【できること・できないこと】 …2004年10月24日作成


昨日朝礼である同僚がスピーチでこんな話をしていた。

あるできる営業マンにこんな質問をしたとの事、、、

「○○さんは、どうしてそんなに売れるのですか?」と質問してみたとのこと。

そうすると○○さんは、こう答えたとの事、

「できないことはできないとはっきり言うこと!」と。

私は頭がこんがらかってきました。

先日二回目の中村文昭さんの講演会に行ってきましたが、中村さんはこう、話していました。。。

「できない理由は探さない、頼まれたら、頼まれた以上の。期待を裏切って結果をだせ」と。。。

できないことは、できないと最初から、はっきり言うべきという、○○さん、

できない理由を探さずに、期待以上の結果をもってビックリさせよう という中村さん。。。

スピーチの最後に、できないことはできないとはっきり言いましょう!!!という言葉で締めくくられたいましたが、私はこんがらかった頭でもう一度頭の中を整理してみましたら、一つわかったことがありました。。。

それは、両者、お客様に、目の前の人に信頼していただくことが最大の目的だということ。。。

・○○さんは、できないことをできないということで、信頼を裏切らないことを前提としている。

・中村さんは、頼まれたことをそれ以上の結果でもって、信頼していただいてこられてる。。。

両者、信頼していただくことが、目的なのですが、言葉の受け取り方ではせっかくのいいお話も、その本質を見誤ってしまい、できないことは、最初から断っていいんだ!!!という履き違えが起こりそうです。。。

言い訳に使っちゃいそうな自分がいて。。。。

いろんな方から、いい話を聞いても、言葉の上っ面だけで判断したら、本末転倒になりそうで怖いなぁ。。。と思いました。。。

もちろんスピーチした同僚はちゃんと意味を理解してのことだったのですが、受け手の取り方で結果が変わってきますね。。。

私は信頼してもらう為にではなく、信頼される自分作り という観点で積極的な方をチョイスすると思います。。。



『運命は自分の固い信念で変えられる』(再) …2004年10月23日作成

先日、あまり会社でゆっくりすることのない私ですが、コーヒーを飲みながら、新聞を読んでいました。

そして、いろんな記事の中で【兵士の形見】という、戦争にまつわる証言シリーズの中のあるフレーズが目に留まりました。

【運命は信念で変えられる】

証言の内容は、『…第二次世界大戦中、ある兵士が激しい雨の中で作戦を決行中、周囲の状況をより正確に把握しようとメガネを掛けたときのこと。。。

…右前方から狙撃された。。。「やられた」。一瞬意識が朦朧となった。しかし、気が付くと胸部と左腕部に擦過傷を負っただけだった。
 戦闘中はいつも、ポケットに手帳や万年筆を入れていた。偶然にも、銃弾はポケットに命中した。「おかげで命拾いした」万年筆はぐしゃぐしゃに壊れ、軍隊手帳にはえぐったような穴が開いていた…」

私はこの一文を読んだ時、やはりその兵士の運の強さに感心させられたのですが、もうひとつのエピソードを読ませてもらって『うーん』と唸ってしまいました。

【死を公言せぬ】以下抜粋

『戦闘で大腿部を負傷した兵士は、出血多量で死亡するか、重傷を負うケースが多かった』「異境の地では死にたくない」と、兵士の誰もが思っていた。「身を守るのは何でも欲しかった。わらをもつかむ気持ちだった。それ以来、戦闘のときはいつも懐中電灯をつり下げるようにした」。
 ある日の作戦会議終了後、同期の中尉がふと、「今度の戦闘で、俺はどうもやられるような気がする」。と言った。それを聞いて、「自分もだ」と言いかけたが、ぐっとこらえて言わなかった。

