高野悦子「二十歳の原点」案内 › 宇都宮で ›
宇都宮で1966年①
1966年 1月 4日(火)
宮駅でヘルマン・ヘッセ『荒野の狼』(角川文庫 一二〇円)を買う。角川より岩波の方がいいんだけど、なかったから仕方ない。
宮駅は、国鉄・宇都宮駅のことである。宮は、宇都宮の地元での略称。
国鉄・宇都宮駅☞
宇都宮で1964年
ヘルマン・ヘッセ「荒野の狼」角川文庫(角川書店、1954年)は、ヘッセが1927年に発表した長編小説。岩波書店から「荒野の狼」が発行された記録はない。
1966年 1月 7日(金)
奥浩平『青春の墓標』─ある学生活動家の愛と死─、阿部次郎『三太郎の日記』、木村正雄「詳解世界史」の三冊を落合書店で買った。あそこの雰囲気は、集英堂や西沢のそれより落ちついていていい。場所がらだろうか。本もさがしやすい。
青春の墓標
奥浩平「青春の墓標─ある学生活動家の愛と死」(文藝春秋新社(現・文藝春秋)、1965年)は、学生運動の活動家で自殺した横浜市立大学生の手紙や日記などを集めた遺稿集。「全学連という組織の中で引き裂かれてゆく愛を、克明な日記と恋人にあてた手紙で綴る清冽な青春像」。
高野悦子が大きな影響を受けた本の一つである。
☞二十歳の原点序章1967年6月6日「高校二年の三学期に『青春の墓標』を読み、奥浩平にあこがれをいだいた」」
☞二十歳の原点巻末高野悦子略歴「奥浩平「青春の墓標」を読み、彼の理論でなく〝社会に対する働きかけ〟に感動、以来心の友とする」
阿部次郎「三太郎の日記─合本」角川文庫(角川書店、1950年)は、大正時代にベストセラーとなった教養書を集成し文庫本化。阿部次郎の次男である阿部啓吾は西洋哲学史専攻で立命館大学法学部教授だった1969年5月12日に47歳で病死している。
木村正雄「詳解世界史」(昇龍堂出版、1964年)は高校・世界史の参考書。
落合書店
落合書店は、栃木県宇都宮市西一丁目にあった書店である。ユニオン通りに面している。
建物は建て替えられ、現在は、宇都宮市を代表する書店として多店舗展開する落合書店の本部(オフィス)になっている。
落合書店 落合均社長の話
本ホームページ編集人は、落合書店・現社長の落合均氏に話をうかがった。
「1957年に先代の落合雄三がこの地で開業し、当時の店舗は木造で1階が売場で、落ち着いて本を選べる店づくりに力を入れていた。ユニオン通りを通る宇都宮女子高校の生徒も多く利用していた」
「文芸活動もしていた落合雄三は、(売場の)「棚に“人生”を出せ」が信念で、自分が歩んでいる人生を棚に現わそうとしながら本を並べるよう心がけていた。自分はまだその境地まで届いてないが…」。
落合社長は、高野悦子が「本をさがしやすい」と記述した背景について、このように説明された。
落合書店は地元中心に文芸書を出しており、落合社長によると、先代の落合雄三
(1928-2005)が社長当時、高野悦子の日記について「那須文学」の関係者から出版の相談があった。日記の内容を見て、“これは東京の大手出版社で出した方がいい”とアドバイスしたという。
集英堂書店
集英堂書店は、栃木県宇都宮市鉄砲町(現・馬場通り二丁目)にあった書店。
閉店し、現在は駐車場となっている。
集英堂書店と西沢書店は、戦前からあった宇都宮市の書店の老舗。
西沢書店☞
宇都宮で1966年②
1966年 2月25日(金)
矢野さんの家を引き払って、中島さんに移った。荷物だけおいてきたのだが。
中島さん宅は、宇都宮市内の大場宅のことである。矢野さん宅(大島宅)から近い。建物は建て替えられ、現存しない。
☞二十歳の原点巻末高野悦子略歴「同年(昭和四十一)三月、卒業した姉のあと、大場宅に下宿を移る」
1966年 5月 1日(日)
スカラ座で映画をみた。「嵐が丘」と「黄金の七人」だったが、「嵐が丘」を見にいったのだ。九時半についたら、十メートルぐらい並んでいた。
宇都宮スカラ座
宇都宮スカラ座は、栃木県宇都宮市相生町(現・馬場通り三丁目)にあった大型映画館である。建物は現存せず、宇都宮パルコの南西部分になっている。
嵐が丘(米、1939年)は、愛憎を描いた同名長編小説の映画化。この時は東和(現・東宝東和)配給。「死を越えて燃える愛の激しさ 世界文学史上不滅の名作映画化」。