行足寺住職を兼務している直唱寺 |
行足寺と同日に建立された大慈院 |
正信会行足寺所属の赤井氏のブログにお邪魔いたしました。
消されるかもしれませんので保存させていただきます
2008年07月09日(水) 02:13 by たかぼん
はじめまして。
北海道内に住む日蓮正宗法華講員のたかぼんと申します。
赤井さんのブログの中で正信会員で清涼院の信徒さんということで自己紹介がございましたが、
御住職はどういう方なのでしょうか?
また清涼院はどのようなお寺で御本尊はどの御法主上人の書かれた御本尊様が祀られているのか是非ついでの話題のときで結構ですので取り上げていただければ幸いです。
また宗門と正信会についてどのような考えをお持ちか機会があれば取り上げていただければと思います。
というのは最近行足寺信徒と名乗る方と知り合いになりまして、「私は行足寺の信徒であって清涼院の信徒ではない」という方がいらっしゃいました。
理由を聞きますと「行足寺は日達上人のお建てになった寺だが清涼院はそうではない」という話でありました。
また最近宗門の出している新聞慧妙平成20年6月16日号には佐賀県の世尊寺と正信会が建てた光明寺について「私は光明寺には行きたくない。世尊寺に住職を派遣してくれ」と宗門側のお寺に駆け込み直訴した正信会員が取り上げられていて理由は同じような理由であります。
その方の家には日達上人の御本尊様や行足寺が建立された昭和53年9月5日に日達上人が行足寺について詠われた色紙がありました。
そして行足寺と清涼院の日程表も見させていただきましたが清涼院に休みが多いのが気になりました。
また唱題会がないのも気になりました。
私は唱題会というのはただ長時間機械的に題目を唱えるというのが目的ではなく折伏のためにやるものと御住職より指導を受けております。
私は赤井さんと宗教論争する考えはございません。
逆に分からないところを教えていただきたいという考え方でございます。
お忙しい中とは思いますが宜しくお願いいたします。
1への回答……A
>たかぼん様、返事が遅れて申し訳ありません
あなたが正信会や行足寺・清涼院にどんな考えを持っているか、他の掲示板で読みました。
私は阿部宗門から信徒資格停止処分を受けている身分であり、あなたの質問に凡夫の分際でお答えすることなどございません。あなたが住んでいる場所は行足寺のすぐ近くのようですので、直接、川田乗善ご住職を尋ねられてお聞きになっては如何でしょうか?ついでい言えば9月7日に行足寺建立30周年記念法要が行なわれ、正信会元議長・渡辺広済ご尊師がお見えになりますよ。
凡夫の私にた言えるのは、阿部日顕さんは、日達上人が、創価学会会長辞任・法華講総講頭辞任に追い込んだ池田大作氏を復権させたことや、宗務院教学部長であった阿部さんが「池田先生の教学は完璧です」と天まで持ち挙げた事実に対して責任を取るべきです。
それから日達上人からの血脈相承について「密かに相伝があった」と言っていますね。これって池田大作氏が「大講堂のエレベータの中で次期会長について話があった」という話と同次元の話に聞こえるのは私だけですか?
それに正本堂だって池田大作さん一人で建てたわけではないでしょう。それを「願主が池田大作になっているから」というだけで正本堂や総坊を解体するなど正気の沙汰ではないでしょう。
それから最後に一つ
うちの姉夫婦は20年前、学会から正信会に移るに当たり、阿部日顕さんの本尊と日達上人のご本尊を取り替えました。その際、当時姉夫婦が所属していた長万部の説道寺のご住職は阿部日顕さんの本尊を燃やしてしまいました。阿部日顕さんに本当に血脈があるなら姉夫婦も、説道寺も大白法に照らしただでは済まない事はたかぼんさんにもわかるでしょう。
余計な事をいいましたが、たかぼんさんのお聞きになりたいことは直接行足寺にお尋ねください。
Aへの回答……2
2008年09月02日(火) 23:55 by たかぼん
貴殿の考えを読ませていただきました。
お答えいただき大変感謝いたします。
しかし、当方は住んでいる場所は札幌市内ではありません。
川田氏には是非お会いしたいと考えております。
さて、私はこう考えます。
昭和52年の教義逸脱問題の時、創価学会は総本山に謝罪して、2度と法謗を犯さないと誓ったから、日達上人は大慈大非の上からこれを許されております。
そして宗内僧俗に対しては、今後も学会を信徒団体として受け入れ、見守って行くように命じられました。
日達上人においても日顕上人においても御仏智に任せて、しばらく様子を見るとされ、もし学会が大聖人の仏法に背くことになったら、その時は法主を先頭に僧俗あげて折伏していくと言われておりました。
ところが正信会は御仏智を信じられなかったということです。
現にその後学会の法謗があらわになったことから日蓮正宗は僧俗挙げて学会の邪義を破折しているところであります。
2008年09月02日(火) 23:56 by たかぼん
公の儀式が行われなかっただけであって日達上人は日顕上人以外の誰を次期御法主に考えていたのか、誰も日顕上人以外に名乗り出ている方はいません。
山崎氏は現在日蓮正宗に帰伏され、公の儀式に寄らなければ唯授1人の血脈相承が成り立たないという認識を誤っていたと反省懺悔されております。
そして何をかいわんや正信会でも日顕上人が御登座された時に日顕上人への相承を認めております。
創価学会は池田という在家を絶対の師として正信会は寺院僧侶を絶対の師として結局は同じように本師である御法主上人をないがしろにして法謗となってしまったのであります。
本師→小師→信徒という本末関係を弁えず小師が本師に違背したときに小師に従って本師を捨ててしまったのであります。
日興上人は「この法門は師弟子を正して仏に成り候、師弟子だにも違い候へば、同じ法華を持ちまいらせて候えども無間地獄におち候也」と仰せで
師弟の筋目を無視しては日蓮正宗の信徒とは呼ばないし、しかも血脈まで否定しているから、結局は地獄に堕ちることとなります。
2008年09月02日(火) 23:56 by たかぼん
次に正本堂の件は、新幹線の橋やトンネル等でコンクリートの落下事故が騒がれました。
正本堂も大理石から赤さびが出ている写真が「慧妙」に特集で掲載されました。
阪神淡路大地震の教訓で、今まさに、東海沖大地震が来ると騒がれているとき、参詣御信徒の安全を考えられての解体があります。
また、正本堂に入る時に並んだピュロティー(広間)には円柱が林立しており、そこから落ちてくる大理石で、ケガや人身事故があった場合、
当時、「千年も持つ、正本堂を壊すな。」と叫んだ学会が責任をとるのでしょうか。
それよりも、東海沖の大地震が来ると言われていながら、何の手もうたない管理者(日蓮正宗)が世間の非難を浴びることになります。
最後の言葉は貴殿のお姉さんについては分かりませんが説道寺の自称住職については学会員がなぜ池田センセーに厳罰がないのかと言っているのと同じであります。
御書に「順次生に必ず地獄に堕つべき者は重罪を造るとも厳罰なし」と言われております。
赤井さんにありましては一日も早く「依法不依人」の理を知って、正しい信心に付かれることを祈っています。
Bへの回答……3
2008年09月14日(日) 00:28 by たかぼん
赤井様から回答をいただき感謝いたします。
さて、池田大作が日蓮正宗から破門されたのは平成4年8月11日であります。
それまでは創価学会である前に日蓮正宗の信徒であったということには変わりはありません。
四条金吾殿御返事に「此の法門の一門いかなる本意なき事ありとも、みず、きかず、いわずしてむつばせ給え」とあります。
御法主といえども未来を見通せるわけではありません。日顕上人は創価学会の善導に努めていたと当方は考えます。
80年代創価学会≒日蓮正宗であったと言っても過言ではありません。
これではどうにもならないではありませんか。
日顕上人は「池田先生の教学は完璧です」とありますが、いつ言われたのでしょうか?
