『メイド物語・無惨編』



目を覚ましたさくらは自分が異様な空間にいることを知った。
天井が見えない。
かといって屋外でもない。
空も見えない。雲も日も星も見えない。
どこまでも薄暗い闇が続いている。

起き上がって周りを確認したいところだがそれもできない。
体が動かせない。
両手を開いた十字の姿勢で首と手首、足首を拘束具で土台に磔られている。
土台は石製のテーブルのようなものらしいが、これもよくわからない。
おまけに裸だ。
身を覆うものは何も無い。
ふくらみかけた双丘もなめらかな下腹もうっすらと繁りかけた秘部も全てが丸見えだ。

どこともわからぬ場所に幽閉された上に全裸で拘束されている。
年頃の少女にとって恐るべき状況のはずであるが、さくらは特に驚いた様子は見せなかった。
悲鳴を上げることもなければ助けを呼ぼうともしない。
その顔に浮かんでいるのは恐怖とは違う感情―――諦念だ。

そう。
さくらはもう慣れてしまったのだ。
この程度のことには。

この邸の主、李小狼に仕えてからの日々はさくらの全てを変えてしまった。

「おまえがオレの受け皿か。見た目はなかなかのものだが。今度はどこまでもつかな」

初めて会った時、小狼にかけられた言葉は今でもハッキリ覚えている。

「はい、小狼様。今日から誠心誠意、お仕えいたします」

言葉の意味が理解できずに間の抜けた返事を返したことも。
その夜のうちにさくらは純潔を奪われた。
それもまともなやり方でではない。
四肢の自由を奪われ、衣服を剥ぎ取られ、おぞましい責めでさんざんに弄ばれてから穢されたのだ。
あの日から、今日までどれほどの辱めを受けてきたか。

剥かれ。
揉まれ。
しゃぶられ。
こねられ。
曲げられ。
叩かれ。
炙られ。

縄。
首輪。
鎖。
針。
鞭。
蝋燭。

おおよそ人に使うはずのない歪で卑猥な器具によるおぞましい責め。
どんなに叫び声を上げても誰も助けてくれない。
いや、それどころか責めを見世物にされたことすらある。
邸のメイド達の前で人としてもっとも恥ずべき行為を見世物にされた時、さくらの自尊心は粉々に砕け散った。
それほどの責めによくもこれまで耐えてきたものだと思う。
普通の女の子なら心も体も壊れてしまっておかしくない。

そうならなかった理由は―――多分、愛してしまったからだ。
あの恐ろしい男を。
なぜそうなってしまったのかさくらは自分でもよくわからない。
いびつな形ではあっても初めて体を許した相手からなのか、それとも二人だけの時、さくらにだけ見せる別人のように寂しそうな顔に心を動かされてしまったのか。
わかっているのは、自分が小狼を愛しいと想う気持ちだけ。
そして、それが絶対に通じない想いであるということ。
小狼にとって自分がただのオモチャであることはさくらも理解している。
小狼が自分に執心するのは、自分が『壊れにくい頑丈なオモチャ』だからだ。
どれほど体を重ねようと小狼の行為に愛はない。欲望をぶちまけているだけだ。
今日もおそらく同じであろう。
また新しい責め方を思いついたに違いない。
あの男が求めているのはどんな責めにも敏感に反応する自分の体だけだ。
そこまでわかっているのにどうして。

「わたしっておバカさんなのかなあ」

ポツリと漏れた問いに答えてくれるものはいない。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

何の前触れもなく小狼が台の傍に現れてもさくらは驚かなかった。
この男の不可思議な力はもう飽きるほど見せられた。
いまさらこの程度のことで驚きはしない。

「小狼様・・・・・・」

さくらの呼びかけにも小狼は無言。いつものことだ。
さくらは全てをあきらめたかのように、あるいは自分を見下ろす視線を避けるかのように目を閉じた。
また嬲られる。
ミジメに泣き叫んだあげく、あさましい声で慈悲を乞いながらよがり狂うことになる。
いやらしく開発されてしまった体が恨めしい。
今日はどこを責められるのか。
胸か腹か秘裂か。この体勢で尻ということはなかろう。
やはり胸か。
小狼の体温がゆっくりと近づいてくる。
少しずつゆっくりと。
自分の肌までもうあとわずか。
あぁ。
今日はどこから―――

接触。
肌と肌が触れ合う確かな感触。

だが、その場所は―――?

