日本人が作りだした農産物 品種改良にみる農業先進国型産業論
(19)ハイブリッドライスの可能性
先進国型品種改良への転換
<イネは一代雑種に不適な作物なのか?> 一代雑種は雑種強勢を利用する。植物によっては雑種強勢の出やすいものとそうでないのがある。イネは雑種強勢が出にくい作物で、このため日本では本格的にハイブリッドライスの開発が行われなかった、と言われる。 野菜でこれほどまでに一代雑種が普及したのに、イネでは手つかずだった。そのもう一つの理由は、イネの品種改良に民間種子会社が参入しなかったことだ。 民間会社は投資額を回収出来るかどうかを考える。イネの品種改良には多くの時間と経費を必要とする。そして種子を栽培農家に売り込むにはいろいろ面倒なことが多い。「毎年、毎年農家は種子会社から種子を買わなければならないのです」 「こうして米生産の主導権は種子会社に握られてしまうのです」。このような声があると、種子会社は「イネでは儲けられない。投資額を回収できないだろう。米で儲けるな、との批判には当分逆らわない方がいい」となって、イネの品種改良、特にハイブリッドライス開発には参入しなかった。
 また道県の農試はその県の農家のためにイネの品種改良に取り組む。地産地消の精神を生かし、このため日本全国のことを考えたり、新規参入を好まない。こうして各県の農試は従来の品種改良の仕方、交雑育種法に拘っていて、一代雑種には手をつけないでいた。 こうした「米は日本の伝統文化」と言いながら伝統的な品種改良方式に拘っていた日本とは別に、中国では一代雑種での開発が進んでいた。こうした状況を専門家はどのように捉えているのだろうか?ハイブリッドライスに関する記述をいくつか引用してみよう。
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中国におけるハイブリッドライスの事情をみると、1970年に海南島で、野生稲の雄性不稔株が発見され、野敗系又はWA細胞質とよばれた。これを素材として、1973年には雄性不稔系統、維持系統、稔性回復系統を一組とする3系統が育成された。これを中国では三系法と呼んでいる。この方法によって1974年には実用品種が育成され、世界で初めてハイブリッドライスの実用化の途が開かれた。 その後、多数のF1品種が育成され1991年には全国で55%の面積を閉めるに至った。
 中国のハイブリッドライスは大半がインド型の品種で占められているが、北部では日本型の品種が栽培されている。その素材として、1972年に新城氏の育成さたBT細胞質が分譲され利用されている。このように、ハイブリッドライスの実用化は中国の技術開発に負うところが極めて大きい。 (「続 図解・米の品種」から)
 中国では膨大な人口の胃袋を満たすために、革命後イネなどの品種改良に多くの勢力を投入した。花粉を培養して植物を再生させることで育種をスピードアップする技術をいちはやく実用に結びつけ、また多収を容易に現実化する技術として雑種強勢を取り上げ研究を開始した。先ほど述べたように、現代のイネは自家受粉する性質を強くもっているが、インディカのある品種とジャポニカの品種を交配した場合に花粉ができないことを日本の研究者が見いだし、この性質を利用して花粉のできないイネ(雌親)を作りだすことができる。 中国はこのようなイネの種子を日本から導入しハイブリッドライスを作りだすことに成功した。収量は従来のものより格段に増加し、そして現在ではおコメの生産全体の60%をハイブリッドライスに頼っている。
 1984年にNHKテレビで「謎のコメが日本を襲う」と題してアメリカから日本への、このハイブリッドライスの売り込みの状況に関して報道をした。中国で開発されたハイブリッドライスがいったんアメリカ経由で伝えられたわけである。筆者の属する研究所ではアメリカ企業および中国と契約をむすび日本に向く品種の開発を開始した。中国の多くの部分ではインディカがつくられているが、北部ではジャポニカが栽培されている。これらの地域で開発されたものの中から日本人の口に合い、そして収量の多い品種を選出し試験的な栽培が介しされている。 また、中国で作られた優秀な父親と日本のおいしい母親とを掛け合わせることで、さらに優れたものを作りだすことに成功している。 このように、従来不可能もしくはそのような現象はないとされてきたハイブリッドによるイネの増収の研究も着々と稔りつつある。 (「夢の植物を育てる」から)
 以上の問題を克服し、より効率的にハイブリッド・ライスの種子を確保するために、自殖性作物である稲を如何にして他殖性にするかという遺伝育種学的な研究が長い間進めらていく中、最近になって中国で1000万haにも渡ってハイブリッド稲の栽培が成功し、米国企業が市場開拓に乗り出し、日本でも民間参加の道を開くために法制度の見直しが行われるなど、本格的なハイブリッド実用化時代の幕開けを迎えました。
ハイブリッドライスの普及は1976年に始まり、1992年には普及率58%とピークに達しましたが、1993年には収量は高いが食味に劣り市場価格も低いことが農家に嫌われ、減少傾向に転じました。 (「お米データベース」HP URL http://www.gohan.ne.jp/okome-data/01/144.html から)
  イネに、雑種強勢の性質を発現させると、ハイブリッド・ライスができる。ハイブリッド・ライスは、病気に強く、味も良く、収穫量の多いイネになるだろう。しかし、イネの性質を考えると、ハイブリッド・ライス作りは、むつかしい印象を受ける。
 ハイブリッド・ライスを作るには、ある品種の花粉を異なる品種の花のメシベに受粉して、種子を得なければならない。このとき、自家不和合性が役に立つ。ところが、イネの花には、オシベ、メシベがあり、自分の花粉を自分のメシベにつけて、種子をつくる性質を持っている。自家不和合性とは、まったく逆の性質である。
 この性質は、栽培者にとって都合がいい。自分の花粉で自分が受粉、受精してくれるのだから、放っておいても、おコメができる。それゆえ、多くの品種の中から選ばれて現在栽培されているイネの品種は、この性質を強く持っている。そのため、アブラナ科植物のように、簡単には、ハイブリッド・ライスをつくるのは難しい。
 だったら、花粉を出す前に、オシベを引き抜けばどうだろう。たしかに、この方法でハイブリッド品種がつくられる植物はある。ナス、トマトやピーマンなどである。しかし、イネの場合、花は小さく、多くの品種で、花が開く時間は午前10時から12時までの2時間だけである。その短時間に、多くの花のオシベを抜くのはむつかしい。でも無理をすれば、この方法ができないことはない。つぼみのうちに、6本のオシベを、ピンセットで抜き取ればよい。 ところが、こうしたとしても、その花が開けば、ほかの品種の花粉を人為的にメシベにつければ、ハイブリッド・ライスの種子ができる。ところが、こうしたとしても、その花からたったの1粒の種子が得られるに過ぎない。だから、この方法では、実用化はできない。
 ハイブリッド・ライスは、無理をすれば、実験的につくれる。だから、イネにも雑種強勢の性質があることは知られていた。しかし、実用化する方法はなかった。それゆえ、ハイブリッド・ライスつくりは、あまり注目されてなかった。ところが、膨大な人口を抱える中国が、食糧を確保するために、ハイブリッド・ライスの実用化に多くの労力を投入した。その結果、「花粉ができないイネ」を発見した。花粉が出来ないイネは、自分は花粉をつくらないが、ほかのイネの花粉で種子を結実することができる。 だから、ハイブリッド品種がつくれるのだ。
 中国は、このイネを手に入れ、工夫を重ねて、丈夫で、味も良く、収穫量の多い、ハイブリッド・ライスつくりに成功した。収穫量は、従来のものより、約30%増えた。現在、中国では、コメの生産全体の約60%をハイブリッド・ライスに頼っていると言われる。
 1984年に、「アメリカから日本へ、ハイブリッド・ライスの売り込みがあった」と報道された。中国で開発されたハイブリッド・ライスが、アメリカを経由して、日本に持ち込まれようとしたのだ。「謎のコメが日本を狙う」と話題になった。
 この出来事をきっかけとして、日本でもハイブリッド・ライスの研究が本格化した。現在は、日本の風土に合う、収穫量の多い、おいしいハイブリッド・ライスつくりの研究が進められている。 (「ふしぎの植物学」から)
  近年、この雑種強勢を自殖性作物であるイネに応用しようとする育種計画が世界的に進められ中国、米国、韓国ではすでに実用的なハイブリッドライスの育成に成功している。我が国でも最近、他用途米研究の一環として、飼料米育成を目標とする超多収品種の育成が、農水省やその他の研究機関で取り上げられ、育成試験が進行中である。(中略)
 これまで、ハイブリッドライスでは増収効果のみが強調され、品質の面はあまり考慮されてこなかったように思われる。中国のハイブリッドライスでは、せん(インド型品種)より粳(こう・日本型品種)の品質劣化が著しいという。一般にヘテロシス育種では、ヘテロシスの効果を大きくするためできるだけ遠縁のものを両親に選ぶ。イネの場合、同じ日本型品種あるいはインド型品種同士よりも、日本型品種とインド型品種との交配によって、より大きなヘテロシス効果が期待できる。 ところで、F1植物に実る種子はF2にあたる、すなわち、ハイブリッドライスで生産される種子はF2世代となる。したがって、インド型品種と日本型品種の交配によって育成されたハイブリッドライスは、まったく食味を事にするインド型品種の米と日本型品種の米の両方を含むことになり、食用として商品になりにくい。そのため我が国のハイブリッドライスの育成は当分飼料米を指向したものとなろう。 (「イネの育種学」から)
  一代雑種品種も系統育種法も斉一な集団をつくる面では似ている。しかし、原則的な考えをすれば、一代雑種においては1細胞中に最も多くの遺伝子を入れることができる。自殖性植物でもある程度の雑種強勢を示すので、これを利用すればそれに越したことはない。一代雑種では、優性にはたらく遺伝子をどちらかの親系統に導入しておけば、それが発現する。さらにこの育種法では、類似した親系統をいくつか保有しておいて、モデルチェンジがある程度可能である。 親系統を保持することによって、育種家の権利を実質的に維持できる。このような点が一代雑種のメリットである。
 しかし、イネやコムギに一代雑種品種を適応するときには、いろいろな問題がある。その最も大きな問題は、高度な自殖性のために雑種種子の採種量が少なく、種子の値段が高価になることである。種子の値段はその品種を栽培したときのメリットや増収効果とのバランスによって決まる。 ジャポニカ型イネの場合には、その遺伝的変異が狭く、それだけでは雑種強勢が強く現れない。雑種強勢が強く現れるように遺伝子型の違ったイネの雑種を作ると品質が低下しやすい。コムギでは、六倍体のためか、雑種強勢がそれほど強く現れない。雑種強勢の遺伝的解析も課題となっている。さらに、一代雑種品種育成には、組合せ能力の高い両親系統をつくる必要があり、それに多くの労力と日数を要する。 それではイネの他殖率を高めるように育種するのはどうであろうか。他殖性を高めたいときに、雑種において充分な稔性を確保できる必要があるだろう。
 過去の経過をみると、自殖性植物は一般に自殖性の育種法がとられていた。各種の他殖性野菜では一代雑種品種の方にシフトしてきている。また、ナタネなどの育種においても一代雑種品種育種が期待されている。 さらに、見方を変えて一代雑種品種が最も望ましい育種法か否かも検討事項である。もしも、人工種子を得る技術が安定すれば、その方が望ましいかもしれない。他方、イネにアポミクシスの性質を導入して、アポミクシスを使った育種法も展望できる。しかし、一つの圃場が同じ遺伝子型の植物に占められたときにはストレス耐性についての配慮が必要である。将来の育種を考えるときには、各種の育種手法のメリット、デメリットを勘案する必要がある。 (「植物の育種学」から)
  1983年にアメリカの種子会社リングアラウンドから日本に、ハイブリッド米の種子を売り込みたいという打診が、農水省にあった。日本は米に対しては保護政策をとってきていることから、このハイブリッド米の種子は輸入されなかった。ところがよく調べてみると、実はこの米はアメリカで開発されたものではなく、中国で開発されたものであり、さらに元を辿っていくと、琉球大学の新城長有教授が発見した雄性不稔の理論を用いたものだったことが分かった。 この経緯は、NHKテレビによって「謎のコメが日本を襲う」という題で放映され、有名になった。その後、リングアラウンドは三井東圧化学、三井物産と合弁でラム・ハイブリッド・インターナショナル社をつくり、日本における種子の流通に参入することになったのである。さらにその後、同社からリングアラウンド社が抜け、三井東圧化学が中心になってこの雄性不稔を利用したハイブリッド・イネの開発が進められてきた。 その三井東圧化学が開発したハイブリッド米が、羽田空港内のカレーライス屋「ライブカレー」で使われている。 (「増補改訂 遺伝子組み換え食品」から)
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<日本での品種改良に必要な「好奇心」と「遊び心」>  上に引用した文を読んで思うのは「関係者同士の一代雑種が必要なようだ」ということ。「ハイブリッドライス」とのテーマで皆同じ様なことを言っている。皆が同じ情報を共有している、ということはいいことかもしれないが、もっと楽観論、悲観論、自分の体験による他人の知らない情報、経済面・政治面からみた評価、いろんな見方があってもよさそうだ。むしろ、雑種の入り込まない「自家不和合性」こそ心配になる。 上記引用文は最後の「増補改訂 遺伝子組み換え食品」以外は育種の専門家が書いたもので、最後の「増補改訂 遺伝子組み換え食品」の著者はフリージャーナリストで、遺伝子組み換え食品いらない! キャンペーン代表。この本は他の文献と違って、ハイブリッド米や遺伝子組み換え食品に批判的な本。しっかりしたデータを元に、他とはちょっと違う見方をしている。いろいろな見方を知りたい人にはお勧め本です。
 中国にはハングリー精神がある。日本は豊かになってそれを失った。コシヒカリも美味しい米を目指したのではなかった。戦争末期、食糧増産を目指したのだった。豊かになってコメの品種改良は「美味しい系」へと変わった。しかしかつてのような緊急性はない。「何が何でも」との要請はない。そして野菜と違って儲けられるかどうか分からない。種子会社が新品種を売り出しても、「米は日本人の財産。種子会社1社が独占するのは許せない」と非難されそうだ。 回収できそうもない事業に投資するのは、銀行が回収できない会社に融資するようなもの。不良債権になると分かっていて融資すれば、特別背任で訴えられる。種子会社は回収できそうもない事業に投資するわけにはいかない。
 それでは今後、日本ではコメの品種改良には期待できないのだろうか?そんなことはない。今までの品種改良、そして中国のハイブリッドライスは「発展途上国型品種改良」だった。せっぱ詰まった社会・国家からの要請によって必死になって改良事業に取り組んだ。 農業を「後進的な産業」ととらえ、国内の自給体制の維持をめざし、過保護農政に走ることになる「発展途上国型品種改良事業」では中国は強い。これからの日本では「種子会社が儲かるコメの品種改良」を目指すことになる。品種改良の「民活」だ。そして研究者に大切なのは「好奇心」と「遊び心」。それが先進国型品種改良の基本になる。視野狭窄にならないこと。 親品種を日本以外に求めて一代雑種を試してみる、という遊び心はどうだろう。アフリカでもエジプトでは1995年の生産実績がジャポニカを含め210万トン、マダガスカルで160万トン生産されている。片親をコシヒカリとし、もう一方の親を、エジプト米、マダガスカル米、オーストラリア米、イタリアの苦いコメ、タイで生産されたジャポニカ米、好奇心と遊び心でこうした交配を楽しんだり、あるいは、ブレンドで工夫してみたり。 例えば東京近郊の家庭菜園で栽培された「日本晴」50%とベトナム産の「あきたこまち」45%に高知県産かおり米「十和錦」5%のブレンド米を氷温冷蔵で熟成してみたり。コシヒカリには敵わないとしても、食味は結構いい線いくと思うのですがいかがでしょうか?
 コシヒカリを誕生させた、高橋浩之、仮谷桂、池隆肆、岡田正憲、石墨慶一郎などのような職人とは少し違った、現代的な職人が出てきてもいいはずだ。それには育種の世界でも、自家不和合性に陥らず、雑種強勢を生かした交配=一代雑種が必要なのではないだろうか?今日本の農業界はウルグアイ・ラウンドを始めとする市場開放の圧力をうけて神経質になっている。尊農攘夷論が幅を利かせ、異質な情報、変わった意見を受け付けない体質になっている。 このような時こそ、肩の力を抜いて、気持ちをリラックスさせて、好奇心と遊び心を大切に、品種改良で遊んでみるのもいいだろう。豊かになった日本、かつてのように必死に品種改良に取り組まなくても、日本国民は飢えたり、栄養失調になる恐れはない。中国のハングリー精神とは違ったインセンティブに基づいた研究であっていいはずなのだから。
 そして積み重ねた経験と知恵、生かす場所は狭い日本国内である必要はない。キャッサバの品種改良とその普及で、アジア農民の豊かな農業への道を作った河野和男氏、立派な仕事をしました。日本の科学者・技術者の皆さん、ぐるっと世界を見回して、活躍の場を探して下さい。視野狭窄、地産地消、身土不二、自給自足、そんな言葉を忘れて、農業のグローバリゼーションです。
 タイやラオスでもち米の品種改良、カンボジアでかつてカンプチア王国時代のコメ3期作の再現、タイやベトナムでのあきたこまちの栽培、バングラデシュでシャプラニールと一緒に学校を作ってそこでの給食用のコメ作り、インドでイネの野生原種であるオリザ・ファッツァやオリザ・ペレニスの保存、アンデスの麓に生息するトマトの野生原種の保存とそれから品種改良再試行による現代トマトへの改良実験、 アジア全域でキャッサバより栽培に手の掛かるが収入のいいイネへの転換指導、各地から集めたコメをブレンドして低価格・高品質の販売米開発。 こうした分野へ民間企業が参加することにより、官僚指導・政府指導の農政から民間資本主導の農業産業発展への道筋。豊かな社会日本の品種改良への貢献、沢山あるはずです。 世界各地で活躍して、ついでに世界中から美味しい食べ物を日本に持って来て、私たち消費者に紹介して下さい。 そのグルメを食品産業が日本人の口に合うようにアレンジしてくれるでしょう。こうして「発展途上国型品種改良」から「先進国型品種改良」へと、これから変わっていくことになるはずです。
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<主な参考文献・引用文献>
続図解・米の品種                大里節               日本穀物検定協会  1995. 6.30
夢の植物を育てる                鎌田博・堀秀隆           日本経済評論社   1995. 7. 1
ふしぎの植物学 身近な緑の知恵と仕事      田中修               中公新書      2003. 7.25
イネの育種学                  蓬原雄三              東京大学出版会   1990. 6.20
植物の育種学                  日向康吉              朝倉書店      1997. 3. 1
新データブック 世界の米 1960年代から98まで 小田紘一郎             農山村文化協会   1999. 3.10 
自殺する種子 遺伝資源は誰のもの?       河野和男              新思索社      2001.12.30
増補改訂 遺伝子組み換え食品          天笠啓祐              緑風出版      2000. 1.31
( 2003年12月29日 TANAKA1942b )
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(20)遺伝子組み換え技術の誕生
医薬品からの実用化
<DNA2重らせんモデル> ジェイムス・ワトソンとフランシス・クリック両博士によって発表された「DNA2重らせんモデル」(1953年)と、それに続く研究によって、かつてメンデルが想定した遺伝因子の実体が、DNA(デオキシリボ核酸)であることが明らかになった。 その後の制限酵素の発見(1970年)を経て、1973年には世界初の遺伝子組み換え大腸菌が誕生し、目的のタンパク質を作らせることに成功した。
 植物に遺伝子を運ぶ、宅配便の役割を持つプラスミドを最初に発見したのは、植物の根にこぶのできる病気(根頭癌腫病)の研究をしていたベルギーの植物学者ヴァン・ラルベック(1974年)であった。 そのきっかけは植物の組織培養で、このこぶのできた組織は、他の植物組織と異なり、植物ホルモンのない培地中で、いつまでも増殖を続けるので、長い間、植物の組織培養の世界では「7不思議」に挙げられていた。その謎解きに答えを出したのが、ラルベックであった。
 彼は感染してこぶを作るアグロバクテリウムと、感染してもこぶをつくらないアグロバクテリウムの存在に目を向け、両者の細胞からDNAを抽出して、その違いを詳しく調べた。そして、こぶを作るバクテリアには核のDNAのほかに、細胞質に独特な環状のDNAがあり、これがこぶ(腫瘍・tumor)を誘導(induce)していることを突き止め、この部分のDNAをその頭文字を取ってTiプラスミドと呼んだ。 この発見が契機となって、Tiプラスミドの研究が進み、このプラスミドの中で、植物に入り込む(transfer)部分がT−DNA領域と呼ばれるようになった。 
 その後、この領域を他の遺伝子に置きかえても、それがそのまま植物細胞に入り込むことがわかり、T−DNA領域に有用遺伝子を組み込むことで画期的な作物改良技術になると期待が膨らんだ。これが1982年のこと。このアグロバクテリウムというバクテリアは、自分の環状プラスミドDNAの一部を勝手に、巧みに植物に潜り込ませて、このバクテリアだけが利用できるオパインと呼ぶ特殊なアミノ酸を植物に作らせていたのだった。 Tiプラスミドの発見(1974年)から8年間の研究によって、アグロバクテリウムによる遺伝子組込みの仕組みがわかると、直ちに実用化への取り組みが始まった。
 1982(平成4)年にはヒトインスリンやヒト成長ホルモンが、組み換え大腸菌から作られるようになり、まず医薬品の分野から実用化が始まった。1983年にはタバコを用いたGMモデル植物の第1号がアメリカで誕生し、 1989年には日持ちを良くしたトマト(フレバーセイバー)が誕生し、1994年から市販された。 
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<ヒトインスリンやヒト成長ホルモン> 遺伝子組み換え技術は、細胞融合技術と同時期の1970年代にスタートした。その中で、大腸菌を用いた遺伝子組み換え微生物の研究は次々と成果を上げ、 1979年にはヒトインスリンやヒト成長ホルモンが、組み換え大腸菌から作られるようになった。この分野は一気に実用化され、医薬品の世界ではすでに1990年代から組み換え医薬品が多数流通している。
ヒトインスリン(human insulin) 私たち日本人の生活スタイルは歴史の節目ごとに大きく変化してきた。明治維新、太平洋戦争後、高度成長期、こうした時期に変化したのが食生活。肉を食べる機会が増え、エネルギー摂取が過剰になり、一方交通機関の発達などにより消費エネルギーは減っている。 こうした摂取エネルギー量と消費エネルギー量 のアンバランスが生活習慣病という形で多くの影響を及ぼしている。糖尿病は、代表的な生活習慣病の1つで、患者数は年々増加している。1995年で約1億3500万人いると考えられており、2000年には1億8000万人、2010年には2億2000万人、になると言われている。 日本では、1997年11月の厚生省の調査により、予備軍を含めて1370万人という結果が公表されている。
 糖尿病は、体内の糖が利用されずに血液中にふえすぎてしまう病気で、その結果として、尿に糖が出てくる。病気が進むと、目、神経、腎臓に合併症が出る、これは適切な治療で予防することができる。しかし、初期には症状が出ないために、ただ尿に糖が出るだけと思って放置すると、失明や昏睡など重大な結果を引き起こすことになる。 糖尿病には2つの型があり、インスリン依存型糖尿病は、おもに15歳以下の子供に多くみられるもので、ウイルス感染や自己免疫作用によって膵臓の機能が低下して発症する。これにはインスリンの不足を補う必要がある。インスリン非依存型糖尿病は、おもに成人以降に発病するもので、ほとんどはこのタイプの糖尿病。インスリンの働きが低下しているため、薬物療法や食事療法で治療を行うことになる。
 糖尿病への治療のためにインスリンが発見されたのは、1921年(大正10年)のこと。欧米では供給のメドがつくとすぐに患者の自己注射が認められた。しかし、日本では60年もの間、自己注射が認められず、また、保険の適用もなかった。
 このインスリン、以前はウシやブタのインスリンが使われていたが、1979年には遺伝子組み換え技術でヒトインスリンが容易に製造されるようになり、かつ安全に製造できるようになり、現在は、このヒトインスリンが主流となっている。ブタやウシのインスリンの場合、アレルギー反応を起こす可能性があるが、ヒトインスリンではアレルギーはほとんど起こらない。作用発現時間によって、超速効型、速効型、混合製剤、中間型、持続型などの種類がある。
 ヒトインスリンを作るには、ヒトインスリンの前駆体(ヒトインスリンができる一歩手前の物質)の遺伝子を酵母や大腸菌に組み込んでヒトインスリンを生産する。このような遺伝子工学の技術によって、現在では大量にヒトインスリンが生産されている。遺伝子組み換え技術によってヒトインスリンが生産開始された当初は、酵母や大腸菌に由来する不純物の混入やそれらに対する抗体産生の可能性があるのではないかと心配さたが、現在ではそのような心配はないとされている。 ヒトインスリン製剤が遺伝子工学を応用した医薬品の第一号として華々しく臨床に登場し、日本でも認可されたのが1985年。現在世界のインスリン供給は専門メーカー2社(ノボ・ノルディスク=Novo Nordisk オランダ。イーライ・リリー=Eli Lilly アメリカ・インディアナポリス州)の寡占状態になっている。
ヒト成長ホルモン(Human Growth Hormone) 思春期から青年期にかけて、私たちの脳の下垂体前葉というところで生産され、分泌される。この時期が生産のピークで、その後は徐々に分泌量が減少していく。
 1963年にスウェーデンの医薬品メーカーが遺伝子工学を応用して、世界で初めてHGH (ヒト成長ホルモン・Human Growth Hormone・hGHと表示する場合もある) の合成に成功した。これ以後、HGHはヒト成長ホルモン剤として医療分野で広く使用されるようになり、とくに成長期になっても身長が伸びない人たちの病気治療に大きな成果を上げてきた。 1990年になると、このHGHが老化を防ぐことに効果があるのではないかと、世界の医療関係者に注目されるようになった。
 成長ホルモン治療の歴史を振り返ってみると、人の下垂体から抽出した成長ホルモン製剤を使用していた頃はなかなか薬が手に入らず、患者は順番待ちをするほどだった。現在は遺伝子工学の技術によって十分な量の成長ホルモンが手に入るようになった。
エリスロポエチン製剤(EPO) これは主に腎臓でつくられ骨髄に作用して赤血球を増やす造血ホルモン。早くから注目されていたが、わずかしか採取できないため、薬としての生産は不可能であった。それが、遺伝子組み換え技術により、1990(平成2)年にヒトエリスロポエチンの量産が可能となり、透析患者の腎性貧血の治療に画期的な成果をもたらした。現在では、手術のための自己血貯血や未熟児貧血などにも利用されている。
ヒト顆粒球コロニー刺激因子(G−CSF) 抗がん薬の副作用の一つに、血液障害がある。とくに白血球の減少にともなう免疫力の低下は、感染症を誘発する重大なものの一つとなっている。ヒト顆粒球コロニー刺激因子は人間の体内にある活性物質で、白血球の増殖作用があるが、微量しか存在しないため利用できなかった。それが遺伝子組み換え技術により量産が可能となり、抗がん薬の連続投与治療を支える重要な薬となっている。
インターフェロン(Interferon・IFN) インターフェロンは、生体内のさまざまな細胞がつくり出す生理活性たんぱくで、抗ウイルス・抗がん作用がある。純粋なものをつくることが難しく、微量物質のため量産もできなかったが、バイオテクノロジーにより開発が可能になった。現在はB型およびC型慢性肝炎、腎臓がんなどの治療薬として広く使われている。
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<品種改良技術の進化> 医薬品への実用化から始まった遺伝子組み換え技術、それが栽培植物への実用化となって、これを批判する人たちが出てきた。賛否両論の文献もHPも多くある遺伝子組み換え技術、隙間産業を狙うアマチュア・エコノミストTANAKA1942bとしては、他のHPとはひと味違った切り込み方をしなければ存在意義がない。このシリーズ「米自由化への試案 日本人が作りだした農作物 品種委改良にみる農業先進国型産業」の流れからすると、 「品種改良の進化」となる。そこで品種改良の歴史、「古代から現代へ」といった感覚で農作物品種改良の話を進めていくことにした。
野生品種から栽培品種へ 狩猟生活をしていた人類が野生植物を栽培するようになって、自分が必要とする以上の食糧を生産する人々が出た。これによって自分では、自分の必要とする食糧を生産しない人たちが出て、この時から文明が発祥した。こうして、自給自足が神話になり、野生種を栽培種に変え自然界の品種バランスを変え、森林や雑木林を農地に変え自然環境を変え、市場経済システムを作りだし、貧富の差を生じさせ、 先に豊になれる者から豊になる社会が出来た。自然界では弱いオスは子孫を残せないし、劣性遺伝子を子孫に残さないシステムが出来ている。 しかし人類の「ヒューマニズム」「平等の精神」「正義論」はこの自然の摂理に反する品種委改良を始めた。このようにして文明発祥と伴に、人類の「品種改良の歴史」が始まったのだった。
江戸時代の品種改良 @趣味とA実益の2本立てであった。 江戸の旗本、町人は花の品種改良を楽しんでいた。その成果をキクなどの品評会で競い合い、ときには高額で取引され、幕府が取り締まるほどのバブルが膨らむこともあった。 これが@趣味の分野でA実益の方はと言うと、農村部では百姓がイネなどの品種改良を行っていた。 その方法は「選抜育種法」であり、ときには他藩からの「導入育種法」であった。@趣味もA実益も結構盛んであった。江戸では武士・町人の多くが花の品種改良とその成果を楽しみ、あるいは稼ぎの手段としていた。多くの人がが参加したという点では、現代より活発であったと思われる。 一方農村部での品種改良も活発であった。江戸時代は驚くほどの旅行ブームであった。多分同時代世界で一番旅行が活発であった国と言えるだろう。その旅行が、お伊勢参りのような信仰目的であり、それに託けた「新品種探し」の旅でもあった。
明治以降  こうした品種改良に対する熱意は現代へも受け継がれている。明治時代も民間篤志家によるコメの品種改良が行われ、その品種改良事業は国や自治体の農業試験場に受け継がれた。その大きな成果は「コシヒカリ」誕生となって、私たち国民を豊にしている。 さて、こうした成果を消費者としての私たちはどの程度理解しているのだろうか?「米は日本の文化だ」と言う、そのコメも品種という面からみれば、ほとんどすべて戦後に育種されたものだ。戦前からの品種は市場にはほとんど出ていない。もしかしたら「かおり米」が戦前からの品種があるかも知れない程度。 「赤米」はあちこちの神社が中心になってその保存に努めている。コメという日本の文化を護っている農業、それは進取の精神に満ちた革新の歴史でもあった。しかしそれは「とにかくぶち壊せ」「何でも反対」と言う乱暴なものはなかった。もう現代では商品価値のない赤米も護る、優しい心をもった改革の歴史であった。
コシヒカリの時代 1944(昭和19)年、終戦の前年から始まったコシヒカリの品種改良、登録されたのは1956(昭和31)年、この間12年も掛かっている。しかも実際にその良さが認められて作付率で日本晴を抜いてトップになったのが、1979(昭和54)年。35年もの長い年月がかかっている。コメの品種改良はその後、「きらら397」のような計画的な改良が行われている。交雑育種法も進化した。コメの品種に関して言えば、戦前からの品種は市場から消え去っている。わずかに赤米が篤志家によって護られているだけだ。 現在「日本の文化のコメ」はすべて戦後生まれ、となっている。ここで利用された「交雑育種法」は今でも品種改良の重要な手段として利用されている。
一代雑種  野菜はどうかと言うと、ほとんどが一代雑種=F1ハイブリッドになっている。これは戦前にはなかったものだ。野菜に関しても消費者はあまりこうした品種改良を問題にしない。 そうした無関心を問題にして「消費者教育が必要だ」と主張する人たちがいるようだ。しかし消費者にしてみれば価格があまり高くならず、そこそこの味ならば、あまり神経を使いたくない、と考えているのだろう。別の言い方をすれば、「日本の農業は消費者ニーズに応えてきた」と言えるかもしれない。 コシヒカリとその改良品種がこれほどまでに高い作付面積を誇っているのは、消費者が支持しているからだ。消費者ニーズに応えて農家は作付品種を選んでいる。「消費者は神様」の市場経済のあるべき姿を示している。野菜が一代雑種中心になっていったのも、消費者ニーズに応えたものと考えられる。 一部で「在来種を護ろう」との声があがっているが、もし消費者が異常に出回っている一代雑種よりも在来種を望んでいるならば、「在来種を護ろう」と呼びかけなくても、在来種は売れる。 「一代雑種ばかり売れて、在来種が無くなっていく」との不安は、別の方法で解決すべきだ。種子会社は品種改良のためにはなるべく多くの親品種、純系を必要とする。これは市販するために必要なのではなくて、交配するのに少ししか親品種がなければ、新しい品種の可能性の少ししかない。種子会社は世界中から純系を探してきて、それを保存、育成し、品種改良のために使おうとする。 在来種が少なくなるのは、種子会社にとっても困ることなのだ。一般人が「自然をあまり大きく変化させないために、在来種を護ろう」というよりも切実なことなのだ。かつてはあまりそのようなことに種子会社も気づかなかった。しかし今では、種子会社にとって在来種を保存することは、会社存続のための必要な事業の一つになっている。
細胞培養  こうした品種改良の流れの途中で「細胞培養」が脚光を浴びた事があった。「ポマト」に象徴される細胞育種法が、今までになかった全く新しい作物を作れる、かのように思われたときがあった。しかし、実用的なものは出来なかった。これからも新しい作物への期待はない。ウィルス・フリーなどの利用が中心になるだろう。消費者の関心は呼ばない。
遺伝子組み換え  品種改良の流れは、「司令塔があって、その指令に基づいて行われてきた」のではない。市場のメカニズムが働いて現在の農作物市場がある。その市場のメカニズムの働く場で「遺伝子組み換え植物」が話題になっている。その話題は、「品種改良の流れはこれでいいのか?」との疑問を投げかけている。食品安全性、大企業の種子・農業支配、環境保護、といった面から、品種改良の流れ先を警告を発する。 品種改良を進める技術者はとまどっている。「遺伝子組み換えも今までの延長線でしかない。選抜育種でも交雑育種でも非難はされなかった」 それは遺伝子組み換えに関する書籍沢山を読むと感じる。育種に携わる人の本はだいたい同じ様な、冷静な・やや冷たい、話の進め方をしている。 それに対して、遺伝子組み換え批判派は、熱っぽい・感情的な話の進め方をしている。中には「例えば、トマトの遺伝子にハエの遺伝子を入れ、腐りにくいトマトを作る。こんな、トマトを子供たちに食べさせたいと思いますか?」 のような喩えさえ使っている。
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<主な参考文献・引用文献>
食の未来を考える              大澤勝次・今井祐          岩波書店      2003. 6.27  
( 2004年1月5日 TANAKA1942b )
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(21)野菜に加えられた良き性質
GMOの広がる可能性
<遺伝子組み換えと他の育種法との違い> 遺伝子組み換え植物(GMO・Genetically Modified Organism)(欧米では一般に GEO ・Genetically Engineered Organism と呼ばれる)を分かりやすく説明するにはどのような表現が良いのだろうか?いろいろ考えて次のように、「従来からの育種法と、どのように違うのか?」という点から比較してみた。
選抜育種法 は気に入らない品種を捨てていく育種法。自然界では強いものだけが子孫を残せる。ダーウィンの仮説によれば「生物は自然選択によって環境に適応するように進化する」との表現になる。育種では自然のままでは生きていけないような弱い品種でも、人間に気に入られれば子孫を残すことになる。コシヒカリは人間が栽培しなければ、自然のままでは、自分だけでは子孫を繁栄させることができず、やがて絶滅する。ただし、この育種法では突然変異でもなければ急激な改良はできない。
交雑育種法 は2つの品種の良いところを生かした子孫を作る。両親の良い点が現れている。何代かに渡って品種を固定するので、固定種又は在来種となっていく。コシヒカリを始め、日本のイネはこの方法に依るものが多い。自家採種ができる。植物の混血児を作るようなこと。
一代雑種育種法 は2つの品種の隠れていた良いところを生かした子孫をつくる。潜在的には持っていたが現実には現れていなかった両親のよい性格が受け継がれている。よい性格は一代目だけ、代が進むと平凡な品種になる。「鳶が鷹を生んだ」とはこのこと。
細胞育種法 はポマト(ポテトXトマト)の誕生で一時大きな期待が持たれたが、全く新しい植物の誕生は期待出来ないとなった。現在ではウィルスフリーなど、性質の一部を変える技術として利用されている。特定の品種にある性質を加えたり、あるいは取り除いたり、その利用方法は遺伝子組み換えに受け継がれていく。
遺伝子組み換え育種法 はある品種に他の品種又は、他の植物の持っている良い性質を加えた子孫を作る。ポマトのような新品種は期待できない。親の欠点をカバーした子、または良い性質が加えられた子が生まれる。
<どんな性質が加えられたか?>遺伝子組み換えでは全く新しい作物を作る技術ではない。農作物に特定の性質を加える技術だ。それではどのような性質が加えられているのだろうか?それをみてみよう。
日持ちの良さ これは熟する時に働く酵素を抑える遺伝子や、果実の成熟や老化を進めるホルモンを抑える遺伝子を取り入れたもので、トマトやカーネーションに応用されている。
除草剤耐性 これは、特定の除草剤に対して抵抗性を持たせた農作物で、その除草剤を撒いて雑草は枯れても農作物は枯れないというもの。農作物を作るとき、雑草や農作物に応じて数種類の除草剤を使用しているが、これにより、使用回数や使用量を減らすことが出来る。大豆やなたねなどに導入されている。
害虫抵抗性 これは特定の害虫だけを殺すタンパク質の遺伝子を組み込んだ農作物で、よく知られているのはBtコーンと呼ばれるトウモロコシ。
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<どんな野菜が改良されたか?> 医薬品であるヒトインスリンやヒト成長ホルモンから始まった、遺伝子組み換えの実用化が野菜に応用されるようになった。1989年には日持ちを良くしたトマト(フレバーセイバー)が誕生し、1994年から市販された。 その後、ダイズ、トウモロコシ、ナタネ、ジャガイモ、綿実などの遺伝子組み換えがアメリカで実用化された。ここでは個々の遺伝子組み換え作物について見てみよう。
除草剤耐性の大豆 日本で、大豆は植物油の他、納豆、豆腐、味噌、醤油、油揚げ、家畜用飼料に使われている。国内消費量は約507万トンで、そのうち381万トンがサラダ油など精油用に使われ、残りのうち約100万トンが納豆、豆腐などの食用として使われている。 こうした消費量に対して、2001(平成13)年の生産量は27万1千トン。食品用の自給率は26%、全体としての自給率は5%。輸入金額としては1,229,388円(2000年)。主な輸入国は、アメリカ365万トン、ブラジル71万トン、カナダ25万トン。
 遺伝子組み換え技術で作り出された大豆は、1996年に開発された除草剤耐性の遺伝子を組み込んだものが代表的。除草剤を散布すると、ほかの草は枯れるが、耐性遺伝子を組み込んだ大豆は枯れないため、散布が簡単かつ効果的にできるとして栽培面積が広がり、米国では大豆の総作付面積の6割を占める。 アメリカ、ブラジル、カナダ、中国などでは、遺伝子組み換え作物の作付けが急増し、日本に輸入されるアメリカ大豆の約75%(50%との資料もある)が遺伝子組み換えで、日本では食用油などとなって私たちの食卓に登場している。
害虫抵抗性のトウモロコシ 遺伝子組み換え技術によって「害虫抵抗性」という性質が可能となった。これは特定の害虫に対して被害を受けない性質を言う。 害虫抵抗性農作物は、もともと土壌に生息しているバチルスチューリンゲンシス(Bacillus thuringiensis)という細菌(Bt菌)から、害虫に強い性質をもつ遺伝子であるBt遺伝子が導入されたもので、害虫の被害から農作物を守ることができる。 この遺伝子はδ(デルタ)エンドトキシンという殺虫タンパク質(Btタンパク質)を生み出す。Bt菌は生物農薬としても利用されている歴史もあり、特定の害虫である蛾や甲虫類の幼虫などに対して、殺虫作用がある。この殺虫タンパク質は特異(選択)性が高く、哺乳類や鳥類などの脊椎動物には毒性を発揮しない。 現在、害虫抵抗性農作物として、トウモロコシ、ワタ、ナタネ、ジャガイモなどが実用化されている。
 日本への輸入量は約1600万トン、金額としては1,888,567円(2000年)。用途は約75%が飼料用、25%がコーンスターチ等の食品用などの原料として使われている。
除草剤耐性のナタネ 1995年に商品化されたもので、大豆と同じ「特定の除草剤に強いもの」。植物油として利用される。ナタネの自給率は0%で、90%はカナダから輸入されていて、輸入されたものの内37%が組み換えと言われている。カナダではナタネの栽培面積が120〜160万ヘクタールでそのうち25〜33%が組み換えと見られている。 日本ではキャノーラとの名で知られている。
害虫抵抗性のジャガイモ アメリカで1996年に商品化された。トウモロコシと同じ方法により害虫に強いもの。ジャガイモは、植物検疫上の理由から、生食用の輸入はなく、冷凍、粉状、乾燥、フライドポテト、マッシュポテト等の形で約70万トン(ジャガイモ換算)輸入されている。 ジャガイモの需給関係は、国産 304万トン、加工した輸入もの70万トン(米国)。
害虫抵抗性の綿実 1996年アメリカで商品化された。除草剤耐性の綿実も同じ頃商品化された。輸入されたものの用途は、油糧用または飼料用。
日持ちの良いトマト 1994年アメリカで商品化されたが、日本へは輸入されていない。
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<改良された利点は何か?> 改良された性質は、日持ちを良くする、害虫に強くする、除草剤に強くする、などがある。除草剤に強くなった作物は除草剤散布の回数が減り、農家とその家族が農薬中毒になる恐れが少なくなった。 こうした点について、朝日新聞2003年10月11日b3面のVisitors欄から引用しよう。
「遺伝子組み換えの評価は冷静に」  パメラ・ロナルド氏(米カリフォルニア大デービス校教授) 
米国の遺伝子組み換えイネの研究者。葉枯病に強い改良品種を研究。カギになる遺伝子の特定に取り組む。米のバイオテクノロジー企業、モンサント日本法人に招かれ、都内で講演した。
「遺伝子組み換え作物(GMO)の世界最大の生産国である米国では、02年に全作付面積に占めるGMOの比率が66%に達した。しかし、開発の歴史が浅いこともあり、消費者が正確な情報を得ているとは言い難いのが現状だ」
事実、その安全性に首をかしげる消費者は多く、日本での商業栽培はない。食品メーカーは製品の原料に「使用していないこと」を売り物にしている。
「米国では年間12万5千トンの農薬が使われている。誤使用などによる農家とその家族の中毒被害の報告は11万件あり、がんとの因果関係も指摘されている。中国では、病害虫に強い遺伝子組み換え綿が導入されて以降、殺虫剤散布が導入前の75%に激減した。 リスクと便益の評価は、もっと冷静になされるべきだ。私は、科学者として、母として、有機農業を営む夫を持つ妻として、GMOを食べるのに何の抵抗も感じない」
GMOで開発企業は利益を得、普及が進むほどその支配力が強まる構図もある。
「過酷な気象条件や貧弱な土壌でも収穫が期待できるGMOは、発展途上国の食糧不足を解決する。情報開示を徹底し、問題が起きた場合にだれが責任をとるかを、はっきりさせることが大切だ。途上国にはライセンス料なしで種子を提供することも考えるべきだ」 【鈴木淑子】  (朝日新聞2003年10月11日)
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<改良の目標は増えていく> 品種改良も日本では「発展途上国型品種改良」から「先進国型品種改良」に変わっていく。生産量を増やすを最大の目標としていた品種改良から、もうちょっと違った目標に向かって改良が行われるようになる。 イネの場合も、コシヒカリが生まれた頃とは違って、「スギ花粉症の治療に効果のある遺伝子組み換え米」を目標とするようになった。これには全農も積極的に参加している。毎日新聞から引用しよう。
遺伝子組み換え「花粉症緩和米」 07年にも商業生産 全農など共同開発
 農水省は2日、スギ花粉症の治療に効果のある遺伝子組み換え米の商業生産が07年度にも実現する見通しとなったことを明らかにした。実現すれば、食用の遺伝子組み換え作物の商業生産は日本で初めて。遺伝子組み換え米の本格的な商業生産も世界初となるが、遺伝子組み換え作物は、安全性や生態系への影響に懸念を持つ人もおり、議論を呼びそうだ。
 この「花粉症緩和米」は、独立行政法人の農業生物資源研究所、日本製紙、全国農業協同組合連合会(全農)が共同開発。同省は、同米など遺伝子組み換え作物の実用化を支援するため、来年度予算で45億8000万円を概算要求した。来年度に試験栽培を行い、臨床試験で安全性を確認後、商業生産に入る計画だ。
 スギ花粉症は、アレルギーの原因となるたんぱく質を体内で外敵と認識し、鼻水や涙などの過剰反応が起こる。このたんぱく質を長期間、少量注射して耐性を作る治療法が行われているが、この原理を応用した。同たんぱく質を生成する人工遺伝子をイネに組み込むことで、コメのはい乳にこのたんぱく質が蓄積され、食べ続けると、アレルギー反応が起きにくくなる。農業生物資源研究所は、マウス実験で有効性を確認しており、人間にあてはめると、1日当たり1合(180CC)のご飯を数週間食べ続ければ効果が表れるという。
 花粉症緩和米は00年に開発に着手。現在は茨城県つくば市の同研究所の温室で試験栽培中で、来年度は同市内で他の農地と隔離した場所で、試験栽培を計画している。
 農水省は来年度から、安全性や栽培、流通の仕組みを検討する。また、厚生労働省の食品安全性の審査を受け、健康への効果を表示できる「特定保健用食品」として販売する方針だ。【尾村洋介】   
(毎日新聞 2003年09月02日)
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<日本での遺伝子組み換え農産物> 遺伝子組み換え農産物の安全性確認にはいくつかの段階がある。それは、閉鎖系、非閉鎖系、隔離ほ場、栽培目的、輸入目的、食品、飼料、となっている。ここでは「栽培目的」として安全性が確認されているのもを拾い出してみた。 これらの中にはすでに「食品」としての安全性が確認されているものもあるし、「カーネーション」や「キク」のように食品としての安全性確認は不要、というものもある。
品目 開発者 特性 導入遺伝子 安全確認
アズキ 農業研究センター 害虫抵抗性 アルファ-アミラーゼ・インヒビター遺伝子 1999
イネ 農業研究センター,農業生物資源研究所 ウイルス抵抗性 イネ縞葉枯ウイルス外被タンパク質遺伝子 1994
イネ 農業環境技術研究所,KK植物工学研究所 ウイルス抵抗性 イネ縞葉枯ウイルス外被タンパク質遺伝子 1994
イネ 三井東圧化学 低アレルゲン イネアレルゲン遺伝子アンチセンス 1995
イネ 農業研究センター,農業生物資源研究所 ウイルス抵抗性 イネ縞葉枯ウイルス外被タンパク質遺伝子 1997
イネ 日本たばこ産業 造酒用低タンパク質 イネグルテリン遺伝子アンチセンス 1998
イネ モンサント 除草剤耐性 グリホサート耐性遺伝子 2000
イネ モンサント、愛知県農業総合試験場 除草剤耐性 グリホサート耐性遺伝子 2001
イネ 農業生物資源研究所 高光合成 トウモロコシ・C4型PEPC遺伝子 2003
カーネーション DNAP、サントリー 日持ち延長 エチレン合成酵素遺伝子(コサプレッション) 1996
カーネーション フロリジーン、サントリー 色変わり アントシアニン合成遺伝子 1997
カーネーション フロリジーン、サントリー 色変わり フラボノイド3',5'-水酸化酵素遺伝子他 1999
カーネーション フロリジーン、サントリー 日持ち延長 1-アミノシクロプロパンカルボン酸合成酵素遺伝子 2000
カーネーション フロリジーン、サントリー 色変わり フラボノイド3',5'-水酸化酵素遺伝子他 2000
カリフラワー タキイ種苗 除草剤耐性,雄性不稔 グルホシネート耐性遺伝子,雄性不稔遺伝子 2001
キク 麒麟麦酒 RNA病原体抵抗性 二重鎖特異的RNA分解酵素遺伝子 2002
キュウリ 農業生物資源研究所 灰色カビ病抵抗性 キチナーゼ遺伝子 1999
ダイズ モンサント 除草剤耐性 グリホサート耐性遺伝子 1996
トウモロコシ モンサント 害虫抵抗性 Btタンパク質産生遺伝子 2003
トウモロコシ ノースラップキング 害虫抵抗性,除草剤耐性 Btタンパク質産生遺伝子,グリホシネート耐性遺伝子 2002
トウモロコシ ノバルティスシード 害虫抵抗性,除草剤耐性 Btタンパク質産生遺伝子,グリホシネート耐性遺伝子 2002
トウモロコシ デカルブ 害虫抵抗性,除草剤耐性 グリホサート耐性遺伝子 1998
トウモロコシ モンサント 除草剤耐性 グリホサート耐性遺伝子 1998
トウモロコシ モンサント 害虫抵抗性,除草剤耐性 Btタンパク質産生遺伝子,グリホサート耐性 2003
トマト 農業環境技術研究所他 ウイルス抵抗性 TMV外被タンパク質遺伝子 1992
トマト 野菜・茶業試験場 ウイルス抵抗性 CMV外被タンパク質遺伝子 1996
農林水産省農林水産技術会議事務局の資料から作成  安全確認 は栽培目的での安全が確認された年。食品として販売するには更に安全性の確認が必要
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<主な参考文献・引用文献>
食と農の戦後史               岸康彦               日本経済新聞社   1996.11.18
遺伝子組換え作物 大論争・何が問題なのか  大塚善樹              明石書店      2001.10.31
( 2004年1月12日 TANAKA1942b )
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(22)遺伝子工学の方法
何が進歩して、何が停滞しているのか?
