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 ぶらり歩き   
 4.境川を歩く (18)                              平成14年9月7日 
 閻魔堂跡から境川に近道をしようと畦道を選択して進むと、道脇に大きな石碑があり、これが偶然にも当初から見たいと考えていた瞽女(ごぜ)淵之碑(写真49)であった。この石碑は大正元年12月14日に建立されたものだが、碑背面に刻まれた伝承によると、この付近に小淵があり、延宝年間(1673年〜1680年)に一人の瞽女が溺死したことから瞽女淵と呼ばれるようになった。その後も溺死するものが絶えず、弘化4年(1847年)に一人の浪人がこのような災いを除こうとして生贄となり、村人がその霊を祭って土手番と崇拝したという。そのため、土手番さまとも呼ばれている。
 この日は小雨が降ったためか、石碑周辺は全体に湿った状況を呈しており、かつて淵が存在したことを実感できる。 因みに、瞽女というのは盲目の女性の芸能者のことで、親父から聞いた話では新潟では盲目の女性は身を立てるために三味線を習い、三味線を弾きながら家々を廻り幾ばくかの銭を施してもらっていたという。昔の貧しい時代では現在のような恵まれた社会福祉制度はなく、必死に芸を身につけて目が不自由でも生きていくことができる術を磨いた盲目の女性がいたという悲しい噺である。

 瞽女淵之碑から数十メートル先の境川のサイクリングロードに出て、境川歩きの最終目的地である江ノ島を目指して歩き出す。

 境川に白旗川が流れ込む手前一角に石仏(写真50)がきれいに並べられている。昭和51年1月14日に建立された道祖神を中心に、庚申塔4体などが並んでいる。左の庚申塔は「河川改修小路記念、平成4年6月、陣屋小路中」と刻まれており、一番右のものは文政12年(1829年)正月吉日と読み取れ、江戸時代から綿々と引き継がれてきたことが伺える。写真でわかるように、フェンスで区画されており、現在も大切保存されている。
 
 石仏群を後にして藤沢市内を目指すが、この辺りの境川はコンクリートで護岸が固められた人工の都市河川の様相を呈してくる。その中で遊行寺橋は朱色に塗装され、遊行寺の門前に架かる橋という趣きが感じられる。


 
 
写真49(瞽女淵之碑

 写真50(石仏群)

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