「!?」

さくらの目がこれ以上はないというくらいに大きく開かれた。
今の感触が信じられなかったのだ。
何をされたのかはわかる。
わかるがしかし、それは小狼が自分に対して行うはずのない行為だ。
そんなことがあるはずがない。
あの小狼様が自分に―――

さくらの驚きをよそに一度は離れた小狼の肌が再びさくらに近づく。
小狼の顔がゆっくりとさくらの顔に近寄る。
小狼の唇がさくらの唇へと。

接触。
先ほどよりも長く、深い確かな感触。
しかし、舌をねじ入れられることもなければ、千切れんばかりに吸われることもない。
唇と唇を触れ合わせるだけ。
もう間違えようがない。
自分は今、小狼と口づけを―――キスを交わしているのだ。
愛を確かめるための行為を。

信じられない。
今、自分は夢を見ているのだろうか。
自分の思い通りになる都合のよい幸せな夢を。
だが、ならば全身を拘束する金輪はなんなのだ。
こんなものが幸せな夢に出てくるはずがない。
それに肌に伝わってくる石の冷たさは紛れもなく現実だ。
夢などではない。
いったい、何が起きているのか。

混乱するさくらを三度目の衝撃が聴覚となって叩く。

「おれはおまえが・・・・・・好きだ」
「・・・え・・・・・・」

今宵、一番の衝撃。
欲しかった、何よりも求めていた言葉。
自分には決して向けられぬと思っていた告白。
それが今―――
でも、どうして?

「しゃ、小狼様!? 今、なんと・・・・・・?」
「おれはおまえが・・・・・・さくらが好きだ、と言ったんだ」
「な・・・・・・?」
「これはそんな感情じゃないと思ってた。おまえに感じるのはただの肉欲だって思ってた。おまえが気になるのはおまえの体に溺れてるだけだって思ってたんだ。いや、そう思いたかったんだな、きっと。李家の頭首ともあろうものがおまえみたいな婢女に心を奪われるなんてありえないって思いたかったんだ。でも違った」
「小狼様・・・・・・」
「さくら。おれはおまえが好きだ。この気持ちを好きだという以外におまえに伝える言葉をおれは知らない」

小狼の告白を聞きながらさくらは震えていた。
喜びによるものではない。
恐怖からくる震えだ。

小狼が恐い。

怖い、ではない。
恐いのだ。
これまでも小狼を怖いと思ったことはあったが、それは小狼の持つ人外の力への怖れだ。
今の小狼にはそれを感じない。
感じないがその代わりに、何か尋常でないものが小狼から伝わってくる。
それは魔力のような未知の力ではない。もっと別の何かだ。
愛、恋情、思慕、そういったものとも違う。
小狼の瞳は愛を語る者のそれではない。肉の欲望に染まった眼とも違う。
愛や欲望とは異質な温度を持った何か。
小狼の中にその何かが張り詰めていて、それを無理に押さえ込んでいる、そんな感じだ。
その何かが弾けた時、致命的な『何か』が起きてしまうのではないか。
自分の人生を真っ黒に塗りつぶしてしまう致命的な何かが―――

それともう一つ気になっているものがある。
小狼の右手にあるものだ。
長い鉄棒のようなものだ。
先端には小さな鉄板が張りつけられている。
鉄板には何か文字らしきものが刻まれているようだがさくらの位置からではよく見えない。
さくらにはこれとよく似たものを見た記憶がある。
遠足で牧場見学に行った時のことだ。
牛舎の片隅に放置してあったものだ。
かつては牛や豚に使っていたと聞いた。
最近は残酷だとの理由で使われなくなったとも聞いた。

