元気の最期をちゃんと書かなければなりません。
最後まで生きぬいた元気の最期、5年と2ヶ月の最後です。
亡くなる前の日の日記でも書いていたように、元気はとっても安定していました。
多分金曜に元気に会いに来てくれた人たちも、まさかこんなに急に逝ってしまうとは
思っていなかったんじゃないですかね?
正直、もうダメだって分かってはいても、それでも先を当分期待してしまっていたんです。
多分それは元気の演出だったと、今は思います。
まだ元気がいてくれた1週間前の最後の日曜日は本当に穏やかな1日でした。
朝からずっと家族水入らず・・・
旦那さんは朝、少しホームセンターに出かけたりしていました。
体を起こしたい元気のために、スポンジなどを買ってきて
支えるクッションを作るんだと張り切っていました。
珍しくそのついでに、女子部の作り置きご飯のためのお肉なんかも買ってきてくれました。
午前中はそんなで旦那さんがリビングの元気のベッドの隣で、
ああでもない・こうでもないと工作をしていました。
私はそれをキッチンから眺めながら、心の中で(あ〜あ、きっとまた失敗に終わるなぁ・・・)
と思いつつ、でもせっかく元気の事を思って行動している旦那さんを
微笑ましく・ありがたく思い、女子部のご飯を作っていました。
そんな日曜日は本当に穏やかで優しい日曜日でした。
元気が作ってくれた、最後の日曜日。
今思えば、女子部のご飯も・・・
きっと自分が逝ったあと、女子部が食いっぱぐれないように。。。
そして日曜日は初めて旦那さんが元気を寝かせた日でもありました。
夜、キッチンでバタバタやっていた私は、起きている元気を
抱っこして寝かせてくれるように旦那さんに言ってみました。
今回も、あと子供の頃もそうやって自分でなかなか寝れない元気を寝かせたものでした。
文句をいっても1度としてそういうことは手伝ってはくれなかった旦那さん。
それが何故だか結構簡単に協力してくれました。
自分が抱っこしてすぐに寝てくれた元気にちょっと嬉しそうでした。
元気、これも待っていたのかなぁ・・・
なんていったって旦那さんは元気の名付け親で、飼うって決めたのも旦那さんだったものね。
そんな日曜日が過ぎ月曜日。
この日もとても穏やかだったんです。
だた気になったのは、前の日に何度もアクリル毛布をめくって呼吸を確認してしまうくらい
静かで落ち着いていた呼吸がものすごく大きくなっていたこと。
でもこの間のように、肩や胸で速い呼吸をしたり、苦しそうだったりという事は
ありませんでした。
それから相変わらず続いていた低体温。
もしかしたら、普段の私なら、もっと心配していたかもしれません。
今思えば体を起こさなくっても、あまり形を気にせず眠れるようになったのも、
ただ弱っていたのかも知れません。
でも気付けなかった。
体の硬直などがきっとよくなってきたのと、苦しさが少し和らいできたのだと思っていたり・・・
あとはシリンジであっても、元気が確実に少しづつ食べる量を増やしていたり。
あんなに苦しそうだった叫びや吐き気も、もうすっかりおさまっていましたし・・・
これも全て、元気の演出かな?
最期、私があまりあがかないように・・・
間違っても病院に駆け込んだりしないで、家で家族水入らずで旅立てるように・・・
もしそうだとしたら、きっと元気は無理して調子のいいフリをして、
食べたくないのに頑張って食べていたんだろうなぁ・・・
苦しかったねぇ・・・ごめんね。
ありがとう。。。
そのまま穏やかに夜を迎えて、夕飯も終わって家族でマッタリ。
リビングのソファーに私。
その前にベッドで眠る元気。
その横には私と元気の布団でゴロゴロとテレビを見る旦那さんと女子部。
8時過ぎくらいから、モジョモジョと時折動き出した元気。
それでも少し触ったり体勢を動かすとまた静かに寝てくれて・・・
9時くらいになってまた少し動きが増えてきました。
その前は6時に食べさせていたので、そろそろ何か食べさせようと、私はご飯の支度をしました。
それから食べさせる準備をするために、いったん元気を膝に抱えて・・・
ゆっくりとベッドの中を整えていると、私の膝の上で元気が小さくケホッと咳をしました。
少し水っぽい音のする咳でした。
それからそのまま膝の上でシッコをしました。
最近1日1回程度だった元気のシッコ。
抱っこしているときにされることも多かったです。
刺激がないとなかなかでないので、膝に抱え体を拭いていたりするときが1番多かったんです。
なのでやっぱり私は異変に気付きませんでした。
私はいったん元気をベッドに戻して、旦那さんに声をかけてシャワーを軽く浴びて
部屋着を着替えました。
戻ってきて元気にご飯をあげようと・・・やっと気付きました。
元気の呼吸がとても小さくなっていました。
ビックリして元気の名前を呼んで、元気をゆすりました。
そうすると元気は少し口をあけてしまいました。
何度も名前を呼んで、叫んで、元気に抱きついて・・・
隣で何も気付かないでいた旦那さんに怒鳴って、すぐに酸素缶を持ってきてもらって
そのまま何本も何本も酸素を吸わせました。
それでも少しづつもっと呼吸を弱めていく元気。
元気の呼吸が止るのが先か、私が酸素缶を離すのが先か・・・
元気は本当に静かにゆっくりと息を引き取りました。
何度も元気の名前を呼びました。
「逝かないで」「やだ」って何度も叫びました。
でも頑張ってとは言えなかった。
生まれてからずっと、そしてここ最近本当に頑張ってくれた元気に
もうこれ以上頑張ってなんて言えなかった。
元気がいなくなるなんて絶対いやだけど、でも私は最後に諦める道を選びました。
もちろん諦めなくってももうダメだったのは分かっていますけど。。。
今思えばおかしいことはいっぱいありました。
元気にシッコをされてシャワーで流している時に、シッコが冷たかったことに
違和感を感じていました。
普通ジワッと温かいはずなのに・・・
違和感を感じながらも私は元気のそばを離れてしまった。
もちろんもうその時元気は死に向かっていたので、手のうちようは
なかったかもしれないけれど、でも一緒にいれる最後の時間を短くしてしまった。
私は元気にすっかりだまされてしまいました。
これが元気の最期です。
本当に立派な最期でした。
最期まで無口で、かっこいい男でした。
写真、悩んだんですけど、少しだけ元気が写っている写真を・・・
最後の家族写真です。
昔はよくみんなで撮っていたんですけど、最近元気を交えては撮れなくなってしまったので
最後にどうしても元気も一緒に撮りたかったんです。
ねぇ元気、あなたに会えて、私は幸せでした。
ありがとう・・・私の元にきてくれて。
大好きだよ。。。