『通知表』



7月18日。
一学期終業式の日。
明日からは待ちに待った夏休み。
心はもうウキウキ。
なにをしよう、どこへ行こう。
頭の中はもう夏休みのことでいっぱい。
楽しい毎日の始まり!

なのだけれど。
学生さんにはその前に一つだけ通過儀礼があったりします。
そう。それは

『通知表』

の存在です・・・・・・

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「木之本さくら」
「はい」

自分の名前を呼ばれたさくらは緊張した顔で教壇に向かった。
小学生のころから何度も経験してきたことだが、これだけはいつになっても慣れない。
緊張してしまう。
ちょっとだけぎこちない足取りで教壇に辿りついて先生から通知表を受け取る。
その中身は・・・・・・

(はぅ〜〜。やっぱり〜〜)

予想通り。
もちろん予想通りの好成績のわけはない。
逆だ。
予想通りに悪かったのである。

(とほほほ。小狼くんが帰ってきてからちょっと浮かれすぎてたかな〜〜)

な〜〜んて考えてしまうのは責任転嫁もいいところだろう。
学業とは日頃の弛まぬ努力の賜物。
日頃の努力が足りなかっただけのことだ。
とはいえ、この辺は持って生まれた資質も関係するのでなんとも言いにくいところもある。
その証拠というわけではないが、

「大道寺知世」
「はい」

日頃、さくら以上に浮かれっぱなしの知世は名前を呼ばれても全く緊張したそぶりを見せていない。
いつも通りの歩調で教壇に赴き、通知表の中身を確認しても特に表情を変えることはない。

(知世ちゃんは通知表が怖くないのかなあ。やっぱりお頭の出来が違うのかな)

などとさくらが考えてしまうのもしょうがないかもしれない。
あの知世が人知れず勉学に励んでいるとはさくらならずとも、ちょっと考えにくいところである・・・・・・。

等々、しょうもないことを考えているうちに通知表の授与は最後まできてしまった。
あいうえお順で渡しているのでこのクラスの最後は小狼になる。

「李小狼」
「はい」

名を呼ばれた小狼が立ち上がる。
小狼の学業の優秀さは今さら言うまでもない。
なのでこの時、さくらは小狼くんくらい頭がいいと通知表なんか怖くないんだろうなあ、羨ましいなあ〜〜などと軽く考えていた。
しかし。
立ち上がった小狼の表情はさくらの予想とは異なるものだった。

(あれ? 小狼くん、緊張してる?)

表情が硬い。
明らかに小狼は緊張している。
心なしか、歩き方も少しギクシャクしているようかのようだ。
硬い表情のままで通知表を受け取り、恐る恐るといった感じで中身を確認している。
小狼の表情が崩れたのは中身を確認し終わって一息ついてからだ。
はぁっと安堵の溜息をつく。
どうやら良い成績だったらしい。

(ふふっ。小狼くんでもやっぱり通知表が怖いんだ。へへ〜〜、ちょっと安心。通知表が怖いのはわたしだけじゃないよね)

思いかけぬ小狼の緊張ぶりに、さくらは秘かに笑みを漏らす。
それがさくらが考えているよりずっと重い意味を持っていたと知るのは少し後のことである。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

さて、その日の放課後。

「あ〜〜、ようやく一学期が終わったよ。長かったな〜〜」
「そうか? おれにはあっという間だったよ」

さくらは小狼のマンションに来ていた。
夏休みの計画を立てるためだ。
小狼が日本に戻ってきてから初めての夏休みということもあって、さくらは大いに期待している。
それになにより、「恋人同士」になってから初めての長いお休みでもある。
どこに行こう、何をして遊ぼう、あそこもいいな、それともあそこにしようかな。
きっと、小狼くんと二人ならどこに行っても楽しいんだろうな・・・・・・
楽しい想像で頭の中はいっぱいだ。
そんなさくらを横目に小狼は鞄の整理をしていたが、その手が鞄と机の上を何度か往復した時にあるものがさくらの目に入った。
さっきの通知表だ。

(あっ、通知表だ。小狼くんさっきはすごく緊張してたみたいだけど、どんな成績だったのかな。ふふっ、ちょっと見てみたいな)

それは本当にちょっとした悪戯心でしかなかった。
この一枚の紙の重さにさくらはまだ気づいていない。

「ねぇ小狼くん。ちょっといいかな。その通知表見せてほしいんだけど」
「なんださくら。こんなもの見てどうするんだ」
「いいでしょ。ちょっと見てみたいの」
「まあ別にいいけど。ほら」

渡された通知表を開いて中身を確認する。
思った通りの凄い成績だ。
ほとんどが4と5、それも5の方が多い。
3がついているのは古文だけだ。
さすがにこれだけは苦手らしい。
それでも小学生時代に苦手にしていた国語の方は4がついている。
大したものとしか言いようがない。