 翌朝の戦闘後、中尉が戦死したことを知らされた。

「がく然とした。あの言葉が、中尉の運命を変えたのかもしれない。戦地では、死ぬなどと公言しないことにした」

【運命は自分の固い信念で変えられるもの】生き延びるために、そう考えるようにした。…

私は今回のこのメッセージ、自分のこと、自分の周りでの出来事、それは現代においても十分に当てはまることだなぁ。。。と思った。単純にプラス思考、マイナス思考という括りではなくて、もっと自分の中での強い信念がすべての結果に繋がっていくように思いました。

そして何よりも一番驚いたことは、この記事に掲載されていた戦闘中の写真は。。。。

地元大分では有名であった、私の妻のおじいちゃん(プロのカメラマンで戦争カメラマン)が撮った写真だったということ。。。

毎朝お祈りさせていただいている妻のおじいちゃんからのメッセージ。。。

【運命は自分の固い信念で変えられるもの】

このタイミングでいただいた意味を深く考えたいと思いました。(再)


【ハーフブリード】 [ スピリチュアル ] …2005年10月22日

天使と悪魔が耳元で知らない間に囁いている1つの言葉で、

人は知らないうちに絶望したり希望を持ってしまう。。。

もしかしてこれってありえるのでは?

一度映画館で観た、映画【コンスタンティン】。

DVDを買ってもう一度観ました。

この映画は私にとってはかなり意義深いのです。

過去の日記にも取上げた、上記の言葉がとても気になるのですね。

耳元で囁やかれて、自分の判断だと思っていながら、実はそうじゃないことってあるんじゃないかと。。。

周りを見てもそんな感じがすることがたまにあります。。。

私達の日々の暮らしの中での出来事は少なからず、目に見える物質世界以外からの何らかの影響があっているような気がします。

自分の声なのか、そうでないのか、見極める力が必要だと思います。

むやみやたらな潜在意識へのアクセスの前にやはり、心を無の状態にできなければ、、、と思います。

やっぱり揺れない心が大事ですね。。。

そして目指すは 【木鶏】なんですよね。。。



【現世】 [ スピリチュアル ] …2005年10月21日作成

せいぜい長くて百年ほどの現世なんて、

永遠の過去世と無限の来世に挟まれた

サンドイッチのハムよりも薄い時間にすぎない。 

瀬戸内寂聴

自分の魂がこれまで何度も転生を繰り返してきたとしたならば

今の私を“彼ら”はどう観ているのだろうか。。。

本当にサンドイッチのハムよりも薄い時間の中で、

きっと課題を持って生まれてきたはず。。。

静かな夜、ふと考えてしまいました。



【共有感】 [ 心を磨く ] …2005年10月20日作成

たぶんそんな話がなければ一度も足を運ぶこともなかった場所に昨日行ってきました。

それは何と、プロレス観戦(私のお客様のご案内でチケットを購入させていただきまして)。

初めてのその場は、その雰囲気に馴染めるまでは本当にどうなることかと思いました。

最初の方の試合から、だんだんファイナルの試合に近くなるにしたがって、何ともいえない空気になっていくのにはビックリしました。

まだ最初の方の見習い期間みたいな選手の出している気と、キャリアも実績も積んでいる選手の出している気が、全然違うんですね。。。

人気があるからとか、有名だから、、、ではなくまさしく発している気(オーラ)が違うと感じました。

プロレスそのものは、よく言われるようにエンターテイメントかも知れません。。。

格闘技とはまた違ったものかも知れません。。。

でも私がすごいなーと感じたのは、プロレスの選手は、言葉ではなくて、正に背中で空気を作っていっているのですよね。。。

私なんかは言葉でその場の空気を作っていきますが、闘っている背中でその空間の空気を一つにしていくあのパワーにはビックリしました。。。

馴染めていなかった私も、いつしかその空間の中で周りの観客の皆さんと、そして選手と同じその空気を共有している体感を覚えていました。

講演やコンサートと違い、身体を張って空気を作っていくエンターテイメント、プロレス!!

