知恵ノート:立正佼成会の誤りを糺す


立正佼成会の概要


立正佼成会は、霊友会の会員だった庭野日敬と長沼妙佼が創立し、庭野の姓名判断・方位学・易学等と長沼の霊能を売り物に急激に勢力を拡大した教団です。
霊友会と同じように教菩薩法 仏所護念と書かれたタスキをかけ、仏壇に総戒名を祀ってその前に霊鑑(過去帳)を置き、朝晩に聖典という教典を読んで先祖供養をいたします。
入会当初は総戒名→御守護神や釈迦の絵像→幹部級は大本尊となります。
入会した者は法座という少人数のグループ座談会の一員になり、会員はそこを信仰修練の場とします。
幹部の指導を受ける事を「結んでもらう」といい、また「病気にかかったり、災難にあったりするのは仏様の慈悲のムチである」として、ありがたい試練として自分の修行に取り入れていきます。これをお悟りといいます。
そうした修行の中でも、お導き(=布教活動)と本部通い(=労働奉仕)が特に強調されます。


なぜ立正佼成会の教義が間違っているか?


一 教団の本尊が長沼妙佼の霊感によってコロコロ替わってきた。


仏教においては、教理・経文をもって厳格に定められるべき本尊が、長沼の神のお告げで変遷してきた経緯だけを見ても、この教団が仏教、更には法華経などとは全く無縁であると断定できます。
①発足当初霊友会の曼荼羅に、守護神として毘沙門天を加えた物
②昭和15年中央に南無妙法蓮華経、その右に天壌無窮、左に異体同心と書いた旗
③昭和17年②の旗を掛け軸にし、守護神として大日如来を加えた物
④昭和20年庭野が久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊と書いた物
⑤昭和23年日蓮聖人の大曼荼羅と称して、庭野が書き写した物
⑥長沼が死去した翌年の昭和33年、庭野は「今までは方便の時代であり、久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊を本尊とすべき」と宣言しました。


二 庭野の法華経の解釈がおかしい。


法華経の開経である無量義経には、「四十余年未顕真実」という経文があり「四十余年には未だ真実を顕さず」と読みます。
釈尊は50年間に渡って膨大な教えを説きましたが、内42年間に説かれた諸経は、方便の教説であり、仏の悟った真実の成仏の法ではない。これから説く法華経こそ一切を成仏に導く真実の教えであるというのが「四十余年未顕真実」なのです。
そして法華経方便品には、「正直に方便を捨てて、ただ無上道(法華経)を説く」と示されています。
庭野は「ここで誤解してならないのは、今まで真実でないことをお説きになったというのではなく、今までの説法も全て真実には違いないのだが、まだ真実の中の真実をすっかり出しきってはいなかったという意味です」と言っていますがこれでは方便品の「正直に方便を捨てて」の意味が通りません。真実ではないからこそ法華経以外の諸教を捨てるのです。
更に法華経で禁止している他宗を容認しています。
法華経には方便経その他のあらゆる教えを捨てて法華経のみを信ずるよう説かれていますが庭野は「それまでの宗教を捨てる必要はない。自分の檀家寺や氏神を大切にするように」などと他宗・他教を容認しています。


三 庭野は日蓮大聖人の南無妙法蓮華経の題目を盗んでいる。


佼成会では会員に、庭野が勝手に作った本尊に向かって題目を唱えさせていますが、この南無妙法蓮華経の題目は、釈尊の法華経の文上には一切説かれておらず末法の時代に至って、日蓮大聖人が初めてお説きになられたので釈尊の法華経をよりどころの教典とする佼成会には何の関係もないのです。
題目は日蓮大聖人が顕された本門の本尊に向かい奉り唱えるところの題目であり、庭野が勝手に作った本尊に向かって唱えるのは論外です。


四 日蓮大聖人を悪しく敬っている


庭野は「日蓮聖人は考えられました。禅も、念仏も、その他の宗派も、それぞれいい教えには違いないけれども、いずれも仏の教えを一点だけ集中的に見つめているだけで、円熟した完全さがない」などと言っていますが
日蓮大聖人は、「念仏は無間地獄の業、禅宗は天魔の所為、真言は亡国の悪法、律宗は国賊の妄説」と一刀両断に斬り捨てられております。
また庭野は「法華経が最高の教えであることは間違いないのですけれど、それを讃えるために他の教典をけなしたりするのは心得違いといわなければなりません」などと言っていますが日蓮大聖人は「謗法を責めずして成仏を願わば、火の中に水を求め、水の中に火を尋ぬるが如くなるべし」と仰せであります。


ダジャレ教祖二代目庭野日鑛氏の言説


噴飯物ですが、信者たちは有り難がって聞いているようです。

「このような場で舞い上がる人は前世は『蚊』であった

「今年は奈良には4回行った。奈良にはシカが一杯いるが、今年はもう行くことはないだろう、さよう『ナラ』だ」

「私は会長だが今年は体調が不調で、最近やっと『カイチョー』になってきた」

「青年部長さんは気分が高揚しているようだが紅葉は今年は遅れ気味で今年は紅葉を○●県で初めて見て私も気分が『コーヨー』している」

ただ庭野日鑛氏は信者の前では人を傷つけるような言動はしていないようです。
その点、霊波之光の荷台教祖長谷敬詞とは違います。


脱会届のひな形


所属の支部教会で脱会を受け付けてくれなければ本部に脱会届とグッズを全部送り返すのが1番良い方法です。
総戒名や本尊を神社等に納めても彼らは脱会したとは認めないでしょう。粗末に扱ったの何だのと言いがかりを付けられあなたの意思に反して引きずる結果になってしまいます。