私は分かりませんので文証を挙げていただければ幸であります。
2008年09月14日(日) 00:31 by たかぼん
法主と言う権威と名誉会長と言う権力の低俗極まりない子どもの喧嘩とありますが、これは貴殿の浅識法謗であります。
池田大作を頭目とする創価学会の言っていることは三宝破壊の大法謗であります。日蓮正宗は三宝を護る上から一歩も引かず、また見過ごさずに折伏しているのであります。
上辺だけを見てどっちもどっちの喧嘩であるという捉え方は間違っていると当方は考えます。
次に「日蓮正宗の信心というのは、あくまでも自分対ご本尊であり、法主絶対論などというものは存在しません。」
と赤井様は仰いますが
貴殿の仰りようは1人信心の考え方です。
大聖人様は既に亡くなられており、直接指導など受けられないではありませんか。
現在第68世日如上人から1人1人指導を受けることなど現実的には不可能ですよ。
ですから本師である日如上人の御指南があって、それを受けた指導教師である小師たる末寺の住職から信徒は御指南を受けて御本尊を拝み信心に励むわけです。
自然な形であると私は考えますが。
日蓮正宗の信心の世界は、どこまでも御法主上人の御指南に従って信心をしていくところに成仏の道があることを、心肝に染めなければならないと思います。
2008年09月14日(日) 00:31 by たかぼん
正本堂は池田大作が広宣流布の暁に建立される事の戒壇だ」と決めつけ「大聖人も成し遂げられなかった広宣流布をやり、事の戒壇を建立したから自分は大聖人よりも偉いホトケ」なんて思い込んで正本堂を池田本仏論の実証のように利用しているから解体となったわけでそんな邪義に利用される建物を清浄な総本山に残しておくわけには行きません。
それと総坊うんぬんとありますが、ですから現在改修工事をして地震が起きても大丈夫なようにしているのではありませんか。
坊に泊まっている人で地震で亡くなられた方がいるのでしょうか?いないでしょう。
さて当方赤井様に質問させていただきます。
貴殿は昭和57年4月5日、つまり川田乗善氏が宗門から破門されてから今日まで何人の人間を折伏しましたか?
そして何人の人間を行足寺にて受戒なり勧誡を受けさせましたでしょうか?
申し訳ないのですが赤井様の主張と創価学会の主張に違いが見られず、池田大作が川田乗善氏になっている印象がいたします。
戒壇の大御本尊様を拝めばこそ歓喜が涌き、歓喜が涌くから折伏もしたくなる、そういう「歓喜の循環」があればこそ信心も強くなるのではないかと私は考えます。
私は平成18年の入信で最初から奉安堂であって正本堂ではありません。
そして正信会寺院については能忍寺や説道寺や実明寺または横浜の法因寺の荒れようを見ておかしいと考えています。
正しい信心でお寺が荒れる道理がありません。本日は以上です。また宜しくお願いいたします。
3への回答……C
たかぼん様
投稿ありがとうございます。
しかし、現象面での議論をしていても水掛け論にしかなりませんので、もっとも根本的な問題、一番議論したいことのみに絞ってお話いたします。
その前に阿部氏が「池田先生の教学は完璧です」と天まで持ち上げたことについて、こちらをご覧下さい。
このページは正信会のものでもないし、ましてや宗門や学会の立場にたつものではありません。
このページを読んでいただければわかると思いますが、発言だけでなく阿部氏が謝罪しては謗法を繰り返してきた学会を阿部氏がかばいにかばい続けてきた行状がかかれています。
私が一番言いたいのは阿部氏は師匠である日達上人に違背した創価学会との謗法与同者であるということであります。
あなたは「御法主といえども未来を見通せるわけではありません。日顕上人は創価学会の善導にととめていたと当方は考えます」「しかし池田大作は最終的に退転したのであります」と述べられました。しかし、昭和52年問題の際、学会が勤行の際の四座と五座のご観念文を勝手に改変し学会の経本を作るなど、創価学会独立路線を取ろうとした池田氏が、日達上人から総講頭解任、創価学会会長辞任に追い込まれたのは先のスレットで私が述べたところです。学会はこの問題で特別講習会を開き、以後、学会は宗門を外護する立場を堅持し、学会版の経本の破棄と宗門版の経本の使用を指導しました。(当時の特別講習会のテキストがわが家にあります)
宗務院教学部長であった阿部氏はこれらの行状を日達上人のそばで見ていたはずです。この問題のみならず、創価学会のの反社会性・謀略性をわからないはずがないでしょう。少なくとも日達上人はこうした学会の組織的体質を見抜いていていたからこそ、池田氏に「以後、院政は敷かない、表舞台にも出ない、実権も放棄する」と約束させたのではないのでしょうか?