<組み換えの方法> ここでは遺伝子組み換え作物の作り方から話を始めよう。まず、ある生物から目的とする有用な遺伝子を見いだし、その遺伝子だけを取り出す。 このとき、この遺伝子以外の別の遺伝子が混じらないように処理をする。そして、作物の種類に応じて、次に挙げる3つの方法のどれかによって、作物の細胞の中の核にその遺伝子を導入する。 この段階では、目的どおりに有用遺伝子が導入されたかどうかわからない。そこで、多数の細胞を培養し、その中から目的とする遺伝子がちゃんと導入されているものだけを選抜し、増殖させる。 次に、増殖した細胞から芽や根を出させ、植物体を再生する。 こうして育成された多くの植物体の中から、有用遺伝子がきちんと発現しているものを選抜し、遺伝子的に安定なものとするために交配などを行ったものが、遺伝子組み換え作物となる。
アグロバクテリウムを利用する方法 土壌に住む細菌の一種であるアグロバクテリウムを利用する方法。@アグロバクテリウムの環になったプラスミドと呼ばれるDNAを取り出し、酵素を使って一部を切り取る。A導入したい有用遺伝子をアグロバクテリウムのプラスミドにつなぐ。 Bこの組み換えプラスミドをアグロバクテリウムに戻す。Cアグロバクテリウムを目的の農作物の組織に接触させる。Dアグロバクテリウムの働きで有用な遺伝子が目的の農作物のDNAの中に取り込まれ、組み換えがおこる。
パーティカルガン法 パーティカルガン(遺伝子銃とも言う)を使って直接有用遺伝子を細胞に入れる方法。@目的の遺伝子を金などの微粒子にまぶす。A遺伝子をまぶした微粒子をガスなどの圧力で葉などの植物組織・細胞に打ち込む。Bアグロバクテリウム法と同様に培養・選抜を行い組み換え植物を作る。 米国アグラシータス社が開発した。
エレクトロポレーション法 電気窄孔法とも言われるこの方法は、電気パルスの刺激を利用して有用遺伝子を植物細胞に直接入れる方法で、細胞融合にも利用されている。 @有用遺伝子を導入したい植物からプロトプラストを作る。Aプロトプラストと有用遺伝子を溶液に入れて、直流の電気パルス(数1000ボルト/cmの高電圧で数10μ秒のパルス)をかけるとプロトプラストの細胞膜に短時間、小さな穴があき外液といっしょに遺伝子が取り込まれる。 Bアグロバクテリウム法と同様に培養・選抜などを行い組み換え植物を作る。
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<1995年当時のTV番組> 遺伝子組み換えに関する資料をいろいろ探している内に、1995年放送NHK・TVのビデオが見つかった。1995年6月12・13日放送のETV特集「コメ自由化元年」@アメリカ遺伝子特許戦略、A生き残れるか日本の稲作。このうちの「A生き残れるか日本の稲作」を基に話を進めよう。
 番組では、アメリカ、アーカンソン州での農家がコシヒカリの直播き栽培をやっていて、農地が760ha、日本の平均の950倍の広さ、直播きによりコストは日本の1/10程度、との話から、アメリカの遺伝子組み換え技術とそれに対する日本のミラクルジャポニカ計画、遺伝子組み換え技術の将来、へと話は進んでいった。 番組登場者はキャスターが中田薫、コメンテータが天笠啓祐(ジャーナリスト)と辻井博(京都大学教授)、それに番組内で意見を言うのが山本隆一博士(農水省農業研究センター)、久保友明(日本たばこ産業遺伝育種研究所所長)、西尾剛(農水省放射線育種場室長)、榎本良夫(キリンビール取締役)。
 アメリカ、カーネル大学のジョン・サンフォード博士は遺伝子銃のアイデアを特許申請し、1990年に発効されるとこの特許権をデュポン社に売った。アメリカのベンチャー企業、アグラシータス社(Agracetus)は遺伝子銃を開発し、デュポン社と提携し遺伝子銃に関する特許を取った(後にモンサント社がこのアグラシータス社を吸収合併する)。 アグラシータス社は遺伝子銃の特許とこの使用に関する特許を1992年に取る。そしてこれを使用してわずか3年で除草剤に強いコメを開発し、特許を申請した。
 これに対して日本ではミラクルジャポニカ計画を進める。ただしこれには遺伝子組み換えは含まれていない。この計画に対して天笠氏は次のように言う。
 放射線による突然変異の利用というのは、遺伝子組み換えがハイテクなら、ローテクに属する技術ですね。現場では朝礼暮改的に変わる方針に対して、白けていますね。
 これが1995年6月当時の状況。現在では農水省も遺伝子組み換え技術を積極的に利用しようとしている。現場では朝令暮改的な変化に白けているのだろうか?しかし技術は進化すれば、それに従って方針も変わるべきで、なかなか方針を変えない、前例に従って開発を進めるべきだ、と考えるのはいかにもお役所感覚だ。 コメの品種改良に企業も参加するようになって、積極的に新しい技術を利用しようとなってきたようだ。
 この番組ではアメリカが農遺産物に関する特許戦争を仕掛けてきた、これに対して日本はどうする?というのがテーマになっている。これにはポール・クルグマンが「そんな概念はないよ」と否定する「国際競争力」という考え方がベースにある。アメリカが仕掛けてきた特許戦争・アメリカ企業の特許戦略が議論の対象となる。 辻井博氏はこうした遺伝子組み換えの特許に関して次のように言う。
 特許は研究を促進するという側面はあるが、しかし、特許には問題点もあって、その特許の幅が広すぎたり、期間が長すぎたりすると、社会的に不公正・不公平な問題が起こってくる。だから、その辺を考えなければならない。もともと特許制度は人類の幸福のためにあるわけですから、特許を取った人だけが儲かっているのでは困ると、私は考える訳です。 特許の権利がカバーする幅、特許の権利が保証する期間、これをやっぱり日本の農業を維持していくにはどうしたらいいか、主体的に考えて国際的にも交渉して新しい枠組みを作っていくべきだと思います。もう一つは、特許料をあんまり高くすると、特許を取った会社やその主体にあまりにも多くの利益を与えてしまいますから、不公平になりますね。 その辺をどう決めるか、やっぱり、学者と、いろんな団体とか政府とかが集まって、徹底的にどうすべきか、決めるべきであろうし、国際的にも交渉して決めていくべきなんじゃないかと思います。出来ると思うんですね。これは比較的やりやすい問題だと思うんですね。
 終わりの方で、コメンテータの中田氏は言う「この遺伝子組み換えの戦略が我々の食卓を変えるかどうか、と言うことは、やっぱり消費者がきちんと考えておかないと道を誤りかねない、という、そういう問題提起でもあると思うんですけれど」。それに対して天笠氏は言う。
 それが大きなポイントになるでしょうね。消費者が一番気にしていることは、組み換え作物が新しい技術であるので、安全性に疑問を持っていることです。開発する側は「画期的だ」と言う。そうして新しい品種が市場に入って来る。これから越えなければならない壁は「安全性」なんですね。消費者の理解を得る、得ないということが最大のポイントになって来ると思いますよ。 消費者がはたしてこの遺伝子組み換え食品を選択するのか、あるいは選択しないのか、そういう問題として提起しているんじゃないかと思います。
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<特許制度が企業の技術開発を促進する> 企業は特許を取って独占的な利益を得ようとし、そのために技術開発に投資する。もし独創的な技術を開発しても、その使用料を自社では決められないならば、科学者や関係する団体や政府が決めるとしたら、せっかく開発した特許もその開発費を回収出来ないかも知れない。そのように自社で決められない制度になったら研究投資額は確実に減る。進歩は遅くなる。 未知との遭遇に恐怖心を持つ人は喜ぶ。現代のラダイト運動は活気づく。
 もし現状の制度で、企業が非常に高い特許使用料を要求したらどうなるか?農家はその企業から種子を買わない。組み換え種子を栽培して利益が上がるかどうか計算する。その結果、従来の種子を栽培する。そうなると開発した種子会社は売り上げが伸びないので、種子の販売価格を下げざるを得ない。これは市場経済では自然なこと。ただし、旧ソ連のような社会主義経済ではこうならない。 政府や農協の指示した種子を買うことになる。つまり、特許料を学者や団体、政府で決めるべきだというのは社会主義経済体制での発想、日本やアメリカ、その他の諸国が市場経済である、ということを忘れている発想だ。
 そうしてもう一つ、国際的な交渉を通じてアメリカ企業の自由な活動を制限しよう、との考えは、「発展途上国型発想」だ。「先進国は特許制度を利用して、途上国から特許使用料を取ろうとしている」とは途上国型発想。かつて韓国・台湾・香港・シンガポールなどで先進国のブランド品の偽物が作られて話題になったことがあった。最近では話題にならない。それだけこれらの国が先進国に近づいて来たのだろう。 日本政府の立場は「知的所有権を大切にしよう」だ。辻井氏の発想は発展途上国型の発想。そしてそこには「日本はアメリカに比べて遅れている」との認識がある。そうでなければこのような発言にはならない。そしてそれは「自虐的発想」という点で、歴史を自虐的に見る態度に共通する。もうこのような「敗北主義」は捨てるべきだ。日本で品種改良に多大の貢献をしてきた先人たちの功績を正当に評価し、それに学ぶべきだと思う。 品種改良では、江戸時代から日本は先進国だった。農業経済学者は視野狭窄にならず、時代を超えて、江戸時代にも目を向けて見ましょう。江戸時代の庶民の品種改良に対する好奇心や遊び心が伝わって来て、日本の歴史の勉強が楽しくなるでしょう。もうこのような「尊農攘夷論」はやめにしましょうよ。
<品種改良のなにが進歩し、なにが停滞しているのか?> 日本ではコメの品種改良が、交雑育種法から細胞培養を利用してF1ハイブリッドを開発したり、遺伝子組み換えを利用したりと、多彩な技術を利用しようとの姿勢になってきた。開発に関しては新しい技術を利用しようとしている。それでもまだ、官主導の進め方は改まっていないようだ。 そこには、「日本対アメリカ」とか「国際競争力」とかあるいは「食糧安保」「食糧自給率」という言葉が生きていて、コメの品種改良は「国家事業」であるとの意識が強い。それはマスコミ報道、NHKの番組でも感じられる。 企業間の競争であり、アメリカも日本のオランダもベルギーも、それぞれの国の企業が入り乱れて開発競争をしている、と捉えると全く意識が変わってくるのだが、そうした感覚はマスコミ人にはなさそうだ。あるいは「国際競争力」とか「日本とアメリカの争い」と扱った方が視聴率を取れると考えているのかも知れない。 コメの開発に種子会社が参入して来ると、社会主義的な発想が少なくなり、自由な競争、自由な研究が進むと思うのだが、テレビに登場する識者には隠れコミュニスト的な人が多いようだ。1995年に放送され、取り上げられた問題、その多くはそのまま蓋をされている。いずれコメ市場は開放され、グローバリゼーションは進む。 それまで問題を先送りしていると「グローバリゼーションによって社会は進化する」で扱った様な悲劇が起こるかも知れない。今は開国を迫られた幕末期に似ている。黒船のたった四杯で夜も眠れなかったように、遺伝子組み換えで日本のコメ作りが慌てふたむき、右往左往することになる。 コメ作りをどうするか、意見の一代雑種を作る必要がある。あるいは農業政策に「市場経済」「利潤追求」という遺伝子をアグロバクテリウムを使って組み込むことが必要かもしれない。いずれにしろ、成長痛が起こることは覚悟しなければならない。それを克服してこそ、日本の農業は先進国型産業に進化していくことになる。
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遺伝子組み換え関連略年表
1900 オランダのド・フリース(Hugo De Vries)、ドイツのコレンス(Carl Correns)、オ−ストリアのチェルマク(Erich von Tshermak-Seysenegg)により、それぞれ独立にメンデルの法則が再発見される.
1903 キャノン(Cannon)がエンドウの染色体数を確定 米国のサットン(Sutton)が、メンデルのいう遺伝因子は染色体上にあると指摘.
1930 米国の農家がトウモロコシのハイブリッド種を1922年に購入して使いはじめ、トウモロコシ生産高が1965年までに600%増加する
1933 ローズ(Rhodes)がトウモロコシで細胞質雄性不稔性を発見
1944 エイブリーが遺伝子の本体がDNAであることを確認
1952 ハーシーとチェイスが遺伝情報を伝えるのがDNAであることを証明
1953 
ワトソン(James D.Watson)とクリック(Francis Crick)がNature誌に「DNA2重らせんモデル」を発表。
1959 中国全土で大飢饉発生(1959-1961年)。3年間で2千万人以上が餓死する.
1961 米国ワシントン州立大学のボーローグ(O.Vogel)が、日本の農林10号を親として、コムギの最初の超多収品種Gainsを育成.
1963 スチュワードが植物の組織培養に成功
1970 ボーローグが、“緑の革命”とよばれる小麦品種改良(半矮性小麦品種)により、植物品種改良家として初のノーベル賞受賞者となる
1970 ハミルトンとスミスが制限酵素の作用を解明
1972 米国のCarlsonらは、タバコ属の種間で細胞融合によりはじめて体細胞雑種を作成する
1972 バーグが試験管内で組み換えDNAの作成 。これが初めての遺伝子組換え実験となる。
1973 
米スタンフォード大学のスタンレー・コーエン(S.Cohen)教授と「EcoR T」の発見者ハーバート・ボイヤー(H.Boyer)教授らのグループが、DNAを組み換える方法を発見。大腸菌のDNAを酵素をつかって自在にカットし、そこに黄色ぶどう状球菌の遺伝子を組み入れることに成功した(1973.3)。これによって、人類は初めて遺伝子を操作できるようになった。 この結果は11月に科学雑誌Natureに発表され、バイオテクノロジーのブームのきっかけとなった。
1974 シェル(Jozet S.Schell)博士とモンタギュー(Marc C.E.Van Montagu)博士がアグロバクテリウムのTiプラスミドを発見
1974 中国で最初のイネ実用F1品種が育成される
1975 
2月サンフランシスコ郊外のアシロマで遺伝子操作の安全性に関する会議が開催される(アシロマ会議)
1975 酵素によりDNAを特定箇所で切断する技術が開発される。
1976 米国国立衛生研究所(NIH)が世界で初めて、遺伝子組み換え実験のガイドラインを作成
1976 ボイヤー博士が世界初の遺伝子工学企業のジェネンテック社を創設。ヒトインシュリンやヒト成長ホルモンなどの生産に成功。同社は今日、最も成功したバイオ企業として知られる。
1978 
ドイツのマックスプランク生物学研究所のメルヒャー(Melchers)が、トマトとジャガイモの細胞融合により、交雑不可能な属間における最初の体細胞雑種ポマトを作出
1979 中国でハイブリッド・ライス(F1品種)の作付け面積が500万ha(全水田面積の1/6)に達する
1982 
ヒトインスリン、ヒト成長ホルモンが組み換え大腸菌から作られ市販され、医薬品から組み換え技術が実用化される。
1983 経済協力開発機構(OECD)が、産業利用における遺伝子組み換え体の安全性評価に関する検討を開始する
1985 除草剤耐性植物が開発される
1985 PCR法(パーティカルガン法 )を開発(米アグラシータス社)
1986 米国でタバコモザイクウィルスによる病気への抵抗性をもったタバコが開発される
1986 ベルギーで害虫抵抗性のタバコが開発される
1987 中国でハイブリッド・ライス(F1品種)の作付け面積が1,000万ha(全水田面積の1/3)を超える
1989 米国で日持ちを良くしたトマトが誕生する。市販開始は1994年。
1990 遺伝子組み換え技術でキモシンがつくられる
1992 米国化学品メーカー WR Rgaceのバイオテクノロジー子会社アグラシータス社(Agracetus)によりすべての遺伝子組み換えコットンについての特許が認められる(1994年に無効)
1992 米国カーギル社(Calgene)は、日持ち性を改善した遺伝子組み換えトマト (FlavrSavr Tomato)の特許を取得
1993 OECDが環境安全性の基本概念であるファミリアリティと、食品安全性の基本概念となる実質的同等性を打ち出す
1994 
遺伝子組み換え技術で作られたフレーバーセーバー・トマト(FlavrSavrTomato)(日持ちの良いトマト)が米国ではじめて認可され店頭に並ぶ
1995 米国で遺伝子組み換え技術で作られた除草剤耐性ナタネの安全性が確認される
1996 遺伝子組み換え作物の初の大規模生産が開始される。米国からの欧州向け輸出に対して欧州で反対運動が始まる。96年の遺伝子組み換え作物の栽培面積は2百万ha。
1996 日本の旧厚生省が遺伝子組み換え作物4種7品目の安全性を確認
1997 遺伝子組み換え作物の栽培急拡大。 栽培面積は、11百万ヘクタールに増加。
1997 農林物資の規格化及び品質表示の適正化に関する法律(JAS法)が1999年7月22日に改正され、遺伝子組み換え食品について表示することが決まりました
1998 欧州で、遺伝子組み換え食品についての表示義務化が開始される。 遺伝子組み換え作物の栽培面積は、さらに急拡大、28百万ヘクタールとなる。
1999 ビタミンA前駆体のベータカロテンを含み、開発途上国の子供たちの失明予防に役立つ可能性を持つイネが開発される
1999 ローマで行われたコーデックス委員会総会で、バイオテクノロジー応用食品部会が設立され、日本が議長国に
2000 3月31日に「遺伝子組み換えに関する表示の基準」が告示され、表示制度がスタートしました
2000 かずさDNA研究所が高等植物(アブラナ科シロイヌナズナ)の全ゲノムを解読
2001 日本で遺伝子組み換え食品の安全性審査が義務化される。JAS法と食品衛生法による、遺伝子組み換え表示制度がスタートする
2001 シンジェンタ社がイネゲノムの解読を終了
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<主な参考文献・引用文献>
組換え農作物 早わかりQ&A        農水省農林水産技術会議事務局               2002. 4
くらしのなかのバイオテクノロジー      農水省農林水産技術会議事務局               2001. 4 
( 2004年1月19日 TANAKA1942b )
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(23)批判派・推進派の主張
世界の食糧危機を救うか?
<批判派の主張> 遺伝子組み換え食品を批判する人たちがいる。科学者やジャーナリストや市民運動家や、そうした人たちの主張に共鳴する人たち……。 その主張はいろいろあって、不安感を表明する程度から、積極的に批判する厳しいものまで、それでも「日本人が作りだした農作物 品種改良にみる農業先進国型産業論」の各論としてはある程度要領よくまとめて話を進めなければならない。 たくさんの不安感、反対論を読んでTANAKA1942bなりにまとめてみようと思う。分からない事がいっぱいある。でも、だからといって「分かりません」と言って逃げ出すことはやらない。アマチュアエコノミストの意地が許さない。 批判派の主張、そのポイントを4つにまとめてみた。
食品としての安全性に不安 人間が植物の遺伝子を操作して、今までに無かった遺伝子構造の作物を作り出した。これを人間が食べて何の害もないのか?あるいはアレルギー症状が出る可能性はないのか?ヒトインスリンなどの医薬品は専門の医師が適切に患者に投与する。 しかし組み換え食品に関しては、安全性の素人がいろんな食べ方をする。食べる量も人によって違う。生活環境も違う。それでも安心して食べていいものか、素人にも納得できる説明がない。
 パズタイ事件に関して、「バズタイらのGNA組み換えジャガイモのデータは、不十分なものだ」との意見もあるが、だからと言って「GNAが安全だ」とは言えない。 「実質的同等性」は経済的・政治的に作られた矛盾した規準で、その科学的根拠は曖昧であり、有効ではない。このような安全性を当然視するだけの概念に代えて、毒性を実際に調べる方法を政府は確立すべきである。
環境へ悪影響が心配 遺伝子組み換え作物を露地栽培していれば、いずれ従来からある在来種と交雑する可能性がある。本来組み換えでない在来種が、知らない間に組み換え作物のなるかもしれない。組み換え作物自身が雑草化したり、除草剤が効かない雑草が増えるとか、農薬や抗生物質に耐性な遺伝子が生態系に広がることが懸念される。 さらに、1999年5月20日号の「ネイチャー」に掲載された、米国コーネル大学の昆虫学者、ジョン・ロージーらのグループによる報告のように、害虫を殺すBt毒素の遺伝子を組み込んだ遺伝子組み換え作物が、害虫でない昆虫に害を与える可能性もある。
種子会社が農業を支配するおそれ 1999年2月、アメリカの週刊誌「タイム」に「自殺する種子(Suicide seeds)」という刺激的なタイトルの支持が掲載された。これはモンサント社が開発した作物で、その種子が農家に売られ、その種子を播いて育てた作物から農家が種子をとって自分の畑に播いても、そのときには種子自体に仕掛けられた仕組みが働いて、発芽能力が押さえられて死んでしまう仕組みに、タイム社が「自殺する種子」と名付けて記事を掲載したものだった。 F1ハイブリッドを徹底させたものだった。農民はモンサント社の組み換え種子を使う場合は、種子代金を払うだけではなく、次の年に自分のところでできた種子を使わないよう契約書にサインさせられる。モンサント社が種子の選択権を支配しようとした例は他にもある。カナダのサスカチュウアン州の一農家がキャノーラ(含有化学成分を改変したアブラナ科ナタネ)のモンサント社の除草剤抵抗性品種を契約内容を守らずに栽培したとして、その農家をモンサント社が裁判に訴えた、という例もある。 このように種子会社が農家・農業を支配し始めている。
大企業に対する不信感 組み換え作物ではない、とされていたものの中に組み換え作物が混入していた例は多い。これからも度々起こりそうだ。組み換え作物が人体に害があるとか、環境に悪影響を与えるとか、種子会社に不利なことが分かったとき、種子会社はそれをすぐに公表するだろうか? 人間に対する安全性、環境への影響など、企業と消費者との間には「情報の非対称性」がある。常に情報は企業側からの一方通行。これでは企業と消費者が対等だとは言えない。企業が利潤追求のために安全性を無視した経営戦略とる可能性は否定できない。
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<推進派の主張> 推進派の考えは「品種改良とは本質的に遺伝子組み換えであった」ということだろう。今まで進めてきて、大きな成果を上げてきた品種改良、それが突然非難され始めた。そうしたおどろきが感じられる。
品種改良の延長線上にある組み換え技術 品種改良とは本質的に遺伝子組み換えであった。交雑育種法でも一代雑種育種法でも新しく遺伝子が組み換えられている。どのように組み換えられたかは、個々の遺伝子を問題とするのではなく、その結果どのような作物が出来たかを問題とする。このため開発中はどのような作物が出来るかはっきりしない。たくさんトライしていい品種だけを選抜していく。 これに対してGEOは始めからどのような遺伝子を組み込んで、どのような性質を加えるか?を計画して育種する。このため成功率が高く、短い時間で結果が出る。新しい技術であり、いままでの品種改良と違って、経験だけではなく科学の知識が必要になる。このため仕組みが理解出来ないと不気味な技術と感じる。クローン技術とかSFの世界にダブってイメージされる。こうしたことで充分な理解が得られていないのは残念であり、これからさらなる情報公開が必要になろう。 農水省は今まで、問題が大きくなるのを恐れたためか、充分な議論を促進してこなかった。マスコミは視聴率・購読者数を伸ばすためにセンセーショナルに扱って来たし、これからもそうであろう。これは資本主義社会での株式会社組織である以上、当然の経営戦略であろう。
 安全性に対しては、個々の品目を「実質的同等性」という方法で検討していく。いままで日常の食品では行われなかった検査なので、特に不安感を煽る必要はない。
虫を殺す作物を人間が食べても大丈夫か? 「昆虫が食べて死ぬ遺伝子を人間が食べさせられている」「GM食品のタンパク質によるアレルギーが不安だ」と言うのが耐虫性作物に対する不安だろう。1901年、日本の細菌学者の石渡繁胤(いしわた・しげたね)はカイコの病気を研究していて、当時はまだ種類が確認されていなかった胞子形成性細菌(後にバチルス・チューリンゲンシス=Bt=と命名された)が原因だと突き止めた。 その後、1915年にドイツのチューリンゲンシス地方でスジコナマダラメイガに殺虫作用を示すバチルス菌が発見され、現在その地方の名前をつけてバチルス・チューリンゲンシス=Bt=菌と呼ばれている。このバクテリアは人間やほ乳類には何の害を与えないことが分かり、1960年代から天敵微生物農薬として実用化されていて、環境に負荷をかけない生物農薬として高く評価されている。この遺伝子をトウモロコシやジャガイモに組込利用しようというもので、これが批判されている耐虫性作物の実像であり、この点に関してはマスコミも十分な理解が必要と言える。
除草剤耐性作物は農薬の使用量を増やすか? 除草剤耐性のGMダイズには「除草剤の使用量が増え、耐性雑草が増える」「花粉によって除草剤耐性遺伝子が拡散して生態系を壊す」が問題とされている。除草剤の使用量については、「ラウンドアップ」や「バスタ」という除草剤は、特定のアミノ酸の代謝を阻害して植物の生長継続をを不可能にするもので、その仕組みから薬量を増やすことで効果が上がるものではない。 GMダイズを栽培しているアメリカの産地では統計上除草剤の使用は半減している。(「遺伝子組み換えの評価は冷静に」▲を参照)。
除草剤耐性作物は環境に悪影響を与えるか? 除草剤に耐性の雑草は組み換え作物が誕生する前からたくさんあった。従来の除草剤の使用による耐性雑草の出現がそれで、だからと言って耐性雑草がはびこったとは言わない。効果のない除草剤は使わないし、特定の除草剤を使わない限り、耐性雑草は「ただの草」なのだから。
 生態系に与える花粉の影響は、その原因と結果を評価するのは難しい。しかし。これまでの品種改良で誕生した膨大な新品種による生態系の破壊が問題になったことはない。こうした問題では、「赤米」がその野性的な生命力の強さにより「白米」を野生化する、ということで明治以降栽培禁止になったことが頭に浮かぶ。またアブラナ科のハクサイが自然交配してなかなか種子が取れなくて、明治時代に輸入されながら、日本で種子が取れ本格的な栽培が始まるのが昭和になってからだった、ということが頭に浮かぶ。
 わが国では「組み換えダイズ反対キャンペーン」によって、この除草剤耐性ダイズの利用が締め出され、その代わりに、従来の除草剤がしっかり散布されたダイズが高い価格で輸入されていることは理解しておくべきであろう。 東京穀物商品取引所で扱われるダイズ、取引量では一般ダイズ(GMを含む)1対Non−GMO大豆4の割合、価格ではNon−GMO大豆が一般ダイズの1割高。
種子会社に支配されるか? 「世界の食糧危機を救うかのような装いをして、企業の利益を隠蔽しようとしている」とか「自社の農薬を売りつけるためにGM作物を開発した」との批判がまかり通るのはおかしい。自らの生き残りを図るために、大きな決断をして、将来展望の中から、生命産業、バイオ産業に転換を図ったとしても、その決断を評価することはあっても、文句を言う筋合いではないはずだ。 そして10年以上に及ぶ開発研究の時間と負担に耐えて、その成果が日の目を見たからといって、足を引っ張るのは、単なる嫉妬と言うべきだ。わが国独自にこの分野で技術開発を懸命にやってきた日本のチームは、彼らの企業戦略に負けたのであって、率直に反省すべきこと。そして日本企業がアメリカのブロッコリー種子市場の70%を押さえていたり、遺伝子組み換えで新しいチューリップを開発販売しても文句を言われる筋合いではない。 一企業が特定の市場を支配するのは難しい。1920年代のスタンダード石油でさえ価格支配はしていなかった、という研究もある。
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<キーワードの説明> ここではいくつかの言葉について説明しておこう。一つの事実も見方によってその評価は変わってくる。なるでく偏らないように書いてみた。
パズタイ事件 1998年8月10日、イギリスのTV番組「ワールド・イン・アクション」でアルバド・パズタイ博士は「ある遺伝子組み換えジャガイモを長期間与えたラットで、わずかな成長の遅れと免疫作用の低下が起こった」と発言した。この遺伝子組み換えジャガイモは、マツユキソウの球根から得られたGNAというレクチンの遺伝子を組み込んでいた。 GNAは人間には無害だが害虫には毒性があるため、ジャガイモだけでなくイネでも実用化が有望視されているものだった。しかしこの発言の科学的信憑性が問題になり、パズタイはその年末に免職となった。以後こうした実験が数多く行われているが、科学的な結論は出ていない。
同質的同等性 1993年にOECD(経済協力開発機構)のバイオテクノロジー安全性専門委員会で導入され、1996年にFAO(世界食糧機構)とWHO(世界保健機構)で確認されたもの。 同質的同等性は、遺伝子組み換え食品の安全性を評価するときに、その食品自体の毒性を調べるのではなく、従来と同じ様な食品と成分を比較することで評価しようとする考え方。つまり、タンパク質、炭水化物、脂質、繊維質などの大雑把な食品成分の割合や、アミノ酸、脂肪酸、ビタミン、ミネラルの組成が、対応する従来品と同じであれば、そして、組み換えた遺伝子の産物であるタンパク質が安全なものであれば、毒性試験は行わない。 厚生省の指針でも、「遺伝子組み換え体における導入遺伝子の特性が明白であり、食品成分が従来品から変化していなければ、実質的に同等な安全性をもつ」とみなされる。
コーネル大の実験 1999年5月20日号の科学雑誌「ネイチャー」に、米国コーネル大学の昆虫学者ジョン・ロージーらのグループによる報告が掲載された。 実験ではオオカバマダラの幼虫が好むトウワタという草の葉に、遺伝子組み換えと非遺伝子組み換えのトウモロコシをまぶして食べさした。その結果、遺伝子組み換えのトウモロコシの花粉を食べた幼虫は、成長が遅く44%が死亡した。非遺伝子組み換えのトウモロコシの花粉を食べた幼虫では、死亡は見られなかった。 遺伝子組み換えのトウモロコシの花粉には、チョウやガの幼虫を障害するBt毒素が含まれていた。この実験で、その花粉が飛散した場合に、害虫以外の昆虫にも影響が及ぶ可能性が確かめられたことになる。これがロージーらの報告の要旨。
 この報告に対して反論が出た。@トウモロコシの花粉は実験ほど多く飛ばないかもしれない。オオカバマダラの幼虫も、花粉がついた葉は好まないかもしれない。A実験に用いた花粉の量が正確に測定されていなくて、実験は不備である。B95%のオオカバマダラはトウモロコシが花粉をとばす前に成虫になっていた。
 この問題は、Btトウモロコシは、科学殺虫剤使用量を減少させ、オオカバマダラの生育を助けるというメリットがある。この利点とリスクの可能性、どちらが大きいかを見極めるには、さらに研究が必要だ、という点では一致している。
トリプトファン事件 1988年から1989年にかけて、昭和電工が製造した健康食品トリプトファン製品が大規模な食品公害事件を起こした。アメリカを中心に約1,600人の被害者を出し、そのうち38人が死亡した。これは微生物を用いて遺伝子組み換えを行ったもので、製造の過程で不純物が混入したと考えられた。最先端科学は使い方を誤ったり、ちょっとした不注意が大きな惨事を引き起こすことになる。企業内に、そしてそこで働く従業員にそれだけの厳しい安全意識があるかどうかが問題になる事件であった。
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<バイテクは世界の食糧危機を救うか?>批判派・推進派、それぞれの主張がある。では公正な第三者はどのように見るか?そこでアマチュアエコノミストが登場する。(本当は、単なる「傍観者・野次馬」でしかないかもしれないが)。
 国連世界食糧機構(FAO)が世界の科学者に呼びかけて「発展途上国の食糧生産や農業にとって現在のバイオテクノロジーは適切か」というテーマで、2000年3月からインターネットで上で異論を行ったが結論は出ていない。 一方「遺伝子組み換え作物が世界の食糧危機を救う」と、推進派は主張すると言われている。遺伝子組み換え技術を使えば、生産性の向上、病虫害への抵抗性、日持ちの良さ、乾燥や高温への抵抗性、栄養価の増進などの特性を付与する事が期待される。「食糧危機を救う切り札」とまで言えるかどうかは分からないが、解決への有力な回答にはなるだろう。このように考えると「先進国の裕福な消費者に見られる、遺伝子組み換え慎重論は、発展途上国の貧しい農民が食糧や輸出農産物の生産性を向上させる可能性を奪っている」との主張が正論のようにも思えてくる。
 しかし、技術的な可能性と、政治的・経済的な面からの検討も必要で、この面から考えると、必ずしも大きな期待はできない。この技術を使いこなすフト・サイエンスが整っていない。農業は先進国型産業であって、開発途上国が農業技術・バイオテクノロジーを使いこなすにはヒューマン・キャピタルが不足している。アジアでの「緑の革命」が期待したほどの成果が上がっていないのを見れば明らかだ。 楽観論・悲観論いろいろ考えられるが、開発途上国での遺伝子組み換え作物のインパクトは、先進国型産業である農業技術を使いこなすソフト・サイエンスの進化いかんにかかっている。そして、途上国での栽培よりも先進国での栽培が進み、ハイテク農業は先進国で、ローテク農業=労働力集約型農業は途上国の比較優位産業として位置づけられていくだろう。
 乾燥に強い植物開発に取り組み、サハラ砂漠やタクマラカン沙漠でポプラ以上に緑化に有効な植物が開発されれば、将来に対する期待は大きく膨らんでくる。なぜなら現在改良されているのは、先進国向けの作物だからだ。「世界の食糧事情」と言っても、先進国向けの開発で、先進国の農家を顧客とした種子会社の開発戦略になっている。 ビル・ゲイツが指摘するように、組み換え遺伝子を使ってイネのベータカロチン含有量を増大させ、熱帯の消費者の体内でビタミンA不足を解消させる可能性の追求や、損害を被っている人の数では目下地球上最大の作物病害ではないかとも言われるアフリカのキャッサバモザイクウィルス病を組み換え遺伝子を使って解決できたら、人類史的貢献になるだろう。 こうした研究開発が具体化すれば、世界の食糧危機を救う可能性が高まったと言える。
 と言うことで、当面は種子会社の利潤追求の一戦略であり、それが世界の食糧事情にプラスにもなるのが、この遺伝子組み換え作物だ、と考えるのがよさそうだ。
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<主な参考文献・引用文献>
自殺する種子 遺伝資源は誰のもの?       河野和男             新思索社     2001.12.30
遺伝子組換え作物 大論争・何が問題なのか    大塚善樹             明石書店     2001.10.31
食の未来を考える                大澤勝次・今井裕         岩波書店     2003. 6.27 
遺伝子改造社会 あなたはどうする        池田清彦・金森修         洋泉社      2001. 4.21
遺伝子組み換え作物と環境への危機 ジェーン・リスラー、マーガレット・メロン 阿部利得他訳 合同出版 1999.10.25
遺伝子組換え作物の生態系への影響        (独)農業環境技術研究所編     養賢堂      2003. 3.25
食の世界にいま何がおきているか         中村靖彦             岩波新書     2002.12.20
よくわかる遺伝子組み換え食品          渡辺雄二             KKベストセラーズ 2001. 6. 5
不安なバイオ食品                渡辺雄二             技術と人間    1997. 2.10
組換え農作物 早わかりQ&A          農水省農林水産技術会議事務局            2002. 4
くらしのなかのバイオテクノロジー        農水省農林水産技術会議事務局            2001. 4 
遺伝子組み換え作物に未来はあるか        柳下登・塚平広志・杉田史郎    本の泉社     1999.12.10
増補改訂 遺伝子組み換え食品          天笠啓祐             緑風出版     2000. 1.31
古代からのメッセージ 赤米のねがい       安本義正             近代文芸社    1994. 3.10 
( 2004年1月26日 TANAKA1942b )
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(24)安全性について考える
利益と不利益とのバランスをはかる社会的な概念