きっと何かのヒントになるに違いありません。。。

追伸:一緒に参加した でこ8君の解説に、私、しげ4くん、よっぴん9は大爆笑でした。。。



【美しいか醜いか】 [ 心を磨く ] …2005年10月19日

経営者たるもの、その瞬間瞬間の判断が問われる、その時に一歩判断を間違えると本当に命取り、企業でいうと倒産の危機なんだよ。。。

先日の面接の中で教えていただいた言葉です。

その時の判断の基準を日頃から学び、実践できていなければ本当に命取りということですね。これは企業じゃなくても個人事業主の私にも大きく当てはまることです。

【損か得かを基準におけば、

とかく欲に眩んで判断が狂うもの。

これからはこう考えてみよう。

それをやるのが美しいか、醜いか、と。

きっと晴れやかな世界が生まれるはず。】

法人会での学び、そして人生問答をいただいた、鍵山先生のお話を思い出しました。。。

美しいか、醜いか。。。

まさに今、世間のニュースに取り上げられているものをこの物差しで判断していたら。。。

そんな思いがこみ上げてくるニュースが多いですね。。。

周りでの出来事、そして自分自身の在り方、いつも心に刻み込んでいきたいです。



【木鶏】の境地 [ 心を磨く ] …2005年10月18日

昔、王のために闘鶏を養う紀省子(きせいし)という名人がいました。

10日たって、王は名人に尋ねました。

「どうだ、もう闘わせてもいいかな」

ところが名人はこう答えました。

「いや、まだいけません。いまはちょうどから威張りして、自分の力をあてにしています」

いまはまだ、むやみに威張って気力に頼ってばかりいる、というのです。

それから10日たって、また王は名人に催促しました。でも彼はうんといいません。

「まだいけません。他の鶏の姿を見たり、鳴き声を聞いたりしますと興奮して、まだそれに向っていきます」

10日たって、王はまた催促しました。名人はまだ許しません。

「まだです。傲然(ごうぜん)と構えていて、血気さかんでいけません」

相手をにらみつけて気勢を張るから、まだまだだというのです。

10日たって、王が重ねて催促したとき、彼はやっと承知しました。

「まあ、よいでしょう。もうほかの鶏の鳴き声を聞いても平気です。ちょっと見ると、まるで木で作った鶏としか見えません。徳が充実したのです。これでどんな鶏がやってきても、天下無敵です」

ほかの鶏で、立ち向かってくるようなものはなく、背を向けて逃げてしまいますよと、名人は答えたといいます。『荘子』外編達生編 「木鶏」より


昭和を代表する陽明学者として知られる安岡正篤先生は、こう解説されたとのことです。

「戦いというものは、こうでなければならない。徳が充実してくれば、戦わずして勝つ、つまり相手を飲み込んでしまうことが起こるものです」と。


私の心の師、桜井章一先生は「木鶏」の話を要約してこのように話されています。

「真に徳を持った闘鶏は、敵を前にしてもあわてず騒がず木彫りの鶏のようだ」


かの大横綱 双葉山が目指した境地とされる 『木鶏』の境地。。。

「勝っておごらず、負けて腐らず、何があっても動じない心」=「木鶏」の境地。。。

常にニュートラルな心の在り方。。。


私はこの話を知った時、何度も何度も読み返しました。。。


究極の【揺れない心】 、その境地を目指したいです。。。



【努力】
(再) …2005年10月17日


今度の会社での全体会議で、講義の依頼がありました。

依頼があったテーマは「目標と目的」について。。。

以前、私の楽天での日記を読んだAマネージャーとK支社長からの依頼です。

さて、どんな講義にしようか???と迷うのですが、目標と目的という題名で書いた過去の日記とはちょっと違った内容にしようかと思います。

もちろんこの時期にそういう依頼ですから、内容としては、支社の営業マンのモチベーションがあがるような内容を意図しているのだと思うのですが。。。

そのテーマの中において、今回の私の講義のキーワードは

【努力】

という言葉にしようと思いました。

【努力は実る】 という言葉をよく聞くのですが、最近の私は、ここでいう【努力は実る】という言葉も、捉り様そして、使う人の思惑によっては考えものだ!!!と思うのです。

