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 ぶらり歩き  
 1.境川を歩く (2)                          平成14年8月4日
 旧橋本宿のはずれに架かる両国橋から境川沿いの道に入る。最近は河川改修が進み直線的な川筋になりつつあるが、数十年前の境川は暴れ川の異名が付けられたほどの蛇行した流れであったという。この辺りは護岸整備は行われているものの、大きくうねった川筋は往時の面影を留めている。今では周辺に住宅が建ち並び、見るからに新しく架け替えられたとわかる横丁橋(写真1)を渡る。川面を覗くと、金魚のような赤い色の小さな魚が一匹泳いでいて、川が生きていることを感じる。
 川沿いの道を進むと、 天文元年(1532年)の創建と伝えられる天縛皇神社(てんばくこうじんじゃ)(写真2)がある。小山地区の鎮守社であるが、「天縛皇」とは海を鎮める神、川を鎮める神の天白に由来するとする説があり、境川が暴れ川であったことを考え合すと、納得してしまう。古来より治水は為政者のなすべき事業の一つといわれているが、治水工事の技術が進んでいなかった時代には、神様の力に頼って水害から逃れることを希求する住民の思いが天縛皇神社を建立させたのであろう。

 横丁橋からの境川は暴れ川の異名の通り、右に左と蛇行を繰り返しながら、心地よいせせらぎの音を届けてくれているが、河川整備により直線的な流れになってからは変化の乏しい印象を与える川となってくる。しかし、川面を眺めると、つがいの鴨が泳ぎ、橋の下ではやはりつがいのアヒルが水を飲んでいる。

 途中に休憩で立ち寄った小山中村広場のひと隅に石仏(写真3)が置かれている。石面の文字はかすれて判読が定かではないが、地神斎と刻まれているように見える。「地神」を調べてみると、「田畑のほとりや宅地内の一隅などに祀られる神。土地の神・屋敷の神とする所が多い。じぬしのかみ。じしん。じのかみ。」とある。また「斎」については接頭語として使われるときは「神聖な」という意味をもつようであるので、「地神斎」と接尾語の形で使われてはいるが、この土地を守る神聖な神という意味合いを込めていると思われる。
 現在でも、建物を建築するに当たっては、神主による地鎮祭を執り行うことが一般的であり、地の神に対する祈りは日本人に脈々と受け継がれている。それだけ日本という国土が地震や水害などの自然災害が多い気候風土の国柄であることを表しているともいえる。
 
 
 
 
写真1(横丁橋)
 
写真2(天縛皇神社)
 
写真3(小山中村広場 石仏)

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