『蒼月夜会』



「それでね、それでね」
「きゃぁぁ〜〜」
「それからどうなったの?」

教室の一角に女生徒達の嬌声が響く。
もう夕暮れも近いというのにずいぶんなはしゃぎようだ。
何人かの女の子たちがなにやら話しに興じているらしい。
みな、興奮して目をキラキラさせて話しにのっている。
だが。

「あ、あはは……」

その中に一人、妙に浮いた雰囲気で話題に入り込めていない子がいる。
さくらである。
奈緒子、千春、利佳がわいわいと話し込んでいる中、さくら一人だけが入り込めずに浮いた感じだ。
これは少しおかしい。
このグループの中ではさくらは知世と並んで双頭といってよいほどに目立つ存在である。
そのさくらがグループ入り込めないというのはどうしたことだろう。
もちろん、それには理由がある。
それは。

「……振り向いた先にいたのは。血まみれの女の人だったの!」
「きゃぁぁぁ〜〜〜!」
「ほぇぇぇ〜〜〜〜〜〜」

話題が『怖い系のお話し』だったからだ。
さくらはこの手の話しが苦手だ。
苦手というか、もう弱点といっていいほどに弱い。
これはさくらの兄、桃矢の影響が大きい。
桃矢はいわゆる『視える人』なのだ。
さくらが小さい頃から、そこになにかいる、あそこにお化けがいる、そんなことを言ってさくらを怖がらせてきた。
さくら自身は霊的なものを視ることはできなかったが、気配を感じることはできる。
なので、目に見えないなにかがいることはわかる。
それを桃矢がおおげさに言い立てるものだから、さくらの怖がりようも尋常なものではすまない。
そんな幼児体験のせいで、さくらはこの手の話しが大苦手になってしまったのだ。
霊やお化け系統の話しだけでなく、怖い系のお話し全般に弱い。
現に、今の話題はそういう方向の怖いお話しになっているが、それでもさくらの震えは止まらない。
きゃーきゃーと嬌声を上げる千春たちをよそに、さくらの背には冷たい汗がたらたらと流れ落ちている。

「ピエルフォン城の城主のところにミレーヌという若い娘が嫁いできたんだけどね。彼女は実は8人目の花嫁だったの」
「それで?」
「王にこの城にはけっして入ってはいけないと言われた部屋が地下にあってね」
「それで、それで?」
「好奇心おうせいなミレーヌはついその部屋に入ってしまうの」
「そうしたら?」
「そこにあったのは……首のない7人の女性のミイラ! それはミレーヌの前の7人の花嫁達だったの! そして。気配を感じたミレーヌが振り返るとそこには……」
「ごくっ」
「オノを持った王の姿が!」
「きゃぁぁぁ〜〜〜!」
「ほ、ほぇぇぇぇぇぇ〜〜〜〜〜〜」

もはや我慢の限界が近い。
まあ、これは話し手の優秀さのせいもあるのだろう。
この手のお話し大好きっ子の奈緒子は知識もさることながら、その話し振りも見事なものである。
特に怖がりのさくらには意図的に視線を集中して話しているふうでもある。
他の子たちと違って本気で怖がってくれるさくらは奈緒子にとっては絶好のカモといったところか。

「あ〜〜おもしろかった」
「奈緒子ちゃんのお話はやっぱりおもしろいよね〜〜」
「お、おもしろいっていうか」

怖い話しもようやく一段落ついたようだ。
さくらもはぁ〜〜っと深いため息をついている。
よほどに怖かったのだろう。
そんなさくらに奈緒子がおまけとばかりに話しをふってきた。

「さくらちゃんは本当に怖がりだよね」
「だ、だって。オバケとか幽霊とか目に見えないのは怖いじゃない」
「目に見える怖いのもあるけど」
「うっ、そ、それは……。見えても怖いのはやっぱりダメ〜〜」
「あはは、本当にさくらちゃんは怖いのに弱いよねえ。でも、そんなので大丈夫なの?」
「大丈夫って、なにが?」
「だって、さくらちゃん、李先輩の家でメイドさんやってるんでしょ? ああいう古くから続く名家には怖い話しの一つや二つあるのが定番じゃない。ほら、さっきの話の入っちゃいけない部屋みたいの。聞いたことない?」
「そ、そんなのないよ」
「本当に?」
「本当にないよ! 小狼様のお家にそんなのないから!」
「ふぅ〜〜ん」