「ほええ〜〜。やっぱり凄いなあ小狼くんは。4と5しかないよ」
「そんなものだろう。まあ、おれとしてはギリギリってところかな」
「えっ、これでギリギリなの? こんなにいい成績なのに」
「それが条件だからな」
「条件って?」
「日本にいるための条件さ。学業を疎かにしないこと、これが母上と約束した日本にいるための条件なんだ」
「あ・・・・・・」
「母上の基準は厳しいからな。でも、これならなんとかなるだろう」

そこまで言われてようやくさくらは思い出した。
自分が恋した“李小狼”がどういう男の子であるのかを。
そうだ、小狼くんは日本の人じゃない。
外国のそれも特別な家の人なんだ・・・・・・。

小狼は香港の巨大企業、李一族の次期当主となる運命を定められている。
本来はこうして日本にいることなどできない人間なのだ。
小学生の時はクロウ・カードを集めるという名目があった。
しかし、今は一族を納得させるだけの理由はない。
日本に行くのは一族の者の目には小狼個人のわがままと写っているに違いない。
それを納得させるために小狼はどれほどの労力を費やしてきたのだろうか。
今だってそうだ。
この成績は並みの努力ではとることのできないレベルだ。
それを小狼は生まれ育った母国とは違う、異国の地で成し遂げているのだ。
母国語と違う言葉での授業にはついていくだけでも相当の苦労が必要なはずだ。
きっと夜遅くまで勉強していたに違いない。
勉強だけじゃない。
魔力や術、肉体の鍛錬を怠らないことも日本に来る条件に入っているのは確実だ。
異国の地での勉学に魔力の修行、肉体の鍛錬、etcetc・・・・・・
小狼の毎日がどれほどに辛いものかもう、さくらには想像もつかない。

いったい、どうして小狼はそんなに苦しい毎日を過ごしているのか。
何のために辛い鍛錬をしているのか。
そんなのきまってる。
さくらのためにだ。

「かならず帰ってくるから。さくらのところに!」

あの時の約束を守るために頑張っているのだ。

それに比べて。
自分はこの数カ月、何をやっていたのか。
小狼と一緒にいられる、その喜びに甘えて何もしていなかったのではないか。
魔力の鍛錬もカードの維持が容易になった最近は以前ほど熱心にはやっていない。
勉強の方はさっきの通知表が示す通りの惨状だ。

小狼くんはわたしのために辛い思いをして頑張ってくれている。
それなのにわたしは。
そう思ったら急に自分が情けなくなってしまった。

「ゴメンね、小狼くん」
「ん? どうした、さくら」
「わたし、さっきバカなことを考えちゃったの。小狼くんでも通知表が怖いんだなって。でも、違うんだよね。小狼くんは本当はものすごく頑張ってるんだよね」
「おい、さくら。いったい何を言ってるんだ」
「小狼くんはわたしと一緒にいるためにすごく頑張ってくれてる。この日本で一人で、すごく努力してる。わたしのために。それなのにわたし、小狼くんの頑張りに気づいてなかった。小狼くんが頑張ってるのに、わたしなんにもしてなかった」

思いを言葉にするとさらに情けなくなってしまう。
本当に、いったい自分は何をやっていたのか。
小狼一人に辛い思いをさせて、それに甘えていた。
情けない。
情けなくて涙が出てくる。

「ゴメンね、小狼くん。本当にゴメンね」

謝罪の言葉を繰り返すさくらの目尻にうっすらと涙が浮かんでくる。

だけど。
それは流れ落ちる前に小狼の指で拭い取られていた。

「さくら。そういうのはやめてくれ」

拭った指をそのままにさくらに優しく微笑みかける。
小狼にもさくらが何を気にしているかがわかったようだ。
だが、それは小狼にとっては本意ではないものであったらしい。

「で、でも。わたし・・・・・・」

なおも謝ろうとするさくらを抑えて小狼は言葉を続ける。

「聞いてくれさくら。たしかにおれは頑張ってるよ。正直、ちょっと辛いとも思ってる。でも、それはさくらのために、ってわけじゃない」
「え・・・・・・?」
「いや、もちろんさくらのためっていうのもあるよ。だけど、それだけじゃない。おれはおれ自身のために頑張ってるんだ。おれはさくらと一緒にいたい。このおれ自身の願いのためにおれは頑張ってるんだ」
「小狼くん・・・・・・」
「だからさくら。そんな顔はしないでくれ。おれはお前にそんな顔をさせるために日本に来たんじゃない。明日から楽しい夏休みなんだろ。お願いだから笑ってくれ」
「う、うん、そうだね!」

小狼の言葉にようやくさくらの顔に笑みが戻った。
そして、あらためて自分が好きになった“小狼くん”がどんな男の子だったのかを思い出す。
そうだ。これが小狼くんなんだ―――
自分の辛さなんか少しも顔に出さずにいつもわたしを受け止めてくれる。
時には厳しく、時には優しくわたしを包んでくれる。
カードを集めていたあの時から。
そして今も。
きっと、これからも。
ずっと・・・・・・

その優しさに自分は甘えている。
でも、今はその優しさに甘えていたいさくらだった。

NEXT・・・


続きます。

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