まさか。

『あれ』を使うつもりなのか。
家畜にすら残酷だとされる『あれ』を自分に―――

恐怖に硬直するさくらの胸を小狼の左手が弄う。
これまでとはまるで違う、とても優しい愛し方だ。
だが、口をついて出る言葉には狂気の熱がこもっている。

「あぁ、さくら。おまえがここを他の男に自由にさせてるのかと思うと気が狂いそうになるよ」
「そんな・・・・・・。小狼様以外の男性に肌を触らせたことなんかありません」
「本当か」
「本当です!」
「柊沢にもか?」
「エリオルさん・・・・・・? あ・・・・・・」

エリオルの名を出されて、ようやくさくらは小狼の狂気の源泉がどこにあるのかを知った。

柊沢エリオル。
小狼の同級生にして、李一族とも深い関わりがあると噂される謎の人物。
教師すら歯牙にもかけない小狼が、学園内で唯一畏れる男。
そして、さくらにとっては小狼と自分の関係を知りながらも優しく接してくれる唯一の男子生徒だ。
そこに油断と甘えがあったことは否めない。

1週間ほど前のことだ。
さくらはエリオルに唇を奪われた。

「ちょっと目を閉じてくれませんか」

そう言われて目を閉じた瞬間、口づけを受けていた。
全くの不意打ちだった。
驚くさくらにエリオルは悪びれる風もなく

「さくらさんがあまりにも可愛かったもので。やだなあ、そんな顔しないでください。イギリスではこれくらい普通なんですよ」

と言ったものだ。
あれは二人きりの時で誰にも見られていないと思っていたのだが―――まさか。

「どうした、さくら。答えろよ。柊沢にここを許したのか」
「見ていたのですが・・・・・・? エリオルさんにその・・・・・・」
「ああ。見たよ。おまえが柊沢とキスをしてるところを。頭が真っ白になったよ。柊沢とおまえがそんな仲だったなんて思いもしなかった」
「違います! あれはエリオルさんの冗談です」
「あれからずっと夢に出てくるんだ。あいつがおまえを抱いているところが。あいつに抱かれてうれし泣きするおまえの姿が!」
「誤解です、小狼様。わたしとエリオルさんはそんな関係じゃありません!」
「最近は柊沢だけじゃない。いろんな男が出てくる。そいつらがみんなおまえを抱くんだ。そしておまえはそいつらに愛を誓うんだ。愛してますってな。おれには一度も言ってくれなかったのに。おまえは・・・・・・おまえは!」
「小狼様、聞いてください。エリオルさんとは本当になにもしていません。他の誰ともです。わたしの体は小狼様だけのものです。体だけじゃありません。わたしの心もみんな・・・・・・。わたしは・・・・・・わたしは・・・・・・小狼様が好きです。愛しています、小狼様!」

秘め隠してきた想い。
告げることは許されぬと諦めていた想い。
自由を奪われた少女の心の底からの真実の声。

しかし、それは小狼には届かない。

「そうだよなぁ。おまえはそう言うしかないよな。母上にそう命じられてるんだろ? おれに逆らうなって。おまえの立場じゃしょうがないよなあ」
「本当なんです! わたしは本当に小狼様を愛しています!」
「悪いな、さくら。おれはおまえの言うことが信じられない」

これが―――さくらの特殊な立場が身分の違い以上に二人を隔てる絶望的な障壁だった。
重病の兄、桃矢を救う対価として己の全てを李一族に捧げた少女。
人としての権利を全て剥奪された存在。
李家当主たる小狼の意思にわずかでも逆らうことは許されない奴隷。
それがさくらという少女だ。
そして、それゆえに小狼はさくらの言葉を信じることが出来ない。
この少女は誰のどんな問いにもイエスとしか答えられないお人形だ。
そんな人形の言葉をどうして信じられる?

