高野悦子「二十歳の原点」案内 › 1969年3-4月 ›
1969年 4月 9日(水)
「第二の性」を読んだら、どうしたって(性交で一体になったとて)人間は独りなんだと思った。
「第二の性」は、ボーヴォワール(仏、1908-1986)著生島遼一訳「第二の性Ⅰ」(新潮文庫)(新潮社、1959年)のことである。
☞1969年4月13日「「第二の性」もストップしているな」
☞1969年6月22日②「「第二の性」は奥深く並んでいるけれど」
独りであることが逃れることのできない宿命ならば、己れという個体の完成にむかって、ただ歩まなければならぬ。
「他人というものが入って来てはじめて、「他者」としての個体を成立させることができる」(ボーヴォワール著生島遼一訳『幼年期』前掲「第二の性Ⅰ」)。
これによって「自己」が自己になるというのが実存主義の基本的な考え方の一つである。
(藤田観光では、社員、従業員、アルバイト、パートなど身分制をとっている)。
藤田観光は、ホテルやレジャー施設を運営する企業グループである。京都国際ホテルは、藤田観光グループのホテルである。
京都国際ホテル☞1969年3月16日
明日の時限ストではご説得係でさあ。
時限ストは、1969年度の賃金交渉をめぐる春闘のスト。
組合の執行部をやっている星野の方がまだいい。
組合は、京都国際ホテル労働組合。
1969年 4月10日(木)
八時半ごろ目がさめ、FMのシフラのピアノをききながら起きる。
NHK-FM4月10日午前9時00分~:家庭音楽鑑賞「リスト『ポロネーズ第2番』」である。
ハンガリー出身のピアニスト、シフラ(1921-1994)は、とくにリスト作品の演奏で有名。
手紙はなく物干し台にのぼり雨にさらされたすべり台に横になる。見えるものは隣家の屋根と、くすびた壁と軒にせせこましくかけられた洗濯もの。
周囲は、桂川や田園風景のあった前の原田さんの下宿(嵐山)と異なり、民家が密集している地域である。
下宿(川越宅)☞1969年4月4日
とにかくおどろかされたのは彼女のシンの強さ。とことんまでやろうという彼女の血気である。
日記の記述。仕事先の小沢さんという人は、女性である。
以下、「何にもない空っぽと感じていること…」に続く。
何にもない空っぽと感じていること自体一つの大切な私の感情であるが、
☞1969年6月22日「空っぽの満足の空間とでも、何とでも名付けてよい」
私は以前詩人になりたいと思った。
☞1969年2月5日「私は詩人になりたいと思うときがある」
町に出かけよ、山に出かけよ
寺山修司の評論集「書を捨てよ、町へ出よう」(芳賀書店、1967年)および、同名の演劇作品(1968年)をもじったものである。
京大や立命の学生運動にアナーキストたちが刃物を使用し出した、と京都新聞が一面にセンセーショナルに書いている。
「京都新聞」ではなく、「夕刊京都昭和44年4月10日」(夕刊京都新聞社、1969年)の1面である。
「夕刊京都」は、当時京都で発行されていた夕刊紙であり、京都新聞夕刊とは別物である。1982年に廃刊となった。
4月「9日、京大大学院文学研究科の入試妨害事件で、同大学全学共闘派(反日共系)の学生が使用する目的で持ち込んでいたとみられる、猛毒性劇薬「クロロピクリン」が押収された。昨年2月と6月の成田空港設置反対闘争で使用、警官が重軽傷を負った、その劇薬が京の大学紛争にも登場したわけ。
一方、立命館大ではさる8日の学友会(執行部代々木系)と全共闘派(反日共系)の衝突で、アナーキストとみられる学生がナイフをふり回し切りかかるという事態が起こるなど、大学紛争は過激分子の凶悪化が目立ち、しかもゲリラ戦法を展開するという最悪の段階にはいった」
(『大学紛争、凶暴・ゲリラ化へ─劇薬やナイフも登場』「夕刊京都昭和44年4月10日」(夕刊京都新聞社、1969年))。
彼女は井伏鱒二の「山椒魚」の話をした。
そこに一匹のエビかなんかが入ってきてまたまた出られなくなり同じ穴のムジナとしてふたりで過すのである。
「山椒魚」は井伏鱒二(1898-1993)の有名な短編小説。ただ小説の中では穴にエビも入ってくるが、ふたりで過すのはカエルの方である。
知ろうとするものは存在し
知ろうとしないものは存在しない
おまえは おまえ自身を知らない
─パゾリーニ─
大空を飛び交う鳥よ
おまえは自由
─坊や大きくならないで─
日記の記述。以下、「私はこれから長い旅路に出かけるのだ」に続く。
なお「大空を飛び交う鳥よ」は、正確な歌詞は「青空とびかう鳥よ」である。
☞1969年4月7日「〝とびかう鳥よ おまえは自由〟」
エディプス・コンプレックスをもちながら男は女を求め、
☞1969年3月31日「パゾリーニは「エディプス王の物語」を彼のエディプス・コンプレックスを克服して作ったという」