『わんこしゃおらん(小狼サイド)・その2』



それを感じたのはある冬の日のこと。
陽もかなり落ちかけた頃だった。
背の毛にピリピリくるものがある。
イヤな予感。
いわゆる虫の知らせってやつだ。
おれたちは第六感、直感、そういったものが人間よりもはるかに発達している。
だからこういう予感を無視したりはしない。
これまでも何度か似たような予感を感じたことがある。
そしてその予兆は全て当たった。
今日、何か危険なことが起きる。それは間違いない。
ただ、何が起きるかまではさすがにわからない。
敵襲か自然災害か何かの事故か。
いずれにしても何か危険なことが起きるのだろう。
そう思ってもオレは特に身構えることもなかった。
いつも通りのままだ。
予感を無視してるわけじゃない。
だが、それ以上にオレは自分の力を信じている。
何が起ころうとオレの力で切り抜けてみせる。
その自信がある。
現に過去に起きた危険も全て自分の力で切り抜けてきた。
今度もなんとかなるだろう、そう考えていたんだ。

今にして思うと油断だったな。
まあそれはしょうがないだろう。
あの時オレはオレの気持ちをまだ自覚してなかったんだから。
さくらのことをあんなにも大事に想っていたなんて。
あの日まで思いもよらなかった。
くそ。
ホントにどうしちまったんだ、オレは。
あんなヤツのためになんであんなに必死にならなきゃいけなかったんだ。
まったく。
自分自身のアホらしさに腹が立つ。

予兆を感じてからもオレはなにもせず、いつも通りにしていた。
いつも通りといってもこの時間帯は特にやることもないけどな。
部屋で寝転がってさくらの帰りを待ってるだけだ。
そこら辺はただのお座敷犬と変わらないか。
まあ、いいんだよそんなことは。
夜になったらただのお座敷犬には到底マネできないようなスゴイことをするんだから。
今日はどんな風に責めてやろうかな。
そうだ、分身の法でも使ってみるか。
二人がかりで前後から突き上げてやったらあいつ、どんな声を上げてくれるかな。
さぞやいい声で鳴いてくれるだろうな。
そんなことを考えていた。

なに?
それじゃあただのヒモじゃないかって?
うるさいな。
だからいいんだってそんなのは。
オレは人間じゃないんだから。
人間の定義なんかオレには当てはまらないんだよ。
いちいちツッコんでくるな。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

なにかがおかしいと思い始めたのはそれから何時間か経ってからのことだった。
もう陽は完全に落ちてあたりは暗くなっている。
なのにさくらが帰ってこない。
それ自体は特におかしなことではない。
部活動やら何やらで帰りが遅くなることはままある。
ままあるのだがしかし。
なにか妙に気になる。
ひょっとしてあいつに何かが起きたのではないか―――

そう思った瞬間、オレの頭にある考えが閃いた。
オレの感じたイヤな予感、あれはオレ自身への危険ではなくさくらへの危険だったのではないか。
そもそも予感を感じてからかなりの時間が経つのにオレ自身には一向に危険らしいことが起きていない。
実際に何かが起きていないというだけでなく、何か危険が迫っているという感覚もない。
なのにイヤな予感は消えない。消えないどころか強くなる一方だ。
これはいったい?
はじめて味わう感覚だ。
自分自身にではない、他の誰かに対する危険の予兆。
そんなものを感じることがあるのか。
いや、ありうる。
その『誰か』への危険を自分自身への危険と同じレベルの危険と認識しているならば十分にありえる。
そんな『誰か』は今のオレには一人しかいない。
さくらだ。
あいつに何か危険が迫っているんだ!

そこまで考えが至った時点でオレは即座に行動に移っていた。
窓を開けて道路に飛び降りる。
さくらの部屋は2階だがオレにとってこの程度の高さはどうということはない。
路に降りた瞬間に真の姿に戻って学校に向けて走り出す。
子犬の姿じゃ移動もままならないからな。

「どうしたの山崎くん。急に黙りこんじゃって」
「ち、千春ちゃん、今の見てなかったの?」
「今のって何かあった?」
「犬が人間に変身したんだよ!」
「はぁ? なに言ってるの山崎くん」
「本当だよ! そこの窓から飛び降りてきた犬が一瞬で人に変わったんだ」
「はいはい。ウソはその辺にしておきましょうね」
「本当なんだって!」

ちっ。
見られてたか。
まあいい。どうということもないだろう。
それにしてもあいつら見覚えがあるな。
たしかさくらの同級生だったか。
何度か散歩の途中であった記憶がある。
あいつらがここにいるってことはさくらもそろそろ帰ってくるところか。
あいつらの様子からするとまださくらに何かが起きたってことはなさそうだな。
ならまだ間に合う。
待ってろさくら。
今行く!

