『わんこさくら物語・その2』



さてさて。
次の日の夕方。

「わぅ〜〜? わんわん!(ここが今日、さくらがお泊りするおうち? うわ〜〜、なんか面白そうなものがいっぱいあるよ!)」

結局、さくらは小狼にあずけられたのでした。
部屋に置かれた壷や置物に興味津々のさくら。
小狼はそんなさくらを氷のように冷たい目で見つめています。
どう見ても可愛いものを愛でる目つきではありません。
そのうえ、

「やはりそうか。クロウの力の後継者は大道寺じゃなくてお前の方だったんだな」

などとおかしなことを口にしています。
さらには

「可哀想だがこれも李家千年の礎のためだ。お前に恨みはないが・・・・・・ここで消えてもらおうか!」

などと物騒なことを言い出すのでした。
そうです。
李小狼。
一介の留学生と思われた彼の正体。
それは香港に拠点を置く魔道の一族、李家の若当主。
その彼が友枝町にやってきた理由は夢見の予言。

「東の島国の小さな町にクロウ・リードが最後に求めた力を持つ者が現れる」

この予言の真偽を確かめるため。
そしてもちろん、予言が真実であるならばその力を奪うためです。

最初のうち小狼は知世ちゃんが夢見の言う力を持つ者ではないかと考えていました。
夢見の示した条件にもっとも近いのが知世ちゃんだったからです。
しかし、知世ちゃんからは何の力も感じられません。
そこで、しばらく知世ちゃんを観察した結果、辿り着いたのがさくらの存在だったというわけです。

力を奪うもっとも簡単な方法は、力の持ち主をその手にかけること。

「玉帝有勅神硯四方・・・・・・」

懐から宝玉をとり出し呪文を唱える小狼。
宝玉が妖しい光を放ち、霊剣へと姿を変じようとしたまさにその瞬間!

「わぅっ!」

パシッ!

さくらが小狼に飛びつき、その手から宝玉をひったくってしまいました。

「わぅ〜〜、わん! わん!(うわ〜〜綺麗な石だな〜〜。ピカピカ光ってるよ〜〜)」

どうやら宝玉を何かのオモチャだと思ったみたいですね。

「あ、こらっ! 返せ!」

あわててさくらに手を伸ばす小狼。
その手をスルリとかわして逃げるさくら。

「わぅっ! わんわん!(わ〜〜い、追いかけっこだ〜〜。つかまらないよ〜〜)」

さくら、鬼ごっこか何かとカン違いしています。
すたたたた〜〜と見かけよりもはるかにすばやい動きで部屋を飛び出してしまいました。

「この! 待て!」

さくらの後を追って廊下に出た小狼ですが、すでにどこかの部屋に入ってしまったのでしょうか。
さくらの姿は見当たりません。
こうなると一人暮らしには広すぎるマンションは困りもの。
おまけに、どの部屋にも小狼の唯一の趣味の古物収集で集めた壷や置物が多数置いてあります。
ちっこいさくらが隠れる場所には事欠きません。
ようやく見つけたと思っても、すばしっこく置物の隙間を縫って次の部屋へと逃げてしまいます。
小狼もなんとかさくらを捕まえようとするのですが、部屋にある貴重な壷や置物が邪魔になってなかなかうまくいきません。

「はぁ、はぁ」

ようやく捕まえたころにはかなりの時間がたっていました。

「わぅ〜〜ん(えへへへ〜〜捕まっちゃった〜〜)」

鬼ごっこを堪能してさくらはご満悦のご様子。と、ここで

きゅぅぅぅ〜〜〜〜

とさくらのお腹が可愛い音をたて始めました。
どうやら運動してお腹が減ってきたみたいです。
当然、今日のご飯は小狼が用意してくれるものと思っておねだりを始めます。

「わんわん!(さくらお腹がへったよ。ご飯、ご飯!)」
「えぇぃ、うるさい! お前に食わせる飯なんかない!」

けれど、小狼にはにべもなく断られてしまうのでした。

「わぅ? きゅぅぅん・・・・・・(え、ご飯ないの? さくら、お腹がへったよ・・・・・・)」

あまりにご無体な返事にしょぼ〜〜んとなってしまうさくら。
さくらの1日は基本的に、
ご飯 → 知世ちゃんと遊ぶ → ご飯 → 知世ちゃんと遊ぶ → ご飯 → 寝る
というサイクルですので、ご飯が出てこないというのはさくらにとってはトンでもない大事件です。
我慢できるはずはありません。
うるうるしたつぶらな瞳で上目遣いにじ〜〜っと小狼に訴えかけます。

「くぅ〜〜ん・・・・・・(お腹へったよ・・・・・・)」

かぁぁぁぁ〜〜〜〜!!