<武谷三男の「安全性の考え方」> 遺伝子組み換え作物を考える場合、「安全性」がポイントになる。では「安全性」とはどのようなことなのだろうか?GMOは大きな利点がある。生産性の向上、イネのベータカロチン含有量を増大させなどの栄養価の付加、など多くの利点がある。 一方で批判派の主張する危険性も無視できない。ここでは戦後の市民運動に大きな影響を与えた武谷三男の考えを引用してみよう。
まえがき われわれの生活の周辺には危険が一ぱいである。何をするにも、いや、部屋でひそかに暮らしていても、生活がむしばまれ、生命は危険におびやかされる。すべてこれ文明の産物である。あるいは科学の産物である。この矛盾こそ現代の最大の問題の一つであり、いい気になっているうちに、自然のバランスが破壊され、人類の運命にも関することがしのびよってくるといえるかも知れない。 この端的なあらわれが現代の戦争の姿である。
 私は科学者として、文明の発達や、科学技術の進展を否定しようとは思わない。私は科学時代を謳歌するものである。ではこのような安全の侵害は、何によっておこるのだろうか。科学の非科学的利用、科学の不完全な利用、部分的な利用によるという他はない。ではどうしてそのような片輪な利用が行われるのか。これを防止するにはどうしたらよいか。これが本書の問題である。
 この問題の一部がいわゆる公害である。公害については、すでに「恐るべき公害」というよい教科書が岩波新書にある。労災や公害との闘いの歴史は古い。戦前有名なものに足尾鉱害がある。これは今日になってもまだ完全な解決がかちとられていない。科学の悪用に対する戦後最大の闘いは原水爆の「死の灰」に対する日本国民の闘いであり、科学者、市民が手をにぎって模範的な運動を展開した。 この経験が意識的無意識的にその後の運動の模範になったということができよう。その後、1957年頃関西原子炉をめぐっての市民運動、さらに本書に記した数多くの運動がある。
 私は戦後、安全性の問題を扱いつづけてきた。科学者、技術者として、安全性を科学的に正しく扱い、主張することは、決して有利なことではない。たかだかジャーナリズムに多少名が知られる位のもので、必ず悪者にされ、科学者としてのマイナスは大きい。初期の頃はわれわれの仲間は少なかった。しかし最近安全問題に良心的に取り組む科学者が各領域にあらわれ成長してきたことは喜ばしい。 このような各方面の科学者の多年の成果を、昨年「科学」10月号に特集することができた。われわれは、この特集のために、何回も討論を行った。
 「科学」の特集が完成したころ、安全問題のテーマで新書を1冊つくってはどうかということになった。早速本書のあとがきにあげてある方々に集まってもらって、プランをねり、何回か会合をかさね、討論の末でき上がったのが本書である。
 本書には科学者や市民の多くの人々の多年の努力と、犠牲の経験がこめられている。安全性を確保し、正しい科学の利用、健全な文明の建設のために本書が何らかの役に立つことを願う。   1967年4月  編者 武谷三男
許容量に対する疑い 放射線の人体への影響が、青酸カリの毒性のように、一時的に死に至らしめるというばかりでないことは広島・長崎の経験を通じて国民全体が知っている。爆発地点からかなり遠くにいた人たちで、被爆当時は何でもなかった人の中にも数年のちになって、とつぜん発病した原爆病に侵されて死んで行った人が数々いる事実は、よく知られていた。 許容量以下なら安全とといわれ、死の灰の雨をあび、放射能マグロを食べてすぐに眼に見える影響があらわれなくても、とても不安は解消するものではなかった。
 一方放射線の人体に対する影響の研究も、戦後原子力の発達に刺激されて、次々に新しい事実がみつかって来ていた。統計の調査や動物実験によって、白血病の発病率は、あたった放射線の量に比例して増大していることが知られてきた。そればかりではない。放射線による遺伝子障害が、ごく微量の照射の場合にも存在することが確認された。
 こうした事実から考えて、「許容量」というものは、決して”それ以下では障害が起こらない量”ではないということははっきりしてきたのである。
 日本にふってきた死の灰からうける放射線量はもちろん第五福竜丸のときと違ってきわめて微量である。したがって、個々の一人一人についてみると、そのために白血病にかかったり、かたわの児が生まれたりする確率は小さいものであろう。しかし日本全体、世界全体の大きな人口をとってみると、誰かは不運な目にあって、死の灰の影響で生命を失っていると考えられる。 このようなときには、科学者は国民の一人一人に何といって注意したらよいのだろうか。これまでの許容量概念ではおおえぬいろいろな問題が起こってきて、科学者たちは国民からの質問ぜめに混乱した。
利益と有害のバランスが許容量 それでは「許容量」というものは、どういう量として考えたらいいのであろうか。米原子力委員のノーベル賞学者リビー博士は「許容量」をたてにとって、原水爆の降灰放射能の影響は無視できると宣伝につとめた。
 日本の物理学者たちは、討論を重ねた。こうして日本学術会議のシンポジウムの席上で、武谷三男氏は次のような概念を提出した。
 「放射線というものは、どんなに微量であっても、人体に悪い影響をあたえる。しかし一方では、これを使うことによって有利なこともあり、また使わざるを得ないということもある。その例としてレントゲン検査を考えれば、それによって何らかの影響はあるかも知れないが、同時に結核を早く発見することもできるというプラスもある。 そこで、有害さとひきかえに有利さを得るバランスを考えて、”どこまで有害さをがまんするかの量”が、許容量というものである。つまり許容量とは、利益と不利益とのバランスをはかる社会的な概念なのである
 この考え方で、ようやく「許容量」というものが、害か無害か、危険か安全かの境界として科学的に決定される量ではなくて、人間の生活という観点から、危険を「どこまでがまんしてもそのプラスを考えるか」という、社会的な概念であることがはっきりしたのである。
 そして、この考え方がしっかりしたことによって、原水爆実験という原子力の軍事利用が、人間の生活、人類の生存にとって、決してプラスにならず、マイナスの死の灰をまき散らす”百害あって一利なし”のものである以上、決して認められるものではないとう、原水爆反対のための、一つの確乎とした論理が導き出されたのである。 まして、原水爆実験の死の灰に”許容量”などという概念が存在しないということもはっきりしたのである。このことについては、岩波新書「原水爆実験」に詳しい。
(「安全性の考え方」から)
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<GMOの社会的バランス> 「安全性の考え方」では公害問題をはじめ、多くの実例を取り上げている。その姿勢は、問題を起こした企業や政府の姿勢を批判している。多くに市民運動家にとって必読の書と言えるだろう。「1967年に書かれたものなので、現在とは状況が違う」との意見もあるが、これに代わる安全性の考えは提示されていない。利益と不利益の社会的バランスなのだが、利益ははっきりしているが、不利益は未確定の場合が多い。 遺伝子組み換え作物で考えると、日持ちの良さ、害虫に強い、除草剤を少なくできる、などが利益となる。一方不利益は、食品としての安全性、環境への悪影響、などはどの程度の不利益になるかはっきりしない。ある程度確率が予想されたとしても、その質の問題まで考えるとどのようにバランスを取ればいいのか判断に苦しむ。トマトの日持ちが良くなって生産者や消費者が喜ぶ。その反対にもしかしてそのトマトを食べた人に健康上異常が起きたら、それをどのように評価し、利益とのバランスを考えたらいいのか。 そして一度開発を始めると、それをストップさせるのは難しい。
 科学技術が発達したことにより、こうした問題が多くなっている。新しい技術の社会的費用をどのように計算したらいいのか?社会的費用は経済学の問題であり、さらに政治・社会・哲学の分野にまで広がっていく。武谷三男が提示した「安全性を考える」は遺伝子組み換え作物の安全性・社会的費用にもどのように考えたらいいのか?問題を投げかけている。 ここではその解答は用意できない。組み換え作物の開発はさらに進んでいく。それを容認しながらも答えを出すべき課題を抱えている、ということをここでの姿勢としておこう。 
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<安全性を経済学する> 「経済学とは損得勘定を科学する学問である」がTANAKA1942bの経済学の定義。そこで遺伝子組み換え作物の安全性を経済学=損得勘定という観点からバランスさせてみよう。その手法は何度か試してみている。「接待汚職の経済学」 「米国同時多発テロを経済学する」 「企業・市場・法・そして消費者」 で機会費用という言葉を使って説明した。モンサント社がフレーバーセーバー・トマトを販売するかどうか経営戦略会議を開いて検討したとしよう。出すべき答えは「発売する」か「発売しない」かだ。そしてその基になる数字はモンサント社の利益と不利益、つまりもし人的被害でも起きたらその不利益=(医療費+慰謝料+サンクコスト+その他諸費用)X起こる確率=機会費用、それと利潤とのバランスを検討する。 この場合、利益は予想しやすいが、不利益は予想しにくい。研究開発に投資して発売しなかったらその費用は研究開発費だけ。販売して何も人的被害・環境汚染がなければ利潤はある程度予想できる。もしも健康障害や環境汚染が起きたらその補償費用はとてつもなく大きくなる。ただしその確率は予想しにくい。それでも予想しなければならないとすれば、大企業モンサント社はいくつか出てくる補償費用の内の、多めの数字を採用するだろう。零細企業が一発勝負を挑むときは、ハイリスク・ハイリターンを狙う。 世間でいろいろの数字が出ているとすれば、大企業モンサント社はローリスクの安全策を採るだろう。「情報の非対称性」を考えれば、世間で言われる以上に危険の確率を高く見積もっていると考えられる。 モンサント社がこのような企業戦略を採るだろうと考えるのは、モンサント社は自社の利潤追求を第一に考えているだろう、とTANAKA1942bは考えるからだ。もしも利潤追求よりも違う目標を持っていたとすると、この予想=モンサント社はローリスク作戦を採るだろう=は外れることになる。 つまりTANAKA1942bの考えは、「モンサント社が利潤追求第一にする限り、フレーバーセーバー・トマトは安心だ」となる。
 2002年の食肉偽装事件での雪印食品・日本食品・日本ハムなどは小さな利潤を求めて大きな不正を行って、消費者の反発を買い、多大な損失を出した。企業の利潤追求を第一に考えたらあのようなバカなことはしなかったろう。 ここでもう一度食肉偽装事件損益バランスシートを振り返って見よう。
@雪印食品 (社員950人) 約1億9600万円の不正利益を得ようとして、会社は倒産し、その破綻処理費用240億円は親会社雪印乳業が負担し、乳業は前年比売り上げ3割減 乳業は社員数4500人から1500人に事業縮小。 その後、全国農業協同組合連合会(全農)、全国酪農業協同組合連合会(全酪連)の牛乳事業と統合し、「メグミルク」ブランドを展開したが、売り上げ不振のため4工場の閉鎖や従業員の約14%削減などの再建計画に追い込まれた。
A日本食品 (社員数184人) 1億3660万円を不正受給しようとして、会社は倒産し、その破綻処理費用は約218億円。
B日本ハム  1000万円の不正利益のために損失が200億円 2002年9月20日、日本ハムの大社啓二社長は夜の記者会見で、社内で牛肉偽装を起こした原因として、グループ内に「利益追求と売上重視」の体質があったとの認識を示した。TANAKA1942bの見方は逆で、利潤追求の体質がなかったのが原因。損得勘定に徹すれば、こんな馬鹿馬鹿しい不正行為はやらなかったはずだ。
 資本主義体制とは「消費者を裏切って、ヤバイことすると、結局は損する社会」になっている。企業が利潤追求を第一目標にすることによって社会がうまく回るような法制度になっている。そしてその法体制に消費者パワーがさらにそれをサポートする。こうした市場経済を「各人が自分の利益を追求することによって社会がうまく回る」と言い始めたのはアダム・スミス。そこで、そのような文章を引用しよう。
 われわれが自分たちの食事をとるのは、肉屋や酒屋やパン屋の博愛心によるのではなくて、かれら自身利害にたいするかれらの関心による。われわれが呼びかけるのは、かれらの博愛的な感情にたいしてではなく、かれらの自愛心(セルフラブ)にたいしてであり、われわれがかれらに語るのは、われわれ自身の必要についてではなく、かれらの利益についてである。同胞市民の博愛心に主としてたよろうとするのは、乞食においてほかにはいない。 乞食ですら、それにすっかり頼ることはしない。なるほど、好意ある人たちの慈善によって、この乞食が生きてゆくのに必要なもののすべてが結局ととのえられるとしても、かれの望み通りに必需品がととのえられるわけでもないし、またそうできるものでもない。かれがそのつど必要とするものの大部分は、他の人たちの場合と同じく、合意により、交易により、購買によって、充足されるのである。 かれは、ある人がくれる貨幣で食物を買う。かれは、別の人が恵んでくれる古着を、もっとよく自分にあう古着と交換したり、一夜の宿や食物と交換したり、または必要に応じて衣食住のどれかを買うことのできる貨幣と交換したりするのである。 (「国富論」第1篇 第2章「分業をひきおこす原理について」から)
 かれは、普通、社会公共の利益を増進しようなどと意図しているわけではないし、また、自分が社会の利益をどれだけ増進しているかも知っているわけではない。外国の産業よりも国内の産業を維持するのは、ただ自分自身の安全を思ってのことである。そして、生産物が最大の価値をもつように産業を運営するのは、自分自身の利得のためなのである。だが、こうすることによって、かれは、他の多くの場合と同じく、この場合にも、見えざる手に導かれて、自分では意図してもいなかった一目的を促進することになる。 かれがこの目的をまったく意図していなかったということは、その社会にとって、かれがこれを意図していた場合に比べ、かならずしも悪いことではない。社会の利益を増進しようと思い込んでいる場合よりも、自分自身の利益を追求するほうが、はるかに有効に社会の利益を増進することがしばしばある。社会のためにやるのだと称して商売をしている徒輩が、社会の福祉を真に増進したという話は、いまだかつて聞いたことがない。もっとも、こうしたもったいぶった態度は、商人のあいだでは通例あまり見られないから、かれらを説得して、それをやめさせるのは、べつに骨の折れることではない。 (「国富論」第4編 第2章「国内でも生産できる財貨を外国から輸入することにたいする制限について」から)
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<アマルティア・センの異説> アダム・スミスの「国富論」で良く知られた一節、市場経済を説明するのに格好の一文、この文章に関して、アマルティア・センは従来のアダム・スミス観とは違った解釈をしている。
 自己利益に基づく行動において2つの異なる問題を区別することが重要である。第1に、人々は実際に自己利益だけに基づいて行動するのか否か、という疑問がある。そして第2に、人々が自己利益だけに基づいて行動するのだとしても、彼らは特定の成功、たとえば何らかの種類の効率を達成するのであろうか、という疑問がある。これらの2つの命題は、共にアダム・スミスによるものとされていた。しかしながら、自己利益に基づく行動の遍在性と効率に対する「スミス流」の見方が常に引き合いに出されてきたこととは裏腹に、実際にはどちらも彼が信じていたという証拠はほとんどないのである。 この点は、スミスが経済学の起源の中心的人物であるということと、彼のこの問題の扱い方が啓発的かつ有効であるという2つの理由から、論じる価値をもつものである。
 自己利益とその達成について、いわゆる「スミス派」の立場をとる多くの経済学者の著作において、スミスが「慎慮」(自制を含む)に加えて「共感」を重視している点がなぜ見落とされる傾向にあるのか、この点に目を向けると見えてくることがある。スミスが――実際には誰もがそうであるように――、私たちの行動の多くは自己利益によって導かれ、それが実際によい結果を招くと見ていたことは確かに事実である。スミス派によって繰り返されてきたのが次の一節だ。
 「われわれが食事を期待するのは、肉屋や酒屋やパン屋の慈悲心からではなく、彼ら自身の利害関心からである。われわれが呼びかけるのは、彼らの人類愛にたいしてではなく、自愛心にたいしてであり、われわれが彼らに語るのは、われわれ自身の必要についてではなく、彼らの利益についてである」
 多くのスミス信奉者は、この肉屋と酒屋のくだりの向こうに踏み込んでいないようだが、この一節を読むだけでも、スミスがここで言わんとしているのは、市場での通常の取引はなぜ、どのように行われるのか(これが引用文のある章のテーマである)を説明することだということがわかる。しかし、双方に有利な取引がきわめて一般的であることを示しているからといって、スミスが「自己愛」(つまり広義に「慎慮」と解釈できる)だけで良き社会ができると考えていたことにはならない。 実際、スミスが言っていることは正反対で、経済的豊かさの実現をただ一つの動機に頼ることはしなかったのである。
 アマルティア・センは「スミス派」の一人としてジョージ・スティグラーをあげて批判する。
 合理性についてはひとまずおくとして、「実際」の行動の決定要因として自己利益最大化を過程することは、どれほど妥当なのだろうか。自分自身の利益を追求するいわゆる「経済人」は、少なくとも経済的な事柄において、人間の行動を最もよく表現しているのだろうか。ところが、これこそが経済学のおけるごく当たり前の仮定であり、多くの人々に支持されている。たとえば、「経済学か倫理学か」と題するタナー講義において、ジョージ・スティグラー(1981)は、「私たちは、妥当な量の知識をもつ人々が自己利益を求めて知的に行動する世界の中に生きている」と明確な擁護論を述べている。 (「経済学の再生 道徳哲学への回帰」から)
 以下、「自己利益」についてジョージ・スティグラーの発言を批判している。アマルティア・センが引用した「国富論」をもう少し長く、 同胞市民の博愛心に主としてたよろうとするのは……… 以下の文も引用すると読者の印象は違ってくるのだが、ここでは長くなるので省略する。批判されたスティグラーの文は「小さな政府の経済学」で読むことができる。
 アマルティア・センの考えは、ジョン・ロールズの「正義論」に共鳴し、アメリカ的自由な市場経済に嫌悪感を持ち、社会主義にかすかな望みをもっている人たちに好まれる考えだろう。その主張は反論するのが難しく、カール・ポパーの表現を借りれば「経験的科学体系にとっては、反駁されうるということが可能でなければならないのである」ということになる。
 今週もまた、TANAKA1942bはアマチュアの特権を生かして、反証不可能な非科学的な物語をつくって遊んでいます。
(^o^)                  (^o^)                  (^o^)
<主な参考文献・引用文献>
安全性の考え方                               武谷三男編 岩波新書     1967. 5.20
安全学                                   村上陽一郎 青土社      1998.12. 4 
国富論                         アダム・スミス 大河内一男監訳 中央公論社    1978. 4.10
経済学の再生 道徳哲学への回帰   アマルティア・セン 徳永澄憲・松本保美・青山治城訳 麗澤大学出版会  2002. 5. 9  
正義論                         ジョン・ロールズ 矢島鈞次監訳 紀伊國屋書店   1979. 8
ロールズ「正義論」とその批判者たち Ch・クカサス Ph・ペティット 山田八千代・嶋津格訳 勁草書房     1996.10.14
小さな政府の経済学           ジョージ・スティグラー 余語将尊・宇佐見泰生訳 東洋経済新報社  1981. 9.24
科学的発見の論理                 カール・R・ポパー 大内義一・森博訳 恒星社厚生閣   1971. 7.25 
( 2004年2月2日 TANAKA1942b )
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(25)栽培しないことの利益と不利益
「結論を延ばす」という結論の機会費用
 遺伝子組み換え作物についてはその安全性が問題になっている。遺伝子組み換え作物を栽培した場合の環境への影響、これを食べることによる健康への影響、こうしたことが問題になっている。 つまり、「安全だと言って、もし被害が出たらどうするのだ?」と非難している。では「本当は安全だった。しかし大騒ぎして販売が中止された。その場合の機会費用はどうなのだ?」ということは問題になっていない。 ここでは許可されなかった、市販されなかった、普及しなかった場合の機会費用について考えてみよう。まずは、先週の「安全性の考え方」で扱われている話から始めることにする。
<小児マヒと母親 一主婦の願い> それは1959(昭和34)年の7月のことであった。青森県八戸市のある主婦が、岩淵謙一といういまでは故人となった開業医を訪れて、「ソ連じゃあ、小児マヒは、ボンボンを飲めばなおるというじゃありませんか。先生、何とかして手に入れてくれませんか」と問いかけた。
 ずい分勉強家の岩淵先生だったが、そんな話は聞いたこともなかった。
 「どこでそんな話を聞いたんだね」
 「ゆうべ、ソ連の日本語放送でそう言ってましたよ。ラジオで言うんだから、まさかウソじゃないでしょう」
 「それじゃあ、私の所属している新日本医師協会(略称・新医協)に聞いてみようか」
 このたった一人の子を思う母親の訴えが、全国の母親の共感を呼び、政府を動かし、ついにはわが国からポリオをほとんど追放するまでの成果をあげた。ポリオ追放大衆運動の発端だったのである。
 1955(昭和30)年から流行の兆しをみせていた小児マヒ(急性灰白髄炎)は、その年、東北の漁村、八戸市で集団的に発生した。世界的な大流行があったのは1952(昭和27)年だった。この年から諸外国では、ポリオ・ワクチンの開発に乗り出していたが、わが国だけは、当時米占領軍の方針もあり、また当時あまりもうかるものではなかったので製薬メーカーも乗り気ではなかったため、ポリオ・ワクチンはすべて、アメリカからの輸入に頼っていた。 ところが、この年はアメリカでも小児マヒが集団発生した。アメリカは自国の分も足りなくなって、輸出を禁止したため、わが国の小児マヒワクチンは極端な品不足になった。 どうしてもほしい母親たちは、ヤミ・ワクチンを捜したが、一人分が千六百円のものが一万円もするほどだった。全国の母親からの要求に応えられなくなった厚生省は、一人分のワクチンを、30人分の皮下注射するよう指示した。 これでは効くはずがない。注射したのに発病する子どもがでたりしたので、この”ごまかし”は母親たちにすぐわかってしまった。母親たちは、ヤミ・ワクチン捜しに狂奔する始末だった。お医者さんたちも「何とかしなければ……」と思いながらも、どうにもならなかった。 ”ボンボン生ワクチン”という耳よりな話は、ちょうどこんなときに岩淵医師にもたらされたのである。
(「安全性を考える」から)
 この本では1960(昭和35)年の母親大会で小児マヒワクチンが話題になり、さらに総評をも巻き込んだ「生ワクチンを使用して、ポリオの流行を阻止せよ」の運動に発展していった経路が書かれている。  生ワクチンは1961年6月22日、ソ連とカナダから輸入され、7月20日から1300万人分が投与され、8月末になって大流行は止まった。生ワクチンは1962年に1700万人、1963年の850万人に接種された。下記数字は、厚生省調べの衛生年報によるポリオ発生届けとその他の資料により作成。
1949年 3127人 死者1074人
1950年 3212人 死者 775人
1951年 4233人 死者 570人 

1955年 1314人
1956年 1497人
1957年 1718人
1958年 2610人
1959年 2917人
1960年 5606人
1961年 2436人 死者 169人
1962年  289人
1963年  131人
1964年   84人
1965年   76人
1966年   33人 
1967年   26人
1968年   20人
1969年   16人
1970年    8人
1971年    6人
 (いろいろ探して、それでも数字が埋められない部分がでました。資料が見つかったら空欄を埋めます。)
 生ワクチンの効果はてきめんだった。もう2,3年前に輸入され接種されていたら多くの患者が救われた。1957年にアメリカのアルバート・セービン(Albert B. Sabin)が作ったもので、すぐに普及していれば多くの患者が救われた。生ワクチンを普及させなかったことによる機会費用。 これは上記の数字を埋めればはっきりする。
「安全性の考え方」では母親の活動を中心に書いてあるが、もう一つテレビの果たした役割も大きかった。1961年4月15日から始まった「ポリオ発生数即日集計」や6月28日から始まった小児マヒ情報」が全国民の関心を集めた。
日本で野生株ポリオウイルスはなくなっている。そして接種されたワクチンでポリオ症状を示す患者が、200万人〜300万人に1人位出る(50万人に一人との記載もある)。生ワクチン接種の利益と不利益の社会的バランスはどうなるのだろうか? しかしここでは市場のメカニズムは働かない。製薬会社・医師・国民の他に行政組織が絡んでくる。
 現時点においてWHO本部の描くポリオ根絶のシナリオは次の通り。 2002年:野生株由来ポリオ患者発生をゼロにする。 2005年:世界レベルの根絶宣言。 2010年:(ポリオワクチン接種の全世界的な中止) つまりWHOの考えでは「日本ではポリオの心配はなくなった、なぜ無駄な、そして可能性は小さいけれど危険なワクチンを接種するのか?」となる。
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<ヒトインスリン> 1921(大正10)年にインスリンが発見され、欧米では患者の自己注射が認めらた。しかし日本では1981(昭和56)年まで認められなかった。そのため、糖尿病患者は保険の利かないインスリンを自費で購入し、自ら注射するという違法行為をおこなっていた。 この間の機会費用は大きい。ヒトインスリンは1980年、遺伝子工学で作られた最初の医薬品として華々しく登場し、1982年にジェネンテック社から発売された。現在世界のインスリン及びヒト成長ホルモンの供給は専門メーカー2社(ノボ・ノルディスク=Novo Nordisk オランダ。イーライ・リリー=Eli Lilly アメリカ・インディアナポリス州)の寡占状態になっている。 遺伝子組み換え批判派が心配する、大企業の寡占状態になっているが、これに対する懸念・批判はない。組み換え食品に対する批判派の主張、「種子が、そして農業が種子会社に支配される」はあまりにも「大企業性悪論」的だ。
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<丸山ワクチン> 丸山ワクチン(SSM=Specific Substance MARUYAMA )は1944(昭和19)年、丸山千里博士(元日本医科大学教授・1901〜1992)により皮膚結核の治療薬として誕生。1964(昭和39)年、ワクチン療法によるガン治療が始まった。1964〜2002年3月末までに投与を受けた患者は35万6千人。 1976(昭和51)年、丸山ワクチンはゼリア新薬工業によって厚生省に製造承認の申請が出されたが許可されていない。このため有償治験薬として投与されてきた。 有償治験薬とは、開発された新薬を厚生省が認可するのに十分な要件(有効性があるか、副作用はないか)を備えているかどうかを、一定の条件に適合した実際の患者さんに使ってテストすることで、本来無料。 しかし丸山 ワクチンは、限定された人だけではなく、希望したガン患者は誰でも使うことができる。厚生省は特例として1981(昭和56)年、実費を患者に負担して協力してもらう治験薬=有償治験薬ということを認めた。 1991(平成3)年には、抗癌剤としてではなく、放射線治療による白血球の減少を抑制する薬剤として認可された。
 この丸山ワクチンは薬としての効果が認められない、ということで認可されなかった。しかし副作用は認められない。しかも多くの患者がその効果あり、と感じている。抗ガン剤としての効果があったとしたら、認可しなかったことによる機会費用。この評価額はいくらになるのだろうか。損得勘定で判断すれば、患者も医師も、そして社会的費用という面からも抗ガン剤として認可した方が得だった。では誰が、許可しなかったことにより得をしたのだろうか? この先の詮索はその道の専門家に任すことにしよう。
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<M・フリードマンに聞く>刑事事件では「疑わしきは罰せず」であり、安全性に関しては、「はっきり安全と認められない限り許可しない」が正論として通りそうだ。はたしてそれでいいのだろうか?許可しなかった事による不利益についても考えて見る必要があるだろう。つまり許可しないことによる機会費用だ。こうした面からの捉え方としてミルトン・フリードマンの考えを聞いてみよう。1906年に設立された食品医薬法に対する1962年修正条項から話は始まる。
 この規制が新薬開発率にもたらした悪影響は劇的だ。毎年導入される「新しい科学薬品」の数は1962年以来、50%以上も減少した。これと同様に重要なことは、これが、新しい薬の許可を得るのに以前よりはるかに長期間を必要とさせるようになり、新薬開発に必要な費用が何倍にも増大させるひとつの要因をなしてきたことだ。1950年代と1960年代の初期について行われた推計によれば、ひとつの新しい薬を開発し、これを販売できるようになるまでは、 50万ドルの費用と25カ月間の期間を必要としていた。その後の発生したインフレを考慮すると、百万ドル余だ。ところが1978年には「新しい薬を市場に導入するには、5,400万ドルの費用と約8年間の努力を必要とするようになった」。すなわち費用の点では百倍も増加し、時間でいえば4倍も増加したわけだ。これと比べて一般の物価は倍増したにすぎなかった。この結果アメリカの製薬会社は、珍しい病気にかかっている患者のために新しい薬品を開発する経済的な余裕をなくしてしまい、大量販売できる薬にますます依存しなければならなくなっている。 アメリカは新薬の開発で長い間世界の指導的地位を占めていたが、いまやその地位は急速に低下している。またアメリカ人は海外で開発された新しい薬の恩恵を十分に得ることができなくなってしまった。なぜかといえば、食品医薬品局は海外で行われたテストの成果を有効性を示す証拠としては受けつけないからだ。製薬業界におけるこのような展開が、最終的には鉄道の旅客輸送に起こったのと同じこと、つまり新しい薬の開発の国有化につながる可能性がきわめて高い。 (中略)
 危険な薬を市場から排除できるとか、あるいは一連のサリドマイド悲劇の発生を防止できるという理由で、難病や奇病の患者がこうむる犠牲を正当かすることはできないのではないだろうか。この問題に対するもっとも注意深い実証的な研究がサム・ペルツマンによって行われた。この研究の結論に従えば、その答えは明白であり、弊害の方がよい影響よりもはるかに大きなものになっているよいう。ペルツマンはこの結論を、部分的には次のように説明している。 「1962年以前の時点では効き目のない薬を売った者に市場が課した罰金額は非常に大きなもので、そのため製薬会社が充分に用心するようになり、規制官庁による改善の必要性はほとんどなくなっているのだ」と。 結局のところサリドマイドの製造業者は、何千万ドルもの賠償をしなくてはならなくなった。これだけでも製薬会社に同様な事件を発生させないようにする十分な誘因だ。もちろん、それでも過ちは今後も発生するだろう。サリドマイド悲劇はそのようなものの一つだった。しかし、そのような過ちは政府の規制のもとでも発生するのだ。
 こうした一般的な議論が暗示する内容は、事実によって確認できる。食品医薬局がどんなによい意図を持っていたとしても、その活動が新しい、そして有効な薬の開発販売を必然的に抑圧ないし妨害することになっているという事実はけっして偶然の結果ではない。
 われわれが新しい薬に認可を与える責任をもった食品医薬局の役人の立場にあると考えてみよう。われわれは次のようなまったく相反する二つのあやまちを犯すはずだ。

 1、死をもたらしたり、数多くの人に深刻な被害を与えてしまう形で、まったく予期しなかった副作用を引き起こすような薬に対して認可を与えること。
 2、多くの人の命を救い、大きな苦しみから人を解放してくれるうえに、異常な副作用をもっていない薬の認可を拒否すること。

 もしわれわれが第一の誤りを犯してしまい、たとえばサリドマイドを認可してしまえば、われわれの名前はたちまちすべての新聞の第一面に大きく出ることになり、その結果、たいへん面目を失うことになる。これに対して第二の誤りを犯したとき、誰がそのことに気がつくだろう。新しい薬の販売を促進しようと努力していた製薬会社が不平を言うかもしれないが、その際にはかえって、石のような心臓しかもたない貧欲な企業の典型として退けられてしまうだろう。そうなれば、あとは新しい薬の開発やテストに参加した数少ない薬剤師や医者が知っているだけだ。 その薬がもし開発されていたなら助かったかもしれない人はもはや死んでしまっていて、抗議をすることもできないのだ。だからといって、それらの患者の家族は、自分たちが愛した人の命が、会ったこともない食品医薬局の役人の「用心」によって失われとことに気づくはずもない。
 サリドマイドを販売した欧州の製薬会社に浴びせられた攻撃と、アメリカでのサリドマイドの使用に認可を与えなかった女性(ジョン・F・ケネディ大統領から公務殊勲賞の金メダルを授与されたフランシス・O・ヘルゼ博士)が受けた名声と喝采との間のはなはだしい相違を考えれば、前記二つのあやまちのうち、われわれがどちらの方を一所懸命避けようとするか明白ではないか。どんなにすばらしい意思をもっていたにしても、われわれがそのような立場にいたら、まかり間違えば新聞ダネなるかもしれない薬に認可を与えるようなことは極力回避し、その結果、非常に多くの良薬の認可を拒否したり、延期したりすることになるだろう。
(「選択の自由」の「食品医薬局」から)
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<もっと利益・不利益の損得勘定をしよう> ミルトン・フリードマンが上の文章で言っているのは、@新薬認可基準が厳しくなって、製薬会社の開発費用が高くなり、新薬開発率が落ちた。A効き目のない薬を売った場合、市場が課す罰金額は非常に大きなもので、製薬会社充分に用心するようになり、官庁による規制の必要性はほとんどなくなっている。 B認可権を持っている役人は、まかり間違えば新聞ダネなるかもしれない薬に認可を与えるようなことは極力回避し、その結果、非常に多くの良薬の認可を拒否したり、延期したりすることになる。
 この考えを日本のコメ自由化問題、農業問題に置き換えて考えて見よう。@一代雑種や遺伝子組み換え作物の特許を国や有識者がその特許使用料を決めるとしたら、新品種の開発率は低下するだろう。A組み換え作物で被害が出たら市場・消費者が課す罰金は非常に大きく、種子会社は用心するので規制の必要はなくなっている。 B農水省のお役人さんは「コメは自由化すべき」と考えていても、圧力団体・族議員から非難され新聞ダネになるかもしれない自由化政策は採用しない。前例に従い、任期中は波乱無く過ごそうとする。
 このようにアメリカも日本も認可・許可の問題では似たような状況にある。そうした状況で組み換え作物の安全性・認可問題を考えるとすると、許可した場合、しなかった場合、それに依る利益・不利益、そして誰にとっての利益・不利益か?そうした事を社会的にバランスさせてみることが必要だろう。これに対して反対の態度は、「ダメなことはダメ」と言う原理主義だ。 企業や政府の、住民を無視した開発に対しての反対運動を支援する考えだった「安全性の考え方」、企業・政府の一方的な安全宣言を批判するものだった「安全性の考え方」、現在ではむしろ、市民運動派にこそ必要な考えではないだろうか?組み換え作物は100%安全とは言えない。しかし大きな利益が期待できる。ここでの損得勘定を科学する必要があるのだと、TANAKA1942bは考えます。
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<主な参考文献・引用文献>
安全性の考え方                   武谷三男編        岩波新書     1967. 5.20
選択の自由 自立社会への挑戦 M&R・フリードマン 西山千明訳        日本経済新聞社  1980. 5.26
( 2004年2月9日 TANAKA1942b )
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(26)品種改良で農業の将来はどうなるか?