さくらの返事に納得したのかしていないのか、奈緒子はなんともいえない目でさくらを見ている。
その視線を感じながらさくらは一人、心の中でつぶやいた。

(怖いモノなんて本当になんにもないんだから。なんにも……)

まるで自分に言い聞かせるかのように。

「お前達、まだいたのか。もう時間だぞ。早く帰れ」
「は〜〜い」

おしゃべりに夢中になっている間にかなりの時間が経っていたようだ。
見回りにきた先生に挨拶しながらさくら達は帰宅の準備に入る。
もう陽は落ちかけてかなり暗くなっている。
何気なく見上げた空におぼろげながらもすでに月が浮かんでいるのが見えた。
蒼い真円の月が。

「今夜は満月かぁ」

なんでもないその一言にさくらが一瞬、特別な反応を示したことに気づいた者はいない。
ほんの一瞬だったが、さくらの顔に浮かんだそれは脅え。
先ほどの怖がりようとは全く異質の、あきらかな実体を伴うものへの脅えの表情だった。
心の中でさきほどのつぶやきを繰り返していることに気づく者も無論、いない。

(怖いことなんかない、怖いことなんかない、怖いことなんか……怖い―――なんて)

―――――――――――――――――――――――――――――――――

お屋敷に帰ってからのさくらはいつもと変わらず大忙しだった。
掃除に洗濯、夕食の用意と仕事は山のようにある。
ただでさえ広いお屋敷に、多くの使用人をかかえる李家での仕事の量は並みの家とは段違いだ。
奈緒子はメイドなどと言っていたが、実際のさくらの立場はそんなこじゃれたものではない。
ただの小間使いである。
大人の召使たちに混じっての仕事はさくらには大変なものではあるが、さすがにもう慣れた。
この忙しさもいつものことだ。
慣れてしまえばどうということもない。
いつも通りの仕事は。

その日がいつもと違っていたのは夕食の準備がすんだ後、メイド長に呼び出されたことだった。
長く李家に仕えているという老婦人からの通達は簡潔だ。

「さくら。小狼様がお前を呼んでいます。夕食が終わったら小狼様のところへ」

冷たい、一方方向の通知のみ。

「……はい。わかりました」

無論、さくらに否をとなえる権利などない。
ただうなずくことしかできない。
小間使いでも今のさくらの立場を表すには不十分だ。
正確に表現するならば

「李家の私有財産」

これが正しい。
有体に言ってしまえば

「小狼のための生きた玩具」

か。
今のさくらはその全てを李家に頼っている。
己の生活費のみならず病気の兄、桃矢の治療費までその全てが李家の保護で成り立っているのだ。
李家に逆らうことなどできない。それがどのような命令であっても。
メイド長ももちろん、それを重々知った上での通達である。
名家の若当主が閨に年頃の少女を呼ぶ。
その意味するところは言うまでもあるまい。
さほどに珍しいことではない。
李家ほどの家格をもつ家ならばよくあることであろう。
眉をしかめる大人もいようが、表立って非難することもない。
その程度のことだ。

だが、それにしてはメイド長の顔も声も強張りすぎていた。
その指先がかすかに震えを帯びていたことをさくらは見逃していない。
この人は知っているのだ。
あのことを。
さくらが生まれる前から李家に仕えているというこの婦人ならそれは当然のことかもしれない。
あるいはこの婦人も過去に自分と同じような立場にたった経験があるのだろうか。
さくらがふと、思ったのはそれである。
その時、この婦人はどのような反応を示したのだろう。
興味深い思いつきではあったが、すぐにそれを打ち消し頭から追い払った。
今はそれどころではない。
これから始まるのだ。
あの夜が。
あの時間が。
見上げた先にあるのは学校で見たのと同じ月。
いや、それは学校で見たときよりもはるかに蒼い輝きを放っていた。
不吉、といえるほどに冷たく鋭い光を。

NEXT……


続きます。

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