズの「正義論」に共鳴し、アメリカ的自由な市場経済に嫌悪感を持ち、社会主義にかすかな望みをもっている人たちに好まれる考えだろう。その主張は反論するのが難しく、カール・ポパーの表現を借りれば「経験的科学体系にとっては、反駁されうるということが可能でなければならないのである」ということになる。
 今週もまた、TANAKA1942bはアマチュアの特権を生かして、反証不可能な非科学的な物語をつくって遊んでいます。
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<主な参考文献・引用文献>
安全性の考え方                               武谷三男編 岩波新書     1967. 5.20
安全学                                   村上陽一郎 青土社      1998.12. 4 
国富論                         アダム・スミス 大河内一男監訳 中央公論社    1978. 4.10
経済学の再生 道徳哲学への回帰   アマルティア・セン 徳永澄憲・松本保美・青山治城訳 麗澤大学出版会  2002. 5. 9  
正義論                         ジョン・ロールズ 矢島鈞次監訳 紀伊國屋書店   1979. 8
ロールズ「正義論」とその批判者たち Ch・クカサス Ph・ペティット 山田八千代・嶋津格訳 勁草書房     1996.10.14
小さな政府の経済学           ジョージ・スティグラー 余語将尊・宇佐見泰生訳 東洋経済新報社  1981. 9.24
科学的発見の論理                 カール・R・ポパー 大内義一・森博訳 恒星社厚生閣   1971. 7.25 
( 2004年2月2日 TANAKA1942b )
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日本人が作りだした農産物 品種改良にみる農業先進国型産業論
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