かつて日達上人が「たとえ私一人になっても、本山を守る」と仰せになり、総講頭から解任し創価学会会長も辞任させ「院政は敷かない」などの約束させた池田大作氏を、再び総講頭に就任させ創価学会の実権も取り戻させ、学会の謗法をかばい続けたあげく、池田大作の発言に逆ギレし、正宗を大混乱に陥れた一方の当事者であり、これらのことに何のけじめもつけられない阿部氏をとても法主などとは呼べません。むしろ「すべての信者に謝罪しろ」「正信会の理論を持ち出して学会批判をするなら、二百余名の正信会ご僧侶のひん斥処分と私を含めた信者の信徒資格停止処分を撤回しろ」といいたいです。
たかぼん様は平成18年入信とのことですね。私は今年で45歳、入信は昭和38年。つまり、この世に生を受けてからずっとこの信心を保ってきました。それだけに日達上人がそれこそ命がけで守り抜いた大石寺が正本堂があんな無残な姿になってしまったことが残念でなりません。くり返しますが正本堂は願主が池田大作になっているからといって、池田大作一人で建てた物ではありません。正本堂建立にあたり、私の両親は生まれたばかりの私の名前で、当時のお金で2000円を拠出しました。私の両親のようになけなしのお金を出して「正本堂建立のために」とお金を出された信者さんがどれだけいるでしょう?たかぼん様はそのようなことをお考えになったことがありますか?
それからたかぼん様からだされている、私への質問にも答えます。私が学会から正信会に移って19年。両親、姉夫婦、甥っ子、友人7人を行足寺・正信会に帰依させました。また、新たに御受戒を受けられる新しい信者さんも、御講のたびに見受けられますよ。行足寺が何人折伏されたかは正確な人数を知りえませんので、それは行足寺に直接お尋ね下さい。
いろいろ縷々述べてきましたが、阿部氏も早瀬氏も師匠である日達上人に違背した創価学会との謗法与同者という私の考えに変わりはないし、富士の法灯は日達上人のご遷化で消えうせてしまったと考えております。
以上が私の言いたいことです。
たかぼん様のご意見をお待ちしています
Cへの回答……4
2008年09月14日(日) 19:33 by たかぼん
真摯に私のような者にお付き合い下さり、赤井様に大変感謝いたします。
私は正本堂を建立するために供養された方の求道心は立派なものであると思います。
供養された方に功徳は十分すぎるほどあったのではないかと思います。
ただ、発願者の創価学会の当時の会長の考え方が邪であったと考えております。
話はそれますが、帰国運動が朝鮮総連がおかしくなったのと同様に正本堂建立が創価学会をおかしくする原因になったと私は考えます。
たとえ正本堂がなくなったとしても当時正本堂を建てるために供養されたという功徳は今も生きているし、来世にも続いて行くと私は考えます。
崇峻天皇御書に「蔵の財より身の財大切なり、身の財より心の財第1なり」とあるように「心の財」として正本堂を建てるために当時の現在創価学会員や正信会となっている人も含む日蓮正宗信徒全員に功徳として続くものと私は考えます。
蔵の財たる正本堂はなくなったとしても心の財は残るということでございます。
2008年09月14日(日) 20:03 by たかぼん
2つ目として指導教師の役割を当方は否定しておりません。
北海道に住んでいて1人1人の信徒が日如上人に直接指導を受ける事は無理です。
そのために御法主上人に任命された御住職様がいて、各末寺に派遣され、信徒の指導に当たっているのではありませんか。
御法主上人の御指南を受けて、これを的確に私達に指導するのが指導教師である御住職様の役割であります。
また細かい信心についての指導も御住職様が行うのではありませんか。私の言うことを曲解してお話されているのではありませんか。
第3に富士の法灯は日達上人のご遷化で消えうせてしまったと考えております。とありますが、
それであるならば貴殿が行足寺に7名の方を入信させたとありますが無意味になってしまうではありませんか。
それであれば正信会は「日蓮正宗」を僭称するのをやめるべきで、日蓮正宗の末寺として現在高橋廣旭師(厚別区・直唱寺住職)が代表役員となっている行足寺を退去し自分達で造った「清涼院」なる場所で正信会活動を行うべきと考えます。当然行足寺の重宝御本尊様は返還すべきでしょう。
なぜ返還できないかというとやはり御本尊様の問題があり、行足寺所蔵の重宝御本尊を返還してしまうと開眼を受けていない本尊を清涼院に安置せざるを得なくなるということになってしまうということです。
それが現実であります。
裁判上、川田乗善氏は居住権によって行足寺に居座っているに過ぎないのですから、自分の居住する「清涼院」ができたのですから出て行くべきです。
余市の正信会寺院は、そこに居住していた者が死去したために返還されたのですから、この事実からしても、川田乗善氏が死去すれば行足寺は宗門に返還されます。返還されるということは、川田乗善氏(正信会)のものでないことがハッキリしているのです。
最初から勝負ははっきりしているのです。
寺院が宗門に返還されるたびに所属寺院は変わり正信会はヤドカリのような信心になってしまうと考えます。未来はありません。
私は赤井様のような賢明な方のなされる信仰ではないと考えております。
2008年09月14日(日) 20:26 by たかぼん
最後に日顕上人の発言についてですが、貴殿お示しのホームページは文証にはなりません。
当方が求めているのは日顕上人つまり貴殿達のいうところの「阿部師」の発言について日時場所が示されておらず、作者の正信会信徒であるnbさんが私的に書かれた文章に過ぎません。
文証というものはここでは@日顕上人(貴殿達の言うところの阿部師)がどこでいつその発言をされAどの新聞なり雑誌なりに掲載されたのかということです。聖教新聞でも大白法でも継命でも大日蓮でも構いません。
ですから例えば昭和○年○月○日、例えば札幌市の例えば真駒内セキスイハイムアイスアリーナで、例えば創価学会の○○の集会において「池田先生の教学は完璧だ」と日顕上人(貴殿達の言うところの阿部師)は御教示され、それは例えば聖教新聞の昭和○年○月○号に出ているというところまで言えなければ文証とは言えません。万人が納得させうる証拠とはこのようなものでないかと私は考えます。
本日は以上でございます。
4への回答……D
投稿日時 : 2008/09/16 22:37
再び、たかぼん様
あなたの方こそ、信仰暦が長いだけの教学の浅い私に対して礼儀をわきまえ、正々堂々とした論陣を張られている事に敬意を表します。
本題に入る前にたかぼん様が「2つ目として指導教師の役割を当方は否定しておりません。」と述べられている件について。あれは私の自己批判でありまして、たかぼん様を誹謗中傷するものではありません。この点においてたかぼん様に不快な思いをさせた事を深くお詫び申し上げます。
さて本題です。まず私が「現象面でなく、より根本的な問題で議論したい」と言った件。すなわち「阿部氏も早瀬氏も師匠である日達上人に違背した創価学会との謗法与同者」と言う意見については如何お考えですか?
