知恵袋から白光真宏会を破折


白光真宏会の登記簿

公益財団法人五井平和財団の登記簿


脱会届のひな型


静岡県富士宮市人穴812-1
宗教法人 白光真宏会
代表 西園寺 昌美殿

退会届
私こと一身上の理由をもちまして、
本日をもって御教団を退会させていただくことを
届出させていただきます。
なお御教団関連の書籍や物品については
平成○年○月○日に宅配便にて返却させていただきます。
なお本日以降は御教団の関係者の訪問や
一切の手紙、電話、Eメール等による問い合わせ、
御教団の出版物の送付は堅くお断りいたします。
御教団の私を担当している幹部に対して
その旨宜しくご指導の程お願い申し上げます。
ただちに名簿からの削除等、適正かつ迅速な処理を執行願います。
以上

平成○年○月○日
住所 ○○
氏名 ○○


次に、この内容証明郵便を郵送しますが、
あて先は
静岡県富士宮市人穴812-1
宗教法人 白光真宏会
代表 西園寺 昌美殿

とします。
☆★ 必ず『内容証明郵便』および『配達証明』を使うようにしてください
★☆ また同時に立正佼成会関連の書籍や本尊も郵送することも忘れずに。
これも当然配達証明つきの宅配便もしくは郵便小包で送りましょう。
以上参考にしてください。


ピースポールなど立てても世界人類の平和どころか不幸をもたらします


公益財団法人五井平和財団と宗教とは関係ないと西園寺昌美と裕夫が主張するのであれば、白光真宏会などという教団を解散すべきであります。
五井平和財団を擁して、宗教法人ではなく、慈善団体として専念すればよいのです。
カルト臭が抜けると色眼鏡で見る人もいなくなり、彼らが懸念しているところの「ネットワークの構築」も容易になるはずです。




五井平和財団をカンカンに怒らせた知恵袋の質問


知恵袋にしては異常に高いアクセス数が気になるところです。
教団や財団職員がこの知恵袋の質問・回答が気になって気になってしょうがなくて、毎日閲覧し続けるからアクセスが上がり、上位にヒットし続けているのではないでしょうか。
「ネットワークの構築」に障害が出ていると彼らは主張しているようですが、白光真宏会なるインチキ教団を解散して慈善団体に衣替えすれば、私も五井平和財団に何も言うことはなくなります。
現時点では「五井平和財団」はインチキ教団白光真宏会の別動隊、子会社というのが日蓮正宗信徒である私の見解です。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1026294325

日蓮正宗信徒富士五山さんの見解
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1116012251


知恵ノート@:新興宗教白光真宏会の誤りを糺す


新興宗教白光真宏会の誤りを糺す

創立 昭和26年(1952年)11月
創始者 五井昌久
現教主 第2代会長 西園寺昌美(五井昌久の養女)
信仰の対象 宇宙神、各人の守護霊・守護神
教典 五井昌久著「神と人間」「我即神也」など
本部所在地 静岡県富士宮市人穴812-1
名称の変遷 五井先生鑚仰会(昭和26年=1952年)→白光真宏会(昭和30年=1955年)