日本農業は崩壊しない
 品種改良が進化し、今まで以上に「農業が先進国型産業」であることが明確になってきた。こうした流れを的確に捉え、そこでの存在感を示そうとする動きと、「その傾向は良くない」と主張する人がいる。「農業が先進国型産業であることは良くない」と主張するなら、どうあるべきなのか?開発途上国型産業であるべきなのか? 「農業は儲け主義に走ってはいけないのであって、その代わり国が最低保障をする」となると、それは「百姓は生かさず、殺さず」の政策になる。「農業の多面的機能」との表現で、農家の中から「先に豊になれる者から豊になる」ことのないように、足を引っ張る制度を作っていく。 しかしそこまで突っ込んだ議論はしないで、品種改良によって農業が進化するのを批判する。それは現代のラダイト運動になり、「グローバリゼーション反対」「WTO反対」「LLDCの債務放棄を」などの主張と共鳴し「大企業性悪説」を発展させる。そうした立場はしばしば感情的になる。初めからその立場をとっている人には共感を呼ぶが、迷っている人を引きつける魅力には乏しい。 そうした数ある主張に中にあって、比較的冷静に論理を展開している文章があったので、ここで引用することにしよう。
「日本農業崩壊の日」 知的所有権の国際統一化と権利強化が図られ、バイオ作物による利益が、基礎技術の研究・開発者に集中するようになる。したがってバイオテクノロジーでの技術力をもつ多国籍企業や大企業に利益が集中し始める。そのほとんどが、それまで農薬をつくっていた化学企業である。 この企業の権利の範囲は、UPOV(植物の新品種保護に関する国際条約)の改訂にともない、収穫物・販売物にまで及び、しかも自家採種が禁止されたことから、幅広くなる。
 これらの企業は従来通り、実際に農作物をつくるところには手を出さず、新品種開発、種苗販売、流通を支配していくことになる。最もリスクの大きな実際に作るところは、相変わらず農家によって担われていくことになる。しかも知的所有権の強化によって農家の権利は著しく縮小されていくことになる。
 この企業の権利強化、農家の権利縮小は、国際的には分業化の進行となって進むものと思われる。研究・開発の段階は、ゲノム解読などの基礎研究で成果を上げ、主要な知的所有権を押さえていくアメリカが主役となる。それにヨーロッパが続き、日本が遅れてついていく。応用によって新品種を開発していくのは、日米欧の先進国である。
 実際に作物をつくる主体は、第三世界の低賃金国へ移行して行くことになる。またアメリカ、カナダのように大規模化・高効率化を達成できた国との二極分解が起こることになる。このように第三世界を食糧生産の手足として位置づける考え方が進み、かなりの先進国で中小農家は全滅に近い状態になり、企業栄えて、農家滅びるという状況が現出する。
 しかし、このことがやがて第三世界の人たちの生活破壊につながることになる。第三世界の大土地所有制と農作物の換金作物化は改善されるどころか、企業支配の強化にともなって、さらに拍車がかかることになる。しかも利益の大半を多国籍企業がおさえ、慢性的な低賃金状態が固定化するため、農業を離れて都市に出ていく人が後を絶たないことになる。スラムもまた、劇的に拡大していくことになる。
 できた作物は輸出され、自国の人の口には入らず、債務が深刻な国では飢餓がさらに深刻化していくことが予想される。
 日本で最も研究・開発が熱心に取り組まれているのが、イネである。遺伝子組み換えイネの開発が、三井化学、三菱化学、キリンビール、日本たばこ産業などの大企業によって行われ、それを農水省がバックアップしている。また農水省が主導してイネゲノムの解析も進んでいる。
 これと並行して、イネなどの開発・試験販売に民間企業の参入を認める主要農産物種子法も改正された。農業の民間企業主導の体制が整いつつある。これからの農業のあり方は、作物をつくるのではなく、研究・新品種開発がカナメであり、技術立国日本の農業版が目標である。
 イネの企業開発時代が到来することになる。企業には日本の農業を育てるなどという発想はない。作り手も、日本の農家だけを対象に考えているわけでもない。将来的には人件費の安い第三世界に作り手を移行させたいと考えている。ジャポニカ米もインディカ米も関わりなく第三世界で作られ、世界市場に売り込もうというのである。知的所有権で権利を押さえ、種苗販売でイネの世界市場制覇を目指している。
 もし日本でイネを作りたいと思ったら、農家は大企業が開発したバイオイネの苗を買わざるを得なくなってしまう。収穫・販売した際にも、その売り上げの一部は自動的に権利料として取られ、残った収益は微々たるものになり、ただでさえ困難な農業継続が、決定的なダメージを受けることになる。日本から米づくり農家は消え、生産は第三世界に移行する。
 第三世界では日本企業が売り込むバイオイネが作られ、日本などに輸出されることになる。このように国際分業の流れはコメにまで及ぶことになる。
 第二の緑の革命の延長線上にあるのは、日本農業の崩壊に日であった。 (「増補改訂 遺伝子組み換え食品」から)
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<品種改良によって農業は進化する>  上記の文章、将来に対する見通しはTANAKA1942bもあまり違わない。しかしその評価は全く違う。天笠氏が「そうなっては良くない」と主張する未来、TANAKA1942bは「そうなったらいいのになー」と思う。そこで上記の文脈に沿って、TANAKA1942bの農業の将来像を描いてみようと思う。まず天笠氏の論点をまとめると次の様になる。
@ バイオ技術が先進国の大企業に集中する。
A 研究開発と農地での栽培は分業化され、実際の栽培は第三世界・開発途上国へ移行する。
B 途上国では「企業栄えて、農家滅びる」という状況が現出する。
C 日本でもイネの品種改良に他産業から大企業が参入する。
D 改良された品種のイネは低賃金の途上国で栽培され、日本の農業は崩壊する。
@ アメリカ、カーネル大学のジョン・サンフォード博士は遺伝子銃のアイデアを特許申請し、1990年に発効されるとこの特許権をデュポン社に売った。アメリカのベンチャー企業、アグラシータス社(Agracetus)は遺伝子銃を開発し、デュポン社と提携し遺伝子銃に関する特許を取った(後にモンサント社がこのアグラシータス社を吸収合併する)。アグラシータス社は遺伝子銃の特許とこの使用に関する特許を1992年に取る。そしてこれを使用してわずか3年で除草剤に強いコメを開発し、特許を申請した。
 アメリカでのバイオ技術はこの例のように、個人やベンチャー企業から始まった。道を切り開いたベンチャー企業はその後大企業と合併する。日本の感覚では「大企業に吸収合併された」と感じるが、アメリカの感覚では「大企業に高く売りつけた」となる。企業売買の主導権はむしろ売り手の中小企業にある。新しい技術を商品化し、流通させ、顧客(この場合は栽培農家)のニーズに応えるよう改良していくには、資金力・組織力のある企業の方が適している考える。日本ではこうした場合、銀行や、商社がバックアップする。 バイオ技術も今では大きな市場が見込まれるが、ベンチャー企業が手がけた当時は未知の分野であった。ベンチャー企業はハイリスク・ハイリターンに賭けた。アメリカの特許制度に守られて、開発者・開発企業に成功したところは報われた。もし特許料使用料が政府や、有識者などの第三者によって決められるとしたら、リターンが余り期待できないハイリスクな研究開発に投資はしなかったろう。当然組み換え作物は普及せず、批判派には喜ばしい状況になっていただろう。ただしこれは組み換え作物だけでなく、ヒトインスリンやヒト成長ホルモンの開発も進まなかったに違いない。 バイオ技術が大企業に集中し始めた、ということはこれが商売になり始めた、産業として成長しはじめた、将来が期待出来る、ということだ。ということで何も心配する事ではない。
A 除草剤耐性の大豆を開発し、その除草剤を競争他社が作るとしたら、開発した会社の利益はあまり期待できない。当然自社の除草剤をセットで売ってこそ利益が大きくなる。流通に関しては、自社の除草剤の流通ルートがあればそれを活用するし、なければ流通専門他社に任せるかもしれない。広告・宣伝は広告代理店が受け持つだろうし、市場調査も専門業者が行うかも知れない。自社ですべて賄うか、専門業者に任せるかはケースバイケース。 実際の栽培は農家が行う。自動車産業を見るとGMは部品を自社で調達し、トヨタは関連会社を使う。どちらがいいとも言えない。部品下請けメーカーはトヨタより給料は安いだろうが、技術があればトヨタ以外とも取り引きして高い給料を払うこともできる。大企業の歯車の一つとして安定した生活をおくるか、小さいながらも一国一城の主になるか、人によってどちらが良いとも言えない。 天笠氏は「第三世界の低賃金国の農民」と言うが、当分先進国の農家が対象になる。バイオ技術の農作物は高付加価値を狙う。栽培管理も難しく、高いヒューマンキャピタルが要求される。焼き畑農業をやっていた農家にいきなり工程管理の難しい組み換え作物は適さない。それは緑の革命が期待通りの成果を上げてないことからも予想できる。焼き畑農業からコシヒカリ栽培はムリだ。それでもベトナムやタイでは日本人の指導であきたこまちやコシヒカリを栽培し始めているので将来はこれらの国も、農業先進国になるだろう。将来を予想するとこうなる。天笠氏の予想に対して、TANAKA1942bは「そうなったらいいのになー」と思う。つまりバイオ技術の作物が開発途上国・最貧国で栽培されるようになったらいいな、と思う。
B LDCで組み換え作物を栽培するようになれば、売り先は先進国になる。金のある売り先なので債務不履行などの心配はない。LLDCの外貨獲得に役立ち、ジュビリー2000が主張する「LLDCへの債権放棄」などは問題でなくなる。種子会社も儲かるが、LDCの利益がすべて種子会社に吸い取られるなら、そのような契約をしなければいい。植民地ではないので、無茶な契約を強制されることはない。LDCに利益があると判断したものだけに契約すればいい。 LDCで政府、輸出業者、農家、それぞれどのような利益配分になるかは、その国に政治情勢にかかっている。独裁国では独裁者とそれを支える勢力、軍隊、秘密警察などへ多く配分されるだろう。政治情勢が不安定で反政府勢力が強いところでは、双方の軍事費に多く配分されるかもしれない。しかし、それを先進国政府や市民運動家がとやかく言っていいのか?市民運動の中にはフセイン政権を守ろうとする動きさえあった。内政干渉はどこまで出来るのか?それでも外貨を獲得し、少しでも国が豊かな方向へむかえば、民主化への動きは出てくるだろう。民主的になったからといって経済成長するとは限らないが、経済成長すれば民主化の動きは出てくる。 世界の食糧は全体としては必ずしも不足しているわけではなく、配分が不適切なだけだ。したがって食糧輸出だけで豊かな国になれるのではない。それでもLDCで安定した農業生産に専念できる人が増えてくれば、治安も安定してくるだろう。そうなれば先進国の工業生産の下請け工場として民間の投資も期待できる。低賃金で劣悪な労働条件になるだろうが、それでも職がないよりもいい。バイオ作物栽培の下請けとしてでも産業が興るならば、それをヨシとすべきであろう。
C ビジネスとしての品種改良は、国家公務員である研究者が取り組むのと、競争社会に生きている企業の研究者が取り組むのと、どちらが効率的が?まさか「お役人さんの方が効率的だ」と言う人はいないだろう。それとも「大企業ではなくて、中小企業がいい」とか「実際に栽培する農家が、品種改良に取り組むべきだ」と主張する人もいないだろう。長い時間と、経費が多くかかるので、利益の出ている大企業でなければ取り組めない。日本で品種改良に他産業からの参入があれば、出遅れていたハイブリッド・ライス、先頭へ出る可能性もある。日本の農家が中国で開発されたハイブリッド・ライスを特許料を払って栽培するなんて、どうもいただけない。 逆に日本で開発された品種をアジア諸国で栽培し、農家はその指導のためにアジア諸国で出向く、という図式の方が案配がいいようだ。
D トランジスタはアメリカで発明された。それを実用化したのは日本の企業だった。そしてその最先端技術でアメリカ市場を席巻したので、日本製品バッシングが起きた。これで日本はアメリカを抜き、アメリカの電機・電子産業は崩壊すると考えた人もいただろうに、思い過ごしだった。それが少し前のこと。今は中国脅威説が出回っている。マスコミは株式会社=私企業なので利益をあげなければならない。視聴者・購読者を引きつけるためにセンセーショナルな見出しを付ける。賢い消費者は先刻ご承知で、マスコミ報道を割り引いて読みとっている。日本農業の展望が描けないのなら「日本農業崩壊の日」の見出しも使いたくなるだろう。 自虐的歴史観を持つ人や、政府の無策を非難したい人、大企業性悪説及び嫌米感情を持つ人には受けるメッセージなのだろうが、どっこい日本の農業は崩壊しない。「農業は先進国型産業である」がポイントだ。「農業は労働集約産業で低賃金国とは生産コストで勝負にならず負けてしまう」と考える人には理解し難いかもしれない。一代雑種=F1ハイブリッドや遺伝子組み換えについて十分理解していない人にも「農業は先進国型産業である」は理解し難いかもしれない。そして農業問題を理解したうえで、それでも社会を見る視点が違うと日本農業の将来像も違ってくる。
 遺伝子組み換え作物によって農業は進化します。その進化する環境に適応できないと淘汰されます。日本農業はヒューマンキャピタル十分です。進化する環境に適応し、日本農業も進化していくと考えます。
(^o^)                  (^o^)                  (^o^)
<主な参考文献・引用文献>
増補改訂 遺伝子組み換え食品          天笠啓祐             緑風出版     2000. 1.31
( 2004年2月16日 TANAKA1942b )
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(27)品種改良を経済学の目で見る
先人たちの助言を聞いてみよう
<アダム・スミス「国富論」―分業について―> 品種改良の進んだ先進国の農業、ここでは「分業」が進んでいる。かつて種子は栽培農家が手当した。今は専門の種子会社が新種を開発し、それを農家が買う。生産された農作物は農協が一手に引き受けていた。そこへ集荷業者・取引市場・大手スーパーなどとの直取引・インターネット取引などが参入する。こうした国内での分業に加えて、国際的にも農産物の分業が進む。初めのうちキャッサバ、タロイモ、サツマイモなどの芋類中心だった途上国の農業が日本など先進国の農業技術指導により、付加価値の高い高級野菜を作るようになる。先進国ではこうした途上国の追い上げに対して、品種改良によるさらに付加価値の高い農作物へ変わっていく。そうした栽培現場とは別に大手企業による品種改良が進む。国内での分業と国際的分業が進む。 こうした傾向に対して「農業が多国籍大企業に支配される」との非難の声もあがるが、流れは変えられない。消費者はこうした非難する声に反論はしない。こうした人たちとの議論は好まないからであって、共鳴しているからではない。従って、農業分野での国内分業・国際分業は確実に進んでいく。こうした分業をどのように評価したらいいのか?経済学で考えると「アダム・スミスに聞いてみよう」となる。国富論に書かれたピンの分業は良く知られている。ここでは「経済の原点に戻って考えてみよう」との趣旨で、国富論から一部ここに引用する。
 労働の生産力における最大の改善と、どの方向にであれ労働にふりむけたり用いたりする場合の熟練、技術、判断力の大部分は、分業の結果であったように思われる。
 社会全般の仕事にたいする分業の効果を比較的容易に理解するには、どれか特定の製造業(マニュファクチャー)をとって、そこで分業がどんなふうに行われているかを考察してみるのがよいだろう。世間では、分業がいちばん進んでいるのは、いくつかの、まったくとるにたりない小さい製造業だということになっている。これはおそらく、こういった製造業のほうが、もっと重要度の高い他の製造業にくらべて、実際に分業の度合いがより進んでいるからではなく、これらのとるにたりない小さい製造業は、 ごく少数の人々のわずかな欲求を満たすためのものであって、従業員の総数も当然少なく、さまざまな部門の仕事に従事している人々を同一の作業場に集めているので、見る者の一望のもとにおくことが可能だからであろう。これに反して、大規模の製造業は、大多数の人々の巨大な欲望を満たすためにある。そこでは、さまざまな部門の仕事にどれも多数の従業員が働いているので、これらの人々を同一の作業場に集めることは不可能である。単一の部門で働いている従業員は見えても、その部門以外の人々をも同時に見ることは滅多にないというわけである。 それゆえ、この種の製造業では、それよりも小規模な製造業にくらべて、たとえ作業は実際上はるかに多数の部分に分割されていても、その分割は、それほど目立つことがないので、したがってまた、観察されることもずっと少なかったのである。
 そこで、ここに一例として、とるにたりない小さい製造業ではあるけれど、その分業がしばしば世人の注目を集めたピン作りの仕事をとってみよう。この仕事(分業によってそれはひとつに独立の職業となった)のための教育を受けておらず、またそこで使用される機械類(その発明を引き起こしたのも、同じくこの分業であろう)の使用法にも通じていない職人は、せいいっぱい働いても、おそらく1日に1本のピンを作ることもできなかろうし、20本を作ることなど、まずあり得ないであろう。ところが、現在、この仕事が行なわれている仕方をみると、作業全体が1つの特殊な職業であるばかりでなく、多くの部門に分割されていて、その大部分も同じように特殊な職業なのである。 ある者は針金を引き延ばし、次の者はそれをまっすぐにし、3人目がこれを切り、4人目がそれをとがらせ、5人目は頭部をつけるためにその先端をみがく。頭部を作るのにも、2つか3つの別々の作業が必要で、それをとりつけるのも特別の仕事であるし、ピンを白く光らせるのも、また別の仕事である。ピンを紙を包むのさえ、それだけで1つの職業なのである。このようにして、ピン作りという重要な仕事は、約18の別々の作業に分割されていて、ある仕事場では、そうした作業では、そうした作業がすべて別々の人手によって行われる。もっとも、他の仕事ではそれらの2つか3つを、同一人が行うこともある。私はこの仕事場を見たことがあるが、そこではわずか10人が仕事に従事しているだけで、そたがって、そのうちの幾人かは、2つか3つの別の作業をかねていた。かれらはたいへん貧しくて、必要な機械類も不十分にしか用意されていなかった。 それでも精出して働けば、1日に約12ポンドのピンを全員で作ることができた。1ポンドのピンといえば、中型のもので約4千本以上になる。してみると、これらの10人は、1日に4万8千本以上のピンを自分たちで製造できたわけである。つまり各人は、4万8千本のピンの10分の1を作るとし、1人あたり1日4800本のピンを作るとみてさしつかえない。だが、もしかれら全員がそれぞれ別々に働き、まただれも、この特別の仕事のための訓練を受けていなかったならば、かれらは1人あたり1日に20本のピンどころか、1本のピンさえも作ることはできなかったであろう。言い替えるとかれらは、様々な作業の適切な分割と結合によって現在達成できる量の240分の1はおろか、その4800分の1さえも、まず作りえなかったであろう。
 そべての工芸や製造業において、分業の効果は、こうした零細な製造業の場合と同様である。もっともそれらの多くは、労働をこれほど多く細分することも、作業をこれほど極端に単純化することもできない。しかしながら分業は、それが採り入れられるだけで、どんな技術の場合でも、労働の生産力をそれに応じて増進させる。この利益の結果として、さまざまな職業や仕事がたがいに分化したように思われる。この分化はまた、最高度の産業と進歩を享受している国々で最も進んでいるのが普通である。すなわち、社会の未開段階で行われる一人の人間の作業は、改善された段階では数人の作業になるのが普通である。すべての文明社会では、農業者は一般に農業以外の何者でもなく、製造業者は製造業者以外の何者でもない。なにか一つの完成品を生産するのに必要な労働もまた、多数の人手に分割されているのが普通である。 亜麻や羊毛の生産者から、亜麻布の漂白工や伸(の)し工、あるいは服地の染色工や仕上げ工にいたるまで、亜麻布と毛織物の製造業の各部門に、なんと多くのさまざまな職業が営まれていることだろう!たしかに農業の場合は、その性質上、製造業ほどに労働をこまかく分割する余地はないし、たがいに仕事を完全に分離してしまう余地もない。大工の仕事は、鍛冶屋の仕事からふつう分離しているが、牧畜に従事する人たちの仕事を、穀物を作る人たちの仕事からそれほど完全に分離するのは不可能なことである。紡績工はたいていの場合、織布工とは別の人であるが、鋤で耕す者、馬鍬で耕す者、種をまく者、刈り入れをする者は同一人である場合が多い。 そうして様々な種類の労働を行う機会は、1年の様々な季節とともにめぐってくるものであるから、一人の人間が、このどれか一つの労働に年中従事するということは不可能である。このように、農業に用いられる労働の様々な部門をすべて完全に分離することは不可能であるが、これは恐らく、農業技術における労働生産力の改善がかならずしも製造業のそれと歩調を合わせられないということの理由を説明するものであろう。なるほど、最も富裕な国民は、一般に製造業はもちろんのこと、農業でも、すべての近隣の国民に勝っているが、しかしかれらは、農業よりも製造業においていっそう抜きんでているのが普通である。かれらの土地は一般によりよく耕作され、またより多くの労働と費用がそれに投じられているから、土地の広さとその自然の豊度のわりには、より多くのものを生産する。だが、こうした生産上の優越が労働と費用の優越にくらべて、ずっと大きいということは滅多にない。 農業においては富んだ国の労働が、貧しい国の労働よりもはるかに生産的であるとはかぎらない。いや、少なくとも、製造業において普通生産的であるほどに、大いに生産的であるということはけっしてない。だから、富んだ国の穀物は、同程度の品質の場合に、貧しい国の穀物よりも安価に市場に出回るとは限らないのである。
(「国富論」第1章 分業について から)
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<リカード「経済学及び課税の原理」―比較優位説―>  「自由貿易は先進国を利するだけで、途上国にとっては債務を増やすだけだ」との主張がある。こうした考えの人たちがWTOの総会にデモを仕掛けたりする。「サービス業も、工業も、農業もすべての面で進んでいる先進国が市場獲得の標的として途上国を狙う」と自由貿易を非難する。「すべての面で進んでいる先進国が売り手になり、途上国は何も売る物がない」と言う。この考えは経済学を少しカジってみると間違っている事がわかるのだが、経済問題に関しては「学者・専門家より自分の方が正しい」との自信過剰な人たちが多くいる。そして驚いたことに、日本では農業経済学者のなかにもこの比較優位説を認めたがらない人がいるようだ。これはデビッド・リカードが「経済学及び課税の原理」で言い始めたので、ここでは先ずリカードの意見を聞いてみよう。
 イギリスは織物を作るのには1年間100人の労働を要し、もしブドウ酒の自産を企てれば同じく1年間120人の労働を要する、という事情にあるものと考えてみる。そうするとイギリスはブドウ酒を輸入することにして、それを織物の輸出で買う方が得だと見るであろう。
 ポルトガルでブドウ酒を作るのは、所要労働はわずか1年間80人、同国で織物を作るには、所要労働は同じく1年間90人であるかもしれない。従って、ポルトガルにとっては、織物と交換にブドウ酒を輸出する方が有利であろう。この交換は、ポルトガルの輸入する織物が同国でイギリスよりも少ない労働で作りえても、それに拘わらず、ありうるであろう。ポルトガルは90人の労働で織物を作りえても、それを生産するのに100人の労働を要する他国からそれを輸入するであろう。けだしポルトガルにとってはむしろブドウ酒の生産にその資本を使う方が有利で、ブドウ酒を出してそれで、その資本の一部をブドウ作りから織物製造に転用して作りうるよりも、イギリスからもっと多く織物を入手しうるであろう。 (「経済学及び課税の原理」から)
経済学者共通の知見=比較優位説  1817年に出版されたデビッド・リカード(David Ricardo)の経済学及び課税の原理(The Principles of Political Economyand Taxation)から一部引用した、この前後にいっぱい話があるのだが、今ひとつ論旨がすっきりしない。そこで最近の本から引用してみよう。
 比較優位説は比較生産説ともいう。理論経済学の碩学根岸隆氏(日本学士院、東京大学名誉教授)は、経済学者はお互いに異論を唱え合う人種だが、それにもかかわらず経済学者の間で一致する「共通の知見」があり、介在学を理解しているかどうかはこの「共通の知見」をどれだけ踏まえているかによると述べている。その「共通の知見」の筆頭にあげられるのがこの比較優位説である(「経済学の過去・現在・未来」日本経済新聞社編『やさしい経済学』272〜4頁)。
 なぜ国々は貿易を行うのか、たいがいの人の答えは、「自分の国にはない財を他の国がもっているから」とか、「ある財を自分の国で作るよりも安く生産できる国があるから」というものである。最初の返答は、たとえば自動車のように、他の国でも生産しているものがあるから、答えにはならない。2番目の答えは、だとしたら、あらゆる財について安く作れる国があったとしたら、そこから一方的に輸入するしかないことになる。最近の中国脅威論の背景にもあるが、こうした議論は実は正しくない。貿易から利益が生じるのは、比較優位にしたがって貿易が行われるからだ。
 この議論の基礎は、第7章でとりあげる「経済学者のなかの経済学者」デイヴィッド・リカードウが主著『経済学および課税の原理』(1817年)の第7章で述べた議論である。その解釈については緒論あるのだが、次のような表を考えてみよう。
     日 本 中 国
ネ ジ 100 90
ね ぎ 120 80
 この表は次のように読む。日本と中国という2つの国があって、ネジとねぎという2つの財があるとしよう。数字はそれぞれの財を1単位(ネジ1本、ねぎ1本)生産するのにどれだけの労働者の数が必要かを示している。つまり、日本でネジ1本を生産するには100人の労働者が必要であり、ねぎ1本を生産するには120人かかることを意味している。一方の中国では、ネジには90人、ねぎには80人が必要である。(もともとのリカードウの例では、日本と中国ではなくイングランドとポルトガル、ネジとねぎではなく、布地とワインである)。すぐわかるように、ネジでもねぎでも、中国のほうが、日本よりも費用は少なくてすんでいる。このままでは、どちらも日本は中国から輸入したほうがよいことになってしまう。
 けれども、比較優位に基づくとそうはならない。その議論の鍵は、2つの数字ではなくて、4つの数字を使うところにある。普通、費用の比較というと、たとえばネジを作る費用が絶対的な水準で見て、どちらのほうが低いか、という観点から行われる。つまり2つの数字を比較しがちである(絶対優位)。しかし、重要なのは、相対的に見て(つまり、2つの財の生産費用を相対的に比較して)どちらを作るほうが低いかである。すると4つの数字すべて使う必要がある(比較優位)。 表の例では、日本は中国に比べ、ネジを見ても、ねぎを見ても費用が高くかかっている。絶対劣位にある。しかし、ネジについては比較優位があるのである。だから、日本はネジに、中国はねぎにというように、相対的に優位にある財の生産に特化することで、両国にとって利益が生じることになる。たとえば、ネジとねぎの交換比率が1対1だとしよう。すると、日本は100人の労働の生産物(ネジ)と交換に、120人分の労働の生産物(ねぎ)を手に入れることができる。
 この理論が強力なのは、これが国々の間の貿易だけでなく人々の間の交易、取引にもあてはまることである(英語ではどちらも trade である)。よくあげられるのは、アインシュタインとタイピストの例である。アインシュタインはひょっとしたらタイプを打つのも得意かもしれない。場合によっては、タイピストよりも早く打てるかもしれない。けれども、アインシュタインが天才的な物理学者ならば、研究に全力を注ぐべきであって、論文のタイプはタイピストに任せるべきである。なぜならば、そのように分業することで、全体としてはいっそう成果が上がるからである。この意味では、比較優位説こそ、取引の利益がなぜ生じるかを説明するもっとも強力な理論である。
 もちろん、以上の議論が成り立つためには、いくつかの前提と単純化が必要である。たとえば交換比率が、双方にとって利益をもたらすような比率に決まっていなければならない。その条件(交易条件)については、後に19世紀半ばにジョン・スチュウアート・ミルによって明らかにされた。また、労働者の賃金水準がどうなっているかについてはここでは何も語っていない。これについては、後にヘクシャーやオリーン、サミュエルソンといって学者によって拡張が行われた。
 なお、本文で紹介したポール・クルーグマンが最初に学会で名をあげたきっかけは、比較優位説の基本モデルに対して、代替的なモデルを提出したことである。これは「新しい貿易理論」として、現代では「共通の知見」の一部として共有されている。しかし、そうした比較優位説の修正も、出発点は比較優位説である。経済学では、共通の理解があってこそ、異論がある。そうした共通の理解の核として、比較優位説はいまでも輝きを失わない。 (「経済学者たちの闘い」から)
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<アイオワの自動車栽培は美しい>  品種改良を生物学的な面から見てきたが、実際に研究が進むか?新品種は普及するか?という問題になると経済学的思考は必要になる。そこで経済学の基本的な問題を取り上げたのだが、やや教科書的になってしまった。そこで「趣味の経済学」の趣旨からもう少し「副読本的」な捉え方もしてみようと思う。ということで、同じ比較優位説であっても少し違う、寓話的な捉え方を引用しよう。
 美しいものは常に喜びであり、簡潔で無疵の論理以上に美しいものはない。数行の論理で、世界の見方が一変する。 友人のデヴィッド・フリードマンが書いた教科書のページをめくっていて、私は最も美しい論理の一つを発見した。テーマは独創的でないかもしれないが、フリードマン流の論理は非常に明晰でコンパクトで議論の余地がなく、嬉しいほど意外性があって、私は学生や親戚、カクテル・パーティーで出会った人たちなどについ紹介したくなる誘惑に勝てなかった。 これは国際貿易に関する論理だが、その魅力はテーマよりも抗し難い力強さにある。
 デヴィッドの観察によると、アメリカには二種類の自動車生産方法がある。一つはデトロイトで生産する方法、もう一つはアイオワで栽培する方法である。第一の方法は誰でも知っているのでここでは第二の方法について説明しよう。まず、自動車を作る原材料である種を蒔く。 それから数ヶ月、小麦が出現するのを待つ。それから小麦を収穫して、船に積み込み、太平洋の西に向けて船出させる。数ヶ月後、船はトヨタの自動車を乗せて戻ってくる。
 国際貿易は、技術の一形態にほかならない。人が住み、工場がある日本という名の地域があることは、アメリカ人の福祉とはまったく関係がない。貿易政策を分析するには、日本が小麦を自動車に変える神秘的な能力を持つ巨大な機械だと考えて差し支えない。
 アメリカの第一の生産方法を第二の方法よりも優遇する政策は、デトロイトのアメリカ人自動車生産者をアイオワのアメリカ人自動車生産者よりも優遇することを意図している。税金や自動車「輸入」禁止措置とは、アイオワで生産された自動車に対する課税や禁止措置である。デトロイトの自動車生産者を競争から守ることによって、アイオワの農民に損害を与えることになる。 なぜなら、競争相手はアイオワの農民なのだから。
(「ランチタイムの経済学」から)
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<作品のリメイク> 上記<アイオワの自動車栽培は美しい>、著者ランズバーグは別の本、「フェアプレイの経済学」でも取り上げている。出だしの文章は次のようになっている。
 エコノミストは貿易が繁栄の原動力であることを知っている。したがって、国が貿易を否定することは国がみずから繁栄を否定することにほかならないという結論を――正しく――導き出す。また、年収5万ドルのアメリカ人自動車工を1人失業から救うために、貿易制限をおこなった場合、車は値上げされ、ユーザーに全体で年間15万ドルの負担増を強いることになることを、データによって――これも正しく――明らかにする。自由貿易は技術の進歩と同じく、一部の労働者の入れ替えにつながるかもしれないが、アメリカ人の生活を全体的により豊かにすることは間違いないと論ずる。これまた正論だ。
 これらはまさに大学の授業でやっている議論である。
ノースカロライナ州立大学のジェームズ・イングラム教授の創作で、農産物を車に変える新しい機械を発明したすごい企業家の話である。この企業家は海辺に工場を建て、内部を一切秘密にして生産を開始する。……
 一つのネタを別の本でも使う、こうしたことは別に珍しいことでもない。ポール・クルグマンも「金融理論とキャピトル・ヒル・ベビーシッター共同組合の危機」を「経済政策を売り歩く人々」と「世界大不況への警告」で取り上げている。ユニークな話題ならば、何度採る上げてもいいし、他の人間が取り上げてもいい、出典を明らかにするならばそれでいい。何度取り上げてもいい話題なのか、それともそれほどでもなく「くどい」と判断するか、それは読者が判断すればいい。これは本などの著作の問題。音楽でも似たような状況だ。ベートーベンの「英雄」交響曲の第4楽章と同じ曲がピアノ曲にある。シューベルトの歌曲「ます」がピアノ5重奏曲に使われている。 モーツァルトの「オーボエ協奏曲イ長調」と「フルート協奏曲ニ長調」は同じ曲(どちらもK314)。他人が手を加えた例としては、ムソルグスキーの「展覧会の絵」をラヴェルが編曲していたり、「禿げ山の一夜」をリムスキー・コルサコフが編曲して有名になった例がある。原典版は素人っぽいオーケストレーション、とてもディズニーの「ファンタジア」で取り上げれられる曲ではない。「展覧会の絵」と言えば、チェリビダッケのあのゆっくりしたテンポが印象に残る。ゆっくりした演奏ではグレングールド、ベートーベンの「熱情」やモーツァルトの「イ長調ソナタ、トルコ行進曲付き」が印象的だ。こうした演奏、一般的な演奏とは違う。作曲者の指示通り、あるいは作曲者がどのように考えたか、を大切にする演奏がある一方、これらは演奏者が新たな曲を作っているようだ。 どちらも聞く人が喜べばそれでいい。本の場合もそうだ。出版されたときから著作物が一人歩きし始める。ある人は、原著者の考え方を解説し、ある人は原作を基に自分の考えを足していく。どちらがいいかは、読者が判断する。
 経済学の分野ではアダム・スミスが話題になる。その「国富論」、多くの人が論じている。「アダム・スミスは生きている」が親アダム・スミス派の感じ方だと思うのだが、親アダム・スミス派的ポーズを取りながら「アダム・スミスは必ずしも自由放任主義ではなかった」と言って、市場のメカニズムに疑問を投じ、制限を加えようとする人もいる。以前にも取り上げたアマルティア・センは次のように言っている。
 自己利益に基づく行動において2つの異なる問題を区別することが重要である。第1に、人々は実際に自己利益だけに基づいて行動するのか否か、という疑問がある。そして第2に、人々が自己利益だけに基づいて行動するのだとしても、彼らは特定の成功、たとえば何らかの種類の効率を達成するのであろうか、という疑問がある。これらの2つの命題は、共にアダム・スミスによるものとされていた。しかしながら、自己利益に基づく行動の遍在性と効率に対する「スミス流」の見方が常に引き合いに出されてきたこととは裏腹に、実際にはどちらも彼が信じていたという証拠はほとんどないのである (「経済学の再生」から)
 日本人の中にも、アダム・スミスを次のように解説する人がいる。
 景気が悪くなると、アダム・スミスにお座敷がかかる。石油ショックの時がそうだったし、バブル崩壊の時もそうである。 スミスが経済学ではなく道徳哲学の教授であったことを、人びとは思い出す。しかも今度は、いわゆる社会主義の崩壊という伴奏がつき、ハイエクという外野席の応援団長がいる。本当のところ、この伴奏も応援もスミスにとっては困りものなのだが、それぞれ反面教師としては利用できる。
 二百年ほど前に死んだスミスの亡霊を呼びだしてどうするのだと、疑問に思われる向きがあるかも知れないが、スミスは手放しの自由放任主義ではなく、自由競争に内在するルールを想定していた。 このルールはハイエクに欠けている観点であるだけでなく、今日崩壊しつつあるいわゆる社会主義が、その前提となった「後進資本主義」の中に持たなかったものである。この点では日本の資本主義も後進資本主義と変わらない。
 確かにスミスは、各個人が自分の生活をよくするために努力すれば、見えない手の導きによって社会全体が豊になるといい、公共の利益を説く者を信用するなと説いた。しかし同時に、彼はそのような私的利益追求のための競争に対するブレーキが、彼のいう商業社会(あるいは文明社会)の中にビルトインされていることを想定していた。 (「アダム・スミス」<おわりに>から)
