takeshiの街道を歩く カメラのイラスト

 ぶらり歩き  
 1.境川を歩く (7)                               平成14年8月4日
 境川に戻り、境橋で古淵駅の方向に上り坂を歩いて行くと、大日堂(写真17)がある。日枝神社の由来書にも記載されている北条時行が、鎌倉を奪還しようと府中の方から鎌倉街道を攻め込んできたときに、鎌倉の足利直義がこれを迎え撃って戦った古戦場が井出の沢(町田市菅原神社辺り)であったといわれており、大日堂は土地の人々がこの合戦での死者を弔って建立したと伝えられている。このお堂はもと井出の沢付近にあったが、江戸時代にここへ移されたもので、現在のお堂は昭和44年(1969年)に改修されている。なお、境内は鎌倉時代後期の武将新田義貞につながり、代々庄屋を勤めた細谷家の所有地で、お堂は細谷家によって管理されているとのことである。

 更に、大日堂の先にある鹿島神社(写真18)は境川から比較的近いところに建っているため、必然的に化をもりも一段上がった段丘に位置することになり、日枝神社もそうであったが、石段を何段か登ったところに拝殿(写真19)がある。この神社の創建時期ははっきりしてないようであるが、新編相模国風土記稿にも記載される古社で、この村の地頭であった淵辺義博の子、義喬が創建したという説もあるので、古淵辺りは淵野辺と同じく淵辺氏の所領地であったようだ。祭神は武甕槌命(たけみかづちのみこと)であるので、茨城県の鹿島神宮系列の神社である。鹿島神社の拝殿前には、今日供されたと思われる米、かぼちゃ、なすの供物が置かれている。土地に密着した神社では、たとえ神主が不在であっても、このように信仰篤い氏子により季節の供物が供えられており、地域の安全と安らぎを支える存在として大切に守られていることがわかる。


 境川を歩いた第一回のレポートを多少手を加えて、今回掲載したが、書き進むにつれて約6年前の記憶が鮮明に甦ってきて、改めて新鮮な気分に浸ることができました。境川を歩く(8)からは、第二回のレポートを掲載します。
 
 
写真17(大日堂)
 
写真18(鹿島神社)
 
写真19(鹿島神社拝殿と供物)

トップへ 次へ 戻る

(C)2024 HIRAI. All Rights Reserved.