知恵ノート:インチキ教団大山ねずの命教団信者の「神示」を破す


お断り


以下の大山ねずの命教団で出している「神示」の出典は大山ねずの命の信者が2ちゃんねるの「すばらしい☆大山ネズの命神示教会」で自ら持ち出したものであります。
大山ねずの命教団が著作権等を問題にする場合は、まず2ちゃんねるに書き込んだ当該信者に言っていただきたいものです。
また本知恵ノートは大山ねずの命神示教会に所属する1信者の宗教上の思想を、私の信仰する日蓮正宗の教義に基づき破折したものであります。


 その1


http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1322285481/779

神示:「朝夕 祈願を欠かさず」

実はこれが苦手なのだ。正6時の祈願。その時間には体内時計のせいか殆ど5分前きっちりに目が覚める。
しかし、布団の中で格闘が始まる。
(寒い、疲れている、一日くらいやらなくたって、後でやる、いやそもそも祈願してもしなくてもそう変わらない、神は俺には甘いはずだから許してくれる、24時間の内のたかだか数分じゃないか)
などと何の根拠もない想いが湧き上がる。

 破折

師匠である森がやれと言っているのであるから、ノーガキはこかないできちんと毎日実践すればいいだけである。
このようなことをいちいち解説など不要である。
大山ねずなど信じていても自分の意思が強くならない、大山ねずに対する強い確信が養われないということを自ら証明しているようなものではないか。
もっとも大山ねずなど存在しないのであるから、確信など持てるはずもないのだが。

当方は日蓮正宗の勤行は五座三座毎日行っている、今日は面倒とか、今日はきついなどと考える余地はない。家にいなければその場所で御本尊様を思い浮かべて勤行である。
勤行は簡単な修行ではあるが1番難しくもある。実践することで強い意思、御本尊様に対する強い確信が養われます。


 その2


http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1322285481/780

神示:「祈願」の真理 我がものとされよ
「運命」が導く人生 歩めるなれば 人(人間)は必ず 喜び多く 楽しい一生を手にできる


喜びと楽しみが欲しい。堂々とゆったりと流れる大河のような心でいたい。

 破折

目的地を目指して歩いて行く時に、道路を間違えていれば、道の右端を歩こうが左端を歩こうが、全力で走っても目的地には到達しない。道を間違えている以上、絶対に目的地に行き着こうという信念も、歩き続けた努力も水泡に帰してしまいます。
人生についてもいかに強い信念を持ち、努力をしても、その大前提となる正しい道を踏み外していては努力も実らず、良い結果も得られない。
人は正しい道を知らずに踏み違え、そこから生じた悪い結果を「運命」であると称しているのに過ぎない。

大山ねずは、実体のない「架空の神」です。
なぜならば、大山ねずの命教団は大山ねずの命の神示という大義名分で成立しております。
神示を垂れるということは意思を持っているということですが、教団では「肉体がなく透明人間」としております。
物事は
「精神のあるところには必ず実体があります。実体があるところには必ず精神が具わります」
「性質のあるところには必ず実体があります。実体があるところには必ず性質が具わります」
というのが宇宙森羅万象に共通する道理であります。
実体がなく精神だけが具わるなどということは絶対にありません。
従って大山ねずの命なる神は道理に反しており存在いたしません。
従って大山ねずは「正しい道」とは言えない。
信じる価値もない。

 その3


http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1322285481/775

神示:「ーただ神魂の力を受け入れ 心(気持ち)素直に揺れる想いを神(神魂)に語るー」

そうすることの理由は「人間は 感情の揺らぎに迷いを生み出す」から。
それで「祈願」するとどうなるか。
「自然と「心」明るく強くなる」

 破折

① 祈願について
どんな宗教でも最初入信して「信仰の世界」に目覚めた時、「小さな利益」があるものなのです。 
それは「信仰することにより、今までの生活パターンが変わる」ために起こる現象なのであります。
即ち、過去を振り返ったり、自己反省をしたり、他人のために心を使う、というような働きが増えることによる現象なのです。
宗教に無智な人はこれを持って「この教団には力がある」と信じ込んでしまうのです。

