日顕上人の大導師で福井市宝珠寺の移転新築法要をした栗林開道


ayapanayapan1810さん

福井の宝珠寺の住職の栗林開道さんは自分が否定している阿部日顕さん(上人)を迎えて寺の移転新築落成式をしたそうです。
汚らわしく感じないのでしょうか?
よく普通の感覚をしていたらそんなところに住めるなと思うのですが。

当方より

昭和55年3月10日に福井市の多華山宝珠寺は現在地に新築移転し、日蓮正宗第67世日顕上人を迎えて移転新築落成法要を行っています。
これは当時の住職栗林開道が日顕上人をお迎えしたわけです。日顕上人の法主としての地位を否定しているのならお迎えしないという方法もあったはずです。しかしわざわざ願い出てお迎えしているのです。
これだけ見てみても栗林開道は元々は日達上人から日顕上人への血脈相承を否定していなかったのです。

宝珠寺は、本堂安置御本尊様も他の重宝も、更には寺院建物も土地もすべて日蓮正宗宝珠寺の財産であります。
宝珠寺の住職は、福井市内にある本縁寺住職が兼務をされています。謄本等には本縁寺の住職が代表役員として登記されています。
その日蓮正宗・宝珠寺に自分が否定している法主日顕上人をお迎えして大導師として移転新築落成法要を行い、更に日顕上人の法主としての地位を否定してクビになったにも関わらず、日顕上人がお建てになった宝珠寺を不法占拠して居座っているなど常識的に考えて、正信会・栗林開道は異常行為をしていることになります。
正信会は自分達が正しいと言いながら、行っている行為は非常識なのです。日蓮正宗宝珠寺を早く返還し、自分達で造った寺院で、正信会活動をすべきであります。勿論、日蓮正宗の重宝御本尊様を返還することは当然のことです。
栗林開道は日蓮正宗の僧侶ではなく宝珠寺の住職でもないのですから、すみやかに日蓮正宗宝珠寺を明け渡し出て行くべきです。

ayapanayapan1810さんからのコメント
栗林さんのやってきたことや今言っていることには矛盾がありますね。
コメント日時:2009/9/7 21:00:09

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1330321993



宝珠寺の登記簿


知恵ノート@:日顕上人の法主としての地位を否定できない正信会僧侶より-日顕上人の大導師で福井市宝珠寺の移転新築法要をした栗林開道


多華山宝珠寺移転新築落慶法要の砌(昭和55年3月10日)


御法主日顕上人猊下御説法(当時の宝珠寺住職栗林開道=正信会メンバー)


本日は、お天気も大変に回復して穏やかな気候のなか、有縁の信徒各位、多数ご参詣あって、御本尊に御報恩を申し上げ、当宝珠寺の移転新築落慶法要が盛大に奉修せられまして、まことにおめでたく存する次第でございます。
当寺は初代住職(藤川法融=住本寺元住職・正信会メンバー・故人)が前の場所に在って御奉公しながら現在のこの土地を買い求め、それから色々といきさつはあったようですけれども、とにかく
現在の住職(栗林開道)が一生懸命に移転のことについて心を砕き、御先師日達上人の大きな御慈悲をいただきながら、本日立派に新築落慶をみるに至ったのであります。
考えまするに、物事というものは、仏法では因縁ということをいうとおり、1つのことだけによって起こるものではないということであります。そして、その因縁ということを円かに深く知ることが一切の世の中の罪福の相に達するという、仏あるいは深位の菩薩の境界であると説かれているのであります。これはすなわち、物事はけっして1つのことのみによって生起するものではないということです。
それは寺院についても同じでありまして、例えば当寺においては初代住職が土地を買い求め、現在の住職がそこに建物を建てたように、一切の功徳というものはただ1つのことだけで成るのではありません。やはりあらゆることがお互いに集まり合い、つまり当宗の勝れた教えを受けた多くの人々の信心修行によるところの大きな因縁というものによって、大きな功徳も成就していくのであります。
大聖人は
「相模の守殿こそ善知識よ・平の左衛門こそ提婆達多よ」
(種々御振舞御書・平成新版1063頁)
と仰せになっております。大聖人が仏果を成ずるのは、大聖人を虐げるところの”三類の強敵”という法華経の行者に仇をなすさまざまな働きが起きてはじめて『日蓮は真の法華経の行者としての振る舞いと仏果を成じることができるのである』と仰せになっておられます。
その点からするならば、そこにはいろいろな問題はあるでしょうけれども、結局、宇宙の森羅万象のすべてを功徳化していくのが、妙法蓮華経なのであります。法華経の智力をもってみるならば、たとえ小さな石ころのような存在であっても、そこに地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上・声聞・縁覚・菩薩・仏の十界がおのずから具わっておるということでありまして、まさしく、妙法蓮華経を信受しながら行くところの道こそ、大きな功徳の道なのであります。ですから自分自身が正しい妙法受持の日々を送るならば、そこには敵もなければ味方もないのでありまして、世の中の一切のものをことごとく功徳化していくことができるのであります。
しかし、そのなかでもやはり、筋道は筋道として、立て分けるべきは立て分け、破折していかなければなりません。大聖人も常に謗法を厳しく破折されましたように、私達もまた一生を通じ、未来末代永劫を通じて謗法・邪教を破折して、一切の人を正法に導かなければなりません。
その点から考えますれば、本日のおめでたい入仏式を契機として、そういう大きな境界をもって、これから皆さん方1人1人が信心修行に邁進せられんことを、まず最初に申し上げる次第でございます。