私の考えはこうです。創価学会による三宝の破壊は今に始まった事ではありません。私が先のスレットで述べた昭和52年路線における、御観念文を改変した学会版の経本の作成、正宗寺院と学会会館の同列視、「広布基金」なる学会の財務活動と寺院へのご供養の同列視など、日達上人ご存命のときから創価学会が行なってきた、宗門軽視、謗法の数々です。日達上人は謗法厳戒の立場から、創価学会のこれらの行為を厳しく破折され、その責任を取らせる形で池田大作氏は総講頭解任、創価学会会長辞任に追い込みました。阿部氏が日達上人のご措置をそのまま踏襲していたら、今日のような恥さらしな「宗・創紛争」など起こり得なかったはずです。これも先のスレットで述べましたが、当時宗務院教学部長であった阿部氏は日達上人と共に、創価学会の謗法行為や「うわべだけの反省で、腹の中ではなんとも思っていない」創価学会の組織体質を知りえる立場にあった筈です。たかぼん様が仰るところの「御法主といえども未来を見通せるわけではありません。日顕上人は創価学会の善導にととめていたと当方は考えます」と言う考えは成り立たないのではないでしょうか?それとも日達上人が池田氏を表舞台から追放し総講頭から解任し、創価学会会長を辞任させたのは誤りだったのですか?まずこの点について伺いたいと思います。何度も繰り返しますが日達上人は池田大作と創価学会のこうした体質を見抜いていたからこそ、池田氏と創価学会を厳しく破折されたのではないでしょうか?こうした池田大作氏を総講頭復帰や表舞台に返り咲く片棒を担いだ阿部氏の責任は重大です。これだけでも阿部氏は厳しくけじめをつけるべきです。たかぼん様が仰せの「御法主といえども未来を見通せるわけではありません。」という考えは阿部氏の言い訳にしか聞こえません。たかぼん様の考えをお聞きしたいです。
次に私が「富士の法灯は日達上人のご遷化で消えうせてしまったと考えております」と述べた事について。
阿部氏が三宝の破壊に対する創価学会への破折は「宗・創紛争」が始まってから言い出した事で、正信覚醒運動に携わってきた者や日達上人がご存命なら「阿部氏はいまさら何を言っているのか」と言うのではないでしょうか。「池田先生の教学は完璧です」「学会は私の責任で善導してまいる」「学会だって謝っているのだから、これ以上の学会批判は許さない」と言う院達を出し続け、学会をかばいにかばい、宗門を外護するとしたのが日達上人ご遷化後の阿部氏と池田氏の蜜月関係だったと言うのが真実ではありませんか。これに対し「学会は三宝の破壊をしている」「宗門をないがしろにしている」と批判したのは1980年代に正信会が口火を切ったのであり、「例え私一人になっても宗門を守る」と仰せになった日達上人です。(詳しくは正信会ビデオ『正信を求めて』をご覧ください。必要であればお届けします)
二百余名の正信会ご住職が宗門から擯斥処分を受け、私を含めた多くのご信者が信徒資格停止処分を受けたのは、阿部氏の血脈を否定した問題もありますが、一番の理由は「これ以上の学会批判は許さない」と言うのが本音だったのではないですか?創価学会の宗門軽視・寺院軽視を知りながら、阿部氏は池田氏と創価学会をかばいにかばい続け、創価学会の財力に目がくらみ批判者を排除して来た。日達上人が封じ込めた池田大作を復権させ、そのけじめをつけるどころか、低俗な泥仕合に発展させてしまった。こんな人物が居座る大石寺のどこに富士の法灯が存在するのですか?
それからたかぼん様は「それであるならば貴殿が行足寺に7名の方を入信させたとありますが無意味になってしまうではありませか。」
「それであれば正信会は「日蓮正宗」を僭称するのをやめるべきで、日蓮正宗の末寺として現在高橋廣旭師(厚別区・直唱寺住職)が代表役員となっている行足寺を退去し自分達で造った「清涼院」なる場所で正信会活動を行うべきと考えます。当然行足寺の重宝御本尊様は返還すべきでしょう」
「なぜ返還できないかというとやはり御本尊様の問題があり、行足寺所蔵の重宝御本尊を返還してしまうと開眼を受けていない本尊を清涼院に安置せざるを得なくなるということになってしまうということです。それが現実であります」
「裁判上、川田乗善氏は居住権によって行足寺に居座っているに過ぎないのですから、自分の居住する「清涼院」ができたのですから出て行くべきです」
「余市の正信会寺院は、そこに居住していた者が死去したために返還されたのですから、この事実からしても、川田乗善氏が死去すれば行足寺は宗門に返還されます。返還されるということは、川田乗善氏(正信会)のものでないことがハッキリしているのです」
「最初から勝負ははっきりしているのです」
寺院が宗門に返還されるたびに所属寺院は変わり正信会はヤドカリのような信心になってしまうと考えます。未来はありません」
「私は赤井様のような賢明な方のなされる信仰ではないと考えております」などなどいろいろ仰せですね。
いろいろご意見を頂戴しありがとうございますと言いたいところですが、川田ご住職に居住権が認められている以上、川田ご住職から指導を受けている私たちには行足寺で宗教活動を行なう権利があります。私が折伏した両親・姉夫婦・甥っ子・7名の友人もたかぼん様が仰るところの「依法不依人」。大聖人の御書を学び、富士の法灯に再び灯を点し、清流を取り戻すまで、読経・唱題、折伏に励むだけの事です。その暁には「清涼院を大石寺・宗門に寄進しよう」というのが行足寺僧俗の一致した考えであります。
川田ご住職がお亡くなりになれば行足寺を返還することなとなど100も承知の話です。だからこそ清涼院を建立しました。それから「日蓮正宗の僭称をやめるべきだ」と言うご意見ですが、何度も申し上げているように総本山大石寺は、師匠である日達上人に違背し創価学会との謗法与同者でありながらそれに責任を取れないし、けじめもつけられない阿部氏・早瀬氏が占拠しているだけの事。日達上人が命がけで守りぬいてこられた謗法厳戒の立場で宗教活動を行なう正信会が「日蓮正宗」の呼称を捨てなければならない理由はありません。
