『桜猫物語・4』



あの深夜の事件からさらに半年ほどたったころ。

「さくら、今帰ったぞ」
「にゃぁぁ〜〜」
「遅くなってすまなかったな。今日はお土産を買ってきたよ。後で一緒に食べよう」
「みゃぁぁぁ〜〜ん」

小狼とさくらの関係はあの日以前とそれほどには変わりなく続けられていた。
これはエリオルと知世、二人の協力によるところが大きい。
エリオルはあの後も幾度かさくらのもとを訪れ、さくらが人として暮らすためにいろいろな術を施してくれた。
その一つが小狼の住まう離れ一帯に強力な結界をかけてくれたことだ。
これは特殊なもので、結界の中では他の者にはさくらの姿が元の猫の姿に見えるようになる。
また、さくらが結界の外に出ないようにする効果も持っている。
強制的に押し戻すというタイプではなく、さくらの深層意識に働きかけて結界の外に出る気を失せさせるというものだ。
もっとも後者についてはあまり効力を発揮しているとはいえない。
それは、さくら自身が小狼の住まいから離れようとしないためだ。
さくらは猫の姿の時からある程度、人語を理解していたらしい。

「夜には帰ってくるから部屋の中で大人しく待ってるんだぞ」

そう言われれば大人しく小狼の帰りを部屋の中で待っていたものだ。
それは今も変わらない。
迂闊に外に出ると小狼を困らせることになるということをよく理解しているようだ。

一方、知世の方もさくらが小狼と住まうためにいろいろと協力をしてくれた。
衣服の着方から行儀作法まで女の子ならではの細かい点までさくらに教え込んでくれた。
この辺はやはり女の子にはかなわない。

「さくらちゃん、ここはこうするのですわ」
「みゃーー?」
「そうそう。お上手ですわよ、さくらちゃん」

人語を解することからも分かるとおり、さくらはかなり高い知性を持っている。
猫とは違う人としての振舞い方を驚くべき速さで学んでいく。
食事も今ではキチンとテーブルの上に並べられたものからとっている。
フォークやスプーンの使い方もすぐに憶えた。

「にゃにゃにゃ、みゃ〜〜ん」
「そうそう。箸の使い方もだいぶ上手になったな。えらいぞ、さくら」
「にゃぁぁぁ〜〜ん」

さすがに箸の使い方はそう簡単には憶えられなかったが、それでも見よう見まねでなんとかそれらしく使っている。
最近では言葉を発しないことをのぞけば、普通の女の子と変わりないところにまでなっていた。
ちょっとだけ困ることがあるとすれば寝る時くらいなものだ。
猫だった時、さくらは時々小狼のベッドに忍び込んでくることがあった。
子猫がベッドに忍び込んできてもまったく問題はない。
だけど、とびっきり可愛い女の子がまるっきり無防備に寝床に忍び込んできたらどうだろう。
おまけに最初の夜からわかっていたことだが、小狼はさくらの気配を察知することができない。

「うわわ、さくら!? いつの間にっ」

朝、目覚めたらすぐ傍にすーっすーっと気持ちよさそうな寝息をたてるさくらを見つけて驚くことが幾度かあった。
これは本当に困る。
何が困るとは言えないのだけど、本当に困ってしまうのだ。

とはいえ、これはほんの些細な問題。
小狼がちょっと、難しいけどほんのちょっと我慢すればいいだけのこと。
問題というほどのことではない。
さくらは本当にいい子だ。
さくらには何の問題もない。
仮に今、なにかの問題があるとすれば。
それは小狼の方にある・・・・・・

「そうそう。今日はもう一つさくらにお土産があるんだった」
「うにゃ?」
「これさ。ちょっとじっとしててくれ」

そう言いながら小狼は懐から取り出した髪飾りをさくらの髪にとめた。
小さな琥珀色の髪飾りだ。

「たまたま街で見かけたんだけど、さくらに似合うんじゃないかと思って買ってきたんだ。どうだ、さくら。気に入ってくれたか」
「にゃぅ!」
「気に入ってくれたみたいだな。ふふっ、可愛いぞさくら」