知恵ノートA:福井県福井市本縁寺に帰伏した正信会宝珠寺元講頭の体験記


大日蓮出版妙教平成12年(2000年)2月号で紹介された宝珠寺元講頭O氏の紹介


元講頭O氏の入信は昭和40年(1965年)、奥様が姉に折伏され、私も引かれるように宝珠寺で御授戒を受け、昭和54年(1979年)までの14年間、創価学会に在籍しました。

ところが、創価学会の本山軽視等の逸脱した教義と謗法を知り、創価学会を脱会し、宝珠寺の檀徒となりました。

最初は日蓮正宗の教義に則り、正しい信仰に励んでいました。ところが、昭和55年(1980年)8月24日東京の日本武道館で御宗門の制止も聞かず、檀徒総会を強行し、5人の住職罷免をはじめとして、200余名が処分を受けました。

同年11月、元創価学会の顧問弁護士で会った山崎正友氏(故人・後に理境坊所属妙観講に帰伏)が週刊文春の記事を根拠として誰人も犯すことのできない、御法主日顕上人猊下の血脈相承に異議を唱えるという、大謗法を犯す僧俗が出てきました。私が平成9年(1997年)まで所属していた自称正信会の僧俗です。

彼らは何も知らない檀徒を扇動し、日蓮正宗の教義とは似ても似つかない荒唐無稽なことを述べております。

つまり、日蓮正宗の命脈である金口嫡々の唯授1人の血脈相承を否定し、畏れ多くも本門戒壇の大御本尊様に対し奉り、「日蓮が魂は謗法のところには住まず」との御金言を盾に取り、「大石寺は謗法与同のため戒壇の大御本尊には、日蓮大聖人の魂がない、今は大聖人様の御魂は宇宙に遍満しているから、大石寺参詣など必要ない」と平然と言い放つ始末です。また、折伏と称し、御書を切り文にし自分の都合の良い主張もはばからない正信会僧俗の言動は、もはや逸脱という範疇を越え、大謗法、天魔の所為以外の何物でもありません。

かくいう私も平成9年(1997年)まではその謗法の正信会で活動し、それも10年以上にわたり講頭として、正信会問題で擯斥された栗林開道の片棒を担いで大謗法を犯し続けていたことを考えると慙愧の念に堪えません。

平成9年(1997年)本縁寺御住職様の御慈悲ある折伏によって、一家全員が勧誡を受け、それから今までの伝を求めて13世帯の皆さんに勧誡を受けさせることができました。


 O氏の正信会を脱会のいきさつ


質問:正信会を脱会したいきさつについて教えて下さい。

元講頭:宗門が創価学会を破門するまで、正信会は「必ず本山に帰るんだ」と指導していましたが、平成6年(1994年)位から方針が変更になって、当時議長だった渡辺広済が全国大会で「これからは自分でどうするか考えていかなければならない」との発言がありました。

幹部だけの集まりの時、「この間の全国大会の話はおかしいではないか」「今まで何のために辛抱してきたんだ。我々はあくまでも大御本尊のもとへ帰るのが目的ではなかったのか」と、正信会の指導に批判的な意見が吹きだしました。