長くなりましたが最後にもう一度繰り返します。日達上人は謗法厳戒の立場から、宗門軽視、謗法を繰り返す池田大作氏を総講頭から解任し創価学会会長を辞任させ「院政は敷かないし、表舞台にも出ない。実権も放棄する」事を約束させ、独自に経本をつくった創価学会を厳しく破折しました。事実、日達上人がご遷化されるまで池田氏は表舞台に姿を現す事はありませんでした。血脈云々以前の問題として、その数々の謗法や謀略的な組織体質を知らないはずのない、阿部氏が池田氏を総講頭と表舞台に復帰させ、創価学会に置ける実権を取り戻させました。これらの阿部氏の行為は師匠である日達上人への違背でなくて何と呼ぶのでしょうか?阿部氏が日達上人のご措置を厳格にまもっていれば、今日の「宗・創紛争」は起こりえなかった事態であります。従って阿部氏は「宗・創紛争」の一方の当事者であります。その阿部氏が「池田氏を総講頭に復帰させた事や創価学会をかばい続けた事はは間違っていた。自分はその責任を取り自らけじめをつける」とすべてのご信徒に謝罪し、正信会ご僧侶の擯斥処分と私を含めた正信会ご信徒の信徒資格停止処分撤回すれば、いつでも宗門に帰る用意があると言うのが、正信会僧俗の一致した考えではないか?と言うのが私の思うところであります。
以上大変長くなってしまいましたが、今日はこれくらいしておきます。たかぼん様のまたの投稿をお待ち申し上げております・
赤井虎吉
Dへの回答……5
2008年09月16日(火) 21:48 by たかぼん
当方はこのように考えます。
52年路線は大謗法であったことは間違いありません。その結果赤井さんをはじめ多くの方が創価学会を脱会されてお寺の信徒となりました。
しかし池田大作は腹の底ではどのように考えていたかは別として、今のところは日蓮正宗から離れるのは得策ではないと考えたわけです。
そして日達上人に詫びを入れたわけです。
腹の中ではどうだかわかりませんが、詫びを入れて来た以上日達上人としても何らかの対応をしないわけには行きません。
昭和54年4月24日、池田はこれまでに起こった問題の責任をとらざるを得ない状況に追い込まれ、法華溝総講頭及び創価学会会長の職を辞し、今後、創価学会は二度と教養上の誤りを犯さないことを宗門に誓った。
これに対して日達上人は、昭和54年5月3日、創価学会第40回本部総会の砌、
「今後は信徒団体としての基本は忠実に守り、宗門を外護して頂きたいのであります。そのうえで自主的な指導と運営で伸び伸びと御活躍を願いたいのであります」(聖教新聞昭和54年5月4日付)
と述べられ、創価学会問題を収束された。そして宗門僧侶に対しては、「学会にいまだに間違ったことがあるならば、宗務院、内事部(大石寺)のどちらにでも言ってきて下されば、それを向こうに注意して改めさせていくつもりでおります。ですから皆様が相変わらず今年の5月3日以前のような態度であっては、宗門としてはまことに因るのであります」(大日蓮401号―60頁)
と御指南され、創価学会についての問題は、宗務院・内事部レベルで解決していくという方針を打ち出されました。
それとともに宗務院は、御講における創価学会攻撃や、「檀徒作り」を禁止し、違反する者は処分も辞さない旨の通達を出したわけです。
日達上人が、創価学会攻撃はしてはならないと明確にご指南されているわけです。
2008年09月16日(火) 21:53 by たかぼん
昭和54年7月22日、日達上人が遷化され、日顕上人が第67世の法主として登座された。日顕上人は、日達上人の示された僧俗和合・協調の基本路線を継承してその徹底を図られたわけであります。
しかし一部の僧侶らは、日顕上人の指南及び宗務院の命令に反して創価学会攻撃を続け、ついには日顕上人や宗務院を批判するようになり、日顕上人は一年有余にわたり、指南に従うよう説得をされたが、彼らは一向に反省することはなく、ついには、中止の指示にも関わらず昭和55年8月24日の第5回檀徒大会の開催を強行したのであります。
そこで宗務院はやむを得ず、宗制宗現に則り、大会主催者・出席者・関与者をその情状に応じて懲戒処分に付したわけです。
そうしたところこの懲戒処分への対抗手段として昭和55年12月13日、突如日顕上人に対して、血脈相承に疑義があるとの質問状を提出し、続いて昭和56年 1月21日、静岡地裁に対し、「日顕上人への血脈相承はなかった」との理由を作り上げて、管長地位不存在の確認並びに職務執行停止を求めて提訴したわけです。
これに対し宗門は、血脈相承の否定は信仰の根幹に関わることであるから、この裁判を起こした正信会僧侶を順次、宗制宗現に則って擯斥処分に付していったわけです。
私は創価学会は当時も今も大組織と考えております。
詫びを入れて来た以上は日達上人にしても日顕上人にしても御仏意に任せてしばらく様子を見ざるを得なかったのではないかと考えます。
そして創価学会を正式に破門するまで、または創価学会が反撃に出るまで10年かかったのであります。
性急に結果を出すなんてことは今のグローバルゼーションの時代の感覚なら分かるのですが昭和の時代ではそこまでは行かないと思います。
当時は自民党の最盛期で自民党以外の政党が政権を奪取するのはまずありえない時代でした。
やはり10年かけて時間をかけて善導を試みたが結局は池田大作は退転してしまったというのが自然なところと当方は考えます。
2008年09月16日(火) 22:11 by たかぼん
さて、創価学会を脱会して壇信徒となった人をいかに納得させ、かつ創価学会からも護るかということが各住職には求められたと思います。
当方所属寺院の御住職様は「梯子をはずされたのが正信会の人々で可哀相なところもあるんだ」と仰せになりました。
当然梯子を外された壇信徒の方は住職を突き上げたと思います。
住職の方も自分が創価学会から脱会させて手塩にかけて育成しようとしたところで宗門からは創価学会への攻撃をやめよと来たわけです。