 白光真宏会の沿革


 初代会長五井昌久


創始者の五井昌久は、大正5年(1916年)11月現在の東京都台東区浅草に生まれた。
13歳で織物問屋の店員になり、19歳で独立して商店を開き、東京音楽院で声楽を学んだ。その後商店をやめ、24歳のときに兄の勧めで日立製作所の亀有工場に就職した。
昭和20年(1945年)、29歳のときに腎臓を患い、同僚から「世界救世教」の教祖岡田茂吉が著した「明日への医術」を読むことを勧められ、その中で毒素排泄による治療の方法を知った。更にその同僚の母親からも「手かざし」による霊線治療を受けている。
終戦を機に退社した五井は、岡田の弟子から霊線療法を施す講習を受け、これを習得し自らも人々に無償で治療を行った。
同じ頃、生長の家の教祖谷口雅春の書いた「生命の實相」を読み、生長の家の信仰に興味をもったという。
間もなく、五井は生長の家本部を訪問し、入信した。
以後、五井は葛飾に信徒を結成して副会長に就任し、熱狂的に布教に励んだ。
しかし、生長の家の説く教義では現実の問題を解決できないと感じた五井は人を救うために超人的に力を求めて昭和23年(1948年)1月、神霊研究団体である「千鳥会」に入会し、交霊会に参加した。
この交霊会によって五井は、神界・霊界の存在と高級霊の存在を確信し、自分に取り憑いているいる霊と度々交霊を行った。
そしてある夜、死んだ友人と戦死した弟の文字や絵が五井の手を通じて書き出される「自動書記現象」が現われたという。
以後、その現象が続き、ついに五井は自分に取り憑いた霊によって自分の意志で文字を書くことができなくなり、勤務していた中央労働学園出版部の編集員を退職した。
昭和24年(1949年)、五井が瞑想していると、自分の身体が上昇して霊界を突き抜け、神界にいる自分と合体する「神我一体観」を体験したという。
また、翌朝の瞑想には、釈尊が現われて金色の珠と榊のような葉を5枚授け、次にイエス・キリストが現われて五井の体に突入して消え、その時「汝はキリストと同体なり」との声を聞いたという。
このときに五井は全てを知り得る霊覚者になった、と後に自ら語っている。
これを機に五井は亀有の自宅を訪ねてくる人に、人生相談や病気治療を行うなど、独自の宗教活動に専念した。
昭和26年(1951年)11月、五井昌久を信奉する人々によって、千葉県市川市に「五井先生鑚仰会」が結成された。
昭和28年(1953年)5月、五井は「神と人間」を著述し、翌昭和29年(1954年)10月には機関誌「白光」を創刊するなど文書布教をはじめ、その中で、「人間と真実の生き方」と「世界平和の祈り」を提唱した。
昭和30年(1955年)2月、教団名を「白光真宏会」と改称して五井が会長に就任し、宗教法人を取得した。昭和33年(1958年)千葉県市川市に「聖ヶ丘道場」が開設された。
昭和39年(1964年)より、教団は布教の一環として「世界人類が平和でありますように」との標語を書いたステッカーを貼る運動をはじめ、更に昭和51年(1976年)より、同様の言葉を書いた祈願柱「ピースポール」を各地に建てる運動を開始した。
昭和55年(1980年)8月、63歳で死去した。
 

 第2代会長西園寺昌美


西園寺昌美は五井昌久の養女であり、旧名を尚悦子といい琉球王朝の末裔を自称し、昭和33年(1958年)母の入信とともに五井昌久と出会い養女となった。
昭和49年(1974年)に昌美は、元老で元首相だった西園寺公望の曾孫である西園寺裕夫と結婚している。
そして昭和55年(1980年)8月、初代会長五井昌久の死去に伴い、後継者として第2代会長に就任した。
同年、教団は、静岡県富士宮市に富士宮道場を開設し、その後、富士宮外道場を新設した。
昭和63年(1988年)、教団は「万人共通の願いである世界の平和を祈る」との趣旨のもとに、アメリカに外郭団体「祈りによる世界平和運動推進本部」を組織し、代表に西園寺昌美が理事長に西園寺裕夫が就任した。
第2代会長西園寺昌美は平成6年(1994年)に「我即神也」の宣言文を発表し、同時に「人間は本来神そのものであり、その自己を顕現し、人類に示していく方法」である「我即神也の印」も修業を信者に対して提唱し、
平成8年(1996年)には、更に「人類即神也」の修業方法も提示した。
平成11年(1999年)3月、教団は外郭団体の活動をより推進し、世界平和に寄与する目的で東京都千代田区に「財団法人五井平和財団」を創立し、会長に西園寺昌美が、理事長に西園寺裕夫が就任した。
同年、教団本部を千葉県市川市から富士道場に移した。同年8月には「宇宙神マンダラ」を信者に書写させる行を開始した。
 