大山ねずの命教団に入って一時的に病気が治ったりすることもあります。
これは仏法で言うところの「魔の通力」と呼ばれるものですが、それは最初だけの一時的な小利益であり、その後深みにはまった頃に御利益どころか大きな不幸が待っています。
大山ねずの命教団の初代教祖稲飯や2代教祖森のように利根と通力を巧みに操る人は、人々が陥りやすい落とし穴を心得、更に利根と通力を磨き、影で日々研究熱心に努力をしているわけです。人の興味を引く技を錬るのであります。
大山ねずにたぼらかされた人々は、最初の一時は「こんな世界があったのか」などと未知の世界に触れた喜びを感じたり、また祈願等で病気が治るなどの一時的な小さな利益などもあったりして、すっかり素晴らしいと思い込んでしまいます。
しかしその後、熱心に信仰すればするほど感応の度合いは増し、最初の小利益はどこへやら、病気や家庭不和、さらには貧苦その他の多大な苦しみを受けます。
さらに厄介なのは、こうした人々は自分の不幸な境遇を客観視する能力も失われているということです。
大山ねずの害毒は間違いなくその人の内奥に蓄積され、どのような形であれ、いずれ必ず現実生活に現れます。

② 心の状態がどうのと言いますが、感情がコントロールすることができなくなることも人間はあるのです。
それを教義だから無理矢理押さえつけようといたしますと精神不安定になるか、二重人格になるかどちらかであります。
そのため生きる上で私達は心を律するため、正しい心の師匠をもつことが大切です。

で、問題なのは大山ねずの命教団では師匠は誰なのか?ということです。
本来の師匠である初代教祖稲飯も2代教祖森日出子は既にこの世にはなく、神示を受ける3代目教祖とも日ごろ接することもできません。
また3代目から任命されている館長以下の職員も教えを説く権限があるのかどうか。
権限がなければ、抽象的な神示ですので自分自身の考えで自由に教えもどきを解釈していいということになります。
権限が職員にあったとしても、信者1人1人に合ったきめ細かい神示など都合よく出せるはずもないのです。
教義がないので抽象的な「神示」なるものに頼らざるを得ない。
これが大山ねずの命教団の限界なのであります。


その4

ttp://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1322285481/774

神示:「神見るに 皆は願い求める思いが強いゆえに 相手の気持ちがつかめずにいる」

破折

なぜ人は信仰をするのか?
それは諸々の苦しみや不幸の原因を断ち切り、幸福になるためです。願いを叶えるためではないですよ。

そのために大山ねずの命はどのようにしろと教えているかというと、出まかせの「神示」しか出せず、上記の言説など自分に力がないことを自ら暴露しているようなものではないでしょうか。大山ねずの命は生命を内奥から浄化して行ける力強い宗教ではないということです。

仏法においては、私達の生命の奥底に「仏界」という最高の生命が内在していると教えており、それを引き出す方途を解き明かしています。
私達がこの仏界を現実生活の原動力として生きるならば、仏界の力強い生命力と智慧の働きにより、直面して来る諸々の問題を真正面から解決して、歓喜の人生を送ることができるようになります。

崩れぬ絶対の幸福、安心立命の境涯となります。
願いを叶えるのみの信仰であれば一時的で不安定な幸福は相対的幸福というものでしょう。
砂上の楼閣のようなもので、世の中の全ては常に変転していて、1つとしてそのままの形でとどまっているものはありません。
たとえ一時、自分なりの幸福を得ても永遠・絶対のものではなく、状況の変化でいつ崩れるとも分からず、不安定な幸福でしょう。
絶対的幸福を獲得して行く時には相対的な幸福も備わってくるということです。正しい信仰を選択され、絶対的な幸福への道を歩んでいただきたいものです。

