ここには・・・飼い主の妄想や願望も入っています。
でも私には、それを単なる偶然とは思えない驚きと感動がありました。
フィクションともノンフィクションとも私の中では言えない、
でも元気の気持ちなどについては明らかに私の妄想ですが、聞いて下さい。
お友達が教えてくれました。
「元気君、亡くなった日と同じ2年前、意識を戻したのよね・・・」
私は言われるまで気付きませんでした。
2006年5月16日、元気は発作を一昼夜起こし続け、そして意識を失いました。
それから3日後の5月19日、元気は意識を取り戻しました。
そして2年後の2008年、5月19日に元気は旅立ちました。
偶然・・・といわれればそれで終わりです。
でも私は偶然ではない何かを感じています。
2年前、元気が倒れたとき、ひどい発作が続いてしまって、朝方にはもう体の動きを
止めることが出来ない状態で、意識は完全に飛んでいました。
そして病院に行って脳を休めるために、強い抗てんかん薬をいくつか打ったのです。
強制的に寝かされた元気。
その時先生はいいました。
「このまま意識が戻らないかも知れない。戻っても普通の状態ではないかも知れない」と。
そしてこんなことも言いました。
「正直に言うと、ボクの経験の中では、ここまでひどい発作を起こして強い薬を打って
意識を戻した子はいませんでした。。。」
その覚悟はありました。
そのくらいひどい発作で、そして元気は全く動かず口を開けたまま、体温を失い
口の中は真っ青で冷たささえ感じていました。
でも元気はそれから徐々に回復し、3日後にははっきり意識を戻して、
あっという間に食べ物を口にするまでになりました。
それから少しの間は動けなかったり、おかしな痙攣や震えが止まらなかったり・・・
もちろん発作前と一緒とはいいませんが、それでも元気はまた下半身を引きずりながらも
以前よりも回数が減りはしましたが歩くことだって出来るようになりました。
本当に、誰もが驚く快復力でした。
私はその時の日記に「虹の橋の仲間たちが元気を助けに来た」というようなことを書きました。
次の日、20日には空にそれはそれははっきりとしたきれいな虹が出ていて、
元気を助けるために集まった仲間たちが空に帰って行くんだ・・・と思ったんです。
そしてその虹は今回の20日にも出ていたそうです。
私は見ることが出来なかったのですが、元気を火葬していた時間、空に虹が出ていたと、
お友達が教えてくれました。
ちがかったんですね。
虹の橋の仲間たち。。。
2年前、本当は元気を迎えに来ていたんです。
もしくは元気が空に昇るための虹を神様が架けていたんです。
でも元気はそれを断った。
そしてここにいれる期限をなんとか延ばしてもらって・・・
でも今回はもう行かなければならなかった。
そう、2年前、元気は本当はもう逝っていたんです。
空白の2年間、元気と私に与えられた大切な2年間。。。
それから2年は元気にとってはあまり良いものじゃなかったと思います。
以前以上に体がいうことをきいてくれなかった。
アカラスによる痒みや脱毛もあった。
体がいうことをきかないだけで、頻繁に硬直発作など
一見派手な動きはないけれど、でも元気にはきつい発作が起こっていた。
でも・・・きっとそれでもいてくれたんだって私は思います。
私のためにもいなければならなかったんだって・・・
元気が意識を戻してすぐ、2年前の23日から、ギャオのこんにちワンコで
元気を特集した番組が始まりました。
もちろん撮ったのは、元気が倒れる前です。
初めて元気の直接の撮影をOKしたものでした。
とはいえ、元気に負担をかけないように、無理はさせないように、
番組の方も私も元気を思って撮ったつもりです。
もちろんそうだったと思います。
でももしも元気がその発作で逝ってしまっていたら、今までなんのために元気に負担をかけずに
なるべく静かに暮らしてやってきていたのか、どうして撮影なんかを受けてしまったのか、
関係はないと思いながらも私は後悔するでしょう。
何度か日記で書きましたが、私は元気によって、自分ではない何かの命によって
利益や地位を得ることに嫌悪感があって、自分の命以外のものでは輝きたくない・・・
とプライドを持ってやってきたつもりです。
それなのに・・・
元気は私のこの気持ちを分かっていたのだと思います。
なので何とか放映開始日までに復活してくれた。
このタイミングで元気は逝くわけにはいかなかった。
迎えに来てくれた仲間に、神様に、元気はもう少し時間を下さいと願った。
私が元気に生きて!と願ったのと同じくらい、もっと強く。。。
そしてそのお互いの願いが何とか叶ったんだと。
もちろんこれは、元気の思いなどはすべて私の勝手な想像です。
でも私はそう思います。
私にとって、空白の2年は何よりのプレゼントでした。
でもその時間、私は元気に何をしてあげられたのか・・・
ただ同じように、日々変わらず過ごしただけでした。
違うかな?
その2年で、以前に比べたらうんと私はお出かけするようになったよね。
女子部と一緒に、元気にいっぱいお留守番をお願いして・・・
きっと元気はそれを見届けてくれたんだよね。
みいちゃんはもう大丈夫だって思ったんだよね。
元気の、体を張った私へのプレゼントだと、私は受け止めるよ。
だから本当はそれで全然良くないけど、でも元気にありがとうって言ってあげないとね。
少しでも長く元気といることが出来て、あれから2年もここにいてくれてありがとう。。。
それからごめんね。
元気を納得させられるみいになるまでに、2年もかかっちゃったね。
新しく元気が作ってくれた2年は、あんなでもやっぱり元気と過ごした大切な大切な時間でした。
毎日シャンプーして、いっぱいおしゃべりしたよね。
平凡な毎日が幸せだったよ。。。
元気もきっと、そう思ってくれているよね。
ますます不自由な体でつらい選択をしてくれたのは、私のためだけじゃなくって
私と一緒にいたいって、元気も思ってくれたからだよね。
元気、やっぱりあなたには、ありがとう・・・この言葉につきます。
そして愛しているよ、いつまでも。。。
2年前、大人になって初めてと言っていいほど、東京の空ではっきりとした虹が
意識を戻して気持ちよさそうに寝ている元気ごしの窓から見えました。