 白光真宏会の教義の概要


教団では、宇宙神と個々の守護霊・守護神を崇めよ、説いている。
この宇宙神について、五井は「宇宙に遍満する生命の原理」「創造の原理・法則」にして「宇宙根源の大光明」であるとしている。
守護霊とは祖先のなかでも悟りを開いた霊であり、守護神とは生まれる前から自分に付いて守る神のことである。
五井昌久の守護神は?(よ)明観世音である。この青銅の観音は五井が世界救世教の治療方法の講習を受けた岡田茂吉の弟子からもらい受けたものである。五井は生前、この観音を本尊として安置していた。
教団の各道場においては、五井の直筆で「白光」と書かれた額を中心とし、左右に創始者五井昌久の写真と「信者が五井昌久を撮影すると写ったのが円光だった」と謂われを持つ、2つの写真を掲げている。
五井は、人間とは生命の原理・原則の理体である宇宙神の分霊であり、本来、神としての存在である。しかし、肉体界(人間界)に誕生した時、すでに宇宙神との差異が生じており、この差異が業そのものとしている。
従って肉体界にある人間ではその業を突き破って宇宙神の光明と合致することはできない。
そこで宇宙神は自己の光明を分けた守護神をつくり、その守護神の光明によって、先に肉体界に誕生させた分霊たち(祖先)を霊界にひき上げ、1人1人の背後につけて人間を守護させるのである、と主張する。
もともと守護霊・守護神は肉体人間の想いを宇宙神の光明につなぐ存在であり、背後にいて休みなく業を消しており、その業の消し去る相が、人間の抱えるさまざまな苦悩・不慮の災難等なのである。
従って守護霊・守護神へ感謝の祈りを捧げることによって、完全円満なる神の子である人間本来の姿となり、自分が救われることはもとより地上世界の光明化、大調和となると主張する。
また守護霊・守護神に対して「世界平和の祈り」と称し、教団が定めているものに「世界人類が平和でありますように」「日本が平和でありますように」「私達の天命が完うされますように」「守護霊様ありがとうございます」「守護神様ありがとうございます」という5つの祈り言葉がある。
この祈りを広める具体的な活動の1つが「世界人類が平和でありますように」とのステッカー貼りとピースポールを立てる運動なのである。
信者の個々の行には「動く祈り」と呼ばれる、「我即神也」「人類即神也」の印を組むというものがある。
これは体操をするように、手と腕と体の動作を連動させながら「ワ・レ・コ・ソ・カ・ミ・ナ・リ」と発声することである。
この印を組むことにより「宇宙根源のエネルギー」との交流が起こり、人間に蓄積されているマイナスエネルギーが浄化され、その結果思考が変わり運命を変換することができるとする。
また、「我即神也」の印は自分自身を光り輝く神であることを魂と体であることを魂と体に思い出させる印であるという。
この他に信者が行うものとしては、第2代会長西園寺昌美が提唱した「我即神也」「人類即神也」との文字を円形状に書き連ねる行がある。これを教団では「宇宙神マンダラ」と称し、この行によって自己が磨かれ、向上するとされる。

 白光真宏会の破折の要点


@ 教団の祭神を宇宙神を「宇宙根源の大光明」と表現し、霊覚者である教祖五井昌久を写したときの円光の写真がその証明であるとしている。
それならば、いつ、どこで撮った写真であっても円光が写るはずなのに、五井の写した写真は多数あっても円光が写っている写真はこの1枚だけなのである。
所詮はそのインチキ性を拭い去ることはできない。このような写真を掲げて信者に拝ませる白光真宏会は荒唐無稽な宗教である。
A 五井は、全ての苦悩は「人間の過去世から現在に至る誤てる想念がその運命と現われて消えてゆく時に起こる姿である」との因果論を主張する。
そして、各自の守護神や守護霊に感謝の祈りを行ってさえいけば「いかなる苦悩といえど現れれば必ず消えるものである」と信者に教える。
しかし、苦悩の原因は誤った想念に限ったものでない。
あくまで過去・現在・未来の三世の因縁を説く仏の教えによらなれば何ら問題の解決とはならない。この教団の教えは、まさに三世の因果を無視した外道である。
B 教団では「世界平和を祈り」を続けていけば、個人も人類も真の救いを体得できると説く。しかし、全世界の人々は平和を願い、平和を祈り続けているが、現実社会においては紛争がたえない。
ステッカーなどに書いた祈りだけで幸せになると主張することは、人々を惑わす邪教である。
C 二代会長は、五井が平和の祈りのみの修行を教えたことに対して、新たに「我即神也」「人類即神也」の印や「宇宙神マンダラ」の書写の修行を提唱している。
このように会長が代わることで修行も代わる教団のあり方は一貫性のない無節操な宗教といえる。