本縁寺講頭I氏:平成8年に正信会を退会して本縁寺支部に所属した人たちの話でも、渡辺広済の発言はおかしいとのことでした。

「自分たちは、いつかは本山に帰れるんだという思いが絶対に捨てられないんだ。そのことだけを、とにかく真剣に考えているんだ」

そおいうことで「いつ本山に帰れるんだ」「いつ本山に行けるんだ」ということを渡辺広済はもちろん、水谷秀旭(滋賀県大津市仏世寺元住職)など正信会の役員の所を回って聞いて歩いたそうですが、誰もはっきりしたことは言わないで、「「まあ、もう少し待っていろ」「いつか帰れる時が来るから待っていろ」とそれしか言わなかったそうです。

それで「何で正信会は本山に行けないんだ」と聞いても、うやむやにされるだけなので、「これではおかしい」ということで、結果として正信会をやめる形になったということです。

Hさんという方がよく言うのですが、「とにかく正信会はもうバラバラです。一宗一派を掲げるんだという者もおり、それから、いつかは帰れるんだという者がおったり、『自分たちは、話し合いの場を持ってくれればいつでも話し合うんだ』という僧侶もおるそうですが、結局宗門に帰ってきたら、あの人たちの言うことが、全部詭弁であることがよくわかりました」と仰っておられました。

元講頭:

僕も正信会の指導がおかしいとは思いましたが、栗林開道という人は、独善的で強引な人ですから、そういう話を切り出すこともできずにいました。

それでも役員の間では、「これはもう、とてもついてはいけない。毎年毎年行われる全国大会の内容が、非常に一貫していない。段々発言が変わっている」という意見が交わされました。

僕が正信会を離れようと思った1番のキッカケが阪神大震災でした。

その時、堅持院(渡辺広済が不法占拠中)で震災物故者の法要がありまして、栗林が代わりに行ってきてくれというので僕が参列しました。最初に亡くなったのは青年部1名、婦人部3名、計4名しか亡くなっていないと聞いていましたので、あまりの塔婆の多さにビックリしまして、ここの講頭さんに「どのくらい亡くなったのですか」と聞いても一切答えないんですね。

そこで僕は、これはおかしい、と思い、そこの信者さんをつかまえて、何気なく聞きました所、「若い人が多いんですよ。全部合わせて30人くらいですね」というのです。

そこで僕は「塔婆の数からしてその位の人が亡くなっているんだろう」と渡辺広済に言いましたが彼は一切そのことに返答しませんでした。

僕は栗林にも「何でそこまでして、亡くなった人の数を隠すのか」と問い詰めると「そのことが講中に広がるとダメなんだ」とのことでした。

僕は堅持院に行く時に、家屋が倒れてなかなか進めないような状況の中を歩いて行きましたが、丁度、堅持院は山の手にあって、閑静な住宅街でずっと1軒も倒れている家はありませんでした。

そんな中で、堅持院だけが、本堂が横にずれて、中がひどく傷んでいました。隣の家もどこも何ともないし、裏に回って見たんですけれども、やはり全然傷んでおらなかったんです。

どうして堅持院だけがこんな被害に遭ったのか、なぜ正信会の議長の所だけが、これだけひどい死者が出たのか、この現状をハッキリと講中に伝えたいという僕の思いもありまして、2、3の役員にこの話をしましたら、栗林の耳にも入りまして「お前は宗門の味方か、それとも正信会か」とひどく罵倒されました。

今は本山を知らない青年部もおりますが、本山を忘れてしまうことが僕も一番心配しておりまして、年1回栗林の目を逃れて遙拝しかできませんでしたけれども本山へ登って、日達上人のお墓にお参りして14年間ずっと、僕と、ここにいるNさん、僕より早く入講したSさん、この方たちと毎年お山に行っていました。

そこで気持ちはすっかり正信会から離れていたのですが、なかなか抜け切ることができませんで、悶々としておりましたところ、本縁寺の御住職が来られて、お話しを伺い退会に踏み切りました。 


日顕上人の大導師で福井市宝珠寺の移転新築法要をした栗林開道


昭和55年(1980年)3月10日に福井市の多華山宝珠寺は現在地に新築移転し、日蓮正宗第67世日顕上人を迎えて移転新築落成法要を行っています。
これは当時の住職栗林開道が日顕上人をお迎えしたわけです。日顕上人の法主としての地位を否定しているのならお迎えしないという方法もあったはずです。しかしわざわざ願い出てお迎えしているのです。
これだけ見てみても栗林開道は元々は日達上人から日顕上人への血脈相承を否定していなかったのです。

