引き出しを開け、ハンカチを取り出す。
大事なものだ。
宝物といっていい。
淡く咲く藤の花のようにキレイな、薄紫色のハンカチだ。
それを、シワにならないよう、そっとポーチの中に収め、家を出た。

サスケくんに、会いに行く。
暖かい春の日差しの下、心が弾み、だんだんと早足になった。

里の外れにある綱手様の別邸で、彼はひっそりと生活している。
人目につかない、落ち着いた暮らしといえば、聞こえはいいが、軟禁されているも同じだ。
それでも、私は嬉しくてたまらない。
この先どうなるか、はっきりとした見通しもないけれど、この里は、うちは一族が戻るべき、彼の帰るべき場所なんだと思う。
だから、サスケくんも今はただ、静かに時を過ごしている。
私もこうして、いつでも彼に会える。

とうとう我慢しきれなくなって走り出し、息を切らしながら、多くの人が行き交う通りを抜け、静かな山間に入った。
やがて、竹垣に囲まれた華奢な建物が、細い道の先に現れる。
あちこちから、決して監視を怠らない、暗部の視線を感じるけれども、私やナルトは、出入りが自由だ。
とがめられることなく、門をくぐり、玄関には上がらず、裏へ回った。
奥まで建物に添って歩くと、満開の桜が連なる、見事な庭に面した、日当たりの良い部屋がある。
この時間、たいてい彼は、亡くなった人々を悼むように、そして、今ある命を慈しむように、外を見ているはずだ。

「サスケくん!」

予想通り、縁側に座る、浴衣姿の彼を見つけ、声をかける。
顔を動かすことなく、瞳だけをこちらに向け、かすかにサスケくんはうなずいた。
どこか影のあるその仕草は、裏の世界を知ってしまった人間独特のもので、決して、悪意はないとわかっている。

「ホント、いい天気! 日なたぼっこをするにも、お花見をするにも、最適よねー」

臆することなく、彼の前へ行き、しゃべり続けた。

「今日はね、見せたいものがあるの」

腰に着けたポーチへと腕を回し、中からハンカチを取り出した。

「コレ……覚えてる?」

差し出した私の右手に乗る、藤色のハンカチに目を留め、サスケくんは瞳を見開いた。

「ごめんね。返すのが、遅くなって……」

小声で謝り、彼の膝にハンカチを置く。
その瞬間、ぴくりとサスケくんが肩を揺らした。

「どうしたの?」
「あ、いや……何でもない」

今日初めて耳にしたサスケくんの声に、別段変なところはない。
でも、何となく、いつもと様子が違う。

「上がってくだろ。お茶でいいか?」
「あっ、私がやるわ」

膝にあるハンカチをつかみ取り、立ち上がったサスケくんを追って、縁側から家に上がった。

この離れには、台所も浴室もある。
自由に外出が許されないことをのぞけば、特に不便はない。

キレイに片付けられた部屋を通り抜け、台所へ行き、お湯を沸かす。
洗い場の水切りカゴには、洗ったばかりの食器が並べられていた。
昼食用にと多めに作ったのか、味噌汁の入った鍋も、ガス台に置かれていて、ホッと胸を撫で下ろす。
ここに来た当初のサスケくんは、ろくにモノも食べられず、寝たきりだったからだ。

「朝ご飯、きちんと食べたんだ。食欲、だいぶ出てきたみたいね」

お茶を入れ、部屋へ持っていくと、座卓の脇に座り、手の中にあるハンカチをじっと見つめていた彼は、
「ん? ああ……料理ぐらいしか、やることもねえし……」
と、顔を上げた。

「毎日、退屈じゃない?」
「いや、しょっちゅう、ナルトが来るからな。昨夜も遅くにやって来て、夜中まで延々とグチを聞かされた」
「アイツ、しょーもないわね!」

今度会ったら叱っとくわ、と座卓の上に、お茶の入った湯飲みを二つ並べ、畳に腰を下ろす。

「サスケくんだって、まだ本調子とはいえないのに。ホント、ナルトったら……」
「そういうな。五代目にしぼられて、アイツも色々と、参ってんだ」

ナルトをかばい、サスケくんは柔らかに笑う。
嬉しかった。
けれども、ほころびかけた口元が、
「今は、いいんだ」
と続ける、彼の声を耳にして、瞬時にこわばる。

「ここを出るその日まで……今はまだ、このままでいい」

今は、と聞いた途端、この先どうなるかわからない、現実を思い知らされた気がした。

どこにも行って欲しくない。
ずっと、そばにいて欲しい。

声にできない心の叫びが、胸の中で渦巻いた。
そして、震える指先をごまかすように、湯飲みをつかんで、お茶を飲む。

サスケくんは、ぼんやりと、庭を眺めていた。
見ると、彼の手元には、さっき渡したハンカチが握られたままだ。

「……ひょっとして、とても大切なものだった?」

恐る恐る問いかける私に、ちらりと視線を走らせ、どうかな、という風に、サスケくんは顔を傾けてみせた。

「母さんから……最後に受け取ったものなんだ」

とても意外に思えるけれど、サスケくんは案外、無頓着らしい。
洗った手を服の裾とかで拭いてしまう、面倒くさがりな一面があって、彼のお母さんは、アカデミーへ登校するサスケくんに、必ずハンカチを持たせていた。

「いざ家を出ようとすると、弁当を渡すついでに、必ずハンカチを、ズボンのポケットへねじ込むんだ。ちゃんと、ハンカチで手を拭けよっていう、意味を込めてさ」
あの朝も、サスケくんのポケットには、薄紫色の、綺麗に折りたたまれたハンカチが、入れられた。
彼の両親を含む、うちは一族みんなが、サスケくんをのぞいて、命を絶たれてしまった、あの日のことだ。

