高野悦子「二十歳の原点」案内 › 1969年6月 ›
1969年 6月22日(日)②
机の上に重ねられた「黒の手帖」が淋しげにこちらをみている。「アウトサイダー」は不敵に超然としてこちらをみている。
黒の手帖は、大沢正道編集・黒の手帖社発行の、アナキズムに関する論稿を集めた小雑誌である。
不定期刊行で、限られた書店でのみ市販していた。「黒の手帖第7号」(1969年6月、黒の手帖社)は、200円。
「二十歳の原点[新装版]」(カンゼン、2009年初版)197頁脚注の「檸檬社発行のサブカルチャー誌…」は、1971年創刊の別の雑誌(前身はプレイパンチ1月臨時増刊号「ブラックユーモア特集─黒い手帖」(1969年))であり、脚注は誤りである。
三月書房☞1969年6月21日
アウトサイダー☞1969年4月15日「こわごわと「アウトサイダー」を読んだ」
「アジア・アフリカ現代詩集」「中国現代詩集」はカッキリと本立てに背すじを伸ばしてこちらを見ている。「山本太郎詩集」は前のめりになって私を招いている。
秋吉久紀夫編訳「アジア・アフリカ詩集─世界現代詩集9」(1963年、飯塚書店)、秋吉久紀夫編訳「中国現代詩集─世界現代詩集6」(1962年、飯塚書店)。ともに函入り。
山本太郎詩集☞1969年4月22日②「「山本太郎詩集」をいれて」
「第二の性」は奥深く並んでいるけれど
第二の性☞1969年4月9日
きのう「シアンクレール」にいたら
シアンクレール☞1969年2月1日
1969年6月21日☞「一時ごろ「シアンクレール」にいき、のびにのびて八時までいる」
話がはずんでサイクリングに行こうということになった。
☞1969年3月27日「家から自転車が届いた。早速サイクリング」
雨の中につっ立って、セーターを濡らし髪を濡らし、その髪の滴が顔に流れおちたところで、どうということはない。
☞1969年6月21日「その何とかいうやつにやる本と手紙をもって、雨の中をどこともなく歩き」
雨が強く降りだした。
京都では6月22日午後10時ごろから弱い雨になっていたが、23日午前1時ごろからやや強くなった。
二時三十分、深夜。
ダイヤ通りであれば毎晩、下宿近くの国鉄(現・JR西日本)山陰本線を、午前2時20分ころ京都・梅小路発山口・幡生行下り貨物列車(蒸気機関車)が、午前2時35分ころ幡生発梅小路行上り貨物列車(蒸気機関車)が、それぞれ通過している。
☞1969年6月19日「二・三〇・深夜」
実際の表記は「2:30 深夜」になっている。この6月23日(月)未明をもって日記の記述は終わっている。
旅に出よう
旅に出よう
この詩は無題である。編集上、最後に配置された。
詩が最後に配置されたのは、高野悦子の父、高野三郎が娘の遺志を考慮したためである。
☞1969年2月5日「私は詩が好きだ」「私は詩人になりたいと思うときがある」
そして富士の山にあるという
原始林の中にゆこう
☞1969年3月25日「原始への郷愁」
そして独占の機械工場で作られた一箱の煙草を取り出して
暗い古樹の下で一本の煙草を喫おう
たばこは1969年当時、特殊法人の日本専売公社が国内で独占的に製造と販売(専売)していた。日本専売公社は1985年に民営化され、日本たばこ産業になったが、たばこ事業法によって製造の独占は現在も続いている。
☞二十歳の原点序章1968年12月9日「専売公社が儲けるだけだし」
原始林の中にあるという湖をさがそう
☞1969年3月25日「原始への郷愁」
湖に小舟をうかべよう
☞1969年2月18日「ボートに乗るつもりだったが」
左手に笛をもって
湖の水面を暗やみの中に漂いながら
笛をふこう
笛☞1969年3月25日「笛がほしい。やわらかいあの響き。エディプスの吹いたあの笛の音」
中天より涼風を肌に流させながら
「中天より」は、記述では「快よい」。
小山田さん直筆メモ
日記の記述に登場する小山田さんが、「二十歳の原点」(単行本)から「旅に出よう」の詩を書き写した直筆のメモを関係者が保管していた。
旅に出よう
テントとシュラフの入ったザックをしょい
ポケットには一箱の煙草と笛をもち
旅に出よう
出発の日は雨がよい
霧のようにやわらかい春の雨の日がよい
萌え出でた若芽がしっかりとぬれながら
そして富士の山にあるという
原始林の中にゆこう
ゆっくりとあせることなく
大きな杉の古木にきたら
一層暗いその根本に腰をおろして休もう
そして独占の機械工場で作られた一箱の煙草を取り出して
暗い古樹の下で一本の煙草を喫おう
近代社会の臭いのする その煙を
古木よ おまえは何と感じるか
原始林の中にあるという湖をさがそう
そしてその岸辺にたたずんで
一本の煙草を喫おう
煙をすべて吐き出して
ザックのかたわらで静かに休もう
原始林を暗やみが包みこむ頃になったら
湖に小舟をうかべよう
衣服を脱ぎすて
すべらかな肌をやみにつつみ
左手に笛をもって
湖の水面を暗闇の中に漂いながら
笛をふこう
小舟の幽かなるうつろいのさざめきの中
中天より涼風を肌に流させながら
静かに眠ろう
そしてただ笛を深い湖底に沈ませよう
この直筆メモは小山田さんが「朝日新聞(大阪本社)1971年5月22日」(朝日新聞社、1971年)1面下に掲載された「二十歳の原点」(単行本)の書籍広告に高野悦子の名前があることに驚き、その日のうちに同書を買って読み、詩を自分のノートに書き写したものであるとされる。
☞1969年5月26日「小山田さんと飲みにゆく」