大変苦境に追い込まれた住職さんもいたでしょう。
ある群馬県の寺院では500世帯が創価学会から脱会してお寺の信徒になりました。
そこの御住職は信徒となった方をかばうと同時に、「御法主上人猊下の御指南通りに信心をしていかなければなりません。もし、私(住職)が猊下と違う指導をするのであれば、どんどん注意をしてください。もしそれでも猊下と違う指導をするのであれば、私を捨ててください。」と言っていました。
この寺院では誰1人として正信会に行く者はいなかったそうです。
御仏智を信じきれなかったところに正信会の誤りがあるのではないかと当方は考えます。
また日顕上人にしても昭和55年11月26日に創価学会に対しては日顕上人、学会大幹部に対し、「今回の僧侶の処分に関連して“創価学会を攻撃、誹謗する僧侶達が処分されたのは、創価学会に誤りがなかった証拠であり、指導者にも誤りなどはなかったのである”などといってはなりません。」と御指南されています。
創価学会べったりの御法主ならばそのような発言はしないはずです。
5への回答……E
学会にいた事のないであろう、たかぼん様には理解出来ないと思いますが
いよいよ衆議院解散・総選挙が近づいてきました。日本共産党の専従職員である自分は自民・公明の「戦争する国」づくりを許さないためのたたかいが始まります。北海道で比例の1議席を獲得するためのたたかいが始まるので、総選挙終了までブログの更新はこれを最後にお休みします。
さてたかぼん様。明らかになったことがあります。
1、本日清涼院で彼岸法要会があったので出席してきました。ご本尊は「授与之」の文字の下には「乗善坊日信」と書かれ、「奉書写」文字の下には日達上人のお名前が刻まれていました。従って清涼院のご本尊は日達上人が、川田ご住職に与えられたものだと言う事です。
2、たかぼん様が「文証をしめせ」と言っていた、宗務院・阿部教学部長の「池田先生の教学は完璧です」と言った件。本日日時・などが明らかになりました。昭和52年9月2日、場所は総本山内学寮。宗門側三師(早瀬氏・阿部氏・藤本氏)、学会側四氏(池田氏、北条氏、秋谷氏、辻氏)の出席の元、こんな会話が交わされました。池田氏「日々の教学について阿部教学部長はどうおもわれますか」阿部氏「社会に開かれた先生の教学はよくわかります。完璧であると思います」これは北海道正信連合会が出版した「宗門よ、富士の伝燈に立ち帰れ」の53ページに掲載されています。ここに書かれている事がウソだというなら、出版差し止めなり、名誉毀損なりで正信会を訴えられたらよろしいのではありませんか?
3、たかぼん様が「阿部氏は池田氏が総講頭復帰後、善導してきた」と発言されている事について。
日達上人ご遷化後@創価学会の運営にタッチしないA院政も敷かないB会合にも顔を出さないと日達上人と約束したことを破り「北条浩会長を私が守って行く」と再び学会の実権を握った事を、たかぼん様は池田氏が「詫びを入れた以上、何らかの役職につける事は仏法上何の問題もない」と言われました。その結果当時私が在籍していた創価学会内では次のような事=昭和52年路線の復活が行なわれました。
@家族の分だけ聖教新聞を取れ。それによって福運が積まれる。結果聖教新聞4部、公明新聞日刊紙2部、創価新報2部、公明新聞日曜版4部、高校新報。中学生文化新聞、小学生文化新聞を各1部ずつ、他に雑誌では第三文明も灯台も取らされたっけ。(公明党員の方は公明新聞日曜版を一人で11部取っていました)
A「寺院にご供養するのも、学会に財務ををだすのは仏法的には同じこと。特にお宅はご主人はブロック長、奥さんは副ブロック担、姉は女子部のブロック長、自分は男子部の班長。まさか一家で1口(広布基金=財務は一口1万円)で終わりなんて事はないよね。最低お一人3口以上は協力するべきである」と学会総ブロック長から恫喝された。
Bこうした学会の仕打ちに耐えかねた、自分の知り合いのお年を召された生活保護で暮らしている女性の会員さんが、阿部氏に窮状を訴え「何でも金」の体質を改めてもらえるよう、池田氏に日達上人との約束を守るよう指導してほしい旨の直訴状を阿部氏を出したところ、10日後4人の男子部員が、その女性の家に上がりこみ「このババア、なに余計な事を宗務院にチクリやがって、二度とそんな事して見ろ、ただで済むと思うな」と脅迫して言った事。
これって謗法以外の何物でもないですよね。客観的に。なにより大聖人の仏法を金儲けに利用しているんですから。
これは阿部氏が池田氏を総講頭に復帰させ、再び学会の実権を握ってから行なわれた学会内部での行状のほんの一部です。これも阿部氏の善導の結果によるものですか?これでも阿部氏が池田氏を総講頭に復帰させたことに問題はなかったといいきれますか?私は阿部氏が日達上人のご措置を守っておられればこんな事態にはならなかったと私は思いますよ。真面目な学会員はこんな苦しみを味わわなくてもすんだと思いますよ。たかぼん様を始めとする宗門の方々は「池田氏を総講頭に復帰させた事は何の問題もない」と言いきれますか?
このほかにも、今日清涼院に行き分かったことがたくさんあります。日達上人が正信覚醒運動を支持されていた事。法主が法義上の絶対な存在にならない事。(日興上人『遺戒26か条』に書かれれています)もう遅いので詳しくは総選挙終了後にしますが。最後にもう一度述べます。池田氏は勝手に退転したのではありませよ。「法主というものは信徒の幸福を第一に考えなくてはなりません。権威権力であってはいけません」という学会本部総会での池田氏の発言に阿部氏が怒り、「お尋ね」なる文書を学会に出したが無視されたので阿部氏が逆切れしただけの事。だって阿部氏はそれまで池田氏と学会に迎合して来たのですから。そうでないなら阿部氏は「家族の分だけ聖教新聞を取れ」などと言う指導は改めさせるべきではなかったんでしょうか?それが出来る立場にもあったのではないでしょうか?