 「書かれている文字よりも、行間の意を大切しよう」との姿勢と見た。 「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」といっても、その前に「前項の目的を達するために」とあるから「自衛隊は合憲である」と同じ姿勢。「憲法9条を守れ」と言いながら、自衛隊の存在を容認するのも同類と見る。
 ある人たちにとって、アダム・スミスの言うことはあまりにも強烈なのだろう。「マネーゲーム」という言葉でさえ、拝金主義と感じる人もいる。「共生こそこれからの社会のキーワードだ」と思っている人にとって、「アダム・スミスは否定できないが、その自由主義メッセージは色合いを薄めたい」存在なのだろう。 ハイエクはよけいな外野席の応援団で反面教師。ミルトン・フリードマンやジョージ・スティグラーはアダム・スミスの考えを誤って広めている邪悪者となるだろう。 「アダム・スミスの文章はそのまま読めばいい」と考え「アダム・スミスは生きている」と言う人にとって、行間の意を汲む必要はない。 ここで「自己責任をどこまで尊重するか?」の姿勢が違ってくる。このように「自由貿易は大切だ」と言いながら、個々の問題になると「国内産業をつぶして良いのか?」「農業は日本の文化だ」とWTOの方針を批判する。これを一部の業界と市民運動派が支援する。「分業」「比較優位説」はこのような政治力学の中で揺れ動いている。
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<主な参考文献・引用文献>
国富論                    アダム・スミス 大河内一男監訳 中央公論社    1978. 4.10    
経済学及び課税の原理             デビッド・リカード 竹内謙二訳 千倉書房     1981.11.15
経済学者たちの闘い                        若田部昌澄 東洋経済新報社  2003. 2.13
ランチタイムの経済学        スティーブン・ランズバーグ 佐和隆光監訳 ダイヤモンド社  1995. 4.13
フェアプレイの経済学        スティーブン・ランズバーグ  斎藤秀正訳 ダイヤモンド社  1998. 5.14  
経済政策を売り歩く人々      ポール・クルーグマン 北村行伸・妹尾美紀訳 日本経済新聞社  1995. 9.20
世界大不況への警告             ポール・クルーグマン 三上義一訳 早川書房     1999. 7.31
経済学の再生       アマルティア・セン 徳永澄憲・松本保美・青山治城訳 麗澤大学出版会  2002. 5. 9
アダム・スミス 自由主義とは何か                   水田洋 講談社学術文庫  1997. 5.10 
( 2004年2月23日 TANAKA1942b )
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(28)自給自足こそが貧困への第一歩
いろんな時代のアダム・スミスたち
 「自由貿易こそ国民を豊にする」という「共通の知見」が現実の社会では、「自由貿易は大切だ」と言いながら、個々の問題になると「国内産業をつぶして良いのか?」「農業は日本の文化だ」などの保護貿易主義に結びつき、これを一部の業界・政治団体と文化人・市民運動が支援する。「分業」「比較優位説」はこのような政治力学の中で揺れ動いている。 そうした揺れ動く社会でエコノミストは諦めずに説得し続ける。言いたいことは「自由貿易こそ国民を豊にする」という「共通の知見」なのだが、その表現は各人の工夫がみられる。そのうちのいくつかを取り上げてみよう。先人たちの保護主義に対する杞憂と、「自由貿易を守るべきだ」との確信が感じられる。
<貿易とグローバリゼーション> 中国と東南アジアだけが、ユニークなのではない。コンサルタント会社のATカーニーが、グローバリゼーションが34の先進国と開発途上国にどのような影響を与えたかを調査した。それによると、最も急速にグローバル化した諸国は、世界経済に組み込まれる度合いの少ない国よりも、この20年間で30から50パーセント高い成長率を維持している。 これらの諸国は、政治的自由にも大きく恵まれていて、国連の人材開発指数でも高い点数を貰っている。調査担当者の計算では、グローバリゼーションに関連する経済成長の結果として、約14億人の人々が絶対的貧困を免れた。悪い知らせもある。グローバリゼーションの高率化は、所得不平等、政治腐敗、環境悪化の高率化と結びつくのである。これについては、後で詳しく述べる。 しかし、グローバリゼーションの正しさを主張する、簡単な方法がある。貿易と経済統合が進んでいなかったら、代わりにどのようなことになっていただろうか。世界貿易の拡大に反対する者は、ハーバードの経済学者ジェフェリー・サックスの主張に基づく一つの質問に答えなければならない。貿易もせず世界経済に組み込まれることなしに、単独で発展するのに成功した国が、近代史上一国でもあっただろうか。 もちろん、一国もない。トム・フリードマンが、反グローバリゼーション連合のことを「世界の貧しい人々を貧しいままにする連合」と呼ばねばならない、と示唆する理由はそこにある。 (「裸の経済学」から)
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<江戸時代の先覚者たち> 江戸時代日本は鎖国をしていた。従って食糧は自給自足していた。このように言っても誰も反論しないだろう。この常識とも思える説に異論を唱えるのが、アマチュア・エコノミストの存在理由だ。理由はこうだ。現在地球全体では自給自足している。しかしそれぞれの国は貿易によって経済を運営している。世界中見回しても、かつて「地上の楽園」と称された国以外は鎖国はしていない。では江戸時代。日本列島全体で見れば自給自足の経済だった。しかしそれぞれの藩をみると結構出津・入津(輸出入)を行っていた。江戸時代の経済単位は藩であり、それは現在の国に相当する。関所という国境があり、特産物の持ち出しには役人の目が光っていた。 特に飢饉にでもなるとコメなど食糧の持ち出しは制限され、そのため多くの餓死者が出る藩の隣の藩では、誰も死ななかったという例もある。 こうした時代各藩同士の貿易考えると、大坂堂島米会所の存在が大きな影響力を持っていたと言える。現代に置き換えると、世界中の穀物を扱うシカゴの先物市場の様な存在だった。 1730年吉宗将軍の時代、大岡越前守が許可を与えた大坂堂島米会所、これは江戸時代における自由貿易の象徴であった。この先物取引市場を高く評価した「世俗の思想家」が江戸時代にいた。実際にこの帳合い取引所を運営した人々や、これを高く評価した江戸時代のアダム・スミスたちは、21世紀日本の農業経済学者よりも市場経済に信頼を置いていた。 自由貿易・市場経済の象徴である米先物取引所をどのように評価していたか、いくつか意見を聞いてみよう。
山片蟠桃「夢の代」 ……天下の智をあつめ、血液を通わし、大成するものは、大坂の米相場である。
 大舜は心を用いて天下の智をあつめた。この相場は自然天然とあつまり、大成して天下の血液はこれから通い、これを通じて智の達しないものはなく、仁の及ばないものはない。
 その理由はなぜかというと、五畿七道の米穀で、大坂へ送らないものはない。そのうち関東・奥州・東海道の米穀は江戸に入るけれども、もともとその不足を大坂から補うことであるから、江戸に米が少なければ大坂から多く送り、江戸に多ければ少なく送ることであるから、血液が江戸・大坂のあいだによく通じあっているようなもので、その間に価格の点でひびき、こたえるようなことはない。
 ところで、大坂の米相場と他の地域との関係についていえば、今、西国に蝗の害があったということで、飛檄をもって米を買うときは価格が急激にあがる。奥州地方が豊作で米を売るときは値がどっと崩れる。四国に風があるというと、船を飛ばして買いにゆけばまた値があがる。北国は順気で米の出来がよいと檄を伝えると、また値がさがる。関東の洪水で値があがり、二百十日の天気にまた値がさがる。御手伝で値がさがり、御買米であがる。 浅間山・島原の雲仙岳の炎上(爆発)、出羽の地震、中国の津波にいたるまで、ことごとく驚いてこたえないものはない。
 あたかも神があって告げるようである。あたかも将軍がいて指揮するかのようである。天から命ずるのではない。人が集まって徒党を組むのでもない。西に買い、東に売り、北に買い、南に売る。米の相場の価格もあるいはあがり、あるいはさがり、あるいは保ち、あるいは飛躍的に変わる。毎朝毎朝、毎夕毎夕、入船入檄のたびごとに値段の高下することは、響きの声に応ずるがごとくである。
 そうではあるけれども、その道は二つ、いわく売、いわく買。その呼応も二つ、いわく貴(高)、いわく賤(低)。ただこれだけであって、天でもない、神でもない。行為と事実とをもって示すものは、すなわち人気のあつまるところ、またこれ天であり、またこれ神である。千人、百人の力の及ぶところではない。
 しかるにまた、一人で米の相場を動かすことがある。ただこれだけであって、天ではない。天ではないのに、天下の変化を知ることは掌をさすようである。天に先だって天に違(たが)わない、天におくれて天の時を奉ずる。人に先だって人におくれ、事に先だって事におくれ、万物にあまねくして通じないことはない。ああ恐るべきかな。ああ今、天下に賢いものは、米相場にまさるものはないのである。
(「日本の名著」山片蟠桃「夢の代」から 現代語訳・源了圓)
海保清陵「稽古談」 もし米で利益を得ようと思うならば、芸州(今の広島)の津開という法よりいいものはない。これは備中、備後のあたりには、小身の大名や小名がごたまぜに領分に入り込んでいることからできあがった法である。津開というのは、米の収穫される秋になったら、芸州候の領内から納める米をば蔵に入れないのである。蔵の前に出しておくことである。さて蔵をばからにしておいて、さて他国の米というのは、かの小身の大名、小名の米である。この小身衆は、自分でけ単独で、船をだして大坂へ積み込んで米を売っても、とんと引き合わないのである。どうしても理屈の悪い荷物である。 だから、近所の芸州港(津)だったら、小舟で小さい輸送品にしてもよいというものである。そうしたわけで、近所の小身衆の米はみな芸州へ売りさばかれるのである。芸州は富国なので、相場を立ててすぐに仕切金(売り主が受け取る代金・諸経費の総額)を出すというものだから、この芸州の津開ははやるのである。
 さて芸州では、近辺の小荷物をずっと買い込んで、その米を蔵へ入れるのである。すさまじく積みこむ、ということである。大坂の米相場を見合わせて、相場が高くなったときに、芸州米を残らず大坂へそろえて回すのである。すべて家中への俸禄の米は、みな小藩からの買い込み米であるということである。また町家、在家でもやすい米を買って食べて、自分の米を高く売ろうと思うものは、みなこの津開米を買って、自分の米をばお上の米と一緒にしてお上へ売るのである。これで、かの小身衆も都合がよい。在町の者も勝手がよい。芸州候も大いに安い米を買って、大いに高く米を売るというものである。
(「日本の名著」 海保清陵「稽古談」から 現代語訳・源了圓)
本多利明「経世秘策」 浅間山の噴火による東北地方の飢饉は天明3(1783)年から7年まで続いた。本多利明は天明7年に奥州旅行をして、飢饉の被害を見ている。「農村の崩壊を食い止めなければ」との思いから、「経世秘策」の中で「四大急務」と題して書いている。その要点を「江戸時代の先覚者たち」から引用してみよう。 
 飢饉による農村の崩壊を食い止めなければ、との問題に対して利明はどのように考えたのであろうか。彼はまず「赤道以北32度より42度の間」にある「大極楽国日本」の形態からはじめ、
 「日本は未申(南西)の隅より丑虎(北東)の隅へ、凡十度余、里程五、六百里に所在して細長き国なれば、水旱損(水害や干魃の被害)とありても、国中残る所なく、不熟することは古今なきことなれば……」と記す。 つまり、日本は細長い国だから、北で穀物の不作があっても、南では豊作の場合もある。日本全体で足りないのではなくて、必要な所に届かないのだ、と主張する。たとえば「アフリカの飢餓を救え」といって穀物を送る。港があれば、港までは着くであろうし、鉄道が動いていれば、その沿線には運べるであろうが、それ以外は届かない。援助物資が埠頭に山積みにされ、錆び果て朽ち果てている、という話は少なくないが、徳川時代にはこれが国内問題であった。
 まず、大船で大量に物資を運ぶ航海術、さらにそれが入港しうる港湾の建設整備、そこから水運で運ぶなら河川の改修、さらに道路の整備、どれ一つ完全ではない。そこでかれは「経世秘話」の中で、四大急務として「第一焔硝、第二諸金、第三船舶、第四属島の開業(わが国の付属の諸島を開発すること)」を挙げる。 第一の「焔硝」は次のような文で始まっている。
 第一 焔硝と云は、土地に焔硝を生ず、海中に潮汐を生ず、天下万国皆然り。太陽の温もり、火の変性也。土地の焔硝を取らずに置かば、或いは天雷堕落して火災となり、或いは乾燥なる時に、天火を招き、火災となり、或いは人の過失出来すれば、忽ち大火となる。……
 鉄砲とともに、火薬が日本にもたらされたとき、日本人は硝石採種の技術も手に入れた。しかし幕府は諸大名の反乱を恐れて火薬の無断製造を禁止し、これを厳重に幕府の統制下においた。また諸大名は幕府ににらまれるのを恐れて、もとより硝石採取などしようとしない。幕末になると、京都御守衛総督徳川慶喜の下で勘定奉行であった渋沢栄一が、その領内に硝石製造工場を設立しようと計画しているが、これは利明のころは徳川一門でもできないことであろう。 いわば火薬は徳川時代のタブーであり、相当に大きな土木工事もみな「人海作戦」であった。
 田沼政権は印旛沼の開発を行おうとして、一部に「印旛沼を農地にしようと計画した」と言われるが、違うのではないかと思う。本多利明の考え「印旛沼に運河を掘って、奥州からの船を導く」との考えだったと思う。本多利明は「その工事に爆薬を使え」と言っている。田沼時代にはこのような大胆な事を考える自由もあったようだ。 (「江戸時代の先覚者たち」・「日本思想大系」本多利明「経世秘策」から)
江戸時代のアダム・スミスたち 山片蟠桃(1748〜1821・寛延元〜文政4)、海保清陵(1755〜1817・宝暦5〜文化14)、本多利明(1743〜1820・寛保3〜文政3) この3人、田沼の時代に活躍していた。この時代平賀源内のような天才(狂人?)も自由に活躍出来た、元禄時代・文化文政時代と並ぶ日本文化が一段と輝いた時代だった。 ちなみにアダム・スミス(1723〜1790)と同じ時代で「国富論」は1976年に出版されている。明治政府が徳川幕府を批判することによって自分たちの正当性を主張し、西洋文化を積極的に取り入れようとしたこともあって、江戸時代のすばらしい文化が消し去られ、あるいは忘れ去られてしまった。さらに戦前の歴史観が、江戸時代を封建制と位置づけ、恥じるべき時代であるかのように主張されたこともあって、江戸時代の文化が低く評価されている。この3人の考えを読むと、経済に対するセンスは世界最先端をいっていたのではないかと思う。 「自給自足ではなく、各藩が自由な貿易をすることによって藩の財政も健全化し、人々も豊になる」このように自由貿易を主張していたことに驚かされる。この3人についてはいずれ、もう少し詳しく取り上げるつもりです。
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<「日本は開国せよ」とロシア艦隊> 1852(嘉永5)年10月19日、帆船パルラーダを旗艦とする4隻のロシア艦隊が、世界を半周して日本をめざす大航海のために、サンクト・ペテルスブルグに近いクローンシュタット港を出帆した。この艦隊を率いるのは、極東通の外交家として知られたプチャーチン提督で、日本との北方の領土を確定し、日露間の通商条約を締結する、という困難な使命が与えられていた。艦隊は1853(嘉永6)年8月9日、長崎港の入口にある野母岬の沖合に到着する。 嘉永6年は、わが国にとって大乱の年で、すでに6月にはペリー提督の率いる4隻のアメリカ艦隊が浦賀に来訪して、わが国の幕藩体制は、300年にえあたる鎖国の眠りから呼び醒まされたばかりであった。この遠征に随行していた作家ゴンチャロフは、多くの記録を残しているので、その中から引用しよう。
 かつて私談を交わしていて、提督は、日本人が通商を怖れるのは杞憂にすぎず、通商は人民の福祉を潤しこそすれ、かつて通商によって凋落した国民はなく、かえって富強になったことを説明するのであった。提督は、外国人が日本人と取り引きをする品物の例を挙げて説明した。
 この後に、プチャーチン提督の行き届いた指摘が続く。
 「たとえば、貴国には日常の必需品が不足しているように見受けられます。窓には紙が貼ってあるが」と提督は周囲を見回しながら話しを進めた。「そのために部屋の中が暗くて寒いのです。外国人はガラスを持って来て、その製法を伝授するでしょう。ガラスは紙より良くて安いのです」と提督は続けた。
 「わが国では、カムチャッカや、その近海に魚が豊富ですが、塩がありません。貴国が塩を下されば、わが国は日本の主食たる魚をお運びします。それに、貴国では何ゆえ全人民の人手を米作に用いられているのですか?それを採鉱にお使いになれば、米はスンダ諸島から輸入できますから、貴国はますます富を得るでしょうに……
 「開国」を契機として、わが国の政治と経済のシステムは大きな変革を遂げる。なにしろ、鎖国政策により300年にわたり、「自給自足」を行ってきた国が、いっきに「自由貿易」へと転換したのである。かつて、アダム・スミスやリカードといった大経済学者は、「自由貿易が諸国に利益をもたらす」ことを論証したが、わが国は実験室のような条件で、自由貿易の経済効果を試したわけであるから、経済学にとってはまことに貴重な経験であったといえよう。 そしてわが国は経済学のの予想通りに、また幕臣官僚に対してプチャーチンが語った言葉通りに、自由貿易による大きな恩恵を受けたのである。
 ヒューバー[1971]の研究によれば、開国により、わが国の商品価格の体系に大きな変化が起きた。つまり、日米修好通商条約(1985年)が締結される前におけるわが国の商品価格(1871〜55年の平均値)を、この条約が締結された後における商品価格(1871〜79年の平均値)と比較すると、わが国の主要輸入品(綿花、綿糸、綿織物、金属、砂糖)の平均価格が55%も下落する一方で、主要輸出品(生糸、茶)の平均価格は33%も上昇するという変化が見られる。
 一般に、ある国が貿易を開始すると、国際価格よりも安くその国で生産できる商品は輸出され、反対に国際価格のほうが安い商品が輸入されるのだが、貿易によってその国の国内価格にも変化が起こる。つまり、その国が輸出する商品の国内価格は、輸出による生産需要の増加を受けて上昇し始める一方で、その国が輸入する商品の国内価格のほうは、外国から安価な商品が輸入されるために下落し始めるのである。こうした過程を通じて、その調整が収まったところでは、国内価格は国際価格をほぼ反映したものとなるだろう。
 ヒューバーの研究が推計しているのは、開国直後にわが国が貿易から得た利益であって、より広い視野に立って今日までにわが国が受けた貿易からの恩恵を考えると、それはまさに計り知れないものがる。もし、「開国」の決断がされなかったとしたら、いったい、われわれの今日の生活はどのようなものだっただろうか? (「世界経済の謎」から)
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<保護貿易主義を嘲笑ったF・バスティア> 経済学史の本を見ると、そこに登場するエコノミストは顔ぶれが決まっている。そうした正統派からはちょっと外れた、異端の経済学者に面白い人がいる。そうした突然変異のような奇人の一人にフレデリック・バスティア(1801〜1850)がいた。1840年代に、政府がフランスの産業を利するためにすべての外国商品に高関税を課す法律を制定したとき、自由貿易を主張し、保護貿易を批判し続けたバスティアは次のような経済風刺の傑作を作り上げた。
[ローソク、小ローソク、ランプ、燭台、街灯、ローソクの芯切り、消灯器の製造業者ならびにオイル、樹脂、アルコール、その他灯り全般に関連するすべての生産者の請願書]
下院議員各位
拝啓
……われわれは、外国の競争者との耐え難い競争に苦しんでいます。この競争者は灯りの生産においてはわれわれよりもはるかに優れた条件下にあるために、信じられないほどの低価格で、灯りをわが「国内市場」に「氾濫させる」ことは必至であります。……このライバルというのは……ほかでもない、太陽なのです。
 われわれがお願い申し上げたいことは、どうか、すべての窓、天窓、屋根窓、家の内外の鎧戸、カーテン、ブラインド、円窓、一言でいえばすべての開口部、穴、隙間、裂け目を閉ざして塞ぐことを命ずる法律を通過させて下さい、ということであります。
……もし、あらゆる自然光の入り口を可能な限り閉ざし、人工的な灯りにたいする需要を作り出して下さるならば、われわれフランスの製造業でそれによって得をしないものがありましょうか?
……もし、より多くの獣脂が消費されるのであれば、それだけ多くの牛や羊がいなければなりません 
……もし、より多くの油が消費されるのであれば、ケシやオリーブの栽培を増やさなければならないでしょう
……わが荒野は樹脂質の樹木に覆われるでありましょう。
どうかご選択ください。ただし、論理的にお願いします。なぜならば、皆様がなされたように、鉄、穀物、外国の織物の価格がゼロに近くなるのに「比例して」それらを排除するかぎり、太陽の光の価格は日中の間はすでに「ゼロ」でありますから、太陽の光を認めるということはなんと矛盾したことか、と申さねばならないからであります。
 これほど芝居がかった―――風変わりかもしれないが―――自由貿易擁護が書かれたことはかつてなかった。しかしバスティアが抗議したのは保護関税だけではなかった。あらゆる形の経済的二重思考をあざ笑ったのである。1848年に社会主義者たちが、実行可能性よりも情熱を重視して提出し始めたとき、バスティアは「旧制度」に対して使用したのと同じ武器を社会主義者たちに向けたのである。 「あらゆる人が国家を犠牲にして生きていきたいと望んでいる」「彼らは、国家がすべての人を犠牲にして生きるものであることを忘れている」とバスティアは書いた。
 しかし、バスティアが特に批判の矢を向けたのは、すなわち最も嫌悪した「詭弁」は、「国民の善」のために保護関税という偽りの覆いをかぶって私的な貧欲を合理化することだった。自由主義経済学の装いをまとって貿易障壁を議論するもっともらしい考え方を破壊することを、彼は大いに好んだ。フランスの内閣が、フランスの労働者「保護」のために輸入織物の関税引き上げを提案したとき、バスティアは胸のすくようなパラドックスをもって応えた。
 「この趣旨で法律を通過させてください」とバスティアは商務大臣に書き送った。「今後は誰も、なまくらな手斧で作られた形を整えられた垂木だけしか使ってはならないとしましょう……そうすると現在は100回斧を振ればよいものが、300回振ることになるでしょう。現在は1時間ですむ仕事が、3時間必要となるでしょう。これは、きわめて強力な労働奨励になるでしょう。……現在、自らの身にまとう織物が欲しいのは誰もが、あなたがたのきびしい要求に従わねばならないのと同じように、今後は屋根を覆いたいと要求するものは誰もが、われわれのきびしい要求に従わねばならないでしょう」。
 透徹したあざけりであったせいか、バスティアの批判は実際にはほとんど成功を収めなかった。彼は自由貿易運動の指導者たちと会うためにイングランドにわたり、パリに自由貿易協会を組織するために帰国した。この協会はわずか18カ月続いただけだった。バスティアは組織づくりは少しも上手ではなかった。 (「世俗の思想家たち」から)
 現代で言えば、ワーク・シェアリングも不況対策の政策として積極的に採用せよ、と言うかもしれない。
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<自給自足こそが貧困への第一歩> ここに一冊の本がある。「自由貿易は正しく、保護貿易は間違っている」というだけの単純な主張のためにこの一冊が書かれた。 香西泰が次のような解説を書いている。
 ラッセル・D・ロバーツの『寓話で学ぶ経済学』(The Choice:Fable of Free Trade and protectionism,Prentice Hall,1994)が翻訳された。
 この本は、自由貿易の利益と保護貿易の害悪を、ごく初歩的な貿易理論を用い、米穀経済の実態にそくして、平易かつ明快に説いている。それも話を面白くするために、比較優位理論を提唱したデビッド・リカードの霊が、1960年に日本からの輸出攻撃に悩んで保護貿易論に傾きつつある米国イリノイ州スター市のテレビ工場経営者エド・ジョンソンを訪れ、当時から見ての現実及び架空の未来(すなわち1995年)の米国を巡回しながら、貿易戦争、輸入による雇用の喪失、関税・輸入割当・輸出自主規制の効果、公正貿易の意味などについて語り合うという筋書きになっている。
 その状況設定がいかにほ巧みで、読者を飽きさせない。舞台は米国が中心だが、日本が相手役として常に登場しているから、日本の読者にとっては特に興味深い内容だ。チャールズ・ディケンズの「クリスマス・キャロル」でおなじみの話術を用いて書かれた経済問題の優れた啓蒙諸であるといってよい。
 この本をてにとってページをぱらぱらめくればすぐ分かるように、経済学の専門書にありがちな数式やグラフは一つも出てこない。一般読者にも安心して読んでいただけよう。著者はセント・ルイスのワシントン大学教授で、学生に長年にわたって国際経済問題を教えるうちに、このような形での整理を思いついたという。それだけに教科書ないし副読本としても最適である。 この本を一読して感銘を受けるのは、まず話が単純なことだ。著者が言っていることは、自由貿易は正しく、保護貿易は間違っている、というだけのことだ。そしてこの単純な主張を著者は強力に展開する。これに賭ける著者の熱意はただごとではない。そこには何がなんでも反対論を説得しようという執念さえ感じられる。
 香西泰がこのように評した「寓話で学ぶ経済学」、著者の熱意はその序文から感じられる。そこで熱い思いが感じられる「日本語版序文」を紹介しよう。
日本語版序文
 今夜、日本のどこかで、米作農家の子供は未来への希望を胸に抱いて眠りに就くでしょう。太平洋の向こう側のアメリカでも鉄工所の少女が同じように夢を抱いて眠りに就くでしょう。2人の子供たちの抱く将来に対する夢は同じで、世代を超えた、様々な形の幸せと成功という普遍的な夢です。未来は私たち一人一人が日々行う選択の積み重ねの中で決まっていきます。 同時に国家としての選択も未来に多大な影響を及ぼします。自由貿易にするか、保護貿易にするか、という選択のように。
 本書では私たちの日々の選択が未来の経済と日常生活に及ぼす影響について探求します。寓話という形をとり、本酒ではアメリカの経済がこの30年間でどう変わってきたかを見ていきます。ある産業は消え、代わりにある産業が誕生し、成長しました。国際貿易と技術の進歩はアメリカ経済の変化に重要な影響を及ぼしました。 日米間の経済関係もアメリカの変革に重大な影響を与えました。私が本書を執筆していた1990年代の初めは日米間の貿易摩擦が毎日のように新聞の1面をにぎわしていました。当時アメリカは経済的に自信を喪失し日本は急成長している時期で、アメリカ人の多くはアメリカがふつうの国に成り下がったと危惧しました。アメリカ人の中には日本との貿易不均衡と日本によるアメリカの資産(土地)購入に着目し、アメリカの経済不振は日本の成功によってもたらされたと非難した者もいました。
 一部のアメリカ人は日本のやり方をまねて企業同士、あるいは企業と政府が強力すべきだと主張しました。また一部のアメリカ人は日本の進出を脅威に感じたり、自分の企業の保身のために日米間の貿易への政府の介入を主張しました。それは自動車の輸入制限であったり、日本企業に対する土地買収の制限であったりと様々でした。
 本書は「これらの対策には必ず代償が伴う」ということをテーマにしています。国がある産業を保護し、その産業にたずさわっている人々を守ると、その国全体は貧しくなります。一方自由貿易は公用として価格の低下と製品の進歩をもたらします。日本の製品はアメリカ政府による制限がsりながらもアメリカ経済の発展に大きく寄与しました。アメリカとの競争も同時に日本の発展に貢献していると信じています。
 自由貿易のもう一つの効用は、従来の経済学の枠から外れたところですが、「生活をより楽しくする」ことにあると私は思います。人々に個人が持つ知識と技能を最大限に有効に八期させることで自由貿易は多くの人々により満足できる生活を提供するからです。 次の世紀を迎えようとしている今日、アメリカの対日貿易赤字が増加していますが、それはニュースの一面をにぎわせてはいません。それは日本の経済が芳しくないという話が伝わっているからでもあり、最近のアメリカではメキシコや中国の脅威を語ることの方が人々を恐れさせるのは用意でもあるからです。しかしながら日本の経済が回復するに従い、自由貿易反対論者の牙は再び日本に向けられるでしょう。日本でも同様にアメリカとの貿易に危機感を持つことでしょう。 国家レベルで見た場合、これらの危機意識は誤った経済成長、競争そして雇用のモデルに基づいています。危機意識は「一国の繁栄は他国の犠牲の上に成り立つ」という錯覚から生じており、それは人々に貿易を恐れさせ、より自給自足的な生活を国に選択させようとします。
 私は
「自給自足こそが貧困への第1歩だ」と主張したいのです。教育と勤勉、それと向上意欲を引き出す正しい動機づけ、ならびに開放された市場こそが国の活力だと私は信じています。貿易によって一部の産業の雇用が減ることはありますが、同時に開放された人材と資金、それに経営資本を使うことで新しい産業を創造する機会を得るのです。「現状を維持することは、眼に見えない、潜在する未来の可能性を犠牲にする」――本書の主張はまさにこの点に集約されます。 世界のすべての国家は、自由貿易と保護貿易の政策およびその影響との選択のはざまで揺れているのです。
 このたび私の本が日本で翻訳されることになったことを光栄に思います。私は本書に記したアメリカの通商政策が日本の皆様にご参考になればと思います。新たな世紀を迎えるにあたり、本書が日米間の有効と、世界の国々と人々が自由に貿易できるようになることに少しでも役立つことを願っています。
 1999年4月 米ミズリー州セント・ルイスにて
         ワシントン大学ジョン・M・オーリン・スクール・オブ・ビジネス・マネジメントセンター所長
                           ラッセル・D・ロバーツ              
(「寓話で学ぶ経済学」――自由貿易はなぜ必要か――から)
(^o^)                  (^o^)                  (^o^)
<主な参考文献・引用文献>
裸の経済学               チャールズ・ウェーラン 青木栄一訳 日本経済新聞社  2003. 4.23
江戸時代の先覚者たち―近代への遺産・産業知識人の系譜―       山本七平 PHP研究所   1990.10.19
日本の名著 23 山片蟠桃 海保清陵               源了圓編 中央公論社    1971. 2.10
日本思想大系 44 本多利明 海保清陵         塚谷晃弘・蔵並省自 岩波書店     1970. 6.25
世界経済の謎 経済学のおもしろさを学ぶ              竹森俊平 東洋経済新報社  1999.12.30
世俗の思想家たち―入門経済学思想史― ロバート・ハイルブローナー 八木甫監訳 HBJ出版局   1989.10 
寓話で学ぶ経済学―自由貿易はなぜ必要か― ラッセル・D・ロバーツ 佐々木潤訳 日本経済新聞社  1999. 7.12
( 2004年3月1日 TANAKA1942b )
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(29)農作物を世界で分業すると……
低賃金と劣悪な労働条件の最貧国、しかし……
 世界の食糧は需要量と供給量だけを比べれば、食糧不足はないことになる。問題はその配分、欲しいけどお金が無くて買えない人がいることだ。最貧国の人たちの食糧がその国で生産されるのでも、あるいは他国から輸入されるのでも、国民にそれを買うお金があればいいわけだ。つまり国内総生産が向上して可処分所得が増えればいい。それが食糧生産でも、観光事業でも、輸送業でも、先進国への出稼ぎでもいい。 そしてその経営組織が国内資本によるものでも、外国資本でも、最貧国の人たちに職が確保されるならば、それをヨシとすべきだ。 当初は人件費の安さがその企業体のウリになる。ということは安い給料、劣悪な労働条件ということもあるだろう。先進国の余裕ある市民には許せないかもしれない。「劣悪な労働条件を改善せよ」との運動が起こるかも知れない。市民運動の目標としてはアピールしやすいものだ。そしてなかなか改善されない。だからいつまでも同じスローガンを唱えていられる。市民運動としては誰でも参加しやすい運動になる。
 キャッサバ、タロイモ、サツマイモなどを栽培していた農民や、焼き畑農業をやっていた農民が、先進国向けの付加価値の高い農産物を作り始めたとすると、そしてそれが先進国からの投資によって経営されるとしたら、安い給料・劣悪な労働条件となるだろう。しかしそれは先進国の安定した職場で働く人から見た職場だ。見る立場を変えると、評価も違ってくる。農業を取り巻く環境・その職場環境を普段と見方を変えて考えてみることにしよう。
<ビル・ゲイツのバイテク論> 『タイム』誌2000年6月19日号の21世紀展望特集に、コンピュータ界の巨人ビル・ゲイツ氏がバイオテクノロジーの人類への貢献についてエッセイを寄せている。ここではバイオテクノロジーは万能薬ではないと断ったうえで、今後バイオテクノロジーの恩恵を受けるようになるのは、食材の選択に多くの自由がある温帯国の金持ちではなく、毎日の食糧確保が大きな問題である開発途上国の人々だろうとしている。 組み換え遺伝子を使って米のベータカロチン含有量を増大させ、熱帯の消費者の体内でビタミンA不足を解消させる可能性について早くも言及しているのには印象づけられたが、私にはなにより、損害を被っている人の数では目下地球上最大の作物病害ではないかともいわれるアフリカのキャッサバモザイクウィルス病を組み換え遺伝子を使って解決できたら、人類史的貢献になるだろうと記述しているのには大いに感心させられた。 そして飢餓問題は分配の問題でもあるとしたうえで、じつはバイオテクノロジーも同じ問題を抱えていると喝破している。バイオテクノロジーの先端企業が金になるマーケットばかりに照準を合わせ、技術の恩恵を最も必要としている人々を素通りしてしまうことが目下の問題だとしている。ビル・ゲイツというアメリカ文化の権化のような人物からのメッセージであり、アメリカ文化の底深さを学ぶ感がある。 わが日本からもいつの日か、相撲の大関かJリーグの得点王で、バイオテクノロジーでも環境問題でもよいが、一般市民にも専門家にも感銘を与えるような意見が出てくることを心待ちにしたいものである。 (「自殺する種子」から)
 ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)という言葉がある。高貴な人にはそれなりの品格ある行動が必要だ、といった意味だ。事業を興し成功した人は、その事業に関することだけでなく、自分と取り巻く広く社会問題に対して、責任ある態度が必要だ、ということにもなるのだろうか?品種改良・遺伝子組み換えを扱った書物を読んで、ビル・ゲイツのような大変広い視野からの問題提起をした文章には出会わなかった。 この分野の専門家、視野狭窄が多いのではないか、と心配だ。それにしても、豊になった日本国民、そろそろ「ノブレス・オブリージェ」を意識してもいいと思う。諸外国の農民に対して、日本のコメ市場を開放してもいい頃だと思う。あるいは消費税を10%にして、1%は国連に寄付し、開発途上国のインフラ整備の使って貰う、そのような提案が出てきてもいいと思う。 「何が何でも消費税引き上げ反対」「ダメなことはダメ」そろそろそのような開発途上国型の見方は卒業しましょうよ。日本の周辺国を見回して下さい、日本人が豊になったことに気づくと思いますよ。
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<30歳前に社会主義者でない者はハートがない、30歳過ぎても社会主義者である者は、頭がない。> 貧困とは、厄介なものである。私が都市での教育について記事を書いていた時、シカゴのロバート・テイラー住宅団地近くの高校の校長が、そう言ったことがある。校長は、貧困と困窮のうちに育った子供たちを教育することの難しさを話してくれた。彼の話は、世界の現状を語っているのも同然であった。世界の多くの地域、訪ねたことはもちろん、思いもしないような場所は、絶望的なほど貧しい。 われわれは、それらの国や場所を豊にするのが当然である。経済学者によると、そうする一つの重要な道は貿易であるという。ポール・クルーグマンは「30歳前に社会主義者でない者は、ハートがない。30歳過ぎても社会主義者である者は、頭がない」との古いフランスの諺になぞらえて、グローバリゼーションをめぐる不安を次のようにうまく要約している。 (T注・Winston Churchill も同じ事を言っている。"If you are not a liberal at age 20, you have no heart. If you are not a conservative at age 40, you have no brain.")
