高野悦子「二十歳の原点」案内
二十歳の原点(昭和44年)
1969年 5月 1日(木)
 快晴
 京都:晴・最低10.7℃最高27.2℃。朝から雲が少なく晴れた。

 今日は八・三〇結集 キビシイゼー
 二条城前広場での第40回京都メーデーの開始が午前9時15分であることから、会場へのデモ行進の時間を逆算しての広小路キャンパスでの集合時間である。

 円山公園デモまで参加したい。
 円山公園☞1969年5月2日
 メーデーのデモの終点(解散ポイント)である。

 しかし、金銭的な問題があり、やはり今はバイトをしよう。
 四・二六、四・二八に参加したことなどから、バイトの出勤日が減ってしまった。

 一二・一〇
 日記の記述。
 以下、「授業料六四〇〇円払うのやめた」につながる。授業料については、バイトから帰宅後である。 

 授業料六四〇〇円払うのやめた。
 納入する金額は64,000円である。 内訳は授業料47,000円と施設費17,000円。

 メモ
 このメモには日付がないので記された日付の特定ができない。ただし「三回生」とあるので4月以降である。

1969年 5月 2日(金)
 きのうのこと。

五・一 メーデー

 ここでは5月1日〝メーデー〟の高野悦子の動きを追う。
 ヘルメットをかぶりタオルを顔にまいて広小路集会。川口さん飯田さん岡本さんに会う。
メーデー広小路集会 高野悦子は恒心館へ行ってヘルメットをかぶり、午前8時30分に立命館大学広小路キャンパス集会に参加した。ヘルメットは個人専用ではなく、文闘委など活動拠点の部屋に置いてあり、共用するのが一般的だった。
 集会ではデモ行進のルートや、あくまで〝闘う姿勢〟で臨むという行動方針の確認が短く行われたとみられる。

 岡本さん☞大学同級生女性・岡本さん「高野悦子さんと日本史専攻」

 河原町通り、今出川、そして二条城広場へ。私服が最初からくっつき、烏丸あたりから機動隊がくっつき、
 立命館大学全共闘約150人は恒心館を出発し、広小路キャンパスで大学側主催で開かれていたメーデー集会周辺でデモをして小競り合いになったあと、河原町通、今出川通、堀川通をデモ行進して、二条城前広場に向った。
立命館大学広小路キャンパスから二条城前広場

 広場では日共民青の「カエレ」のシュプレヒコールをあび、民青に棒でポカンとなぐられる。
 二条城広場で開かれた総評系のメーデーの集会には、労働組合や学生など約8万人が参加。蜷川京都府知事と富井京都市長のメッセージが読み上げられた。
 この集会には共産党系の学生や団体も参加した。
快晴のもと8万人の意気あがる二条城前広場

 広場で集会後、御池をフランスデモ、ジグザグデモし、
 集会の参加者は、午前10時から北・中・南の3つのコースに分かれてデモ行進をした。
メーデーデモ
 立命館大学全共闘などの学生は、中コース(河原町御池経由祇園石段下)の最後尾に付いたが、「「安保粉砕、闘争勝利」を叫びながら、一般デモ隊列をかけ足で追い越し、中央車線におどり出て、御池いっぱいにフランスデモを始めたため、一時、同通りの交通は完全にストップ」(「京都新聞昭和44年5月1日(夕刊)」(京都新聞社、1969年))させたりした。
 河原町通に入り、河原町三条下ル付近で機動隊による並進規制(サンドイッチ規制)が行われたが、円山公園前でジグザグデモを行って、円山公園で集会後解散となった。

 円山公園前でジグザグデモ。

円山公園

 円山公園は、京都市東山区円山町にある京都市の公園(地図上)。園内の中央にあるシダレザクラ、通称「祇園の夜桜」が有名。
円山公園前

 中核の宮原っていうやつと「グリーン」で三時間くらい話し、

テラス グリーン

 「グリーン」は、京都市上京区河原町通荒神口角にあった喫茶店「テラス グリーン」(写真)のことである。
テラスグリーン写真河原町荒神口周辺地図
 テラス・グリーンは荒神口通をはさんで、シアンクレールの向いの位置にあたる。コーヒー等に加えてカレーやサンドイッチなどが主なメニュー。また当時、店内にはジュークボックスがあった。
 建物は現存せず、ビルになっている。
テラスグリーン跡
 中核☞1969年2月17日「十数人の中核が雨にぬれ意気消沈した様子でデモっており」

 それを探るために祖父のことから父母、学校、戦後史をやってみたい。
 高野悦子の祖父(父方)は栃木県西那須野村(現・那須塩原市)の出身。

 これから図書館(立命)へ行って、「戦後史」を読もうと思う。
 予定を記述しているこの日の動きについては、5月3日付の項で述べる。
☞1969年5月3日「そのあと学校へ行って」

 昨日は民青になぐられ、デモの途中シュプレヒコールの空しさを感じた。そのあと中核の何とかというやつと話してすっかりいい気分になりバイト後帰宅して満足して闘わず眠ってしまった。
 日記の記述。以下、「私は私の歴史をさぐっていこう」に続く。
高野悦子「二十歳の原点」案内