読み |
さぬきほんもんじ |
所在地 |
香川県三豊市三野町下高瀬1916番地 |
郵便番号 |
767-0032 |
電話番号 |
0875-72-4902 |
山号 |
高永山(こうえいさん) |
開基 |
上蓮房日仙師 |
地図 |
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沿革 |
* 元亨3年(1323年) - 讃岐田村に法華堂を建立する |
* 正中2年(1325年) - 創建 |
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* 建武元年(1334年)7月7日 - 中之坊が建立される |
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* 弘和元年(1381年)8月 - 日実師により西山坊が建立される。 | |
* 応永元年(1394年) - 日山師により奥之坊が建立される。 | |
* 天正13年(1585年) - 大檀那秋山家及び讃岐国中諸士の領地仙石氏により没収される。 | |
* 慶長17年(1612年) - 讃岐大仁公日円師 重須本門寺に立ち寄る。 〔重須讃岐本末係争の発端〕 - 日円師が北山の日建から「法華寺久遠院日円上人」と書かれた本尊を渡される。 |
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* 正保3年(1646年)5月20日 - 北山の日優が慶長17年の本尊を根拠に讃岐本門寺は北山の末寺であると主張する。 | |
* 正保4年(1647年)2月3日 - 北山日優 江戸寺社奉行に讃岐本門寺を訴える。 | |
* 慶安元年(1648年)12月11日 -讃岐本門寺敗訴し、重須本門寺末となり、法華寺と称せしめらる | |
* 貞享3年(1686年) - 日尊師により宝光坊が建立される。 | |
* 宝暦3年(1753年)- 敬慎坊日精師が中之坊の住職となる。 | |
* 宝暦7年(1757年)8月22日 - 讃岐中之坊顕妙阿敬慎坊日精師が法難に遭い、21日間の断食の後死去する。 | |
* 文久2年(1862年)11月・慶応元年(1865年)12月 - 北山日信が讃岐本門寺を訴える。 | |
* 慶応2年(1866年)8月 - 讃岐本門寺が敗訴する。 | |
* 明治6年(1873年)7月 - 小笠原日弘師が讃岐法華寺を北山本門寺より大石寺に本寺替を香川県庁へ出願 | |
* 明治8年(1875年)6月8日 - 堅樹派の佐野広謙尼は後の第52世法主日霑上人により改宗する。 | |
* 明治34年(1901年)4月2日 - 小笠原日芳師 塔中8カ坊・末寺2か寺と共に寺格復旧・所轄本山変更願を香川県知事に提出 | |
* 明治43年(1910年)2月3日 - 客殿・庫裡等焼失 | |
* 大正9年(1920年)12月22日 - 客殿復興 | |
* 昭和21年(1946年)2月21日 - 相馬日鳳師が僧俗会議を開き日蓮正宗帰一を議決する。 同年4月12日 - 讃岐法華寺・同末寺10カ寺〔中之坊・奥之坊・法善坊・泉要坊・西之坊・上之坊・宝光坊・西山坊・妙行寺・福成寺〕が日蓮正宗に帰一し、法華寺を本門寺と改称 同年7月11日 - 本末11カ寺帰一奉告法要執行 |
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* 昭和48年(1973年)9月14日 - 第66世法主日達上人が兼務住職となる | |
* 昭和54年(1979年)8月22日 - 第67世法主日顕上人が兼務住職となる | |
* 昭和56年(1981年)8月7日 - 客殿改修庫裡改築 | |
* 昭和57年(1982年)4月5日 - 塔中奥之坊の当時の住職が第67世法主日顕上人の法主としての地位を否定して日蓮正宗の宗制宗規に違背したため破門されたが奥之坊を不法占拠する。 同年8月21日には西之坊の当時の住職も同様の理由で破門となったが西之坊を不法占拠する。 |
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* 昭和59年(1984年)7月19日 - 御宝蔵改築 | |
寺院の特徴 | * 地元の人からは大坊(たいぼう)さんと呼ばれている。 |
* 11月22-25日には大坊市が開かれる。 | |
* 讃岐本門寺の御住職様が奥之坊住職を兼務しています。 | |
* 塔中の中之坊の御住職様が西之坊住職を兼務しています。 |