 その5


http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1322285481/785

神示:「人類はますます迷いを深め 「真理」を求める時代にはいってゆく」
「神との会話を求める思いをかなえる御場所」


神社に寄りたくなるのも、四次元の宇宙人と対話したくなるのも全て、「神との会話」を求めていることの表れではないのだろうか。

破折

神との会話など大山ねずでは無理でしょう。神示は森一族にしか降りないのですから。
教祖とその取り巻き以外には神示が降りないとしたら、教祖一族しか救わないという無慈悲な神であり、これでは信者1人1人が救済されることにはならないとお話させていただきます。

あとはその4と紹介した内容に同じです。
信仰に対して無智な言説としかいいようがありません。
1日も早く脱会して下さい。


 その6


http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1322285481/771

悩みの原因について神示:「皆は相手に求める思いが強い」
「人に求める思いが強く 我が心 正すゆとりに欠けている」


 破折

こんな神示など小学生でも知っている訓話の域を出ません。改めて聞いても仕方のないことばかりです。

それよりもこうした倫理・道徳を知っているのに、なお他人のものを盗むとか、親子で殺し合う、弱いものいじめをするなど、この人間の心をどうしたらよいのか、ということこそが重要です。

大山ねずの命の神示は無力です。
低級信仰です。低級信仰はやはり邪宗教というしかありません。

宗教の真価は、見かけの良いことが説かれているのではなく、本当にそれを実現していくことのできる勝れた力ある本尊があるか否かで決まります。


 その7


http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1322285481/768

神示「花咲く運命信じて生きよ」とよく表されている。
運命という言葉は神示でここ数年で多量に用いられる傾向にある。

 破折

なるほど大山ねずの命教団は「運命」という言葉が好きなんですね。
ここで教団の言うところの「運命」とは「幸福な人生になること」でしょうが、

幸福になるように信じて日常生きているのが人間というものであって、幸福になる方途が解き明かされていなければ大山ねずなど無力な神としかいいようがありません。

その4でも申しあげましたが
仏法においては、私達の生命の奥底に「仏界」という最高の生命が内在していると教えており、それを引き出す方途を解き明かしています。
私達がこの仏界を現実生活の原動力として生きるならば、仏界の力強い生命力と智慧の働きにより、直面して来る諸々の問題を真正面から解決して、歓喜の人生を送ることができるようになります。
崩れぬ絶対の幸福、安心立命の境涯となります。

いかに強い信念を持ち、努力をしてもその大前提となる幸福になるための正しい道を踏み違えていては、努力も実らず、良い結果も得られません。
そして、人はこの正しい道を知らずに踏み間違え、そこから生じた悪い結果を「運命」と称してきたのです。
大山ねずの命教団の「運命」の乱発はその正しい道を教団自ら解き明かせない低級信仰である証左です。

 その8


http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1322285481/751

神示 「感謝」「奉仕心」「愛」

 破折

揚げている目的は立派であってもその目的を達成するための手段・方法が間違っている以上、もとより目的を果たすことはできません。

大山ねずの命教団の場合、初代教祖稲飯が精神錯乱を起こして神がかって創立した教団である以上、精神異常者の妄想上の神である大山ねず自体存在しない架空の神なのです。
そのような神にすがっても救われることなど絶対にありません。

架空の神に感謝しようが奉仕しようが愛してもそれは徒労に終わるのです。

大山ねずの命教団を信仰しても存在しない神を信仰の対象とし、そのような神にすがるのが幸せへの道などと教えている限りは、幸福どころか、かえって迷いと苦しみの中に沈むことになり、また大山ねずの命教団が弘まることによって、世界平和どころか、社会も家庭も荒れ廃れていってしまうのであります。
結論は大山ねずの命教団ではいかに揚げている「神示」が立派であろうとも、その目的は果たせない、というよりも、むしろ目的とは逆の悲惨な結果を招く、と知らなければなりません。


 その9


http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1322285481/736

友輪:平成25年5月1日発行:
"ー人間の正体は魂(たましい)ー
誕生に合わせて 肉体に宿された魂(こん)は
「運命」となって 「人生」を導き守ってゆく力となる"