Eへの回答……6
2008年09月22日(月) 19:04 by たかぼん
お答えいただきありがとうございます。
@ まず清涼院に存在しているところの常住本尊でありますが確かに授与書きは日達上人から川田乗善師(当時は破門前ですので師と表現いたします)に与えられたことになっておりますが、日蓮正宗の宗制宗規ではこれは宗教法人行足寺の財産です。ですからその御本尊様の脇書きには「清涼山行足寺」の文字と「乗善坊日信」の文字が書かれているはずです。書かれていないとしたら御本尊様を変造したことになり大法謗であります。
これは行足寺の寺宝であって川田乗善氏の個人の財産ではありません。
行足寺が宗門に返還される際にはお返ししなければならないものであります。
私の寺院には日達上人が授与したところの初代住職の脇書きのある御本尊様はあります。○△山□☆寺○○坊日□と書かれております。
しかしこれは私の所属寺院の寺宝ですので転任する際、その御尊師はその御本尊様をおいて転任しておられます。
誰の許しを得て川田乗善氏は本来行足寺にあるべき常住本尊を清涼院なる場所に移したのでしょうか、ということになりますよ。
彼岸会のときにでもよくお確かめ下さい。
2008年09月22日(月) 19:36 by たかぼん
A申し訳ありませんが、貴殿の論点はずれております。
創価学会の内部的な問題など貴殿と論議しても当方は分からないのですから検証しようがございません。
あくまで創価学会は別の宗教法人であり、宗門としては組織の内部的な問題にまでは口は出せないタテマエであります。
宗門として善導できるのは日蓮正宗の宗制宗規に従って信心していただくということであります。
宗務院に創価学会員から連絡があれば創価学会を通して連絡するはずです。
組織とはそういうものなのです。
例えば当方が所属寺院の法華講の問題を宗務院に直訴しても所属寺院の法華講を通して回答があるはずです。
そうなるとそういうトラブルになることは目に見えているでしょう。
このおばあさんの立場ならば日正寺などでは法華講はあったのでしょうからこうこうこういう事情で創価学会を脱会してお寺の直属信徒になりたいのだが何とかなりませんか、というのが基本です。
当然御講は当時でもあったのでしょうからそのときに講の幹部の方を探して話をする方法もあったはずです。
ちょっとこのおばあさんの行動は軽率かなと当方は考えます。
個人の直訴で組織は簡単には変わりません。
当時は創価学会≒日蓮正宗の時代、しかし逃げ道がなかったわけではありません。
そのように当方は考えます。
2008年09月22日(月) 19:49 by たかぼん
貴殿が出された文証についてですが、そういう学会への宗門からの期待もあったでしょうし、学会側でも自負があったのでしょう。
しかし正本堂もそうですが52年路線と言われる大法謗に積み重なっていたかと思いますが、一度は腹の中はどうであれ池田は謝罪した以上、日達上人にしても日顕上人にしても今の時点では善導して様子を見ようと言ったわけでその指示に僧俗は従っていかなければならないわけでそれに違背したのは正信会であります。
確かに日達上人は正信会には理解は示していたでしょう。また日顕上人にしても正信会の檀徒大会に1回も出席したことがないわけではなくて出た大会もあったわけです。
しかし第5回についてはヤメロと御指南したわけですからこれに従っていれば正信会は破門されることもなかったわけです。
そして日顕上人の法主としての地位を否定する方向にまで進んでしまって結局201人の僧侶が破門されたわけです。創価学会を批判したから正信会は破門されたのではなく、日顕上人の御指南に従わず、しかも法主としての地位を否定したので破門されたのです。
2008年09月22日(月) 20:13 by たかぼん
貴殿のお仲間の経住寺信徒である遊牧民氏のブログに創価学会の指示で大阪から尼崎に住民票を移動させられて投票させられた。
引越し先とされた尼崎の学会員には邪険にされたなどという話が載っておりました。
それについてどう思うかという質問をされた一般の方がいらっしゃいました。
当方はその遊牧民氏のお母さんの創価学会員時代の住民票の移動については当然これは法律違反の行為であって本来やってはいけないことで断ればこれで済んだことであります。
創価学会員全員が住民票をあちこち移していたのかどうか、そのようなことはないわけで断った人はきちんと断っていたのが実情でしょう。
と回答いたしました。
誰が何と言おうと道理に反している、法律に違反しているきちんと断るべきものは断るきちんとしていた人は創価学会員でもきちんとしていたし、抗し切れなければ脱会した人もいたとお話させていただきます。
実は当方の父は元創価学会員でして、学会員の横暴のためさっさと脱会しております。
やってられんと生前父は言っておりました。
父が創価学会員だったことと当方が日蓮正宗の信心を始めたことに直接の関係はありません。
しかし、父子の命はつながっておりますので縁となったかもしれません。
本日は以上です。
6への回答F
2008年09月22日(月) 23:29 by 赤井虎吉
たかぼん様
>A申し訳ありませんが、貴殿の論点はずれております。
>創価学会の内部的な問題など貴殿と論議しても当方は分からないのですから検証しようがございません。
だからこれが、阿部氏が日達上人と池田氏が交わした3つの約束に違背して、総講頭に復帰させ創価学会の実権を握らせ、会合に顔を出させた末に学会の内部で起きた事なんですよ。阿部氏が日達上人と池田氏が交わした約束を厳格に守っていれば、起こりえなかった事態なんです。だって「学会の実権にタッチできなかった」のですから。それなのに『総講頭復帰」と言う免罪符を与え、学会での実権を握らせたのは他でもない、阿部氏だと言う事です。阿部氏にはそれに迎合してきた、その責任を取るべき道義的責任があります。阿部氏はこれらの事に責任をとるべきです
で、たかぼん様は私を破折してどうしたいんですか?宗門に戻れとでも言いたいのですか?それは無理ですよ。なにせ私は宗門から『信徒資格停止」処分を受けている、いわばお尋ねものなんで(もっちろん悪いことした自覚はありませんがね)
Fへの回答7
2008年09月23日(火) 04:35 by たかぼん
これも不思議に思っているところですが、貴殿は日蓮正宗宗務院から除名処分なり信徒資格停止されたという文書は来たのでしょうか?
