「魔にたぼらかされて通を現ずるか。但し法門をもて邪正をたゞすべし。利根と通力とにはよるべからず」
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名前:元幹部 日付:2005年10月22日(土) 23時58分 | ||
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名前:元幹部 日付:2005年10月27日(木) 16時0分 | ||
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一般の人は利根や通力などの超能力を目の当たりにすると、それが邪宗教であるとも知らずに、盲目的に信用してしまうケースが多々見受けられます。
しかし、大聖人様は、そのような利根や通力を判断の基準にすべきでなく、法門によって正邪を決すべきことを説かれています。
所詮、邪宗教の超常現象など、一皮剥けば、かのオウム真理教の空中浮揚のように、種も仕掛けもあるインチキぱかりですが、
中には稀に実際に不可思議なことを行う者もいます。しかし、たとえどんな不可思議なことができようとも、邪宗教には人生の本質的な苦悩を解決する力はないことを知るべきであります。
金粉だの水が酒に変わっただのはトリックです。
またそれが事実だったとしてあなたの幸せと何か関係があるかどうか、麻原の空中浮揚と何ら変わりありません。
信仰によって幸せになって行く道はそのような超能力(霊波之光では神通力と称しておりますが)によってはならないのです。
知恵ノート:霊波之光の「御力」「奇跡」のデッチあげの実態
霊波之光の登記簿の「目的」には御守護神様なる言葉は一切登場していません。
霊波之光の登記簿
目的はおそらく設立時のそれから変わっていないものと思われます。現在では使用していない「大自然神」「波瀬善雄先生」などの用語が見られます。
そうなりますと教祖の名前すら場当たり的にコロコロ変えていると言うことです。
霊波之光は教義らしい教義もなく、ただ教祖に縋って祈ればいいのだという典型的なインチキ教団であるとしか言いようがありません。
教祖が空を飛んで四国から千葉県松戸に帰ってきたと喧伝
昭和36年11月22日に、香川県さぬき市の長尾郵便局から当時本山のあった松戸市に向けて電報を打たせました。彼らの自称宝物殿にも、長谷義雄の写真集「御聖跡」にも資料が残っています。
長谷義雄を結んでいた命綱が切れて行方不明になったというものでした。
しかし長谷は松戸に戻ってきていた、四国から瞬時に千葉県松戸市まで戻ってきていたと主張しているのです。
当時松戸の教団本部に勤務していた女性は最初教祖は小さかったが、徐々に大きくなり、やがて実物大になったと主張しています。
客観的な証拠は何一つありません。
空を飛んだんだと言うんだったら、初代が後に出張したであろう北海道や沖縄やハワイも飛んでいけばよかったんですよ。
それに昭和29年3月7日に神からの啓示を受けた山は「霊峰山」とありもしない山になっているということです。
インチキ教団ですので教義もどきが場当たり的にコロコロ変わったり、またはその人を救うのか救わないのか神に心が通じるかどうかで決める、
などと言っている「身勝手な神」なのですから、奇跡に浴せず当初から離反者もいたでしょう。
当然ですがロープが切れて落ちたならば、まずは警察に届け出るのが順序でしょう。それをしている形跡はなく、長尾郵便局に駆け込んで電報を送っている当たり、最初から自作自演の可能性が大きいと思います。
初代の時代から、何らかの危機が教団で発生するたびに超能力現象をでっち上げて、信者の引き留め、洗脳を図っていたのです。
札幌支部の乞食事件
昭和43年3月26日に北海道支部ででっち上げられた乞食事件もあり、初代長谷義雄は教主ではなく「神」になってしまいました。これも教団を松戸から野田へと引っ越すのに信者に3万円という当時としては法外な金銭要求があったので多くの信者が離反、組織引き締めの必要が迫られていてでっち上げられた事件です。
霊波之光北海道支部(現在の札幌支部)に、昭和43年3月26日夜、乞食風の男が現れました。
当時の北海道支部はOさん、Tさん、Kさんという職員が常駐していたとのことです。
乞食風の男は突然北海道支部にやってきたのですが、実はkさんという副支部長さんについさっき会ったのだそうです。
そして乞食風の男は教祖長谷義雄の像の前で土下座をし、むせび泣きはじめた。
そしてKさんに男は「この(像の)人は誰ですか?」と尋ねました。
Kさんは「教主様です」と答えたところ、男は「御名は2つとない、神だ!」と怒鳴りました。
そして「こんなことがわからないのであれば、とっととやめてしまいなさい」と言って出て行きました。
3人は追いかけましたが、途中で見失ってしまったということです。
そして「教主」はどこの宗教にもいるが、生き神様は霊波之光にしかいないとして、霊波之光初代教祖長谷義雄は「御守護神様」と呼ばれるようになったとのことです。
それまでは長谷義雄は「聖主」「先生」「教祖」「教主」という言い方や中には「神様」と言っていた人もいたそうです。呼び方も統一されているとは言えなかったのです。
文句のある信者の方は古い機関紙をみればハッキリいたしますので教団に見るとよいでしょう。
なにゆえに教団とは無関係な1乞食の一言で呼び方を変えなければならなかったのか?
非常にいい加減で、場当たり的な印象がいたします。
更に昭和44年(1969年)7月に行われた核戦争の危機が迫っているなどと長谷義雄が1人騒いで行われた「世界平和大祈願」も、松戸から野田への移転の際の法外な金銭要求により多くの信者が離反したため、残った信者への引き締めのために行われた大パフォーマンスだったのです。
教団で危機が発生すると、奇跡や体験をデッチあげて大騒ぎする体質
初代の時代から、何らかの危機が教団で発生するたびに超能力現象をでっち上げて、信者の引き留め、洗脳を図っていたのではないかと思います。
危機が発生→自作自演の奇跡の演出→教団内で噂を流す→教団内でキャンペーンを貼って宣伝活動し浸透させる
初代の時代はそのような方法で危機を乗り切っています。
昔の人はそれで騙せましたが荷台になってからは通用しなくなっています。ネットの発達のためです。
現荷台教祖長谷敬詞は芝居も言説もヘタクソ
荷台は何かあれば信者向けに説明するのですが、言ってはいけないことまでパンパン言ってしまうのです。
たとえば高知支部にはマルチ商売をして信者にモノを売りつけているという発言、札幌支部での体験からの「カネは命の次に大事」発言、弟子である古参教会員K氏への「二枚舌」発言などです。
宗教の教祖の発言としてはどうなのでしょうかと思います。
修業もなにもしていないので、言っていい事と悪いことの区別すらつかず、単なる俗物に過ぎないと言うことを示しています。
そのため現在の霊波之光では「魔の通力」すら起きません。
参考資料:藤吉郎さんの証言
結論
昔から信者たちは長谷義雄の神通力はほしくても、長谷義雄自身への忠誠心は一部を除いてあまりなかったのです。
だから何かがあると、すぐに信者たちは離れていくのでしょう。
芝居を打って長谷教祖はこんなにすごい神なんだ!
涙ぐましい努力かもしれませんが、教祖が教団をはじめた根本からおかしいので嘘や芝居を重ねなければならなくなったのではありませんか。
またこのような超能力現象が仮に本物であったとしても信者も含めた我々の幸せとは全く関係がありません。
欺瞞と虚飾に満ちたインチキエセ教団から一日も早く脱会しましょう。