 破折

何度でも書きますが、

① 物事にはすべからく「原因」があって「結果」が生じます。
両親の生殖行為によって生命が誕生しますが、「魂(こん)」はいかなる原因によって誕生するのでしょうか。それについて大山ねずの命教団はどう解き明かしているのかがハッキリいたしません。
生きている人間は意思を持ち、能動的に行動することができます。
それは生きている生命の力きであって、魂(こん)によるものではありません。
魂(こん)が生きている人に幸・不幸をもたらすなどというのは、因果をわきまえない俗信・妄説でしかありません。

②物事は
「精神のあるところには必ず実体があります。実体があるところには必ず精神が具わります」
「性質のあるところには必ず実体があります。実体があるところには必ず性質が具わります」
というのが宇宙森羅万象に共通する道理であります。
実体がなく精神だけが具わるなどということは絶対にありません。
「魂(こん)」も「大山ねずの命」も意思は持っていますが実体がありません。
従って双方とも存在いたしません。

 その10


http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1322285481/726

平成16年版神示p.169:
"「時代の真実」を教えよう
神の手の中 多くの命が生まれ 変わり 重なり 閉じて
翕然と神魂に包まれて 時代が回るのである"


 破折

人類の歴史は200万年と言われていますが、昭和23年(1948年)9月23日に初代教祖稲飯が神がかるまで何をしていたのでしょうか?
それまで大山ねずの命は人類を救おうとしなかったということになり、無慈悲といわざるを得ません。
昭和23年(1948年)まで大山ねずの命がいようがいまいが人類は存在し、多くの命が生まれ 変わり 重なり 閉じていたわけであります。


 その11


http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1322285481/738

神示を読んでいると「非我」という言葉が目に飛び込んで来ました。我に非ずとは無欲のことだろうか。
そう考えながらも、それは他者と自分は違うのだという意味でした。


 破折

言葉のお遊びで人が幸せになることはありません。
邪宗は立教後何年経っていようと邪宗なのです。
この人はたまたまはじめて縁した宗教が大山ねずの命教団であって、それに共鳴して盲信しているのに過ぎません。
新宗教など中身はほぼ同じです。
 
どんな宗教でも最初入信して「信仰の世界」に目覚めた時、「小さな利益」があるものなのです。 それは「信仰することにより、今までの生活パターンが変わる」ために起こる現象なのであります。
即ち、過去を振り返ったり、自己反省をしたり、他人のために心を使う、というような働きが増えることによる現象なのです。
宗教に無智な人はこれを持って「この教団には力がある」と信じ込んでしまうのです。
信仰が深くなればなるほど少々疑問をもち始めていても、「イザという時に奇跡が起きる」と信じてしまいます。
即ち教団の呪縛に陥るということです。
この方も深みにはまった頃に大きな罰が待ち構えているでしょう。

1日も早く脱会していただきたいものです。


その12


http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1322285481/720

それで「神示・平成18年版p.239」を開いた。こう書いてある。
"人は誰も 神の手の中 愛を通して人生を歩む"


 破折

大山ねずの命は初代教祖稲飯や2代教祖森、そしてその眷属どもの妄想上の神であり存在いたしません。
何度でも申しあげますが

大山ねずの命教団の場合、初代教祖稲飯が精神錯乱を起こして神がかって創立した教団である以上、精神異常者の妄想上の神である大山ねず自体存在しない架空の神なのです。
そのような神にすがっても救われることなど絶対にありません。

妄想上の「神の手」、噴飯ものです。

 最後に第2代教祖森日出子の妄説を破する。


http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1029208147/202

神の直々の使者(直使)心の母でもある、供丸姫先生が
当時副使者時代のテープを久しぶりに拝読。

◇神示◇
仏教よ 祖国へ帰れ
_______________
古き聖人の教えは、使者を通じで多々居ます、
しかし、もっとも人間(運命)を牛耳られている神の
教えを守って、暮らす所に仕合せの花が咲く…

すなわち南妙法蓮華等を何万べん唱えても、
自己満足にしか過ぎないのである 真実 運命が変わらなければ
根本的に開運しなければ ならないのである。
代神時代のテープでした。