いや、努力することを否定しているのではないのですが、しなくてもいい努力よりももっと必要な部分での努力がいいと思うし、どうも、その努力は実るということを中には、ある意味努力している(つもり)の自分を肯定している感じがする人が中にいるからで。。。。

私の大好きな師匠、桜井先生の著書の中に、こんな言葉があります。

「努力したこと」にこだわると上にいかない

以下抜粋

…オリンピックの表彰台で金メダルをかけてもらう選手の顔は晴れがましい顔をしています。それまでの血のにじむような努力が報われた感激でいっぱいに違いありません。
 しかしこの選手がそれ以降もずっとトップクラスの力を維持していこうとするなら、それまでの努力はいったん捨てるべきなのです。「これだけのことを自分はしてきたんだ、我ながらよくやった」という思いは捨てたほうがいいのです。

自分の努力にこだわっていると、そこで目標を達成してしまったような気持ちになって上へ行けなくなってしまします…。

また努力へのこだわりは、自分への過大評価につながります。

…自分の努力について饒舌に語る人がいますが、それは「これだけのことをやったんだ、りっぱな努力を自分はしたんだ」と言っているようなものです。

努力したことは自分の中の勲章にしないで捨ててしまったほうがいいのです。努力したことにしがみついていると努力によってつかんだ運もやがて去ってしまいます…

以上抜粋


今までの自分の人生を振り返っても、正にそこに固執したあまり、慢心をおこし、何度も痛い目にあってきました。。。


でもそういう、痛い目にあったときも、「人生、山あり谷ありだからしょうがない!!」と妙な開き直りをしていたり。。。と。

気づくのが遅いっちゅうねん!!あはは


さて、今回【目標】と【目的】というテーマなのに【努力】という言葉をキーワードにしたいかというと、自分自身がどうも上手くいってない時や、上手くいってない人を見かけた時は、必ずといっていいほど、その【努力】が目的になっている場合が多いからです。

先のオリンピックで金メダルをとった選手の場合はとった後の、その努力への執着が問題でしたが、今回私が講義したいことは、今の自分の努力はそれこそ 【何の為か?】 を問いたいのです。

きっとみんな答えを持っているはずなんですが、でも、きっとその目的の為の目的化した努力になっていないか?ということなんです。

先日のたぬきコーチのセミナーの中で、そして中村文昭さんの講演の話の中でも出てきた【何の為に?】。。。。


これを明確化しなければ、いつに間にか錯覚してしまっている。。。


そしてそれをマネージメントしている側も、その辺の認識があいまいなもんだから、あんなにがんばっているからすごい!!などと、そこで止まってしまっていることが多い気がします。

がんばることが目的ではないはずです!!! 


だから、【がんばります】より【しっかりやります】の方がぶれないのではないでしょうか???


さて、どんな講義結果になるか、楽しみです。。。

後日、日記にてアップしますね!!!

こちらも諸事情により 再投稿アップでした。


【面接】 …2005年10月17日作成


何年振りでしょうか、昨日私はある面接を受けさせていただきました。

相変わらず緊張するものですね。

新しい世界のドアを内側からノックさせていただきましたが、実はそこに至るにもやはりある方のお導きでそのドアの前に立つことができたのです。

自分との約束を守ることを一生懸命、そして淡々とこなしていたらきっとそれを見てくれてた周りの方が次のステージに引上げてくれる。。。

過去の日記でそう書いていたことを思い出しました。


ただ、大谷和尚がおっしゃっていた通り、ドアのところまでは導いていただけますが、実際ドアをノックし、その新しい世界へのドアを開けるのは私自身でしかありません。

ドアのところまで導いていただいたことを感謝の気持ちでいっぱいになりながら、私はノックさせていただきました。。。


面接の中でこんな話がありました。


竹○さん、経営者たるもの、日々決断の毎日の中で、一番大切なものは何だと思いますか?