『今日からここが小狼くんのおうちだよ』
『待っててね小狼くん。もうすぐご飯だから』
『どう、小狼くん。美味しい?』
『小狼くんはとってもかしこい子だね。うん、いい子いい子』
『小狼くん』
『小狼くん・・・・・・』

走っている間中、さくらとの何気ない日常が頭の中でリフレインされる。
1つ思い出す度に焦燥感は強くなっていく。
いったい、なんなんだこの感情は!?
あいつがなんだっていうんだ。
あいつはただの餌だぞ。
魔力を吸うための生餌。
おれにとってただそれだけの存在のはずだ。
たしかにあの魔力は失うには惜しい代物だが、所詮はその程度のものだ。
ランクは落ちるだろうが餌になる素養をもったやつはいくらでもいる。
失ったところで大して痛手を蒙るわけじゃない。
次の餌を探せばいいだけのことだ。
どうということもない。
そのはずなのに。

高まる焦燥感に胸が押し潰されてしまいそうだ。
リフレインする思い出にはもはや恐怖に近いものすら感じる。
走馬灯―――そんな不吉な単語が頭をよぎる。
本来は自分が命の危機に晒されたときに見るものはずものなのだが。
今見ているそれはさくらとの生活が二度と戻ってこない、そんな未来を暗示するものと思えてならない。
早くさくらを見つけなければ。
必死になってさくらの気を探る。
あいつの気はわかりやすい。
ここまで近づけば感じ取ることができるはずだ。
さくらは・・・・・・いた!
さくらの気配を2区画くらい先に感じる。
気配は普通に歩くのと同じくらいの速度で移動している。
特に変わったところはない。
どうやらまだ何も起きてはいないようだ。
おれの足ならこの距離は2分とかかるまい。
焦る心を抑えながら足を速める。
もうすぐだ。
さくら、さくら・・・・・・
さくら・・・・・・見つけた!

気配を察知してから1分とかからずにオレはさくらを見つけていた。
夜道を普通に歩いている。
特に変わった様子はない。
何か危険なものに襲われたようにも見えない。
よかった・・・・・・
間に合った。
オレは胸を撫で下ろした。
それが油断につながった。
危険がさくらを襲ったのはまさにその瞬間のことだったのだ。

キキィ―――ッッ

「きゃぁぁぁっっ!」

ガンッ!
ブゥゥゥゥゥ――――――

一瞬の出来事だった。
後ろの曲がり角から飛び出してきた車がさくらを跳ね飛ばしたのだ。
まるで重さのない紙袋のように跳ね飛ばされたさくらが跳ね上がり、落ちていく様がスローモーションのように見えた。

「なっ!? さくらぁぁぁーー!」

強烈な絶望感と後悔が全身を貫いていく。
なんという間抜けなんだオレは。
無事なさくらを見つけた、それだけで安心して気を抜いてしまった。
さくらに危険が迫っているのがわかっていたというのに。
さくらの安全を確保しもしないうちに気を抜いてしまったのだ。
間抜けとしかいいようがない。
絶望感と喪失感に苛まされながら地に伏したさくらに駆け寄り抱き起す。

「さくら! しっかりしろ、さくら!」
「うぅ・・・・・・」

よかった・・・・・・。
まだ息がある。
最悪の事態にはまだ至っていない。
だけど安心してはいられない。
さくらは非常に危険な状態にある。
あの勢いで叩きつけられたのだから無理もない。
出血がひどい。
内臓も相当に傷づいているに違いない。
どう見てもそう長くはもたない。
すぐにも助けを呼ぶ必要がある。

振り返ってみたが、さくらを跳ねた自動車はすごいスピードで走り去ってしまっていた。
事故を起こしたというのに救急車も呼ばずに現場を離れるなんて。
なんてやつだ。あとで相応の礼をくれてやるからな。
だが、今はそれどころじゃない。
さくらだ。
すぐに救急車を呼ばないと。
さくらの携帯は・・・・・・ダメだ! 壊れてる。
周りに救急車を呼んでくれそうなやつは・・・・・・くっ、いない。
あらためて今いる場所を見渡して気づいたが、ここはかなり危ない場所だ。
どうやら廃棄された工場の傍らしい。
路が入り組んでいるのもその割には街灯が少ないのもそのためのようだ。
近くに民家もなく、人通りもない。
他の誰かの助けは得られそうもない。
オレがなんとかしないと!
しかし!

