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 ぶらり歩き    
 4.境川を歩く (22)                              平成14年9月7日  
 東京出身であるにもかかわらず、江ノ島を訪ねるのは今回が初めてのことで、落語の大山詣りにあるように江戸時代からの大観光地であることぐらいの知識しか持ち合わせていない。
 江戸時代には、大山を男神、江の島を女神にたとえ、片方のみ参拝することを忌む俗言が宣伝され、両所をセットで巡拝するのが流行したという。
 さて、江の島への入り口には、藤沢市の文化財に指定されている文政4年(1821年)に再建された青銅製の鳥居(写真60)が建っている。

 この鳥居をくぐると、大山阿夫利神社ほど急ではないが、江島神社に続く参道は上り坂となり、両側には土産店が軒を並べ、参拝者に盛んに売り声を投げかけてお参りに来た気分を盛り上げてくれる。
 土産店を抜けて参道を登っていくと、途中に児玉神社の掲示が目にとまる。日露戦争の時に満州総司令部参謀長として陸軍の作戦を指揮して旅順203高地を陥落させた陸軍大将・児玉源太郎の霊を祭り、大正10年(1921年)に建立された神社である。明治時代の大人物であり、是非参拝したいと思ったが、工事中なのか通行止めとなっており、残念ながら参拝は叶わなかった。

 江島神社は島内にある辺津宮(へつのみや)中津宮奥津宮の3つの宮を総称して呼び名で、辺津宮(写真61)は本社に当たる。建永元年(1206年)に僧良真が社殿に遷宮したといわれ、現在の社殿は昭和51(1976年)に改築されたものである。境内に建つ八角形の奉安堂ほうあんどうには、八臂(はっぴ)弁財天日本三大弁財天のひとつ裸弁財天の妙音(みょうおん)弁財天が安置されている。

 奥津宮に向かう参道の両側の土産店の間に、注意して見ないと見落としてしまうような一角に四面にいろいろな姿をした猿が彫刻された群猿奉賽像庚申塔(写真62、ぐんえんほうさいぞうこうしんとう)が置かれている。藤沢市の重要文化財に指定されており、猿は全部で36匹彫られているそうであるが、3猿に代表される庚申信仰とどのように関係付けられるのか興味深い。

 時間がなく、島全体を見物できなかったが、江の島には神社、植物園などテーマパークのような印象を与える施設が所狭しと配置され、江戸時代からの観光地の名所の面影を現在に伝えている。
  
 
写真60(江島神社 鳥居)

 写真61(辺津宮)
 
写真62(群猿奉賽像庚申塔)

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