この教会には実在する神がいる。
仏とは、人間時代に人間の道筋を悟りを得た聖人であり、神ではなく
人を救うチカラはない、言いかえれば我が家代々の仏様に
病気を治してくださいは通らない、仏は人間を悟す存在なものの
人類救世にはならない、救うのは神である。

 破折

55歳の若さでガンという業病でのたうちまわって死亡した森日出子、うらやましい死に方とは言えないでしょうね。

日蓮大聖人は、
「日蓮仏法をこころみるに、道理と証文とにはすぎず。又道理証文よりも現証にはすぎず」(日蓮大聖人御書874頁三三蔵祈雨事)
「末法の法華経の行者を軽賤(きょうせん)する王臣(おうしん)・万民(ばんみん)、始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」(日蓮大聖人御書1397頁聖人御難事)
と仰せられ、正法に背く者には、必ず厳しい仏罰の現証があることをお示しくださっています。

森日出子の55歳と言う若さでの業病での死は罰の現証です。
あなたもそうなりたくなければ1日も早く脱会し正法を求めましょう。 

 日蓮正宗の釈尊の祖国ネパールでの取り組み


日蓮正宗理境坊所属妙観講がインド・ネパール地方を布教中
http://myokan-ko.net/index.html

関連記事
ネパール大地震の被災者へ 講中の支援金で物資を配布
http://myokan-ko.net/especially/indo.nepal.html

「ネパール大地震犠牲者追悼法要」を厳粛に奉修
http://myokan-ko.net/especially/indo.nepal.memorialservice.html

ビラトナガル(東ネパール)他、5ヵ所に事務所を開所
http://myokan-ko.net/especially/indo.nepal.office.html


 批判に対し「仏教はインドに帰れ」で全てを片づけようとするインチキ教団大山ねずの命教団


霊波之光は「宇宙の法則」で全てを片づけようとし、ライフスペースは「定説だ」、法の華三法行は「天声だ」で全てを片づけようといたします。
インチキ教団はいずこも同じですね。

http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1322285481/949

http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1322285481/958

http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1322285481/960

http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1322285481/961

http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1322285481/971

 参考資料:霊波之光は「宇宙の法則」で全てを片づけようとしています。


 初代教祖稲飯貞雄の「神示」を利用したわいせつ行為


大山ねずの命神示教会横浜中央支部長勝呂勇次郎氏は、触診(しょくしん)と称して、「私のやることはすべて神のお告げだ!」と豪語して20代の女性に暴行を加えたそうである。
しかも彼女は妊娠して、横浜市の病院で中絶手術を受けさせたそうである。妊娠六か月であった。
同様に教祖の稲飯貞雄教祖も同様の手口で、「君は下腹部が弱っているから私が治療してやろう!」と言って、わいせつな行為をしたそうです。

 たかぼん氏よりまとめ


所詮大山ねずの命教団は初代教祖稲飯貞雄の精神病で言うところの憑依妄想から出発している教団です。

新宗教で神がかったとか霊が憑いたという現象は日常生活の中でも特殊な精神状態に至った時に起こりうる出来事であり、それによって神理が説かれるとするならば、世の中には無数の神理が存在します。
大山ねずの命教団は初代教祖稲飯貞雄によって創唱された啓示の宗教ですから、当然初代教祖稲飯、そしてその後継者である2代目教祖の森日出子に備わる神理を絶対とします。

しかし、反面、教団の中には大勢の幹部や信者たちがいて、彼らにも独自の神理があることになります。
このような憑依妄想から出発している教団の宿命は、将来沢山の教祖と神理なるものを産み出し、分裂するということになります。
これは邪宗の弊害であり人々に不幸をもたらすことになります。

1日も早く脱会しましょう。

 (大山ねずの命)神示教会に対する批判的なサイトからのリンクはご遠慮ください、ということですが たかぼん氏より一言


邪宗のホームページのリンクなど結果的に邪宗の繁栄に寄与するためするはずがない。
それより2ちゃんねるに神示を載せる信者こそ「神示」できちんと教育しろよ。