これが小狼のハートをすこ〜〜んと直撃。

「うぅっ、こ、こんな犬を相手になんなんだ、この胸の高鳴りは!」

意外と純情な小狼くん、思いもよらぬトキメキにおおいにうろたえています。

「わぅ、わぅぅ・・・・・・(ごはん食べたいよ・・・・・・。ひっく、ひっく、くすんくすん)」
「しょ、しょうがない。ちょっと待ってろ! すぐ持ってきてやる」

さくらのうるうる攻撃に負けてご飯の用意を始める小狼。
この少年、根はわりといい子なのかもしれませんね。

それからしばらくして

「ほら。できたぞ」

小狼が持ってきたのは湯気のたつ美味しそうなご飯の盛られたお皿でした。

「わんわん!(うわ〜〜、美味しそ〜〜!)」
「ふん。よく味わって食べろよ。最後の晩餐ってやつになるんだからな」

この期に及んで小狼、まだ悪者ぶった台詞を口にしています。
本人はカッコつけてるつもりかもしれませんが、ハッキリ言って全然キマってません。
そういうキャラじゃないんですよね。彼は。
似合わないからやめておけばいいのに。
もちろん、さくらはそんなの聞いてません。
さくらの頭の中にあるのは目の前のごちそうだけです。

「わん! わんわん!(わ〜〜いっ、いっただっきま〜〜す!)」

勢いよくご馳走にとびつくさくら。
し・か・し。

かっしゃ〜〜ん!!

勢いがよすぎたのでしょうか。
盛大にお皿をひっくり返してしまうのでした。

「ハァ。何をやってるんだ、まったく」

せっかく作ったご飯をぶっちゃけられて小狼もガックリです。

「あぅぅ〜〜〜〜(はぅぅ〜〜、ベショベショになっちゃったよ〜〜)」
「お前、もしかしてものすごい不器用か?」
「わ、わぅ! わぅわぅ!(ち、違うもん! さくら不器用じゃないもん! このお皿がいけないんだもん! さくら、悪くないもん!)」
「やれやれだな。こっちに来い。体を洗ってやる」

―――――――――――――――――――――――――――――――――

そんなこんなでさくらが連れてこられたのは広いお風呂場です。

「わぅ〜〜〜〜(うわ〜〜、ひろ〜〜い。おうちのお風呂よりもずっと広いよ〜〜)」
「こっちだ。えーっと、シャンプーはこれでいいかな。ほら」

シャァァァ〜〜〜〜

「わぅ〜〜〜〜♪〜〜♪♪〜〜」

温かいシャワーで体を洗ってもらってさくらもご機嫌。
さすがに懲りたのか暴れたりせず、大人しくしています。
一方の小狼は、

(不思議だ。こいつにさわってると心が落ち着く・・・・・・)

思いもしなかった自分の心の動きに戸惑っているのでした。
本当に不思議です。
さくらを借りてきたのは力を奪うためにさくらを亡き者にするためだったはずです。
それなのに、こうしてさくらの体を洗っていると、そんなことはどうでもいい気がしてきます。
胸の奥から何か暖かいものが湧き出てくるような気になれます。
まるで、永い間凍っていた何かが溶けていくかのような感じです。

「気持ちいいか?」
「わぅっ!」
「そうか」

小狼、自分がとっても優しい微笑みを浮かべていることに気がついていません。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

「♪♪〜〜(まだかな、まっだかな)」
「待たせたな。できたぞ」
「わぅ!」

居間に戻ってくつろいでいたさくらのところに、小狼がもう一度ご飯を持ってきてくれました。
やっぱり、優しい少年ですね。
でも、お皿はさっきと同じのです。さくら、またひっくり返しちゃわないでしょうか。

「わん! わんわん!」

当然ですが、さくらはさっきの失敗なんか憶えていません。
お風呂で気持ちよくなったらきれいさっぱり忘れてしまっています。
またまた勢いよくお皿に飛びつこうとするさくら。
ですが今回はそこで、ひょいっと小狼に抱き上げられました。

