二十歳の原点序章(昭和42年)
高野悦子「二十歳の原点」案内 › 序章1967年6-12月 ›
1967年 8月 9日(水)
七月十七~十九日 合宿、琵琶湖西教寺
京阪山科駅─京阪京津線─浜大津─京阪石山坂本線─坂本駅。国鉄(現・JR西日本)湖西線が開通したのは1974年である。
浜大津駅は1981年に現在の位置に移転している。
京阪・坂本駅─西教寺。
西教寺
西教寺は、滋賀県大津市坂本本町(現・坂本五丁目)にある寺で、天台真盛宗の総本山である。聖徳太子が開いたという言い伝えがあるが、天台真盛宗の開祖である真盛が室町時代の1486年に入寺してから栄えた。
総門は明智光秀
(1528-1582)が、天正年間(1573-1592)に坂本城の門を移築したと伝えられており、老朽化が進んだため、1984年に形はそのままの姿で修理が加えられた。
織田信長
(1534-1582)が1571年に坂本、比叡山などを焼き討ちした際に焼失した。その後、再建に尽力したのが明智光秀だった。信長による比叡山焼き討ちの後、近江国滋賀郡が明智光秀に与えられ、光秀は坂本城を築城、坂本一帯の復興にあたる中で、西教寺の再建を助けたとされている。焼失の3年後の1574年に仮本堂が完成し、焼失した旧本尊の代わりに現在の本尊を迎えている。
それ以来、
明智光秀と西教寺の関係は深く、1582年の本能寺の変の後、山崎の戦いで敗れて亡くなった光秀一族の墓があることでも知られる。
西教寺はユースホステルを営んでおり、食事付で宿泊できた。このためサークルの合宿でも利用されていた。現在のようなユースホステル専用の施設はなく、当時は寺の建物に寝泊まりする形だった。
西教寺記念撮影ポイント
西教寺での部落研の合宿には部員30人あまりが参加した。2泊3日で部落問題についてゼミ形式の学習会が行われた。
高野悦子は、西教寺本堂で部落研の部員とともに記念写真に写っている。
現在の本堂は1717年に第20世の真際上人が再建に乗り出し、1739年に完成した。正面の欄間や仏像を安置する壇はケヤキの白木で造られ豪華な彫刻が施されており、江戸時代の特色をよく表している。1986年に重要文化財に指定された。
記念撮影ポイントは本堂東側にある石段である。本ホームページが入手した写真では、高野悦子がしゃがんだ姿勢で正面を向いて写っている。
部落研☞1967年5月10日
(本項は続く)