東京都杉並区和田2丁目11番1号
宗教法人 立正佼成会
代表 庭野 日鑛殿

退会届
私こと一身上の理由をもちまして、
本日をもって御教団を退会させていただくことを
届出させていただきます。
なお御教団関連の書籍や物品については
平成○年○月○日に宅配便にて返却させていただきます。
なお本日以降は御教団の関係者の訪問や
一切の手紙、電話、Eメール等による問い合わせ、
御教団の出版物の送付は堅くお断りいたします。
御教団の私を担当している幹部に対して
その旨宜しくご指導の程お願い申し上げます。
ただちに名簿からの削除等、適正かつ迅速な処理を執行願います。
以上

平成○年○月○日
住所 ○○
氏名 ○○


次に、この内容証明郵便を郵送しますが、
あて先は
東京都杉並区和田2丁目11番1号
宗教法人 立正佼成会
代表 庭野 日鑛殿
とします。
☆★ 必ず『内容証明郵便』および『配達証明』を使うようにしてください
★☆ また同時に立正佼成会関連の書籍や本尊も郵送することも忘れずに。
これも当然配達証明つきの宅配便もしくは郵便小包で送りましょう。
以上参考にしてください。


大白法平成28年2月16日号  立正佼成会- 法華誹謗の邪教団


 施設の閉鎖


平成25年11月、「吹奏楽の甲子園」とも呼ばれた普門館ホールが閉鎖された。立正佼成会の施設である。
区の条例により、教団は、新たな施設の建設や現建物の改修を断念。普門館における吹奏楽の歴史は幕を閉じた。
邪宗の施設が使用されなくなったことは結構だが、立正佼成会は、創価学会、幸福の科学に次ぐ信者数を有する謗法団体、捨ててはおけない。
 

 法華経に背く罪深し


立正佼成会は法華三部経を所依の経典と標榜するが、その実態は、すべて法華経に違背した邪義邪説である。
教団では法華経のどこにも説かれていない「久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊」なる仏像を本尊とし、爾前権教の方便である四締・八正道・十二因縁などを教義に据え、
釈尊が、「正直捨方便」(法華経124頁)と述べてと命じた諸経を用いている。
佼成会の開祖である庭野日敬は、その根拠として、「方便は偉大な力を持つ」(庭野日敬自伝333頁)と強弁し、挙句には、
「信仰状態は親鸞、教義は日蓮、所作は道元」(同283頁)等と支離滅裂に説く。
もはや、信仰の中身に、何ら辻褄が合っていないことを自白しているのだ。
教団の教えは全く法華に非ず、方便どころか、
「四十余年。未顕真実」(法華経23頁)の金言に背く大罪である。
法華経の信にも知らずして、法華経を依経とする厚顔無恥は、伝教大師が、
「法華経を賛すと雖も還って法華の心を死(ころ)す」(伝教大師全集3-252頁)と呵責された、法華誹謗の逆徒そのものである。
 

 曲学阿世の徒


教団に入会すると、「それまでの宗教を捨てる必要はない、自分の檀家寺や氏神を大切にするように」と教えられる。
これについても庭野は、
「日蓮聖人は(中略)宗派意識というものを一応ご破算にして、お釈迦さまのご真意を行ずることが真の仏教者であると叫ばれたものと、私どもは解釈いたしておる」(自伝283頁)
との持論を展開する。
日蓮大聖人が四箇の格言をもって他宗を破折し、「立正安国論」をもって国主を諫暁された御振る舞いを全く理解していないのだ。
教団名に「立正」の字を冠するくせに、立正安国の原理も判らないとは。
その無知ぶりに悩乱極まれりとの感を懐く。
 

 法華折伏破権門理


庭野を開祖と仰ぐ佼成会よ、刮目して拝せ。
法華経には「不受 余経一偈」(法華経183頁)と説かれ、釈尊自身が法華経以外の信仰を否定しているではないか。
そもそも天台大師が「法華は折伏して権門の理を破す」(法華玄義釈籤会本下502頁)と示されるように、折伏こそ法華経の精神であり、他宗の権門を破してこその法華一実である。
「宗派的な意識は超越すべき」(自伝284頁)と佼成会は「万教同根」を謳うが、ならば、教団の存在意義はどこにあるのか。
宗派意識の超越を説くならば、当の佼成会自体が、まずは教団を解散すべきであろう。
お抱えの出版社や学校、病院を擁して、宗教法人ではなく、慈善団体として専念すればよいのだ。
 

 邪教から救済しよう。


佼成会の教えの中に、法華経の真意など微塵もなく、あるのはただ庭野の己義のみである。つまりは、庭野の邪説に過ぎない。
邪宗教が教義を他から盗んでくるのは常ではあるが、佼成会もご多分に漏れない代物、看板を盗んだだけで中身は空っぽなのだ。
こんな教団、こんな独りよがりの信仰で、幸福になどなれようがない。