オレはこの時ほど自分の身体を呪ったことはない。
魔術の中にはもちろん、治癒系の術も存在する。
高度なものになれば現代医学では不可能な疾病も治癒できるほどだ。
高位の魔導師であれば当然のようにかなりのレベルの治癒術を習得している。
なのだが、情けないことにオレは治癒系の術のほとんどを使うことができなかった。
自身の身体がほとんど不死身と言っていいほどのものだからだ。
たいがいの傷ならば数瞬で消えてしまうし、致命傷に近い傷でも数日もあれば完治してしまう。
そのため魔道の術の中でも治癒系のものは全く手をつけてこなかった。
それがこんなところで裏目に出ようとは。
いまさらそれを悔やんでもしかたない。

「さくら。今助けてやるからな」

両掌をさくらの胸にあてて魔力を送る。
治癒の術の中でもっとも基本の魔力で生命力を喚起する術だ。
基本中の基本の術なので効果もそれほどではないのだが、今のオレにできるのはこれしかない。
技術の不足は注ぎ込む魔力の質で補うんだ。
精神を集中し、極限までに高めた魔力をありったけさくらの身体に流し込む。
こんな時は魔力の量よりも質が重要になる。
ただ大量の魔力を流し込むだけではかえって身体の組織を壊してしまう。
さくらの身体をこれ以上傷つけぬよう、注意深く限界までに絞り込んだ魔力をゆっくりと流す。
ゆっくりと。
ていねいに。
やわらかく。
やさしく。
どれもこれまでのオレの生き方にはなかったものだけに、精神と魔力の摩耗が尋常ではない。
それでもやめるわけにはいかない。
さくらは絶対、死なせない!
オレが助ける!

―――――――――――――――――――――――――――――――――

「う・・・・・・ん。ふぅぅ・・・・・・」

どれくらいの時が過ぎたのだろう。
気が遠くなるほどまで魔力を注ぎ込み続けてようやく、さくらの頬に生気が戻ってきた。
出血も止まったようだ。
もう大丈夫だろう。
依然危険な状態にあることに変わりはないが、今すぐどうにかなることはなさそうだ。
助けを呼ぶに行く時間は稼げるだろう。
だが、どうやって助けを呼ぶか。
さくらの携帯は使い物にならないし。

と、そこでオレの触覚にピンとくるものがあった。
この感じ・・・・・・これはさくらの兄貴だ。
あいつもさくらを探しに来たのか?
ありえるな。
あいつは魔力の他に何か特殊な感知能力を持っているみたいだった。
特にさくら絡みだと強烈にそれが働くらしい。
男の子と遊んでるといっつもお兄ちゃんが邪魔しにくるのってさくらも言ってたっけ。
うざいやつだとは思ってたがこういう時はありがたい。

「桃矢! さくらはここだ!」

ありったけの声を上げて兄貴を呼ぶ。
この距離で聞こえるかと危惧したが、どうやら聞こえたようだ。
桃矢の動きが変わった。
こちらに近づいてくる。
よかった。
これでなんとかなりそうだ。

「犬! さくらはそこか!」
「すぐに救急車を呼んでくれ! かなりヤバい状態だ」

駆け付けた桃矢はオレの言葉を無視してさくらに駆け寄った。
さくらの口に手をあてて呼吸を確認する。
それはオレがもう確認済みだ。いいからとっとと救急車を呼べって。
まあ、むやみにゆすったりしないところは見事というべきか。
傷を確認する手つきもなかなか慣れたものだ。
いろんなバイトをやっているとは聞いてたがライフセーバーでもやった経験があるのか。
さくらの意識が戻ったのはこの時のことだった。

「ん・・・・・・うん・・・・・・」

微かな吐息とともに瞼がわずかに持ち上がる。
さすがに瞳にいつもの輝きはないが、おぼろげながらも意思の存在を感じさせる光は宿っている。

「さくら! 俺がわかるか?」
「お兄ちゃん・・・・・・?」
「よし。もしもし救急病院ですか。すぐに救急車をよこしてください。女の子が大けがをしています。車に轢かれたみたいです。場所は友枝町〜〜〜の〜〜〜・・・・・・」