「今日まで思い出すこともなかったが、こうしてハンカチを手にすると、オレは大切に育てられたんだなって、実感する」

知らなかった。
こうして、話を聞くまで、全然わかっていなかった。

「サスケくんっ、ごめんなさい!」

とっさに頭を下げ、
「そんな大切なものを、今日の今日まで、私なんかが……」
と告げたきり、言葉に詰まった。

カカシ先生率いる、七班への配属が決まり、しばらくしてからのことだった。
演習のために場所を移動中、飛び乗った木の枝から、うっかり足を滑らせ、落ちてしまった私は、よりによって一番目立つ額に、たんこぶをこしらえてしまった。
ナルトは大笑いするし、カカシ先生も心配しながら、笑いをこらえているのがアリアリで、穴があったら入りたいと願うほど、恥ずかしかった。
まだ幼かった私は、人一倍、見かけを気にしていたのだ。
そんな時、水で濡らしたハンカチを、サスケくんが額に当ててくれた。
冷やせばすぐに良くなるからと、手渡されたそれを、私は家へ持ち帰った。
洗って返そうと思ったからだ。
けれども、サスケくんの体温や匂い、そして何よりも、優しさが伝わってくる、そのハンカチを、私は手放したくなかった。
洗い上げて、アイロンをかけたのち、机の引き出しの奥へしまい込み、大好きな彼の身代わりにした。

「ずっと、励まされてきたの……つらい時にはハンカチを見て、頑張ろうと思った。きっとサスケくんは戻って来る、そう自分にいい聞かせてきたの」

今さらのように、ハンカチに込められた、お母さんの想いを知り、心が揺らぐ。

泣いてはダメだ。
まぶたを閉じ、体の震えを抑え付ける。

このハンカチを返そうと、今朝になって、思い立った。
彼は帰ってきたのだ。
会いに行けば、いつでも笑顔を向けてくれる。
サスケくんの優しさに包まれ、私は幸せを実感できる。
身代わりなど、もういらない。
今度は私が、サスケくんを支える番だと、自らに誓ったはずだ。

「ありがとう、サスケくん」

ぱちりと両目を開き、私は真っ直ぐにサスケくんを見た。

「長い間、借りっぱなしだったけど、こうして返せることが出来て、本当に良かった」

サスケくんは今や、各国の隠れ里のみならず、五大国すべてに名前が知れ渡っている、犯罪者だ。
その一方で、ナルトに並ぶ、大戦の英雄でもあった。

「お母さんの大切な形見なんだから、これからは、そのハンカチを肌身離さず、持ち歩いてね」

どう転ぶかわからない不安定な立場のまま、ひっそりと木ノ葉に隠れ住む彼が、どういう未来を歩もうとしているのか、私には想像もつかないけれど、気が付けば、
「ちゃんと見てるよ」
と、口にしていた。

いつまでもずっと、サスケくん――アナタのすぐそばで。

いい終えて、彼から顔を逸らし、庭へ目をやった。
にじむ視界の先に、ぽつんぽつんと薄紅色の花片が、浮かんで見える。
庭に咲く桜の、花びらだ。
次から次へと舞い降りて、まるで雪のように世界を白く、染め上げる。

サスケくんは、黙ったままだ。
やはり、彼にとって私は、風に運ばれ、どこか遠くへと消え去ってしまう、あの桜の花びらのように小さくて、頼りない存在なのかもしれない。

こらえきれず、流した涙が頬を伝った。

「サクラ、コレで拭け」

顔の前へ、ぐいっと押し付けるように、ハンカチが突き出され、私は首を左右に振った。

「いいんだ。もう返さなくていい」
「ど、どうして?」
「いいから、早く顔を拭けよ。泣いてちゃ、話になんねえだろーが」

戸惑いながらも、私はハンカチを慌てて受け取り、いわれた通りに、顔を拭う。

「ココを出たら、一緒に暮らそう」

唐突に告げられ、ハンカチを動かす手が止まった。

「さっきもいったけど、オレは無頓着だからな。母さんから渡されたハンカチだって、いつなくしちまうか、わからない。だから、返すんじゃなく、手渡して欲しいんだ」

オレが外へ出る時に、と付け加え、ぽかんと口を開けたまま、ぼうっとする私へ、
「なに、アホ面してんだよ」
と、毒舌までふるう。

たまらず、ぷっと吹き出した。

「ごめんね、いつまでも泣き虫で」

肩をすくめて笑う私の隣で、すっとサスケくんは腕を上げ、宙を漂う、何かをつかんだ。
そして、澄ました顔で、
「つかまえた」
といい、握った指を開いてみせる。

彼の手には、小さな桜の花びらがあった。

「私もこんな風に、サスケくんの手のひらの上で、踊っているだけなのかな」
「そうでもないさ」
サスケくんは窓際へ行き、吹き抜ける風に、手をかざした。
彼がつかまえた花びらも、あっけなく空へ向かい、舞い上がる。

「ほらな。しっかりオレがつかまえてねーと、勝手にどこかへ、行ってしまうだろ?」
「そうかな」
と、サスケくんに並んで、空を仰ぐ私へ、
「そうさ」
と、彼も上を向いたまま、短く答える。

どちらからともなく、私達は顔を見合わせ、クスクスと笑い、ハンカチを指の間に挟んだまま、手を繋いだ。

花びらを散らしながら、春の桜は咲き誇る。
柔らかな風が、胸を満たす。
きっとハンカチを持つたびに、サスケくんと私は、この光景を思い出すだろう。
そして、ここから私達は、また前へ進む。

サスサクカラーズに参加させていただいた作品です。