2日め






朝食は早く6時からというのは嬉しい。ビュッフェのメニューも今回ではいちばん充実してた。
6:40くらいにチェックアウトして出発。高速から通行料無料の三陸自動車道に入る。
この三陸の海岸線からやや奥まったところを縦貫する道路、ほぼ出来上がっていますが一部で未通区間あり。
この道路、三陸の復興に大きな力を与えたと思います。国道45号を使う半分以下の時間でのアクセスが可能になっている。

この日、退位の日は予報通り終日雨。それゆえ、思ったようには行動できなかったのが辛い。

まずは南三陸町。新しい街は丘の上にありますが、港の方に降りていってみる。
基本は更地で大型の店舗が目立つくらい。港近くの橋まで行くと、土地が嵩上げされている状況がわかる。


しかしこの高さではまだ前回の津波の浸水範囲内なので、住宅は見られません。
あるのは避難が比較的容易な商業施設で女川に見られたようなショッピングモールもありました。


ただ、天候のせいもあるでしょうが、女川のようには賑わってはいなかった。
外から客を呼び込むというよりは、地元の人が集うためにある施設であるような印象を受けた。

川を挟んで対岸に防災庁舎を見つける。鉄骨の骨組みだけが残され、海側が大きく歪んでいる。
手前の河川敷の護岸が嵩上げされているので、防災庁舎は3階のみが見えている状態でした。


次は気仙沼へ。観光地として有名なこの街も規模が大きくどこを見るべきか悩む。
とりあえず、やはり港まで降りてみることに。すると目新しい港湾施設が見えてきました。


よく見ると周囲には更地が目立ちますが、この施設だけ見ると財政的に余裕があるような印象。
港に面してはお洒落なウッドデッキまであります。ただし津波対策からか、セットされたのは2階レベル。
気仙沼は港に山が迫っていて、浸水範囲がそもそも狭かったのかもしれません。


続いては陸前高田。街に入っていきなり廃墟と化した学校と遭遇する。
交差点を右折して橋を渡る頃には町の全貌が見えてくる。話に聞いた無数のベルトコンベアはない。
が、街全体の嵩上げが終了したところで止まってしまっているような印象。言うなれば土葬された街。
唯一工事中なのは広島の平和会館を想起させるような追悼施設。



橋を渡りきると左手に小規模な商業施設が見えたので、そこに駐車。
ここから奇跡の一本松までは徒歩で移動。一本松が立つ地盤に降り立つと、いかに低かったが実感される。
雨でしたが観光客は多かった。震災のシンボルとしてふさわしい、一種の寂しさをまとったモニュメント。


次は大船渡のつもりでしたが、見どころを探っているうちに通過してしまいました。
新居さんによるリアスホールを見かけましたが、震災後の周囲の空気から浮いてしまっている。

ついで釜石も結局スルー。ここらへんになると疲れも出てきた。
で、宿のある大槌町まで。チェックインまで時間があったので、できたての文化交流センターに寄る。

この街も津波で甚大な被害にあったようだが、不十分な高さの防波堤を築いて、また住宅が建ちつつある。
これは三陸南部と異なる点で、平地が限られているからいざというときは山に逃げられるという考えなのか。
もしかしたら津波との共生という文化があるのかもしれない。


宿はウィークリーマンションを兼ねているような、長期滞在者が多い印象。
周囲には何もなく、窓の外には開通したばかりの三陸鉄道が走っていた。





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