『桜猫物語・2』



あの深夜の邂逅から半年。

「ただいま、さくら」
「みゃぁぁ〜〜」
「よしよし。いい子にしてたか」
「みゃぁぁぁん」
「そうかそうか。いい子にしてたさくらにはお土産だ。美味しいぞ」
「にゃぁぁぁぁぁ〜〜♪」

件の猫は小狼の部屋に住み着いていた。
別に小狼が何かをしたわけではない。
何かするもなにもあの夜、姿を現した『猫』は小狼から逃げる素振りを見せなかった。

「みゃぁ?」

ただ不思議そうな目で小狼を見上げただけだ。
試みに手を伸ばしてみると、猫は何の警戒心も見せずに小狼の手にすり寄ってきた。
そのまま抱き上げてもなんの抵抗もせず逃げようともしない。

「みゃぁぁ〜〜にゃぁぁぁ〜〜」

気持ちよさそうに小狼の胸に顔を擦り付けてくる。
結局、その夜はそのまま捕まえた猫を部屋に連れて帰った。
部屋に戻った後、適当な大きさの籠の中に猫を入れて逃亡防止用に結界の札を貼り付けた。
今夜は妖物を捕獲したことで好しとし、正体はその後でゆっくり調べればいいと思ったのだ。

だが。

「にゃぁぁぁぁ〜〜ん」
「な、なに!? そんなバカな?」

翌日、目を覚ました小狼は問題の猫が自分のベッドの中にいることに驚愕した。
たしかに籠に入れて逃亡を阻止する結界を張ったはずだ。
よほど強い力を持った妖物でもあの結界を破ることはできない。
いや、そもそも結界が破られたらその時点で小狼が気づいたはずだ。
それなのに、『猫』は何事もなかったかのように小狼のベッドの中におり、小狼は『猫』の接近に全く気がつかなかった。
それはつまり、この『猫』が小狼を遥かに凌ぐ力の持ち主であることを意味している。

「こ、こいつ!」

小狼は飛び起きて剣を抜き放った。
驚愕と今の今まで妖物の接近に気づかず眠りこけていた自分の迂闊さを恥じる気持ちで混乱している。
もしもこの『猫』に害意があったら自分はもう命を失っていたであろう。
それは魔道士として、また李一族の当主として許されぬ屈辱だ。

「神硯四方・・・・・・」

一分の隙も油断もない姿勢で剣を構える小狼。
そんな小狼を『猫』は

「みゃぁぁ?」

昨夜と同じ瞳で不思議そうに見上げている。
その瞳には昨夜と同じく、一片の悪意も害意も感じられない。
ただ、小狼が手にした剣を少し警戒しているように見える。
剣を警戒しているというより、それが自分に向けられていることに不満を感じているようだ。
剣そのものよりも、剣にこめられた敵意を不快に思っている、そんな感じだ。
それに気がついた小狼は、ほんの少しだけ気を緩めて剣を下ろした。
その途端、

「みゃぁ!」

『猫』は嬉しそうに小狼の足元に駆け寄ってきた。
どうやらこの『猫』は人の感情を敏感に察することができるようだ。
ぱたぱたと足元にじゃれつく『猫』を小狼は抱え上げて正面から見つめた。

「にゃぁ〜〜にゃぁぁぁ〜〜」

嬉しそうに鳴き声をあげるその姿はどう見てもただの猫だ。
だが、抱き上げた手から伝わる力の感触は猫のそれではない。
なにか強い力の脈動をたしかに感じる。
しかし、そこには害意も悪意もその他のなんの意図も感じられない。
ただそこにあるだけの力。言うなれば自然のようにただ存在するだけの力。

「お前はいったい・・・・・・なんなんだ?」
「にゃあ?」

こうして小狼と不思議な『猫』の生活は幕を開けたのだった。

――――――――――――――――――――――――――――――

最初のうち、小狼は必死になってこの猫の正体を調べた。
自然発生したものなのか、誰かが造ったものなのか。
自然発生したものならば、どのような環境によって生まれたのか。
誰かが造ったものならば、誰が何の目的で造り、どうして李家に送り込まれたのか。
いろいろな術を使い、様々な文献を漁って調べた。
その結果、いくつかのことがわかった。
この猫が人によって造られたものではないということ。
なにか自然界の気のようなものが凝縮して生まれたらしいということ。
凝縮した気が何かのきっかけで猫の形をとるようになったもので、本物の猫とはあまり関係がないらしいこと。
などである。
秘められた力はかなりのもので、うまく引き出せれば大きな力を得られるだろうということもわかった。