「さくら。おれはおまえの全てをおれのモノにしたい。体も心もみんなおれのモノにしたいんだ」
「わたしは今でも小狼様のものです。わたしの全ては小狼様のものです!」
「ダメだよさくら。そんな言葉だけじゃ誰にも伝わらない。もっとハッキリした証拠がないと。誰が見てもさくらがおれのものだってハッキリわかる証拠がね」
「証拠?」
「小学校で教わらなかったか? 持ち物にはキチンと自分の名前を書きましょうって。だから、おれもおまえに自分の名前を書こうかと思うんだ。こいつを使って」
「ひぃぃ!?」

さくらの口から声にならぬ悲鳴が漏れる。
さくらは見てしまったのだ。
小狼が手にした鉄棒の先端にある鉄板の表面を。
そこには左右が反転した

『小狼』

の2文字が刻まれていた。
恐怖でガクガクと体が震える。
もう間違いない。
あれは焼印だ。
あれで自分の肌に一生消えない烙印を焼き付けるつもりなのだ!

「いや、いやぁぁぁっ! やめてください、小狼様! それだけはお許しください!」
「どうしてだよ。おまえの全てはおれのものなんだろう? 何をしたっていいはずじゃないか。違うか」
「やぁぁ・・・・・・いやぁぁぁ・・・・・・」

いかなる力が働いているのか。
さくらの目の前で鉄板がまるで火で炙られたかのように赤熱化していく。
よほどの熱が加わっているのか、棒の握り手からもシュウシュウと嫌な匂いのする煙が上がっているが小狼は痛みを感じていないらしい。
ゆっくりと鉄板をさくらの胸元に近づけていく。

「ひ、ひぃぃぃっ!」
「暴れちゃだめだぞ。暴れるとよけいに痛い思いをすることになるからな。じっとしてろよ」
「やめて・・・・・・やめ・・・・・・」
「愛してるよ、さくら。おまえの全てを。今日からおまえはおれのものだ。この先も。ずっと・・・・・・」
「や・・・・・・いや・・・・・・」

灼熱。
絶叫。

激痛が電流となって全身の神経を焼き尽くしていく。
薄れ行く意識の中でさくらが最後に感じていたのは圧倒的な絶望と―――ほんのわずかの安堵だった。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

同時刻。
執事室で帳簿をつけていた偉はふと顔を上げた。
さくらの悲鳴が聞こえたような気がしたのだ。

「どうなさいました」
「いえ、さくらさんの声が聞こえたような気がしたのですが。気のせいでしょうか」
「気のせいじゃないでしょうか。わたしには何も聞こえませんでしたが」

メイド長の言うとおり周りの者は何の反応も見せていない。
さくらの声が聞こえたと思ったのは気のせいだったようだ。

「そうですか。いえ、そうでしょう。歳をとるといけませんね。耳までボケてしまいます」
「まあ、偉さんたらご冗談を」

軽く頭を振った後、再び帳簿へと視線を向ける。
まったく。
歳をとるというのは困ったものだ。
聞こえるはずのないものまで聞こえてしまう。
そうだ。
さくらさんの声など聞こえるはずがない。
あの部屋は幾重もの結界で外界から完全に隔離されている。
どんな悲鳴を上げようと外に声が漏れることなどありえない―――

「用意して欲しいものがある」

小狼に呼び出されたのは一昨日のことだ。

「はい、なんでございましょう」
「これだ」

そう言いながら渡されたリストを見た瞬間、偉の顔は蒼白になった。
それが何に使うものなのかを知っていたからだ。
それを誰に使うつもりなのかも。
その結果一人の少女の未来が永遠に失われることも。

「わかりました。早急に手配いたします」

だが、そこまでわかっていながら偉は小狼に一言も逆らわなかった。
当主の言葉は絶対。
それが李家千年の掟。
生まれた時から李家に仕えてきた偉にとって、小狼の言葉こそが真理でありそれに従うことが己の全て。
真理に逆らうという概念は偉の中には存在しない。
たとえ、それがどれほど無惨な結果を招くものであろうとも―――

しばし目を閉じた後、ペンを持ち直して帳簿をつけるのを再開する。
その指がかすかに震えを帯びていることに気づく者はいなかった。

NEXT・・・・・・


続く・・・・・・

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