私は自分の思いのたけを述べさせていただきました。


経営者自身のしっかりした軸、自分自身の心の在り様、そのものです。


面接をいただいたある経営者の方との面談は一時間にも及びました。


「竹○さん、あなた真面目そうな方だからこれからもしっかり学んでいくんだよ、結果が出るまで何年かかるかわからないかもしれないけど、哲学は実践してこそ意味がある。頭でわかった振りをすることは誰だってできるんだ。がんばりなさい」


帰りの車の中で、そのドアまでお導きいただいたH社長にお電話させていただきました。。。


きっと飲み会の席だったのかな?いつものようにとっても陽気な声で、「がんばってな!」と一言いただきました。。。

ありがたい、本当にありがたい。。。


今年の目標として掲げた、自分の器を大きくできるご縁をいただけること。。。


一ついただくことができました。。。


ありがとうございました!!!


追伸:転職ではありませーん!!!



【けじめのある生活】(再) [ 心を磨く ] …2005年10月16日作成

先日、【背中で語る】という日記を書いていましたが、今日、面白い記事を目にしました。。。

それはあの松下幸之助氏が松下政経塾で面接の際に重視したポイントの一つに「背中に何か語るものがあるか」というものがあったというのです。。。


シンクロ??いやいや、やはり

“人となり”を判断するにはやはりそれくらい大切な要素なのだということだと思います。。。


『背中にはその人の生き様があらわれるといいますが、人の印象はその人の姿、立ち振る舞いによって大きく変わってくるのでしょう』とのこと。。。


また記事には映画監督の山田洋次氏の言葉も引用されていました。

「ケジメがなくなって緩んでしまったから、日常も緩んでしまって、結果だらしなくなくなる。姿勢が悪くなる。身につまされることを知らないということは、行儀が悪くなるということなのか。他人の気持ちになるためのイマジネーションが不足しているのでしょうね」と、世の中に見られる立ち振る舞いの乱れの根底に、他者への共感力の欠如を指摘しています。(『プレジデント』1・31号)


記事にはさらにこう記してありました。。。

たとえば挨拶ひとつ取っても、基本をマスターし、先手の心のこもった美しい挨拶によって、相手からの好印象・信頼感を引き出すばかりでなく、ゆとりを持って相手に心を向けられるようになれば、仕事上の様々な場面に的確に順応していく力や洞察力が磨かれていくものです。と。。。



背中で語ることが出来る人間になるためには、やはり、まずはけじめのある生活が基本中の基本なんでしょうね。。。

特に最近、体調が悪かったという理由だけでなくて、一つ一つの動作について、例えば朝起きるときにしても、ぐずぐずしていまっていましたし、何か作業をするときも、ダラダラと何時間もかけてやってしまい、結局そのダラダラした精神状態を引きずったままでいろんなことに影響していました。そんな状況だったからこそ、体調をくずしても結果的にこんなに長引いちゃったのかもしれません。。。


まさに気の緩みがそのまま疾病信号として表に出てきていたのでしょうね。


 さっきの記事にあった山田洋次監督がおっしゃるように“他人の気持ちになるためのイマジネーション”が不足してしまうということ、それは私の仕事にとっては致命傷です。

精神的にも体調的にもやっと復活できた今、また戻ることのないように、いえ、仮にそうなっても“しなやかに”今の積極的な自分に戻れるように、やはり、日ごろからけじめのある生活を意識しておかなければなぁ。。。と思いました。

仕事上の様々な場面に的確に順応していく力や洞察力に磨きをかけるために。。。。

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