けれど。

「にゃぁ、にゃぁぁ!」
「そんなに急がなくても誰もお前のご飯をとったりしないよ。ゆっくりお食べ」
「みゃぁぁぁぁ〜〜〜ん」

小狼はそこで調査をやめてしまった。
力を引き出す方法にはいくつか心あたりはあった。
だけど、力を引き出したらこの猫はおそらく消滅してしまう。
それがイヤだったのだ。
なんでそんな気持ちになるのかは自分でもわからない。
魔道士ならば強い力を求めるのは当然のはずだ。
まして、若輩者と蔑まれることの多い小狼にとって力の入手は最優先事項のはずである。

それでも。

「みゃぁぁ、みゃぁぁぁ」
「美味しいか、さくら」
「みゃぁ!」
「そうか。よかったな」

この猫を―――さくらを失いたくなかった。
一緒の時を過ごすうちにいつしか、こいつと一緒にいたい、こいつを失いたくない、そんな気持ちが小狼の中に生まれていたのだ。
こいつは利害も損得も何もなく、ただ純粋に自分に接してくれる。純粋に自分を求めてくれる。
それが小狼には心地よかった。
これは幼い時から李一族の当主となるべく、特異な環境で育てられてきた小狼だからこその感情であったのかもしれない。
未熟な魔力の暴走を警戒されて半ば隔離状態の生活を強いられている小狼にとって、部屋で帰りを待ってくれているさくらの存在はいつしか大きなものとなっていた。

「さくら」は小狼がこの猫につけた名前だ。
桜の木の下で出逢ったからという実に安直な理由だが小狼は気に入っている。
猫の方もこの名前が気に入っているようだ。
小狼に「さくら」と呼ばれると嬉しそうに飛びついてくる。
ちなみにさくらの好物は甘いお菓子である。
普通の猫は人の食べ物は口に合わないものだが、さくらには関係ないらしい。
人が食べるものはなんでもぱくぱくと美味しそうに食べる。
やはり普通の猫とはどこか違うようだ。
今も小狼が買ってきたお団子を美味しそうに食べている。
そんなさくらを小狼は優しい瞳で見つめていたが、ふと思いついたように何事かを呟いた。

「こんなに落ち着いていられるのもお前のおかげかな」

さくらから視線を逸らして見上げた夜空に浮かんでいるのは真円の月。
そう、今宵は満月。
小狼の魔力が最も強くなる日だ。
さくらと出逢う以前の小狼にとっては暴走する魔力に苦しめられる日だった。
だけど今はこんなに落ち着いて満月を見ていられる。
満月の鑑賞を楽しむなどこれまでの小狼にはできなかったことだ。
これもさくらのおかげかなのか。
さくらの不思議な力が自分を落ち着かせてくれるのか。
それともさくらと一緒にいる、それだけで安心できるためなのか。
ああ、さくら。もしもお前が―――

そこで小狼の口元に一瞬、自嘲めいた笑みが浮かんだ。
何をバカなことを考えているんだと思ったのだ。
まったくどうにかしている。
こんなバカなことを考えるなんて。
やはり満月の影響を受けているのか。
おかしなことにならないうちに寝てしまった方がいいようだ。

「さくら。ちょっと早いけど今日はもうオヤスミしよう」

言いながら視線をさくらに戻して―――そこで小狼はかたまってしまった。
降ろした視線の先に信じられないものを見てしまったからだ。

ピンとたった可愛い耳。
くるりと輪を描く尻尾。
キラキラ光る瞳。
それに。

「みゃぁぁ?」

聞き間違えようのない可愛い鳴き声。
そこまでは問題ない。
ずっと見てきたさくらのそれだ。

だけどそれ以外のところは。

真っ白い肌。
伸びた手足。
栗色の髪。
薄紅色の唇。

それはどう見ても人間の女の子のものだったからだ・・・・・・

NEXT・・・


続きます。

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