ふう。
これでなんとかなりそうだな。
一時はどうなるかと思ったが。
やれやれだ。

「お兄ちゃん。わたし・・・・・・」
「このバカ! 帰りが遅い時はここは通るなってあれほど言っておいただろうが! 夜のここは見通しがきかなくて危ないんだ」
「ごめんね、お兄ちゃん」
「まったく。こいつがお前を見つけてくれなきゃ危ないところだったぞ。ちゃんと犬に礼を言っておけよ」
「小狼くん・・・・・・。小狼くんがわたしを助けてくれたんだね。ありがとう、小狼くん・・・・・・」

なんとか自分を取り戻したらしいさくらと桃屋の会話にオレは深い安堵を覚えていた。
よかった。
本当によかった。
オレは大切なものを失わずにすんだんだ・・・・・・。

・・・・・・が、この時オレは安堵感と同時にどこか妙な違和感も感じていた。
なにかがおかしいような気がする。
一体、なんだろうこの違和感は。
どこか不自然なものを感じるのだが。

あぁ、そうか。
おかしいのはこいつらの反応か。
桃矢もさくらもどうしてオレが小狼だってことがわかったんだ?
桃矢にこの姿を見せたことは一度もないのに最初からオレだってわかってたみたいだったな。
さくらだって夢の中では何度も見せてるけど、それがオレだってことはわからないはずなんだが。

「お前らよくオレのことがわかったな」

当然の疑問が口をついて出る。
それに対する桃屋の反応は

「でかしたぞ、犬! 帰ったら高級肉をたらふく食わせてやる!」
「おい、桃矢」
「お前を拾ったかいがあったってもんだぜ。初めて見た時は目つきが悪いんでほっとこうかと思ったんだがな」

・・・・・・・・・・・・。
全然話がかみ合わない。
おかしい。
いや、桃屋の反応だけじゃない。
何かがおかしい。
それに視点が変だ。
視点が低すぎる。
真の姿のオレは桃矢よりは低いとはいえけっこうな身長がある。
それなのに今の視点は横たわるさくらと同じくらいの低さだ。
これはいったい・・・・・・?
まさか・・・・・・?

さっきまでのとはまた違うイヤ〜〜な予感に押されておそるおそる掌を目の前にかざす。
そこで目に入ったのは肉球と短い指の生えた子犬の手。
あわててもう片方の手もかざすがやはり目に入るのは可愛らしいワンコのお手て。
ぱたぱたと体を叩くと感じられるのはふさふさした毛の生えたお肌。
頭に手をやればそこにあるのは本来そこにはないはずのお耳。

子犬の姿に戻ってる!?
そんなバカな!

魔力を集中して真の姿に戻ろうとするが・・・・・・戻れない!
それ以前に魔力が全く感じられない!
なぜだ!?

いや、何故も何もない。
魔力を一時に放出しすぎたんだ。
さくらの身体を治すのにこれまで蓄積してきた魔力の全てを使い切ってしまったんだ。
身体のどこにも魔力が残っていない。
それこそ一滴残らず魔力を振り絞ったって感じだ。
さーっと顔から血の気が引いていくのがわかる。
もっとも、今の姿じゃ青ざめたかどうかなんてわからないだろうけど。
ヤバい。
とてつもなくヤバい。
何がヤバいって魔力がこれっぽっちも残ってないってところがヤバい。
魔力ってやつは生まれつき持つ才能が全てだ。
これは魔力を持って生まれたかそうでないかって意味だ。
魔力を集めるにも強化するにも、まずはある程度の魔力が必要なのだ。
自分の持つ魔力を核にして魔力を集めたり強化したりしていく。
ようするにある程度は魔力がないと魔力を集めることも強めることもできない。
その魔力をオレは今、全て失ってしまった。

それはつまり・・・・・・
もう二度と真の姿に戻ることができない!
そ、そんなぁ〜〜〜〜
そんなバカなぁぁ〜〜〜〜!!

愕然として立ち尽くす(四足だが)オレの耳に桃矢とさくらの声が聞こえてくる。

「おい、犬! こっちに来い。そのままじゃ救急車に乗せられないからな。このバッグの中に入ってろ」
「小狼くんはわたしの命の恩人だね。ううん、恩犬なのかな。本当にありがとう、小狼くん」

この時のオレはそうとうに情けない顔をしていたと思う。
それがさくらが助かったことによる安堵のためだったのか、魔力を失った絶望のためだったのかは自分でもわからない・・・・・・

NEXT・・・・・・


続きます。

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