日蓮正宗法楽寺に帰伏した正信会西之坊元檀徒T氏の体験記


T氏初めての折伏から3年かかって正信会を脱会


私の入信は、昭和37年4月、26歳のときでした。
しかしその後、正信会に入ってしまい、正信会僧侶が占拠していた讃岐本門寺の西之坊に所属して、20年間も活動しておりました。しかしどうしても納得できないことが少しずつわだかまりとなり、悩んでおりました。
そんな時、法楽寺の法華講員であるTMさんご夫妻より折伏を受けました。一緒にお寺に行って、亡くなられた先代の御住職・伊藤信道御尊師のお話を伺い、納得はしたのですが、その時は法華講に入る決意ができませんでした。
その後も、TMさんは再三足を運んでくださり、その熱意と、さらに御住職様の深いご慈悲により、折伏を受けてから3年後の平成13年10月に、ようやく正信会を脱会して勧誡を受け、法華講法楽寺支部に入講できました。私は早速、御登山させていただき、「これからはしっかりと御住職様の御指導を受けて、信心に励んでいこう」と決意を新たにしました。

そう思っていた矢先の平成14年1月2日、御住職様がご逝去されました。たいへんお世話になった伊藤御住職様への御恩返しのためにも、新しく赴任された岩切仁道御尊師のもとで、異体同心して信心に励むことをお誓いしました。

そして平成16年(2004年)、御住職様と講頭の推薦により、法楽寺支部の壮年部長を拝命いたしました。
このお話をいただいた当初、私は「入講して間もない私には、このような大任はできません」とお断りしました。

しかし、御住職様より、「あなたは、正信会で20年間、宗門と御法主上人猊下を誹謗してきたでしょう。その罪は消し難いですよ!しっかりと壮年部長としての使命を果たしていきなさい」と言われて、返す言葉がなく、よしと覚悟を決めた次第であります。


 正信会の一家を折伏


6月には、正信会で一緒に活動していた新居浜市に住む義理の姉に当たるSさんを折伏しました。
当時、義姉は、正信会の西之坊の婦人部長をしていました。そこで本人を直接折伏しても難しいと考え、私の姪に当たる義姉の子供を折伏しました。
するとほどなくして義姉から電話がかかってきて、「感じるところがあって正信会を止めた。私も法楽寺に連れて行ってくれないか」と言うのです。早速、義姉を法楽寺へ連れて行き、御住職様に折伏していただき、即日、勧誡式を受けました。

8月には、お盆休みで帰ってきた、奈良に住む弟のKさんを法楽寺に連れて行きました。
弟は正信会員で、大阪の広宣寺というところに所属していました。御住職様に折伏していただいた弟は、勧誡式を受けて入講することができました。

義姉は、7月に、「支部総登山までに、ぜひ一世帯折伏をしたいので、応援してほしい」と電話をくれました。

そこで一緒に正信会員のHさんをお寺にお連れして、御住職様に折伏していただいた結果、勧誡を受けることができました。Hさんも支部総登山に参加でき、共に歓喜に燃えてがんばっています。
義姉はその後、8月には正信会に所属していた二人の娘、つまり私の姪を、その家族共々折伏して、お寺へお連れしました。御住職様の折伏で、二世帯七名がそろって入信することができました。

 


知人の折伏


①初めに、今治市で運送業を営むHKさん宅を訪ねました。HKさんは、すっかり昔の面影がなく、話を聞くと、「よくないことが次々に起こり、仕事もめっきり減って、たいへんだ」と言うのです。

案内されてHKさんの事務所に入ると、たくさんの謗法が祀ってあるのが目に飛び込んできました。「これが不幸の原因だ」との私の言葉に、HKさんはすぐに謗法払いをして、翌日にはお寺に行って入信しました。
その後、HKさんは、「初信の功徳を戴いて、仕事が入ってくるようになった。忙しくなったよ」と言ってがんばっております。

そしてHKさんは、支部総登山が初めての御登山でした。たいへん感激して、その感想を宿坊で発表していました。そして今年正月には、ご自身の会社の従業員2名を私の家に連れて来て、私と一緒に折伏しました。その後、お寺へお連れして御住職様より折伏していただき、2人とも御授戒を受けて、御本尊様を御下付いただくことができました。

②創価学会員のM子さんという方についてです。この方も15、6年ほど、会っていませんでした。
M子さんには手紙で折伏しました。手紙に創価学会の謗法について書き、最後に「詳しくは会ってからお話します」でしめ括って投函しました。
手紙を読んでM子さんが早速連絡をくれたので、我が家に来てもらい、半日お話して折伏しました。
彼女は最近の創価学会には不信を持っていましたが、なぜ法華講でなければいけないのかが、なかなか理解できなかったようでした。私はあきらめずに血脈の大事を話して折伏していくと、ようやく判ってくれたようでした。
ところが今度は、忙しいという理由で、なかなか勧誡式を受けようとしませんでした。そのことを御住職様にご相談すると、「広宣流布の大事な人材です。そんなに忙しい方なら、夜中の1時だって2時だって、いつでもお連れしなさい。いつでも応対いたします」と言ってくださいました。その旨を早速手紙にて伝え、「最後はあなたの決断です」と書いて出しました。
翌日、M子さんから電話があり、昼までなら時間が取れると言うので、すぐに法楽寺に連れて行きました。御住職様に面接していただき、勧誡式を受けることができました。


 最後に一言


本来は日蓮正宗の寺院である讃岐本門寺西之坊は現在村山泰道が不法占拠・居住しています。
村山泰道は日蓮正宗の僧侶ではなく、西之坊の住職でもありません。

讃岐本門寺中之坊の住職が西之坊住職を兼務しています。