防御としてのグラフィックデザイン

英国ジャーナリスト:ジェームズ・ウッドハイゼン
ICOGRADAニース国際会議1985.9.2

「かつて、ヒトラーの展開したグラフィックデザインは同志たちの団結に大いなる効果を果たし彼らを興奮のるつぼに陥れた。今日ではハリウッド製の映画であるスターウォーズが大成功をおさめた。今さら言うまでもなくグラフィックデザインが果たす効能はかくも大きい。しかし歴史を検証するまでもないことだが、グラフィックデザインは使い方によって諸刃の剣となる力を合わせ持っている。

いくつか例をあげてみよう。人の足か手の骨を2本×字型にクロスさせた上に髑髏を配置した絵を思い浮かべてもらいたい。例えばジャングルや荒野の入口にたどり着いたときこのようなグラフィックサインを見つけたとしよう。何を感じるだろうか?おそらくほとんどの人がそのサインに何か危険を感じとるはずである。そして次にはそこから先に進むかどうか躊躇するだろう。それが絵に描かれたものでなく、本物の人骨を並べたものであればいっそう強く感じるだろう。そのサインはだれがどう定めたというものではないけれど、文化や言語を超越した、何か本能的に危険を感じさせる力を有したグラフィックである。

少年時代にボーイスカウトとして活動した経験をもつ人なら、自然の植物を利用してさまざまなサインを標すことを経験している。大地に生える草を束ねてどちらかに倒すだけで、それは進むべき方向を示したり、行ってはいけない方向を回避するサインとして使われる。これと似たようなことは、文明社会に限らず未開の人たちも実践しているそうだ。たとえばアフリカの奥地では、獲物を追ってジャングルの中を進みながらも後で迷わず戻ってこられるよう、木の葉を一定の距離毎に並べて置いてゆく習慣があるそうだ。これも生命を守る上で不可欠の立派なグラフィックデザインといえる。

最近の英国の例をあげよう。ご存じのように英国では一日の内でも天気が変わりやすい。朝の出勤時には晴れていても夕方の帰宅時には雨に降られてあわてるということが少なくない。そこでテレビの天気予報の映像に魅力的なグラフィックを採用したところ、大いに視聴率を高め、突然の雨に戸惑う人が激減したという例がある。

一方、ドイツ製のBMWの運転席に付けられたメーターグラフィックは見とれてしまうほど美しいとよくいわれる。しかしそれはアートとして美しくしたのではない。それは見やすくそして分かりやすくすることで、常にドライバーに車の走行状態を認識させることとなり、それが危険の回避と安全に貢献している。

日々の暮らしはあたりまえのこととして意識にのぼらない多くの学習されたことにより支えられている。グラフィックデザインはいつの時代にも安全で快適な暮らしを営めるよう、これらの概念を常に見直す役割をになっている。そこには社会生活を営む上で必要とされる概念の、時代にフィットした自在な顕在化が求められている。」

今日、グラフィックデザインといえば、ともすると経済原理にのっとった役割を思い浮かべがちである。しかしウッドハイゼンはジャーナリストとしての観点から、グラフィックデザインの積極的役割づくりという認識において、我々デザイナーが当たり前と思ってしまいがちな視点を変えかつ視野を広げる機会を投げかけた。しかも彼はグラフィックデザインを攻撃的ではなく、むしろ逆に防御としてのという視点をかかげたところが新鮮かつ秀逸であった。

グラフィックデザイン―その未来を探るうえでの各国の持つ新たな視点に耳を傾ける―これこそが国際会議に求められるものであることにちがいない。これからのグラフィックデザインの担う役割とその可能性を引き出す手段とはまさにウッドハイゼン氏の一言に暗示されているという想いを強く感じた。まさに今、日本のグラフィックデザインには、日本独自の、そして世界に発信できる新たな視点が求められている。







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