宝珠寺は、本堂安置御本尊様も他の重宝も、更には寺院建物も土地もすべて日蓮正宗宝珠寺の財産であります。
宝珠寺の住職は、福井市内にある本縁寺住職が兼務をされています。謄本等には本縁寺の住職が代表役員として登記されています。
その日蓮正宗・宝珠寺に自分が否定している法主日顕上人をお迎えして大導師として移転新築落成法要を行い、更に日顕上人の法主としての地位を否定してクビになったにも関わらず、日顕上人がお建てになった宝珠寺を不法占拠して居座っているなど常識的に考えて、正信会・栗林開道は異常行為をしていることになります。
正信会は自分達が正しいと言いながら、行っている行為は非常識なのです。日蓮正宗宝珠寺を早く返還し、自分達で造った寺院で、正信会活動をすべきであります。勿論、日蓮正宗の重宝御本尊様を返還することは当然のことです。
栗林開道は日蓮正宗の僧侶ではなく宝珠寺の住職でもないのですから、すみやかに日蓮正宗宝珠寺を明け渡し出て行くべきです。

更に本来、栗林開道は日顕上人御子息の阿部信彰師が住職をしていたお寺に在勤していた関係もあって、正信会に行くつもりはなかったが、同期の近藤済道に頭が上がらず引き込まれて正信会に行ってしまったというのが実情です。


継命平成7年(1995年)3月15日号で渡辺広済氏の息子の広雲氏が阪神淡路大震災の被害を発表


2000/02/29(火) 01:42のnbなる福井市の正信会の不法占拠寺院宝珠寺所属檀徒の発言によると

堅持院では、二十数名の御信者の方が亡くなられたようですが、これは、地震の二ヶ月後に発刊された継命新聞の三月十五日号において、渡辺御尊師の御弟子さんの広雲師の手記にはっきりと記されております。

正信会僧侶の法で、隠し立てしたということはありません。

堅持院の御信者の方は、特に被害のひどかった東灘、灘、長田区などに住んでおられた方が多かったものですから。


大白法646号平成16年(2004年)6月1日号の東京妙國寺住職(現在は常在寺住職)阿部信彰師の発言


 神戸市内の法恩寺妙本寺浄教寺所属の1005世帯の法華講員には、妙本寺における家族が未入信、本人も名簿のみで退転状態の方1名を除いては、犠牲者がまったくなかったことを私たちは忘れてはなりません。これは単に法華講員の数が少ないが故などではなく、厳然たる現証なのであります。それは、創価学会と同じく血脈否定の謗法の正信会寺院である西宮市堅持院の正信会檀徒は、法恩寺妙本寺浄教寺の3カ寺の世帯数よりもずっと少ない数でありながら、十数名もの犠牲者が出ております。これら法恩寺妙本寺浄教寺3カ寺の法華講員が、絶大不可思議なる諸天の加護を受けたことは、たとえ自然現象としての災難であっても、そこに厳然と信仰の正邪が罰と利益の現証の上に表れることを証明するものであります。


正信会関係者は2ちゃんねるでしかO氏には何も言えず。


レスも全く付かず。リンク切れのホームページには何が書かれていたのかは全く不明です。

http://mimizun.com/log/2ch/psy/980082247/


兼務住職橋本雄博師(本縁寺住職)よりお言葉


宝珠寺が栗林開道の死亡により返還されても存続させず、廃寺にする方針である。

建物も既に33年が経過していて、駐車場用地もなく手狭で交通の便もよくない。

そうなると宝珠寺を存続させたければ栗林開道が寺院を自ら返還し、檀徒の皆さん全員が勧誡を受けて新しい御住職様を迎えるしかありません。

栗林開道も檀徒の皆さんも考えて欲しいと思います。


最後に一言


日蓮正宗寺院である多華山宝珠寺(福井県福井市豊岡1丁目9-28)は現在栗林開道が不法占拠・居住しています。
栗林開道は日蓮正宗の僧侶ではなく、宝珠寺の住職でもありません。

同じ福井市内にある本縁寺の御住職様が宝珠寺住職を兼務しております。