 もしあなたが第3世界の国で作られた製品を買うならば、それは、欧米の基準からすると信じられないほど安い賃金で、しかもきっとひどい条件下で働く労働者が作ったものである。そうした事実を気にかけない者は、少なくともある期間、ハートがない。しかし、だからと言って、グローバリゼーション反対のデモ参加者が正しいというわけではない。これに対して、世界の貧困に答えるには、世界貿易に反対して憤慨するだけでよいと考える者は、頭がないか、頭を使おうとしないかである。 反グローバリゼーション運動は、自らが擁護すると称する人々とその主張を傷つける立派な記録をすでにもっている。
 世界貿易拡大の傾向は、しばしば、もはや阻止し得ない力だと言われる。そんなことはない。われわれは以前にもこの道を歩いてきたが、結局は戦争と政治のせいで世界貿易システムはバラバラに解体されてしまった。最も急速にグローバリゼーションの起きた期間は、19世紀末から20世紀初めであった。「A Future Perfect」(未来完了)の著者ジョン・ミクルスウェイトとエイドリアン・ウールドリッジは、次のように述べている。「この100年を振り返ってみると、多くの経済的手段から見て、世界が今日よりもグローバルであったことに気づく。 旅券なしに旅することができたし、金本位制が国際通貨であったし、技術(自動車、鉄道、船舶、電話)が世界をとてつもなく小さいものにしつつあった」。だが、悲しいかな、「そうした壮大な夢は、あの第1次対戦でのソンムの戦いで粉々に砕かれてしまった」と指摘する。
 政治的国境は、まだ重要な意味を持っている。各国の政府は、以前にしたように、グローバリゼーションにぴしゃりとドアを閉ざす恐れがある。そういうことは、豊かな国々にとっても貧しい国々にとっても同様に不名誉なことになるだろう。
(「裸の経済学」から)
 反グローバリゼーション運動の人たち、「先進国は最貧国の債権を放棄せよ」と叫ぶ人たち、社会主義に未練がある人たち、それならとことん社会主義にのめり込んで下さい。筋金入りのコミュニストになりませんか?中途半端でストレスが溜まっているのではありませんか?もう一度声を出して読んでみましょうよ、あの「共産党宣言」を、"The Communist Manifesto"を。"Manifest der Kommunistischen Partei"を。"МАНИФЕСТ КОММУНИСТИЧЕСКОЙ ПАРТИИ"を。  でどうぞ。
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<女工はほんとうに悲惨だったのだろうか?> 明治32年(1899)、横山源之助が「日本の下層社会」という本を著した。横山は著書の中で製糸女工について次のように述べている。
 足利・桐生を辞して前橋に至り、製糸職工に接し、更に織物職工より甚だしきに驚ける也。労働時間の如き、忙しきときは、朝床を出でて、直(ただち)に業に服し、夜業12時に及ぶこと稀ならず。食物はワリ麦6分に米4分、寝室は豚小屋に類して醜陋(しゅうろう)見るべからず(中略)しかして、1ヶ年支払う賃銀は20円を出ざるなり。
 こうした記録にもとづいて横山は、
 女子労働者の多くは、苦しい家計をたすけるために出稼ぎにきた小作農などの下層農家の子女であり、欧米とくらべると、はるかに低い賃金で、きびしい労働に従事していた。紡績業では二交代制の昼夜業が行われ、製糸業では労働時間は15時間程度、時には18時間におよぶこともあった。
 と嘆く。それを読んだ学生は、女工たちの悲惨を知り、女工たちへの同情で心をあつくしたのであった。
 昭和27年(1952)、学生であった私は、第2次大戦前の出稼ぎ女性について知るために、新潟県刈羽郡上小国へ聞きとり調査に言ったことがある。刈羽地方は戦前に製糸・紡績女工を多く出した地域であった。信越本線の「塚山」という駅で汽車を降り、そこから乗合自動車で谷間の曲がりくねった道をがたがたと進む。道すがら田畑で働くたくさんの人をみた。人々はみんな裸足で水田に入り鍬をふるっていた。 その風景を眺めながら、小学校を終えたばかりの少女たちが峠を越えて出稼ぎに行く姿と、それを見送って手を振る貧しい身なりの父母の姿を頭にえがいた。そしてわたしは、このむらで意外な「女工哀史」に出会ったのである。
 月給をもらって、自分の欲しかった着物を買ったときのよろこびは格別でした。それから工場は休みがあるでしょ、休みの日にはだれに気兼ねすることもなく友だちと町へ遊びに行きました。紡績へ行っているときが人生で一番自由なときでした。
 年老いたその女性はさらに言葉をついで、「寄宿舎には電気がついていますし、食べ物も家で食べるよりははるかに良かったですもん」と語った。紡績工場ひ出稼ぎに行った女性たちの感想は、わたしがえがいていた「女工哀史」の世界とはまったく別のものであった。 低賃金と長時間労働のもとで働かされているのは客観的な事実であるなずなのに、目の前には、自分の欲しい着物を買ったよろこびにひたっている女性がいたのである。そのときわたしが出した結論は、彼女たちは資本家にだまされているのだ、という単純明快なものであった。調査参加者のだれもがそう思っていた。
 労働者は資本家に搾取されているのだろうか?  大学を出て高等学校の教師になって、昭和56年に佐渡相川町稲鯨を調査に訪れたことがあった。そのとき高野さんと岩崎さんという二人の女性から出稼ぎの話を聞いた。
 稲鯨は背戸時代のはじめ奇襲御坊の岩崎村から佐渡へやって来た人たちがひらいた漁村で、岩崎を姓とする家が多かった。高野さんは明治42年の生まれで、13歳のとき滋賀県の紡績工場に働きに行き、4年間そこで働いた。岩崎さんは明治41年生まれで同じく彦根の紡績工場で2年間働いた。そののち岩崎さんは佐渡に帰り、今度は漁に出かける人たちといっしょに番屋の「飯炊き」として青森県の下北へ行った。函館のあいむかいに「大畑」という村があった。そこに番屋を借りて、親方以下7人の若衆が住み込んでイカ漁をし、 それを干しイカに加工した。干しイカは函館へ運ばれていった。
 下北での飯炊きの仕事はほんとに楽しゅうございました。なにせ、自分がとったお金で、自分のもんが買えましたからのう。稲鯨へ帰えらんで、まだしばらくあそこで働いていたいと思いましたが、親の言いつけで仕方なく村に帰りましたがさ。(昭和56年、著者聞きとり)
 学生のとき「労働者はみんな資本家にだまされていた」というまとめをしたことを思い出して、さて、それで良いのかと考え始めたのは、この漁師の村で二人の話を聞いてからである。
 わたしはこれまで、小学校を出たばかりの少女たちが紡績工場に送りこまれ1日15時間もの労働を強制されたことを、「欧米とくらべるとはるかに低い賃金できびしい労働に従事させられていた」とだけ理解していた。しかし、そう考えただけではその向こうに悪徳資本家の顔しか見えてこない。
 考えてみれば、紡績女工の悲惨は女工たちだけの問題にとどまるものではない。同じとき村には、薄明かりの中で起き出し霜を踏んで野良に出かけ、日が沈んで星をいただいて帰るという農民の生活があった。きびしい労働に従事していたのは女工たちだけでなく、農民も職工も、労働に従事するすべての日本人が長時間労働と低い賃金のもとで苦しい生活にあえいでいたのである。それゆえ、女性たちはみずからの長時間労働や低賃金について特別に思い悩むところがなかったのである。
 わたしたちはそこのところを考えることなしに、当時の先進国との直接比較によって問題を論じたから、女工たちに限りない同情を寄せ、かつ労働者の覚醒を議論することになったのである。しかしこのような論理の組み立て自体が勝者の理屈かもしれない。こんにちでも世界各地には低賃金と長時間の労働に従事している人々が存在する。その人たちに向かって、「だまされている」とか「目覚めよ」と言うことが妥当なのかどうか。わたしにはそれは、いささか非歴史的な行為のように思えてくるのである。
 最も重要なことは、家を出て工場へ出稼ぎに行った女性たちが、みずからの力で「家」(家族制度)からの解放を体験したという事実ではなかったのか。「家」から出てみずからの手で金をにぎりしめ、それで自分の欲しいものを買いに行った女性たちの喜びにこそ目を注ぐべきだはなかったか。そのことを認識することが、歴史を正論という勝者の観念から現実に引き戻す第一歩なのである。
(「村からみた日本史」から)
 最貧国がグローバリゼーションによって開発途上国に進化し始めると、「多国籍大企業が、劣悪な労働条件によって搾取している」との批判が出るかもしれない。アジア諸国での開発が進むとき「日本のODAによって自然破壊と、住民を追い立てる開発が進んだ」との日本人からの批判があった。ODAへの批判がカッコー良く思えた人もいたに違いない。しかし日本の援助によるインフラ整備によりアジアは発展し続けている。 労働条件についても同じ様な批判が出るだろう。アフリカ諸国が少し前のアジアの状況に似てくれば、賃金、労働環境、自然破壊、住民追い立て、等について先進国の生活に余裕ある人々が発言し始める。現地の人たちは社会の変化を黙って受け入れて、徐々にだが豊になっていく。
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<単純な話だが、最低賃金を引き上げると、失業者は増加する> 労働コストの上昇は雇用を減少させる。まさにこの論拠に立って、クリントン大統領の連邦最低賃金引き上げ提案を拒否すべきである。最低賃金が引き上げられると、技能の乏しい労働者の雇用機会はなおいっそう減るだろう。ティーンエイジャー、高校中退者、移民、その他の低技能労働者のなかには、いま提案されている新最低賃金、つまり時間あたり5.15ドルさえも稼げない者が多い。彼らは小さな事業所、とくにファーストフードのチェーン店やそのほかの小売り部門に職を見つける。大統領が望むように最低賃金を引き上げれば、そうした者のなかから失業者が出るだろう。なぜなら彼らの生産性は、雇い主にとっての労働コストに見合わないからだ。
 過去数十年のあいだに行われた多くの研究は、最低賃金の引き上げはティーンエイジャーやそのほかの低技能労働者の雇用を減少させることを検証してきた。だが最低賃金法は、労働組合員や多くの政治家のあいだで人気を維持してきている。また最低賃金制の有害性を指摘する支配的な見方に対して、何人かのエコノミストが、時折異議を提起してきた。
 重大な欠陥  こうした挑戦とも言える異議のなかで、多くの人びとに引用されている最近のものは、デビッド・カードとアラン・B・クルーガー(後者は現在労働省のロバート・B・ライシュのチーフ・エコノミストである)の2人のプリンストン大学エコノミストが行ったいくつかの研究に由来する。1つの研究が見出した点は、最低賃金引上げ後の雇用の状況を調べると、低賃金労働者の多い州(もっとも強い影響を受けるはずの州)でより大きな変化があったとは言えないことである。
 もう1つの研究は、ライシュやその他の行政当局の人びとが、高い最低賃金は雇用を減少させない、という議論を強化するためにひんぱんに言及しているものである。それは、ニュージャージー州が1992年に自州の最低賃金を引き上げたあとでの、ニュージャージー州とペンシルバニア州におけるファーストフード・レストランでの雇用の変化を比較した研究である。そのなかでカードとクルーがーは、両州での雇用の減少が双方同程度であったことを論拠として、雇用減少は最低賃金引き上げとは別の要因のせいに違いないと論じている。
 一方、こうした研究には重大な欠陥があると考えるエコノミストがおり、私もその一人である。この欠陥のうちいくつかは、テキサス農工大学のドナルド・R・ディーアとフィアス・R・ウェルチおよびシカゴ大学のケビン・M・マーフィが1995年1月の米国経済学会の年次総会で報告した研究のなかで、明確に説明されている。 たとえば、1990年と91年の連邦最低賃金引き上げで、ニュージャージー州のティーンエイジャーの雇用は、ペンシルバニア州のそれに比べてより大幅に減少した。そしてこの点こそ、ニュージャージー州が1992年に州独自の最低賃金を引き上げた時点で、同州の雇用がペンシルバニア州に比べて大きく減少しなかった理由を説明する。その前に実施された連邦最低賃金の引き上げに反応してニュージャージーの雇い主が雇用を大幅に縮減したとき、多分彼らは自州の最低賃金引き上げが実施されることを予期して行動したのであろう。
 相争う研究  カードとクルーガーの研究には欠陥があり、、彼らによって、最低賃金引き上げがこように相当のマイナスの効果を及ぼすことを検証した長年にわたる多くの研究結果が覆されたとするのは不当である。ディーアとマーフィーとウェルチの研究は、1990年と91年の2段階で実施された3.35ドルから4.25ドルへの連邦最低賃金の引き上げが、ティーンエイジャーや高校中退者やそのほかの低賃金グループの雇用を減少させたことを示している。 雇用減少の規模に関して言えば、彼らは当時のリセッションの影響も十分考慮して推定しており、おおむね正確である。最低賃金が27%引き上げられた後に、男子および女子のティーンエイジャーの雇用はそれぞれ12%および18%減少した。一方、高校中退者の雇用は6%縮小した。この推計が意味するところによれば、もし議会が最低賃金を18%引き上げて時給5.15ドルにすれば、低技能労働者の5%以上減少することになろう。
 クリントン大統領は賃金水準引き上げを正当化するために、最低賃金所得では家族はまともな生活ができないことを強調している。しかしカードやクルーガーでさえ、最低賃金の引き上げが貧困を減らす有効な方策とは見ていない。なぜなら典型的な貧困過程の場合、最低賃金に近い水準の賃金を得ているメンバーには、家族所得のほんの一部を頼っているにすぎないからである。 大統領は、低技能労働者向けに実施される企業内訓練に対する補助金も増額したいとしている。だが、もしクリントン大統領が連邦最低賃金引き上げの提案を撤回するならば、この補助金の増額も不要ということになろう。低技能労働者は生産というよりむしろ学習に時間を費やしているゆえ、労働コストを上昇させる最低賃金に引き上げは、彼らに対する企業内訓練を抑止することになるからだ。
 最低賃金の引き上げが雇用を減少させるという経済法則を無効にすることは、たとえ魔法使いであれ大変難しい。いわんや政治家は魔法使いではないのだから、この経済法則に逆らうことを試みるできではない。
(「ベッカー教授の経済学ではこう考える」から)
 「正義」とはなにか?「不平等」はどこまで許されるか?そうした問いに答えて、次のような考えがある。社会の中で最も恵まれない人に基準を置き、その人たちの生活条件を最も幸せにするような政策が正義に適う、というものだ。この対極にあるのが「さきに豊になれる者から豊になる」との政策。 格差原理と呼ばれるこの発想に基づいて、低技能・低賃金の人たちを考えて「最低賃金法」が考えられた。ところが「最低賃金法」が発効すると上記のような状況になった。
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<都市破壊の元凶を暴く――家賃規制の経済学> 「最低賃金を引き上げると、失業者は増加する」というケース、「重債務国の債務を帳消しにすると、民間投資がなくなって、かえって貧しくなる」というケース、「自由貿易は先進国だけの利益にある、と主張し、保護貿易にすると開発途上国は貧しいままに置かれる」とうケース、ハートがあっても頭を使わないとこうなる。同じようなケースをもう一つ、「家賃規制の経済学」を紹介しよう。
 ロサンゼルス近郊の美しい海岸線で囲まれたサンタモニカの町を散策してみると、奇妙なまでの対照ぶりに気がつく。どこでもよい。街の一角に立って眺めると、荒れ果て、修理されぬままに放置された賃貸住宅が、500,000ドルもする邸宅に隣り合っている。また別の街路では、高級車の販売店やハリウッドの映画スターに最新流行の衣装を売るトレンディな商店の横に、やはり放棄された誰も住まない共同住宅が並んでいる。 エッ、不思議な話だ、だって?そう、でも、サンタモニカ人民共和国として知られるこの町では少しも不思議な話ではない。厳重な家賃規制のため、家屋の所有者は建物を売り払うこともままならず、余儀なく空き家にして荒れるにまかせてしまう。サンタモニカではこんな事例が日常的に発生しているからだ。
 サンタモニカから3,0000マイルの東、ビッグ・アップル(大きなリンゴ)と愛称されるニューヨーク市でも毎月2,000戸もの住宅が放棄されている。家賃規制によって強いられる損失に耐えきれなくなった家主が余儀なくそうしているわけだ。ネズミと短時間立ち寄るコカイン密売人以外は誰も居住する者のいない放棄住宅を、ニューヨーク市政府はいまでは150,000戸以上も所有している。その一方で、同市は200,000戸の賃貸住宅の不足(「住宅ギャップ」)に直面している。家賃規制で新規の貸家建設が抑制されてしまうからだ。 しかし、市所有のアパートが住居可能な状態なら、このギャップは現行の統制家賃のままでも容易に縮小できる。
 家屋の所有者が請求することのできる家賃額を地方政府が指示できるシステム――なんらかの形で家賃規制を実施している全国200余の市や町では、この種の物語はごく日常茶飯事だ。管理不良の賃貸住宅、放置されたアパート、過密の共同住宅に詰め込まれた借家人、家賃統制監督官で肥大した役所、誰も貸し手のいないホームレスの家族たち。いつでも、どこでも原因は同じ。家賃上限の法的規制だ。(中略)
 一般的にいえば、自由競争の住宅市場で何らの妨げなしに変動することで、家賃(賃貸価格)は3つの主要な機能を果たす。第1は、価格が現存する稀少な住宅を競合する入居希望者に配分する。第2に、価格が現存する住宅の効率的維持を促進し、適切な場所に建設する刺激剤になる。第3に、価格は需用者による住宅の使用を割り当て、稀少な住宅の滅失を防ぐ。家賃の統制は賃貸価格がこれらの機能を効果的に果たす上で妨げになる。(中略)
 家賃統制による荒廃は資本主義国家に限られるものではない。このことは注目に値する。広く報道された最近の記者会見でヴェトナム外務大臣のグエン・コ・タクは、社会主義というロマンチックな概念がヴェトナム戦後の同国経済を破壊したと言明した。タク氏はまた、家賃統制は人為的に需要を刺激し、供給を抑制したので、その結果ハノイの住宅全部は修理されないままになったとも述べた。その上で、タク氏はこう結論した。「アメリカ人はハノイを破壊できなかったが、低家賃がこの町を破壊したのだ。 このような愚かな政策は変更されなければならない。われわれはそのことをよく理解している」サンタモニカ人民共和国がこのことに気付くのはいつのことやら。
(「経済学で現代社会を読む」から)
 30歳前で、ハートが熱くなっていても、それで社会の中で最も恵まれない人が豊になる政策が実行されるとは限らない。「最低賃金法」も「家賃規制」も逆の結果を生んでいる。30歳を過ぎたならば、頭を使いましょう。conservative になることです。
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<資本主義とビッグビジネス> 1959年6月アルゼンチン、ペロン亡命後の政治経済は混乱していた。そこへルートヴィヒ・フォン・ミーゼスは招かれてブエノス・アイレス大学で講演をした。それは資本主義・社会主義・干渉主義・共産主義・ファシズム・経済政策ならびに独裁の危険についてだった。その講演からの一部を引用しよう。
 今日、インドなどのような開発途上国のことを論じる場合、18世紀のイングランドはもっとひどい状態にあったことを忘れてはなりません。当時イングランドの人口は6,7百万人でしたが、そのうち百万以上恐らく2百万人以上は、それまでの社会制度では養えない貧しいのけ者でした。このような人たちをどうすればよいかが、18世紀のイングランドの最大問題の1つだったのです。
 もう1つの大きな問題は原料の欠乏でした。工業や住宅暖房に必要な木材をこれ以上森林から伐採できないとすると、今後どうしたらよいだろうか、という問題を、英国人は真剣に考えなければなりませんでした。支配階級にとって、事態は絶望的でした。政治家はなすすべを知らず、支配者であるジェントリの人々はどうして事態を改善してよいか、まったくわからなかったのです。
 このような社会状勢の中から近代資本主義の萌芽が生まれました。物を作れる小さな工場を設けるために組織を作ろうとする人々が、のけ者や貧民の中に出てきたのです。これは1つのイノベーションでした。このような革新者は上流社会だけを対象とした高価な品物は作らず、だれにも必要な安物を作りました。これが今日のような資本主義の起源でした。それが資本主義的工業の根本原理である大量生産の発端だったのです。
 これこそ、大量生産システムが高度に発達している国のすべてに、今日でも存在している資本主義の根本原理なのです。いわゆる左翼の最も狂信的な攻撃目標であるビッグ・ビジネスは、ほとんど大衆の欲望だけを満足させています。富裕階級のためだけに贅沢品を生産する企業は決してビッグ・ビジネスの城に到達できません。しかも大工業で造られた製品の主な消費者は、そのような工場で働いている人たちなのです。 資本主義の生産原理と、それ以前の封建主義の原理との根本的な相違がここにあります。
 ビッグ・ビジネスの製品の生産者と消費者とは別人であると思ったり、主張したりするのは、非常な誤りです。アメリカの百貨店では「お客様はいつも正しい」というスローガンを耳にしますが、このお客様は、百貨店で売られている商品を工場で造っている人と同じなのです。 ビッグ・ビジネスの力が巨大だと思っている人も間違っています。ビッグ・ビジネスはその製品を買ってくれる人たちの哀願に全面的に依存しています。最大の企業であっても、その顧客を失えば、その勢力も影響力も失うのです。(中略)
 資本主義の発達は、だれもが顧客に対してより良く、より安く奉仕する権利を持っているお陰であります。しかも、この方法やこの原理が比較的短期間に全世界を変えてしまい、世界人口をこれまで経験しなかったほど増加させたのです。(中略)
 以上が資本主義の実体なのです。したがって、もし英国人――この問題については世界のどの国の人であっても――が、今日、その友人に向かって自分は資本主義に反対だと言ったとしたら、こう答えたらよいと思います。 「ご存じのように今や地球の人口は資本主義以前の時代の10倍になり、今ではすべての人が資本主義以前の時代のあなたの祖先よりも高い生活水準をエンジョイしています。しかし資本主義がなかったとしたら、10人のうち生き残れた1人の中にあなたが入れたかどうか分かったものではありません。あなたがご自分の生命を貴重なものとお考えになろうとなるまいと、今日生きていられる事実こそは、資本主義が成功した証拠なのです」と。
(「自由への決断」から)
 第二次大戦までアルゼンチンは豊かな国だった。戦後ペロン大統領の労働者への人気取り政策=社会主義政策をとったことにより経済は破綻した。国民は理想的な社会政策だと思っていた社会主義により経済が行き詰まったことに驚き、どうして良いのか分からなかった。そうした時期にミーゼスは招かれ講演した。ソ連をはじめ東欧諸国は健在な時期にミーゼスはなぜ資本主義なのかを説いている。このHPに引用した、他の文章に比べれば突っ込みの浅い、基本的な事だけども、だからこそここで資本主義社会をしっかり理解しておきたいと思いここに引用した。
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<主な参考文献・引用文献>
自殺する種子 遺伝資源は誰のもの?                         河野和男 新思索社    2001.12. 3
裸の経済学                        チャールズ・ウェーラン 青木栄一訳 日本経済新聞社 2003. 4.23
村からみた日本史                                  田中圭一 ちくま新書   2002. 1.20
ベッカー教授の経済学ではこう考える G・S・ベッカー、G・N・ベッカー 鞍谷雅敏・岡田滋行訳 東洋経済新報社 1998. 9.17
経済学で現代社会を読む                  ダグラス・C・ノース他 赤羽隆夫訳 日本経済新聞社 1995. 2.20
自由への決断                   ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス 村田稔雄訳 広文社     1980.12.25
( 2004年3月8日 TANAKA1942b )
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(30)有閑階級の恋愛と贅沢と資本主義
正義と嫉妬と不平等の経済学
<資本主義が成功した証拠と要因> ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスは「ご存じのように今や地球の人口は資本主義以前の時代の10倍になり、今ではすべての人が資本主義以前の時代のあなたの祖先よりも高い生活水準をエンジョイしています。しかし資本主義がなかったとしたら、10人のうち生き残れた1人の中にあなたが入れたかどうか分かったものではありません。あなたがご自分の生命を貴重なものとお考えになろうとなるまいと、今日生きていられる事実こそは、資本主義が成功した証拠なのです」と言っている。 では資本主義が成功したその要因は何なのだろうか?真面目なプロテスタントが資本主義を育てたのか?あるいはユダヤ人のセンスがポイントなのか?先人たちのユニークな意見を聞いてみよう。
 人類が農業を開始し、都市をつくり、国家をつくり、貨幣を使って商業・貿易をするようになった時に文明が登場した。都市、国家、市場が一揃いになったものが文明だということができる。そして人間が市場で貨幣を使って行われる交換について考えるようになった時、経済思想や経済学と呼べるものが登場する。
 市場では、貨幣を使った交換が行われるが、それを一定のルールにしたがって行われるゲームと見ることができる。この市場のゲームの中には、生活のために必要なものを買ったり、生活のために必要なカネを手に入れるために何かを売ったりするゲームも当然含まれるが、そのほかに、貨幣を増やそうとする金儲けのゲーム、すなわち「マネー・ゲーム」が含まれている。貨幣を使う交換のゲームがあるところには、かならずマネー・ゲームも登場してくるもので、それが資本主義である。 こう考えると、資本主義は市場とともに古代から存在し、洋の東西を問わずに存在したと言わなければならない。産業革命以後のヨーロッパに登場した工業と結びついたものだけが資本主義であるかのように見るのは、マルクスが広めた特殊な見方にすぎない。市場で取引する人々は「交換の正義」に従いながら自分の利益を追求する。まずは市場で必要な財やサービスを手に入れることから始まって、所得を稼ぐこと、さらには金を儲けることがその目的となる。
 バーナード・マンデビル(1670-1733)「蜂の寓話」 市場で取引する人々は、「交換の正義」に従いながら自分の利益を追求する。まずは市場で必要な財やサービスを手に入れることから始まって、所得を稼ぐこと、さらには金を儲けることがその目的となる。このような私益追求以外に目的のない社会システムは可能なのか、また無制限な私益追求はどのような結果をもたらすか、といった問題に対して、古代・中世の思想家たちの答えは否定的なものであった。ヨーロッパの近世以降に現れた「ユートピア」の構想も、私益追求と競争を原理とする現実社会を否定することから出発していた。
 個人の自由な私益追求が全体として好ましい結果をもたらすという主張は18世紀になってようやく現れる。その正統的な主張はフィジオクラート(重農主義者)とアダム・スミスに代表されるが、マンデヴィルはそれに先だって、逆説的な表現でこのことを述べていたのだった。
 マンデヴィルの「蜂の寓話」によれば、スリ、偽金づくり、藪医者、弁護士、僧侶、そして正義の女神にいたるまで、人間は欲のためにありとあらゆるいかがわしい商売に夢中になっているが、 かように各部分は悪徳に満ちていたが 全部そろえばまさに天国であった と進んでいく「蜂の寓話」。その一部を引用しよう。
  あるひろびろとした蜂の巣があって
 奢侈と安楽に暮らす蜂でいっぱいだった。
 けれども法律や武力で名高いことは
 蜂の大群を早く生むことと同じだった。
  …………………
 詐欺師や食客や女郎やバクチ打ちや
 掏模や偽金づくりや藪医者や占い師や、
 まっすぐ働くことをひどくきらい
 人がよくてうかつな隣人の労働を
 自分たちのために役立たせようとし
 こうかつに細工をほどこす手合いどもだ。
 こんな連中が悪者と呼ばれたのだが
 名前のほかは堅気の者も変わりなかった。
 詐欺を知らない商売や地位はなくて
 いかなる天職にも欺瞞があったのだ。
 弁護士がいつもきまって打つ手は
 不和をかもして事件をこじらせることで、
 医者は名声や富を重んじ
 腕前や弱った患者の健康はあとまわしで、
 天から祝福を得るため雇われた
 ジュピター神信仰の数ある僧侶のなかに
 博学で雄弁な者も少しはいたが
 あとの何千かは激しやすく無学だった。
 戦をしいられた兵士たちは
 生き残るとそれで名誉を獲得した
 敵と戦った勇敢な将軍もいれば
 賄賂をもらって見逃したものもいた。
 大臣たちは国王につかえたていたが、
 悪者よろしく詐欺をはたらいた。
 ……………………………………………
 公正なことで名高い正義の女神さえ
 目隠しはしても感情はそのままだった。
 左手には天秤もっているべきなのに
 黄金で買収されてたびたびおとした。
 ……………………………………………
 かように各部分は悪徳に満ちていたが
 全部そろえばまさに天国であった。
 こうして悪徳は巧妙さをはぐくみ
 それが時間と精励とに結びたういて、
 たいへんな程度にまで生活の便益や
 まことの快楽や安楽を高め、
 おかげで貧乏人の生活でさえ
 以前の金持ちよりよくなって
 足りないものはもうなかった。  
  (「蜂の寓話」・「経済学の巨人たち」から)
 ヴェルナー・ゾンバルト(1863-1941)「恋愛と贅沢と資本主義」 ゾンバルトは最初マルクスに同調して「社会主義と社会運動」という本を書いたが、やがて反マルクスの立場に変わっていった。1911年にはマックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の向こうを張って、「ユダヤ人と経済生活」を書いた。この本で彼は次のように言っている。
 近世以降のヨーロッパでは、ユダヤ人の移動とともに経済の興亡が見られる。スペイン、ポロトガル、はユダヤ人を追放してから衰退し、ユダヤ人が移住したオランダ、イギリスに資本主義の中心が移った。そしてユダヤ人は近代国家の形成にも深く関与してきた。ゾンバルトによれば、「ファウスト」(すなわち近代国家の名主)は「メフィストフェレス」(すなわちユダヤ人)なしには考えることができない。 ユダヤ人は「市場の血液」であるカネを支配し、有価証券の市場を創出し、工業をはじめとして経済生活のすべてを「商業化」した。つまり資本主義と呼ばれるマネー・ゲームの普遍的な形式を確立したのであった。
資本主義とはユダヤ的なもの ユダヤ人のマネーゲームのスタイルは、個人的なコネに頼ったり、既得の経済的 ナワバリを守ったりすることをよき秩序だと称するような、規制・保護重視のスタイルとは真っ向から対立するものだ。それは今日騒がれているような「価格破壊」「規制破壊」を当然とする競争の論理そのものであり、ゾンバルトによれば、自由主義、資本主義、市場経済とはユダヤ主義に他ならない、それはキリスト教徒の前資本主義的なスタイルとは異質なものであるだけに、激しい反発を買うことになった。
 この反発ぶりには、「日本的秩序擁護論者」「尊農攘夷論者」が規制緩和や市場開放に抵抗している日本の現状に似ている。実は、これまで資本主義をやっていなかった日本にも、ようやく本物の、つまりユダヤ流の資本主義の波が押し寄せているのだ。これを非難して「日本のよさ」を守ろうとするのは、攘夷によって鎖国しようとするのに似ている。それを好むかどうかには関わりなく、歴史を見る限りでは、国境を越えて広がるユダヤ的な資本主義、自由主義に抵抗して別の道をとることは、結局不可能だと思われる。 かつて「日本人とユダヤ人」という本が話題を呼んだが、今や日本人も「ユダヤ人になる」ことを迫られているのではないか。ここのところを多くの日本人は誤解している。「これまで金儲け中心でやりすぎた、これからは日本人のよさを見直して、競争よりも協調を大切にし、「共生」の倫理を掲げて生きていかなければならない」などというのは話が逆で、本物の金儲けを始めるのはこれからのことなのだ。
贅沢こそ資本主義の華 「良いものを安く作り大量に売る」ことこそ資本主義の王道である、という思いこみは100パーセント正しいわけではない。もちろん、このスタイルで大挙して世界中に進出し、いたるところで摩擦を起こした日本型の資本主義は、ある時期から妙な反省に陥り、「共生」の倫理を掲げなければならない、などと言っている。しかし、資本主義とはきわめて単純なもので、競争の中で優位を確保したものだけが生き残れるのであり、これに合致しないところに倫理の砦を築いてみても、そんなものは通用しない。 つまりは、真似のできない奢侈品やハイテク製品で独占的優位を確保して高く大量に売り、できるだけ大きな利潤を手に入れることが実は王道なのだ。
 贅沢なものや新製品が売れるためには、誰かが贅沢をするなり新しいものを次々に欲しがるなりして、盛んに買ってくれなければならない。王侯貴族か大富豪か、あるいは一億総中流の階層か、バブルに浮かれる庶民か、いずれにしても需要面で火を焚き付けてくれる者がいなければならない。マックス・ウェーバーの言う禁欲的な企業経営者や、石田梅岩のいう倹約に徹する商人だけでは、資本主義を引っ張る力が不足する。資本主義のゲームが行われる市場には、生活必需品を大量に買ってくれる庶民の他に、いわばディマンドサイドのパトロンである王侯貴族や大富豪が存在しなければならない。彼らは消費のイノベーションの推進者、つまり新奇なものを真っ先に買い、流行に火をつけ、かつ庶民に羨望や模倣、追随の欲望を引き起こす人々なのだ。
 ゾンバルトは「恋愛と贅沢と資本主義」で高等娼婦たちがアヴィニヨンの教皇宮廷、イタリア諸侯、イギリスとフランスの宮廷に進出し、さらにはブルジョアたちの愛妾となっていった過程を述べている。ルイ14世はその愛妾のためにヴェルサイユ宮殿を建てたほか、女道楽と贅沢のために国家財政の3分の1を費やした。王侯貴族に劣らずブルジョアたちも女遊びのためにカネを支出し、その情事の場として劇場、高級ホテル、レストランなどが続々と出現した。女性のおしゃれに関する絹織物、レース、毛織物、鏡、帽子、陶器などの製造業もこうした贅沢とともに成長した。要するにゾンバルトは、資本主義を呼び出したのは贅沢であり、贅沢の原動力は女性であるというのだ。 この本は、「こうして、すでに眺めてきたように、非合法的恋愛の合法的な子供である奢侈は、資本主義を生み落とした」という言葉で終わっている。 (「恋愛と贅沢と資本主義」・「経済学の巨人たち」から)
 ソースタイン・ヴェブレン(1670-1733)「有閑階級の論理」 アダム・スミスの「国富論」が1776年に出版されてから1世紀、19世紀後半は資本主義経済の沸き立つ時代だった。21世紀の現代以上に自由な市場経済システムだった。ヨーロッパでは未だ階級制度は根強く残っていたが、アメリカは過去の束縛から解き放たれていた。この国は、家名や出目による秩序に根っから反対だった人たちによって築き上げられただけでなく、個人の独立と個人の功績を重んじる精神が国民のなかに深く染み込んでいた。アメリカでは、自分の行ったことがありのままに評価され、成功するのに家系学者のお墨付きなど必要としなかった。したがって、アメリカはニューイングランドの薄暗い苦汁工場と、イギリスの陰鬱な工場とではあまり大きな相違はなかったものの、工場主の一挙一動に目を向ければ、かなりの違いが見られた。 それというのも、ヨーロッパの資本家は相変わらず封建的な過去の影にとらわれていたのに対して、アメリカの金儲け屋たちはさえぎるものなき陽の光を浴び、権勢欲や心ゆくまでの富を享受することを妨げるものはなかったからだった。19世紀後半の沸き立つ時代にあって、アメリカではお金が社会に認められるための踏み石であり、相応の富というパスポートを取得すれば、アメリカの大金持ちは上流階級に入るためのそれ以上のビザを必要としなかった。 さて、こうした見方はごく常識的な歴史観だが、ヴェブレンはこうした見方とはまったく別の視点から社会を見ていた。ヴェブレンの「有閑階級の理論」( The Theory of the Leisure Class )は顕示的閑暇( Conspicuous Leisure )、顕示的消費( Conspicuous Consumption )、金銭的な文化の表現としての衣装( Dress as Expression of the Pecuniary Culture )、古代的特質の保存( The Conservation of Archaic Traits )など、翻訳者を悩ます言葉が多く、「これが経済学の本なのか?」と思う読者も多いに違いない。そこで内容はともかく、どのような文章なのか、少し引用してみよう。
第3章 顕示的閑暇  いまおおざっぱに述べたような金銭的闘争の直接の効果は、もしその作用がその他の経済力や見栄をきそう過程のその他の様相によってさまたげられないものとすれば、ひとびとを勤勉にし節約的にするものであるに違いない。下層階級にかんするかぎり、このような結果がある程度まで現実におこってくる。かれらが財貨を獲得する普通の手段は、生産的労働であるからである。このことは、農業的産業段階に立っている定住共同体の労働階級について、いっそう特別に当てはまる。そこでは財産のかなりの細分化がおこなわれ、またその社会の法律や収監は、これらの階級に、その勤労の生産物の多かれ少なかれきちんとした分け前を保証しているからである。 これらの下層階級はいかなる場合にも労働をさけることができない。だから、かれらにとっては、少なくともかれらの階級の内部では、労働を引き受けることは、はなはだしく名誉を傷つけることではない。むしろ、労働はかれらの公認の生活様式であるから、かれらはその仕事に有能であるという名声のなかに、ある種の見栄による誇りをいだく。けだし、これこそしばしば、かれらにゆるされた見栄の唯一の方向であるからである。生産的能力や節約の分野においてだけ、獲得や見栄をおこなうことができるひとびとにとっては、金銭的名声を争うことは、ある程度、勤勉や吝嗇(りんしょく=極度に物惜しみすること)の増大をもたらすであろう。しかし、後に論ずるはずの見栄をきそう過程のある種の第2次的様相が入り込んできた、たんに上層階級のあいだばかりでなく、金銭的に劣等な階級のあいだにも、このような方向の見栄を、きわめていちじるしく限定し修正することとなる。
 しかし、われわれがここで直接に関心をもっている上層の金銭階級については、事情がちがっている。この階級にたいしても、勤勉や節約の誘因がないわれではない。しかし、その作用は第2次てきな金銭的見栄の要求によって、はなはだしく限定されるために、この方向への傾斜は、実際にすべて抑圧せられ、また勤勉への誘因は、すべて効果がなくなる傾向がある。このような第2次的な見栄の要求のもっとも絶対的なものは、生産的な仕事をさし控えようとする要求である。このことは、野蛮文化の段階に特別な程度に当てはまる。掠奪文化の時期には、労働は、ひとびとの思考習慣のなかで、弱いということや、主人への服従と結びつけて考えられるようになる。このような伝統のために、労働は賤しいものと思われ、そしてこの伝統はけっして消え去らなかった。それどころか、社会的分化の進歩とともに、それは、古く、かつ疑問の余地がない慣例のおかげで、格率のような力をえた。 (「有閑階級の論理」・「世俗の思想家たち」から)
 ヴェブレンを「営利企業の理論」から制度派の祖とする見方が定説のようだが、ここではマンデビルやゾンバルトと同じように「資本主義とはマックス・ウェーバーの言うような禁欲的な社会ではなく、人々の欲望が十分満たされるような仕組みになっている社会だ」との考えの一つ、と捉えた方がいい。そのように考えた方が、経済学が面白くなる。専門家の見方はそれとして、アマチュアはそう考えて、経済学で楽しむことにしよう。
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<嫉妬は平等を求める> 今、3人の人間 A B C からなる社会を考えてみよう。3人が獲得する所得(又は富)は、それぞれ 3 2 1 であったとする。これが変化して、4 2 1 となったとすれば、これは状態が「改善」されたことになるのか?それとも悪くなったと言うべきだろうか?
 この変化を簡単に、@( 3 2 1 )⇒( 4 2 1 )で表すことにしよう。
この社会の外にいる「公平な観察者」(アダム・スミスのいう impartial spectator )なら、これをある種の改善と見るであろう。なぜかと言えば、 B C の状態が現状のままである時、少なくとも1人、この場合は A の状態だけは改善されているのだから、この社会の状態は第三者から見て明らかによくなっている。社会全体の所得(富)も以前より増えている。
 これに対して、平等を何よりも重視する立場を観察者なら、もっとも恵まれない C に同情し、A や B ではなく、まず C の状態が改善されることに関心を示す。この場合は C の状態は改善されず、もっとも恵まれていた A の状態がさらに改善されて、この社会の所得な格差、あるいは「不平等」は一段と拡大されたことになる。そたがって、このような変化は、この社会の改善ではなく改悪である、というふうに主張するであろう。また、C は(おそらく B も)このような意見に同調して、格差の拡大を非難するであろう。当事者のこの非難には、嫉妬の情が含まれている。金持ちの A がますます金持ちになることは我慢できない、というわけだ。「他人の不幸は自分の幸福」という嫉妬の原理からすれば、 A( 3 2 1 )⇒( 2 2 1 )のような変化こそ「改善」になる。B も C も、A が貧しくなったことを愉快とし、満足を覚え、したがって社会は「穏やかな気分」に満たされることであろう。社会の」全所得は 6 から 5 に減ったけれども、格差は縮まり、より平等化したのであるから、この方がよい、というわけなのだ。孔子の「寡(すく)なきを患えず、均しからざるを患う」という言葉も、このような「貧しくても平等な方がよい」という立場を表明したものと言える。
 しかし誰の肩ももたない「第三者的な」観察者は、このようなAのような変化を「改善」だと見るだろうか?嫉妬で足を引っ張り合う愚かな人々の「自己満足」を嗤うのではないだろうか。
 それでは、( 3 2 1 )という状態を、政府が強制的に修正して、B( 3 2 1 )⇒( 2 2 2 )と完全に平等化したとしよう。もとの状態が、能力、努力、運によって決まった「ゲーム」の成績であったとすると、政府が「再分配政策」によって結果を平等化したことになる。C はこのような平等化を歓迎する。A はもちろん不満を唱える。再分配は「ゼロサム・ゲーム」であるから、ある人が追加分をもらって喜ぶ反面、他の人は自分の取り分を削られて怒るという結果になる。現状のままに放置される B は、ここでは「優遇される」C を嫉妬するに違いない。このような平等化を「公平な観察者」はどう評価するだろうか?ややシニカルに、「それがあなたがたの総意なら、やむを得ないでしょう」と言うかもしれない。そしてさらに、 「それにしても、ゲームの結果をあとから政府の手で平等化するのでは、そもそもゲームをした意味はありませんね」という感想を付け加えるかもしれない。
 ところで、この社会の総意という点について、次のようなことが言える。
 今、社会が( 4 1 1 )のような状態になっているとしよう。この社会で「多数決による総意」を決めることにすれば、B と C が平等化に賛成し、A は反対して、結局「恵まれない多数」の言い分が通ることになる。つまり多数の貧者は少数の富者から奪うことによって、自らの状態を改善することができるのだからだ。
 このように、「多数決原理」を採用した再分配が何をもたらすかは、考えてみるとかなり恐ろしいことだ。それは論理的には「多数の貧者による少数の富者の収奪」という帰結をもたらすしかない。これを「民主主義の恐ろしさ」と見るか、それとも「民主主義こそ平等化をもたらす、民主主義万歳!」と自賛するか、これは立場と価値観の違いによって決まる。「公平な観察者」は多分、「このような平等化を追求する民主主義は、社会主義に行き着くほかない」というコメントを残すであろう。
 むしろ不思議なのは、現実の民主主義がこの平等化をそれほど徹底して追求するわけでもなく、「金持ちの収奪」を経て社会主義の道を歩むわけでもない、という事実の方だ。実はここに「民主主義の知恵」がある、と言うべきではないだろうか。 民主主義は平等だけを追求して社会主義に至るとは限らず、人々が競争しながら自立して自由をできるだけ保障しようとしている。そして代表者を投票で選ぶ方式の民主主義そのものが、きわめて競争的なシステムと言える。民主主義は、結果をどこまでも平等化すべきだという思想だけに引き回されているわけではない。このように「差別原理」と呼ばれる考え方は必ずしも多くの国民に支持されているわけではない、ということだ。
(「経済倫理学のすすめ」から)
 中国では、@( 3 2 1 )⇒( 4 2 1 )の政策をとっている。地上の楽園では( 3 2 1 )⇒( 2 1 1 )の政策、ポル・ポト支配のカンボジアでは( 3 2 1 )⇒( 1 1 1 )の政策。 どちらも「寡なきを憂えず、均しからざるを憂う」という感情を尊重した政策でジニ係数は低下する。「貧しくとも、周りの皆も同じように貧しいなら、それは平等、ということでとても良いことだ」ということでこの政策を支持する人もいるようだ。
(^o^)                  (^o^)                  (^o^)
<主な参考文献・引用文献>
蜂の寓話―私悪すなわち公益           バーナード・マンデルビル 泉谷治訳 法政大学出版会 1985. 6.24
経済学の巨人たち                             竹内靖雄 新潮選書    1997. 2.25
恋愛と贅沢と資本主義              ヴェルナー・ゾンバルト 金森誠也訳 講談社学術文庫 2000. 8.10
有閑階級の理論                ソースティン・ヴェブレン 小原敬士訳 岩波文庫    1961. 5.25
有閑階級の理論                ソースティン・ヴェブレン  高哲男訳 ちくま学芸文庫 1998. 3.10
入門経済思想史 世俗の思想家たち    ロバート・L・ハイルブローナー 八木甫他訳 ちくま学芸文庫 2001.12.10
経済倫理学のすすめ                            竹内靖雄 中公新書    1989.12.20
( 2004年3月15日 TANAKA1942b )
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(31)タネ作りは種子会社に任せよう
在来種もF1も、その改良品種も
<白菜は日本の基本食?>  新米の飯を、一箸つまむ。見たところは、いつもと、そう違いはない。冷夏に見舞われた北の方の産で、出荷はかなり遅れたらしい。その地で、心労と勤労とを一瞬思い浮かべながら、かむ。▼白菜漬けを、少しつまむ。ご飯のほのかな甘みを、ほどよい酸味が引き立てる。飯をもうひとつまみし、みそ汁をすする。栄養のことはともかくとして、晩秋の「日本の基本食」だけで、ほぼ満ち足りた。 (2003年11月24日朝日新聞朝刊「天声人語」から)