大白法昭和57年10月16日付号外において10月31日までに所属替えをするようにとの宗務院からの通達があり、行足寺の壇信徒は仏見寺、大慈院、日正寺に所属替えをするようにとあります。
貴殿の場合は信徒資格は昭和57年11月1日をもって喪失したわけであって除名処分されたのではありません。
お尋ね者にはなっているわけがありません。
例のおばあさんについても創価学会がイヤならそれらのお寺に相談すれば直属信徒となることはできたのです。
正信会の有力者だったそれこそお尋ね者であるはずの山崎正友氏も最近亡くなった原島嵩氏も日蓮正宗に復帰しております。
創価学会員においても信徒資格は喪失していますが信徒除名処分されたのは池田大作だけです。
勧誡を受ければいつでも日蓮正宗に復帰できます。
さてなぜ貴殿のブログに来たかというとやはり縁でしょう。同じ北海道人、そして当方が折伏した人に行足寺の信徒の方がいてそのお仲間だという、年もそんなに離れていない、是非一緒に大石寺にお登山したいと考えているところからやってまいりました。
本日は以上です。
Gへの回答8
2008年12月07日(日) 19:10 by たかぼん
赤井さんは日顕上人が昭和52年9月2日に「創価学会名誉会長の教学は完璧」と述べたことを強調されております。
これを「自称正信会の『虚言集』を粉砕す」27頁では次のようにあります。
同日の記録は2つあり、1つは昭和55年1月10日に活動僧侶有志(後の正信会)によって発行された『創価学会機密文書その2』に掲載されたものであり、創価学会側の記録にあるものであります。
ここには日顕上人は「社会に開いた先生の教学はよくわかります。完璧であると思います」と創価学会名誉会長を追従したとあります。
もう1つは同席していた藤本日潤御尊能化による記録をまとめたものであり、昭和56年1月10日に日蓮正宗僧侶有志によって発行された『宗務院・学会記録文書』に掲載されているものです。
これには日顕上人が創価学会名誉会長を追従したという記録はありません。
その『宗務院・学会記録文書』を発行した日蓮正宗僧侶有志とは当然当時日蓮正宗の僧侶であった正信会関係者も含まれています。
異なる2つの記録を正信会の者が自ら発刊しておきながら、ここでは自分達に都合の良い学会側の記録だけを取り上げて日顕上人の発言を云云するのはおかしいと考えます。
当の藤本日潤御尊能化は「そのような発言があれば必ず書くので、記述がないという事は発言はなかったのであろう」と述べています。
宗門においては藤本日潤御尊能化のメモは、その正確さにおいて定評があります。
言った言わないということが問題になる事は世法の上でも多々存在いたします。
この問題ですと日顕上人が発言したとされることが真実かどうか断定する事はできません。
なぜなら両文証とも正信会関係者が関与しており、記録が矛盾しております。
3つの質問と言うよりもこれは赤井さんの検証ですね。
正信会の方は池田大作の総講頭再任が日顕上人の失政とよくいわれますが、それは時の趨勢でそうなったということです。
なぜならば池田大作の反省を基に学会の誤りを許し、創価学会を善導する路線を打ち出したのは日達上人であられます。
池田大作及び創価学会は宗門に恭順の態度を示し、信徒団体としての本分を「一応は」守っておりました。
反省をしたならばその反省に応えてやることが、仏法の慈悲の精神でもあり、役職を与えることで信仰が深化され、命が改まるということもあるのであります。
日顕上人は諸状況を鑑みられ、再度池田大作を総講頭に任命して功徳を積む機会を与え、池田大作の信行増進を願われたのであります。
時には寛容に、時には峻厳に人を導くのは、勧誡二門の仏法の道理に叶った大所高所からの御教導と考えます。
その結果、北海道においても、厚別区に直唱寺(登記簿上の行足寺住職は直唱寺住職の高橋広旭師です)や池田町に長円寺が建立され今も地元の法城として機能しております。
池田の総講頭任命は無駄ではなかったと当方は考えます。
創価学会・池田大作が過去の誤りを反省して信徒団体としての道を歩む限り全学会員は日蓮正宗の信徒であったのであります。
日顕上人により創価学会破門後現在600を超えるほとんどの日蓮正宗寺院には法華講の支部が結成されています。
宗門の大発展と比べ、正信会の衰退が著しいです。
赤井さんにあっては清田区の大慈院、手稲区の聞佛寺を通りかかったことはありますか?
行足寺と同時期に発足し、御住職様も約30年間同じ方がやっておられます。
川田乗善氏と同条件です。
30年前と同じ建物、寺運の興隆のない時代遅れの行足寺の状況こそ自称正信会の間違いを象徴するものと当方確信いたします。
以上回答いたします。
8に対する回答H
2008年12月09日(火) 20:08 by 赤井虎吉
ですから聞いている事に答えましょうよ。
寺がどうとか、自分は聞いてませんよ
端的にに聞きます。日達猊下は学会は許しても、池田大作の事は許さなかったからこそ「学会の運営にはタッチしない」「院政は敷かない」「会合には顔を出さない」と言う約束をさせたのではありませんか?
そうでないのならたかぼん様が仰るところの「許したはずの池田大作」3つの約束をさせたのはなぜですか・たかぼん様の答えは答えになっていません
Hに対する回答9
2008年12月09日(火) 21:04 by たかぼん
Iに対する回答10
2008年12月10日(水) 07:28 by たかぼん
一時謹慎し反省せよという意味と考えます。
永久追放するのであれば池田だけでも破門に処せば済むはずです。
「一応は」反省して恭順の意を示した人間を破門するのは無理があるかと思いますよ。
または創価学会に対して池田を除名させればよかったわけですが、そこまで日達上人は言っておられません。
その後、日達上人は御遷化され、創価学会第4代会長の北条氏も死去するなど情勢が変化し
池田にももう1度チャンスを与えてやろうということになり、日顕上人は池田は総講頭にしたものと思います。
まさに時の趨勢であり、反省をしたならばその反省に応えてやることが、仏法の慈悲の精神でもあり、
役職を与えることで信仰が深化され、命が改まるということもあるのであります。
結果は池田は退転しましたが111か寺が寄進され坊も整備され現在も約100か寺が法城として機能しております。
8日に回答した通りです。
10に対する回答J |
Jに対する回答11
赤井さんの場合は御自分で決めた答えが決まっていて、それ以外は全て受け付けないという姿勢であり、それが間違っていると当方は考えます。
当方は貴殿の質問に全て回答しておりますが、貴殿の考えと合わない、ただそれだけのことです。
それに「日顕宗」なる宗旨は存在せず、創価学会の人間が使っている用語であり、まさに正信会は貴殿の嫌う創価学会と何ら変わらない邪宗と化した証左であります。
血脈を否定する団体の言う事はどこも同じとお話させていただきます。
それであれば川田乗善はまず日蓮正宗を僭称するのを止め、日蓮正宗の末寺である行足寺を直ちに明け渡し「清涼院」なる場所で正信会活動をすべきです。
居住権を主張して行足寺に居座っているわけですから住む場所が出来たのだから出て行くべきです。
当然宗教法人行足寺の重宝御本尊は全て返還する事は当然のことです。
そうなりますと清涼院なる場所に安置されている本尊も返還しなければならなくなり、どこからか手に入れた常住御本尊か自分達で作成した本尊を安置するしかなくなります。
まさに血脈否定の顕正会・創価学会とやっていることと同じということとなります。
大謗法を繰返して行くと堕地獄必至となっていく事は間違いありません。
1日も早く宗門に復帰されることをお祈りしております。
たかぼん拝
2008年12月08日(月) 03:54 by たかぼん