鏡に髪飾りを写して無邪気に喜ぶさくらに小狼の頬も緩む。
しかし、その瞳はその表情ほどには単純な喜びには満ちていなかった。

(似合わないことをしてるな、おれは)

自嘲にも似た感情が心をよぎる。
さくらのために装飾具を買ってくるなど本来は不要だ。
あの日以来、知世がさくらの衣装を山ほど持ち込んでくるからだ。
知世のセンスがずば抜けているのは門外漢の小狼にもよくわかる。
ただ可愛いというだけでなく、着易さ脱ぎやすさ、動きやすさなど様々な点に万全の考慮がされている
それは衣服以外の小物についても同じだ。
時折、リボンや髪飾り、チョーカーなども持ち込んでくるが、どれもさくらにとてもよく似合い、かつさくら自身が嫌がらないよう細心の注意が払われている。
そんな知世が用意した逸品に比べると自分のお土産は明らかに数段見劣りする。
しょうがないことだ。
これまで小狼は女の子用の小物など気にしたこともないのだから。
さくらにしても、やはり知世の用意したものの方が気に入るだろう。
そんなことは最初からわかっている。

それでも。
買わずにはいられなかった。
さくらが知世の用意したものに包まれている。
それがなぜか気に入らなかった。

(独占欲か―――)

人となったさくらと暮らして半年。
さくらについていろいろなことを知った。
さくらが好きなもの、嫌いなもの、お気に入りの場所、etcetc・・・・・・
猫であった時よりもさらに多く、さくらのことを知った。

だけど。
さくらのことを知れば知るほどわからないことも増えた。
それはさくらへの自分の感情。
さくらのことは好きだし愛おしいと思う。
それはさくらが猫の時からそうだ。
だけど、今感じているのはそれだけじゃない。
さくらが猫だった時とは違う何かを感じる。
さくらが知世やエリオルと楽しそうにしているのを見ていると、これまで感じたことのない感情が浮かんでくる。
これは独占欲なのだろうか。
さくらが猫だった時、さくらに接するのは自分一人だけだった。
それが今は、知世とエリオルをあわせて三人になった。
かつて自分ひとりに向けられていたさくらの瞳が、今は知世とエリオルにも向けられることがある。
それが気にいらないのか。
いや、そもそもなんでそれが気に入らないのか。
自分にとってさくらはなんなのか。
自分はさくらをどう思っているのか―――

ふわっ。

気がついた時、小狼はさくらを後ろから抱きしめていた。
本当に無意識のうちに身体が動いてしまっていたのだ。

「にゃ?」

さくらが驚いたように小狼の顔を見上げる。
自分を写すキレイな瞳に小狼はまた心が締め付けられるのを感じる。
この目を―――大道寺や柊沢にも向けているのか。
大道寺や柊沢にもそんな顔をするのかと。

「ゴメン。少しだけこのままでいさせてくれ」
「にゃぁぁぁ〜〜」

抱きしめた腕から伝わる温もりも小狼の不安を溶かしてはくれなかった。
エリオルと知世。
さくらとの生活を続けるために小狼自身が必要と判断したはずの二人。
小狼とさくらを応援してくれる二人。
その存在を今の小狼はなぜか疎ましく感じるのだった。

なぜかは小狼にもわからない。
ただ、もしも相手がエリオルでなければ、あるいは知世でなければこんな不安は感じないのではないかという思いが微かながらある。
エリオルと知世、この二人には特別な何かを感じる。
自分とさくらの関係を危うくする何か、そんなものを感じる。
特にエリオルからはそれを強く感じてしまう。

一体、どうしてこんなことを考えてしまうのか。
己の心を蝕む不安の正体はなんなのか。
小狼がそれを理解したのはある事件がきっかけであった。

NEXT・・・


続きます。

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