 「ハクサイ(結球白菜)が日本に初めて導入されたのは比較的新しく、1875年であった。……明治末期までは、日本では採種が成功せず、毎年種子は輸入されていたので、栽培は広がらなかった」(平凡社「大百科事典」から)
 天声人語にあるように、白菜は日本のご飯食にピッタリの食材と言える。でもその白菜が日本で栽培されるようになったのは、比較的新しい。清国の原種に頼ることなく国内でハクサイのタネをとることができるようになったのは、沼倉吉兵衛が1916(大正5)年に他の十字科植物の花粉がまざらないようにして、タネをとることに成功してからだった。これは宮城県の松島でのこと。一方、そのころ愛知県の野崎徳四郎も1919(大正8)年にハクサイのタネを取ることに成功した。 1922(大正11)年には宮城県農事試験場から、育種業者として独立した渡辺穎二が新しい白菜の品種を育てることに成功した。1922(大正11)年の農商務省の調べによると、そのころまだ、清国から大量のハクサイのタネが輸入されていたとのことだが、この時期以来だんだんと日本で品種改良されたハクサイのタネに取って代えられるようになっていった。
 板倉聖宣著「白菜のなぞ」は中学生でもわかるやさしい文章で、白菜が日本で定着する経緯が詳しく書かれている。品種改良に関するおすすめ本の一冊です。ここからハクサイの国産化についてまとめてみよう。
 ハクサイ国産化の苦労話  私は、はじめ「日本人がハクサイを取り入れたのは明治以後だった」ということがあまりに信じ難いと思いました。そこで、「ハクサイは明治以後、どのようにして日本で栽培されるようになったのか」ということをくわしく調べてみることにしました。すると、調べれば調べるほど、いろんな面白いことがわかってきました。そこで、その結果をお知らせしたいと思います。少し話が長くなりますが、つきあって下さい。
 このような文で始まる「ハクサイ国産化」の話、要約すると次のようになる。
 ハクサイが日本に輸入されたのは1875(明治8)年、民部省の勧業寮という役所が清国の農産物調査のために委員を清国に派遣した。このとき清国農産物調査委員の人々は、清国で立派な白菜を見て喜び、山東菜・白菜・体菜・水菜(きょうな)などのタネを日本に持ち帰った。勧業寮の農務課では、その年のうちに、三田の育種場の畑にそのタネをまいて育てた。それぞれなんとか育ったのに、結球ハクサイは「葉が丸まって玉のようになる」と言われたのに、ついに葉が巻くことなかった。 育種場の人たちは「こいつは、葉がまるまって球になる(結球する)っていうのだけど、本当にそんな作物があるのかなあ」と疑う始末だった。とはいえハクサイの評判はよかった。みんな「ワーッすごい。おいしそうだ」と歓迎した。だから、日本人がこのときまでハクサイを知らなかったのは、食わず嫌いのせいではなかった、と言える。
 さて、これは1年目のこと。三田育種場の人たちは、2年3年と栽培をつづけた。ところがどうしたことか、2年目の出来は良くない。ハクサイは初めから球にはならなかったが、それでも白くて柔らかな葉がたくさん育った。それなのに2年目にはその葉もかなり緑っぽくなり、2年3年とたつにつれて、ハクサイの特徴が薄れていった。それはハクサイだけでなく、フランスから取り寄せた小麦のタネをはじめ、その他の作物もだんだん変化して、その品種としての特徴がなくなってきた。 そこでタネの輸入を請け負ったフランスのタネ屋に相談した。すると「ビルモーラン商会」というフランスのタネ屋さんは、日本でのタネのとり方をたずねた上で「ああ、それはタネの取り方が悪いのです」と言う。さいわいフランスには元植木職人で勧業寮に勤めていた内山平八という人がパリに出張中だったので、1878(明治11)年11月、その内山平八(1852〜1922)さんに「ビルモーラン商会の農場その他に留学して、そこでタネの取り方について実地に教わってきてほしい」と頼んだのだった。
 政府の勧業寮が清国に農産物取調べのため委員を送ったのと同じ1875(明治8)年、東京市の博物館に、清国から根つきの「山東白菜」の見本が3株出品された。そのハクサイは見事に結球していた。結球といえば、キャベツがあるが、キャベツもそのころ三田育種場で試験栽培されていたぐらいだったので、その結球ハクサイを始めて見た人たちは驚いた。 愛知県栽培所(のちの愛知県農業試験所)の人びとは、そのうち2株を分けてもらって、その栽培に取り組むことになった。栽培所主任の戸田寿昌(としまさ)さんと栽培係の佐藤管右衛門さんは「来年の春には花を咲かせて、たくさんタネをとって、ふやすんだ」と張り切った。そして翌年花がさき、実をつけたので、そのタネをまいた。ところが、三田育種場の場合と同じように、葉の色は白くならず、結球もしない。それでも比較的もとのハクサイに近い色、形に成長したものからのタネをとり、育てた。 こうした選抜育種を続けて1885(明治18)年、ついに結球したハクサイのタネを取ることに成功した。東京の三田育種場はハクサイの栽培を断念していたので、愛知県栽培所が日本で最初にハクサイの栽培に成功したことになった。とは言うものの、かなり無理があって、「完全に結球している」とは言えなかった。今で言う「半結球」という状態で、それも、苗が大きく生長したときに、ナワで株の中央部を1回縛り付けておいて、それから数日後にまた、上半分の葉を一つひとつ、丁寧に抱き合わせて、やっとなんとか結球している形にするというものだった。
 愛知県の栽培所では、1885(明治18)年に半結球性の山東白菜の栽培に成功して、そのタネを付近の農家の人たちに分けて、普通の農家でも栽培してもらって売り出すようになっていた。そのとき栽培所の佐藤管右衛門さんにタネをもらって熱心に栽培法の研究を下人に、野崎徳四郎という人がいた。この人が後に「日本で最初の結球ハクサイを完成させるのに成功した」のだった。
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 日清戦争によってハクサイが知られるようになった  野崎徳四郎(1850〜1933)さんは、明治維新になり、農民は名字を名乗り、自分の田畑で好きな作物を作っていいとなると、「少しでももうかる野菜を作りたい」と思い、近くの愛知県栽培所で栽培している作物に目をつけた。そこでは、清国産のハクサイをはじめ、キャベツとかハナヤサイなど外国からやってきた野菜を日本に取り入れる研究をしていた。その栽培所で「山東白菜のタネを分けてくれる」と聞いて、徳四郎さんはイの一番に申し込んで、ハクサイ研究を始めた。 徳四郎さんは、タネをまく時期を変えてみたり、肥料の質や量を変えてみたりしたが、白菜はうまく結球してくれない。当時はまだ、タネの交雑の秘密を明かした小野太郎著「小学理科書」(明治20年)も、横井時敬著「農業読本」(明治25年)もまだ世に出ていなかった。
 名古屋の畑に桜島大根を植えても、2年、3年とそのタネをとって栽培を続けていると、そのタネが普通の大根になってしまうのは、周りの畑にある普通の大根の花粉が桜島大根のメシベの先に着いて交雑してしまうからだった。ではハクサイのメシベの先にはどんな植物の花粉が着くのだろうか?周りにはハクサイを栽培している畑はない。それならば、徳四郎さんの畑の山東白菜のメシベの先には何の植物の花粉が着くのだろうか? 徳四郎さんがそのようなことを考えている頃、福羽逸人著「蔬菜栽培法」が出版される。1893(明治26)年のことだった。そしてこの本を参考にして、少しずつ改良されていった。
 1894(明治27)年7月25日、日本の海軍が清国の軍艦を攻撃して戦争が始まった。そして8月1日には正式に清国に宣戦を布告して朝鮮半島と清国の領土で大規模な戦争が始まった。 このとき、清国に出征した日本の兵隊は、そこの畑でたくさんのハクサイ、白くて結球したハクサイを目にした。そして「日本でも、こんな野菜が作れたらいいなあ」と思った。このように日清戦争のためにハクサイの知名度は高まり、ハクサイの需要が高まった。さらに、兵士のなかにはタネを持ち帰る者もいて、日本でのハクサイ研究が活発になった。
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 本場の清国から輸入しなければならない  日清戦争のとき、戦地でハクサイを見た兵隊は「日本でもこんな野菜が作れたらいいのに」と思い、それを実行した人もいた。たとえば、茨城県出身の大部鋭次郎さんは、故郷の茨城県農会の幹事だった種苗商・鈴木文二郎さんのところに、満州の<直隷白菜>のタネに、<満州での栽培法>を添えて送り届けた。また、仙台の第2師団の岡倉生三参謀は、帰国するとき<芝罘(ちーふ)白菜>のタネを持ち帰って、宮城県立農学校に寄付した。こうして日清戦争をきっかけに茨城県や宮城県でもハクサイの栽培研究が始まることになった。 さらに、1904(明治37)年には日露戦争がおきてたくさんの日本の兵隊が清国に出兵した。そこでまた多くの人がハクサイに関心を持った。
 こうしてハクサイの関心は高まり、栽培研究の行われたが明治年間には、清国産のハクサイのタネに負けないほど良質のタネは日本ではできなかった。1914(大正3)年に出版された香月喜六著「結球白菜」という本は、日本でもっとも早く出版された「ハクサイ栽培の専門書」なのだが、その本でも「本場の清国から輸入しなければならない。<直隷白菜>や<芝罘白菜>などになると、そのタネの値段は内地で売っているものの5倍から10倍にもなることがあるが、1反歩に必要なタネの量はわずかに2合で済むのだから、いくら高くてもその値段は知れている」と書いてある。
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 十字花科の自然交雑  これまでの経過で問題なのは、「日本でハクサイのタネを取ろうとすると、なぜかハクサイのメシベの先に他の植物の花粉がついて、ハクサイが変質してしまう」という問題であった。これには「ハクサイのメシベの先につく花粉はどんな植物の花粉なのか?」を明らかにする必要がある。それと、ハクサイの花が咲いてタネを取るとき、ハクサイのメシベの先にそれらの植物の花粉が混じり合わないようにすればいい。
 こうした問題に取り組んだ人に、宮城県農事試験場の場長兼同養種園長の菅野鉱次郎さんと「伊達家養種園」技師の沼倉吉兵衛さんがいた。 1897(明治30)年に落合与左衛門著「種子交換論」が出版され、「十字花科(アブラナ科)の作物のタネを取るには、とくに花粉の混じり合いを心配しなければならない」ということはかなり知られていた。
 「ツケナ類およびダイコン類、すなわち十字花科植物のタネを取ろうと思ったら、同じ十字花科の植物が近くにない場所でタネを取るようにしなければなりません、そうしないと、近くの十字花科の花粉が混じって、作物の性質が変化してしまうからです。十字花科の作物のその変化はとても速くて、他の作物には見られないことです。しかも、<体菜のタネを取ろうとして、山東菜ともいえず体菜とも言えないような珍しい作物のタネができる>というわけではなくて、<とても作物として栽培する気にもならないような悪い作物>になってしまうことはしばしば経験されてとく知られていることです。 穀類の場合は、花粉が混ざることによってときどき珍しい品種ができたりすることもあるのですが、十字花科植物の場合は、<変種によって珍しい作物ができる>などということはほとんどありません。明治18年に東京の亀戸に<白茎三河島菜>という新しい漬け菜の品種が現れたのは、おそらく山東菜と三河島菜の花粉が交雑して、そのふたつの作物の性質のいいところが伝わって、これまでよりも茎が柔らかで味もよく成長も速いという作物になったのでしょうが、そんなことはごくごく稀なできごとで、たいていは劣等な雑種ができるだけなのです。
 そこで、劣等な雑種になってしまうのを防ごうと思ったら、十字花科植物と接近した土地でタネを取ろうとしてはいけません。しかし、実際に<十字花科植物と遠く離れた土地でタネを取る>なんてことは、とても、困難なことです。<そうしたい>と思ってもなかなか出来ることではありません。そこで、結局のところ劣等なタネを取ることになってしまうのです。それならどうやっていいタネを手に入れて、変種しない作物を栽培するようにしたらいいのでしょうか。それには、タネを原産地から購入するほかありません。少なくとも2,3年に一度は原産地からタネを買わなければいけません」
 この結論では「自分たちで原産地に劣らない上等なハクサイのタネを取ろう」との沼倉さんのもくろみには合わない。「他に十字花科植物がない場所」を探さなければならない。しかし十字花科植物は身近なとことにたくさんある。ダイコンもカブも小松菜もキャベツもアブラナもカラシナも、みな十字花科植物。そればかりではない、ペンペン草のような野生の植物の中にも十字花かの植物がいろいろある。作物になっていないものだけを避けるなら、畑のない山奥に行けばいいが、野生の植物で十字花科全体を避けようとしたら、これは大変なことだ。
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 松島で本格的なタネ作りに成功  沼倉さんと菅野さんはいいことを思いついた。
 「そうだ、離島がある。松島湾にはたくさんの無人島があるじゃないか」
 松島というのは一つの島ではなくて、松島湾にある808(?)もの不思議な形をした小島からなっている。それらの島の多くは農地などできないとても小さな岩山だったが、その中で「馬放島」はかなり大きくて平らだった。沼倉さんと応援の人は島にある十字花科植物を全部調べて、できるだけ根こそぎにした。そして、堆肥をつくり、ハクサイを植える場所を耕した。菅野さんは次のように書いている。
 「馬放島は、冬・春・初夏の三期間を通じて無人島で、かつ禁猟区でした。そこで、キジその他の小鳥より猛烈に襲撃されるなど、予期しない難問がしばしば突発しました。そのため、採種にあたった沼倉氏の苦労は言語に絶するものがありました。そこで、とれたタネの量なども、計画の半分にも達しなかったのですが、ともかくもその目的を達成することができたのでした」
 こうして、沼倉吉兵衛さんは、日本で初めて、他の十字花か植物の花粉が混ざらないようにして、ハクサイのタネを取ることに成功した。そこで、宮城県農会でな、1916(大正5)年以後、清国の原種にまったく頼ることなしに、毎年、養種園内ですぐれたハクサイのタネをとることができるようになった。
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 愛知県でも成功  愛知県の野崎徳四郎さんも負けてはいられない。松島でのハクサイの採種が軌道に乗りかけた大正6年、同じ村のハクサイ採種業者に呼びかけて「愛知白菜採種組合」を組織した。そして同じ年、県庁・愛知試験場・安城農林学校が中心になって野崎さんたちがこれまで栽培してきたハクサイに「愛知ハクサイ」と正式に命名して、そのタネを大々的に売り出すことにした。その翌年、野島さんは松島ハクサイに対抗して、網で囲った農場の中でハクサイのタネを取ることにした。 近くには松島のような離島がなかったので、代わりに、タネをとるハクサイにチョウやハチが他の十字花科植物の花粉を運んでこないように、採種する農場を網で囲った。しかし最初の年は失敗。網のためハクサイに当たる日光が不足してよく育たなかった。そこで、野崎さんは翌大正8年、今度は天井だけガラス張り、周囲を金網張りにしてハクサイの採種をするよう改良した。こうして野崎徳四郎さんたちの「愛知ハクサイ」のタネも、「仙台ハクサイ」と共に、日本の農家のハクサイ栽培を活発化させることに役立つようになった。
 ところで、沼倉さんと同じ宮城県農事試験場に勤めていた人に、渡辺頴二さんという人がいた。この人は大正11年に結婚すると試験場をやめて、育種業者として自立し、新しい白菜の品種を育てることに成功した。私立の渡辺採種場は、最初、馬放島の北東にあるもっと広い桂島に設けられ、その採種場はさらに石浜・宝島・月浜・里浜と、松島湾内の島々の中に発展していった。
 1922(大正11)年の農商務省の調べによると、そのころまだ、清国の芝罘から大量のハクサイのタネが輸入されている、とのことだが、これまで見てきた人びとの努力の結果、清国産のタネは、だんだんと日本で品種改良されたハクサイのタネにとって代えられるようになっていったのだった。
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<種子会社に頼らずに誰がタネを取るのか?> F1ハイブリッドや遺伝子組み換え作物に対する批判として、「種子会社にタネを支配されることになる」がある。では種子会社に頼らずに、だれがタネを供給するのか?ハクサイの例で見るように、「栽培農家が種を取るのがいい」などとは言えない。趣味で野菜を栽培するならそれでもいい。しかし消費者から金を取って売る農作物のタネは種子会社にまかせなければムリだ。 比較優位説を引き合いに出さなくとも、農家に「自分でタネを取りなさい」とはムチャな注文だ。先人たちの苦労に気がついていない。作物栽培に対する無知な者の発言でしかない。
 こういう指摘もある。「ハイブリッド種の普及によって在来種のタネの需要が減って、タネの価格が値上がりした」と。需要が減り、生産量が少なくなれば量産効果がなくなりコストが上がる。これは自然なことで問題にすることでもない。それだけ消費者が喜ぶ新しい品種が改良されているのだから、「種子産業も、新商品が活発に開発されるほど活気のある業界だ」と言える。逆に在来種しか売れず、新品種の販売も、開発もされないとしたら、それは「滅びゆく古典芸能」のようなもので、いずれ多くのタネ屋さんが<のれん>をたたむことになるだろう。  If you are not a liberal at age 20, you have no heart. If you are not a conservative at age 40, you have no brain.  熱いハートだけでは問題は解決しない。brain が必要だ、ということを理解すべきだ。
(^_^)                     (^_^)                      (^_^)
<ルソン島での弥生時代からのコメ作り> 農業は先進国型産業である。では発展途上国ではどのような農業なのだろうか?山本七平の文を引用しよう。自給自足的農業、比較優位が生かされていない農業、それを知ることによって日本の農業が、さらに先進国型に進化すべきだ、と分かってくる。
 私は戦時中、ルソン島の北端にいた。ルソンの東北部はだいたいタバコの単作地帯で、その広大な農地・集荷機構・倉庫さらにカガヤン川の40トン積み川船に至るまで、すべて「タバカレラ」というスペインの会社の所有であった。このタバカレラは、何やら、株式組織と封建制をつき混ぜたような奇妙な会社らしく、「会社史」を研究する人が必ず取り上げる会社であると聞いた。いわば、この地方では経済も政治もこのタバカレラが握っているわけだが、海岸線に近い低地は米作地で小作人が耕していた。そして私を驚かせたのが、彼らの米作とその生活である。 簡単に言えば、それは弥生時代から一歩も出ていないと言っても過言ではなかったからである。
 マニラやバギオは、当時の東京よりも近代的に見える都市だが、これと対比してその農民があまりに後進的なのが、私を、というより農村出身の部下を驚かせた。稲の取り入れは穂先だけをつまみ、これを束ねて高床式の納屋に収める。この一束のことを「マノホ」と言い、大体一日の食糧で、同時に収穫の単位であった。そしてそれを収める納屋の壁は、妙な言い方だが正倉院型の貧民窟といった感じで、絵に出てくる弥生時代のそれとそっくりである。「律令時代も同じだったのであろうな。稲は何束と数えたし、屯倉(みやけ)もこんな形だったのだろう。すると、それらを建てた道具も、フィリッピン人と同じようなものだったのだろうな」。 私はそんなことを考えていた。
 彼らは、ポロという、なた一丁でこれを建てるが、このなたは屠殺にも料理にもすべてに用いられた。彼らのもつ鉄器はだいたいこれだけだが、実はこれも廃車のスプリングから造られたもので、原料はメイド・イン・USAである。そして、家の中に入れば、土器のかまどと土器の釜があるだけ。そして、午後になると納屋からマノホを一つ取り出して手臼でつく。これがその日の夕食と翌日の朝食、昼食であった。この手臼と杵はフィリピン製だが、それをつくるポロの原材料はアメリカ製である。鎖国時代はこの鉄器もまた純日本製であったのだ。
 彼らの米は大体、自給用だが、余剰があれば華僑が来て、トラックで村々から収買していく。取引きはマノホが単位で、板でかこったトラックの荷台に高々と積んでもっていく。華僑は、このマノホから脱穀・精米までできる、おそらくアメリカ製の、コンベア式の大きな機械をもっていた。当時のフィリピンはすでに食糧不足なので、軍がこれを接収して監理し「軍監理米穀部」という看板が精米所に掲げられ、われわれも現地人も略してこれを「グンマイ」とよんでいた。ここへ糧秣受領などで行くと、農村出身の兵士たちはこの巨大な脱穀・精米機に驚き、「へエー、やつら進んでいるなあ」などと言っていた。 おそらく当時の日本にはなかったのであろう。だが私は少々複雑は気持ちであった。というのは、一方はすべて弥生式だが、一方は当時の最先端なのである。そしてこの最先端が、逆に弥生式を固定してしまったように見えたからである。 (「江戸時代の先覚者たち」から)
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<作物種の地ものとよそもの> 日本人が食べている野菜、そのほとんどは外来種だ。もともと地元に生息していた野菜を食べているのではない。もしかしたらその土地に無理に合わして栽培しているのかも知れない。地産地消の考えには逆行しているのかもしれない。他の土地に生息していた植物を改良して栽培することによって、その品種が農産物として普及するのかも知れない。長くアジアでキャッサバの品種改良とその普及に貢献してきた河野和男氏の意見を聞いてみよう。
 アメリカの農作物生産は、生産量でも、生産額でも、栽培面積でも98パーセント以上が、北米大陸以外の地で進化分化をとげた後アメリカに持ち込まれた作物種に頼って行われている。これは北アメリカ大陸起源の作物種はヒマワリくらいしかないことから自明の理である。 ヨーロッパでは、ヨーロッパ起源の燕麦、ライ麦、ビートがかなりの重要度を占めるが、小麦、大麦、トウモロコシ、ジャガイモといったヨーロッパ大陸以外が起源地の作物種が、最重要作物のリストに名を連ねる。オーストラリアなどは、先住民のアボリジニが栽培農業を行ってこなかった人々であり、アボリジニによって作物化された植物種はなく、 したがって作物生産はすべて移住民によって、100パーセント移入作物種を使って行われているのは言うまでもない。
 日本はどうかと言うと、世界中のあちこちで農耕が始まり、多数の栽培作物が作り出された約1万年前よりかなり前から縄文人が生活していたので、日本で栽培化された作物がいくつかあってもよさそうであるが、 実は1つもないようである。考古学的な証拠や現在の植物分布状況などから、日本で半野性的なものが利用されていたらしい例 (前者にはクリ、後者にはナシ) はあるが、それらが完全な栽培種となり、他国の農業に貢献した可能性はほぼゼロである。 クリにせよナシにしろ、後に作物品種として確立されたののは、すべて中国大陸起源のものが日本に移入されたものの後代である。日本で栽培化され、日本を出て大陸でも作物品種となったものとして、唯一食用ヒエにその可能性があるそうであるが、確固たる証拠があるわけではなし、 またかりにそうであったとしても大作物にはほど遠い。したがって、日本の作物生産は100パーセント他の地域から移入された種に頼っており、逆に日本で生まれて他の地域の農業に貢献している作物はないと言える。

 世界を先進工業国と発展途上国という図式で見た場合、それはほぼそのまま農業先進国と農業低開発国、もしくは温帯圏諸国と熱帯圏諸国の図式に対応する。
温帯諸国の農産物生産を支えているのは移入作物種であるが、それらは温帯圏の他の地域からきたものではなく、熱帯、亜熱帯からもたらされたものである。 つまり、目下の農業先進国VS発展途上国という図式は、作物種をもらった国々VS作物種を与えた国々という図式でもある。 (「自殺する種子」から)
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<主な参考文献・引用文献>
白菜のなぞ                       板倉聖宣 仮説社    1994.11. 1
江戸時代の先覚者たち 近代への遺産・産業知識人の系譜  山本七平 PHP研究所 1990.10.19
自殺する種子 遺伝資源は誰のもの?           河野和男 新思索社   2001.12. 3
( 2004年3月22日 TANAKA1942b )
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(32)反進化論は品種改良をどう説明する?
「ルーシー」と「ミトコンドリア・イブ」
<進化論のゆくえ> これまで、動植物の進化はダーウィンによる進化論が支持されてきました。私たちが学校で生物の時間に習ってきた「進化」とは、ダーウィンの「種の起源」で唱えられている突然変異種による適者生存説、自然淘汰説によるものでした。しかし、アメリカではだんだんとこの進化論に疑問を抱く人が増え、私が研修をうけたウィスコン州などでは学校教育から排除されています。
 進化論の考え方では、「弱者が、変異した強者に淘汰されて、生き残った種が繁栄していく」ということになります。これを曲解すると、「人間の場合も強者が弱者を駆逐するのだ」とか「優秀なものが生き残るのが当然」という意識が芽生えがちです。
 進化心理学という分野から見ると、このような競争原理は心情的にも好ましくなく、進化論に何の根拠もないことから、これを採用することをやめています。最近、日本でも教科書にも載せなくなりました。
 「自然界は神様が創り上げたものであり、一針一針編み上げた手編みのセーターのように緻密で暖かな不思議の世界である」と教える方が、子どもたちは自然を大切にするというのです。
 進化論では、突然変異が生き残ると説いていますが、普通、突然変異種は劣性で出現します。たとえば、色素を持たない白いライオンなどがそうですが、それらの弱い突然変異種が従来の種族を淘汰していくとは考えにくいものです。どちらかといえば、環境に適応した複数の個体が同時にあちこちで変化を起こすのであって、それはけっして「突然変異」ではなく、必然的な変化を余儀なくされたために同じような変身を遂げたものであり、従来の種と共存をはかりながら暮らしていくと考えた方が自然だと思います。 実際、進化論では多くの疑問点にぶつかり、誰もその回答を正確に導き出すことはできません。(中略)
 他にも、女王バチのために身を粉にして献身的な行動をする働きバチや、カマキリが交尾の後、雄は雌に体を投げ出して食い尽くされてしまうことなどは、自分の利害を求めない利他的な行動です。これらの現象は、排他的競争原理・生き残り説のダーウィンの進化論では限界があるため、私はやはり共存原理のほうに行き着いてしまうのです。
 この考えにはみなさんいろいろと異議をとなえたいと思われるでしょう。しかし、進化論が進化学に進化しないということをぜひ話の種にしていただきたいと思っています。 
(「話の種」になる種子の話 から)
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<信仰の自由は保障されている> 進化論を拒否すると、「人類の歴史は、アダムとイブに始まり、それ以前の歴史はない」「ノアの洪水は実際にあった」となる。インドに生息するイネの野生原種であるオリザ・ファッツァやオリザ・ペレニスとコシヒカリ、この違いをどのように説明するのだろうか? アンデスの麓で密やかに自生する、小指の先ほどの小さな実を付けたトマトの野菜原種=シトマテ(xitomate)、これと甘熟トマト桃太郎や高糖度トマトやフレーバーセーバー・トマト、これらの違いを進化論を否定してどのように説明するのだろうか?農作物の品種改良が進められなくなる。「創造論」(創造科学)は農業をいつまでも「労働集約的な産業」に押しとどめておきたい人や、種子会社が利潤を上げることに嫉妬心を燃やす人は喜ぶかも知れないが、それではいつまで経っても「百姓は生かさず、殺さず」の徳川幕府の農業政策になる。
 加茂川に棲息するヒラタカゲロウが棲み分けしていたとしても、自然界、人間社会は競争社会だと考えた方が分かりやすい。人間社会を理解するには、ゲームのルールを理解することだ。そのゲームは損得勘定の比重が大きい。つまり、このゲームのルールを理解するには「経済学が役に立つ」ということになる。
 進化論を認めない考え方、動物も、植物も、そして天地も神によって作られた、という宗教。多くの人が信じている。ハイドンのオラトリオ「天地創造」、オーケストラの序奏に始まって、「 Im Anfang schuf Gott Himmel und Erde,und die Erde war ohne Form und Leer,und Finsternis war auf Fläche der Tiefe. Und der Geist Gottes schwebte auf der Fläche der Wasser,und Gott sprach:Es werde Licht,und es ward Licht. 初めに神は天と地をお作りになった。大地は形もなく混沌としていた………」とバスが歌い出す。これが当時の世界観であった。そして現在でも一部の人たちにとっての世界観になっている。
 民主制度の日本では、信仰の自由が保障されている。「修行を積んだ人が、万有引力の法則に逆らって、座禅を組んだまま空中に浮くこともある」と信じている人もいる。 信仰上の理由から輸血を拒否する人がいる。 アメリカで進化論を拒否する人がいて、日本にもそれに共鳴する人がいる。万有引力を拒否し、地動説を認めない人がいる。この人たちと議論する勇気はTANAKA1942bにはありません。品種改良のことも交雑育種法まではいいが、一代雑種、細胞育種、遺伝子組み換え、と進んでくると、育種学の分野から、政治・経済・社会の問題から、信仰の問題にまで進んで行きそうだ。しかしここでは自然科学から社会科学までは進むとしても、神学論争には踏み込まないようにしておこう。
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<キリンの首はなぜ長いのか?> 品種改良を調べていくと、メンデルの法則⇒突然変異⇒進化論と資料を読んでいくことになる。そうすると上記のような「反進化論」にぶち当たる。ぶち当たって、それを乗り越えようと関連する資料を読む。そのうちに好奇心からいくつかの疑問が生まれる。「キリンの首はなぜ長いのか?」。数冊読んだが決定的な説はないようだ。タイトルに惹かれて読んだ本も、実際は2ページ程度。その他のページは進化論の説明、またはそれに関する緒論。ウィルス説が面白そうだがまだ説得力は弱い。 キリンがダメなら人類はどうか?進化論に首を突っ込み始めた以上、何かはっきりしたものを掴みたい。そう思って、「ルーシー」や「ミトコンドリア・イブ」関連書を読んでみた。キリンや人類の進化はまだまだ勉強不足で分からないことだらけだが、「進化論は進化する」と感じた。これからまだまだ新説が出てきそうだ。もう少し突っ込んでみようと思う。
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<「種の起源」も「国富論」も未完の書> キリンの首⇒ルーシー⇒ミトコンドリア・イブ⇒「種の起源」となる。そこで「種の起源」から一部引用しよう。
 私の仕事は今(1859年)ほとんど終わった。しかしこれを完成するにはなお多くの年月を要するであろうし、また私の健康がすぐれないために已むを得ずこの抜粋の刊行を急いだのである。これはさらに特別の理由がある。それは今マレー諸島の博物を研究しているウォレス氏が、種の起源について私とほとんど同様な一般的結論に達したからである。氏は1858年にこの主題に関する一論文を私の寄せて、これをチャールズ・ライエル (Charles Lyell) 卿に送るよう頼んできた。 ライエル卿はこれをリンネ学会に提出した。そしてこれは同会会報の第3巻に発表されることになった。C・ライエル卿とフッカー博士はともに私の研究を知っていたので――博士は1844年の私の略記を読んでいた――光栄にもウォレス氏の立派な論文と一緒に私の原稿からの簡単な抜粋を公しすることを勧められたのである。今私の公にする抜粋は当然ながら不完全なものである。
 「種に起源」は未完の書である、と思う。ダーウィン自身もそう思っていたろうし、だけどその後の人たち (ダーウィンのブルドッグを含む) が修正を加えることにより「進化論」が進化している、と考える。「種の起源」が未完の書、と考えると、「国富論」も未完の書だ。どちらも完成していない理論だ。このように考え始めると、今でこそ大きな影響力を持っている理論・学説も発表当時は未完成だったものがほかにもありそうだ。このシリーズ27で取り上げた、リカードの「経済学及び課税の原理」からの「比較優位説」も、この本からはよく分からない。何かピントが定まらない。 現代のエコノミストがいろいろは表現で解説している。こちらはどれもよく分かる。カール・ポパーはどうか?こちらも「科学的発見の論理」を読んでも、「ここがポイントだ」と前もって知っていないと、ポイントも見逃してしまう。どのように言っているのか?引用してみよう。
 ある体系が経験によってテストできる場合にだけ、それを経験的または科学的なものとはっきり認めることにしよう。この考えは、体系の実証可能性(verifiability:Verifizierbarkeit)ではなくて、反証可能性(falsifiability:Falsifiziebarkait)が境界設定の基準として採用されるべきである、と提案するものである。言いかえれば、私は科学的体系がポジティブな意味で一挙に選別できるものでなければならない、とは要求しない。そうではなくて、私は科学体系というものは、経験的テストの手段によってネガティブな意味で選別されうるような論理形式をそなえるべきだ、と要求する。
 すなわち、
経験的科学体系にとっては、反駁されうるということが可能でなければならない のである。 (「科学的発見の論理」から)
 メンデルの法則はどうか?1865年に発表されたが誰も相手にしてくれず、1900年になるまで認められなかった。コースの定理はどうか?こちらもポイントがつかみにくい。ジョージ・スティグラーの「小さな政府の経済学」を読むとよく分かる。
 新しい理論・学説が発表される時、それが後に大きな影響力を持つものであっても、全く認められなかったり、或いは説得力がなく一部の人にしか理解されない、そのようなことがある。そうした状況を傍観者の立場から言うと「あれは単なる思いつきでしかない。取り立てて話題ににする必要はない」となる。
 このように考えていくと、「アメリカの特許制度はおかしい。単なる思いつきでさえ特許にしてしまう」との批判が頭に浮かぶ。そうではない。特許はそれでいい。思いつきが大切なのだ。完璧な理論にするまで温めておく必要はない。思いつき程度でも発表すれば、誰かがさらに知恵を絞ってより完成された理論へと磨き上げていく。「単なる思いつきだ」と批判するのは、「単なる思いつきさえ、思いつかない」者の嫉妬だと考えると分かりやすい。
 ところで「農業は先進国型産業である」ということはどうか?こちらが世間の常識になるには、まだまだ多くの人の知恵が必要とされているようだ。
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<開発は先の見えない夜行列車、智恵と智恵と度胸をもって走り続けなさい> NHKTVプロジェクトX、トヨタで国産乗用車の開発にあたった中村健也氏の言葉「開発は先の見えない夜行列車、智恵と度胸をもって走り続けなさい」。プロジェクトX、IBMに対抗して世界最速のコンピュータ開発にあたった池田敏雄氏の言葉「すべての開発は感動から始まる」。 40才になり、brain をもったconservative であったとしても、20才の頃と同じように、新しいことに感動する温かいheartは失いたくない。
2004年3月、トヨタのヒト型ロボットがトランペットを吹いた。同じ頃ソニーのヒト型ロボット「キュリオ(QRIO)」はオーケストラを指揮した。これでホンダ、ソニー、トヨタの先進企業のロボットが出そろった。共通しているのは「溢れんばかりの<好奇心>と<遊び心>」。そして3月24日のニュースではさらに、三菱重工と富士通のロボットが紹介された。世界の先頭を行く物作り大国日本の企業、これからも先頭を「智恵と度胸をもって走り続ける」に違いない。
東芝は、1851年に東芝の創立者に一人である田中久重(からくり儀右衛門)が作った万年時計の仕組みを調べる、と報道された。ということは、東芝は創立者が作ったこの時計を今までちゃんと調べてなかった、ということか?もしそうならば、東芝には好奇心と遊び心が欠如している。
2004年3月24日、NHKTVクローズアップ現代で日本の中小企業が中国への高級品や高度な技術を売り物に輸出攻勢している、と報道していた。中国脅威論があるようだが、これも「視野狭窄」だ。よく外国のエコノミストや外国かぶれのエコノミストは、「景気刺激策として、これからは日本の内需拡大が必要だ」という。しかし日本は食料自給率たった40%の貿易立国。外需拡大こそ景気刺激策になる。そのためには諸外国が豊になって日本商品を買えるようになること。中国が豊になって日本の高額商品を買える人が増えてくれると外需拡大に結びつく。 「先に豊になれる人から豊になる」政策で豊かな人が増えることが日本の景気浮上に結びつく。日本列島のすぐ近くに、13億人、日本の10倍の巨大な消費市場が誕生しようとしている。貿易立国日本にとって、どうしてこれが「中国脅威論」になるのだ。ひがみ根性と嫉妬心の固まりでしかない。 こうした話題を取り上げると、「それは工業部門だけだ」と言う人が出そうだが、日本のコメがタイなど東南アジアで好評なことは再三取り上げた。2004年2月14日朝日新聞朝刊には、「日本の農産物 輸出を」「高品質でアジア進出」「果実や野菜が人気」との見出しが目に入る。
2004年3月25日の新聞によると、「米マイクロソフトによる独占禁止法違反事件を審査していた欧州連合(EU)欧州委員会は24日、マイクロソフトに4億9720万ユーロ(約656億円)の課徴金支払いを求めるとともに、パソコン用ソフト(OS)「ウィンドウズ」と音楽・映像再生ソフト「ウィンドウズ・メディア・プレーヤー」との分離出荷を90日以内に実行するよう命令した。」 と報道された。これによって次のことがはっきりした。欧州市場向けの新製品開発には多額の研究開発投資はしないこと。画期的な新製品を開発して他社が追従するまでに独占的利益を得ようとしても、欧州連合(EU)欧州委員会によって多額の課徴金支払いを求められる恐れがある。そうすると研究開発投資額を回収できない。そのような予想が立つならば、欧州市場での新製品開発投資は慎重にならざるを得ない。つまり「欧州市場向けの新製品開発は止めておこう」となる。 これからは欧州市場向けの商品開発に代わって、中国向けの商品開発が重視されるに違いない。ますます中国の消費市場が面白くなる。ますます欧州市場がつまらなくなる。
2004年3月25日朝日新聞夕刊に次のような記事があった。「ヒトの脳が大きくなったのは、約240万年前に起きた突然変異であごを動かす筋肉が減ったから――こんな可能性を米ペンシルバニア大などのチームが25日付の英科学誌ネイチャーで発表した」。240万年前と言えばルーシーがいた頃だ。 ハダール(アファールのアワシュ川流域の地名)で20才になったばかりで溺死した美女、その名もルーシー(アウストラロピテクス・アファレンシス)が突然変異をおこし、ホモ・ハビリスになり、ホモ・エレクトゥスになり、ホモ・サピエンスとなったのだろうか? 因みにルーシーとはビートルズの曲「ルーシーはダイヤモンドを抱いて夜の空 Lucy in the Sky with Diamonds 」から名付けられた。 ではミトコンドリア・イブはどうか?やはり突然変異なのだろうか?それとも種の多くがウィルスに感染してあたかも突然変異のように誕生したのだろうか?突然変異ならば1人、ウィルスならば感染したのは多数。ウィルスが蔓延し、多くが死に絶え、生き残った少数がルーシーになり、ミトコンドリア・イブになったのではないだろうか?ウィルスならばルーシー以外のアウストラロピテクスやネアンダール人が死に絶えたことの説明がつく。こうして頭の中での空想が駆けめぐり、人類発祥への興味がつきない。さらなる研究成果の発表が待たれる。
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<主な参考文献・引用文献>
「話の種」になる種子の話                        石井桃子 ごま書房     2002.10.14
進化論を拒む人々                             鵜浦裕 勁草書房     1998.11.20
種の起源                    C・ダーウィン 堀伸夫・堀大才訳 槇書店      1988. 6.20
ダーウィン進化論の現在                 E・マイアー 養老孟司訳 岩波書店     1994. 4. 6  
進化論という考えかた                           佐倉統 講談社現代新書  2002. 3.20
進化論の挑戦                               佐倉統 角川書店     2003. 1.25
進化論が変わる ダーウィンをゆるがす分子生物学         中原英臣・佐川峻 講談社      1991. 1.20
もっとわかる進化論                           金子隆一 日本実業出版社  1992. 3.20  
絵でわかる進化論                            徳永幸彦 講談社      2001. 6.20  
科学の目 科学のこころ                       長谷川真理子 岩波新書     1999. 7.19 
ダーウィンとヒラメの目 進化論をみなおす                牧野尚彦 青土社      2002.12. 5
キリンの首はウィルスで伸びた                  佐川峻・中原英臣 毎日新聞社    1995. 5.25
キリンの首はなぜ長いのか 動物進化の謎にせまる             実吉達郎 PHP研究所   1990.11.22
キリンの首             フランシス・ヒッチング 樋口広芳・渡辺政隆訳 平凡社      1983. 7.15
ルーシーの膝 人類進化のシナリオ       イヴ・コパン 馬場悠男・奈良貴史訳 紀伊国屋書店   2002. 4.27
ルーシーの子供たち ドナルド・ジョハンスン&ジェイムズ・シュリーブ 馬場悠男監修 早川書房     1993.11.15
ミトコンドリア・イブの贈り物                    フジテレビ編 双葉社      1992.
イヴの7人の娘たち               ブライアン・サイクス 大野晶子訳 ソニー・マガジンズ2001.11.10
ヒトの誕生 二つの運動革命が生んだ<奇跡の生物種>           葉山杉夫 PHP新書    1999. 6. 4
科学的発見の論理              カール・R・ポパー 大内義一・森博訳 恒星社厚生閣   1971. 7.25
( 2004年3月29日 TANAKA1942b )
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(33)市場重視と株式会社参入
さらなる進化のために
経済が成長して「豊かな社会」になってくると、それにつれて農業も進化してくる。どのように変わってくるのか?大きなポイントをまとめてみよう。
@ 生産者主導の体制から消費者主導に変わる。
A 個人単位の生産から法人組織中心になる
B 労働集約産業から知識集約産業になる
<市場のメカニズムが消費者を守る> 発展途上国から先進国型経済になると、市場のメカニズムが働くようになる。一国の経済の主導権を握っていたのが、生産者や国家であったのが消費者主導の経済になる。コメの生産量が足りない、需要に対して生産量が不足している、こうした場合、政府は米穀通帳を発行し少ないコメを不満の出ないように分配しようしてきた。国民すべてがコメ不足を感じているが、平等に不足しているので、「皆が不足しているのに、特定の誰かだけが得をしている」との嫉妬はおきない。消費者は農家と政府の提供するコメを文句も言わずに、感謝しながら消費する。終戦直後のコメ不足時代には都会の主婦は戦争中も大切に保存していた着物などを持って知り合いの農家へ行き、警察の取り締まりを気にしながらヤミ米やサツマイモを満員列車に乗って持ち帰った。こうした違法行為を拒否した弁護士が栄養失調になった。都会では魚の配給もあったし、外で食事をするには外食券食堂で食券を提出して食事をした。国民は「米穀通帳」によってコメの購入は管理されていた。 この時代、消費者は農家や政府に文句を言う事はできなかった。戦争が終わって外地からの引き上げが始まった。舞鶴港は引揚者で賑わった。狭い日本列島にかつての植民地から日本人が戻ってきたがので、ますます食糧不足は深刻だった。「農林22号」と「農林1号」との組合せによる、後に「コシヒカリ」と呼ばれる多収米を目指した品種改良は未完成だった。
 こうした生産者主導の経済システムが続いた。「お客様は神様です」という現在では当たり前のことが当時は当たり前でく「生産者は神様です」だった。1969(昭和44)年日本消費者連盟創立委員会が東京目黒の幼稚園の片隅で誕生し、風向きが変わった。竹内直一氏等の活躍により大企業が変わり始めた。それは大企業に良心があった、というのではなく、竹内氏が大企業の消費者を裏切る行為を摘発したからだった。「消費者相談窓口」とか「クレーム処理係」など、消費者の方を向いた営業姿勢に変わり始めた。高度成長に伴い、消費需要拡大が経済成長を促進するようになり、統制経済から普通の資本主義経済になっていった。それは生産者主導の経済から、消費者主導の経済であり、市場のメカニズムが生かされる経済でもある。 竹内氏の活躍したのは「消費者を守るために」であった。竹内氏の努力は実り「市場が消費者を守る」ようになった。誰か専門の人間が目を光らせていないと、「企業はヤバイことをする」と考えられていたが、普通の資本主義経済=消費者主導の市場経済では「市場が企業の監視役」になった。 「消費者を裏切ってヤバイことをすると結局は損する社会」になった。こうしたことを「アダム・スミス モスクワへ行く」から引用しよう。
 首  相 :あなたは本当に、見えざる手が誤った方向へ行かないと確信しているのですか?決して制限される必要がないと?これはバランスの問題ではありませんか?例えば消費者保護をとりあげましょう。私たちは、あなたは、あなたの国の有名な消費者運動家ラルフ・ネーダーと、彼の消費者保護をめざす改革運動をよく知っています。私たちの市場経済は揺籃期にありますが、歴史的に確立されたあなたがたの市場経済を踏まえても、新たに開放された私たちの新しい消費者を保護するために法律を制定しし政府機関を設立することはとりわけ必要なことだと思われます。
アドバイザー:あなたはおそろしく間違っています。消費者を保護するのは市場であり、、市場はいかなる法律や政府の官僚機構よりもうまくそれをするのです。あなたのよき意図は、人々の生活の重箱や割れ目まで首をつっこもうとする非効率的な過保護国家をつくりだすだけです。
 首  相 :なぜそうなるのですか?