知恵ノートA:新興宗教白光真宏会を破折する


成立の歴史


白光真宏会は、「世界救世教」や「生長の家」を遍歴した五井昌久(1916-80)によって、昭和26年(1951年)に創立された新興教団である。
創始者の五井昌久は大正5年(1916年)、東京浅草の元士族の4男として生まれ、病弱な幼少時代を過ごした。
昭和20年(1945年)、29歳の時に、勤めていた日立製作所・亀有工場の女子事務員から勧められて「世界救世教」に入信。
五井は世界救世教の浄霊法である手かざしを他人に施すほどの信者になるが、程なくして、
今度は谷口雅春(生長の家の教祖)が書いた「生命の實相」を読んで興味を抱き、自ら「生長の家」の本部に行って入信した。
以後、熱狂的に生長の家の布教活動をしたが、やがて生長の家の教えに飽き足らなくなった五井は、昭和23年(1948年)に神霊研究団体である「千鳥会」に入会した。
そして同会で行っていた「交霊」にのめり込んでいったのであるが、
昭和24年(1949年)のある夜、瞑想していると、太い円柱が現われ、それを伝って昇っていくと霊界を突き抜けて神界に至り、そこで、神界にいる自分と地上にいる自分が合体する「神我一体観」を体験したという。
さらにその翌朝には、光明とともに目の前に釈尊が現われて、金色の珠と榊の葉を五井に渡して消えていき、次に金色の十字架を背負ったキリストが現われて五井の体に入り込んだ、という。
その時、五井は「汝はキリストと同体なり」との声を聞いたという。
この神懸かりによって、「自分は全てを知りうる霊覚者になった」と思い込んだ五井は、訪ねてくる人の人生相談や病気治療を行うなど、独自の宗教活動をするようになった。
そして昭和26年(1951年)11月、千葉県市川市に「五井先生鑚仰会」を結成し、昭和30年(1955年)2月に教団名を「白光真宏会」と改めた。
昭和39年(1964年)からは、布教活動の一環として、巷の家々に「世界人類が平和でありますように」と書いたステッカーを貼ったり、各地にピースポートを立てる運動を始めた。
昭和55年(1980年)に五井が死去すると、養女の西園寺昌美が後継者として第2代会長に就いた。
この西園寺昌美は、昭和33年(1958年)に母親とともに入信し、すぐに五井の養女となった人物で、琉球王朝の末裔を自称しており、昭和49年(1974年)に、西園寺公望(明治時代の首相:元老)の曾孫の西園寺裕夫(現在教団幹部)と結婚している。
西園寺昌美の代になってからの教団は五井昌久の時代には全く存在しなかった「印」を修行法にしたり、「宇宙マンダラ」なるものを作って、それを信者に書写させるようになった。
一部の信者たちは、こうした西園寺昌美のやり方に反発して原理主義を唱え、分派・独立の動きを見せている。
現在の教団は、本部を静岡県富士宮市人穴(1999年=平成11年に千葉県市川市から移転)に置き、公称信者数は約80万人としている。
 

 教義と本質


白光真宏会では「宇宙神」と各人の「守護霊」および「守護神」を祭神とする。
宇宙神とは、教祖五井昌久によれば「宇宙に遍満する大生命であり、生命の原理」であり、「宇宙根源の大光明」だそうであるが、漠然としてとらえどころがない。
そして「人間は、宇宙神の分霊であり、神の創造原理を地上界に実現するために肉体を持って生まれた」とし、
人間が生まれる時、宇宙神は、自らの光明を分けた守護神と、既に霊界に昇った祖先を守護霊として、1人1人の背後に付けるのだ、という。
教団の道場には五井昌久が書いた「白光」(※高級神霊が発する光を「白光」というのだそうである)という文字を中心に、五井の肖像写真と、「霊光写真」を祀っている。
霊光写真とは、ある信者が五井を撮影したところ、そこには五井の姿ではなく、円い光の玉だけが写っていたというもので、
この怪しげな写真を五井自身は「私の肉体は霊光そのもの」などと説明して、自分と神が一体の存在であることの証拠とした。
教団ではこれを、信者が身に付けるお守りにもしている。
また、人間の苦悩の原因については、「人間の過去世から現在に至る誤てる想念が運命として現われて消えていく時に起こる姿である」とし、
「いかなる苦悩も現われれば必ず消えていくものであるから、「消え去る」という信念と「今から良くなる」という善念を起こし、自分を赦し他人を赦し、自分を愛し他人を愛し、守護霊・守護神への感謝の心を持ち、
世界平和の祈りを続けていけば、個人も人類も真の救いが得られる」と説く。
「世界平和の祈り」とは、守護霊・守護神に対して、「世界人類が平和でありますように」等と祈るもので、この祈りの言葉を書いたステッカーを巷間あちこちに貼り、同様の文字を書いた柱(これを教団では「ピースホール」と称する)を立てることも。信者の重要な活動になっている。
この祈りとステッカー貼り・ピースポール立ては、創始者五井昌久の時からあったものだが、第2代会長の西園寺昌美の代になってからは、「我即神也」「人類即神也」の印を組むことと、「宇宙マンダラ」と称する書写の行も加わった。
具体的にいうと、「印」とは「ワ・レ・ソ・ク・カ・ミ・ナ・リ」との発声に合わせて、手と体を動かす行で、「宇宙マンダラ」とは「我即神也」や「人類即神也」の文字を、円状に細かくビッシリと書き連ねていくものである。
なお、「マンダラ」には、この他に、「地球世界感謝マンダラ」(※「大地さんありがとう、水さんありがとう、動物さんありがとうなどと書き連ねていくもの)や、
「光明思想マンダラ」と称するもの(※無限なる愛、無限なる能力、無限なる叡智」などとかきつらねていくもの)もあり、これらのマンダラを書くことによって、自分が神であることを思い出したり、天災が起こらなくなったり、理想の人生を創造できたりする、という。
 