「わぅ?」

不思議そうな顔で見上げるさくらに小狼は

「ほら。これならこぼさないで食べられるだろう」

と、スプーンで掬ったご飯をさくらの口元に寄せてくれるのでした。
これならぶきっちょなさくらでもご飯をこぼさずにすみそうです。
小狼の優しい心遣いにさくらは大喜び。

「わんわん! わん!」
「こ、こら、暴れるな。こぼれる」

あ〜〜ん、ぱくっ!
もぐもぐ。もぐもぐ。
ごっくん!

「わぅ〜〜〜〜!!(おいしい〜〜〜〜!!)」
「まだ食べるか?」
「わん!」

美味しそうにご飯をほお張るさくらのお口へと、せっせとスプーンを動かす小狼。
その顔にはさっきと同じ優しい微笑が浮かんでいます。
さくらへの悪い考えはカケラもなくなってしまったみたいです。
小狼、さくらにご飯をあげながらこう考えているのでした。

(あぁ。いったいいつ以来だろう。こんな優しい気持ちになれたのは。これも、こいつのおかげなのか)

・・・・・・と。
ここにきて小狼もようやく気がついたようです。
夢見の示したさくらの力の正体に。
そうなのです。
さくらの力とは魔力や術などではないのです。
さくらの持つ力、それは周りの人をほんわかした優しい気持ちにすることだったのです。
クロウが最後に求めた力がこれだったいうのも小狼にはなんとなくわかるような気がします。
強すぎる魔力がゆえにクロウは孤独な一生を送らざるを得ませんでした。
本当はクロウも誰かと温かい時間を過ごしたかったのでしょう。

「今ならわかるよ。大道寺がお前を大事にしている理由が。それがお前の力なんだな。いや、お前の力なんか関係ないのか、あいつには」
「わぅ?(なに? さくら、むずかしいこと言われてもわからないよ?)」
「なんでもない。独り言さ」
「わぅ〜〜?」
「そういえば、オレの名前まだ教えてなかったな。オレの名は小狼だ。憶えておいてくれ」
「わん!(しゃおらんくんだね! さくら、おぼえたよ!)」

―――――――――――――――――――――――――――――――――

さて、その翌朝。

「わんわん!(ただいま、知世ちゃん!)」
「お帰りなさい、さくらちゃん。ちゃんといい子にしてました?」
「わん!(うん! さくら、いい子にしてたよ!)」
「ふふっ、本当にそうかしら。李くん、さくらちゃんはいかがでした?」

何かを推し量るかのような視線を小狼に向ける知世ちゃん。
小狼は臆することなくその視線を受け止め、

「あぁ。とっても大人しくしてたよ。いい子だな、さくらは」

昨日のそれとは全く違う、実にいい笑顔で答えます。
その笑顔で全てを悟ったのでしょうか。
知世ちゃんの顔にもとてもいい笑顔が浮かぶのでした。

「大道寺。お前には全部わかってたんだな。オレが考えてたことも。オレがこいつに叶わないだろうってことも」
「あら。何のことでしょうか。李くんが何を言われているのかわかりませんわ」
「そうか。ならいい。それより大道寺。また一つお願いがあるんだけどいいか?」
「はい。なんでしょう」
「そ、その・・・・・・。またいつか、さくらを貸してもらえないか? きょ、今日じゃなくていい。またいつか、別の日でいいから」
「くすっ。さくらちゃん。李くんがああ言ってますけど、さくらちゃんはいかがです?」
「わん! わんわん!(行くよ! だって、しゃおらんくん、とってもおいしいご飯を食べさせてくれるもん!)」
「そうですの。では、李くん。また日を改めてからさくらちゃんをお願いいたしますわ」
「そ、そうか。頼んだぞ、大道寺」

さくらはちっこい子犬。
知世ちゃんに拾われてきた可愛いわんこです。
そんなさくらに最近新しいお友達ができました。
香港から来た小狼くんです。
小狼くんも知世ちゃんに負けないくらいにさくらを可愛がってくれます。
二人のお友達に可愛がられてさくらは今日も幸せいっぱいです。

おしまい

おまけ編 『おやすみの二人』


おまけ編に続きます。

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