アドバイザー:ラルフ・ネーダーやいわゆる「改革者」たちによる消費者保護運動の誤った前提は、政府が規制機関と検査官の大群を連れて市場にやってこない限り、消費者は強引な売り手の餌食にされるだろうというものです。 しかし基本的な事実は、もし消費者が食料品店で腐った肉を売りつけられたら、彼もしくは彼女は、まさしく手に入る限り最良の規制機関である市場を持っているということなのです。その消費者はその店をひいきにするのを止め、他の店に鞍替えするでしょう。腐った肉を売る店主は売上げを失い、財務的損失に苦しむでしょう。それゆえ、自由市場は食料品店主によい肉を売るか、ビジネスから退場するかを迫るでしょう。
 首  相 :問題はもっと複雑なんじゃないですか?もし消費者が有害性を判断することができなかったとすれば、どうですか?結局のところ、高度に発達したあなたの国でさえ、すべての人がエンジニアリングや化学や生物解剖学の学位をとれるわけじゃありません。
アドバイザー:生産者にとってのブランド名の価値を過小評価しないでください。信頼できて、確実性の高い製品をつくっているという評価を得ることは、生産者自身の利益になりなす。確かに、この評判は企業にとって、いかなる工場よりも価値のあるものになります。
 「訳者あとがき」には次のようにある。
 本書は、東ヨーロッパのどこかにある架空の国で行われる対話劇である。この国は、集権的計画経済から市場経済への移行を開始したばかりで、アメリカの経済学者がアドバイザーとして招聘され、移行のための様々な提言を首相に対して行っている。
 アドバイザーの基本的立場はビッグ・バンによる急進的な移行であり、首相はそれは漸進主義的な移行である。しかし、討論を行っているうちに、問われている問題はもっと深いものであることがわかる。討論の主題は、市場による資源配分と計画・組織による資源配分の関係、共産主義の巨大化志向と資本主義的独占の対比、私的所有権による動機づけがもたらす経済的効率性と正当性の関係、市場経済における政府の役割、そして人間の本質とそれを律するシステム、市場経済と民主主義の関係、科学時代における人間の傲慢さまで及んでいく。
 竹内直一氏の努力によって普通人の常識が通る社会になりつつあった。しかし、もれていた業界もあった。競争を制限した「護送船団方式」による銀行業界、生産性の低い企業もまもる「談合を正当化する」建設・土木業界、値引き販売を認めない「新聞、出版業界」、「永田町の論理」という独特の論理がある政治業界、「素人さんには手を出さない」と言いながら独特の倫理基準を持つ怖いお兄さんたちの集団、効率とか成果主義を認めない「教育業界」、外国資本の参入を拒む「マスコミ業界」、そして、自分たちのほうがずっと知識豊富だと思い「消費者教育が必要だ」と言う農業生産業界。 多くの分野で少ずつではあっても消費者主導の社会、普通人の常識が通用する社会になりつつある。
 「政府が規制機関と検査官の大群を連れて市場にやってこない限り、消費者は強引な売り手の餌食にされるだろう」という消費者保護運動の誤った前提は日本でもある。企業不祥事があると政府・行政機関を非難する。雪印食品や日本ハムなどの食肉偽装事件、三菱自動車のクレーム隠し、鳥インフルエンザの届け出違反、六本木ヒルズの自動ドア事件、こうした問題で政府の安全基準の甘さを非難する。遺伝子組み換え食品にも言えることだが、「もし国の安全基準がなかったらどうなるか?」を考えてみる。もし被害があったら「我が社は国の安全基準を浸しているので、責任はない」と言うだろう。そしてその主張が通れば「国の基準以上の安全審査をする必要がない」となる。 もし国の基準がなかったら、こうした言い訳は通じないので、「安全かどうか事前に十分な審査をしておこう」となる。「消費者を裏切ってヤバイことすると、結局は損する」と書いてきたが、鳥インフルエンザに関して言えば「結局は悲惨な結果に終わる」となってしまった。六本木ヒルズと三和シャッターは法律に定められた以上の制裁、ユーザー、取引先、事後処理にかかるコスト、などで営業成績に大きな影響だ出るだろう。これに対して行政側の安全対策の不備を突くのは、「アダム・スミスモスクワへ行く」の集権的計画経済に慣れ親しんで、市場経済を理解していない「東ヨーロッパのどこかにある架空の国」の首相と同じだ。雪印乳業、日本ハム、三菱自動車は企業不祥事をどのように捉えているのだろうか?あまりニュースにはなっていない。 東ヨーロッパのどこかにある架空の国で行われるように、監視機関を作るのだろうか?社員が不祥事を起こさないように、社員を見張る社員を雇うのだろうか?「企業・市場・法・そして消費者」を理解すれば問題解決への対策がはっきり見えてくる。市場に頼らず、行政に頼ろうとする「隠れコミュニスト」がまだ多くいるようだ。日本の農業政策についても政府、農水省を批判する声は多いが、「政府を無視して、自分たちで勝手にやっていこう」との声は聞こえない。官に逆らう農業経営者は出てこなし、「早く出て来い」との声も聞こえてこない。
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<「農業は自作農が基本」を疑ってみよう> 農業問題や食料問題は、よく聖域であると言われる。普通の産業を見るような目で農業を見てはいけないと言われるのだ。しかし、日本には聖域といわれた分野が多すぎるのではないだろうか。農業だけでなく、金融、医療、教育など、すべて聖域といわれてきた。聖域というレッテル付けで通常の経済の論理を排除してきた結果、金融・医療・教育などの分野で、大きな問題が露呈している。そうした意味では、農業や食料こそ、聖域というこれまでの考え方が最も大きく破綻している分野ではないだろうか。 ここは現実を大胆に捉えて、食料を特殊な見方ではなく、他の多くの産業と同じような常識的な経済観で見すえる必要がある。食料や農業の分野で正しいと考えられていることについて、もう一度ゼロから議論をしてみる必要がある。いくつか、「常識」について例を挙げてみよう。
 第1は、戦後日本の農業の基本的考え方である、小作制度は好ましくなく、自営農業が中心であるべきだという点だ終戦直後の農地改革で地主の保有していた農地が解放され、多くの小作農が自作農になった。そして、この自作農が戦後の日本の食料供給を支えてきた。 たしかに、終戦直後の時点においては、農地改革は画期的な政策であった。しかし、それから50年たった現在、農業は自作農に限るという考え方は果たして正しいのだろうか。第2次産業や歳3時産業の世界では、サラリーマン化が進み、大半の人は雇用される立場にある労働者である。 これは農業のケースでいえば、自らが土地を所有しない農業労働者に対応する。土地を持たない農業労働が問題であるなら、資本を持たない工場労働者も問題であるということになる。しかし、それでは工業生産は成り立たない。
 本書の中で議論するように、日本の農業の脆弱さの根本は、農業生産者の工作する土地の狭さにある。多くの農家がわずかばかりの自分の土地にこだわる。それでは生活が成り立たないから、所得の大半を勤め人として稼ぐ兼業農家が増える。本格的に農業をやろうとする若い人が出てきて、産業的に食料の生産に取り組みたいと考える企業があっても、そうした所には土地が集まりにくい。株式会社が農業をビジネスとして行うにはさまざまな制度的製薬がある。
 これでは日本の農業がじり貧になるのも無理はない。兼業農家でも、自分の子供たちに農業を継がせようとは考えてないのが現実である。何よりも農業に従事している人たちが、日本の農業の将来を悲観的に見ている。その結果、後継者が続かず農業の高齢化が進むことになる。農業は自作農を基本に考えるべきであるという原則について、もう一度考え直してみる必要がある。 (「日本の食料問題を考える」から)
 上記の指摘には大学生の若い新鮮な感覚を感じます。『土の匂いがしない』とか『鍬を持つ汗の匂いがしない』『理論のための理論』と言って外部からの意見を拒否する人の耳にまでは届かないかも知れないが、百花繚乱百家争鳴がいいと思う。
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<効率的な経営組織は株式会社> 農業が産業として発展するのに適した組織は「株式会社」だ。なぜ株式会社がいいのか?それは他の産業を見ればいい。どの産業でも中心的存在は「株式会社」だ。ではなぜ農業では株式会社を嫌うのか?それは、株式会社が多の個人営業に比べて大きな利潤をあげ、「農村社会に貧富の格差が生じる」と考えるからだろう。「たとえ貧しくとも、皆が平等に貧しいなら、それは良いことだ」、との考えもあるのだろう。 しかし、これから農業で生計を立てようと考える若い人は「独身時代は良いが、結婚したらどうしよう。妻子を養っていけるだろうか?」このように考えたら農業以外の仕事を選ぶだろう。 それでも「農業は儲け主義に走ってはいけない」となると、農業が産業ではなくて「宗教」になる。
 豊かな生活を目指すことは自然なことだ。そして農業で利潤を追求しようとするのも自然なことだ。皆が自分の利潤追求に熱心になり、そのためのルールが整っている社会、それが資本主義者であり、市場経済だと考えればいい。そのように考えると、「農業が先進国型産業」である、と理解できるようになる。
 2004年3月27日NHKTVで、日本農業賞を紹介していた。受賞3件で株式会社1社、有限会社2件。ただし、この番組でそれぞれの農家が新しいことにチャレンジしていることは分かったが、はたして儲かっているのか?それは報道していない。楽しくて、意義のあることは分かったが、経営的に利潤をあげているのかどうか? 農業問題を扱うとき、利潤があがっているのかどうか?その点が取り上げられない。趣味や公共事業ならそれでもいい。しかし農業を産業として捉え、それで生計を立てる手段と考えれば、儲かるかどうかがポイントになるはずだ。もっとも 最終的に売って(売れて、或いは消費者に買ってもらって)ナンボの話しと割り切ってしまうことが出来ない人がいるので、マスコミはそれに逆らわないように「儲かるかどうか?」は問題にしないようにしているのかも知れない。
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<主な参考文献・引用文献>
アダム・スミス、モスクワへ行く 市場経済移行をめぐる対話劇 W・アダムス、J・W・ブロック 川端望訳 創風社 2000.12.25
日本の食料問題を考える                             伊藤元重+伊藤研究室 NTT出版 2002.10.17
( 2004年4月5日 TANAKA1942b )
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(34)やはり農業は先進国型産業であった
参考になった文献集
<「コシヒカリ」から「種の起源」まで> 「コメ自由化への試案」と題するこのHP、コメだけでなく日本農業全般についても考えてきた。多くの人の主張を読んでみて、悲観的、敗北主義的、自虐的見方が多いことが気になった。産業全般についても「中国脅威論」がある。日本のすぐ近くに13億人、日本の10倍の巨大な消費市場が誕生しようとしているのに、なぜ「中国脅威論」なのか? マスコミは「ノストラダムス」に代表するように、センセーショナルな情報を販売し利益を確保する。評論家は「正義」の包装紙にくるんだ「独自の情報という商品」をマスコミ業者に提供し、生活費を稼ぐ。こうしたビジネスとしての評論を真似るアマチュアがいて、「日本農業崩壊論」が受け入れられる農村社会になる。 そこでは「土の匂い」とか「村八分」といった、仲間内独特の言葉が流通する。 江戸時代から「好奇心」と「遊び心」いっぱいの日本人は、品種改良において世界の最先端をいっていたのにもかかわらずだ。 
 「農業は先進国型産業である」とは「農業自立戦略の研究」(通称「NIRA報告書」総合研究開発機構発行 1981.8.1)が主張している。その主張をそのまま取り入れて、この「先進国型産業」と「品種改良」との一代雑種「品種改良にみる農業先進国型産業論」をテーマに1年近く取り組んできた。「その日暮らし」ではなく「その週暮らし」という常に せっぱ詰まった毎週ではあったが、なんとか最終回を迎えることができた。終わり近くなるにつれて、悲観的、敗北主義的、自虐的な農業観が誤っている、との思いがさらに強くなった。そしてポイントは「産業」という言葉に代表される。「農業は産業なのか?公共事業なのか?」と問えば、はっきり「産業である」と言い切れる。これが「尊農攘夷論者」との決定的な違いになる。
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<農業経営者は「儲かる農業を目指す」こと> TANAKA1942b「農業は先進国型産業である」と考える。この場合の「先進国型」と「産業」とはどのように考えたら良いのだろうか?まず「産業」から。
 農業は産業であり、「国土保全のための公共事業」ではない。農村部の緑がストレスのたまった人に癒し効果があるとしても「ストレス解消の医療行為」ではない。食の大切さを学ぶ「教育事業」でもない。都会でリストラになった人たちの再就職を受け入れるための「雇用安定事業」ではない。野菜や植物好きの「趣味の農業」でもない。 農業経営者とそこで働く人々の生活費を稼ぎ出す行為であり、さらに豊かな生活を生み出すための事業である、と考える。従って農業をするからには儲からなければ意味がない。「農業経営者は、儲かる農業を目指すこと」という当たり前のことが忘れられている。イヤ、分かっているけれど本音は言わずに、ええ格好しているのかもしれない。 理由はともかく、農業を考えるとき、「農業経営者は、儲かる農業を目指すこと」という当たり前のことをはっきりとした前提として話を進めなければならない。
 産業と言っても「先進国型」とそうでないのとの違いは何か?このように考えるといい。働く人たちの「分業」と「比較優位」が生かされているか?という点だ。日本の農業は少人数で経営されている。社長が「最高意志決定者」であると同時に、「小使い」であり、「運転手」であり、「仕入れ係」「出荷係」「掃除係」を含む「何でも屋」である場合が多い。 これではそれぞれの仕事に専門家として対処できない。江戸時代の商家だって、旦那、番頭、丁稚、小間使い、飯炊き女、ときには用心棒、居候、食客などと言われる人がいて、それぞれの役割を担っていた。現代の農業経営者よりもそれぞれの分野でより専門知識を持った職人であった。 NHKTVによると、今年の日本農業賞受賞3件の内訳は、株式会社1社、有限会社2件となっている。物作り大国日本にあって、工業生産部門に比べればかなり遅れをとったが、それでも法人化は進みつつある。この流れは止まらない。
 農業経営者が儲かる農業を目指すといいことがいっぱいある。いっぱい儲かったら、いっぱい消費するだろう。儲かった分をどんどんタンス預金に回す人もいないだろう。そうすると消費不足・需要不足のデフレ・スパイラルに歯止めがかかる。特に贅沢品でも買い込むようになれば、実質需要以上に期待消費需要が拡大する。地域の活性化、農業関係業者の取引の活発化、そして何よりも意欲的な若者が農業に参入してくる。「農業も結構儲かりそうだ」とやる気十分で参入してくる。 日本農業の活性化には、先ず農業経営者が儲かっているところを見せつけることだ。「日本農業危機論」のような、悲観的・敗北主義的・自虐的なことを言っていて、若者が勇んで参入してくるはずがない。もしかして、悲観論者は若者に参入して欲しくないのかもしてない。「農業なんてこんなに先行き暗いのだから、他の仕事を探しなさい」と言いたいのかもしれない。農業が「産業」⇒「公共事業」⇒「ボランティア」⇒「趣味」⇒「新興宗教」と変わっていくとすると怖ろしい。 ある団体では「教育」と称して、子供に無給で農作業をさせ、安い野菜を会員に販売している。子供たちの勤労奉仕は「教育」であり「精神修行」であり「宗教行為」でもあるらしい。
 農業経営者は「消費者の喜ぶ農作物を栽培し」儲かる農業を目指し、集荷業者、卸売り業者は「流通コストの低減を通じて」利潤を追求し、小売業者は「消費者ニーズを的確に流通業者・農業経営者に伝えることにより」売上げを伸ばす。消費者はこうした人たちの「善意」とか「慈愛心」に期待するのではなく、彼ら自身の「利益追求心」に期待する。 こうして誰もが、自分の利潤を追求しようとする。そうすると誰も考えていたわけでもないのに、見えざる手に導かれて、大きな目標――日本農業の活性化、を促進する事になる。これが農業に対するTANAKA1942bの基本的な考えです。
 昨年6月から始めたこのシリーズ、今回が最終回になります。その日暮らしではなく、その週暮らしの連続でした。迷いながらも最終回になりました。長い間お付き合い頂きありがとうございました。本当にありがとうございました。
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<参考になった文献――おすすめ本>
農業自立戦略の研究(通称「NIRA報告書」) 日本農業生産構造近代化への新しい提言  国民経済研究協会編 総合研究開発機構 1981. 8. 1
 このシリーズ「日本人の作り出した農作物」を書こうと思い立ったのは、この本を読んだから。[発刊にあたって] には次のようにある。
 農業問題の研究には様々なアプローチの方法が考えられるが、今回の研究においては日本農業の生産構造の問題をとり扱うにあたって、工業部門の近代化のプロセスとその論理を農業部門に適用するという作業仮説を設定した。そして○仮説の検証、○既存の農業政策の批判的検討、○新しい政策体系への展望という手続きでその解明にあたった。作業仮説はつぎのようである。
@ 日本農業は技術進歩の余地・可能性が大きく、農業分野におけるイノベーションを促進する政策体系への展望が今の農業問題解決の鍵である。
A 農業は研究開発集約型産業でありうるという意味で先進国型産業である。したがってヒューマン・キャピタルの蓄積こそが農業発展の重要な要因である。
B このイノベーションとヒューマン・キャピタルの蓄積は競争原理によってこそ促進される。
C 日本農業は輸出産業になる可能性をもつ。
研究を進めるに当たっては可能なかぎりフリーな視点で農業を見直しながら、海外先進国調査も含めた現地調査とヒヤリングを重ねた。
 「日本農業の自立と発展を求めて」は本書を基に行ったシンポジウムと本書の要約が掲載されている。
日本人が作りだした動植物品種改良物語 日本人が作りだした動植物企画委員会編 裳華房 1996. 4.25
 明治以後の日本の科学で、最も早く国際水準に到達したものの一つは、遺伝学であるといわれる。もしノーベル賞に生物学賞があったならば、1949(昭和24)年の湯川秀樹氏の物理学賞の初受賞と前後して、日本から受賞者が出たろうといわれているし、いわゆる高度成長が始まる以前の昭和30年代のごく初期に、いち早く日本で行われた大規模な国際学会は、国際遺伝学会であった。遺伝学がめざましく発達できたのは、それに先立ち、栽培植物と飼育動物の分野で、品種改良の長い歴史があったからだと考えられる。 その経験から得られた知識の集積が、遺伝を研究する際の素材として生かされたに違いない。
 江戸時代から日本は品種改良では世界でも最先端をいっていた。それも植木職人など一部の専門家だけではなく、将軍・殿様・武士・町人・百姓などが「好奇心」と「遊び心」いっぱいの取り組んだからだった。その気質は明治維新後も受け継がれていて、今日の「モノ作り大国」を築き上げた。
コシヒカリ物語 日本一うまい米の誕生 酒井義昭著 中公新書 1997. 5.15
 現在、普及率上位の品種は、ほとんどコシヒカリの子か、孫だ。「あきたこまち」にしても、「ひとめぼれ」にしても、「ヒノヒカリ」「きらら397」にしても、すべてコシヒカリの子か孫だ。コシヒカリを利用することによって食味を向上させ、価格的に有利に取引されている。その「コシヒカリ」は戦争末期から敗戦直後の食糧難時代に、つまり質よりも量が重要視された時代に育成された。 何度も開発が中止されそうになったり、農試をたらい回しにされたり、そうして誕生したのが、初めの目標――いもち病に強い多収米――とは違った日本一美味しいコメだった。品種改良を考える場合、「コシヒカリ」の開発は無視して進めることは出来ない。
きらら397誕生物語 佐々木多喜雄著 北海道出版企画センター 1997. 7. 9
 「鳥またぎ猫またぎ米」と揶揄された道産米が「きらら397」となって誕生するまでの物語。コシヒカリは試行錯誤の連続だったが、こちらは計画通りの品種改良が進んだ。ネーミング、宣伝、販売戦略など、農業が産業であるとの認識に立っての開発戦略だった。 きらら397は収穫量、作付面積ともに全国第5位を占めている。 北海道という寒い地方でこれほど美味いコメが栽培されることは、過去には考えられないことだった。
世界を変えた野菜読本 シルヴィア・ジョンソン 金原端人訳 晶文社 1999.10.10  
 トマトがなかったらイタリア料理はどんなものになるだろう?辛くて刺激的なトウガラシがなかったら、インドカレーはどんな味になるだろう?もしジャガイモがなかったら、ドイツ人やロシア人はどんな料理を作るのだろう?チョコレートがなかったら、フランス人のシェフはどうやってムースやエクレアといった、ほっぺの落ちそうなデザートを作るのだろう? このように始まり、1492年10月12日、クリストファー・コロンブスと彼の部下たちがインドや東インド諸島への近道を探しているうちに、カリブ諸島に到着した。アジアの一部と思い込んでいたアメリカ大陸を発見してしまったコロンブスの後、多くの冒険家が新大陸を目指し、帰りには金や銀や、そして野菜を持ち帰った。ヨーロッパ人が知らなかった多くの野菜、それがどのように受け入れられていったのか?「新大陸からの金銀以上の宝物」「ヨーロッパ人が食べ始めた農産物」について書かれている。 野菜のグローバリゼーションについて丁寧に書かれている。
花の品種改良入門 西尾剛・岡崎桂一 誠文堂新光社 2001. 6.15
 アマチュアが花の品種改良を行う時の手引き書。品種改良の基礎知識から、メンデルの法則、育種法の解説など。11種の花の交配技術の具体的な方法の説明があり、専門用語の解説まである。 ネットで「アマチュアが花の品種改良をするときの手引き書の良いのはないか?」と呼びかけたら、この本の推薦があった。品種改良に関して専門書は多く出版されているが、アマチュアが家庭菜園などで楽しもうと思うと難しすぎる。「育種学」の本は多いが、「手引き書」は見あたらない。図書館で多くの本のページをめくってみたが、確かに「手引き書」として最適の本に思えた。
文明が育てた植物たち 岩槻邦男 東京大学出版会 1997. 5.15  
 本書はヒトが文明を育ててくる過程で、多くの生物種を滅ぼしてきただけでなくて、新しい種の草勢にも貢献したことを論証しようというものである。この本を書くにあたってはいろいろのきっかけが絡み合っている。都会に自然がない、といわれる。その言葉に刺激されて、都会のコンクリート・ジャングルに生きる野性に目を注ぐという臍曲がりを始めたのも動機の一つである。自然への郷愁をよぶとされる人里の風景は、新石器時代以後の人類が人為の管理においてきた反自然の姿である。 しかし、その人工の環境は、ヒトと自然が馴染みながら、調和ある共存を図ってきたものだった。だからこそ、2千数百年にわたる人類の繁栄が支えられてきた。そこでは、ヒトと馴染みながら、環境を豊かにする植物の種形成も促されてきた。ヒトも自然の一員であることに徹した生き様をみせていたのである。
文明と植物との関連、そしてそうした変化をどのように考えるべきか?という実用書ではなくて、文明について考えさせられる本。
食の未来を考える 大澤勝次・今井裕 岩波書店 2003. 6.27 
 農耕はカルチャーと訳され、文明、文化と同義ですが、これは、大地に種をまき作物を育てることが、人類の文明の発祥であることを端的に示しているのだと思います。ただし、ここでもう一つしっかり認識して置きたいことは、人類が繁栄を謳歌することになったこの農耕の発見は、同時に、人類が地球の自然生態系に手を加え始めた第一歩であったということです。
 作物」と「畜産」の2部構成で、「第1部作物」は、第1章 「作物」はどのようにして誕生したのか、第2章 遺伝子組換え(GM)作物の登場、第3章 これからの食材と食の未来、となっている。遺伝子組み換え開発に携わった立場で書かれた、分かりやすい解説書。品種改良の方法から、遺伝子組み換えへと話が進む。組み換え技術に取り組んでいる技術者ならではの、技術観を感じる。それは決して悲観論者ではない、技術者独特の明るい未来観が感じられる。
白菜のなぞ 板倉聖宣 仮説社 1994.11. 1 
 板倉聖宣(きよのぶ) 1930年、東京生まれ。1958年、東京大学大学院数物系研究科を修了。理学博士。1963年、科学教育の改革のため、「仮説実験授業」を提唱。1983年、月刊『たのしい授業』(仮説社)を創刊、以来編集代表をつとめる。
 [著書]『科学的とはどういうことか』『磁石の魅力』『歴史の見方考え方』『地球ってほんとにまあるいの?』『磁石の魅力』『仮説実験授業のABC』(以上、仮説社)、『いたずらはかせのかがくの本』(12巻、国土社)、『砂鉄とじしゃくのなぞ』(国土社)、『ジャガイモの花と実』(福音館書店)など。 ハクサイが日本で普及したのは明治維新以後、だということに好奇心を持ち、それを満足させるために調べていく、そうした科学者独特の研究態度に感心させられる。
ふしぎの植物学 田中修 中公新書 2003. 7.25
 道路に街路灯が設置され、毎夜、明るく点灯されると、「タマネギやジャガイモの収穫が落ちた」と、まわりの畑で騒がれる。タマネギやジャガイモたちは「植物が季節を知るために、昼と夜の長さを目印にしていることを知っていてくれたなら、そんな騒ぎはおきなかったはずだ」と、植物たちの生き方への、私たち人間の無頓着さを嘆いているだろう。
 本書を読み終わられるころ、暮らしの中で出会う植物たちに、「けなげに生きているんだね」「がんばって、花を咲かせてよ」「私たちより、かしこいかもね」などと、声をかけたい気持ちになってほしいと願っています(「はじめに」から)。
著者は植物を、犬や猫のようなペットのように愛おしく思っているのでしょう、そのような著者の優しい気持ちをいっぱい感じる本です。
自殺する種子 遺伝子資源は誰のもの? 河野和男 新思索社 2001.12.30
 著者紹介 河野和男(かわの・かずお)1941年大坂生まれ、北海道大学大学院農学研究科博士課程修了。国際稲研究所(IRRI)研究生、米国ノースカロライナ州立大学客員助教授、ペルー国稲作計画育種専門家を経て、1973年国際熱帯農業研究センター(CIAT;コロンビア)キャッサバ育種室長として着任。熱帯の大作物キャッサバの育種を開始し、変異の大きな巨大な育種材料集団をつくり上げる。 1983年タイに移り、CIATのアジアキャッサバプログラムを設立し、アジア各国で35の新品種が採用され、その栽培面積は100万ヘクタールに及ぶ。1998年帰国し、現在、神戸大学農学部教授。作物育種学、生物進化学専攻。この間、キャッサバ育種研究体制の確立と新品種の開発と普及に対し、ベトナム国農業功労メダル、タイ国最高位勲三等勲章、中国友誼奨、日本・外務大臣表彰、日本農学賞、読売農学賞ほか多数の内外の賞を受賞。
遺伝子組換え作物 大論争・何が問題なのか 大塚善樹 明石書店 2001.10.31
 遺伝子組み換えに関しては、冷静な議論ではなく、感情的な一方的な論調が目立つ。賛否両論それぞれ信念を持っているので、相手の説得には耳を貸さない。そこで説得する側は声も荒々しく自己主張をする。そのような論調が多い中にあって、この本は冷静に賛否両論を紹介しています。賛否どちらか信念を持っている人は「この本は偏っている」と感じるでしょう。賛否どちらの人も「相手側の意見を強調していて偏っている」と主張するでしょう。
増補改訂 遺伝子組み換え食品 天笠啓祐 緑風出版 2000. 1.31                
 第一部「食糧危機の構造」、第二部「遺伝仕組み換え食品」となっている。この本の「おわりに 近未来社会のシナリオ」から、このシリーズ26で「日本農業崩壊の日」を引用した。感情的な遺伝子組み換え批判が多い中で、これは冷静に論じている。人それぞれ主張するところは違っても、主張の仕方、つまり論理的か?感情的か?でその評価が違ってくる。 有機栽培、地産地消、産地直売、減反、自由化、株式会社の土地所有、日本の農業に関するこうした問題を、感情的にではなく、理性的に議論できるようになるといい。
日本の食料問題を考える 伊藤元重+伊藤研究室 NTT出版 2002.10.17
 伊藤元重教授とそのゼミの学生が書いた本。序章は「消費者の視点から見る食料問題」。農業問題で「消費者」という言葉は往々にして「消費者運動」の意味になり、一般庶民の感情からかけ離れた主張になる。
 第一部「行きづまる食料政策」、第二部「変わる食料の現場」、第三部「日本の食料は大丈夫か」と幅広いテーマを扱っている。農民でも、業界人でもない、いわば傍観者の大学生、それだけに他の本にはない新鮮さが感じられます。伊藤元重+伊藤研究室の他のシリーズ同様、テーマを丁寧に扱っているのも好感が持てます。
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<参考文献・引用文献>   乱読のため順不同
日本農業の自立と発展を求めて――NIRA農業自立戦略の検討――   総合研究開発機構編 時潮社      1982.10. 8
農業・先進国型産業論 日本の農業革命を展望する               叶芳和 日本経済新聞社  1982. 7.15
日本よ農業国家たれ 21世紀の産業                      叶芳和 東洋経済新報社  1984. 7.31
先進国農業事情 農業開眼への旅                       叶芳和 日本経済新聞社  1985. 2.25
コメをどうする 農政改革のこころ                      叶芳和 日本経済新聞社  1987. 6. 4
農業ルネッサンス 21世紀産業のイノベーターたち               叶芳和 講談社      1990.11.24
コシヒカリを創った男                            粉川宏 新潮社      1990. 3.15
コシヒカリ                  日本作物学会北陸支部北陸育種談話会編 農山漁村文化協会 1995.12.15
あきたこまち物語                        読売新聞秋田支局編 無明舎出版    1989. 6.10
銘柄米をつくりこなす「あきたこまち・はなの舞」          農山漁村文化協会 農山漁村文化協会 1990. 3.15
銘柄米をつくりこなす「ヒノヒカリ・ミネアサヒ・早期コシヒカリ」  農山漁村文化協会 農山漁村文化協会 1990. 3.30 
銘柄米をつくりこなす「キヌヒカリ・初星」             農山漁村文化協会 農山漁村文化協会 1990. 3.30
ぜひ知っておきたい 昔の野菜今の野菜                  坂本利隆著 幸書房      2001. 6.30
野菜 在来品種の系譜                            青葉高 法政大学出版局  1981. 4.10  
日本の野菜 産地から食卓へ                      大久保増太郎 中公新書     1995. 8.15  
農業の雑学事典                         藤岡幹恭・小泉貞彦 日本実業出版社  1995. 9.10
世界を変えた作物                         藤巻宏・鵜飼保雄 培風館      1985. 4.30
じゃがいもの旅の物語                           杉田房子 人間社      1996.11. 7  
世界を制覇した植物たち                      日本園芸化学会編 学会出版センター 1997. 5.10  
緑の革命の稲・水・農民                          増田萬孝 農林統計協会   1995. 1.10
さつまいも ものと人間の文化史90                     坂井健吉 法政大学出版局  1999. 2. 1
さつまいも史話 コロンブスから芋地蔵まで                木村三千人 創風社出版    1999.11.10 
トマトが野菜になった日 毒草から世界一の野菜へ              橘みのり 草思社      1999.12.25
古代からのメッセージ 赤米のねがい                    安本義正 近代文芸社    1994. 3.10 
近世稲作技術史                               嵐嘉一 農山村分化協会  1975.11.20
江戸庶民の四季                             西山松之助 岩波書店     1993. 3.24 
江戸は躍る                                中田浩作 PHP研究所   2001.11. 7
江戸の道楽                                棚橋正博 講談社      1999. 7.10
江戸の素顔                                暉峻康隆 小学館      1995. 7. 1
江戸時代                                大石慎三郎 中公新書     1977. 8.25
江戸は夢か                                水谷三公 筑摩書房     1992.10.30 
江戸の旅人                               高橋千劔破 時事通信社    2002. 5. 1
江戸の宿                                 深井甚三 平凡社      2000. 8.21 
江戸のガーデニング                           青木宏一郎 平凡社      1999. 4.19  
江戸庶民の信仰と行楽                          池上真由美 同成社      2002. 4. 1
江戸庶民の旅 旅のかたち・関所と女                    金森敦子 平凡社新書    2002. 7.22  
百万都市 江戸の生活                            北原進 角川書店     1991. 6.30
近世の村と生活文化                             大藤修 吉川弘文館    2001. 2.20
江戸の産業ルネッサンス                          小島慶三 中央公論社    1989. 4.25
百姓一揆とその作法                             保坂智 吉川弘文館    2002. 3. 1
江戸商人の知恵嚢                              中島誠 現代書館     1999. 5.20
村からみた日本史                             田中圭一 ちくま新書    2002. 1.20
江戸時代の先覚者たち―近代への遺産・産業知識人の系譜―          山本七平 PHP研究所   1990.10.19
日本の名著 23 山片蟠桃 海保清陵                   源了圓編 中央公論社    1971. 2.10
日本思想大系 44 本多利明 海保清陵             塚谷晃弘・蔵並省自 岩波書店     1970. 6.25
稲 品種改良の系譜 ものと人間の文化史86                   菅洋 法政大学出版局  1998. 5. 1
続 図解・米の品種                        日本穀物検定協会          1999. 6.30
図解・米の品種                          日本穀物検定協会          1999. 9.20
植物の育種学                               日向康吉 朝倉書店     1997. 3. 1
菜の花からのたより 農業と品種改良と分子生物学              日向康吉 裳華房      1998.11.25  
沙漠緑化に命をかけて                           遠山正瑛 TBSブリタニカ 1992. 7.17
沙漠緑化への途                              村井資長 早稲田大学出版部 1995. 7.25 
沙漠よ緑に甦れ ジュブティ共和国10年の戦い                 高橋悟 東京農大出版会  2000. 5.18
砂漠化防止への挑戦                             吉川賢 中公新書     1998. 4.25
砂漠緑化の最前線                           真木太一ほか 新日本出版    1993. 7.25
レバノン杉のたどった道                          金子史朗 原書房      1990.12.12
古代文明と環境 文明と環境T                梅原猛・伊東俊太郎監修 思文閣出版    1994. 8. 1
古代文明の隠された真実                           竹内均 同文書院     1997. 3. 8
イネの育種学                               蓬原雄三 東京大学出版会  1990. 6.20
日本の野菜 青葉高著作選T                         青葉高 八坂書房     2000. 6.30
日本の野菜 産地から食卓へ                      大久保増太郎 中公新書     1995. 8.25
農業技術を創った人たち                          西尾敏彦 家の光協会    1998. 8. 1  
植物の育種学                               日向康吉 朝倉書店     1997. 3. 1  
新植物をつくる                              長尾照義 丸善       1987. 1.15  
植物の科学                                八田洋章 ナツメ社     2003. 5.10
夢の植物を育てる                          鎌田博・堀秀隆 日本経済評論社  1995. 7. 1
いまなぜ種子か                             友永剛太郎 講談社      1982.11.20 
栽培植物と農耕の起源                           中尾佐助 岩波新書     1966. 1.25
絹の文化誌                         篠原昭・嶋崎昭典・白倫 信濃毎日新聞社  1991. 8.25 
京の伝統野菜と旬野菜                           高嶋四郎 トンボ出版    2003. 6.10 
食と農の戦後史                               岸康彦 日本経済新聞社  1996.11.18
新データブック 世界の米 1960年代から98まで              小田紘一郎 農山村文化協会  1999. 3.10 
遺伝子改造社会 あなたはどうする                 池田清彦・金森修 洋泉社      2001. 4.21
遺伝子組み換え作物と環境への危機      ジェーン・リスラーほか 阿部利得ほか訳 合同出版     1999.10.25
遺伝子組換え作物の生態系への影響             (独)農業環境技術研究所編 養賢堂      2003. 3.25
食の世界にいま何がおきているか                      中村靖彦 岩波新書     2002.12.20
よくわかる遺伝子組み換え食品                       渡辺雄二 KKベストセラーズ 2001. 6. 5
不安なバイオ食品                             渡辺雄二 技術と人間    1997. 2.10
そこが知りたい! 遺伝子操作                  富永祐久・八色裕次 かんき出版    2001. 8.16  
組換え農作物 早わかりQ&A             農水省農林水産技術会議事務局          2002. 4
くらしのなかのバイオテクノロジー           農水省農林水産技術会議事務局          2001. 4 
なぜ遺伝子組換え作物は開発されたか バイオテクノロジーの社会学      大塚善樹 明石書店     1999.10.25
遺伝子組み換え作物に未来はあるか            柳下登・塚平広志・杉田史郎 本の泉社     1999.12.10
「話の種」になる種子の話                         石井桃子 ごま書房     2002.10.14
進化論を拒む人々                              鵜浦裕 勁草書房     1998.11.20
安全性の考え方                             武谷三男編 岩波新書     1967. 5.20
安全学                                 村上陽一郎 青土社      1998.12. 4 
国富論                       アダム・スミス 大河内一男監訳 中央公論社    1978. 4.10
経済学及び課税の原理                デビッド・リカード 竹内謙二訳 千倉書房     1981.11.15
自由への決断              ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス 村田稔雄訳 広文社      1980.12.25
隷従への道 全体主義と自由  フリードリッヒ・A・ハイエク 一谷一郎・一谷映理子訳 東京創元社    1992. 7.30
蜂の寓話―私悪すなわち公益           バーナード・マンデルビル 泉谷治訳 法政大学出版会  1985. 6.24
恋愛と贅沢と資本主義              ヴェルナー・ゾンバルト 金森誠也訳 講談社学術文庫  2000. 8.10
有閑階級の理論                ソースティン・ヴェブレン  高哲男訳 ちくま学芸文庫  1998. 3.10
資本主義と自由                 ミルトン・フリードマン 熊谷尚夫訳 マグロウヒルブック1975.11.20
選択の自由 自立社会への挑戦           M&R・フリードマン 西山千明訳 日本経済新聞社  1980. 5.26
政府からの自由                ミルトン・フリードマン 西山千明監修 中央公論社    1984. 2.10
小さな政府の経済学         ジョージ・スティグラー 余語将尊・宇佐見泰生訳 東洋経済新報社  1981. 9.24
企業・市場・法         ロナルド・H・コース 宮沢健一、後藤晃、藤垣芳文訳 東洋経済新報社  1992.10.29 
ベッカー教授の経済学ではこう考える  G・S&G・Nベッカー 鞍谷雅敏・岡田滋行訳 東洋経済新報社  1998. 9.17
経済学で現代社会を読む             ダグラス・C・ノース他 赤羽隆夫訳 日本経済新聞社  1995. 2.20
ランチタイムの経済学           スティーブン・ランズバーグ 佐和隆光監訳 ダイヤモンド社  1995. 4.13
フェアプレイの経済学           スティーブン・ランズバーグ  斎藤秀正訳 ダイヤモンド社  1998. 5.14  
寓話で学ぶ経済学 ―自由貿易はなぜ必要か―   ラッセル・D・ロバーツ 佐々木潤訳 日本経済新聞社  1999. 7.12
裸の経済学                   チャールズ・ウィーラン 青木栄一訳 日本経済新聞社  2003. 4.23
経済政策を売り歩く人々         ポール・クルーグマン 北村行伸・妹尾美紀訳 日本経済新聞社  1995. 9.20
世界大不況への警告                ポール・クルーグマン 三上義一訳 早川書房     1999. 7.31
入門経済思想史 世俗の思想家たち    ロバート・L・ハイルブローナー 八木甫他訳 ちくま学芸文庫  2001.12.10
アダム・スミス、モスクワへ行く      W・アダムス、J・W・ブロック 川端望訳 創風社      2000.12.25
経済学の巨人たち                             竹内靖雄 新潮選書     1997. 2.25
経済倫理学のすすめ                            竹内靖雄 中公新書     1989.12.20
世界経済の謎 経済学のおもしろさを学ぶ                  竹森俊平 東洋経済新報社  1999.12.30
アダム・スミス 自由主義とは何か                      水田洋 講談社学術文庫  1997. 5.10 
経済学者たちの闘い                           若田部昌澄 東洋経済新報社  2003. 2.13
経済学の再生 道徳哲学への回帰 アマルティア・セン 徳永澄憲・松本保美・青山治城訳 麗澤大学出版会  2002. 5. 9  
正義論                       ジョン・ロールズ 矢島鈞次監訳 紀伊國屋書店   1979. 8.31
ロールズ「正義論」とその批判者たち Ch・クカサス Ph・ペティット 山田八千代ほか訳 勁草書房     1996.10.14
科学的発見の論理               カール・R・ポパー 大内義一・森博訳 恒星社厚生閣   1971. 7.25 
種の起源                     C・ダーウィン 堀伸夫・堀大才訳 槇書店      1988. 6.20
進化論が変わる ダーウィンをゆるがす分子生物学          中原英臣・佐川峻 講談社      1991. 1.20
進化論という考えかた                            佐倉統 講談社現代新書  2002. 3.20
進化論の挑戦                                佐倉統 角川書店     2003. 1.25 
絵でわかる進化論                             徳永幸彦 講談社      2001. 6.20  
もっとわかる進化論                            金子隆一 日本実業出版社  1992. 3.20 
東京大学公開講座47 進化                           森亘 東京大学出版会  1988. 5.10  
ヒトの誕生 二つの運動革命が生んだ<奇跡の生物種>            葉山杉夫 PHP新書    1999. 6. 4
ダーウィン進化論の現在                  E・マイアー 養老孟司訳 岩波書店     1994. 4.26 
科学の目 科学のこころ                        長谷川真理子 岩波新書     1999. 7.19
キリンの首はなぜ長いのか 動物進化の謎にせまる              実吉達郎 PHP研究所   1990.11.22
キリンの首 ダーウィンはどこで間違ったか   F・ヒッチング 樋口広芳・渡辺政隆訳 平凡社      1983. 7.15 
キリンの首はウィルスで伸びた                   佐川峻・中原英臣 毎日新聞社    1995. 5.25
ルーシーの膝 人類進化のシナリオ        イヴ・コパン 馬場悠男・奈良貴史訳 紀伊国屋書店   2002. 4.27
ルーシーの子供たち  ドナルド・ジョハンスン&ジェイムズ・シュリーブ 馬場悠男監修 早川書房     1993.11.15
ミトコンドリア・イブの贈り物                     フジテレビ編 双葉社      1992.   
イヴの7人の娘たち                ブライアン・サイクス 大野晶子訳 ソニー・マガジンズ2001.11.10
「日本人が作りだした農産物 品種改良にみる農業先進国型産業論」完
( 2004年4月12日 TANAKA1942b )
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 tanaka1942b@hotmail.com