 

 破折


 存在しない「宇宙神」


白光真宏会の教えは創始者五井昌久と第2代会長西園寺昌美の思いつきで上塗りされていくために、曖昧な部分や矛盾も多く、大変解りづらいが、
要約すると、「宇宙には人間界(肉体界)のほかに霊界と神界があり、神界に住んでいるのが宇宙神や、宇宙神と同化した高等神霊であり、人間界は宇宙神の意思で創られた」ということが基本になっている。
五井は、瞑想の最中に、その「神界」に行く体験をしたそうであるが、それによれば、
「あらゆる色を綜合して純化した光明の世界で、その光の中に、金色の椅子に腰掛け、昔の公卿が被ったいたと思われる紫色の冠を被った私がいた。確かにそこは神界である。という。
邪宗遍歴を重ねてきた人物らしい妄想、という以外にないが、百歩譲って、この五井の説のとおりだとすれば、神界なる所に住する神々は姿・人格をもっている、ということになる。
当然、宇宙神なるものも姿と人格を持っていることにしなければ、話の辻褄が合わないが、どういうわけかそれについては言及していない。
五井は「宇宙神」とは「宇宙根源の大光明」などと、曖昧な説明をするだけである。
森羅万象全てに原因と結果があるというのは宇宙を貫く根本の道理であるが、それからすれば、いったいどういう原因によって宇宙を司る大光明(宇宙神)なるものが生じたのか。
宇宙神は最初から存在いていた、というのでは、原因なくして結果が生じていたことになってしまって道理が通らない。
道理を無視した真理などあろうはずもなく、このことからしても、白光真宏会で説く「宇宙神」も「神界」も現実にはあり得ない、ということが明らかである。
従って、五井が行ったという神界の模様も、また地上の自分と神界の自分が一体になったという「神我一体観」と体験とやらも、五井の潜在意識から起こった妄想か作り話でしかないのある。
 

 いかさまにすぎぬ霊光写真


五井は、この筋の通らない物語に信憑性を与えようとして、「霊光写真」なるものを証拠と持ち出す。
これをもって五井は「私の肉体は霊光そのもの」とか「自分は、神霊の世界の力をもっている」と言って憚らないのであるが、これが実際に五井を被写体にしたものかどうかも怪しいものである。
また、仮に五井を写したものであったとしても、露出の加減などで写真に思わぬ光が写り込むことはよくあることで、これをもって霊光写真だなどというのは軽率がすぎる。
加えて、「五井の肉体は霊光そのもの」というのであれば、いつ、どこで、誰が撮っても、五井の姿は光の玉となって写るはずなのに、何枚もある他の写真は普通に写っているのだから、
やはり、これを「霊光写真」などと称するのはいかさまである。
こんなものを、お守りとして有難がる信者は気の毒としか言いようがない。
 

 教えは思いつきで支離滅裂


また、五井は、自分が「神我一体観」の体験をした際、釈尊が降ってきて、「如意宝珠かと思われる金色の珠」を五井の掌に乗せていったそうであるが、
三世を貫く因果の理を説いた釈尊が、何故、仏法から見れば最も低級とされる外道の教祖・五井に如意宝珠を渡したりしなければならないのか。天地がひっくり返ってもありえない話である。
この辺にも内道たる仏教が外道を破していることすら知らない、五井の独りよがりな妄想癖垣間見えるではないか。
五井昌久の妄想に振り回される信者が救われることなど絶対にありえないのである。